ネイリンゲンの船旅
かつて、イギリス海軍は第二次世界大戦に”ネルソン級”という変わった戦艦を2隻投入した。
従来の戦艦は、前部甲板と後部甲板に主砲を搭載し、艦橋の周囲に高角砲とか対空機銃を装備するのが一般的だった。けれどもそのネルソン級戦艦は、艦橋の前に主砲を3基も搭載していたのである。
ジャック・ド・モレー級の準同型艦であるネイリンゲンの形状は、そのネルソン級戦艦を彷彿とさせる。とはいっても、船体はネルソン級よりもでっかいし、前部甲板に居座る主砲も戦艦大和の46cm砲より一回り小さい代わりに、砲身が長い55口径44cm4連装砲である。限界まで改良された装填装置のおかげで連射速度も非常に速く、熟練の砲手が多いジャック・ド・モレーは10秒以内に再装填を終えるのが当たり前だという。
ネルソン級と比べると、前部甲板に居座る虎の子の44cm砲たちはやや艦首側に近くなっていて、他の準同型艦よりも一回り大型化されている艦橋は船体の真ん中にある。艦橋の後方にはマストや煙突があり、その周囲には所狭しと高角砲や機関砲がずらりと並んでいる。あれらが一斉に火を噴けば、敵機は瞬く間に蜂の巣になるだろう。
本来ならば後部甲板に搭載される筈だった主砲の代わりに搭載されているのは、副砲の20cm3連装砲。左舷と右舷に2基ずつ搭載されている。艦尾の近くには艦載機を射出するためのカタパルトが2基装備されていて、艦載機を回収したり、カタパルトに乗せるためのクレーンが鎮座している。
甲板の上では、機関砲の砲手たちが砲身の中を掃除したり、弾薬がたっぷりと入った箱を傍らに運んでいるところだった。蒼い制服に身を包んだ乗組員たちの大半は蒼い髪のホムンクルス兵だが、中には他の種族の乗組員も見受けられる。ホムンクルス兵たちに指示を出しているのは、他の艦で経験を積んだベテランの兵士なのだろうか。
そんな事を考えながら、戦艦ネイリンゲンの右舷にある手すりの近くに腰を下ろし、蒼い海面を見下ろす。既にウィルバー海峡を離れているので、海原の色は蒼に変色していた。
「やあ、この艦はどう?」
手すりの近くに腰を下ろしながら海を眺めていると、後ろから蒼い制服と軍帽を身に着けたリョウがやってきた。彼は軍帽を頭の上から取って隣に腰を下ろそうとしたが、俺の傍らに置かれている代物を目の当たりにしてぎょっとする羽目になる。
既に、隣には従来のライフルとは比べ物にならないほど長い銃身を持つライフルが居座っていたのだ。
「な、何やってるの、リッキー」
「釣り」
隣に置かれていたのは、『シモノフPTRS1941』という”対戦車ライフル”だった。第二次世界大戦中にソ連で開発された巨大なライフルであり、戦車の装甲を貫くために、従来のライフル弾よりも巨大な14.5mm弾を使用するセミオートマチック式の武器である。
さすがに第二次世界大戦中盤からは、対戦車戦闘の主役はパンツァーファウストなどのロケットランチャーたちになってしまうが、この対戦車ライフルたちもドイツ軍の戦車との戦闘で猛威を振るい続けた。
その強力なライフルの長い銃身に釣り糸を結び付け、俺は釣り竿の代わりに使わせてもらっていた。銃身が長くて使い易そうだったからな。
「ああ、安心しろ。弾丸は装填してない」
「そういう問題じゃないよバカ」
だって艦内に釣り竿無かったんだもん………。
溜息をつきながら、義手で汗を拭い去る。
クレイデリアの領海を離れつつあるが、未だに海の上はかなり暑い。さっきから潮風が船体や乗組員たちの肉体を冷却してくれている筈なのに、汗が止まる気配がない。
こんなに暑い原因は、クレイデリアの極端な気候が原因だった。元々、クレイデリアは非常に広大な砂漠だったのである。災禍の紅月の後に古代文明の遺跡から結界を生成する技術を手に入れたテンプル騎士団が、結界で外の空間と結界内部の空間を遮断し、結界内部の気象をコントロールできるようになったことで、砂漠だったクレイデリアは一部を除いて広大な花畑や農場に覆われた楽園となった。でも、そんな住み易い気象になったのはあくまでも結界の中だけであり、結界の外は大昔と同じく非常に暑いままだったのである。
