溝
朝4時頃に起床し、訓練区画か地上で刀の素振りをするのは、セシリアの日課である。
戦闘訓練を受けることを許された時からずっと続けている事らしく、まだラガヴァンビウスに住んでいた頃から、セシリアは嵐の日や吹雪の日も毎日刀の素振りを続けていたという。風邪をひいていても素振りはするらしいので、基本的に俺たちが目を覚ます頃にはもうベッドにセシリアはいない。着替えを終えて顔を洗い終えた頃に、汗をタオルで拭きながら部屋に戻ってくるのだ。
ちらりと隣のベッドを見ると、やっぱりセシリアはいなかった。
居住区にある部屋には、ベッドが2つ置かれている。片方が俺のベッドで、もう片方がハヤカワ姉妹用のベッドである。セシリアとサクヤさんが使うベッドは2人用のベッドなので、俺が寝ているベッドより大きめだ。キャメロットの部屋で寝ていた時のように、俺だけ寝袋で寝る羽目にならずに済んだのは本当に喜ばしい事である。
ベッドから起き上がり、サクヤさんがまだ眠っている隙に洗面所で素早く着替えを済ませる。顔を洗ってから部屋にあるキッチンへと向かい、フライパン、バター、卵、ベーコンを用意してから、トースターの中にパンをぶち込む。
向こうの世界にいた頃は家事は明日花にやってもらってたんだが、手が空いている時とか明日花が忙しい時は俺が代わりに食事を用意していた。なので、彼女ほど料理は美味くないけれど、それなりに料理はできる。
溶けたバターが乗っているフライパンの上にベーコンをぶち込み、卵を割ってフライパンの上に乗せる。
ベーコンエッグが焼ける前にトースターから焦げ目の付いたパンを取り出し、皿に乗せてテーブルへと運ぶ。ちらりとベッドの方を見てみると、サクヤさんはまだパジャマを身に纏ったまま眠っていた。
この部屋に住んでいるメンバーの中では、彼女が一番起きるのが遅い。普段はしっかり者なんだけど、ベッドに入った途端にだらしなくなってしまうのが彼女の欠点である。
焼けたベーコンエッグを皿の上に乗せ、フォークと一緒にテーブルの上に並べてからベッドの方へと向かう。そろそろセシリアが素振りを終えて戻ってくる頃だ。彼女が戻ってきてシャワーを浴びたら朝食を食べることになるので、今のうちに起こしておくのが望ましい。
いつもそう思ってサクヤさんを起こそうとしているんだが、彼女がテンプル騎士団の一員になった日から、それが上手く行った日は一度もない。
「サクヤさーん、起きてくださーい」
「んー………」
声をかけながら彼女の身体を揺すろうとするが、黒い鱗で覆われたサクヤさんの尻尾が伸びてきたかと思いきや、触るなと言わんばかりに、ぺちん、と俺の義手を叩いた。
「………」
いつもこうやって義手を尻尾で叩かれる。
セシリアが戻ってきても寝ていることは珍しくないし、彼女を起こすのに時間がかかってしまったせいで訓練とか会議に遅れそうになった日もある。
溜息をつきながら頭を掻き、端末を取り出して電源を入れる。画面をタッチして生産済みの武器の中からモシンナガンM1891/30を選び、タッチして装備する。唐突に出現したボルトアクションライフルを手に取り、ボルトハンドルを捻ってから引いて、内部に空砲を1発だけ装填した俺は、銃口を天井へと向けた。
この居住区の壁の防音性は、酔っ払った兵士たちが夜中に大騒ぎしても民間人の苦情は全くないほど高い。とはいってもさすがにライフルの空砲をぶっ放せばちょっとはうるさいだろう。
もちろん、その防音性の高い壁に囲まれている部屋の中はとんでもないことになるだろうが。
サクヤさんにビンタされる覚悟を決めた俺は、トリガーを引いた。
ズドン、と銃声が部屋の中に響き渡り、火薬の臭いがベッドの周囲に拡散する。普通の人間ならば間違いなくびっくりして起きているとは思うんだが、信じ難い事にサクヤさんはまだ眠ったままだった。ごろん、とベッドの縁の近くまで転がったサクヤさんは、尻尾を微かに横へと振りながら毛布を引っ張り、そのまま爆睡を継続してしまう。
空砲の音でも目覚めないとは………。
何なのこの人。
試しに毛布を引っ張ってみるが、こっちは初期ステータスの転生者であるのに対し、サクヤさんはレベルの高い転生者である上に、人間よりも筋力が発達したキメラである。毛布を引っ張るどころか、逆に俺がベッドの中に引きずり込まれそうになってしまう。
「はぁ………」
テーブルの近くにある棚の上からカメラを取り、サクヤさんの方へと向けた。
