新たなる心臓
唐突に、海原に巨大な水柱が突き出た。
噴き上がった純白の海水が海面へと還っていくよりも先に、その側面から巨大な戦艦の艦首が姿を現す。やがて、前部甲板に巨大な4連装砲を装備し、後部甲板に空母のようなアングルドデッキを搭載した全長304mの航空戦艦の巨躯があらわになった。
転移を使用した際にこのように巨大な水柱が発生してしまうのは、艦の周囲の海水も一緒に転移してしまうためである。転移した後は必ず海水まみれになってしまうため、空母や航空戦艦は転移前に艦載機を全て格納庫へと収納しておくことが望ましいと言われている。
そのため、航空戦艦や空母の乗組員たちは、艦長が転移を命じる度に溜息をつく。甲板の上に残っている艦載機や艦載機用の装備を、転移前に格納庫へと大急ぎで戻さなければならないからだ。
「第6艦隊旗艦『アルノー・ド・トロージュ』、ポイントQF633に転移を確認。第6艦隊の艦艇も続々と転移しています」
「第8打撃艦隊旗艦『フィリップ・ド・プレシス』、ポイントTR87に転移。後続の駆逐艦や潜水艦は、3時間以内に到着予定との事」
海上要塞『エミリア・ゲート』の周囲に他の艦艇と共に停泊し、戻ってくる味方の艦隊を出迎えているジャック・ド・モレーの艦橋で、ホムンクルスの見張り員たちが次々に味方の艦隊が戻ってきている事を告げる。紅茶を飲みながら報告を聞いていたヴィンスキー提督は、懐中時計で今の時刻を確認し、あとどれくらいで全ての艦隊がこのウィルバー海峡へと集結するかを予測してから溜息をついた。
戦艦、巡洋艦、空母を短時間で終結させることは容易い。大型の艦であれば船体に転移用のフィオナ機関を搭載する余裕もあるため、片道のみになってしまうものの、転移で迅速に終結させる事ができる。だが、駆逐艦や潜水艦などの小型の艦艇は転移用のフィオナ機関を搭載していないため、転移を使わずに自力で戻ってくる必要があるのだ。
転移を使うにはフィオナ機関が必要になるため、潜水艦や駆逐艦でも転移するだけならば可能である。だが、転移を使用すればフィオナ機関が破損して使用不能になってしまうため、転移する事ができたとしても航行不能になってしまう。
戦艦ユーグ・ド・パイヤン、戦艦ジルベール・オラルたちと共に停泊するジャック・ド・モレーの傍らを、ジャック・ド・モレー級戦艦の十番艦『アルノー・ド・トロージュ』、十四番艦『フィリップ・ド・プレシス』たちが通過していく。一旦軍港へと戻り、転移を使用した事によって破損したフィオナ機関の交換や砲弾の補充を行うのだ。
既に、エミリア・ゲートの周囲にはテンプル騎士団海軍が誇る主力打撃艦隊や主力機動艦隊の艦艇が終結していた。ジャック・ド・モレー級戦艦たちで形成された輪形陣の後方には、エルヴィン・リンデマン提督率いる主力機動艦隊の旗艦『ナタリア・ブラスベルグ』も停泊しており、護衛の駆逐艦や巡洋艦たちと共に巨大な輪形陣を形成している。
帝国軍の春季攻勢迎撃のために投入される艦艇は、就役したばかりで訓練を行っていない艦を除いたすべての艦艇である。そのため、迎撃のために出撃すれば、クレイデリアを防衛するための艦隊はクレイデリア国防海軍の艦艇のみとなってしまうだろう。
「………ネイリンゲンはどうなっている?」
乗組員に尋ねると、ジャック・ド・モレーが就役した時から艦橋に配属されている古参のエルフの乗組員が低い声で告げた。
「報告によると、ジャングオで殲虎公司の残党との合流に成功した模様です。原子炉も確保したそうですが、それを船体にこれから搭載するため、時間がかかるでしょう。おそらく間に合わないかと」
「そうか………」
「………ご心配ですか、あの若造が」
ブルシーロフ提督がこの艦に乗っていた頃から彼と共に戦ってきた乗組員に問いかけられたヴィンスキー提督は、苦笑いしながら首を縦に振った。
