桜海の覇者たち
今回は閑話っぽい感じです。
ウィルバー海峡の海水は、他の海域とは違って桜色に染まっている。
100年以上前にテンプル騎士団が退けた『輪廻の大災厄』の際に撃沈した無数のホムンクルス艦隊の体液が海水と混ざってしまったせいで、その海峡の海水は100年以上も前から桜色に染まったままなのだ。海底には現在でもホムンクルス艦隊の残骸が沈んでおり、潜水艦のソナーにも反応することがあるという。
そのため、現在ではウィルバー海峡は『桜海』とも呼ばれていた。
桜色の海原に、巨大な水柱が生まれた。
煙突から黒煙――――――正確には煙ではなく、フィオナ機関で生成された魔力の残滓である――――――を噴き上げながら回避しようとするオルトバルカ海軍の戦艦の周囲に噴き上がった水柱を生み出したのは、アスマン帝国がある大陸のすぐ近くを航行する4隻の戦艦から放たれた、44cm砲の徹甲弾であった。
オルトバルカ海軍の戦艦たちも、自分たちの周囲に水柱を生み出している敵艦へと30cm連装砲で応戦するが、その徹甲弾が敵艦隊にまで届くことはなかった。すぐに砲身を元の角度へと戻して砲弾の再装填を命じるが、砲手たちが必死に装填を終えるよりも先に、立て続けに敵艦の44cm砲の砲弾が周囲に落下し、直撃していないにもかかわらず戦艦たちを激震させる。
次の瞬間、単縦陣の二番目を航行していたオルトバルカ軍の戦艦が真っ二つになった。落下してきた徹甲弾が、艦橋の後方に並ぶ2本の煙突の間を直撃し、そのまま機関室まで貫通してから炸裂したのだ。装甲がひしゃげ、全長200mの戦艦が火柱を噴き上げる。装甲の破片を周囲に撒き散らしながら大爆発した戦艦は、そのまま桜色の海原へと沈んでいった。
今度は、その後方を航行していた戦艦の艦首が唐突に捥ぎ取られる。艦首に搭載されていた衝角もろとも艦首を捥ぎ取った徹甲弾は、巨大な水柱を桜色の海面に置き去りにしながら海底へと消えていった。
艦首を捥ぎ取られた戦艦が単縦陣から離脱し、ウィルバー海峡から撤退しようとするが、彼らが交戦している敵艦隊は無慈悲だった。ここで皆殺しにしてやると言わんばかりに、その艦首を失った艦へと更に2発の砲弾を叩き込んで轟沈させてしまったのである。
このままでは、敵艦隊に接近するどころか、主砲の射程距離内に入る前に全滅させられてしまうのは火を見るよりも明らかである。だが、接近するという事は敵艦隊の主砲の命中精度も向上する事を意味している。自分たちよりも敵艦隊の方が主砲の連射速度が勝っている以上、敵艦隊に損害を与えるよりも先に損害を被るのは火を見るよりも明らかであった。
オルトバルカ艦隊が交戦しているのは、彼らにとっては敵国であるアスマン帝国の艦隊である。オルトバルカ軍諜報部隊の報告では、アスマン帝国が保有しているのは旧式の前弩級戦艦や装甲艦ばかりであり、信じ難い事に木製の帆船まで現役だと言われていた。
それに対し、オルトバルカ海軍は強大な海軍を保有する世界最強の大国だ。産業革命が勃発したばかりの頃から大量の戦艦や装甲艦を保有しており、現在でも強力な主砲を搭載した戦艦を大量に建造して大艦隊を編成している。未だに帆船を使っている時代遅れの海軍に負けるわけがない。
しかし――――――慢心していた彼らを迎え撃ったのは、その時代遅れの海軍などではなかった。
むしろ、オーバーテクノロジーとしか言いようがないほどの技術力で建造された、4隻の超弩級戦艦だったのである。
現代の列強国が保有する戦艦の主砲は、殆どが単装砲か連装砲だ。中には3連装砲を搭載した戦艦も建造されたことがあったが、現在の技術力では動作不良を起こすことが多かったため、未だに連装砲か単装砲が主流である。しかし、オルトバルカ海軍の目の前に立ち塞がった4隻の怪物が搭載しているのは、3連装砲どころか4連装砲であった。
