暴君の車輪
「戦艦ボルドマルツ、爆沈!」
「巡洋艦リナイドリッヒ、航行不能!」
「戦艦マリツドルフ、大破! 戦線を離脱します!」
エルヴィン・リンデマン提督が指揮するテンプル騎士団機動艦隊から飛び立った航空機の襲撃を受けたヴァルツ帝国第三主力艦隊の艦艇たちは、爆弾や魚雷を次々に叩き込まれ、火柱や水柱を纏いながら次々に海の藻屑と化していた。
二の次にされていた対空用の機銃を撃ち続けていた前弩級戦艦の前部甲板にSBDドーントレスが投下した爆弾が立て続けに3発も命中し、前部甲板に搭載されていた主砲の砲塔が千切れ飛ぶ。砲弾に充填する予定だった高圧の魔力が暴発したのか、前部甲板の大穴から緑色の光が一瞬だけ漏れ出たかと思うと、爆弾の集中攻撃を受けたその戦艦は大爆発を起こし、桜色の海へと沈んでいく。
もう既に、戦艦や巡洋艦が9隻も撃沈されていた。
200隻以上の艦隊で構成されている主力艦隊からすればそれほど大きな損害とは言えない。だが、旗艦の艦橋で航空機に蹂躙される味方艦たちを見ている提督たちは、容易く戦艦や巡洋艦を轟沈させていく艦載機隊を見つめながら凍り付いていた。
もしこのまま海峡の中に居座っていれば、補給を終えた艦載機たちに嬲り殺しにされる。
観測データを送信すれば虎の子のガルゴニス砲に支援砲撃を要請することは可能だ。だが、それを艦載機に使うのはオーバーキルとしか言いようがないし、艦載機は艦艇よりも極めて高い機動力があるため、そもそもガルゴニス砲を命中させることは不可能である。
「艦長、ソナーに感あり! て、敵の潜水艦です!!」
「なっ…………!」
驚愕しながら桜色の海原を振り向いた頃には、ソナーを担当する乗組員が「スクリュー音! 敵艦の魚雷です!」と叫んでいた。
ウィルバー海峡の中に居座る第三主力艦隊に損害を与えるためにヴィンスキー提督が用意したのは、再編成されたばかりの機動艦隊だけではない。
帝国軍が配備しているガルゴニス砲が超高圧の魔力で生成された炎の激流を放つ要塞砲であるという事を知ったヴィンスキー提督は、世界中の海域に派遣されていたテンプル騎士団の全ての潜水艦をアナリア支部へと呼び出して潜水艦隊を編成し、ウィルバー海峡への攻撃に投入したのだ。
確かに、水上艦艇で海峡へと突入すればガルゴニス砲の餌食となる。しかし、潜航することが可能な潜水艦ならばガルゴニス砲の砲撃で撃沈されることは殆どない。さすがに浮上していれば撃沈されてしまうが、海面に着弾した際の水蒸気爆発による被害を受けないくらいの深度まで潜航していれば、ガルゴニス砲による砲撃は殆ど気にしなくていいのだ。
しかも、対潜用の爆雷を搭載した駆逐艦たちは、虎の子の戦艦たちに容赦なく魚雷や爆弾を叩き込んでいく航空機を必死に迎撃しており、輪形陣を離れて潜水艦を攻撃する余裕がない。ソナーと爆雷で潜水艦に牙を剥く駆逐艦に怯える必要がなくなった潜水艦の乗組員たちは、無慈悲に敵の大艦隊に向かって魚雷を放ち、戦艦を守る駆逐艦もろとも撃沈していく。
TBFアヴェンジャーの魚雷を回避しようとしていた巡洋艦の艦首に、潜水艦が放った魚雷が命中する。艦首を切断されてしまった巡洋艦の右舷にTBFアヴェンジャーの魚雷が直撃し、艦首を引き千切られた哀れな巡洋艦が傾斜していった。
「提督、このままでは………!」
「………」
提督も理解している。
このまま海峡の中に居座っていれば、爆弾や魚雷を搭載した艦載機が再び襲い掛かってくるという事を。
今の襲撃で撃沈された艦艇は合計で11隻。小さな損害だが、このような攻撃を何度も繰り返されれば大損害を被ることになるのは想像に難くない。ヴァルツ海軍の艦艇は対艦戦闘を想定した艦ばかりであり、対空戦闘は二の次だったのだから。
