極東の女傑
「………つまりお主は、”ぱられるわーるど”からやってきた別のリキヤということか」
「あ、ああ」
椅子に座りながら烏龍茶――――――ジャングオの特産品の1つらしい―――――――を飲む赤毛の美女に自分の正体を説明し終えた俺は、義手で頭を掻きながら温かい烏龍茶へと手を伸ばした。
ガルゴニスは、かつて自分が所属していた傭兵ギルドを率いていた男が蘇ったと思い込んでいたのだろう。この部屋に俺とエレナを案内して話を聞くまでは嬉しそうだったが、話を聞き終えた後は悲しそうな顔になっていた。確かに、死んだ筈の自分の戦友にそっくりな男が目の前に姿を現したら、100年以上経っていたとしてもその戦死した戦友が生き返ったと思い込んでしまうに違いない。
だが、残念なことに俺は魔王ではない。
復讐を誓って悪魔となった、ただの人間だ。自分の命と引き換えに家族を守り抜いた、”英雄”ではないのだ。
「それにしても、エンシェントドラゴンが本当に存在するとは思いませんでした。お会いできて光栄です、最古の竜ガルゴニス」
殲虎公司の残党を率いるガルゴニスは、傍から見ればチャイナドレスに身を包んだ赤毛の美女に見えるだろう。頭から角が生えているし、腰の後ろには尻尾もあるが、ホムンクルス兵の普及やキメラの一族が様々な偉業を遺したことによってキメラという新しい種族はもう世界中の人々が知っているため、キメラの美しい女性だと思われるに違いない。
だが、厳密には彼女はキメラではないという。
なんと――――――人間が生まれるよりもはるか昔に、神々によって創り出された”エンシェントドラゴン”と呼ばれる全ての生物の原点なのだという。寿命という概念を持たないエンシェントドラゴンたちが老いることはないため、現代の生物のように繁殖する必要はない。それゆえに個体数は非常に少なく、実在しない生物という説も存在している。
しかし、彼女―――――――繁殖する必要がない生命体なので、”性別”という概念もない―――――――は本物のエンシェントドラゴンであり、そのエンシェントドラゴンの中で最も最初に生み出された”進化を司る竜”だという。
正直に言うと信じられないんだが、彼女が本物のエンシェントドラゴンだという証拠は、前任者から受け継いでしまった記憶の中にはっきりと残っている。
この端末の前の持ち主は、フランセン共和国――――――現在のヴリシア・フランセン帝国のフランセン領だ―――――――にある火山地帯に封印されていたガルゴニスと死闘を繰り広げ、この最古の竜との戦いに辛うじて勝利したのだ。
倒したガルゴニスに止めを刺さず、魔力を分け与えた前任者は、人間の子供の姿になったガルゴニスを連れてネイリンゲンへと戻り、彼女を仲間にしてしまったのである。
伝説の吸血鬼と激戦を繰り広げ、最古の竜を仲間にしてしまうとはな………。前任者はド変態としか言いようがない。
前任者が”魔王”と呼ばれることになった理由を理解していると、ガルゴニスは鉄扇を広げた。真っ黒な鉄扇には真紅の星を掲げる虎のエンブレムが描かれている。殲虎公司のエンブレムだ。
「だが、テンプル騎士団が無事であるのは良い知らせじゃ。今は昔のように”むせんき”とやらで話をする事が難しくなったからのう」
頷きながら、烏龍茶を口へと運んだ。
既に、殲虎公司の残党との接触に成功した事はネイリンゲンに伝えてある。だが、俺たちの目的は彼女たちを保護し、原子炉を受け取る事だ。
軍拡を行って軍事力を回復させつつあるとはいえ、勇者が率いる帝国軍を打ち倒すにはまだまだ力が足りない。あらゆる技術を取り込み、テンプル騎士団をより強大な軍隊に成長させる必要がある。全盛期のテンプル騎士団を超えない限り、帝国軍には勝てない。
金属製のカップをテーブルに置いてから、ガルゴニスの赤い瞳を見つめた。
「………最古の竜ガルゴニス、あなたにお願いがある」
「何じゃ?」
