ネイリンゲンの一撃
「船体に損傷なし」
副長が報告したのを聞いて、僕は首を縦に振る。
崩落してきた氷山の迎撃に失敗して船体を直撃していれば、頑丈なジャック・ド・モレー級のうちの1隻であるネイリンゲンも大損害を被っていた事は想像に難くない。これからジャングオを脱出し、総旗艦ジャック・ド・モレー率いる主力打撃艦隊に合流するのだから、無傷のままジャングオを離れるのが望ましかった。
でも、きっとそれは難しい。
艦首の真上で砕け散った氷山の残骸たちが、巨大な砲塔が3つも搭載された前部甲板へと降り注いで甲高い音を響かせる。まるで装甲車に弾かれる銃弾みたいな音だ。リッキーたちも戦場でこんな音を耳にしているのだろうか、と思っていると、純白の煙の向こうに、巨大な戦艦の船体が見えてきた。
船体の形状はジャック・ド・モレーに瓜二つだ。けれども、船体には大穴がいくつか開いているし、後部甲板にある第三砲塔と第四砲塔は装甲が割れていて、砲身の付け根や装填装置があらわになっている。その砲塔で砲撃できないのは火を見るよりも明らかである。
敵艦からの砲撃を受けたのか、一足先に軍港から出撃して時間稼ぎをしてくれたチャン・リーフェンの艦首は抉り取られていた。
満身創痍のチャン・リーフェンの周囲に、巨大な水柱がいくつも出現する。
チャン・リーフェンに止めを刺すために砲撃をしているのは、巡洋艦や駆逐艦たちを引き連れた大和型戦艦だ。前部甲板にある第一砲塔と第二砲塔から立て続けに46cm砲の徹甲弾を放ち、艦首を失ったチャン・リーフェンを海の藻屑にしようとしている。
「艦長、同志団長から倭国軍への攻撃は禁じられています」
ボロボロのチャン・リーフェンへと容赦なく砲撃する大和を睨みつけていた僕に、砲撃命令を下そうとしていることを察した副長のリコが釘を刺す。
分かってるよ、リコ。
倭国軍への攻撃を禁じられているのは、倭国はどちらかと言うと連合国軍に近い立場の国家だからだ。オルトバルカ連合王国の友好国であり、オルトバルカが建造した兵器を大量に購入して、近代的で強靭な軍隊を作り上げてきた歴史がある。
ここで連合国専属の武装集団であるテンプル騎士団が倭国を攻撃すれば、倭国は連合国が自分たちを裏切ったと判断して帝国軍に味方をする恐れがある。下手をすれば、テンプル騎士団が連合国軍からも非難される羽目になるだろう。
すると、誰かがタラップを駆け上がってくる音が聞こえてきた。見張り員が「い、今は戦闘配置中です!」とその部外者らしき男を呼び止めるけれど、黒い制服に身を包んだ目が虚ろな巨漢は意に介さずに艦橋へと足を踏み入れた。
航海長や副長が止めるよりも先に、艦橋へとやってきたリッキーはニヤリと笑いながら言った。
「砲撃命令ならいつでも出せ、リョウ」
「団長から止められている筈よ、速河少佐」
艦橋へとやってきた部外者に、副長であるホムンクルスのリコが冷たい声で言う。迂闊に攻撃すれば、倭国は帝国軍に寝返る恐れがある。こっちが優勢とはいえ、ここで敵を増やすわけにはいかないのだ。
けれども、リッキーは楽しそうに笑ったままだった。
「そりゃテンプル騎士団所属だから問題になる。今の俺たちは―――――殲虎公司所属だ」
どういうことだろうか。
目を丸くしているリコが問い詰めるよりも先に、リッキーは説明する。
「複合機関のテスト中に、軍港の中に残ってた殲虎公司の旗を集めてきてな。さっきネイリンゲンの船体にあるテンプル騎士団の旗を全部それに取り換えてきた」
「「「はぁ!?」」」
え、ちょっと待って。
何やってるのリッキー………。
