王冠と報復
「勇者よ、面を上げよ」
真っ赤なカーペットが敷かれた広間に、低い声が響き渡る。そのカーペットの上に、護衛を担当してくれている2名の兵士たちと共に跪く俺の左右には、豪華な黄金の装飾が付いた黒い軍服姿の兵士たちが、腰にサーベルを下げたままずらりと並んでいる。
しかし、俺が感じている緊張感の原因は、武装した兵士たちが左右にずらりと並んでいるからではない。確かに人数は多いし、ここに並ぶ権利があるという事は普通の兵士よりも手強いベテランだという事を意味しているが、端末の機能を使えば10秒足らずで殲滅する事ができるだろう。
この緊張感を発しているのは、ずらりと並んだ近衛兵たちではなく、その奥にある玉座に腰を下ろす初老の男性だった。黄金の装飾がこれでもかというほど取り付けられた黒い軍服の上に、真紅のマントを羽織っている。白髪で純白に染まった頭の上に乗っているのは、正面に王族の紋章が刻まれた大きな王冠である。
あの初老の男性が、このヴァルツ帝国を治める皇帝の『アンヘルム1世』だ。
「勇者よ、ウェーダンの戦いの結果は聞いておるな?」
「はっ」
頭を下げながら、唇を噛み締める。
「貴様が強力な存在だと言っていた虎の子の転生者を54人も投入したというのに、フランギウスの腰抜け共に惨敗するとは何事か」
「申し訳ありません、陛下」
そう、ウェーダンの戦いの緒戦は、ヴァルツ帝国軍の惨敗だった。
ウェーダンを突破する事ができれば、そのまま進軍してフランギウス共和国の首都を蹂躙し、厄介な大国の内の1つを降伏させる事ができる。しかし、ウェーダンは列強国が用意している防衛ラインの中でも難攻不落と言われており、大規模な攻勢を開始したとしても塹壕の機関銃や要塞砲の餌食になるのが関の山だと言われていた。しかも帝国軍はフェルデーニャ王国やオルトバルカ王国とも戦闘を繰り広げているため、ウェーダンを突破するためだけに貴重な兵力をウェーダンの攻略に集中させることは許されなかったのである。
だから、俺は強力な転生者たちを実戦投入し、たった54人でウェーダンを突破すると宣言したのだ。投入する兵力が54人で済めば参謀共も首を縦に振るだろうし、実際にウェーダンの突破に成功すれば、転生者が強力な存在だという事を帝国や敵国に知らしめることができる。
しかし――――――54人の転生者たちは、フランギウス側に加勢した忌々しいテンプル騎士団の残党共によって返り討ちにされてしまった。
大半の転生者を失った挙句、生き残った連中は全員負傷しており、中にはPTSDになって復帰が不可能になった転生者も多いという。
そう、緒戦で惨敗したことによって、転生者が強力な存在だと知らしめるどころか、転生者を過小評価する原因を作ってしまったのである。皇帝は惨敗したことによって帝国に泥を塗った事を咎めるために俺を呼びだしたのだろうが、こっちにとって深刻なのは、これで転生者が過小評価されることだ。
「いいか、勇者よ。我がヴァルツ帝国はフランセンの腑抜け共とは違う。敵国を全て打ち破り、この世界を我が帝国の版図とする事が目的である。それゆえに、敗北は許さぬ。敗北は帝国の栄光に泥を塗る行為と知れ」
「はっ、申し訳ありません」
「………貴様の力は知っているが、今回の戦いで転生者とやらが役不足であることが証明された。今後もウェーダンへの攻撃は継続するが、後任の指揮官はレージェンバイン中将とする」
レージェンバイン中将か………。
確か、俺がウェーダンに転生者を投入すると立案した時に、最後の最後まで首を横に振っていた将校だ。ヴァルツ軍の中では名将らしく、今までの戦いでも大きな戦果をあげているという。転生者が惨敗してしまった以上、レージェンバイン中将がウェーダンへの攻勢の指揮を執るのは正解だろう。
すると、ずらりと並ぶ近衛兵の近くに立っていた若い将校が言った。
「お待ちください、陛下」
「何事か」
「確かに転生者は敗北しました。ですが、たった15分足らずであのウェーダンの塹壕を突破し、要塞へとそのまま進軍したのです。たった54人で塹壕を短時間で突破している転生者を、使い物にならないと判断するのは早いかと」
皇帝にそう言ったのは、ヴァルツ帝国陸軍のローラント少将だ。レージェンバイン中将よりも若い将校で、他のがっちりした体格の兵士や将校たちと比べると貧弱そうに見える男だ。だが、彼が俺の作戦に賛成してくれたからこそ、ウェーダンに転生者を投入することが許されたのである。
すると、他の将校たちが顔をしかめてから反論を始めた。自分たちよりも若い将校が、偉大な皇帝陛下に反論したことが気に食わないのだろう。
「ローラント少将、転生者はテンプル騎士団に負けたのだぞ」
「その通りだ。薄汚いハーフエルフや、汚らわしい魔物の血が混じったキメラ共に惨敗したのだ。未だに銃ではなく剣を使うような野蛮人に負ける貧弱な奴らが、使い物になるわけがあるまい」
しかし、ローラント少将は微笑みながら首を横に振った。
「ええ、確かにテンプル騎士団には惨敗してしまいました。ですが、これで転生者の問題点や、投入するのに適したタイミングも分かりました」
「なに?」
