キマイラバースト
中央指令室の内部で装置の修理をする工兵や整備兵たちを見守りながら、団長用の座席に腰を下ろす。座席の周囲には様々な区画へと繋がっている伝声管がいくつも用意されていて、まるで一気に切り詰められたパイプオルガンのようにも見えてしまう。
伝声管を塞いでいる蓋にはどの区画へ通じているのかが書かれているが、中にはタンプル搭奪還の際の熾烈な戦闘で破壊されてしまった伝声管もあるらしく、使用できない伝声管の蓋にはオルトバルカ語で『使用不能』と書かれているのが分かる。
我々が実施した『第二次ブラスベルグ攻勢』によって、クレイデリアの首都アルカディウスとタンプル搭は奪還された。まだユートピウスやユーフォリウスなどの都市にはヴァルツ軍の残党が立て籠もっているが、派遣した海兵隊による攻撃によって既に壊滅状態らしく、クレイデリア全土からヴァルツのクソ野郎共を消し去るのも時間の問題と思われる。
辛うじて動作している正面の巨大な魔法陣には、軍港の様子が映っていた。ヴァルツ艦隊との死闘に勝利したジャック・ド・モレー級たちが、かつての母港で整備を受けている。
今はタンプル搭の復旧やアルカディウスの復興を重視しなければならないため、しばらくは大規模な攻勢はできないだろう。工兵や整備兵たちのおかげでタンプル搭の設備はいくつか復旧に成功しているが、まだこの中央指令室ですらテンプル騎士団全軍の指揮に使える状態とは言い難い。なので、ここの完全な復旧が終わるまでは軍港内に停泊しているキャメロットを臨時の中央指令室として使用し、ここの復旧が完了次第、キャメロットではなくこちらを中央指令室として使っていくつもりだ。
また、タンプル搭の全ての設備が復旧すれば、ホムンクルスの製造もタンプル搭地下の製造区画で行う事になるため、キャメロットでそれらの作業を行う事もなくなるだろう。そのため、役目が無くなったキャメロットをどうするべきか今後の会議で決めることになるだろうが、私としては記念館として保存したり、練習艦にしてしまうのは勿体ないので、最低限の武装を行って試作兵器を搭載した実験用の艦として使うのがいいのではないかと思っている。
魔法陣に映っている軍港の映像を凝視しながら、ホムンクルス兵が持って来てくれた紅茶を口へと運ぶ。ジャック・ド・モレーの隣に停泊するキャメロットへと伸びるタラップの上では、キャメロット艦内から様々な機材を抱えた兵士たちがタンプル搭へとその機材を運んでいる。
設備の復旧だけでなく、居住区の復旧も優先して行っている。既にいくつかの居住区は住めるようになっているので、キャメロットで保護していた住民たちをそちらに移す作業も行っていた。
「国境のヴァルツ増援部隊はどうなっている?」
再起動したオペレーターの席で魔法陣をタッチしていたホムンクルス兵に尋ねると、彼女はこっちを振り向きながら答えた。
「アスマン帝国からの情報では、アルカディウス陥落を察知して本国へと撤退を始めたそうです」
「そうか………」
安堵しながら扇子を取り出す。
タンプル搭陥落を察知したヴァルツの連中は、アルカディウス陥落だけでも防ぐために本国から増援部隊を派遣していた。やけに増援部隊の派遣が遅かった理由は、おそらく我々ではタンプル搭を攻め落とすのは不可能だと高を括っていたのだろう。だが、タンプル搭が攻め落とされて焦り、大慌てで増援部隊を派遣したという事か。
だが、クレイデリアとヴァルツの間に位置するアスマン帝国を通過する際に、増援部隊がアスマン帝国を通過する許可が下りなかったため、増援部隊はアスマン帝国側が許可するまで国境で足止めされることとなった。その間に我々がアルカディウスを攻め落としてしまった事で、クレイデリアの奪還は不可能と判断したらしく、ヴァルツ軍は引き返していった。
あいつらは春に大規模な攻勢をするための準備をしている。スペツナズが転生者を暗殺し続けた事によって戦力に余裕がなくなり始めたため、ここで強引にクレイデリアに攻め込んで大損害を出し、春季攻勢が頓挫することを恐れたのだろう。
だから、きっとクレイデリアにヴァルツの連中が攻め込んでくる事はない。ヴリシア・フランセン帝国も崩壊寸前であるため、そちらからの攻撃もあり得ないだろう。アスマン帝国は帝国軍の同盟国だが、今回の一件で非協力的であったアスマン帝国は、やがて帝国軍を離反して連合国軍へと鞍替えする筈だ。
私も復旧の手伝いをしようかと思いながら立ち上がろうとすると、ホムンクルス兵と一緒にオペレーター用の装置の配線を繋ぎ直していた姉さんが、傍らに置かれていたラジオを持ってニコニコしながらこっちへとやってきた。
「セシリア、これ聞いて!」