ぎょっとしながら、僕は艦橋の右側にある窓から身を乗り出し、艦尾の方を見つめた。副砲である20cm3連装砲が右舷と左舷に2基ずつ搭載されている艦尾の向こうには、いつもであればテンプル騎士団海軍の旗とテンプル騎士団の旗が揺らめいている筈だった。けれども、艦尾で揺れているのはいつもの旗ではない。
真紅の星と虎が描かれた、殲虎公司の旗である。
「殲虎公司所属だったら、倭国の連中に砲撃しても問題ないだろ」
「い、いや………確かにそうだけど」
「お、大和型じゃねえか。さすがに砲撃せずに素通りするのは無理だろ」
艦橋の窓の向こうに見える戦艦大和を見つめながらそう言ったリッキーは、彼の事を未だに睨んでいるリコの方を見て肩をすくめてから、ホムンクルスの見張り員に「悪い、邪魔したわ」と言い残し、艦橋を後にする。
確かに、こっちが殲虎公司所属の艦艇だと見せつければ砲撃しても問題はないだろう。殲虎公司が健在であれば罪を擦り付けかねない大問題でしかないが、同盟組織であった殲虎公司はとっくに壊滅しているので、擦り付けたとしても抗議してくる者たちはいない。
少なくとも、倭国艦隊への砲撃は――――――こっちがテンプル騎士団の艦だとバレなければ――――――許されたことになる。
後は命じるだけだった。
艦長である僕が、覚悟を決めて砲撃を命じるだけで、海の藻屑になりかけているチャン・リーフェンの乗組員たちは救われる。
命じるのは怖い。けれども、僕たちは虐げられている人々を救うために設立されたテンプル騎士団所属の兵士だ。敵を攻撃するのを恐れたせいで、海の藻屑になりかけているチャン・リーフェンを見殺しにするわけにはいかない。
テンプル騎士団の理念と、準備を整えてくれた親友のおかげで――――――僕は覚悟を決めた。
「――――――砲撃用意。目標、戦艦大和」
大和が放つ46cm砲の轟音の残響がうっすらと轟いてくる艦橋の中で告げた途端、ネイリンゲンの艦橋にいた乗組員や見張り員たちがぎょっとしながらこっちを向いた。
ネイリンゲンがテンプル騎士団の戦艦ではなく、殲虎公司所属の戦艦と見せかければ、倭国は「テンプル騎士団に攻撃された」と連合国軍に抗議する事はないだろう。もしネイリンゲンがテンプル騎士団艦隊と一緒に行動しているのを倭国軍に目撃されても、殲虎公司が提供した図面を使って建造した同型艦だ、と誤魔化せばいい。
だが――――――僕の命令は、団長の命令を無視することになる。
セシリア・ハヤカワからは、倭国軍への攻撃は彼らが原子炉を狙っていることが明確にならない限りは禁じられている。倭国が原子炉を手に入れることを目論み、こちらに攻撃してきた場合ならば問答無用で反撃する事が許されているのだ。
しかし、倭国軍は原子炉よりも殲虎公司の残党を根絶やしにする事を優先しているようで、チャン・リーフェンに攻撃を集中させている。
「か、艦長………同志団長のご命令に背くことになりますよ」
「僕たちは虐げられている人々を救う組織だ。それに、チャン・リーフェンには原子炉を作り上げた技術者たちも乗っている。彼らを守らなければ、この複合機関の量産に協力してくれる人材が一気に減ることになる」
殺されかけている人がいたから助ける、という単純な正義感でこんな命令を下したわけではない。原子炉を製造する技術を持つ技術者たちはネイリンゲンにも乗っているけれど、チャン・リーフェンに収容されているホムンクルス兵の中にも原子炉の製造や核燃料の生産のための技術を持つ古参の技術者たちが何人もいるのだ。
彼女たちを助けることが出来ればテンプル騎士団でも原子炉の量産ができるようになるし、この新型複合機関も量産して、他の艦艇に搭載する事ができるようになる。
