アルカディウス浸透
「始まったな」
赤黒く変色していく空の中で爆沈するエレフィヌス級空中戦艦を見上げながら呟いた。火達磨になった装甲の破片や残骸を周囲に撒き散らし、動かなくなったエンジンと共に高度を落としていく空中戦艦の周囲を飛んでいるのはテンプル騎士団の航空隊だろうか。
マンホールの蓋を横へとずらし、後ろから上がってきたレジスタンスの兵士に手を貸して引っ張り上げる。後続の仲間たちが地下通路から這い上がっている間に、シモノフM1936を構えて周囲を確認した。
テンプル騎士団が9年前にタンプル搭を放棄してからは、クレイデリアはヴァルツ帝国の植民地と化した。本国からやってきた兵士の家族たちが、虐げられている人々のための理想郷だったクレイデリアに我が物顔で住み、逃げ遅れた人々を虐げながら9年間もここに居座っていたのだ。
あらゆる家や建物に飾られているヴァルツの国旗を睨みつけてから、仲間たちが地下通路から這い上がってきた事を確認する。
まず、最初に攻撃するのは司令部となっているアルカディウス市役所だ。そこを陥落させれば守備隊の一部は総崩れになるだろうし、市街地に突入してきた友軍の橋頭保としても活用できるだろう。そこを攻め落とした後は、後続の友軍と合流して補給を受け、クレイデリアの総司令部となっている国会議事堂を攻め落とす。
そこにいる転生者に”話を聞いてみたい”しな。
三原と勇者がどこにいるのかを。
仲間たちに合図を送った瞬間、屹立する建物の向こうで爆音が轟いた。橙色の閃光が一瞬だけ煌き、黒煙がゆっくりと噴き上がる。
建物のせいで分からないが、おそらくアルカディウスの周囲に配備された野砲で砲撃を始めたのだろう。高射砲ならば空中で砲弾が炸裂しているのが見える筈だが、赤黒い空の中で爆発しているのは撃墜された敵機や空中戦艦くらいだ。
既にアルカディウス上空の制空権はテンプル騎士団によって確保されつつある。上空に展開していたエレフィヌス級空中戦艦は火を噴き出しながら高度を落としているし、護衛の複葉機たちも圧倒的な火力と速度を兼ね備えたBf109やYak-9Tの編隊に蹴散らされ、壊滅寸前になっている。
当たり前のように複葉機を立て続けに撃墜し、爆炎を纏いながら飛び続ける1機のBf109を見上げながら、上空での戦いは問題ない事を確信する。
アーサー1がいるのだから。
「行くぞ、進軍開始」
野砲での砲撃が始まったという事は、射程距離内にテンプル騎士団の戦車部隊が接近しているという事を意味する。攻撃を得意とするテンプル騎士団ならば、首都の周囲に展開している守備隊をあっという間に突破してしまう筈だ。
シモノフM1936を抱えながら、爆音と銃声以外の物音が聞こえなくなってしまった市街地を駆け抜ける。プロパガンダのためのポスターが張られた洋服店の前を通過し、歩道に転がっている樽の上を飛び越える。
幸運なことに、住民たちは避難しているようだった。これならばもし敵の守備隊と遭遇して銃撃戦が始まったとしても、住民が銃撃戦に巻き込まれて死傷する事を考慮しながら戦う必要はない。とはいっても、そういう事をしっかりと考慮してやるのはクレイデリア人だけだ。ヴァルツからやってきたクソ野郎共の家族ならば、敵兵もろとも殺してやるべきだろう。
もちろん、女や子供だろうと。
「市役所まで2km」
「ルートは合ってるな?」
「はい」
スコープ付きのモシンナガンM1891/30を背負いながら、隣を走るエレナが淡々と答える。
戦闘用のホムンクルスとして調整を受けてから誕生したエレナに感情はない。俺の部下という事になっている彼女は、俺の質問や命令に淡々と答える。非常に合理的な兵士と言えるが――――――容姿が亡き妹に瓜二つだからなのか、かなり強烈な違和感を感じてしまう。
彼女が明日花じゃないという事は分かっている。タクヤ・ハヤカワの遺伝子に、俺の遺伝子を追加して調整を施したホムンクルスだ。
でも、出来るならば俺の事を昔みたいに『兄さん』と呼んでほしいと思ってしまう。
前世の世界で明日花と一緒に暮らしていた時の事を思い出すが、隣を走っていたエレナの淡々とした報告が、向こうの世界で生きていた頃の思い出を吹き飛ばした。
「魔力反応接近中。敵兵です。数は10名」
