悪魔の襲来
奴は来る。
私は確信していた。
あの悪魔はここに来る。
私の首を取りにやって来る。
平原の向こうを、無数の装甲車やトラックが走っていく。トラックの荷台にはライフルを抱えた歩兵や、剣を持った転生者たちが乗っているようだった。砲撃で滅茶苦茶になった大地をトラックで強引に走っているせいで、荷台は随分と揺れているようだった。あのまま荷台から落下して、後続の車両に轢き殺されて損害が出てくれれば助かるのだが。
姿勢を低くしながら、後続の仲間たちにその場から動くなと合図を送る。既に日は沈んでいて光源は殆どない。テンプル騎士団の制服は夜間に敵陣へと潜入することも想定し、黒い制服となっている。だが、いくら暗闇の中で黒い制服を身に纏っていると言っても、全力疾走すれば敵に見つかってしまう。視覚以外にも索敵する手段はあるのだ。
潜入で重要なのは、敵に見つからないようにその索敵の選択肢を減らすことである。
車体の上に水冷式の重機関銃を乗せた装甲車が目の前を走っていく。後部に接続して牽引しているのは対戦車砲だろうか。先端部にでっかいマズルブレーキが搭載されているそれなりに大型の対戦車砲のようだが、あれでT-34-85やIS-2の採用で強力になったテンプル騎士団の戦車部隊を止めるのは無理だろう。
57mm砲だろうか、と考えていると、進撃していく敵部隊を見張っていたジェイコブが合図を送ってきた。
「かなりの数だな」
「ああ。だが、その分敵の指揮官の警備は甘くなる」
まあ、罠の可能性があるんだがな。
今回の標的は今までのような無能な貴族ではない。平民出身の優秀な将校で、本格的に指揮を執る機会さえあれば弱体化したテンプル騎士団をとっくに壊滅させていてもおかしくない男である。
きっと、戦闘の泥沼化を極端に嫌うテンプル騎士団が、指揮官の暗殺のために特殊部隊を出撃させることも想定しているだろう。確かに主力部隊の殆どを進撃させ、後方の塹壕を手薄にするのは潜入するこっちからすれば理想的な状況だが、それが罠だというのならば慎重にやらなければならない。
匍匐前進し、鉄条網の前まで辿り着く。隣へとやってきたサクヤさんが腰のホルダーからボルトカッターを取り出して、忌々しい鉄条網を静かに切断し始めた。テンプル騎士団の工兵の中には、ボルトカッターの刃の部分を大型化したものを愛用し、敵兵の首を切断する危険な連中もいるらしい。何でこの組織にはド変態が多いのだろうか。
呼吸を整えつつ、サクヤさんが鉄条網を切断してくれた場所から塹壕の中へと転がり込む。既にコレットやマリウスたちとは別れているので、この塹壕へと潜入したのは、俺、ジェイコブ、サクヤさんの3人のみである。
いつものことさ。こうやって数名で潜入するのは。
水冷式の機関銃の近くで警備しているヴァルツ兵の背後へと忍び寄り、義手を首元へと絡めてから思い切り捻じる。ゴギン、と骨が折れる音が聞こえ、哀れなヴァルツ兵が動かなくなる。
死体を隅に隠し、後方にいる2人に合図を送る。
「容赦ないな」
「いつものことさ」
そう言いながら、ウェルロッドを引き抜いてジェイコブとサクヤさんの前を姿勢を低くしながら突っ走る。もちろん、訓練通りに足音を立てないように注意しながらな。
やはり、塹壕の中の警備は随分と手薄になっていた。さっきすれ違った部隊がテンプル騎士団を追撃するための主力部隊なのだろう。ここに残っているのは必要最低限の守備隊というわけか。
姿勢を低くしながら進んでいると、塹壕の向こうで休んでいる兵士たちが見えた。後ろにいる2人に合図を送りつつ、敵兵の位置と人数を素早く確認する。ドラム缶の中に薪をぶち込んで焚火をしているようだ。人数は3名で、武装はボルトアクションライフル、スコップ、手榴弾のみ。一般的な帝国軍のライフルマンである。
