表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
105/744

魔王の買い物 後編


 様々な動物のぬいぐるみやヘアピンなどが並んでいる雑貨店の店内は、映画の広告の音声や買い物客の声で騒がしかった大通りとは打って変わって静かだった。別の棚にある商品を眺めている買い物客の足音や、カウンターの方に置かれているラジオが発する音楽しか聞こえない。


 店に入ったセシリアは、ドアに取り付けられているベルの音が消えるよりも先にぬいぐるみが並ぶ棚へと向かって歩き始めていた。店はそれほど大きくないんだが、販売されている商品のサイズがそれほど大きくないからなのか、予想以上に品揃えが豊富だった。ヘアピンの棚の中には、倭国から仕入れた商品なのか、簪も並んでいるのが見える。


 ヘアピンと一緒に並んでいる簪を見つめている内に、真っ先にぬいぐるみが並んでいる棚の前に立ったセシリアは売られているぬいぐるみたちを見つめながら目を輝かせていた。販売されているぬいぐるみはセシリアの部屋にあったウサギのぬいぐるみと比べると小さいが、デザインは可愛らしいと思う。


 セシリアの隣で俺もぬいぐるみを見下ろす。犬とか猫のぬいぐるみだけでなく、現在では絶滅危惧種になっている魔物たちのぬいぐるみもあった。草原で冒険者や商人を頻繁に襲う事で恐れられていたゴブリンやゴーレムはやけに可愛らしいデザインにされていたし、数多の冒険者が餌食になったドラゴンも同じく可愛らしいぬいぐるみと化している。


 そのドラゴンの隣に置かれている少し大きなぬいぐるみは、サラマンダーのぬいぐるみだった。


 戦闘力だけであれば神々が創り上げたエンシェントドラゴンにも匹敵すると言われていた、炎属性のドラゴンである。セシリアたちの体内にある魔物の遺伝子もこのサラマンダーの遺伝子であり、ハヤカワ家のキメラたちはサラマンダーの極めて硬い外殻と炎属性の魔力を自由に操る事ができる強力な兵士というわけだ。


 キメラは、”歩兵サイズの戦車”なのである。


 頭から大剣のような角が生えているサラマンダーのぬいぐるみを拾い上げてまじまじと見つめていると、隣でライオンのぬいぐるみを見つめていたセシリアが微笑みながらこっちを向いた。


「なあ、このぬいぐるみはどう思う?」


「ライオンか。ボスの部屋にいる可愛いウサギさんが喰われないか心配だ」


「ふふっ、そんな事はさせないさ。我らの組織のように共存させてやる」


「そりゃ安心だ」


 ライオンを棚の上に置いてから、今度は狐のぬいぐるみを拾い上げるセシリア。そのぬいぐるみを見つめながら、俺はニヤリと笑う。


「それも気に入ったのか?」


「うむ、可愛いではないか」


「じゃあ、油揚げを横取りされないように気を付けな」


「な、なにぃっ!?」


 油揚げが大好物だからな、どっちも。


「そ、それは困る…………でも可愛いし…………」


 顔を赤くしながら、魔王セシリアは可愛らしい狐のぬいぐるみを凝視した。


 普段は黒い軍服に身を包んで、腰に刀と法螺貝を下げ、背中に銃剣付きのボルトアクションライフルを背負って最前線で兵士たちを指揮しながら戦う女傑が、雑貨店で売られている可愛らしいデザインのぬいぐるみを見つめながら顔を赤くしているのは、かなり強烈な違和感を感じてしまう。


 でも、戦争さえなければきっと違和感を感じることはなかったのだろう。彼女の左目を覆っている黒い眼帯や、その縁から覗く大きな古傷の端もなく、あの眼帯の代わりに右目と同じく紫色の美しい瞳があったに違いない。


