煉獄の悪魔
ああ、その力を使ってしまったのですね。
研究室の中に浮遊する魔法陣に投影されている数値が一気に向上したのを見た私は、それが何を意味するのかをすぐに理解しました。その数値は、力也さんの体内に搭載されている制御装置から伝達されてくる、キメラの細胞の状態を意味する数値なのです。
あの人の肉体に機械を移植した時、一緒にキメラの細胞も彼の肉体に移植しておきました。もちろん、復讐のために力を欲していたあの人の要望です。私は色んな人にマッドサイエンティストって呼ばれてますけど、勝手にそんな事はしませんよ。
キメラの細胞は、簡単に言うと人間の細胞と魔物の細胞が融合した細胞。この世界ではなく、別の世界からやってきた人間の細胞を、魔物の細胞が半分ほど侵食した事によって形成されたものなのです。ですから、それをそのまま彼に移植してしまえば、異世界人である力也さんの細胞まで侵食されてしまう恐れがありました。
だから、そのまま移植したのではなく、キメラの細胞を休眠状態にしてから移植しました。そうすれば力也さんの細胞が侵食され、突然変異を起こしてしまう事はありませんからね。
ですが、この数値が一気に上昇したという事は――――――目を覚ましたのです。
化け物の細胞が。
「ふふふっ」
これを使ってしまうほど追い詰められてしまいましたか。
傍らにある椅子に掛けてある白衣の上着を手に取ってから羽織り、キャメロット艦内の自分の研究室の中に置かれているピアノの傍らへと歩きました。ピアノの上に乗っている機械の部品や発明品の失敗作たちを床の上に落とし、椅子に腰を下ろしてから、この力を使っている彼の姿を思い浮かべます。
できることなら、私も見てみたかったです。
モリガンの傭兵と同じ名前を持つ男が、大暴れするところを。
微笑みながら、私は研究室内に置いているピアノで、シューベルトの『魔王』という曲を奏で始めました。
「何だよ、あれ………」
トンプソンM1928に新しいドラムマガジンを装着しながら、俺は目を見開いていた。
力也は余計なことはするなと言ったが、あのままではあいつが転生者に殺されちまう。転生者を一撃でぶち殺せる虎の子のスタウロスは義手もろとも捥ぎ取られちまったし、あの転生者は高密度の魔力の防壁で守られているから銃弾ではダメージは与えられない。
銃弾は弾かれちまうが、魔力を使っている以上はひたすらあいつを攻撃して魔力を削ぎ、防壁の防御力を削ってからとどめを刺すしかない。俺たちの持っている武装で集中砲火をお見舞いすれば、勝てる確率はそれなりに上がる。
後で力也に咎められることを覚悟しながら転生者にフルオート射撃をぶちかまそうとしたその時に、力也が切り札を使いやがった。
ボロボロになった制服の上着を脱ぎ捨てたかと思うと、胸板に埋め込まれている手榴弾の安全ピンみたいな部品を引っ張りやがったのだ。それで自爆し、転生者を道連れにするのではないかと思ってぞっとしたが――――――それは自爆スイッチなどではないようだった。
その安全ピンは、あいつの切り札の起動スイッチだったのだ。
義手によって引っこ抜かれた安全ピンが投げ捨てられた直後、唐突に力也の頭髪が黒から赤へと変色していく。戦場に飛び散った鮮血のように赤黒く変色した頭髪が、段々と溶鉱炉に放り込まれた金属のように赤くなっていき、あいつの周囲を陽炎と火の粉が舞い始める。
頭髪の色が変色していくにつれて、あいつの頭に搭載されたダガーの刀身のような形状の角が伸び始めた。歩兵に支給されるダガーを彷彿とさせる金属製の角の先端部も、あいつの頭髪と同じように赤く変色し始める。