他にも敵がいないことを確認しつつ、傍らにいる2人に敵の人数を伝える。ジェイコブはサプレッサー付きのトカレフTT-33を引き抜き、サクヤさんも既に手にしていたサプレッサー付きのコルトM1911を構えた。
投げナイフで仕留めるのもいいが、こっちの方が確実だ。人力と火薬のパワーならば、火薬の方が信頼性は遥かに上である。
「3(トゥリー)、2(ドゥーヴァ)、1(アジーン)」
カウントダウンが終わると同時に、塹壕の中で3人の銃が密やかに火を噴いた。発砲の際に轟くべき銃声が、随分と小さな音に変貌した状態で銃口から滲み出る。銃口から躍り出た弾丸もサプレッサーによって弾速を遅くされた状態だったが、人間の脆い肉体に風穴を開けられるほどの殺傷力は堅持していた。
3発の弾丸が、焚火の周りで雑談していた敵兵の頭を直撃する。ヘッドショットされた兵士たちは一斉に倒れ、動かなくなった。
故郷の話でもしていたのだろうか。それとも、戦果の話だろうか。
ウェルロッドの後端部を捻ってから引っ張り、薬莢を排出する。ウェルロッドはコルトM1911やトカレフTT-33のような敵との銃撃戦を想定したハンドガンではなく、あくまでも隠密行動に特化した代物だ。そのため、ハンドガンであるにもかかわらずボルトアクション式を採用しているため、連射はできない。
警戒しながら死体の近くに近づくと、先ほど頭を撃ち抜かれた敵兵のうちの1人が、女性と子供が写った白黒の写真を手にした状態で倒れていた。家族の写真だろうか。
それが何だ。
ブーツで写真を踏みつけながら、先へと進んだ。
きっと、故郷で夫の帰りを待っていたのだろう。だが、あいつは敵兵だ。殺さなければならない存在なのだ。そんな下らない情けをかけることは許されない。今しがた撃ち殺した敵兵から見れば、こっちも”敵兵”なのだから。
それに、もう敵を殺しても何も感じなくなった。いや、最初に敵を殺した時から何も感じなかったのかもしれない。
戦争に向いてるのかもしれないな、俺は。本当に平和な日本で暮らしていた元男子高校生なのだろうか。
「さすがね、スペツナズ」
移動しながらサクヤさんが小声で言う。隣で警戒しながら走っていたジェイコブはニヤリと笑いながら胸を張り、「光栄ですな」と言った。
敵部隊の司令部は、おそらく塹壕の後方にある。そこに標的がいることだろう。この任務を敵が察知しているか否かは、そこまで辿り着けば明らかになる。
木箱がいくつも置かれている場所で一旦立ち止まり、背負っていた無線機を下ろしてスイッチを入れる。一旦ここで後方の味方と連絡を取り、情報を確認しておくためだ。
「アクーラ1よりアクーラ3、状況報告を」
『こちらコレット、爆薬及び地雷の設置完了』
「了解、そのまま待機。アクーラ6、何か見えるか」
『こちらエレナ、塹壕の奥のテントに数名の将校を確認』
「標的か?」
『………そのようです。他にも将校が数名と護衛の転生者を確認。アクーラ1の現在位置より、北東に500m』
結構でかい塹壕のようだな、ここは。
よし、仕留めた後の保険についても確認しておくか。
「アクーラ1よりボレイ1、状況報告を」
『こちらボレイ1、支援砲撃と狙撃の準備は完了だ。頼んでくれれば14.5mm弾でソーセージを作ってやる』
ヴラジーミルからの通信を聞いていたジェイコブが、近くで口笛を吹いた。第二分隊には支援用に対戦車ライフルを支給している。まあ、対戦車戦闘よりも現代の対物ライフルみたいな使い方をさせるために支給したんだがな。
「アクーラ4、準備は?」