 楽しそうなセシリアを見つめながらそんな事を考えている間に、いつの間にか彼女はぬいぐるみをいくつか抱え、微笑みながら俺の顔を見上げていた。彼女の華奢な白い手が抱えているのは、犬、猫、熊、狐、ドラゴンのぬいぐるみである。


 結局狐も買うのか。


「力也、この中だったらどれが一番可愛いと思う?」


「全部だな」


 財布の中にはたっぷりと銀貨がある。この棚にあるぬいぐるみを全部容易く買い占める事ができるだろう。とはいっても、キャメロットにある部屋は元々は1人用の狭い部屋なので、ぬいぐるみを買い占めてしまったら狭い部屋が更に狭くなってしまうが。


 目を丸くしている彼女を見てニヤリと笑いながら、サラマンダーのぬいぐるみを拾い上げた。


「こいつも仲間に入れてあげよう」


「うむ、いっぱいいる方がぬいぐるみたちも喜ぶな。ふふふっ、今夜から賑やかになるぞ♪」


 今夜から更に部屋が狭くなるぞ。


 彼女が抱えていたぬいぐるみを預かりながら苦笑いしつつ、片方の手で彼女の手を握る。この雑貨店のカウンターはどこだろうかと思いながらきょろきょろと棚の列を見渡していると、隅にある懐中時計の棚の近くにいた黒髪の女性がこっちの方をじっと見ていた。


 目が合った直後、その女性はぎょっとしながら懐中時計を手に取り、棚の陰へと歩いて行ってしまう。


 誰だ………?


 普通の客ではないような気がする。ただ単に懐中時計を見ていたのかもしれないけれど、なぜ目を合わせた途端に棚の陰に隠れたのだろうか?


 大使館で目にした命令書を思い出しながら、目を細める。大使館の命令書の中には、アナリアが宣戦布告した後も一部の職員を極秘裏にアナリア国内へと残し、大統領を暗殺させるように要請する命令書もあった。ヴァルツの連中は、もう既にアナリア合衆国の中に工作員というウイルスを潜伏させているのだ。


 その気になれば、ターゲットを大統領からテンプル騎士団の団長に切り替えることもできるだろう。いくらハヤカワ家の遺伝子を受け継いだ純血のキメラとはいえ、不意打ちで暗殺されればひとたまりもない。


 懐からウェブリー=フォスベリー・オートマチックリボルバーを引き抜く準備をしながら、セシリアの手を引いてカウンターの方へと向かった。もちろん、彼女の手を引いたままでリボルバーを引き抜くためには、セシリアには悪いが彼女の気に入っている可愛いぬいぐるみたちを投げ捨てる羽目になるが。


 目が合ってしまったからなのか、その不審な人物は姿を現さなかった。


「どうしたのだ?」


「…………いや、何でもない。それより、このぬいぐるみは全部プレゼントするよ」


「ふふっ、ありがとうっ♪」


 もう一度ちらりとさっきの棚の方を見てから、俺はセシリアと共にカウンターの方へと向かうのだった。











 あ、危なかったわ………!


 さすがスペツナズの隊長ね。私が尾行していた事に気付いたというの?


 棚の陰に隠れながら別の棚の陰へと移動し、そこからちらりと顔を出す。力也くんは右手にぬいぐるみを6つも抱え、左手でセシリアの右手をぎゅっと握りながらカウンターの方へと向かっていた。傍から見れば歳の近い兄にぬいぐるみを買ってもらって大喜びする妹に見える。


 私はあの子のお姉ちゃんなんですけど。


 乱入してぬいぐるみをプレゼントしてあげるべきかしらと思いながら、サングラスをかけたままカウンターの店員にぬいぐるみを差し出す力也くん。カウンターの向こうで休憩していたエルフの女性の店員さんはギャングの幹部とボスが買い物にやってきたと勘違いしているのか、力也くんを見て怯えながらぬいぐるみを袋に入れて彼に差し出している。


