キャメロットでの生活
第二章スタートです。
今回の章ではセシリアの過去が明らかになります。相変わらず重い展開になりますので、大ダメージにはご注意を!(粛清)
毎朝、刀の素振りをするのは私の日課である。
5時に目を覚ましてから、母上が朝食を作ってくれるまで家の庭で刀の素振りを延々と続けるのだ。そして母上が出来上がった朝食をテーブルへと運んで行くのが窓から見えたら、素振りを止めて素早くシャワーを浴び、サクヤ姉さんたちを起こして一緒に朝食を食べるのである。
とはいっても、剣や刀を戦場で兵士が使う事は殆どなくなってしまった。現代では火薬の代わりに魔力を使った銃がフィオナ博士によって発明されたことにより、各国の軍隊が銃を本格的に採用し始めたため、銃が主役になってしまったのだ。
剣を正式採用して兵士たちに支給している軍隊は、おそらくテンプル騎士団くらいだろう。
いつも通りに目を覚ました私は、時代遅れとしか言いようがない訓練をするために、ベッドのすぐ脇に置かれてある2本の刀を鞘ごと拾い上げる。片方は漆黒の刀身の刀で、大昔にご先祖様の弟子だった『リディア・フランケンシュタイン』という女性が愛用していた刀だという。もう片方の刀は純白の刀身の刀で、ハヤカワ家二代目当主『タクヤ・ハヤカワ』が、開国したばかりの倭国から母親への土産に買ってきた名刀らしい。
その2本の刀を持ったまま、玄関へと向かう。父上や母上はまだ目を覚ましていない。我が家で一番最初に目を覚ますのは、いつも私だ。
今日もいつも通りに素振りをしようと思いながら玄関を開けたのだが――――――玄関の前に黒髪の少女が立っていることに気付いた私は、ぎょっとしながら立ち止まってしまった。
私が一番最初に目を覚ますのだから、玄関の外に人がいるわけがない。誰もいない庭で素振りをするという日課が変化したことは今まで一度もなかったからこそ、私は凍り付いてしまう。
玄関の向こうに立っていたのは、テンプル騎士団の黒い制服に身を包んだ姉の『サクヤ・ハヤカワ』だった。身に纏っている制服が、彼女の要望でドレスのようなデザインになっているからなのか、塹壕を掘るためのスコップやナイフを装備しているにもかかわらず、軍服というよりは貴族の娘が身に纏う黒いドレスにも見えてしまう。
その制服を身に纏うサクヤ姉さんも、戦場で敵兵と戦う兵士よりも、舞踏会で男性たちとダンスをしている方が似合っていると言っても過言ではない容姿をしている。体格はすらりとしているし、肌もハイエルフと勘違いされてしまうほど白い。凛としているけれど、一緒にいる人を癒してくれるような優しそうな雰囲気も纏っている。
私はサクヤ姉さんを尊敬している。
私よりも射撃が得意で、遠距離にある的にも当たり前のように命中させてしまうし、炎属性と風属性の2つの属性を変幻自在に操る事ができる。姉妹で模擬戦をすると、いつも距離を離した姉さんに狙撃されるか、氷属性と闇属性の魔術を併用して幻惑され、あっさりとやられてしまう。
姉さんはいつも「剣術ならあなたに敵わないわ」と言ってくれるけれど、剣術だけで戦ったとしても、きっと姉さんが勝つだろう。
「あ、あれ? 姉さん?」
びっくりしながら声をかけると、サクヤ姉さんは微笑みながらこっちを振り向いた。彼女はなぜテンプル騎士団の制服を身に纏って外にいたのだろう。これから戦場に向かうところだったのだろうか。
でも、戦場に向かうにしては随分と軽装備だ。腰にコルトM1911が収まったホルスターが見えるけれど、それ以外の銃が見当たらない。いくら私よりもはるかに強い姉さんでも、1丁のハンドガンとナイフだけで戦場で戦うのは自殺行為でしかない。
私を驚かせるためだなのだろうかと思っていると、姉さんは腰のホルダーに収めていたスコップを取り出し、微笑みながら私に差し出した。
「丁度良い所に来たわね、セシリア。ちょっと手伝ってほしいんだけどいいかしら?」
「ああ、別に構わないぞ。何をするんだ?」
「庭に穴を掘って欲しいのよ」
「穴?」
何のために穴を掘るのだろう。
塹壕を掘る訓練でも始めるつもりなのだろうか。スコップを受け取り、先端部を地面に突き立てながら私は首を傾げる。確かに私も父上から塹壕を掘る訓練は受けているから、少し時間はかかるが塹壕を掘ることはできる。けれども、そういう訓練は王都の防壁の外にある平原でやっている。自分の家の庭でそんな事を始めたら、きっと朝食を作るために目を覚ました母上に叱られてしまう。
