キメラと冤罪
「父上っ!!」
姉さんと共に大慌てで1階まで駆け下りていくと、玄関の近くに父上と数名の憲兵が立っているのが見えた。しかも、開けっ放しにされている玄関の扉の向こうにいる2名の憲兵は背負っていたライフルを構えて父上に銃口を向けており、トリガーに人差し指を当てて射撃する準備をしている。
憲兵隊の指揮官と思われる初老の男性も、目を見開いている父上に拳銃を突き付けていた。
「あなた!」
父上が銃を突き付けられているのを見てぎょっとしていると、リビングの方から夕食の準備をしていた母上が、ホムンクルスのメイドたちと共に走ってくるのが見えた。メイドたちはぎょっとしながら腰に下げている拳銃のホルスターへと手を伸ばそうとするけれど、父上は首を横に振りながらメイドたちに向けて手を伸ばす。
先ほど、憲兵たちは父上に国家反逆罪の容疑がかけられていると言っていたのが聞こえた。
父上がオルトバルカ連合王国に反旗を翻そうとした………?
ありえない。
ハヤカワ家とオルトバルカ連合王国の王室は、かなり親密な関係である。初代当主であったリキヤ・ハヤカワが、当時の国王からの依頼で若き日のシャルロット1世の救出に成功してからは、ハヤカワ家は王室の軍事的な後ろ盾となっていたし、王室はハヤカワ家の権力的な後ろ盾となっていたのである。王室が権力的な後ろ盾となっていなかったらこそ、ハヤカワ家が経営するモリガン・カンパニーの規模は大きくなったし、その技術力でオルトバルカ連合王国は世界最強の大国として君臨し続けてきたのである。
今まで協力関係だった相棒が、急に片割れに反旗を翻すわけがない。
「憲兵さん、待ってください。主人がそんな事をするわけがありません!」
「黙れ! カズヤ・ハヤカワ、女王陛下からのご命令である。貴様の身柄を拘束する」
「そんな………!」
「ち、父上!」
冤罪だ。
この憲兵たちをここで消すべきだろうかと思いながら、腰の後ろにある拳銃のホルスターへと静かに手を近づける。姉さんほど射撃は上手くないけれど、私も射撃訓練を受けているし、10m未満の距離ならば私でも当てられる。
憲兵たちを消したら、家族や親族たちを連れてクレイデリア連邦へと脱出するのだ。あの国にはテンプル騎士団の本部もあるし、国防軍はこの世界の軍隊よりも優れた異世界の銃で武装している。あそこに亡命すれば、世界最強の大国であるオルトバルカ王国でもそう簡単に手を出す事ができなくなるだろう。
オルトバルカとは敵対することになってしまうが、王室の方が先に父上に濡れ衣を着せたのだ。
唇を噛み締めながら拳銃のグリップを掴もうとすると、父上は私の方を見つめて微笑みながら、やめなさいと言わんばかりに首を横に振った。
父上にはバレていたというのか。
「………リリア、きっとこれは間違いだ。すぐに無罪を証明して帰ってくる」
「あなた………………」
「すまないが、サクヤとセシリアを頼んだぞ」
――――――きっと、父上は戻って来ない。
そう思いながら、戻そうとしていた右手を再びホルスターへと近付ける。ハヤカワ家と親密な関係にある王室が、今まで後ろ盾として機能してきたハヤカワ家を切り捨てるような真似をするわけがない。先月も父上はシャルロット8世に王室のお茶会に招待されていたし、王室からの依頼も何度も受けていた。
なぜこのような真似をするのか?
王室にとって、ハヤカワ家が後ろ盾から邪魔な存在に変貌したとでもいうのか?
それとも、女王陛下ではなく、別の貴族がハヤカワ家を陥れるためにこのような濡れ衣を着せたのか?