合理的な判断も含んでるんだよ、リコ。
「それに、あの戦艦大和に44cm砲が通用するかどうか確かめてみたい」
「………了解しました、艦長」
納得してくれたリコは、こっちを見ながら冷や汗を拭っていた航海長に向かって首を縦に振った。
「航海長、進路このまま。本艦はこれより、倭国艦隊との砲撃戦を敢行する」
「了解、進路このまま」
「最大戦速!」
リコが命じ、他の乗組員たちが伝声管に向かって命令を復唱し始めると、艦尾の方から重々しい音がうっすらと聞こえてきた。氷の塊が十重二十重に浮かぶ極寒の海の中で回転する二重反転ハイスキュードスクリューが回転速度を増し、全長304mの巨体を更に高速で航行させようとしている。
ネイリンゲンの速度が急激に上がっていく。置き去りにされていく氷の塊や氷山の群れのど真ん中を、戦艦ネイリンゲンは超弩級戦艦とは思えないほどの速度で前進し始めた。
速度を表示している魔法陣を見た航海長が、凍り付きながら報告した。
「げ、現在、36.6ノット………以前の最大戦速を超えました。速度、なおも上昇中………!」
「ま、まだ上がるのか………!」
もう既に、フィオナ機関を搭載していた頃の速度どころか、ジャック・ド・モレー級が機関部に原子炉を搭載していた頃の最大戦速すら超えている。最大戦速で航行する駆逐艦や巡洋艦すら易々と追い抜いてしまえる程の速度で、新たな動力機関を積んだネイリンゲンが大和へと向かっていく。
「速度、45.5ノットに到達。これ以上は上がりません」
戦艦の速度ではない。戦艦大和に匹敵するほど強力な主砲と分厚い装甲を搭載した戦艦が、金剛型戦艦やアイオワ級戦艦すら易々と置き去りにできるほどの速度を手にしてしまったというのか。
これがステラ博士の複合機関………!
「副長、チャン・リーフェンにエリス・ゲートへの座標を転送!」
「了解!」
蒼い軍服に身を包んだリコが、目の前に浮遊する小さな魔法陣を素早くタッチする。ウィルバー海峡への入り口の片方を守る海上要塞『エリス・ゲート』へ転移するための座標だ。これをインプットして転移すれば、自動的にエリス・ゲートへと辿り着くだろう。
転移には航行用のフィオナ機関を使用することになるため、転移した後は航行不能になる恐れがあるが、ウィルバー海峡の周囲はテンプル騎士団とクレイデリア国防海軍が制海権を確保している。彼らが発見してくれれば、タンプル搭まで曳航してくれるだろう。
大和の正面に立ちはだかっていたチャン・リーフェンが、進路を変えて大和から離脱し始める。大和はチャン・リーフェンを追おうとしているらしいが、戦艦とは思えないほどの速度で突撃してくるネイリンゲンを攻撃するつもりらしく、進路を維持したままネイリンゲンへと接近を始めた。
元の角度へと戻り、砲弾の装填を終えた砲身がまた仰角を上げていく。巨大な46cm砲の砲塔がゆっくりと旋回を始め、猛スピードで突っ込んでいくネイリンゲンへと向けられた。
「第一、第二砲塔、砲撃用意。目標、戦艦大和。12時方向、仰角20度」
ジャック・ド・モレー級の主砲の一番の強みは連射速度の速さだが、その次の強みは”弾速の速さ”だ。こっちの主砲の砲身は大和の主砲よりも長いし、発射の際に使用する装薬も高圧魔力と火薬を混合させた特殊なものを使っている。そのため、遠くにいる敵を攻撃する場合でもそれほど仰角を上げる必要はないし、発射すれば短時間で着弾する。
ちなみに、弾速の速さの次の強みは”射程距離の長さ”である。
「大和、発砲!」
「進路そのまま! 砲撃準備及び、転移準備急げ!」