「む?」
『――――――繰り返します。ヴリシア・フランセン帝国が連合国軍に無条件降伏しました。ヴァルツ側はこれに抗議していますが、連合国軍はこの降伏を受諾することを決定しており――――――――』
「………この放送は?」
「アナリアの放送よ。シュタージが傍受して流してくれてたの」
ついに二重帝国が降伏したか………。
実質的にアスマン帝国も連合国へと鞍替えしつつあるため、これで残った敵はヴァルツ帝国だけになったという事だ。これからヴァルツ帝国軍は、単独でオルトバルカ連合王国、フェルデーニャ王国、フランギウス共和国、テンプル騎士団を相手にしなければならない上に、春になればアナリア合衆国も連合国軍に参加することになっている。
あの帝国ももう終わりだろう。
そして、この世界大戦が終われば今度はオルトバルカが終わる。
もう既に、こちらのエージェントがレーニンたちが率いる革命軍に積極的に接触を行い、革命を開始する時期や作戦についての打ち合わせを行っている。もちろん、このエージェントたちが接触をしていることはテンプル騎士団の上層部しか知らない。
その革命が終われば――――――――やがて第二次世界大戦が始まる。
今の世界大戦では、おそらく勇者を倒す前に帝国軍は降伏する事だろう。そのまま攻撃を継続すれば連合国に咎められるだろうし、下手をすれば連合国軍を敵に回すことになる。
だから、それまではこちらも力を蓄える必要がありそうだ。タンプル搭を完全に復旧しながら軍拡を行い、かつての世界最強の軍隊を復活させる。そして勇者が再び戦争を引き起こした時は、敵国への攻撃という大義名分を利用し、今度こそ勇者の首を討ち取る。
もちろん、”あいつ”の力も借りることになるだろう。
「………姉さん、力也の容態はどうなってる?」
ラジオを聞いていた姉さんは、不安そうな顔をしながらこっちを振り向いた。
「義手と義足の交換は済んでるわ。………でも、まだ意識は戻っていないみたい」
「………そうか」
力也が率いるスペツナズは、アルカディウス奪還の際に総司令部へと潜入し、敵の総司令官と転生者を討ち取るという大き過ぎる戦果をあげた。彼らが総司令部を殲滅してくれたおかげで、守備隊は他の守備隊と連携がとれなくなり、我が軍の各個撃破されていったのである。
だが――――――転生者を倒すために切り札を使った力也は、戦闘終了後に意識を失ってしまったという。
もう戦闘終結から3日も経過しているのに、まだあいつの意識は戻っていない………。
「………ちょっと様子を見てくる」
「ええ、きっと喜ぶわよ」
喜んでくれるといいのだが。
そう思いながら椅子から立ち上がり、傍らに置いていた刀を腰に下げてから出口の方へと向かう。扉を開けてから、彼がいるキャメロットの研究室へと歩き始めた。
ピアノの音が聞こえる。
瞼を開けながら、ベッドからゆっくりと起き上がった。ベッドの周囲には未完成の奇妙な機械や、変わった形状をした部品がいくつも転がっていて潤滑油の臭いを発している。病人や怪我人を寝かせておくベッドの周囲には、絶対に置くことがない代物たちだ。それとも、俺もここにある機械と同じような存在だと見なされているのだろうか。
部屋の奥の方を見ると、白衣を羽織った白髪の女性がピアノを弾いていた。聞いたことのない曲だが、この世界の曲なのだろうか。
「あ、起きました?」
ピアノを弾いていた博士はこっちを振り向くと、微笑みながら言った。
彼女の研究室の中にピアノがあった事に初めて気付いた。何で機械の部品がこれでもかというほど置かれている研究室の中にピアノを置いているのだろうか。
「義手と義足は交換しておきましたから」
「え」
そう言えば、戦闘で両腕はかなり破損してしまっていた筈だ。国会議事堂での戦闘を思い出しながら義手を見下ろしてみると、もう既に黒い金属製の義手が両腕に移植されていた。手の甲にはこれ見よがしにテンプル騎士団のエンブレムが描かれている。
義足は特に戦闘で破損してはいなかったんだが、義手を交換する際に一緒に交換してもらえたらしく、こっちも新品になっていた。
よく見ると、国会議事堂内部での戦闘で破損した義手はベッドの近くにある作業台の上に置かれていた。破損したパーツは取り外されており、傍らには新しいパーツとフレームが置かれているのが分かる。
「あの力、使ったんですね?」
「………ああ」
使わせてもらった。
交換してもらったばかりの義手を、そっと胸に当てる。既に胸に埋め込まれている制御装置には新しい安全ピンがセットされているようだった。
「良いデータが取れましたよ、おかげさまで」
「それはどうも」