ハヤカワ家は庶民たちには信頼されているが、貴族を全て敵に回していると言っても過言ではないほど、貴族たちには疎まれている。ハヤカワ家を怨む大馬鹿野郎がこんな事をしたに違いない。
ならば、いっそのことオルトバルカを見捨てて、貴族という概念のない民主主義国家へと逃げるべきではないのか? 父上は無罪を証明するつもりらしいが、こちらを陥れるためにこんな事をしたのであれば、無罪を証明できるわけがない。どれほど証明しようとしても、もみ消されて終わってしまう。
止めるべきだ。
父上に「行かないで」と言うべきだ。
けれども、私が父上を止めるよりも先に、父上は姉さんの事を呼んだ。
「サクヤ、おいで」
「………?」
ゆっくりと父上の側へと向かうサクヤ姉さん。父上は銃を突き付けている憲兵たちに「少し時間をくれ」と言ってから、やってきたサクヤ姉さんの頭を優しく撫でる。
「本当は、お前がもっと大人になってからこれを託そうと思ったんだが………」
微笑みながら、父上は右手を目の前に突き出してオレンジ色のメニュー画面を出現させる。
第二世代型の転生者は、第一世代型転生者のように端末を使って武器の生産や装備をするのではなく、あのように端末の機能を自分自身の能力として習得している。だから端末を紛失したり、戦闘中に敵に破壊されて弱体化する恐れがない。
しかも、第二世代型の転生者は、自分が生産した武器や能力のデータを自分の子供たちに継承させる事ができるのである。
二代目当主だったタクヤ・ハヤカワから、歴代の当主たちにテンプル騎士団が保有する兵器のデータを受け継がれてきたからこそ、テンプル騎士団は最強の軍隊となることを許されていたのだ。
姉さんも父上がデータを継承させようとしていることを悟ったらしく、右手を突き出して緑色のメニュー画面を出現させる。右端に表示されていた『データの継承』をタッチした姉さんは、同じようにデータの継承を選択した父上を見上げながら、涙を拭い去る。
すると、メニュー画面に『データの継承中』という文字が表示され、その脇に数値が表示され始めた。10%だった数値があっという間に50%を超えたかと思うと、そのままあっという間に100%になってしまう。
たった5秒程度だ。たった5秒だけで、全てのデータを姉さんに継承させたというのだろうか。
「………父上」
「大丈夫、絶対に戻ってくる。………………みんなを頼んだぞ、サクヤ」
「はい、父上」
メニュー画面を解除し、踵を返す父上。銃を突き付けていた憲兵が父上の肩を掴み、そのまま庭の外に停車されているオルトバルカ軍の装甲車まで連れていく。屋根の上に機関銃が設置された装甲車の後部座席に乗せられた父上は、涙を拭い去りながら見送る私たちに手を振っていたけれど、冷酷な憲兵たちがすぐに装甲で覆われた分厚いドアを閉めてしまったせいで、父上の姿が見えなくなってしまった。
全ての兵士が乗り込んでから、装甲車の前部に搭載されているフィオナ機関が動き出す。運転手が供給する魔力を増幅し始めたフィオナ機関が、装甲車に高圧の魔力を伝達させたかと思うと、装甲で覆われた装甲車がゆっくりと走り出し、車道を行き交う他の車と共に宮殿の方へと向かって走っていった。
きっと、父上は戻ってくる事ができないかもしれないと思っていたから、姉さんにデータを継承させたのだろう。
転生者がもし死亡すれば、その転生者が生産した武器や兵器は全て消滅してしまう。つまり、父上の無罪が証明されずに処刑されてしまえば、ご先祖様から継承されてきたデータが全て消滅してしまい、圧倒的な軍事力を誇るテンプル騎士団が1秒足らずで武装解除されてしまう。
だから、自分が処刑された時にテンプル騎士団が弱体化することを防ぐため、姉さんにデータを預けたのだ。