如月嶺一という転生者が指揮する戦艦ネイリンゲンは、テンプル騎士団海軍では有名になっていた。ウィルバー海峡へと向かって44cm砲のテストを行っただけでなく、帝国軍艦隊と交戦して数隻を単独で撃沈し、敵が発射したタンプル砲を回避して生還したのだから。
その大戦果を聞いたヴィンスキー提督は、かつてこの艦橋で指揮を執っていたブルシーロフ提督の事を思い出した。ブルシーロフ提督も敵の大艦隊の中にジャック・ド・モレーを転移させ、単独で敵艦隊の中央を
何度も突破させた男である。
もし自分が退役するか戦死することになったのであれば、艦隊の指揮を彼に任せてみるべきなのかもしれないと思ったヴィンスキー提督は、隣でニヤリと笑うハサン艦長を見下ろしながら苦笑いした。
ヴィンスキー提督やリンデマン提督は認めるだろうが、他の古参の提督たちは首を横に振るだろう。如月艦長は優秀な艦長だが、まだ経験が浅すぎるのだから。
主砲が搭載されている位置は異なるものの、ジャック・ド・モレー級戦艦がベースになっているネイリンゲンとチャン・リーフェンの形状は瓜二つだった。
チャン・リーフェンは、主砲の数と連射速度を重視したジャック・ド・モレー級戦艦の主砲を戦艦大和と同じく46cm砲に換装する事により、一撃の破壊力を重視した戦艦となっている。44cm砲に換装された今のジャック・ド・モレー級の攻撃力は上がっているだろうが、準同型艦の中で最も主砲の威力が高いのは間違いなくこの艦だろう。
戦艦チャン・リーフェンがここに停泊している理由は、他のホムンクルス兵たちが入港してくるネイリンゲンを誘導している間にガルゴニスから聞いていた。9年前の勇者による攻撃で、殲虎公司の本社があった人工島が崩壊して沈没した際に、生き残った社員たちや民間人を乗せて別の拠点まで逃げたのだという。だが、その拠点も帝国軍の転生者による攻撃や、倭国軍による攻撃によって壊滅してしまったため、生き残ったホムンクルス兵たちだけを乗せてここまで辛うじて辿り着いたのだ。
だが、倭国軍による攻撃によって船体は大破してしまっている。辛うじて原子炉は無事だったが、このまま出港してここを脱出するのは難しいという。
チャン・リーフェンはタクヤ・ハヤカワが自分の能力で生産し、殲虎公司に供与した戦艦だ。そのため、この艦はタクヤのデータを受け継いだセシリアが無事である限りは他の兵器と同じく、48時間放置すれば自動的に最善の状態にメンテナンスされる筈である。
しかし、どうやら転生者の能力によって生産された兵器は大破してしまうとそのメンテナンスの対象外になってしまうらしい。なので、大破した兵器は爆破して処分するか、自力で修復するしかないのだ。
天井から金属が軋む音が聞こえてきた。重々しい音を響かせながら、鍾乳石が所狭しと並ぶ天井にぶら下がった巨大なクレーンが降りてくる。いたるところが錆び付いたクレーンは、ネイリンゲンの隣に停泊するチャン・リーフェンの船体に開いた大穴へと入っていったかと思うと、内部から原子炉の部品を引っ張り出し、また天井へと上がっていった。
俺は原子炉を回収してタンプル搭へ持ち帰るのが任務だと説明されていたんだが、どうやらそれをネイリンゲンに搭載し、テストをしながらタンプル搭へと帰還することになったらしい。
もちろん、生き残っている殲虎公司の残党たちも一緒に連れていく事になるのだが、彼女たちはここに長い間停泊していたチャン・リーフェンを置き去りにするつもりはないらしい。先ほどネイリンゲンの乗組員に、修理用の材料が余っていたらチャン・リーフェンの修理に使いたいから譲ってほしい、と要請があったという。
チャン・リーフェンの周囲にも、ネイリンゲンの乗組員がいる。ネイリンゲンの倉庫に保管されていた予備の部品を使ってこれからチャン・リーフェンの船体の応急処置を行うのだろうが、転生者の能力である兵器のメンテナンスの対象外になってしまうほど大破した船体を修復するのは難しいだろう。予備の材料やちゃんとした設備があるタンプル搭まで行く事ができれば、完全に修復する事ができるかもしれないが。
