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 荒れ果てた廊下に転がるコンクリートの破片を、かつては冒険者向けに作られていた黒いがっちりとしたブーツが踏みつける。廊下にある窓は砕け散り、空爆で破壊された市街地と純白の三日月があらわになっていた。光源として機能しているのは、千切れたケーブルから漏れ出す火花と、炎上する建物や戦車の残骸くらいである。


 真っ暗な廊下の中を静かに進んでいくのは、黒い制服とヘルメットを身に着けた4名の兵士たちだった。バラクラバ帽で顔を隠し、防塵用のゴーグルで顔を隠しながら進む彼らが手にしているのは、サプレッサー付きのStG44。第二次世界大戦で不利になったドイツ軍が正式採用し、連合軍の部隊に猛威を振るった初期のアサルトライフルである。


 廊下の奥にある部屋の入り口の前に辿り着いた兵士たちは、手で合図を送り合いながらスモークグレネードを用意した。先頭を進んでいた分隊長が部下に目配せし、呼吸を整えてから部屋の扉を勢い良く開ける。


 ボロボロになった扉が音を発すると同時に、スモークグレネードの安全ピンを抜いていた隊員たちが部屋の中へと素早くスモークグレネードを投擲する。カツン、と落下する音が聞こえた直後、純白の煙がスモークグレネードの中から溢れ出し、あっという間に部屋の中が煙で満たされていく。


 この状態であれば室内にいる敵に反撃される恐れがないと判断した分隊長が、部下たちに「GO! GO! GO!」と命じた次の瞬間だった。


 先ほどスモークグレネードを投げ込むために勢い良く開けたドアが、唐突に部屋の外へと吹き飛んだのである。白煙の中からがっちりとしたブーツと黒い制服のズボンに覆われている足が突き出ているのを見た隊員たちが、部屋の中にいる敵兵が蹴破ったのだ、と悟ると同時に、白煙の中からその”敵兵”が姿を現す。


 白煙の中から飛び出してきたのは、彼らと同じく黒い制服に身を包んだ兵士だった。厳しい訓練を受けた兵士と比べると体格は華奢であるため、女性の兵士だという事が分かる。だが、その敵兵の顔は毒ガスから身を守るためのガスマスクと、隠密行動用のフードに覆われているせいで全く分からない。


 慌てた分隊長がその敵兵に銃口を向けようとした瞬間、飛び出してきた敵兵が放った弾丸が分隊長の胸板を直撃し、真紅の雫を周囲に撒き散らした。


 扉を蹴破ると同時に、その女性の兵士は既に2丁の得物をホルスターから引き抜いていたのだ。


 敵兵が持っているのは、『トカレフTT-33』と呼ばれるソ連製のハンドガンである。モシンナガンM1891/30と同じく第二次世界大戦に投入された拳銃であり、恐るべき貫通力を誇る7.62×25mmトカレフ弾を使用している。


 いきなり部屋から逆に飛び出して分隊長を撃った敵兵に向けて、残った3名の兵士たちは素早く反撃した。StG44のセミオート射撃でその女性の兵士へと反撃を行いつつ、1人の兵士が撃たれた分隊長を近くにある木箱の影へと引きずっていく。


 残った2名の兵士たちが張った弾幕のうちの1発が、敵兵が持っていた2丁のトカレフTT-33のうちの片方を弾き落す。女性の兵士は左右へとジャンプしながらトカレフTT-33で応戦し、アサルトライフルを乱射してくる2名の兵士のうちの片方に弾丸を叩き込みながら、胸にある鞘からナイフを引き抜いた。


 部屋に突入しようとしている特殊部隊を、逆に部屋の外に飛び出て応戦する度胸を持っている兵士が、アサルトライフルの弾幕程度で襲撃を断念するわけがない。セミオートで放たれる弾丸を回避しながら肉薄した女性兵士は、敵兵が咄嗟にライフルを投げ捨てて近接戦闘の準備をするよりも先に手を伸ばした。StG44をナイフで弾き飛ばしつつ、彼女の攻撃が予想以上に速い事に驚いている兵士の脇腹に蹴りを叩き込む。激痛と呼吸が一瞬だけできなくなる苦痛を味わっているその兵士に至近距離でトカレフTT-33を叩き込んでから、後ろへと崩れ落ちていくその兵士を踏み台にして更にジャンプし、埃で覆われている天井をがっちりとしたブーツで踏みしめた。