前髪から覗くあいつの瞳も、炎を彷彿とさせる赤い瞳に変貌していった。まだ健在な左の義手と腰の後ろから伸びている金属製の尻尾も、フレームの部分が融解寸前のように赤く変色し始める。
「あの姿は………」
見たことはないが、知っている。
多分、俺たちのオリジナルの遺伝子から生まれたホムンクルス兵の頭の中には、その記憶が予めインプットされているのだろう。だから、実際にその人物と会ったことはないが、その人物の事はよく知っている。
タクヤ・ハヤカワの父親であり、モリガンの傭兵たちを率いていた――――――リキヤ・ハヤカワ。
この世界で初めて生まれたキメラであり、転生者たちを絶滅寸前まで追い込んだ”滅びの使徒”。
切り札を使ったことによって身体中が真っ赤に染まった力也の姿は、リキヤ・ハヤカワに瓜二つだったのだ。
殺したくて、たまらない。
融解する寸前の金属のように真っ赤に染まった義手からナイフを展開しつつ、同じく真っ赤になった尻尾を伸ばして、ホルスターの中からルガーP08ネイビーを引き抜く。右腕は破壊されてしまったのでもう使えないが、今のところは問題ないだろう。
普段ならば杖を使わなければ歩けなくなってしまうが、今ならば片腕が吹っ飛んでも全く問題ない。
《リミッター解除を確認。キメラ細胞、活性化限界》
目の前に数秒間だけメッセージが表示され、すぐに消えた。
息を吐きながら、俺の姿を見て怯えている美海を睨みつける。彼女はぶるぶると震えながら小型の杖を握り締め、「な、何よ、その姿………!」と言いながら杖をこっちに向けた。
ああ、殺したい。
ぶち殺してやりたい。
この爪でバラバラにしてやりたい。
身体中の骨を引っこ抜いてやりたい。
手足を切断してやりたい。
内臓を全部粉砕してやりたい。
身体中を焼き尽くしてやりたい。
巨大な金槌で叩き潰してやりたい。
惨殺してやりたい。
そうすれば、明日花が喜ぶから。
お前たちに絶望させられ、無残に死んでいった唯一の家族が喜んでくれるから。
「ふふっ…………ひゃははははっ…………!」
ちらりと隣を見た。いつの間にか俺の隣には、血まみれの服に身を包んだ明日花がいる。隣に立っている最愛の妹はまるで楽しみにしていた映画を見る時のようにニコニコと微笑みながら、俺の顔を見上げた。
ああ、お前も楽しみだろう?
俺も楽しみだ。あいつを無残に殺してやる瞬間が楽しみだ。
待ってろ、明日花。
どんなに濃いモザイクでも修正できないくらい、無残に殺すから。
「―――――――ヒャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!」
「ッ!」
笑いながら姿勢を低くし、美海に向かって真正面から突撃する。彼女との戦闘で右腕を吹き飛ばされている状態だというのに、右腕を破壊されたことによる悪影響は全くない。むしろ、先ほどの先頭の時よりも、自分のスピードが上がっているような気がしてしまう。
いや、上がっている。
爆発的に向上している!
「こ、来ないでよぉッ!!」
怯えながら、美海が杖の先端部から炎の球体を放ってくる。初歩的な魔術であるファイアーボールだ。大半の魔術師が最初に習得する魔術であり、それほど威力は高くないと言われているが、彼女が生成したファイアーボールは戦車砲の徹甲弾みたいなサイズだし、弾速も従来のファイアーボールよりもかなり速い。
だが――――――俺はそのファイアーボールたちを、あっさりと回避していた。
「!?」
「ヒャハハッ!」
弾道が見えるわけではないが、弾道が”分かる”。
どうすれば命中しないのか、瞬時に理解できる。そして殆どタイムラグがない状態で、身体を動かして回避できる。