原子炉を取り外されたチャン・リーフェンの船体へと代わりに積み込まれていくのは、ネイリンゲンから運び出されたフィオナ機関の部品だった。あれを艦内で組み立てて調整を行い、大破したチャン・リーフェンを動かすつもりなのだろう。
ジャック・ド・モレー級戦艦の原子炉が使えなくなった時、テンプル騎士団の技術者たちは使用不能になった原子炉を取り外し、フィオナ機関を代わりに搭載した。だが、ジャック・ド・モレー級戦艦のベースとなった”24号計画艦”は魔力で動くことを全く想定していないため、フィオナ機関を搭載した後の調整には手を焼いたという。
チャン・リーフェンの船体に開いた穴を塞ぐ作業員たちを見つめていると、ネイリンゲンの甲板に車椅子に乗ったステラ博士がやってきた。彼女は助手と思われるホムンクルスに抱き抱えられながらタラップを降りてくると、もう1人のホムンクルス兵が抱えて持って来てくれた自分の車椅子に再び座り、2人にお礼を言ってからこっちを見上げる。
「こんにちわ、幼女を痛めつけて興奮するリョナ河さん」
「………」
俺、この人に何もやってないんですけど。
苦笑いしながらぺこりと頭を下げると、彼女はにっこりと微笑みながら原子炉を指差した。
「あの原子炉、私も複製しようと思ったことがあります」
「そうなんですか?」
「ええ。私はあの”人工Eカップ博士”よりも優れた技術者ですから」
じ、人工Eカップ………?
きっとフィオナ博士の事なんだろう。確かに、あの肉体はホムンクルスの技術で造られた彼女の肉体だが、胸は結構でかい。
「そ、それで、複製の結果は?」
「失敗です。色々と試作したんですが、何度か被爆しそうになったのでやめました」
危険だからなぁ、原子炉は。フィオナ機関よりもはるかに強力だが、リスクも比例して大きくなる。幸運なことに、放射能はエリクサーを散布すれば除去することはできるし、被爆しても高濃度のエリクサーを摂取すれば体内の放射能を消し去ることはできるので、前世の世界と比べるとこちらの世界での放射能の危険性は低くなっているが。
「その時に思いついたことがあるんですよね」
「思いついたこと?」
「ええ。リスクはありますが、実現すればさらに強力な動力機関が産声を上げます」
こっちを見上げながら、博士はニヤリと笑った。
「―――――――興味はありませんか?」
「複合機関じゃと?」
戦艦ネイリンゲンの会議室に集められた俺たちや、殲虎公司の残党の指導者であるガルゴニスは、テーブルの上に置かれた資料を見下ろしながら目を丸くしていた。
確かに、この動力機関が完成すれば従来のフィオナ機関どころか殲虎公司製の原子炉を上回る強力な原子炉が生まれることだろう。超弩級戦艦でも、巡洋艦や駆逐艦のような速度で海原を移動する事ができるようになれば、テンプル騎士団海軍はより強力な艦隊を手にすることになる。
だが――――――首を縦に振るのは、まだ難しい。
リスクが大き過ぎるのだから。
「ええ」
車椅子に座ったフィオナ博士は、真面目な目つきで仲間たちを見渡しながら告げた。
「戦艦チャン・リーフェンから取り出した原子炉とフィオナ機関を融合させ、原子力と魔力を使用した新しい複合機関を誕生させます」
「………ステラ博士、言っておくが無事な原子炉はあの1つだけじゃ。予備の原子炉など無いのだぞ?」
そう、残っている原子炉はあの1つだけだ。もしその複合機関の開発に失敗して使用不能になってしまえば――――――殲虎公司の同志たちが遺してくれた最後の原子炉を無駄にすることになる。
「そうです、博士。その複合機関はタンプル搭に戻って、原子炉の量産に成功してから試せばいいではないですか」