「転移先のインプットは済んでいます!」
『転用フィオナ機関、通常濃度から転移濃度へ魔力濃度上昇中。圧力もまもなく加圧限界』
複合機関を制御する制御室にいる機関長が、伝声管の向こうで転用フィオナ機関の操作をしながら報告をした次の瞬間だった。
今まで交戦したヴァルツ軍の戦艦の主砲が近くに着弾した時とは比べ物にならないほど大きな水柱が、ネイリンゲンのすぐ近くに生まれる。304mの船体が激震し、船体が軋む。
ジャック・ド・モレー級は極めて頑丈な戦艦だが、46cm砲の被弾は間違いなく致命傷になるだろう。喰らう前に大和に攻撃を命中させ、向こうが砲弾を装填している間に離脱するのが望ましい。
「バレたらシベリスブルク送りですよ、同志艦長」
砲撃準備を終えた砲塔を見つめながら、隣でリコが言った。
団長にバレたらだろうか。それとも、倭国にバレたらだろうか。
でも、バレても関係ない。
「構わんさ」
これはテンプル騎士団の理念通りの行動だし、技術者たちを救うための判断だ。それに、人々を虐げる連中は粛清しなければならない。
覚悟は決めたのだ。
シベリスブルク送りを言い渡されたのならば、極寒の雪山に行ってやろう。
「――――――撃てぇッ!」
命じた直後、艦橋の窓の向こうで、55口径44cm4連装砲が火を噴いた。
46cm砲よりも一回り小さいが、弾速と連射速度ではこっちが勝っている。砲身から溢れ出た凄まじい爆音と爆炎が前部甲板を呑み込み、合計8発の砲弾が氷山が浮かぶ海原のど真ん中を駆け抜けていく。
砲撃を終えた44cm砲の砲身が元の角度へと戻っていき、砲身内部で砲弾の装填が始まる。テンプル騎士団が独自開発した装填装置のおかげで、この艦はすさまじい連射速度で砲弾を発射することが可能なのだ。
だが、その砲弾の装填が終わるよりも先に、前方の大和の左舷で火柱が噴き上がったのが見えた。
見張り員が「着弾!」と報告するのを聞きながら、双眼鏡を覗き込む。44cm砲の徹甲弾が命中したのは、大和の左舷にある副砲や高角砲の辺りだった。副砲の砲塔には大穴が開いていて、砲身は完全にひしゃげている。高角砲もいくつかが吹き飛んでいて、甲板の上には砲塔の装甲の残骸が転がっているのが分かる。
しかし、大和は極めて分厚い装甲を持つ超弩級戦艦である。今の一撃は大和に致命傷を与えることはできなかったらしい。
反撃するためなのか、大和の砲身がゆっくりと上がり始める。仰角を調整しているのだ。
「チャン・リーフェンより入電。『感謝スル』とのことです」
ホムンクルスの乗組員が報告した次の瞬間だった。
チャン・リーフェンが、残ったフィオナ機関を使って転移したのだろう。3時方向へと退避していったチャン・リーフェンの船体がピンク色の魔法陣に覆われたかと思いきや、周囲の海水が吹き飛んで水柱と化し、チャン・リーフェンの船体を包み込んでしまう。
転移の際には、周囲の海水まで一緒に転移させてしまう。だから、転移を終えた際には海上に巨大な水柱が形成されてしまうのだ。
ガルゴニスたちが無事にエリス・ゲートに辿り着いたことを願いつつ、僕は命じた。
「これより本艦は、ラトーニウス沖に展開するヴァルツ主力艦隊陣形中央へ転移し、単独での中央突破を敢行する! 戦闘態勢を維持したまま転移!」
「フィオナ機関、加圧限界です!」
「転移!」
今度は大艦隊のど真ん中に転移することになる。
かなり無茶だけど、敵艦隊の攪乱に成功すればこっちが有利になる筈だ。
そう思った直後、大和が主砲を放つよりも先に、ネイリンゲンの船体を巨大な水柱が包み込んだ。