「我々の任務はあなた方を保護することだ。かつての”モリガン・カンパニー”と共に生み出してきた殲虎公司が誇る高い技術力は廃れさせるべきではないし、あなた方を死なせるわけにはいかない」
「………死なせるべきではない、か」
烏龍茶を飲み干したガルゴニスは、目を細めながら周囲に立つホムンクルス兵たちを見渡した。彼女の周囲にいるのはガルゴニスの護衛なのだろう。灰色のチャイナドレスに似た制服を身に纏った戦時型ホムンクルス兵たちは、腰にハンドガンのホルスターと柳葉刀を下げている。
彼女たちは感情をオミットされた戦時型ホムンクルスだが、戦後には錬金術師たちの調整によって自我や痛覚などが与えられた人間に近いホムンクルスに生まれ変わっている。
「リキヤよ、確かにそれは我らにとっては喜ぶべき事なのかも知れぬ。ここの食料は底を突く寸前だし、倭国軍の連中は我らの残党やジャングオ軍を虱潰しに探しておる。やがてここも奴らに見つかってしまうじゃろう。………じゃが、ここを無事に脱出してタンプル搭へ逃げたとしても、このホムンクルスたちが滅ぶ運命は変わらぬ」
「なに?」
「………リン、こっちへ」
「はい」
ガルゴニスに呼ばれた戦時型ホムンクルスの1人が、ぺこりと頭を下げてから彼女の傍らへと向かう。ホムンクルス兵を見上げていたガルゴニスが頷くと、そのホムンクルス兵は唐突に身に纏っていたチャイナドレスの袖を捲り始めた。
何をさせるつもりなのかと思ったが、彼女がホムンクルス兵に袖を捲れと命じた理由を理解する羽目になった。
あらわになった彼女の真っ白な腕の一部が――――――老人のような皺で覆われていたのである。
―――――――老いている。
ガルゴニスが呼んだリンというホムンクルスは、まだ14歳か15歳くらいの容姿のホムンクルス兵である。肉体に、あの老人のような皺ができるほどの年齢ではない。
「――――――遺伝子の劣化ですか」
エレナが言うと、ガルゴニスは病気で死にかけている我が子を見つめる母親のように悲しそうな顔をしながら、首を縦に振った。
「元々、殲虎公司でも戦後型ホムンクルスへの更新が行われておった。じゃが、9年前の襲撃でタクヤの細胞を培養していた施設が破壊されてしまってな………。戦後型ホムンクルスたちも、作業員たちを退避させるための殿となって全滅してしまったのじゃ………」
「だから、残っていた戦時型ホムンクルスの細胞を使ったのか」
「その通り。―――――――ここにいる子たちは、”ホムンクルスのホムンクルス”たちなのじゃよ」
通常の戦後型ホムンクルスは、培養されているタクヤ・ハヤカワの遺伝子を使って製造されている。こちらもオリジナルと比べると寿命は短くなってしまうものの、寿命の短さを除けば普通の人間と殆ど変わらない。
しかし、ホムンクルスの細胞を使ってホムンクルスを造り出せば――――――当たり前だが、遺伝子はどんどん劣化していく。寿命はさらに短くなり、錬金術によってインプットした調整が正常に作動しなくなっていくのだ。
あのホムンクルス兵の腕に老人のような皺があるのは、遺伝子の劣化が原因なのだろう。肉体が部分的に老いているに違いない。
「戦時型ホムンクルスに生殖能力はない。だから個体数を増やすためには、子供を産むのではなく、劣化してゆく自分の遺伝子を使って同胞を製造していくしかない。………分かってるのか、ガルゴニス」
「分かっておる」
14歳の時点で、肉体が老い始めているのだ。きっと、他のホムンクルスたちの肉体も同じように老い始めているのだろう。
「………この子たちの限界も近い。このままでは、殲虎公司の技術も潰えてしまう。じゃが、彼女らにとっての子供は継承してきた技術じゃ」
「だから俺たちを呼んだんだな? 朽ちつつあるホムンクルスたちが継承してきた技術を受け継がせるために」
「うむ。お主たちもそれを望んでおるのじゃろう?」
椅子から立ち上がったガルゴニスは、鉄扇を閉じてから拳を握り締めた。