「散開」
仲間たちに指示を出し、近くにあった喫茶店の看板の陰に隠れる。
訓練を受けたスペツナズの兵士たちは素早く隠れていたが、それほど訓練を受けていないレジスタンスの兵士たちは、隠れるどころかそのための遮蔽物を探すことにもたついていた。素早く判断することになれていないのだ。
辛うじて全員が遮蔽物の陰に隠れた直後、ヴァルツ軍の制服に身を包んだ10名の兵士たちが大声で指示を出す指揮官らしき男性と共に、先ほどから轟音を発し続けている野砲の方へと走っていくのが見えた。侵攻してきたテンプル騎士団の部隊を迎撃するために最前線へと向かうのだろう。
きっと、最前線に逝った兵士たちはみんな戦死することになる筈だ。テンプル騎士団は捕虜を受け入れることはない。仮に受け入れたとしても、拷問で情報を吐かせた後は処刑するか、研究区画へと連れて行かれて人体実験に使われてしまう。
戦って敗北した時点で、彼らには悲惨な未来しかない。
彼らがもう来ないことを確認してから、仲間たちに向かって頷く。
「エレナ、市役所の北西部に回れ。建物の屋上に狙撃ポイントを確保し、無線で敵の位置を知らせろ」
「了解」
「エステル、エレナと一緒に行って補佐を」
「了解です」
後方にいた女性の兵士が、敬礼してから背負っていたモシンナガンM1891/30を取り出した。女性の兵士とは言っても、スペツナズの兵士は黒い制服を身に纏い、顔を黒いバラクラバ帽で隠したうえでフードやヘルメットをかぶるから、男性の兵士と女性の兵士を見分けるのは難しい。
エステルはエレナと共に俺たちの近くから離れると、大きな無線機を背負いながら姿勢を低くし、素早く路地へと向かって走っていった。
今しがたエレナと一緒に走っていったエステルは、赤き雷雨の第二分隊に所属する狙撃手だ。人員の増加の際に補充されて狙撃手となった女性のハイエルフの兵士で、狙撃の成績は今のところはスペツナズ内で第二位となっている。
隠れていた仲間たちに合図し、遮蔽物の陰から飛び出す。
幸運なことに、市街地には警備兵すらいなかった。普段ならば市内を警備している警備部隊の兵士たちも、テンプル騎士団の迎撃のために派遣されてしまっているのだろう。だから先ほどのように、時折市役所から最前線へと派遣されていく部隊にうっかり遭遇し、市役所に到着する前に銃撃戦を始めてしまわないように注意していればいい。
猛禽の絶叫にも似た甲高い音を響かせながら、爆弾やロケット弾を搭載したF4Uコルセアたちが急降下してくる。建物の屋上に設置された対空機関銃に向かって機銃掃射をお見舞いしたり、味方の戦車部隊を砲撃している野砲に向かって爆弾を投下してから、爆炎や敵兵の血で大地を真っ赤にした怪物たちは再び上昇していった。
本格的な空爆や機銃掃射が始まったという事は、もう制空権は確保されたという事だ。制空権の確保が早過ぎることに驚きながら赤黒い空を見上げてみると、もう既に全ての空中戦艦や複葉機は撃墜されていて、Yak-9Tの編隊やBf109の編隊たちが我が物顔でアルカディウス上空を飛び回りながら、抵抗するために出撃した複葉機を袋叩きにしていた。
昨日を停止した信号機の真下で、乗り捨てられた魔力式の車の陰に隠れながら交差点の向こうを確認する。相変わらずアルカディウスの大通りは閑散としていて、灯りのついている建物は見受けられない。不運なことに先ほどの空戦で撃墜された複葉機が突っ込んだせいで炎上している建物もあるが、それ以外の光源はまだ空に居座る夕日くらいである。
暗視ゴーグルが欲しいところだ、と思いながら味方に合図を送り、敵兵がいないことを確認する。
大通りの向こうには、やけに立派な建物があった。真っ白なレンガで造られた大きな建物だ。アルカディウスの建物が伝統的な建築様式の建物ではなく、簡易さと合理性を重視した産業革命以降のタイプの建物であるのに対し、その白い建物だけは、クレイデリア連邦がまだカルガニスタンと呼ばれていた頃の古い建築様式の建物である。
周囲には塀があり、門の近くには土嚢袋が積み上げられていた。バリケードの後方には接近してくる敵兵を砲撃するための野砲や重機関銃が設置されていて、それの砲手たちがライフルを背負いながら大通りの向こうを睨みつけている。