とは言っても、対空戦闘を二の次にするのは他の列強国も同じであった。この世界の航空機はまだ速度が遅い上に防御力もそれほど高くない。爆弾や機関銃も搭載できるが、あくまでも敵兵の群れや塹壕を攻撃するための兵器であり、戦艦に致命傷を与えられるような爆弾は大型の爆撃機にしか搭載する事ができない。
それゆえに、爆弾や魚雷を搭載した航空機に襲撃されることは殆どないため、対空戦闘は二の次にしても問題はなかったのだ。
しかも、海峡の中には既にテンプル騎士団の潜水艦が侵入しており、なけなしの機銃で弾幕を張っている艦隊に容赦なく魚雷を叩き込んでくるのである。輪形陣の外側に展開している駆逐艦を派遣すればすぐに爆雷で撃沈できるが、駆逐艦を輪形陣から離脱させれば弾幕が薄くなるため、そこから艦載機が突入してくるのが関の山である。
このまま海峡の中に展開していれば、あの艦載機や潜水艦たちに嬲り殺しにされてしまう。
だからと言って海峡の外へと出れば――――――ガルゴニス砲による支援砲撃を要請できるという大き過ぎるアドバンテージを捨てることになる。
ガルゴニス砲は艦載機や潜水艦を攻撃することはできないため、今の状況では無用の長物と言っていい。だが、そのアドバンテージを捨てれば、今度はジャック・ド・モレー率いる主力打撃艦隊との艦隊決戦に勝利することが難しくなる。
爆弾や魚雷を使い果たして撤退していく艦載機たちを睨みつけながら、提督は拳を握り締めた。
帰還したパイロットたちからの報告を聞いたエルヴィン・リンデマン提督は、黄金の頭髪の左右から突き出ている長い耳を撫でながら微笑んだ。
艦載機と潜水艦隊による先制攻撃で、戦艦6隻と巡洋艦5隻の撃沈に成功した。しかも、大破して戦線を離脱した敵艦も含めれば、敵艦隊は機動艦隊による先制攻撃で18隻も艦艇を失ったことになる。
200隻以上の大艦隊からすれば小さな損害だろうが、敵艦隊の指揮官は悟った筈だ。
このまま海峡に居座れば、全ての艦艇が海の藻屑と化すという事を。
(だが、まだ葛藤してる段階だろうな)
悟ったが、決断はできていない筈だ。
このまま海峡の中にいれば大損害を被るが、だからと言って海峡の外に出ればガルゴニス砲の射程距離外である。ガルゴニス砲の支援砲撃が無ければ、改修を受けて更に強力な戦艦へと変貌したジャック・ド・モレー級戦艦たちを食い止めることは不可能と言ってもいいだろう。
だから、ダメ押しが必要になる。
部下に犠牲を出させ、敵の指揮官に海峡からの脱出を決断させる。
そうすれば、主力打撃艦隊との艦隊決戦が始まる。海峡の中に居座ることを選ぶというのならば、このまま艦載機と潜水艦による攻撃を継続し、望み通りに海の藻屑にしてやればいい。
「イリナ・ブリスカヴィカに通達」
軍帽をかぶり直しながら、リンデマン提督はダメ押しを命じた。
「―――――――ただちに『パンジャンドラム・タイラント』を出撃させよ」
イリナ・ブリスカヴィカは、ナタリア・ブラスベルグ級空母の三番艦である。
だが、形状は他の同型艦と異なっている。ナタリア・ブラスベルグとカノン・セラス・レ・ドルレアンの艦橋は船体の右側――――――この2隻もやや形状が異なる―――――――に搭載されているのに対し、イリナ・ブリスカヴィカの艦橋は船体の左側に搭載されているのだ。
船体の右側からは、巨大な排気管のような配管が突き出ており、その配管は飛行甲板に搭載されている魔力カタパルトへと繋がっている。魔力カタパルトで使用した高圧魔力の残滓をそこから排出する必要があるため、艦橋の位置が左舷の艦首側へと変更されているのだ。
そのカタパルトで射出することになるのは――――――艦載機ではない。