「陛下、剣とは一流の鍛冶職人が何度も鍛えて作り上げるものであります。今回の戦いで投入された転生者たちは、まだ使い道が良く分からぬ”素材”に過ぎません。剣に加工すれば良いのか、槌に加工すれば良いのかすら分からぬ状況だったのです。その素材で試しに剣を造り、それが鈍として産声をあげてしまったとしても、まだ使えぬ素材だと判断するには早すぎます」
すると、彼は俺の隣へとやってきて一緒に皇帝へと向かって跪いた。
確かに、今回の戦いで転生者の欠点や投入するのに適したタイミングも分かった。ファルリュー島で忌々しい力也を迎え撃った時も大量の転生者を投入したが、本格的な戦争に転生者を投入するのはウェーダンの戦いが初めてだった。だから、俺も気付いていなかったのかもしれない。
この男はかなり有能だ。
こいつがいれば、計画が成功するかもしれない。
「一流の職人でも、誤って切れ味の悪い剣を作り上げてしまう事もあります。ですが、試行錯誤によって、使い道の分からぬ素材も傑作を作り上げるために欠かせぬ素材と化すことでしょう」
「うむ………」
「陛下、もう少しだけチャンスを頂くことはできないでしょうか。もし頂けるのでしたら、勇者様と共に転生者部隊を再編し、この偉大なる帝国の力の象徴と呼ばれるような精鋭部隊を作り上げて御覧に入れましょう」
「少将………」
玉座に座ったまま、陛下は腕を組んだ。
ウェーダンの戦いの緒戦で惨敗したとはいえ、難攻不落と言われていたウェーダン守備隊に大損害を与えた上に、ウェーダンの塹壕を15分足らずで突破したのである。敵の守備隊が高を括っていたのも原因の1つだが、もしテンプル騎士団がやって来なかったら我々が勝利していた事だろう。
転生者を投入しないのは惜しいと思っているに違いない。
「――――――――ローラント少将、チャンスを与える」
陛下は玉座からゆっくりと立ち上がると、俺とローラント少将を見下ろしながら言った。
「転生者部隊を再編し、敵を圧倒せよ。この帝国の栄光に泥を塗ることは二度と許さぬ」
「「はい、陛下」」
よくやった、ローラント少将。
これで辛うじて転生者の投入の許可は下りるだろう。戦闘に投入して列強国の軍隊を蹂躙すれば、転生者が強力な存在だという事を世界中に見せつける事ができる。
だが、転生者を投入した程度で世界大戦はきっと終わらない。ヴァルツ帝国も、他の列強国と同じように大損害を出し続け、ゆっくりと崩壊していくだろう。戦場にいる数多の兵士たちは、敵の放つ弾幕で次々に命を落とすだろうが、端末を持つことを許された転生者は生き残るに違いない。
普通の人間が死に、転生者が生き延びる。
この帝国が崩壊しそうになった時に、計画は始まるのだ。
だが、ローラント少将まで帝国と一緒に消し去るのはかなり惜しい。この有能な将校は、出来るのであれば右腕にしておきたい。
そう思いながら、踵を返して玉座を去る皇帝の王冠を見上げる。
貴様のような老いぼれに、その王冠は似合わない。
それをかぶる資格があるのは、強き者のみ。
その資格を持つのは俺なのだ。
橙色に染まった海面を見下ろしながら、ポケットの中から純白の羽を模したヘアピンを取り出す。このヘアピンの持ち主が髪にこれを付けていた頃は、綺麗な純白のヘアピンだった。けれども、今は持ち主が味わう羽目になった苦痛を具現化させようとしているかのように、所々に血痕らしきものが残っていて、禍々しい模様を形成している。
明日花がいつも髪に付けていたヘアピンだ。そう、彼女の形見である。
彼女の遺体は、強制収容所を襲撃した連中が回収してくれていたらしい。今はキャメロットの艦内にある巨大な冷凍庫の中で冷凍保存されている。明日花の埋葬は、次に上陸した時に行う予定だ。
この世界では、強烈な怨念を持ったまま死んでいった人間の死体は、放置しておくとゾンビとして蘇ることがあるという。だから、できるならば死体は火葬にして、ゾンビとして蘇らないようにするのが望ましい。
もし明日花がゾンビになってしまったら、きっと俺は彼女を殺す事ができないだろう。肉が腐敗して変色していたり、剥がれ落ちた肉の内側から臓器や骨があらわになった無残な姿で襲い掛かってきたとしても、引き金を引くことはできない。
「やったよ、明日花」
彼女の形見を見下ろしながら、ヘアピンに向かって呟く。
「お前を犯したデブを、精肉機に放り込んでミンチにしてやった。………………でも、あいつはお前を殺してないらしい」
そう、来栖は明日花を犯しただけだ。
彼女を殺したのは誰なのだろうか。
「待ってろよ、明日花。お前を苦しめた奴は、俺が全員惨殺して地獄に送ってやる。………………復讐が終わったら、兄ちゃんも逝くからな」
俺の使命は、戦争を終わらせることではない。
明日花を苦しめた奴らや、殺した奴らに復讐することだ。復讐を果たすための対価だというのであれば、何でも差し出す。生贄が必要だというのであれば、何の罪もない人々や子供だろうと大喜びで殺してやる。
彼女の形見をポケットの中に戻してから、段々と赤黒く染まり始めた海面を見下ろした。
禍々しい色に変色し始めた海面に写っている自分の顔が、悪魔に見えた。
第一章『産声をあげる復讐者』 完
第二章『最後の魔王』へ続く