「………………この国にやってきてからまだ9年しか経っておらぬが、私はこの子たちが死んでいくのを何度も見た。自分と全く同じ容姿の赤子を抱き、自分が蓄積した技術と自分の名前を次の世代のホムンクルスに与え、彼女たちに看取られて永遠に眠るホムンクルスたちを。………我々エンシェントドラゴンに寿命という概念はない。その気になれば、私が彼女たちの技術を受け継ぐこともできる。じゃが、もし私がヴァルツの連中に殺されれば、彼女たちが李風から受け継いできた技術は途絶える」
子供を1人だけ生むより、何人も産んだ方が個体数は増える。
1人だけではリスクが大き過ぎる。だから、彼女は俺たちを呼んだに違いない。
「それに、私はこの技術を受け継ぐのに相応しい者ではない。これは人間たちの技術じゃ。彼らの持つあらゆる概念を持たぬ我々が持っていても、無用の長物じゃろう」
「………」
踵を返し、ガルゴニスはゆっくりと部屋の奥へ歩き始めた。奥にある彼女の机の引き出しから黄金の鍵を引っ張り出した彼女は、微笑みながら告げる。
「………お主たちは、これを欲しておるのじゃろう?」
黄金の鍵を別の引き出しに差し込み、引き出しの中から取り出した図面をテーブルの上に置くガルゴニス。巨大な機械の設計図らしき図面には漢字に似た文字がずらりと並んでいて、右上にはジャングオ語で『ジャック・ド・モレー用原子炉』と書かれているのが分かる。
「ここにあるのか?」
あるというならば、譲ってほしい。
殲虎公司は、9年前に壊滅する直前まで原子炉の生産を継続していた。現在では製造されていないとしても、メンテナンスを継続していたのであれば、中にはまだ使える原子炉も残っている筈だ。
「………ある」
図面を見下ろしていた俺とエレナは、顔を上げた。
もし原子炉を譲るのに条件があるのだとしたら、セシリアに連絡するように言われている。きっとテンプル騎士団上層部は、原子炉の獲得と彼女たちの保護のためであればどんな条件でも認めてくれるだろう。
すると、ガルゴニスは部屋の扉を開けながら言った。
「核燃料と、処分せずに済んだ”最後の1基”が眠っておる。ついてこい」
通路にある窓の向こうに、灰色の海原が見えた。
俺たちが上陸した沿岸部は、いつの間にか完全に雪に覆われている。海へと続いている川は凍り付いてしまっているらしく、水が流れている様子はない。傍から見れば雪が降り積もった市街地にも見えるだろうが、戦場となった市街地の南部では未だに火災が続いていて、炎上する建物から黒煙が噴き上がっているのが見える。
きっとこの施設は、上陸する際に見えた山の中にあるのだろう。
ガルゴニスや護衛のホムンクルスと共に階段を駆け下り、下へと降りていく。元々ここは廃棄される予定だった殲虎公司の工場の1つだったらしく、いたるところに殲虎公司のエンブレムやロゴマークが描かれている。
だが、ここに動力を供給しているフィオナ機関は旧式であり、ガルゴニス曰く「故障は日常茶飯事」だそうだ。修理用の部品も予備が無くなってしまったらしく、旧式のフィオナ機関や廃棄予定の機材の中から部品を引っ張り出して加工し、それを使って修理しているらしい。
その動力をライフルを作り出すための機械に供給する事を優先しているのだから、施設の中を温めるための暖房のために動力を使う余裕がある筈がない。先ほど目にした工場の中に暖房はなかったが、その代わりに薪がぎっしりと詰め込まれたドラム缶がストーブ代わりに設置されていて、緋色の光と熱を発していた。
そのドラム缶が置かれているのは工場の中や休憩室の中だけらしいので、こういった通路は正直に言うとかなり冷たい。真冬に窓を開けっぱなしにしているような冷たさが通路を包み込んでおり、呼吸する度に真っ白になった息が口元を舞う。
階段を下りてから通路を歩いていると、少しずつ潮の香りが漂ってくるのが分かった。