ちなみに、この砂漠を北上すると”シベリスブルク山脈”という巨大な雪山がある。信じ難い事に、砂漠のすぐ近くに巨大な雪山が鎮座していているのだ。その中心部は危険な魔物が生息している上に、非常に気温が低い危険地帯であったため、冒険者たちによる内部の調査は後回しにされたという。
このシベリスブルク山脈で生まれる吹雪のせいで、オルトバルカ連合王国の夏は7月下旬で終わる。8月上旬からは気温が急激に下がり始め、8月下旬からは雪が降り始めるのが当たり前だという。しかもその雪が消え去って春になるのは5月らしい。
大国が雪国と化した元凶と言ってもいいだろう。そんなヤバい雪山がお隣にあるなら、もう少し涼しくても良いと思うんだが。
そう思っている内に、ネイリンゲンの右舷から海面へと伸びていた釣り糸が海中へと引っ張られた。すぐに対戦車ライフルの銃床と銃身の付け根を義手で掴み、全力で引っ張る。
しばらくすると、蒼い海原の中から白銀の最中が上昇してくるのが見えた。必死に暴れているようだが、義手に内蔵されている小型フィオナ機関と魔力式モーターのパワーに勝てるわけがない。義手に内蔵されているこの2つの装置は、異世界で普及している重機に使われている動力機関をそのまま小型化したものだ。
釣り上げた魚を甲板の上へと下ろし、素早く口から釣り針を外す。
思ったよりも小さな魚だった。魚の種類は分からん。多分、こっちの世界にしか生息してない魚なのかもしれない。
「釣れたぞ」
「対戦車ライフルで何釣ってるのさ」
だってこの艦に釣り竿無かったんだよ!
苦笑いしながら、俺は再び釣り針の付いた釣り糸を海面へと放り込んだ。
「お、今夜はカレーなのか」
戦艦ネイリンゲンの艦内にある食堂には、既に乗組員たちが集まってカレーライスの皿が乗ったトレイをテーブルへと運んでいた。皿は随分と大きくて、カレーの中にはでっかい鶏肉や野菜がたっぷりと入っているのが分かる。
ジャック・ド・モレー級戦艦の食堂で食えるカレーは、テンプル騎士団海軍の名物だ。海軍にいる知り合いの話では、ジャック・ド・モレー級戦艦の一番艦であるジャック・ド・モレーの料理人たちが作るビーフカレーが、世界一美味いカレーらしい。
くそったれ、前に一回だけセシリアと一緒にジャック・ド・モレーに乗った時に食っておけばよかった。俺は陸軍所属という事になっているから、海軍の戦艦の食堂でしか注文できないカレーを食う機会は滅多にないというのに。
「ネイリンゲンのチキンカレーも美味しいよ」
そう言いながら、前に並んでいたリョウはカレーの皿の乗ったトレイと水を受け取った。俺もカレーライスと水を受け取り、彼と一緒に食堂のテーブルの席へ腰を下ろす。
テンプル騎士団の兵士たちは恵まれていると言っても過言ではないが、海軍は特に恵まれているらしい。何と今日の夕食にはデザートまで用意されているらしく、カレーを食べ終えた乗組員たちが、厨房にいるホムンクルスの料理人たちからアイスクリームを受け取っている。
羨ましいなぁ………。今では陸軍も戦時中とは思えないほど食事は豪華だが、任務中にデザートが支給されることはない。下手したら虫とか蛇を食う羽目になる。というか、何度か既に蛇を食う羽目になった。
「これ辛口?」
「甘口だよ?」
「マジか。辛口は?」
「残念ながら甘口がネイリンゲンのカレーなの」
そうなのか………俺は激辛が良かったんだが。
でも、甘口でもこのカレーは確かに美味そうだった。スプーンを掴み、大きな鶏肉がいくつも入っているカレーを口へと運ぶ。香辛料の香りと鶏肉の匂いを発するチキンカレーの乗ったスプーンを口の中へと放り込んだ途端、辛くなくてもカレーは美味いのだという事を痛感することになった。
予想以上に味が濃厚だった。辛くなければ物足りないんじゃないかと思っていたが、これほど味が濃厚なのであれば、辛さは逆に邪魔になるかもしれない。香辛料の香りを残して辛さを排除し、この濃厚な味を生かすことをネイリンゲンの料理人たちは選んだのだろう。
「どう?」
「………滅茶苦茶美味いぞこれ」
「でしょ? 辛い物が好きなリッキーでも気に入ってくれると思って」
「ああ、確かに気に入った。これなら辛さは要らないなぁ………」