他の同型艦よりも巨大なエレベーターで飛行甲板へと運ばれてきた代物を見つめながら、イリナ・ブリスカヴィカの指揮を執るアレクセイ艦長は微笑んだ。
エレベーターからカタパルトへと移動していく物体は、傍から見れば巨大な鋼鉄の車輪のようにも見えた。直径は10mほどであり、側面には無数のロケットモーターが搭載されている。軸の部分にぎっしりと搭載されているのは、金属製の菱形のコンテナだ。
カタパルトへと運ばれている車輪のような物体は、『パンジャンドラム・タイラント』と名付けられたテンプル騎士団の決戦兵器であった。9年前のタンプル搭陥落の際に研究区画から辛うじて持ち出した古代文明の技術のデータと、テンプル騎士団創設時から採用されていた”パンジャンドラム”と呼ばれる兵器を組み合わせて建造された兵器である。
やがて、格納庫から無数のロケット弾を束ねたような形状のブースターが姿を現した。オークの整備兵たちがそれをカタパルトまで押していったかと思うと、それを車輪の外側に装着し、配線を接続する。
「アレクセイ艦長、ブースターの装着が完了しました」
「よろしい、整備兵の退避が完了次第秒読みを開始せよ」
他の整備兵たちも、大慌てで飛行甲板から退避していく。ツナギ姿の整備兵たちが艦内へと退避したのを確認した副長は、首に下げていた鍵を取り出して艦橋の中央にある鍵穴の前に立ち、艦長に向かって首を縦に振ってから鍵をそのカギ穴へと差し込んだ。
「安全装置解除」
「安全装置の解除を確認。魔力ブースター、起動」
車輪の外側に装着されたブースターのノズルの後部に一瞬だけ魔法陣が形成されたかと思いきや、ノズルから高圧の魔力で形成された緑色の炎を噴射する。
轟音と甲板が軋む音を聞きながら、艦橋にいる乗組員たちは淡々と秒読みを開始した。
「魔力加圧、現在700メガメルフへ到達」
「カタパルト、安全装置解除」
「10、9、8、7、6、5、4、3、2、1―――――――パンジャンドラム・タイラント、投射開始!」
次の瞬間、甲板の上に屹立していた鋼鉄の車輪が動き始めた。魔力カタパルトが飛行甲板の上に火花を撒き散らしながら、ブースターやロケットモーターをこれでもかというほど装着された直径10mの車輪をスキージャンプ甲板へと押し出していく。
巨大な車輪が、まるで空母から飛び立った航空機のように空へと舞い上がる。緑色の焔と魔力の残滓で形成された白煙を青空に刻み付けながら飛び立った暴君は、そのまま加速しながらウィルバー海峡の方向へと飛び去っていった。
「魔力ブースター、魔力残量なし。切り離します」
「了解、ロケットモーター点火します」
乗組員がそう言いながら魔法陣をタッチする。
すると、今度は車輪の側面に装着されていたロケットモーターたちが起動し、紅蓮の炎を噴射し始めた。航空機のように飛び立ったパンジャンドラム・タイラントは瞬く間にぐるぐると縦に回転を始め、天空を転がる車輪と化す。
魔力を使い果たした魔力ブースターは、高速回転を始めたパンジャンドラムの遠心力によって強制的に引き千切られ、そのまま海へと落下していった。
「行け、暴君よ………!」
アレクセイ艦長は飛び立った鋼鉄の車輪に向かって敬礼してから、涙を拭い去った。
「提督、また何かが接近してきます」
「くっ、また敵機か!?」
ボートや駆逐艦に救助される味方の艦の乗組員たちを見守っていた提督は、見張り員の報告を聞いてぎょっとしながら双眼鏡を覗き込んだ。
双眼鏡の向こうには、一番最初に艦隊に襲い掛かった艦載機の編隊は見当たらない。
しかし――――――ウィルバー海峡の上空を、奇妙な物体が飛行していた。
(なんだあれは………?)