身体を右に大きく傾けてファイアーボールを回避し、すぐに横へとジャンプして後続の攻撃を回避する。床に着弾したファイアーボールが生み出す爆風を使って更に加速し、矢継ぎ早に放たれたファイアーボールのすぐ脇を通過して肉薄する。
「な、何で当たらないのッ!? 今のあんたの身体能力は常人と変わらない筈でしょ!?」
そう、先ほどまでの俺の身体能力は常人と同じだ。
再起動させた端末のデータが破損していたせいで、レベルが上がらないのだ。転生者はレベルが上がらなければステータスは上がらないため、実質的に俺の身体能力は転生者ではない普通の人間と殆ど変わらないのである。
だが、今の動きは、まるで転生者を何人もぶち殺してレベルを限界まで上げた転生者のような動きだった。
こんな動きができるようになった理由は、先ほど心臓の安全ピンを引っこ抜き、切り札を発動したからだった。
あの安全ピンは、フィオナ博士によって一部が機械に改造された俺の心臓に直接繋がっている。その安全ピンを外されることによって、心臓に搭載されている制御装置のスイッチが入り、体内に移植された”キメラ細胞”が目覚めるのである。
目を覚まして瞬時に活性化したキメラ細胞たちは、身体中へと移動して一時的にキメラと同等の能力を与えてくれる。機械の部品に交換されずに済んだ部位だけでなく、義手や義足にまで移動し、肉や皮膚だけでなく機械の部品まで変異させてしまうのだ。
活性化したキメラ細胞たちによって身体能力を限界まで底上げさせられることによって――――――俺の転生者のステータスは、一時的に”全てのステータスがカンストした状態”にまで高められる。
つまり、今の俺はレベル9999の転生者と同じ強さということだ。
いや、端末の能力に殆ど頼らずに戦わざるを得なかったから、その経験も加えればそれ以上の強さと言っていいだろう。端末に頼り切っている典型的な転生者と一緒にされるのは嫌だからな。
姿勢を低くしながら肉薄し、指先からナイフを展開した義手を美海に向かって振り上げる。やはり高密度の魔力の防壁が猛烈なスパークを発して美海を守ったが、攻撃力まで劇的に向上した事によって大量の魔力を消費してしまったのか、美海が片手で胸元を押さえながら歯を食いしばる。
魔力で形成された防壁は、攻撃を弾く瞬間に魔力を消費する。どれほどの量を消費するのかは個人差があるというが、基本的には敵の攻撃力が高ければ高いほど大量の魔力を消費することになるという。
脂汗が浮かんでくるほどならば、今の一撃で一気に魔力を奪われたことを意味する。
ニヤリと笑いながら、瞬時にナイフを収納して防壁を左の義手でぶん殴る。溶けかけの金属のように真っ赤に染まった拳が魔力の防壁を直撃し、何度もスパークが周囲を照らす。甲高い音を響かせながら拳が弾き飛ばされるが、お構いなしに何度も殴る。
「いやっ、やめて………離れてよぉっ!」
叫びながら、美海が杖をこっちに向けた。先端部で形成された風の砲弾が至近距離で俺を直撃し、あっさりと後方へ吹き飛ばしてしまう。辛うじて残っていた会議室の机に激突して机の残骸や椅子を周囲に撒き散らし、壁に思い切り叩きつけられる羽目になった。
「力也ぁ!」
ジェイコブの叫び声を聞きながら、すぐに起き上がる。先ほど風の砲弾が命中した場所をチェックしてみるが、全く傷はついていない。至近距離で高圧の魔力が直撃した挙句、吹っ飛ばされて壁に叩きつけられたにもかかわらず、ダメージが全くないのである。
驚愕するジェイコブと美海を見てから、ニヤリと笑った。
「ヒャハハッ………おイオい、本気デ戦っテくレよ………!」
もっと抵抗しろ。
死にたくないと願いながら全力で戦え。
それを圧倒的な力で粉砕すれば、最高の絶望が出来上がるんだからよぉ!