『一人で待ってるのって結構寂しいですよ、同志少佐』
「すまん、もう少し待て」
『了解』
さて、標的をぶち殺しに行こう。
無線機のスイッチを切り、背中に背負う。早く最新型の無線機を生産して味方に支給し、こういうでっかい無線機を通信兵に託したいものだ。このまま退役まで無線機を背負い続けてたら、爺さんになる前に腰を痛めてしまいそうである。
懐中時計で今の時間を確認してから、姿勢を低くしたまま突っ走った。
悪魔は来る。
ウェーダンの大地で、我が軍の兵士たちを惨殺した恐るべき男が。
殺された妹の復讐を誓い、人間であることを辞めてしまった少年が。
「本当に来るのですか?」
傍らに立つ転生者の少年が、我々と全く同じ発音のヴァルツ語でそう言った。彼は自分の母語で話をしているつもりなのかもしれないが、持っている端末の翻訳装置がそれを自動的に相手の母語に翻訳してしまうため、私にはヴァルツ語に聞こえてしまう。
護衛を担当する転生者の少年は、傍から見れば騎士のような恰好をしていた。身に纏っているのは白い制服だが、肩や膝には金属製の防具を纏っているし、左手には小型の盾を装備している。腰に下げているのは古めかしいロングソードだ。
現代どころか、産業革命の頃の軍隊でも時代遅れとされていた騎士を彷彿とさせる。
「来るさ」
知っている。
テンプル騎士団が、極端に戦闘の泥沼化を嫌うという事を。
戦闘を短期間で終わらせるための切り札を用意しているという事を。
だから私も、切り札を用意した。
「油断するなよ、シマザキ。ウェーダンの悪魔は手強い」
「ええ、知っています」
そう言いながら、シマザキは剣を引き抜いた。
「――――――望むところです」
人間の肉体よりも、機械の身体の方が戦闘には向いている。弾丸で撃たれても痛みは感じない。痛みがないという事は恐怖という概念が薄れることを意味するし、疲労という概念も希釈される。
フィオナ博士が作ってくれたこの義手で敵兵を殺す度に、それを痛感する。
義手の指先から展開した小型のナイフで喉元を切り裂かれた敵兵を塹壕の隅に隠し、血まみれになったナイフを指に収納する。背負っていたSKSカービンを手に取り、呼吸を整えながら前方にあるテントを睨みつけた。
あの中に標的がいる。
罠なのか否か、どちらかが分かる。
サクヤさんも武器をトンプソンM1928に持ち替え、ジェイコブもメインアームの『PPSh-41』に持ち替える。
PPSh-41は、ソ連軍が第二次世界大戦で使用したSMGである。ライフルのストックにバレルジャケットで覆われた銃身とでっかいドラムマガジンを組み合わせたような外見をしており、連射速度が非常に速い。更にドラムマガジンを使用すれば大量の弾丸を装填できるため、凄まじい殺傷力を誇る恐ろしい銃だ。
問題点は、SMGの中でもでかいという点だろう。まあ、筋力が発達しているホムンクルス兵には重量とか得物の大きさはあまり関係ないかもしれないが。
テントの中に集中砲火をお見舞いしようとした次の瞬間だった。
パシュッ、と夜空に真紅の信号弾が打ち上げられたかと思いきや、星空のど真ん中で緋色の光が膨れ上がった。味方の信号弾ではないという事を理解すると同時に、テントの陰からライフルを手にしたヴァルツ兵たちが何人も現れ、こっちに向かって一斉に銃を構える。
「………問題発生みたいね」
「そのようッスね」
案の定、罠だったか。
ライフルの銃口をヴァルツ兵共に向けながら息を呑んでいると、彼らの後ろから1人の転生者を引き連れたヴァルツ軍の将校が姿を現した。頭には大きな軍帽をかぶっていて、腰にはサーベルとハンドガンのホルスターを下げている。胸に下げているのは勲章だろうか。