 サングラスを取ればいいんだけど、彼は”第零部隊(存在しない部隊)”の隊長だから、第三者に素顔を見られることは極力避けることが好ましい。でも、顔を見られるわけにいかないからといってバラクラバ帽をかぶらせたら、ギャングの幹部から銀行強盗になり下がっちゃうわね。


 袋を受け取った彼は、まだ怯えているエルフの店員さんにお礼を言ってから、ぬいぐるみが6つも入っている袋の中身をセシリアに見せた。すると、セシリアはその中に入っていた狐のぬいぐるみを拾い上げて大喜びしながら、彼の大きな手をぎゅっと握ってスキップする。


 喜んでいる最愛の妹を見つめながら、私は息を吐いた。


 どうやら、セシリアは力也くんと一緒にいる時が幸せみたいね………。


 さっきの棚に懐中時計を戻し、2人が店から遠ざかっていくのを確認してから、私も雑貨店を後にした。ドアの外に出た途端に喧しい広告の音声が響き渡り、ビルの上から飛行機のエンジン音が轟く。


 セシリアのパートナーに相応しいのは、強い男なのではない。


 戦争と復讐心で壊れつつある彼女の心を守り、幸せにできる男。


 力也くんもセシリアや私と同じく復讐を誓った人だけど―――――――セシリアを幸せにできる男なのかもしれない。


 彼女に相応しいのかも。


 はしゃいでいるセシリアの手を引きながら映画館の方へと歩いていく力也くんを見つめながら、微笑んだ。


 認めてあげるわ、力也くん。


 セシリアをよろしくね。












 アナリア支部に停泊している最中も、俺たちはキャメロット艦内にある部屋で過ごすことになっている。アナリア支部はテンプル騎士団が保有する数少ない拠点のうちの1つなのだが、本部や他の支部と比べるとそれほど大きな支部ではなく、本部の生存者の分の部屋まで用意することはできないため、停泊している最中も1人用の狭い部屋で暮らさなければならない。


 その狭い1人用の部屋が、更に狭くなっていた。


 買ってきたぬいぐるみをテーブルの上に置きながら、ベッドの方を凝視する。


 部屋が狭くなったように見える原因は、当たり前だが買ってきたぬいぐるみではない。窓際に置かれている1人用のベッドが、少しばかり大きくなっているのだ。そのせいで空いているスペースは部屋の半分くらいになってしまっている。


 既にシャワーを済ませてきたらしく、ベッドの上ではパジャマ姿のサクヤさんが横になりながらラノベを読んでいた。


「姉さん、ベッドが大きくなっているような気がするのだが」


「ええ。さっきホムンクルスの子に手伝ってもらってベッドを変えたの。これでゆっくり寝れるでしょう?」


 はい、キメラ姉妹はぐっすり眠れますね。


 溜息をつきながら、更に狭くなった床を見下ろした。今夜からは更に狭くなった床の上に寝袋を置き、セシリアの寝相の餌食にならないようにしながら眠らなければならないらしい。


 サクヤさんは俺がセシリアと2人きりで買い物に行ったから不機嫌なのだろうか。ちらりとベッドの上でラノベを読んでいるサクヤさんの方を見てみるが、不機嫌そうな様子はない。


 ぬいぐるみをテーブルの上に並べてから、部屋の隅に置いてある寝袋を広げて準備をする。すると、ラノベを読んでいたサクヤさんが微笑みながら言った。


「あ、今夜から寝袋の使用は禁止ね」


「えぇ!?」


 何で!? セシリアと2人きりで買い物に行ったからか!?


 呆然としながら、広げた寝袋を再び畳んで部屋の隅に置く。キャメロットの部屋の床は木製なので、当たり前だがかなり冷たい上に硬い。寝袋と使わなければ眠るのは難しいだろう。


 すると、狐のぬいぐるみを眺めていたセシリアが腕を組みながら言った。


「姉さん、さすがにそれは力也が可哀想だろう?」


「あら、何のためにベッドを大きくしたと思ってるのかしら?」


「「え?」」


 読んでいたラノベに栞を挟み、微笑みながらこっちを振り向くサクヤさん。よく見ると、ベッドの上には3人分の枕が用意されているのが見える。そのうちの一つは他の二つとやけに距離が離されているが。


 寝袋ではなく、ベッドで寝ろという事なのか?