こうなったら寝顔を撮影してやろうと思ったんだが、撮影する直前に彼女の尻尾が伸びてきて、撮るなと言わんばかりに、ぺちん、とカメラを床に叩き落してしまう。
寝ている状態でも察知できるのだろうか。それとも、ただ単に起きているだけなのだろうか。
溜息をつきながらカメラを拾い、壊れていないことを確認してから棚の上に戻す。
それにしても、サクヤさんの顔つきはエリスにそっくりだ。
エリス・ハヤカワはこの端末の前の持ち主であるリキヤ・ハヤカワの妻のうちの1人だ。元ラトーニウス王国騎士団の精鋭部隊に所属していた騎士団の切り札であり、当時のオルトバルカ王国が恐れていた兵士だったと言われている。
凛としているところと優しそうな雰囲気が、本当に彼女にそっくりだ。髪の色を蒼く染めて、当時のラトーニウス王国騎士団の制服を着たら見分けがつかなくなるのではないだろうか。
そんな事を考えながら肩をすくめると、部屋のドアが開き、刀を肩に担いだセシリアが戻ってきた。今日も朝早くから延々と素振りをしていたらしく、漆黒の彼女の髪は微かに汗で濡れていた。
「おはよう、ボス」
「おう、おはよう。また姉さんは寝てるのか」
「ああ。さっき空砲使って起こそうと思ったんだが駄目だった」
「何をしているのだ貴様は………」
いや、空砲の音を聞いて起きない人もヤバいと思うんですが。
空砲をぶちかますのに使ったモシンナガンを自分のベッドの上に放り投げ、義手で頭を掻きながら苦笑いする。
「とりあえず、飯の準備はできてるからシャワー浴びてきてくれ」
「うむ、いつもすまないな。………おお、今日はベーコンエッグか」
「おう。明日は焼き魚と味噌汁にしようと思う」
もちろん、セシリアの大好きな油揚げが入ったやつな。
彼女も油揚げ入りの味噌汁を想像したのか、にっこりと嬉しそうに笑いながら左手でよだれを拭い去り、「うむ、楽しみにしているぞ♪」と言ってから、シャワールームの方へとスキップしていった。
さて、俺はこの爆睡してる副団長をどうにかしないと………。
「これはあなた方が保有するジャック・ド・モレー級ではないのかね!?」
応接室のソファに腰を下ろし、テーブルの上に戦艦が写った白黒写真を指差しながら、オルトバルカ海軍の将校は大声で言った。写真に写っている戦艦ははっきりと写っているわけではないが、巨大な4連装砲を4基も搭載した巨大な超弩級戦艦であるため、ジャック・ド・モレー級戦艦であることが分かる。
その手前で真っ二つになって沈んでいくのは、オルトバルカ王国海軍が保有する『キング・アウリヤーグ級』戦艦だろう。前部甲板と後部甲板に30cm砲を1基ずつ搭載し、船体の両サイドに小型の副砲をずらりと搭載した前弩級戦艦である。
どうやら、この写真は一昨日のアスマン帝国海軍とオルトバルカ海軍の海戦の最中に撮影されたもののようだった。アスマン帝国の艦隊を撃滅して海兵隊を上陸させ、アスマン帝国を占領する予定だったらしいが、アスマン帝国が投入した4隻の超弩級戦艦によって艦隊があっさりと撃滅されてしまい、上陸作戦は頓挫してしまったという。
「………あぁ、そっくりな戦艦ですねぇ」
「とぼけるな! 水面下で供与していたのだろう!?」
「何を言うのです、中将殿。我々は連合国軍の一員です。敵国である帝国軍に、装備を供与する筈がないでしょう」
冷静な声でセシリアは否定したが、本当は彼女が供与した4隻のジャック・ド・モレー級である。まあ、はっきりと写真に写っているわけではないので言い逃れは難しくなさそうだが。
「アスマン帝国は未だに帆船を使っているような時代遅れの国家なのだぞ? 我がオルトバルカ連合王国の戦艦を上回る性能の戦艦を建造できる技術などあるわけが………!」
「――――――そうやって慢心していたから、見事に隙を突かれただけなのでは?」
「なっ………!」
倭国から取り寄せた緑茶を口へと運びながらセシリアが言うと、将校と彼が連れてきた護衛たちはセシリアを睨みつけた。
確かに、アスマン帝国の技術力はそれほど高くないと言わざるを得ない。保有している艦艇は旧式の装甲艦や戦艦ばかりだし、中には未だに産業革命以前に使用されていた帆船が編入されている艦隊もあるという。旧式の艦艇ばかり運用していた敵国がいきなりオーバーテクノロジーとしか言いようがないほど高性能な戦艦を4隻も投入できるわけがない。
確かに予測できる事ではないと思うが、相手を見下して慢心していたのが敗因だろう。
時代遅れの敵国に自慢の艦隊を蹴散らされた屈辱がどれほど強烈なのかは想像に難くない。