この通路は海へと繋がっているのだろうかと思っていると、通路の奥に巨大な隔壁が見えてきた。表面には漢字にそっくりなジャングオ語が書かれているのが分かるが、殆どが掠れてしまっている。表面もかなり錆び付いているため、爆薬を使えばすぐに破壊する事ができそうだ。
先頭にいたガルゴニスが、護衛のホムンクルス兵たちに目配せする。頷いた戦時型ホムンクルス兵たちは隔壁の方へと駆け寄ったかと思いきや、壁面に埋め込まれている装置の画面をタッチ――――――パスワードを入力しているのだ――――――し、隔壁を解放させ始めた。
錆び付いた隔壁が左右へと開いていく度に、潮の香りがどんどん濃密になっていく。
やがて、数隻の艦艇が停泊できそうなほどの広さの軍港が姿を現した。テンプル騎士団の軍港と同じく洞窟の中に作られているらしく、天井にある物資を釣り上げるためのクレーンの周囲には凍てついた鍾乳石の群れがあらわになっている。
濃密な潮の香りに満たされているが、軍港の中を覆っているのは氷だった。防波堤の向こうにある筈の海面は凍り付いており、氷の中には錆び付いた金属片や木材の破片が浮かんでいるのが分かる。
こんなところに原子炉を保管しているのだろうかと思いながら軍港の中を見渡す。ジャック・ド・モレー用の原子炉なのであれば巨大な筈だ。だが、原子炉らしき代物が置かれている気配はない。
しかし、案内してくれたガルゴニスを問い詰めることはできなかった。
軍港の隅に――――――巨大な艦艇が停泊していたのだから。
「これは………!」
その巨体を凝視しながら、息を呑んだ。
凍り付いた軍港の中で眠っていたのは、全長304mの巨大な戦艦だったのだ。
灰色に塗装された船体の上には、巨大な主砲が4基も搭載されている。ジャック・ド・モレー級の40cm砲だろうかと思ったが、44cm砲に換装される前のジャック・ド・モレー級の砲塔と比べると更に巨大であるため、大和型戦艦に搭載されていた46cm砲であることが分かる。
第一砲塔が46cm3連装砲となっており、その後方にある第二砲塔は46cm連装砲になっていた。第二砲塔の上には対空機銃が2基ほど搭載されていて、そのすぐ後ろに大きな艦橋が鎮座している。艦橋の後方には煙突とマストが屹立していて、その周囲を副砲や高角砲が取り囲んでいた。艦橋の左右にもスポンソンが増設されており、そこにも対空機銃がある。
マストの後方には機銃を乗せた第三砲塔があり、その後方に第四砲塔がある。第三砲塔が46cm連装砲で、第四砲塔が46cm3連装砲になっていた。
主砲は異なるが――――――船体は、ジャック・ド・モレー級戦艦と全く同じだった。
だが、灰色の船体はボロボロだった。魚雷を何発も叩き込まれたのか、船体の側面には大穴が開いていて微かに右舷に傾斜している。きっと艦内に入り込んだ大量の海水も、周囲の海水と同じく凍り付いている事だろう。機関部は無事なのだろうか。
艦橋や甲板にも爆弾や砲弾が命中したらしく、大穴が開いているのが分かる。よく見ると煙突の側面もひしゃげており、周囲に搭載されている副砲の砲身もひしゃげている。
ボロボロの船体には、『0001A 張李風』と書かれているのが見えた。
「殲虎公司海軍総旗艦、戦艦『チャン・リーフェン』」
氷に包まれた軍港の中で眠っていた戦艦の名を、ガルゴニスは静かに呼んだ。
かつて、全盛期のテンプル騎士団は大量に建造したジャック・ド・モレー級戦艦のうちの1隻を改造し、殲虎公司に原子炉を提供してくれている見返りに提供したという。その戦艦は主砲を戦艦大和と同じく46cm砲に換装され、初代指導者であった中国出身の転生者の名を冠した戦艦として就役したと言われている。
それが、あの戦艦チャン・リーフェンなのだ。
「あの艦内には、まだ使用可能な原子炉と核燃料が残っておる」
「………!」
防波堤の上でボロボロの戦艦を見つめていたガルゴニスは、愛用の鉄扇を広げた。
「―――――――残った心臓を、もう一度お主たちに託そう」