尻尾で持っているルガーP08ネイビーを連射し、義手から伸びているナイフが床に接触して火花を散らすほど姿勢を低くして真正面から突っ込んでくる。美海は叫びながら様々な種類の魔術を放ってきた。ファイアーボールやウインドランチャーだけでなく、氷の槍も次々に連射してくる。
今度は回避せずに、真正面から突っ込んだ。炎の球体や風の砲弾が身体に命中し、氷の槍が胸板に突き刺さる。
肉の焦げる臭いや鮮血が周囲に舞い散るが、どういうわけか全く痛みは感じなかった。
身体を焼かれているのに痛くない。
身体を打ち据えられてイるのに痛クない。
身体ヲ穿たれテいルのに痛クナイ。
「ギャハハハハハハハハハハハハハハッ!」
殺したい。
殺したくてたまらない。
明日花のために、あいつを殺したい。
そうすれば、明日花はきっと喜んでくれる。絶望しながら死んでいった明日花は満足してくれる。
身体中に氷の槍が突き刺さる。凍りかけた血が傷口から剥離して、火の粉と共に周囲を舞う。
弾切れになったルガーP08ネイビーを放り投げ、尻尾から伸びている3本の指からもナイフを展開する。その状態の尻尾を振り回して美海が放つ魔術を弾き飛ばしながら、左腕の義手に搭載されている小型フィオナ機関で限界まで加圧した魔力を生成する。
《警告。魔力加圧限界を超過。フィオナ機関、破損します》
加圧された魔力がフィオナ機関の外殻を破壊して、義手の外に漏れだした。フレームの隙間や戦闘で損傷して剥離した部分から緋色の魔力が漏れ出しているせいで、傍から見れば義手から出火しているように見えるだろう。
その魔力を、強引に指へと伝達する。指先から展開されていたナイフたちが高圧の魔力たちに包まれたかと思うと、魔力を纏ったナイフたちが燃え上がり、まるでロングソードの刀身のような長さへと成長していった。
《”レーザーブレード”発動》
リミッターを解除し、キメラ細胞を活性化させた状態でしか使えない装備だ。限界まで加圧した魔力を指に搭載されたナイフから噴射させ続けることで、防御不可能なほどの高温のブレードを生成し、敵を装甲もろとも強引に溶断する事ができる。
だが、これを使うためにはフィオナ機関が破損するほど暴走させる必要があるし、使った後は義手が融解してしまうので、義手そのものを使い捨てにする必要がある。
使用した際に破損する装備ばっかりだな、俺の装備は。
『ガァァァァァァァァァァァァァァッ!!』
普通に叫んだつもりだったのに、ドラゴンの咆哮のような声しか出せなくなった。
拙いな。もう普通に喋れない。
「い、嫌………! 助けて、三原く――――――――」
逃げようとする美海に、お構いなしにレーザーブレードを振り下ろした。
5本の指から伸びた緋色の閃光が彼女を守っていた魔力の防壁を強引に切り裂く。青白いスパークが消失したかと思うと、蒼い破片が周囲に飛び散り、美海が手にしていた杖が木っ端微塵に吹っ飛んだ。
魔力を使い果たすどころか、限界まで魔力を強制的に消費させられてしまったせいで杖が耐えられなくなったのだろう。
「ひっ………!」
杖を失った美海が、怯えながら拳銃を引き抜く。
彼女がトリガーを引くよりも先に、融解寸前の義手で左ストレートを17歳の女子の顔面に思い切り叩き込んだ。ボキッ、と鼻の骨がへし折れ、高熱の義手に付着した彼女の鼻血があっという間に蒸発していく。
思い切り顔面をぶん殴られた哀れな少女は、白目になった状態で後ろにあった机の残骸に激突すると、そのまま気を失ってしまった。
《キメラ細胞、活性限界を超過。不活性化を開始します》
ああ、丁度時間切れか………。
赤く染まっていた義手や頭髪が、まるで溶鉱炉で加熱されていた金属が水に放り込まれたかのように元の色へと戻っていく。先ほどまで心の中を支配していた殺意が薄れていき、身体から力が抜けていく。
けれども――――――復讐心だけは薄れなかった。
「力也! おい、しっかりしろ! 力也!!」
「ジェイ………コブ………」
駆け寄ってきたジェイコブが、エリクサーの入った注射器を持ってこっちへとやってきた。それを使わなければならないほど重傷を負ってしまったのかと思いながら自分の身体を見てみたが、予想以上に大量の傷を負っていてびっくりした。いたるところに火傷を負っているし、氷の槍に貫かれた傷口からは出血が始まっている。
無茶し過ぎた事を後悔しながら、相棒に言った。
「あいつ………殺すな………」
生け捕りにしてくれ。
彼にそう言ってから、俺は目を閉じた。