 分隊長を木箱の陰に隠しながら銃口を上げた最後の兵士は、その女性の兵士の高い身体能力を目にして絶句していた。


 倒した兵士の身体を踏み台にして更にジャンプした敵兵が、一瞬だけ天井を走ったのである。


「ば、バカな――――――――」


 天井を走った敵兵が、まるで急降下爆撃機のように天井から襲い掛かってくる。アサルトライフルのセレクターレバーをフルオートに切り替え、爆撃機を迎撃する対空機銃のように弾丸を撃ちまくるが、弾丸が敵兵に命中する事はなかった。


 とん、と着地した女性の兵士が、右手で逆手持ちにしているナイフの切っ先を、あろうことかStG44のエジェクション・ポートの中へと突っ込んだのである。排出される筈だった薬莢がナイフの切っ先に押さえつけられ、ライフルがあっという間に射撃不能になる。


 ぎょっとした兵士がライフルを投げ捨てるよりも先に、ナイフから手を離した女性の兵士が兵士の制服の襟をがっちりと掴む。そのまま姿勢を低くしたかと思うと、片手だけでその兵士を放り投げてしまった。


 埃と瓦礫の破片だらけの床に叩きつけられた兵士の眉間に、漆黒のトカレフTT-33の銃口が付きつけられる。激痛を感じながらその女性の兵士の顔を見上げた兵士は、悔しそうな顔をしながら両手を上げた。


《訓練終了。………貴様ら、何をやっている》


 天井のスピーカーから低い声が聞こえてくると同時に、銃を突き付けていた女性の兵士がトカレフTT-33をホルスターへと戻した。空いた手でフードを外すと、海原のように蒼い髪と、その中から突き出た2本のキンジャールのような形状の角があらわになる。


「たった1人の兵士に逆に鎮圧されるとはな」


「も、申し訳ありません、ジェイコブ大尉………」


 ガスマスクを外しながら、ジェイコブは尻尾で部下を助け起こした。立ち上がった兵士は先ほど投げ捨てたStG44を拾い上げ、赤いペイント弾が装填されたマガジンを外してから、コッキングレバーを引いてエジェクション・ポートからペイント弾を取り出す。弾丸が残っていない事を確認してから、ジェイコブのナイフを拾い上げた。


《いいか、貴様ら。俺たちは組織の命運を左右する任務に投入される切り札だ。ミスは決して許されん》


「だから逆に鎮圧されちゃダメなのさ。分かったか?」


「は、はい、申し訳ありません………」


「というわけで罰ゲームだ。夕食の時間まで、30kgの重りを背負って”要塞砲ランニング”な。お前ら全員で」


『『『『りょ、了解………』』』』


 部下たちに罰ゲームを告げたジェイコブは、タンプル搭の地上にある要塞砲の周囲を延々と走らされるテンプル騎士団名物(要塞砲ランニング)をする羽目になって落胆する新人たちに「頑張れよ♪」と言ってから、訓練区画を後にするのだった。













『決まったぁぁぁぁぁ! これは強烈な右ストレートです! 挑戦者のサミュエル、立てません! これでチャンピオンのオブライエンが19回目の防衛に成功です!!』


 ラジオから聞こえてくるアナリアのボクシングの放送を聞きながら、義手のナイフでタンプルソーダの栓を開けた。設備の復旧が進んだことと、アナリア合衆国にある企業と契約したことで、クレイデリアでもアナリアのラジオ放送が聞けるようになったのは喜ばしい事である。


 前世の世界と比べると、こっちの世界は娯楽が少ない。向こうの世界ではゲームとかアニメがあったけど、こっちで普及している娯楽はまだラジオとか白黒の映画くらいだ。向こうの世界からやってきた一部の善良な転生者が、漫画とかラノベを普及させてくれたおかげで少しばかりは前世の世界に近い娯楽があるが、やっぱりアニメとかゲームも久しぶりに楽しみたいものである。