しかも、先ほどから立て続けに砲撃を続けているというのに、動作不良を起こす気配がない。火を噴いた砲身が元の角度へと戻っていったかと思いきや、すぐに装填を終えたのか、また仰角を先ほどの角度へと戻して砲撃を繰り返し、単縦陣の周囲に無数の水柱を生み出すのである。
その4連装砲も、オルトバルカ海軍の戦艦が搭載する30cm連装砲よりも巨大な44cm砲である。威力だけでなく、弾速や射程距離も大きく勝っていると言えるだろう。
アスマン帝国が投入してきた戦艦は、44cm砲を前部甲板と後部甲板に2基ずつ――――――そのうち2隻は前部甲板に2基のみだ――――――搭載しているため、主砲のサイズどころか搭載している数でもオルトバルカ軍は大きく劣っていた。
ドン、と、戦艦たちの後方を航行していた装甲艦に44cm砲の徹甲弾が直撃した。艦橋を撃ち抜いた砲弾が乗っていた艦長たちを木っ端微塵にし、そのまま船底に大穴を開けて海底へと突っ込んでいく。船体に大穴を開けられた装甲艦の艦内へと容赦なく桜色の海水が流れ込み、海原の中へと船体を飲み込んでいく。
大半の将校や乗組員たちは狼狽していたが、一部の将校たちは敵艦の正体に気付いていた。
自分たちが交戦している敵艦はあのジャック・ド・モレー級だ、と。
そう言わなかったのは、正解であった。
敵が予想以上に強力な艦艇を投入してきた事で兵士たちの士気が下がっているというのに、敵は最強の戦艦であるジャック・ド・モレー級だと言えば、兵士たちは戦意を喪失して戦えなくなる。最悪の場合は、独断で戦場を離脱する味方の艦艇も現れるかもしれない。
ジャック・ド・モレー級はテンプル騎士団海軍が創設された頃から最前線で戦い続けている戦艦だ。既に100年以上も戦い続けている老朽艦ではあるが、何度も改修を受けて強化されており、現代でも最強の戦艦と言われ続けている。
あの艦は、テンプル騎士団海軍の力の象徴なのだ。
信じ難い事に、全盛期のテンプル騎士団はその恐るべき超弩級戦艦の同型艦や準同型艦を30隻以上も保有し、実戦投入していたという。現在のテンプル騎士団も再び同型艦の増産を始めており、海軍の戦力は大幅に強化されている。
だが、テンプル騎士団は連合国軍側の勢力であり、アスマン帝国へとその最強の戦艦を4隻も供与する理由はない。確かにアスマン帝国はクレイデリア連邦の兄弟のような国家であるため、彼らからすれば身内ともいえる存在だが、その身内にジャック・ド・モレー級戦艦を供与すれば友軍であるオルトバルカ軍にそれが牙を剥くのは想像に難くない。
艦橋にいる見張り員が、旗艦の艦橋で次々に轟沈していく味方艦を眺めている提督に、また戦艦が撃沈されたことを告げる。勝ち目がないという事を理解した提督は、全ての艦に反転してウィルバー海峡から離脱する事を命じたのであった。
「敵艦隊、離脱していきます」
「全艦、撃ち方止め」
「了解。全艦、撃ち方止め」
艦橋から双眼鏡を覗き込み、反転して逃げ帰っていくオルトバルカ艦隊を見てニヤリと笑ったアスマン帝国海軍のイブラヒム提督は、双眼鏡を下ろしてから、元の角度へと降りていく4連装砲の巨大な砲身を見下ろした。
クレイデリア奪還に協力した際の”お礼”として、テンプル騎士団側から供与された戦艦『ヤウズ・スルタン・セリム』、『ミディッリ』、航空戦艦『レシャディエ』、『トゥルグート・レイス』の4隻の初陣の結果は、大勝利と言えるだろう。