艦隊へと接近してくるのは、火を噴きながら高速回転している金属製の車輪にも似た物体だ。側面にはロケットモーターらしき部品がびっしりと取り付けられており、ロケットモーターから噴出する真紅の炎が火の粉と陽炎を生み出している。
車輪の軸の部分に搭載されているのは、テンプル騎士団で正式採用されている蒼と黒の洋上迷彩で塗装された菱形のコンテナたちだった。コンテナの直径は3mほどだろうか。腕力のある数名の兵士さえ用意できれば、人力で運搬できそうなサイズである。
次の瞬間、まるで遠心力によって突き放されたかのように、軸に取り付けられていたそのコンテナたちが剥がれ落ち始めた。車輪の側面で火を噴いていたロケットモーターたちも燃料が底を突いたのか、噴射されている炎は既に弱々しくなっており、車輪が高度を落とし始めている。
やがて、コンテナが落下しながら空中分解し――――――小型の車輪の群れを、よりにもよってヴァルツ艦隊の輪形陣の真上へとばら撒いた。
「!!」
コンテナから躍り出たのは、直径2.5mほどの小型の車輪たちだった。車輪の部分には標的に突き刺すための杭のような部位がいくつも取り付けられており、側面には小型のロケットモーターがいくつか搭載されている。
他の艦の艦長たちは既にそれが危険な兵器だという事を悟ったのか、提督が命令を下すよりも先に自分の艦の乗組員に対空射撃を命じたらしく、輪形陣を構成する数隻の艦が独断で弾幕を張り始めた。陸軍で採用されている水冷式の機関銃をいくつか束ねた対空機銃が火を噴くが、鋼鉄の車輪たちは7.83mm弾を容易く弾き飛ばしながら輪形陣を突破すると、弾幕を張っていた巡洋艦の船体にめり込んだ。
海峡に大きな金属音が響き渡ったと思いきや、巡洋艦の装甲に突き刺さった車輪が爆発し、巡洋艦の船体が真っ二つになってしまう。
「なっ…………!」
「ぜ、全艦対空戦闘開始! 弾幕を張るんだ!!」
落下していく大型の車輪から分離したコンテナから、次々に小型の車輪が生れ落ちる。
剥離したコンテナから躍り出た小型の車輪たちは、ヴァルツ帝国海軍の艦艇に採用されているフィオナ機関の魔力の反応を検知すると、必死に弾幕を張る戦艦や巡洋艦たちの船体へと次々に落下して起爆し、主力艦隊の艦艇たちを次々に粉砕していった。
パンジャンドラム・タイラントは、テンプル騎士団海軍よりも物量で勝っている帝国軍の艦隊を撃滅するために開発された”特攻兵器”である。高出力の魔力ブースターと魔力カタパルトを使って空母から射出し、魔力を使い果たしたブースターを遠心力で切り離してから、標的の艦隊の上空で小型の対艦パンジャンドラムを搭載したコンテナを切り離して特攻を行うのだ。
対艦パンジャンドラムには魔力の反応を検知するためのセンサーが搭載されており、艦艇の機関部で稼働しているフィオナ機関が発する魔力の反応へと向かって突撃する仕組みとなっている。破壊力は40cm砲の砲弾と同等であるため、超弩級戦艦ですら致命傷になる恐るべき兵器だ。
欠点は、非常に重い車輪を射出するために魔力カタパルトとブースターを用意しなければならない事と、これを運用するためだけに貴重な空母を専用の母艦に改造する必要がある事だろう。これを運用するために、イリナ・ブリスカヴィカは他の同型艦と異なる形状になってしまったのである。
更に、このパンジャンドラムに搭載されているセンサーはまだ未完成であり、敵と味方を区別する事ができないという大きな問題点がある。つまり、投入する前に味方の艦艇を撤退させなければ、敵艦隊だけでなく味方の艦艇にも直径2.5mの車輪が突っ込んできて自爆するというわけだ。
恐るべき鋼鉄の車輪たちによる襲撃を受けたヴァルツ帝国第三主力艦隊の輪形陣は、段々と崩壊を始めていた。
このシーンが書きたかった(錯乱)




