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魔王の買い物 前編


 ベッドから起き上がってから、瞼を擦って枕元にある時計で時刻を確認する。もうとっくに訓練が始まっている時間だったから一瞬だけびっくりしたけれど、今日は日曜日だから朝の訓練はない。カレンダーに日曜日と書かれているのを見て安堵しながら再びベッドに横になろうとした私は、昨日の夜まで最愛の妹が寝ていた場所を見つめながら微笑んだ。


 セシリアは昔から早起きして、いつも庭で刀の素振りをしていた。雪や吹雪の日でも当たり前のように素振りをしていたし、風邪をひいている時だろうとお構いなしに庭で刀を振っていた。そしてシャワーを浴びてから、お母さんが朝食を作り終える前に私を起こしに来てくれていたのだ。


 でも、さすがにウラル教官の所に預けられていた時は法螺貝の音でいつも朝早くに起こされてたけど。集合時間に遅れれば隊員全員で腕立て伏せを200回もやらされる。もちろん、ウラル教官はハヤカワ家の子供にも容赦はしない。他のスペツナズの隊員と同じ訓練を、まだ10歳になったばかりの私にもやらせた。


 目を瞑って二度寝しようと思ったけれど、眠気はいつの間にか消え去ってしまっていた。ベッドから起き上がって洗面所へと向かい、歯を磨きながら目の前にある鏡を凝視する。


「はぁ………」


 この前は寝癖が残ったまま会議に参加しちゃったのよねぇ………。


 セシリアや力也くんは気付いてたみたいだけど、何で私に教えてくれなかったのかしら。


 パジャマ姿のまま歯を磨いていると、コンコン、とドアの方からノックする音が聞こえてきた。セシリアや力也くんではないみたいね。セシリアはノックする音がもっと大きいし、力也くんの手は義手だから金属音が聞こえるの。


 すぐにうがいを済ませてから、そっと部屋のドアを開ける。多分、今の時間までパジャマを着ているのはテンプル騎士団では私だけなんじゃないかしら。ドアを開ける前に着替えを済ませた方が良かったかなと思っていると、ドアの向こうに立っていたホムンクルス兵が微笑みながら新聞を渡してくれた。


「今日の新聞です」


「あら、ありがとう。…………そういえば、セシリアを見なかったかしら? まだ素振りしてるの?」


 瞼を擦りながら尋ねると、何故か私を見つめていたホムンクルス兵――――――胸が膨らんでるから女性だと思う――――――は、私から受け取った銅貨をカバンの中にしまいながら教えてくれた。


「同志団長でしたら、陸軍の新型戦車の訓練を視察された後に外出されましたよ」


「外出?」


 アナリア合衆国にはいろんなものがあるし、買い物に行ったのかしら。


 この国には色んな種族の人々が住んでいる。様々な国からやってきた人々が自分の生まれ育った故郷の文化を持ち寄って建国された国だから、ここにやってくる商人の数は他の先進国の比ではないの。


 休日だし、見物してみるのも悪くなさそうね。着替えが終わったら私も見に行こうかしら。


 どんなものがあるのかなと思いながらニコニコしていると、新聞を持って来てくれたホムンクルス兵は容赦なく私を凍り付かせた。


「ええ、速河少尉と一緒に」


「―――――――えっ?」


 力也くんと一緒………?


 17歳の少年と17歳の美少女が一緒に買い物に行ったぁ………?


 うふふふ………それはどういうことかしら?


 デート?


 財布から銀貨を3枚取り出し、新聞を持ってきたホムンクルス兵に渡した。


「え、あの、お代はもう頂いたんですが…………」


「有益な情報をくれたお礼よ。受け取ってちょうだい」


「あ、ありがとうございます………で、で、では、失礼します」


 ぺこりと頭を下げてから銀貨をポケットに収め、隣の部屋へと新聞を届けに行ったホムンクルス兵を見つめてから、ドアを閉めてニヤリと笑う。


 左手を目の前に突き出し、メニュー画面を出現させる。この肉体はホムンクルスの技術で再現された肉体だけど、ご先祖様の遺伝子も再現されているから、私も戦死する前と同じように第二世代型転生者の能力を使う事ができるのよ。


 とはいっても、能力は劣化しているけどね。


 生産可能な兵器の中からM1ガーランドを選び、それを一旦テーブルの上に置いてから、壁に掛けてある自分の服を手に取った。


 セシリアの護衛として同行したのであれば許してあげるわ。でも、もしあの子と一緒にホテルに入ってダブルベッドに押し倒したら、このライフルで撃ち抜いてあげる………!