後続の味方に合図を送ってから立ち止まり、第二分隊の通信兵を呼ぶ。彼から無線機を受け取ってから、もう既に市役所の周囲に狙撃ポイントを確保している筈のエレナを呼んだ。
「エレナ」
『はい』
「敵兵の人数は分かるか」
『庭の中に警備兵が30人ほど。塀の外には野砲や重機関銃が配備されていますが、南側は手薄なようです。重機関銃くらいしか見当たりません』
「了解だ、南側から攻める。お前たちはどこにいる?」
『北東部の4階建ての建物にいます。ベランダに狙撃ポイントを確保しました』
ちらりと北東部にある高い建物の方を見てみると、確かに放置された洗濯物が揺らめいているベランダに、2人の狙撃手がいるのが分かった。狙撃用のライフルだけでなく、大型の無線機を背負いながら4回まで上がるのは少しばかり疲れたに違いない。
エステルの方はそう思うだろうな。エレナはそんな事を考えられないように造られているが。
仲間を連れて素早く南側へと移動する。確かに、南側にある門には土嚢袋と重機関銃くらいしか見当たらなかった。
なぜならば、南側は狭い通路になっているからだ。歩兵は入って来れるだろうが、戦車は周囲の建物を吹っ飛ばさなければ入ってくることはできないため、対人用の重機関銃くらいで十分だと判断されたのだろう。
警備兵はいるが、たった2名だけだ。戦車が入ってこれないほど狭い場所だからなのか、ここの警備は他の方角の警備よりも重視されていないらしい。
仲間たちに合図し、静かに前進しながらラウラフィールドを発動する。義手の中に内蔵された小型フィオナ機関とラウラ・デバイスが氷の粒子を生成して放出し、俺の周囲に展開することで疑似的な光学迷彩を発動させる。
敵兵に接近しながら肩のホルダーへ指を伸ばし、投げナイフ――――――義手に内蔵されているナイフと同じデザインだ―――――――を1本引き抜きつつ、左手の指に折り畳まれているナイフを展開する。
ライフルを抱えた警備兵は、すぐ近くに”ウェーダンの悪魔”がいることに全く気付いていない。
ニヤリと笑いながら、近くにいる警備兵の喉元に向かって左手の”爪”を突き出した。通常の人間の指よりも長くなった第一関節から先に折り畳まれていたナイフが、あっさりと敵兵の喉元を串刺しにしてしまう。傷口から溢れ出た鮮血と、何もない場所から牙を剥いた金属製の爪に串刺しにされた哀れな兵士が吐き出した鮮血が制服に付着するが、すぐにラウラ・デバイスがそれを察知して氷の粒子を展開し、付着した血痕すら上書きしてしまう。
断末魔さえ発する事ができずに動けなくなっていく敵兵を串刺しにしたまま、隣に立っているもう1人の敵兵に向かって右手の投げナイフを投擲した。ぐるぐると回転しながら飛んだナイフは、正確に敵兵のこめかみを直撃して頭蓋骨を貫通し、脳味噌を斬りつけてしまう。
がくん、と上半身を揺らし、もう1人の警備兵は崩れ落ちた。爪で喉元を串刺しにされている兵士から義手のナイフを引き抜くと、動かなくなってしまったその兵士も崩れ落ち、石畳を真っ赤に染める。
「コレット」
ラウラフィールドを解除しつつコレットを呼ぶと、彼女は素早く門の鍵を開けた。極力金属音を響かせないように静かに門を開けた彼女は、小声で「どうぞ」と言ってから水平二連型のショットガンを構え、俺の後について来る。
彼女はアナリア出身らしいが、アナリアで何をやっていたんだろうか。泥棒をやっていたわけではない筈だが、随分と鍵を開けるのが得意らしい。
レジスタンスの兵士たちも連れて、南側の門から市役所の庭へと突入する。エレナからの報告では、ここを警備しているのはたった30人の警備兵だけだという。もちろん建物の中にはもっといるかもしれないが、司令部を警備するには最低限の兵力としか言いようがない。
しかも、敵軍はテンプル騎士団陸軍や空軍へと応戦する事を優先しており、司令部の敷地内に今しがた特殊部隊とレジスタンスが突入したということに全くと言っていいほど気付いていない。
もう、隠密行動は終わりだ。
派手にやれ、と仲間たちに合図を送ってから、俺もシモノフM1936を構え――――――腰にサーベルを下げた警備兵の指揮官らしき男へと、7.62mm弾をプレゼントした。




