凍てつく海原へ
制御室の中にある魔法陣を覗き込みながら、私は唇を噛み締めていた。
原子炉からエリクサーの排出が完了し、点検が先ほどまで行われていた。原子炉の始動に失敗した原因は原子炉と接続したフィオナ機関のコネクターが緩んでいた事らしく、既に作業員たちがコネクターを接続し直している。
なのに――――――どうして、原子炉を始動させるタイミングでフィオナ機関の圧力が急激に低下していくのか?
「機関長、またです! 魔力の圧力が急激に低下!」
「くそっ………魔力コンデンサーも起動させろ! 圧力を上げないと動かんぞ!」
機関士たちの怒号を聞きながら、拳を握り締める。
たった1つしかない原子炉を複合機関に作り替えることに失敗し、殲虎公司の技術者たちが遺した貴重な原子炉を無駄にしてしまう事は恐れてはいない。本当に失敗して原子炉を無駄にしてしまったのであれば、私は責任をちゃんと取るつもりだった。
けれども、今はそんな事は考えられなかった。
今まで様々な技術を解析し、騎士団の技術力を高めてきた技術者として、悔しかった。
大急ぎで書いた図面は合っていると断言できるし、組み立ても間違っていない。けれども、図面や点検でも明らかにする事ができない正体不明の原因が、機関室の中に鎮座する複合機関のどこかに居座っている。
その原因が、分からない。
どうして原子炉が動かないの? 図面は合っているし、さっきコネクターは接続し直したからもう圧力が落ちる筈はないのに。
「機関長、ダメです! 魔力の圧力がどんどん抜けています!」
「くそ………このままではまた原子炉を停止させることになるぞ………!」
もう既に、洞窟の外でチャン・リーフェンが倭国艦隊を迎え撃っているという。チャン・リーフェンは応急処置を受けて航行できる状態になっているけれど、主砲は半分以上が動かないし、砲撃可能な砲塔もいつ故障が起きてもおかしくないほどボロボロになっている。機関部には旧式のフィオナ機関が原子炉の代わりに搭載されているから速度は落ちているし、艦内の配線は殆ど交換されていない。
一刻も早く複合機関を始動させなければ、弱体化したチャン・リーフェンは海の藻屑と化してしまう。下手をすれば、突入してきた倭国艦隊にネイリンゲンを拿捕され、この複合機関も奪われてしまうかもしれない。
どんどん減少していく圧力の数値を睨みつけながら、天国にいる夫の事を思い出す。
あの人は、複合機関を作るという私の意見に賛成しただろうか。それとも、リスクが高すぎると言って反対しただろうか。
あの人はよく無茶をする人だった。死んでしまったのではないか、と心配する私たちの前にボロボロになって帰ってきて、みんなに何度も「心配させないで」と言わせていた悪い人。けれども、あの人は必ず生きて帰ってきた。
災禍の紅月で天城輪廻を倒した、あの時も。
彼とずっと一緒にいたからなのか、私も彼の無茶をする悪い癖を受け継いでしまったのかもしれない。たった1基の原子炉を使って新型複合機関を造り上げるという無茶を、私もやってしまっている。
でも、夫は絶対に生きて帰ってきた。
彼の悪い癖を受け継いでしまったというのならば、私もこれを成功させなければならない。
けれども、分からない。
何故、この複合機関は動いてくれないのか。
目の前にある魔法陣にタッチして、複合機関内部の魔力の配管をチェックする。どの配管も圧力以外の数値は正常で、圧力が急激に低下していく原因は見受けられない。
「どうして………」
分からない。
このままでは、仲間が死んでしまうというのに。
複合機関を作るべきではなかったのかもしれない、と思いながら、私は歯を食いしばった。
タクヤ………。
お願い、助けて………!