感激しながらカレーを食べていると、カレーライスが乗ったトレイを持ったスペツナズの隊員たちが、次々に近くのテーブルに腰を下ろし始めた。案の定、陸軍よりも豪華な食事を目にした隊員たちは、トレイの上に乗っているカレーライスとアイスクリームをまじまじと見つめている。こういう飯が食えるのは拠点に戻った時だけだ。それ以外の時は支給されるパンとかレーションくらいしか口にできないし、最悪の場合は虫を口へ運ぶ羽目になる。
「すげえ、デザート付きだぞ」
「海軍の飯は豪華だなぁ」
「お、俺、海軍に転属しようかなぁ」
そんな事を言いながら、スペツナズの隊員たちも甘口のチキンカレーを口に運んだ。中には俺と同じく「辛口の方がいいな」と言っていた隊員もいたが、九分九厘俺と同じ運命を辿ることになるだろう。
スプーンを口に突っ込んだ隊員たちが、一斉に目を見開いたまま凍り付いた。ゆっくりとスプーンを口から引っこ抜いて、目の前のトレイに乗っている美味いチキンカレーを見下ろす。
「な、何だこのカレーは………!」
「香辛料の香りが凄いぞ………!?」
「この鶏肉、牛肉より美味いかも………」
びっくりする隊員たちの声を聞きながら、俺もスプーンで鶏肉を口へと運び、水で口の中を冷やしてからまたチキンカレーを口へと運んでいく。
テンプル騎士団海軍名物のカレーを食べれた事に満足しながら、リョウと一緒にデザートのアイスクリームを注文する事にした。
敵と戦うために武装を搭載している軍艦の居住性は、基本的に二の次にされる。
ジャングオに潜入するスペツナズの隊員のために用意してもらったベッドの上に横になりながら、枕元にある照明をつけ、さっきジェイコブから借りたラノベを開く。
前まで世話になったキャメロットの居住性は、多分前世の世界の軍艦よりも非常に良いと言ってもいいだろう。フィオナ博士が作ったろ過装置のおかげでいくらでも海水から真水を生成できるので、貴重な真水を出しっ放しにした程度では咎められることはない。広めのシャワールームもあるし、兵士たちや乗組員たちの個室まで用意されている。
まあ、キャメロットは敵と戦う戦艦ではなく、あくまでも”海上の本拠地”である。タンプル搭から脱出した兵士たちや彼らの家族も住むことになるので、居住性も重視する必要があった。
それゆえに、このベッドに横になる度にネイリンゲンはれっきとした軍艦なのだという事を痛感してしまう。
戦艦ネイリンゲンに、乗組員用の個室などない。
今横になっているベッドの下には別のベッドがあり、そこではジェイコブがさっきからぶん殴りたくなるほどでかいいびきを発しながら眠っている。俺のベッドの上にはもう一つベッドがあり、そこではスペツナズの中で一番身体がデカいマリウスがマンガを読んでいる。あいつの寝ているベッドがぶっ壊れて、下敷きにならないか非常に不安である。
俺たちに与えられたベッドは、傍から見ると大きめの棚をそのままベッドにしたように見える。
この艦に個室はないらしいが、フィオナ博士のろ過装置は搭載しているらしく、真水は使い放題だそうだ。キャメロットのよりも小さいらしいが、シャワールームも用意されているという。
「おい、少佐。何読んでるんだ?」
ラノベの主人公が敵に魔術をぶちかましている挿絵を見てから文章を読んでいると、反対側のベッドに横になりながら本を読んでいたヴラジーミルが声をかけてきた。
「『異世界で魔術師が禁術を使うとこうなる』の291巻」
「え、それまだ続いてんの?」
「ああ。来月に458巻が出るらしい。………で、お前は?」
「詩集だよ」
そういう本を読むのは、スペツナズの隊員の中ではヴラジーミルだけである。というか、男性の隊員の中でまともなのはきっと彼だけだ。
「詩集か………あまり読まないな、俺は」
「そうか? 文章の表現が面白いからおすすめだぞ」
詩集ねぇ………。
「んー………りきやぁ」
ヴラジーミルと話をしていると、一番下のベッドでいびきを発していたジェイコブが寝言を言い始めた。
「なんでおまえがぁ………おれのヒロインなんだよぉ………」
「………ヴラジーミル、俺は詩集よりジェイコブの寝言の方が面白いと思う」
「確かに」
ジェイコブの変な寝言を聞きながら、俺はラノベを読み続けた。
ジャングオに到着するまでは、訓練をしながら作戦でも立てておこう。原子炉を回収し、生き残りを保護するという命令は与えられているが、ジャングオにどのように潜入するかという作戦を立案する権限は俺にあるのだから。