そうすれば、もし父上が処刑されてもテンプル騎士団は軍事力を維持できるのだから。
「父上………」
もう、父上が乗せられた装甲車は見えない。
工場から突き出た高い煙突の向こうに屹立するラガヴァンビウス宮殿を見上げながら、私は唇を噛み締めた。
朝早くから庭で刀の素振りをするのは、私の日課である。
父上から戦闘訓練を受ける事を許された日から、私はこの素振りをずっと続けている。ご先祖様から受け継いだ刀を振り上げてから思い切り振り下ろし、朝日が照らし始めたばかりの庭に刀が振り下ろされる音を響かせる。そして再び刀を振り上げてから、腕の力、肩の力、瞬発力を総動員してもう一度振り下ろす。
8000回ほど素振りをしてから、刀を一旦地面に突き立てて額の汗を拭い去り、庭のすぐ脇にある道路をちらりと見た。これから仕事に行くのか、スーツに身を包んだ男性たちが車を走らせ、工場やビルがある方向へと向かっていく。
家の中でも、母上が目を覚ましたらしく、エプロンをかけてキッチンでフライパンを持っているのが見える。そろそろシャワーを浴びておけば、髪を拭きながら洗面所を後にする頃には朝食が出来上がっているに違いない。
今日の素振りはこれくらいにしておこう。
地面に突き立てていた刀を引き抜き、指先で刀身に付着した土を払い落としてから鞘の中に収める。
私は銃も使うが、接近戦用の得物はこの刀にしようと思っている。姉上はいつも「射撃の邪魔になるからナイフにしなさい」と言っているが、ご先祖様から受け継がれてきた剣術を廃れさせたくないし、ナイフは刀よりも殺傷力が低い。ちゃんと急所を狙わなければ敵を殺せない武器である。
だから、私はナイフではなく刀を選んだ。
とは言っても、現代ではもう刀や剣は廃れつつある。発展途上国でもボルトアクション式の銃の配備を始めているし、先進国ではボルトアクション式の銃よりも素早く連射ができるセミオートマチック式のライフルの開発を始めている。
刀や剣はとっくの昔に時代遅れの武器となってしまったのだ。
刀を腰に下げながら、玄関から家の中へと入る。
この王都にある家は、初代当主だったリキヤ・ハヤカワがネイリンゲンという街――――――現在では『オランバルト』という街になっている――――――から王都へと移り住んだ際に、親密な関係だった当時の王室が彼のために用意した家だという。産業革命以前の建物だから、近所に建っている新しい建築様式の建物と比べるとかなり古い家だという事が分かる。
そう、大昔からハヤカワ家と王室はかなり親密な関係だった。
なのに、なぜ父上が国家反逆罪の容疑をかけられなければならない?
「おはようございます、セシリア様」
「おはよう、レイチェル」
家の中に入ると、メイド服に着替えたレイチェルが大きなパンを抱えてキッチンの前に立っていた。朝食で食べるためのパンだとは思うのだが、いつも食べているパンよりも大きい気がする。
ちなみに、昨日の朝食は白米と”ミソシル”という倭国の料理だった。
「あ、刀は私がお部屋に置いておきます。お着替えは階段のところにありますので」
「うむ、いつもありがとう、レイチェル」
「えへへっ、セシリア様のためですから」
刀を彼女に預けてから、階段の近くに置いてある着替えを手に取る。
キッチンの方からは肉をフライパンで焼く音――――――今日の朝食はパンとベーコンエッグに違いない――――――や、ラジオの音が聞こえてくる。着替えを抱えたまま洗面所のドアノブへと手を伸ばした直後、ラジオから流れていた音楽が消え、ニュースが始まった。
『先ほど、王室から発表がありました。国家反逆罪の容疑をかけられ、身柄を拘束されていたカズヤ・ハヤカワ氏の判決は有罪となりました』
「――――――!!」
抱えていた着替えが、床の上に零れ落ちた。
父上が………有罪………………!?