「サクヤ姉さん、この穴は何のための穴なのだ?」
「決まってるじゃない」
やっぱり塹壕なのだろう。
そう思いながら穴を掘っていると、サクヤ姉さんが微笑みながら私の前にやってきた。スコップを地面に突き立てて顔を上げた私は、姉さんの顔を見て凍り付いてしまう。
顔を上げなければよかった。
姉さんの顔を見なければよかった。
姉さんの顔を見なければ、思い出さずに済んだのだから。
――――――サクヤ姉さんは、とっくの昔に死んでしまった死人だという事を。
家族が惨殺された時の光景がフラッシュバックする。
ホルスターからハンドガンを取り出して応戦しようとしていた母上が、転生者が乱射した機関銃で蜂の巣にされた光景。
まだ2歳だった弟のトモヤが、転生者に何度も蹴飛ばされて嬲り殺しにされる光景。
弟の仇を取るために転生者に戦いを挑んだサクヤ姉さんが、”勇者”と呼ばれていた転生者に首を撥ね飛ばされて殺された光景。
微笑んでいた姉さんの顔が血まみれになっていく。顔が鮮血で真っ赤になった挙句、虚ろな目になった姉さんは、私の顔を覗き込んだまま言った。
『――――――私タチガ入ル墓穴ジャナイノ』
転生者は極めて強力な存在だ。
異世界へと転生する際に与えられる端末によって、身体能力を大きく強化されるだけでなく、強力な武器や能力を自由自在に生産して装備する事ができるのである。しかも、敵を倒せばレベルが上がり、更にステータスが強化されていくため、訓練で肉体を鍛え上げるよりも遥かに早く強くなる事ができる。
だが――――――大半の転生者は、その強力な能力に頼る事が多いため、自分で身体を鍛えることはないという。
端末が強化してくれる身体能力は、「攻撃力」、「防御力」、「スピード」の3つのみ。更に強力な能力や武器まで使う事ができるが、スタミナまで強化してくれるわけではない。
だから、スタミナを全く鍛えていない転生者は、常人よりもはるかに強力な身体能力を持っているにもかかわらず、鍛え上げられた兵士よりも先に息切れして動けなくなってしまうのだ。
それゆえに、転生者と戦うのであれば筋トレは非常に重要である。
「466、467、468、469、470………!」
左腕だけをキャメロットの甲板に押し付け、義手になってしまった右腕を自分の背中に回したまま、何度も腕立て伏せを繰り返す。頭から溢れ出した汗が鼻や顎から滴り落ち、甲板の上に落下していく。
フィオナ博士に作ってもらった義手と義足は金属で作られている。なので、当たり前だが骨や筋肉でできている本来の手足とは比べ物にならないほど重い。しかも左腕と両足だけで身体を支えているので、腕立て伏せをしている左腕に凄まじい負荷がかかっている。
右腕は義手になってしまったので、筋トレしても意味はないからな。
左腕がぶるぶると痙攣を始める。指にも思い切り力を込めて堪えつつ、腕立て伏せを継続する。左腕を曲げて身体を下げる度に強烈な負荷が腕の中に浸透し、身体を持ち上げるために腕を伸ばす際に、浸透した負荷が一気に牙を剥く。
筋トレをする俺のすぐ近くを、黒と蒼の制服に身を包んだ兵士――――――テンプル騎士団海軍所属の兵士だ――――――が通り過ぎていく。アメリカ製ボルトアクションライフルのスプリングフィールドM1903を背負ったその兵士は、歯を食いしばりながら身体を上げていく俺を見守っていたが、ハッチの方で待っている上官に呼ばれたらしく、オルトバルカ語で「頑張れよ、新入り」と言ってからハッチの方に走っていった。
レベルが上がらなくなってしまった以上、スタミナをつけて少しでも転生者たちよりも優位に立つ事ができる分野を作らなければならない。それに、戦場のど真ん中でスタミナを使い果たしてぶっ倒れる事は許されないのだ。
499回目でついに左腕に力が入らなくなってしまう。これ以上腕立て伏せを続けたら、腕の中の骨が潰れてしまうのではないかと思ってしまうほどの激痛を感じながら、その激痛すら感じる事ができなくなってしまった右腕で左腕を押さえつつ、甲板の上に横になる。呼吸を整えながら近くに置いておいたタオルを拾い上げ、顔中を濡らしやがった忌々しい汗を拭い去る。
「はぁっ、はぁっ………………クソッタレが」
あと1回で500回だったのに。
左腕を押さえたままゆっくりと起き上がり、海原を見渡す。
ウェーダンの戦いが終わってから一週間も経過している。フランギウス沖で待機していたキャメロットは、護衛を担当する数隻の駆逐艦と共に南下して、オルトバルカ連合王国の『旧ラトーニウス領』の近くに広がる『ラトーニウス海』へと突入していた。