 先ほど感じていた絶望に亀裂が生まれ、その亀裂から濃密な希望が溢れ出す。乗っている兵士たちが全員ベッドで眠る事ができるほど居住性を重視しているキャメロットに乗っているというのに、寝袋で眠るのはかなり理不尽だからな。


「ありがとうございます、副団長!」


「かっ、勘違いしないでよ? ほんの少しだけあなたを認めてあげただけなんだから」


 顔を赤くしながらそう言ったサクヤさんは、先ほど閉じたラノベを開いて栞を開くと、再びベッドに横になりながらラノベを読み始めた。












「勇者様、アナリアが帝国に宣戦布告しました」


 ローラント中将が報告した瞬間、コーヒーを口へと運ぼうとしていた勇者の手がぴたりと止まった。


 アナリア合衆国が連合国軍に参加することは、既に帝国軍の上層部も予測していた事だ。秘書や副官からこの報告を聞いた将校たちは、顔を蒼くしながら世界地図を見つめることになっているに違いない。


 しかし、勇者はコーヒーを口へと運んでから嗤った。


「予想通りだな。宣戦布告の原因は?」


「はい。我が国の大使館に保管されていた命令書の内容を、”どういうわけか”合衆国の政府に知られてしまったようです」


「そうか………」


 カップをテーブルの上に置いてから、勇者は敵の勢力圏を意味する赤色で大半が塗り潰された世界地図を見つめた。かつてはヴァルツ帝国の版図だった領土も、進撃してくる西部戦線の連合国軍によって削り取られつつある。東部戦線では持ちこたえているようだが、消耗戦が続いていた。


 このままでは、帝国は負ける。


 軍隊は解体され、連合国から極めて高額の賠償金を支払わさせられることになるだろう。そんな事になれば、民間人どころか軍人まで貧しい生活をすることになる。かつては列強国であった偉大なるヴァルツ帝国が、連合国軍の植民地と化すのだ。


 ――――――勇者は、それを望んでいた。


 帝国を支配する皇帝がいなくなれば、国民の不満を利用できる。


 そう、”新たな皇帝”になれる。


「それと、テンプル騎士団に関しての報告が」


「何だね?」


「彼らの次の攻撃目標は、旧クレイデリア領で間違いないかと」


「…………ついに奪還作戦を実行に移すか」


 9年前に失った自分たちの祖国を、彼らは取り戻そうとしている。


 タンプル搭から脱出した艦隊と遠征に行っていた艦隊で構成されている残存艦隊で海原を放浪していたテンプル騎士団の残党が、増強した兵力を投入してタンプル搭奪還のための攻勢を実行しようとしているのだ。


「守備隊の兵力は?」


「すでにクレイデリアには我が帝国軍の第三主力艦隊が展開しています。それと、”あの兵器”も使用可能とのことです」


「なら、この俺が行って迎え撃つ必要はないな」


 陥落したタンプル搭の地下から接収したのは、無数の古代文明の技術だった。9年間経っても未だに解析できない物ばかりではあるものの、一部の技術は解析に成功しており、それを利用した試作型の兵器も開発されているという。


 それに、テンプル騎士団が保有していた”ある兵器”も模倣する事ができた。


 それを使えば、攻め込んでくるテンプル騎士団をウィルバー海峡で海の藻屑にする事は容易いだろう。下手をすれば、テンプル騎士団は上陸前に全滅することになるのだから。


 コーヒーを飲み干した勇者は、腕を組んでニヤリと笑いながら言った。


 かかってこい、と。


 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