「そうかもしれません。ですが………今の我々の戦力は、全盛期を大きく下回っています。一刻も早く兵力を強化しなければ――――――また滅ぼされるかもしれません」
「………」
ステラ博士は、幼少の頃に同胞たちを滅ぼされている。母親が自分を封印して地下に隠してくれたおかげで、彼女はサキュバスの最後の生き残りとなったのだ。
そして、彼女は9年前のタンプル搭陥落で、また自分の仲間たちが滅ぼされるのを目にしてしまった。
だから、また滅ぼされることがないように強大な力を作り出そうとしているのだろう。彼女は2回も自分の仲間たちが滅ぼされるのを見ているのだから。
「でも、博士………」
「―――――――いや、俺は博士に賛成だ」
リョウが反論する前に、俺は言った。
「リッキー………」
「確かにリスクは高いが、博士は原子炉の複製を試みたことがあるらしい。原子炉の構造を知らない技術者よりも、あの原子炉には詳しいだろう。俺は彼女に託してみる価値はあると思う」
「力也くん………」
彼女の方を見つめながら、首を縦に振った。
この原子炉は、ステラ博士に託してみるべきだと思う。
原子炉の複製を試みたことがあるのであれば構造は理解している筈だし、サキュバスである彼女は魔力の扱い方に秀でている。実際に、ステラ博士は既に何度かフィオナ機関を改良しているため、フィオナ機関の構造にも詳しい。
失敗は許されないが、彼女ならばきっと最高の動力機関を作り上げてくれる筈である。
「………よかろう、私も博士に託そう」
「では、僕も」
「ありがとうございます、皆さん」
頼むぞ、博士。
「クレイデリア鎮守府より緊急通達! 帝国軍の大艦隊が、ラトーニウス沖へ侵攻を開始した模様!」
オペレーターが告げた瞬間、ジャック・ド・モレーの艦橋にいた他の乗組員や提督たちは目を見開いた。シュタージの情報では、帝国軍が春季攻勢を実施するのは来月であり、今すぐに攻勢を開始する可能性は高くはないという事であった。
おそらく、シュタージが騙されたか、彼らに情報を知られていることを察知した帝国軍側が時期を変更したのだろう。
幸運なことに、既にエミリア・ゲートの周囲にはジャングオへと派遣されたネイリンゲン以外の艦艇は全て集結していた。鎮守府とタンプル搭中央指令室からの出撃許可があれば、すぐにこの大艦隊は転移でラトーニウス沖へと急行する事ができる。
「数は分かるか」
「はっ。報告によると、戦艦128隻、巡洋艦263隻、装甲艦229隻、駆逐艦460隻とのことです」
「………数はこっちより上か」
「そのようですな」
艦艇の性能では、テンプル騎士団の方が上である。相手が前弩級戦艦が主力であるのに対し、こちらは大和型戦艦に匹敵する超弩級戦艦や重巡洋艦が主力だ。更に空母もあるため、艦載機による攻撃も可能である。
だが――――――これほどの数の敵と戦うのであれば、こっちの艦艇の性能が上だと高を括っているわけにはいかない。接近を許して魚雷で攻撃されれば、ジャック・ド・モレー級戦艦でも致命傷を負う事になるからだ。
「提督、中央指令室及びクレイデリア鎮守府からは出撃許可が出ています」
「………ネイリンゲンはまだか」
「まだジャングオだそうです」
「そうか………仕方がないな」
息を吐きながら、ヴィンスキー提督は軍帽をかぶった。
「―――――――転移が可能な艦は、直ちにラトーニウス海へ転移! 転移ができない艦は最大戦速で戦闘海域へ急行せよ! 我が艦隊はこれより、ヴァルツ帝国艦隊の撃滅に向かう!」
「全艦、転移準備!」
「フィオナ機関、加圧開始! 加圧限界まであと600ギガメルフ!」
出撃する大艦隊を見送る、クレイデリア国防海軍総旗艦『ガングート』へと敬礼したヴィンスキー提督は、ネイリンゲンが海戦に間に合うように祈りながら海原を見つめた。
異世界で勃発した”第一次世界大戦”最後の海戦が、始まろうとしていた。