「でも、使い過ぎたらダメですよ。あなたに適合していないキメラ細胞を強引に移植したんですから、身体には大きな負担がかかるんです」
そう、あの安全ピンは体内に移植されているキメラ細胞を活性化させるスイッチだ。
博士の話では、元々はキメラ細胞を移植して俺を第一世代型のキメラにする予定だったらしいんだが、どういうわけかキメラ細胞が肉体に適合しなかったらしく、細胞を不活性化させた状態で強引に移植したという。
そのため、これを使うと肉体的にも精神的にも大きな負担がかかるのだ。発動中に上手く言葉を話す事ができなくなっていったのも、精神的に大きな負担がかかっていたからだと思われる。
赤の他人の臓器を、適合していない他人に移植するようなものだ。
「それにしても、変ですよね」
「何が?」
「このキメラ細胞、前任者の息子であるタクヤ君のキメラ細胞なんですが………どうして前任者とほぼ同じ人間であるあなたに適合しなかったのでしょう?」
確かにおかしい。
前任者は、博士の推測ではパラレルワールドの俺だという。そのため、ほぼ同じ人間と言ってもいい。その前任者がキメラになったのだから、パラレルワールドからやってきた俺にもキメラ細胞はすんなりと適合する筈なのだが、なぜ適合しなかったのか。
首を傾げようとした俺は、首に奇妙な物体が装着されていることに気付いた。
いつの間にか、首に真っ黒な首輪を思わせる機械が取り付けられていた。その首輪の内側からは細いケーブルが伸びているらしく、そのケーブルがうなじの部分に接続されている。首輪を動かしてみると、うなじの中に埋め込まれたケーブルが微かに動く感触がした。
「これは?」
「リミッターです。あのまま”キマイラバースト”を使っていたら、どうなるか分かりませんからね」
「キマイラバースト?」
「あの力の正式名称です。さっきピアノ弾きながら考えました。カッコいいでしょ?」
何だそりゃ。
要するに、この首輪は危険になったらキマイラバーストを強制終了させるためのリミッターという事か。
ありがたい事だが、出来るならば取り外してほしいものだ。場合によっては、自分の肉体や精神が危険な状態になったという事が分かっていても、その力を使って戦い続けなければならない局面が必ずある筈なのだから。
強引に引き千切ったらどうなるんだろうな、と思いながら首輪を動かしていると、研究室のドアが開き、セシリアとエレナがやってきた。
「おう、ボス」
「力也………っ!」
え、ボス?
セシリアはこれを見て目を見開くと、いきなり抱き着いてきた。
「ぼ、ボスぅ!?」
「無茶をしおって………この大馬鹿者め………っ! 心配したんだぞ、お前がこのまま目を覚まさなかったらどうしようって………」
「………すまん」
義手で彼女を抱きしめながら謝った。
心配かけちまったな………。
「その、お見舞いに来たつもりなのだが………とりあえず、これでも食え。私からのプレゼントだ」
「ん?」
彼女が差し出したのは、キャメロット艦内の売店で売られている稲荷寿司の箱だった。倭国からやってきた料理人が経営している和食専門の売店らしく、セシリアはそこの常連らしい。
まあ、メニューの中に稲荷寿司がある時点で常連になるのは確定だよな………この人油揚げ大好きだし。
狐みたいな人だと思いながら箱を受け取り、蓋を開けて稲荷寿司を取り出す。
「あ、そういえば………お前、油揚げ嫌いだったんじゃ………」
「あっ」
すいませんボス、あれ嘘です。
セシリアに油揚げをあげるための嘘だったんだけどなぁ………。
「ええと………克服したんだ」
「そ、そうか………」
寂しそうにそう言いながら、セシリアは稲荷寿司を凝視した。もう油揚げを分けてもらえないと思っているんだろうか。
「………でも、まだ少し苦手でな。ボスも一緒に食べるか?」
「な、なにっ!? い、いいのか!?」
顔を上げると同時に、彼女は腰の後ろから伸びている黒い尻尾を左右に振り始めた。これは機嫌が良い時の癖らしい。
「いつもお世話になってるし、こんなにいっぱい油揚げは食えないんだ。ぜひ手伝ってくれ」
「………しっ、仕方ないな。手伝ってやるか」
稲荷寿司を一つ彼女に差し出すと、セシリアは嬉しそうに稲荷寿司を口へと運び始めた。俺も一つ稲荷寿司を食いながら、箱をエレナにも差し出す。エレナはちらりとこっちを見てから首を縦に振ると、小さな手を伸ばして稲荷寿司を掴んだ。
「そういえば………エレナ、今は暇か?」
「手は空いています」
「なら、頼みがある」
俺はこれから新しい義手の最終調整とちょっとしたリハビリがあるからな。
新しい義手の指を動かしながら、彼女に告げた。
「―――――――ちょっとばかり、ゴブリンを捕まえてきてほしい」