かつて、オルトバルカ連合王国の隣には『ラトーニウス王国』という国が存在したという。魔術の発達が遅れたそのラトーニウスは、オルトバルカから魔術の技術を吸収しつつ、水面下でオルトバルカを侵略する準備を整えていた。準備が整うと同時にオルトバルカへと宣戦布告し、堂々と国境へ主力部隊を派遣したものの、当時のテンプル騎士団が展開させていた守備隊にあっさりと返り討ちにされた挙句、オルトバルカ王国騎士団によって逆にラトーニウス領まで攻め込まれてしまい、オルトバルカ連合王国へと併合され、南方の領土の一部になってしまったらしい。
フィオナ博士の話では、ラトーニウス王国はセシリアの祖先である『エミリア・ハヤカワ』と『エリス・ハヤカワ』の祖国だという。
「………………」
時折、こんな妄想をする。
もしこの世界で戦争が起こっていなかったら、俺と明日花はこの異世界で何をしていたのだろうか、と。
真面目に働いてお金を貯め、家を買って暮らしていたのだろうか。それとも、2人でこの異世界を旅していたのだろうか。
そういう事を考える度に、明日花を殺された悲しみと怒りが産声をあげる。
溜息をついてから立ち上がり、いつの間にか強烈な潮の匂いを発するようになってしまったタオルを肩にかけたまま、艦内へと続くハッチへと歩いて行く。ハッチのハンドルを回して中に入ろうとしたけれど、ハンドルを左手で掴んだ途端に激痛が左腕を支配し、まだこっちの腕は休ませるべきだという事を告げた。
唇を噛み締めながら、痛覚がなくなってしまった義手でハンドルを回す。中に入ると、整備兵が通路の壁から突き出ている配管の修理をしているせいなのか、削られた金属が発する臭いが通路の中を満たしていた。うんざりしながらやけに急なタラップを素早く駆け下り、自室のある場所へと向かう。
ウェーダンを離れてからは、キャメロットの艦内で行われる他の部隊の訓練に参加させてもらったり、乗組員たちの手伝いをしながら生活している。どうやらウェーダンで俺が敵の転生者の指揮官を暗殺したという話がキャメロットの乗組員や第6軍の兵士たちに広まっていたらしく、俺の事を怪しんでいた兵士たちも声をかけてくれるようになった。
中には、俺が復讐を始めた理由を聞き、赤の他人の悲劇であるにもかかわらず涙を流してくれたいい奴もいた。
気に入らない奴もいるけれど、乗組員や第6軍の兵士たちとかなり仲良くなる事ができた。
自室のドアを開けようとしていると、通路の向こうから蒼い髪の少女が歩いてくるのが見えた。黒い軍服に身を包んでいて、頭には真紅の羽が飾られた略帽をかぶっている。キャメロットの周囲に広がる海原を思わせる蒼い髪から覗くのは、海原とは真逆の紅色の瞳である。
彼女もテンプル騎士団初代団長『タクヤ・ハヤカワ』のホムンクルスなのだろう。
彼の細胞は現在でもフィオナ博士が複製しながら保管しているらしく、タクヤの遺伝子をベースにしたホムンクルスたちが、キャメロットの艦内にある”製造区画”と呼ばれる場所で製造され続けているという。
彼女の階級章を見て上官だという事に気付いた俺は、すぐに彼女に向かって敬礼をした。
テンプル騎士団の階級章は、軍服の左胸と襟の部分にある。描かれているのは真紅の星と1枚の真紅の羽だ。彼女の階級はどうやら”少尉”らしい。
「リキヤ・ハヤカワ二等兵」
「はっ」
「フィオナ博士が研究室で呼んでいる。10分以内に出頭するように」
「了解であります、少尉殿」
今の俺の階級はまだ二等兵である。来栖をぶち殺すという大きな戦果をあげたのだから、伍長とか軍曹に昇格させてくれてもいいような気がするんだが。
敬礼を止めてから部屋のドアを開け、汗を拭いたタオルをベッドの上にぶん投げる。できるならシャワーを浴びてから行きたいところだが、10分以内にシャワーを浴びてから研究室まで行くのはかなり難しそうなので、残念だがシャワーは諦めることにしよう。
ちなみに、キャメロットの艦内にはフィオナ博士が開発したろ過装置が搭載されており、海水をろ過して真水にすることができるという。なので、キャメロットの乗組員たちはシャワーを浴び放題というわけだ。そのろ過装置は居住性を重視したキャメロットのみに搭載されているらしく、他の艦には搭載されていないらしい。
素早くテンプル騎士団の軍服に着替えた俺は、コルトM1911の収まったホルスターを腰に下げてから、自室を後にするのだった。