封印されていた私を助けてくれた若き日の夫の顔を思い出したその時だった。複合機関は動かないのかもしれない、という不安のど真ん中に、小さな穴が開いた。
「――――――機関長、魔力濃度調節弁を使って魔力濃度を上げてください!」
魔力にも濃度がある。
強力な魔術を放つ際には魔力の加圧が必要になる。魔法陣の内部に魔力をこれでもかというほど詰め込んでから加圧して、魔力の濃度を一気に上げることで強力な魔術が放たれるのだ。
魔法陣から魔術として放たれる場合や、フィオナ機関から様々な場所へ供給される場合は問題ない。けれども、これから動かすことになるのはフィオナ機関よりも巨大な原子炉。安全弁を開けて原子炉とフィオナ機関を接続した瞬間に圧力が下がってしまうというのであれば、フィオナ機関と原子炉の内部を循環する魔力の濃度を上げ、圧力を確保してあげればいい。
こういった動力機関で重視されるのはあくまでも圧力の方だけで、濃度はほとんど考慮されない。だから、私は魔力の濃度という要素も影響を与える可能性があるという事を見落としていた。
こっちを見ながら「そ、そうか!」と言った機関長は、すぐに制御室の中で魔法陣を操作したり、防護服に身を包んで後部箱を抱え、複合機関の点検に向かおうとしていた機関士たちを呼び止めた。
「ニイヌマ、魔力の濃度を上げろ!」
「了解、濃度調節弁を開放!」
魔法陣を操作していた東洋人の機関士――――――倭国系オルトバルカ人だろう―――――――が、素早く魔法陣をタッチしてから傍らのレバーを上げ、頭上にあった大きなバルブを捻った。制御室の窓の向こうから重々しい音が聞こえたかと思うと、フィオナ機関から原子炉へと続く配管に設置された濃度調節弁が稼働し、原子炉へと入っていく魔力の濃度を更に上げていく。
頭の中で唐突に生まれた仮説は、複合機関の中に居座っていた忌々しい原因を正確に直撃したらしい。
魔法陣の中で低下しつつあった魔力の圧力が、段々と上がり始めたのだ。
「ま、魔力の圧力が回復を開始! 現在、加圧レベル2………加圧レベル3に到達!」
「複合機関、始動準備完了!」
「さすがです、ステラ博士………原因が魔力の濃度だと見抜くとは………!」
いいえ、機関長。私が見抜いたのではないのです。
声が聞こえたわけではないけれど―――――――天国にいる夫が、私に教えてくれたのです。
「後部甲板に被弾!」
「第四砲塔、第三砲塔、大破!」
「機関室付近で火災発生! ダメコン急げ!」
『こちら機関室、フィオナ機関が片方停止! 速度が落ちます!』
『こちら第二砲塔、また故障です! 砲撃不能!』
黒煙が流れ込んでくる艦橋の伝声管の中から、船体が損傷したことを報告するホムンクルス兵たちの報告がどんどん溢れ出てくる。咳き込みながら「砲塔の修理を急げ!」と伝声管に向かって叫ぶ副長を見つめてから、黒煙に覆われている前部甲板を見つめた。
既に、46cm砲の徹甲弾が何発か船体に命中している。後部甲板には立て続けに2発も命中し、第三砲塔と第四砲塔が大破してしまった。2基搭載されているフィオナ機関の片方も損傷で機能を停止してしまっているというのに、チャン・リーフェンは未だに海に浮かび続けている。
本当にこの艦は頑丈なのじゃな………。
ゴギン、と装甲が千切れ飛ぶ金属音が轟くと同時に、艦首が黒煙に包まれた。金属が溶ける悪臭と高熱の火花が甲板へと飛び散り、飛散した小さな金属片が艦橋の窓に激突する。
どこに命中したのじゃ、と副長に問いかけるよりも先に、黒煙を浴びながら艦首を睨みつけていたホムンクルスの見張り員が、目を見開きながら報告した。
「かっ、艦首切断! 艦首に喰らいました!」
「!!」
雪を纏った冷たい風が、前部甲板を覆っていた黒煙をあっという間に希釈していった。装甲の破片が突き刺さっていたり、爆風でいたるところが引き剥がされたボロボロの前部甲板の先端部が欠けているのが見える。艦首の装甲は左右に向かって大きく抉れていて、46cm砲の砲弾に引き千切られた艦首の断面の向こうには、荒れ狂う海面が見える。