「貴様、傭兵の分際で………!」
「………」
護衛の1人が腰のホルスターへと手を伸ばすが、そいつを睨みつけるとその護衛はびくりと震えてからすぐにホルスターから手を離した。
「………まあ、確かにジャック・ド・モレー級に似た船ですね。後ほど、クレイデリアにあるアスマン帝国大使館へ抗議する事にしましょう」
「それでは生温い! テンプル騎士団もアスマン帝国侵攻に協力しろ!」
「………中将殿、我が軍はまだクレイデリアを奪還したばかりで、部隊の再編成が済んでいません。こちらもあの作戦で大きな損害を出しているのです。すぐにアスマン帝国へ侵攻するのは不可能かと」
涼しい顔でサクヤさんがそう言ったが、怒り狂った将校は八つ当たりするかのように叫んだ。
「何を言っている! 露払いくらいはできるだろう!?」
「………だから部隊の再編成が済んでいないと言っているでしょう。無理です」
淡々と将校にそう告げたセシリアは、残っていた緑茶を飲み干してから立ち上がった。
「力也、中将殿を外へお連れしろ。私はそろそろ部隊の視察に行かなければ」
「了解。………中将殿、お話は終わりです。こちらへ」
やれやれ、ジャック・ド・モレー級を供与したのではないか―――――供与しましたけど――――――と咎めるだけでなく、アスマン帝国侵攻の露払いまでやらせるつもりだったとは。
呆れながらそう言うと、中将は唇を噛み締めながら悔しそうに立ち上がり、護衛の兵士たちを連れて応接室からすぐに出て行ってしまった。アスマン帝国の完敗して強烈な屈辱を味わった挙句、虎の子のジャック・ド・モレー級戦艦を供与した疑いがあるテンプル騎士団を咎めるどころか逆に馬鹿にされたせいでかなり腹を立てていたらしく、俺が案内すると申し出るよりも先に廊下の奥へと歩いて行ってしまった。
肩をすくめてからドアを閉め、空になったセシリアのマグカップに緑茶を注いでからまた彼女の前にそっと置く。セシリアも肩をすくめてからマグカップを手に取り、冷ましてから緑茶を少しだけ飲んだ。
「ケマル元帥たちは期待通りに大損害を与えてくれたらしい」
「喜ばしい事ね」
スコーンの乗った皿をテーブルの上に置きながら言ったサクヤさんが、セシリアの隣に座りながらスコーンへと手を伸ばす。俺もスコーンへと義手を伸ばしながら紅茶を淹れ、ティーカップをテーブルに置いてから、応接室でアフタヌーンティーを楽しむことにする。
「戦争が終わったら、革命が始まる」
そう、”オルトバルカ革命”が始まる。
革命が始まれば、今のオルトバルカ軍は壊滅し、王室も全滅するだろう。もしハヤカワ家を裏切らずにヴァルツの謀略から庇っていれば、王室を滅ぼされることもなかったに違いない。
シャルロット女王は敵に回す相手を間違えたな。
「今のうちに弱体化させておいてもらった方が都合がいいわ」
「ああ、そうだ」
革命が始まったらテンプル騎士団の全兵力を革命軍の支援に投入する。苦戦する事はないだろうが、今のうちに弱体化させておいた方が革命軍の被害も減るだろう。
そう思いながら、尻尾をサクヤさんの髪へと伸ばした。彼女は目を丸くしながら3本の指が付いている機械の尻尾を見つめながら、もぐもぐとスコーンを咀嚼し続ける。てっきりまた尻尾で叩かれると思ってたんだが、サクヤさんはそうするつもりはないらしい。
ニヤリと笑いながら、彼女の美しい黒髪の中からぴょこんと飛び出ている部分を掴んだ。
「サクヤさん」
「何かしら」
「寝癖残ってますよ」
「――――――えっ?」
気付いてなかったのか。
ぎょっとしながら、俺の尻尾が掴んでいるところへと手を伸ばすサクヤさん。右の側頭部の辺りの頭髪が、まるでキメラの角みたいに突き出ている事に気付いたらしく、サクヤさんの真っ白な顔が段々と赤くなっていった。
恥ずかしいからなのだろうか。それとも、怒り狂ってるからなのだろうか。
両方じゃないだろうか、と思った直後、真っ黒な鱗で覆われた彼女の尻尾が、まるで思い切り振るわれた鞭のように頬を直撃していた。
「はっ、早く言いなさいよバカぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「――――――らいんめたるっ!?」
じゃあもっと早起きしてくださいよ………。
キメラの凄まじい力でビンタされた俺は、そのまま応接室の壁に後頭部を思い切り激突させ、気を失ってしまうのだった。
※ラインメタル社は、機関銃や戦車砲を製造しているドイツのメーカーです。