そんな………………父上は何もしていないというのに、なぜ有罪になった!?
慌ててキッチンに飛び込み、ラジオの音量を上げる。近くでベーコンを炒めていた母上も、ぎょっとしながらフライパンから手を離し、父上が有罪になったと告げたラジオを見下ろしている。
『カズヤ・ハヤカワ氏は無罪を主張していましたが、工業区の廃工場からは大量の武器が接収されたほか、その武器を武装蜂起に使おうとしていた叛逆者も検挙されており、反逆者たちは”カズヤ・ハヤカワが首謀者だ”と証言しています。王室と裁判所はカズヤ・ハヤカワ氏に有罪判決を下し、本日の午前7時に宮殿前の広場で、火炙りの刑で処刑することを発表しており―――――――』
「っ!!」
父上が処刑されてしまう。
信じたくない。
反逆者たちの首謀者が父上であるわけがない。なぜ、父上が親密な関係だった王室に牙を剥く必要があるのか?
「レイチェル、刀を!」
「え? せ、セシリア様!」
先ほど彼女に預けた刀を掴み取り、私は家を飛び出した。
家を飛び出した時の時刻は、午前6時40分。父上が処刑されるまでたった20分しかない。20分以内に宮殿前の広場へと向かい、父上を救出して脱出するのはかなり無茶な作戦である。
でも、是が非でも助けなければならない。
私はまだ、あの人に認められていないのだ。
突っ走りながらメニュー画面を開き、南部大型自動拳銃を装備して腰のホルスターに放り込む。ライフルも装備するべきかと思ったが、市街地で銃身の長いライフルを背負って全力疾走すれば怪しまれるだろう。最悪の場合は、広場に到着する前に憲兵隊に妨害され、処刑までに間に合わなくなってしまう恐れがある。
だから軽装で屋根の上を突っ走り、広場まで向かう方が望ましい。
庭の塀に飛び乗り、そこから隣の家の屋根に飛び乗る。屋根を踏みつけながら道路の向かいから伸びるでっかい看板に飛び移り、更に壁をよじ登って建物の屋根へと移動する。
きっと、姉さんも目を覚ましてから後を追ってくる筈だ。
このように壁をよじ登ったり、屋根の上を走り回る訓練は幼少の頃から受けていた。姉さんと一緒に父上から逃げ回る鬼ごっこを何年も続けたおかげで、壁をよじ登ったり天井の上を全力疾走するのはお手の物である。
私は父上や姉さんよりもはるかに未熟だが、憲兵たちを攪乱させることはできる筈だ。その隙に父上を連れ戻し、一緒にクレイデリアまで亡命すれば、オルトバルカとは絶縁することになるが、父上は処刑されずに済む。
作戦を考えながら、私は宮殿へと向かった。
宮殿前の広場には、既に火柱が上がっていた。
火柱の周囲には、巨大な火柱を生み出すための藁が積み上げられているし、その傍らには油が入っていたと思われる大きなバケツがいくつも置かれている。
叛逆者め、と罵声を発する観衆たちは、その火柱の中心を見つめながら罵声を発していた。
その積み上げられた藁の中央には、金属製の柱が立てられているのが分かる。その柱は中心部よりもやや上の部分で十字架になっており、その十字架になっている部分に、黒焦げになっている人間の残骸が磔にされているのが分かる。
火炙りにされているのが父上ではなく、別の在任でありますようにと祈りながら、私はその黒焦げになって絶命している罪人の頭を見た。
キメラであれば、頭から2本の角が伸びているからだ。
――――――――――その罪人の頭からは、2本の角が伸びていた。
「――――――――!」
2本の角を持つ人間。
腰の後ろからドラゴンのような尻尾が生えている人間。
黒焦げになった罪人の足が、唐突に崩れ落ちる。
火炙りにされていたのは――――――私たちの父親だった。