転生者の能力の劣化でミサイルが使えなくなった後のジャック・ド・モレー級には、艦首に4門の533mm魚雷発射管が装備されている。このチャン・リーフェンも同じ改修を受けており、艦首には4基の魚雷発射管が装備されていたが、ここへ逃げてくる最中にすぐ近くで機雷が爆発して発射管のハッチが歪み、使用不能になってしまったため、魚雷は搭載していなかった。
もし魚雷を搭載していたら、誘爆して艦首は更に抉られていた事だろう。
発射管室は閉鎖されていたので、艦首に乗組員はいない。私はすぐに隔壁の閉鎖を命じ、砲弾を放ってくる大和型戦艦を睨みつけた。
もし私がリキヤとの戦いで魔力を失わず、本来の姿のままであったのならば、あんな戦艦はあっという間に消し飛ばしていた事だろう。私は神たちによって最も最初に創られた竜だから、ブレスの破壊力は絶滅していったドラゴンたちの比ではない。
だが、今はこの満身創痍の戦艦で対抗しなければならんのだ。
「………副長、ネイリンゲンはどうなっておる?」
「複合機関の始動に成功し、出港準備をしているそうです」
「そうか………よし、ネイリンゲンに『我々が囮になるから西側から逃げろ』と伝えるのじゃ」
彼らを逃がすために、我々は海の藻屑と化す。
自分たちの死亡が確定したというのに、ホムンクルス兵の副長は淡々と「了解しました」と返事を返した。やっぱり、感情を与えられていても死を全く恐れていないのは、調整前から変わっていないのではないだろうか。
だが、私も満足していた。
原子炉は彼らに託したし、技術も伝えた。ネイリンゲンには殲虎公司の技術者が何人か乗っているから、私たちがここで戦死したとしても彼らに技術の指導を続けることはできるじゃろう。
それに、そろそろ天国にいるリキヤやエミリアたちにも会いたかったからのう。あいつらは怒るじゃろうが、私たちは技術をしっかりとテンプル騎士団に伝えたのだから、許してくれる筈じゃ。
命令された乗組員が、艦橋にある無線機で出港準備中のネイリンゲンに西側から脱出するように伝えているのを聞きながら、広げていた鉄扇を静かに閉じた。
被弾した際に飛び知った金属片のせいで、艦橋の窓はいくつか割れていた。魚雷に開けられた大穴から海水が浸水してくるかのように、その小さな穴から黒煙や悪臭が艦橋の中へと容赦なく流れ込んでくる。
チャン・リーフェンの船体は、左舷へと傾斜を始めていた。今はおそらく5度くらいじゃろうか。
「ガルゴニス様」
「何じゃ?」
「その………ネイリンゲンに乗っているリキヤという男が、あなたと話がしたいと」
「力也か」
ああ、あの男に瓜二つな少年か。あいつはリキヤと違って目つきが虚ろで気味が悪い。だが、最後に彼に別れを告げておくのも悪くなかろう。
そう思いながらヘッドセットを受け取った。
「何の用じゃ」
『………全部託したから死んでいいわけじゃないぞ、ガルゴニス』
ぎょっとした。
周囲に46cm砲が着弾する音や、船体に砲弾が直撃して奏でる金属音も聞こえなくなる。艦橋に流れ込んでくる黒煙の悪臭や、伝声管に向かって怒号を発する乗組員たちの声も切り離される。
力也の低い声しか、聞こえなくなる。
『あんたらに”子供を育てる”っていう概念がないのは知ってる。だから、代わりに技術を俺たちに託してくれた。だが、それだけで終わりなのか? 託すだけで終わらせるつもりか?』
「………」
『人間の親は、子供を大人になるまで育てて見守るのが役目だ。子供を産んだ瞬間に役目を終える親なんかどこにもいない。………だから、あんたらも役目を果たせ。まだ役目はあるぞ、ガルゴニス。自分たちの技術を受け継いだ者たちが、その技術をどう使っていくのかを見届けるという大事な役目が』
大事な役目………。
『死は限界まで拒絶しろ。死ねと告げられても、全力で首を横に振れ。やるべきことが残ってるんだったら簡単に死ぬんじゃない』
「力也………」
そうじゃな………確かに、人間の親は子供が成長するのを見守るものじゃ。
エミリアやエリスも、タクヤとラウラが立派に成長するのを見守っていたのだから。
ラガヴァンビウスにあった家でみんなで生活していた時の事を思い出しながら、少しだけ笑う。
ならば、見守ってやろうではないか。
最後の最後まで悪足掻きして、死ねと告げられても首を横に振ってやろう。
死んでしまったら、お前たちを見守る事ができなくなってしまうからな………!