今まで暗殺してきた将校よりも若い将校だった。確かに、熟練の将校たちからすれば経験不足に思えるかもしれない。更に平民出身であれば、貴族出身の将校たちは間違いなく彼を疎むだろう。平民出身の男が、貴族出身の将校よりも優れているという事が許されるわけがない、と貴族の連中は考えているのだから。
「――――――君が”ウェーダンの悪魔”か、速河力也」
こっちに銃を向けるライフルマンたちの後ろで、ローラント中将はそう言った。
「予想以上に若いな。それほどの若さで異名で呼ばれるとは、かなり優秀な兵士というのは本当らしい」
「それはどうも。出来るなら、あんたをぶっ殺して首を持ち帰りたいところだ」
「悪いがそれはできない」
だろうな。だから奪いに来た。
「我がヴァルツ軍に協力してほしいところだが……残念なことに勇者様は君を嫌っておられる。降伏は受け入れられんよ」
「殺すか殺されるかだけだ、クソッタレ」
降伏なんかするか。
俺の目的は復讐だ。敵に向かって白旗を振り、生き永らえる意味はない。最後の最後まで敵兵を屠り、怨敵を道連れにして死ぬつもりだからな。
隣にいる2人に目配せした直後、俺たちは同時にローラント中将へと向けて引き金を引いた。銃口からマズルフラッシュが迸り、2丁のSMGと1丁のライフルが弾丸をローラント中将に向かってばら撒く。
たった1人の人間を射殺するにはオーバーキルとしか言いようがない火力だったが―――――その火力が標的に牙を剥く事はなかった。
ガキン、と弾丸が装甲で弾かれるような甲高い音が立て続けに響き渡る。撃っている弾丸が何かに弾かれているのだという事を理解して引き金から指を離すと、いつの間にかマズルフラッシュの向こうに白い制服に身を包んだ転生者の少年が立っていた。
まるで騎士のような恰好をした日本人の少年だ。肩や膝には金属製の防具を付けているし、左腕には小型の盾を装着している。右手に装備しているのは古めかしいロングソードのようだ。あの白い制服ではなくマントを身に着けていたら、勇者に見えたかもしれない。
勇者って言葉が一番嫌いだな、俺は。
「この男がウェーダンの悪魔………中将、お下がりください」
「頼んだぞ、シマザキ」
ローラント中将が2名のライフルマンを引き連れ、後ろへと下がっていく。ジェイコブが「逃がすか!」と叫びながらPPSh-41でフルオート射撃をぶちかますが、その転生者は右手に持った剣をすさまじい速度で振るい、放たれた弾丸を全て弾き飛ばしてしまう。
おいおい、弾丸を剣で弾き飛ばすのは朝飯前ってか。
弾丸を弾き終えた転生者が、剣をくるりと回してから切っ先を何故か俺に向けてくる。サクヤさんとジェイコブは眼中に無いのだろうか。それとも、ライフルマンたちに任せるつもりなのだろうか。
「名を名乗れ、悪魔」
「やなこった」
剣で銃に勝てると思ってる馬鹿に名乗りたくないね。
標的を逃がしてしまった挙句、敵の罠だったという事が明らかになった以上、ローラント中将を追撃するのは愚策でしかない。ここは撤退するべきだ。
ベテランの兵士であるジェイコブとサクヤさんも同じ決断を下していたらしい。俺が尻尾でスモークグレネードを掴み、安全ピンを引っこ抜いて足元に投げつけたのを見ると同時に、2人はマガジンに残っていた弾丸を敵兵たちにばら撒き、踵を返して猛ダッシュを始めた。
俺もSKSの銃剣を展開し、ぶっ放した分の弾丸を装填しながら敵の塹壕の中を全力で突っ走る。逃走する俺たちを食い止めるために顔を出した敵兵の顔面にSKSの銃剣を思い切り突き刺して、義足で思い切り蹴り飛ばす。
さて、クソッタレな鬼ごっこの始まりだ。