 そんな事を考えながら豆板醤味のタンプルソーダを飲んでいると、冷蔵庫の中にあるストロベリー味のタンプルソーダの栓を開けたジェイコブが、「お前味覚大丈夫か?」と問いかけながらソファの隣に座った。


 確かに、最近は味覚がちょっと変わってきたとは思う。


「ところで、新人共はどうだった」


「質が落ちたなぁ………」


 残念そうにそう言ったジェイコブは、手に持っていた瓶を俺の豆板醤味のタンプルソーダの瓶にカツン、と軽くぶつけてから口へと運んだ。


「やっぱり落ちたかぁ………」


「ああ」


 新兵たちの質が落ちたのは、ウラルの野郎とセシリアから出された指示のせいだった。最近のテンプル騎士団は、タンプル搭の奪還に成功し、設備の復旧やクレイデリア連邦の機能回復が成功しつつあるおかげで余裕ができている。そこで各部隊の増員を行う事になったのだが、スペツナズの入隊試験があまりにも厳しすぎる―――――合格率は7%だそうだ――――――せいで増員が進まないため、入隊試験の難易度の緩和を行うように命じられたのである。


 おかげで人数は増えたんだが、入隊してくる新人の質は厳しかった頃に入隊してきた新人よりも落ちていると言わざるを得ない。まあ、それは今後の訓練で質を底上げしてやるしかないだろうが。


 頭を掻きながら部屋の中を見渡した。


 タンプル搭の居住区にある部屋は、喜ばしい事にキャメロットの個室よりも広い。ベッドを2つ置いてもまだまだ余裕があるからテーブルとかソファも置けるし、トイレとかシャワールームまである。キャメロットの部屋にはシャワールームがなかったので、いつでもシャワーを部屋で浴びられることができるのは素晴らしい事だ。


 真水は使いたい放題だし、部屋にはキッチンもあるのでここで料理を作ることもできる。


 しかも、居住区の中には大浴場もあるので、そっちに行って温泉に入ることもできる。もちろん男湯と女湯は分けられており、女湯を覗こうとしたバカはシュタージに連行されるらしい。


 まるで高級ホテルみたいだ。


「ところでさ」


「あ?」


「お前って、この部屋で団長と副団長と3人で住んでるんだろ?」


「ああ」


 そう、ここは俺が住んでいる部屋である。今日の午後は訓練が休みになっているので、ジェイコブが遊びに来ているのだ。


 もちろん、急に任務が入ることもあるので装備の手入れはしっかりと行っているし、すぐに出撃できるように外出は控えているが。


「で、その………どう?」


「まだ童貞だぞ」


「マジかよ………」


 ジェイコブが何を聞こうとしているのかをすぐに察知して答えると、彼は悲しそうな顔をしながらストロベリー味のタンプルソーダを飲み干した。


「何なんだよお前」


「何が?」


「黒髪の美少女姉妹と同居している上に、最近は諜報部隊の司令官にも気に入られてるらしいじゃないか。しかも金髪の美少女」


 ああ、クラリッサか………。


 あいつに気にいられたおかげで色々と大変なことになった。いつの間にか部屋の中に盗聴器が仕掛けられていたり、シャワールームに監視カメラ―――――しかも俺が使う時だけだ――――――が設置されていることが増えたし、廊下で遭遇してしまうといきなり抱き着いてきやがる。


 確かに彼女は綺麗な少女だが、どんな機密情報でも調べてしまう諜報部隊シュタージのリーダーだからなのか、完全に気を許してしまうわけにはいかないような気がしてしまう。その警戒心のせいで彼女とは距離をとるようにしてるんだが、むしろクラリッサは距離をとろうとしている俺を見て楽しんでいるらしい。


 何なんだあの女。


「ハーレム作ってんじゃねえよ。ラノベか」


「作った覚えはないんだが」


「しかもお前の”88mm砲”は未使用かよ」


 失礼な。俺のは40cm砲だぞ? 戦車砲と一緒にするんじゃねえ。


 そう思いながら豆板醤味のタンプルソーダを飲み干すと、ドアがノックされる音が聞こえてきた。セシリアだったらもっと勢いよくノックするから、彼女が帰ってきたわけではないらしい。