「総員、戦闘配置!」
出港準備を命じた直後に、僕は乗組員たちにそう命じた。軍港がある洞窟を離脱すれば即座に倭国艦隊が居座っているけれど、残念なことに倭国艦隊は眼中にはない。
もう既に、ラトーニウス沖でヴァルツ帝国軍との戦闘が始まっている。僕たちが戦わなければならないのは、春季攻勢を始めたヴァルツの連中だ。一刻も早くジャングオを脱出して、ジャック・ド・モレーたちと合流する必要がある。
「無茶じゃないですか、艦長………ヴァルツ艦隊の中心に、単独で転移するなんて」
先ほど説明した作戦を聞いていたリコ副長が、不安そうな顔でそう言った。
既に、クレイデリア鎮守府から主力打撃艦隊が戦闘を繰り広げている海域は確認している。ヴァルツ艦隊は主力機動艦隊の攻撃で損害を被ったものの、未だに無数の艦艇が無傷であるため、これから主力打撃艦隊が接近して砲撃で撃滅するという。
そこで、僕たちは艦隊の後方へ転移して加勢するのではなく、敢えて敵艦隊の陣形の中央に転移して、敵艦隊を攪乱するのだ。これは僕の独断だから、海戦が終わったら軍法会議が始まってしまうかもしれなけ行けれど、テンプル騎士団よりも大量の艦艇を投入してきたヴァルツの奴らを撃滅するにはこうした方が効率的である。
「敵が前方にいる艦隊に集中してるんだったら問題はないさ」
敵を攪乱できればいい。可能な限り損害を与えて中央を突破し、友軍と合流するのが望ましいけれど。
「出港準備、完了」
「抜錨! これより本艦は、チャン・リーフェンと共にジャングオを離脱する!」
凍てついた海面から、黒い錨が巻き上げられていった。
「両舷前進微速!」
「第一、第二、第三砲塔、砲撃用意。砲弾は徹甲弾を装填」
「艦長、チャン・リーフェンより入電。軍港側面の氷山が、砲撃の衝撃で崩落する恐れありとのことです」
「了解、自力で何とかしよう。………第一、第二砲塔、仰角を30度で固定。そのまま待機」
「了解。第一、第二砲塔、仰角30度で砲撃用意」
艦首の方から、海面を覆っていた氷が砕け散る音が聞こえてきた。既に倭国艦隊の砲撃とチャン・リーフェンの出港のおかげで、軍港内部の氷はある程度砕けているし、航路も確保できている。もし倭国艦隊の攻撃がなければ海面をダイナマイトで爆破して航路を確保する予定だったんだけど、倭国艦隊の襲撃は出港準備の短縮につながってくれたらしい。
前部甲板に搭載された第一砲塔と第二砲塔の4つの砲身が、ゆっくりと天空へ向けられた。崩落の恐れがある氷山が崩落した時に、砲撃で粉砕するためだ。
ネルソン級戦艦を彷彿とさせる全長304mの超弩級戦艦が、凍てついた港から解き放たれる。複合機関を搭載する際に受けた改修で搭載された二重反転ハイスキュードスクリューが回転し、戦艦大和よりも巨大な船体をジャングオ沖へと誘う。
洞窟の出口へと到達したその時だった。
「氷山が崩落します! 11時と1時時方向!」
見張り員が叫んだ直後、左右に屹立する巨大な氷山が同時に崩落を始めた。
まるで洞窟の長さを延長しようとするかのように、やや歪なアーチとなっていた氷山が崩落すれば、その巨大な氷の塊はネイリンゲンの前部甲板を確実に直撃する。出港した直後に致命傷を負い、海戦に参加できなくなるのは無様過ぎる。
だから、悪足掻きをさせてもらうよ。
さっき、リッキーがガルゴニスに言っていたように。
「主砲斉射用意!」
巨大な鉄橋がそのまま落下してくるかのように、氷の塊たちが落下してくる。このまま前進すれば前部甲板を直撃されることはないけれど、海面に落下した直後の氷の塊が艦首を直撃することになるだろう。
「――――――撃てぇっ!!」
そう命じた直後だった。
8門の55口径44cm4連装砲が、一斉に火を噴いた。
「ガルゴニス様、ネイリンゲンが………!」
「………!」
艦首から溢れ出る黒煙に包まれながら、私と見張り員たちは洞窟の出口で砕け散った氷山を凝視していた。
もしかしたら、あの崩落した氷山が出港したばかりのネイリンゲンを直撃したのではないだろうか。さすがに頑丈なジャック・ド・モレー級が氷山に激突した程度で沈むわけがないが、倭国艦隊から離脱するのは難しくなるかもしれない。もしそうなったらチェック・メイトと言わざるを得ない。
彼らに託した技術が無駄になってしまう事を覚悟しようと思った次の瞬間だった。
砕け散り、純白の爆炎と化した氷山の残滓の中から――――――白い煙を纏った蒼い戦艦が、姿を現したのである。
前部甲板に主砲を3基も搭載した奇妙な戦艦の船体には、全く傷はついていない。まるで船体を包み込む白い煙に対抗しようとしているかのように、天空へと向けられた主砲からは黒煙が溢れ出ているのが分かる。
それを確認した見張り員が、嬉しそうに報告した。
「――――――ね、ネイリンゲン、健在!」