敵艦からの砲撃に被弾しなかったうえに、派遣されてきたオルトバルカ艦隊の戦艦4隻、装甲艦2隻を撃沈する大戦果をあげる事ができたのだから。
今までのアスマン帝国海軍は、乗組員の錬度不足と敵艦との性能差によって、海戦ではオルトバルカ軍に連戦連敗を続けている状態であった。そのため、総司令部はもはや海軍に敵に打撃を与えることを期待してはおらず、敵を意図的に国土へ上陸させて本土決戦を挑むという作戦を用意している状態だったのである。
それゆえに、今回の大勝利は乗組員たちの士気を爆発的に向上させた。
甲板の上では、逃げ帰っていくオルトバルカ艦隊に向かって罵声を発する乗組員や、仲間と肩を組みながらアスマン帝国の国歌を歌い始める乗組員も見受けられる。艦橋の中にある伝声管の向こうからも、乗組員の管制や国歌を歌う声が漏れ出てきて、艦橋の中を満たしつつあった。
「これで敵は我が帝国に容易く上陸することはできなくなりましたが………………テンプル騎士団の同志たちは、苦労するでしょうな」
イブラヒム提督の近くで頭を掻いていた艦長が、苦笑いしながら言った。
テンプル騎士団から供与された4隻のジャック・ド・モレー級を実戦投入したのは今回が初めてである。敵艦隊もこちらの艦艇がジャック・ド・モレー級だという事に気付いた筈だから、敵国に強力な戦艦を4隻も供与したテンプル騎士団を非難するかもしれない。
だが――――――テンプル騎士団も、戦争が終わればオルトバルカに牙を剥く。
今回の海戦はそれの手伝いなのだ。
「まあ、我が国の独自開発だと言うしか無かろう」
「そうですな………よし、全艦反転。母港へ凱旋するとしよう」
「了解、全艦反転!」
部下たちの復唱を聞きながら、イブラヒム提督はもう一度双眼鏡を覗き込んだ。逃げ帰っていくオルトバルカ艦隊ではなく、彼らの前方に浮かぶ巨大な金属製の物体を凝視しながら息を吐く。
ウィルバー海峡の入り口に、円盤状の巨大な物体が浮遊していた。傍から見れば島のようにも見えるが、地面は見当たらない。その島を構成しているのは金属製の分厚い装甲の大地であり、下部からは海面へと巨大な支柱が8本も伸びている。上部の中央には戦艦の艦橋を思わせる巨大な”搭”が鎮座しており、その周囲にある巨大なクレーンには、ジャック・ド・モレー級の主砲と同型の55口径44cm4連装砲が吊るされているのが分かる。
その砲塔の側面にこれ見よがしに描かれているのは、テンプル騎士団のエンブレムだ。
(………やっと、テンプル騎士団が復活した)
ニヤリと笑いながら、双眼鏡から目を離す。
そこに建造されつつあるのは、テンプル騎士団の”海上要塞”であった。ウィルバー海峡はクレイデリア連邦とアスマン帝国の領海であり、もしこの海域に展開している艦隊を殲滅されれば敵に制海権を確保されてしまう。
そこで、テンプル騎士団はウィルバー海峡の防御力を高めるため、2ヵ所の入り口に巨大な海上要塞を建造する事にしたという。2日前にテンプル騎士団の団長が、アスマン帝国総司令部と宮殿の方にそれを建造する許可を貰いに来ていた事を思い出しながら、イブラヒム提督は頭を掻いた。
先ほど提督が見つめていた建造中の海上要塞には、オルトバルカ語で『エミリア・ゲート』と書かれていた。もう片方の入り口に建造されている要塞には、『エリス・ゲート』と名付けられているという。
名前の由来は、モリガンの傭兵のリーダーであったリキヤ・ハヤカワの妻の名前だろう。
もしそれが完成すれば、テンプル騎士団は間違いなく”桜海の覇者”となるだろう。
見張り員が「オルトバルカ艦隊、エミリア・ゲートを通過」と報告したのを聞きながら、イブラヒム提督は座席に腰を下ろすのだった。