 空になった瓶をゴミ箱に放り込んでドアを開けると、シュタージの制服に身を包んだホムンクルス兵が立っていた。胸の部分は膨らんでいるので、ジェイコブのような男の娘として生まれた個体ではなく、ちゃんとした女性の兵士だという事が分かる。


 ホムンクルス兵はオリジナルであるタクヤの遺伝子をベースにして生み出されるんだが、全員全く同じ顔つきというわけではない。目つきとか雰囲気が個体によって違うし、もちろん性格も違うので、ちゃんとした個体差はあるようだ。長く付き合うか、彼女たちの同胞でなければ見分けるのは難しそうだが。


 ドアの前で立っていたのは、目つきが鋭いホムンクルス兵だった。


「お休み中失礼します、同志少佐」


「何か用か、同志中尉」


「はっ。ルーデンシュタイン大佐から、”ラーゲリ”まで来るようにとのご命令であります」


「ああ、”お仕事”か。了解だ、30分以内に向かう」


「了解であります」


「何だ、仕事か?」


「ああ」


 話し声がリビングの方まで聞こえていたのか、空の瓶をゴミ箱に捨てたジェイコブが入り口までやってきた。ジェイコブはホムンクルスの中でも優しそうな顔をしているし、明るい性格なので非常に話しやすい。ただ、容姿が女みたいなせいで結構苦労しているという。


 すると、報告に来たシュタージのホムンクルスがジェイコブを見てから首を傾げた。


「その………同志少佐」


「ん?」


「プライベートの質問になりますが、その………………お二人は付き合っているのですか?」


「「えっ?」」


 何それ。


 ちょっと待ってください。俺は男だし、こいつも男なんですが。


「その、同期から聞いたのです。お二人は付き合っていて………け、結婚の予定もあるとか………っ」


「ねーよ」


 誰だそんな噂してる奴。


 するとジェイコブはこっちを見てニヤリと笑ってから言った。


「えぇ? ダーリン、昨日の夜は私にあんなことしたのに何でそんな事言うのぉ?」


「えっ、あんな事って………!」


「何言ってんだお前」


 ジェイコブのせいで、妄想を始めたホムンクルス兵さんがどんどん顔を赤くしていく。俺の顔は、多分逆に青くなっている事だろう。リトマス紙みたいに。


 ちなみに、ジェイコブの性別は男だが声は他のホムンクルスと同じく高い声なので、口調が男みたいでも”男の口調で喋る美少女”にしか見えない。


「やだ、忘れちゃった? ふふっ、シャワールームで私のお尻をあんなに――――――」


「黙れバカ」


「ねるそんっ!?」


 やった覚えがない事を言い出しやがったジェイコブの尻を、義手で思い切りぶん殴る。女みたいなじゃべり方をしていた相棒は悲鳴を上げると、真っ白な手で自分の尻を押さえながら床の上にぶっ倒れた。


「お、お尻を………!? や、やっぱり同志少佐はあの薄い本の通りに………!」


 今なんて言った?


 顔を真っ赤にしているホムンクルス兵を問い詰めようとすると、彼女は素早く敬礼をしてから「では、ラーゲリまでよろしくお願いしますぅっ!」と恥ずかしそうに叫んでから、ロケット弾すら置き去りにできそうなほどのスピードで廊下の奥へと猛ダッシュしていった。


「………ちょっと”ラーゲリ”行ってくるわ」


「い、行ってらっしゃい………」


 素早く制服の上着を身に纏い、赤いベレー帽をかぶってから、まだ尻を押さえて呻き声をあげているジェイコブを部屋に置き去りにし、俺はラーゲリへと向かった。


 呼び出された理由は、”お仕事”だろう。


 そう、テンプル騎士団の”闇”だ。


 

 

 


※ネルソン級は、イギリス海軍の戦艦です(ネイリンゲンの元ネタです)。

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