「ありがとう。支部には歩いて戻るから、先に戻っていていいぞ」


「同志団長、お気を付けて」


 車を運転して市街地まで連れてきてくれた憲兵隊の運転手に礼を言ってから、セシリアは後部座席のドアを開けて外へと躍り出た。俺も運転手に「気を付けて戻れよ」と言ってから、先ほどセシリアに渡されたサングラスをかけ、内ポケットに収まっているリボルバーをチェックしながら車から降りる。


 大通りには、映画や演劇の宣伝の音声が響いていた。いたるところに飲食店や劇場が並んでいて、客が何人も並んでいる。様々な言語で宣伝の音声を響かせながら屹立する無数のビルの上を飛んで行くのは、フィオナ機関を搭載した複葉機だった。軍用の機体ではなく民間の飛行機らしく、ピンクやブルーで塗装されている。


 アナリアの市街地は、前世の世界の市街地にそっくりだった。


 地面はしっかりとレンガで舗装されているし、歩道と車道に分けられている。車道を走っているのは魔力で動く車やバイクで、もう馬車は走っていない。


 歩道を歩いている人々の種族はバラバラだ。真っ黒なスーツに身を包んだ中年の男性はよく見ると耳が尖っており、エルフ――――――中年のエルフだからかなりの高齢と思われる――――――だという事が分かる。その男性とすれ違ってから、映画館の中へと入っていったのは獣人の親子だ。


 車道の向こうにある露店で大きな声を出しながらハンバーガーを売っているのはがっちりとした体格のオークの男性で、隣ではハイエルフの女性が客に微笑みながらでっかいハンバーガーと飲み物を手渡しているのが見える。


 他の国と違って、様々な種族が共存している珍しい先進国だ。


 街の中を見渡していると、一足先に車から降りていたセシリアが露店の前でこっちに向かって手を振っていた。慌てて彼女の近くへと駆け寄ると、彼女は俺の腕を掴みながら近くにある露店を指差した。


「力也、”はんばーがー”とはなんだ?」


 知らないのか?


 そう思ったが、彼女には問いかけなかった。


 セシリアは8歳の頃に家族を失い、勇者への復讐を誓って訓練を受け続けてきた哀れな少女なのだ。敵を殺し、復讐を果たすために戦い方だけを9年間も学んできたのだから、異国の文化や常識について学ぶ余裕があったとは思えない。


 微笑みながら、露店の店員からハンバーガーとフライドポテトを購入した客をちらりと見る。


「ああいうのだよ。バンズにチーズとか肉が挟んである。………でも、確かキャメロットの食堂のメニューにあったぞ?」


「そうだったか? うむ………私はいつもあそこで稲荷寿司かきつねうどんくらいしか注文しないから気付かなかった」


「え、ずっとあれ食ってたのか? ボス」


「美味しいだろう? それに………い、いつもお前が油揚げを分けてくれるし………」


 そういえば、この組織に入団してからセシリアは和食しか食ってない。というか、油揚げを使った和食しか注文していない。それを9年間も続けていたというのか、この人は。


「せ、せっかくだし買ってみようか。ボス、俺が奢るから」


「いいのかっ!?」


「お、おう」


 目を輝かせながら義手を掴むセシリア。身に纏っている私服の上着の後ろから伸びた真っ黒な尻尾を、まるで飼い主と遊ぶ子犬のように左右に振りながらよだれを拭い去った彼女は、そのまま俺の手を引っ張って露店に並んでいる客の列の最後尾へと並ぶ。


 何人かの客が彼女の尻尾を見たが、驚いている人は1人もいなかった。


 100年以上前に発生した”災禍の紅月”の復興の際に、当時のテンプル騎士団は敵から鹵獲して調整を施したホムンクルス兵たちを、世界中の市街地の復興に投入していたという。その際に尻尾と角が生えたキメラを多くの人々が見ているし、現在でもテンプル騎士団によって生み出された個体が普通の男性と結婚して、子供を育てながら幸せに暮らしているらしい。


 なので、尻尾や角が生えたキメラは珍しくはないのだ。勇者たちの攻撃によって個体数が減ってしまったため、ホムンクルスではない”純血のキメラ”はかなり珍しいが。


 やがて、前にいた客が注文したハンバーガーを受け取ってから映画館の方へと歩いて行った。


「いらっしゃいませ!」


「ハンバーガーを2つください。それと………えっ、タンプルソーダも売ってるの?」


「はい。今ではアナリア中で大人気の炭酸飲料でございます!」


 テンプル騎士団内部だけで販売されてる飲み物じゃなかったのか………。まあ、確かに価格は安いから貧しい人でも簡単に口にできるし、美味いからな。中には変な味のやつもあるけど。


「それじゃあ、普通のタンプルソーダ1つと”モリガンスペシャル”味のやつを1つ」


「かしこまりました!」


 何なんだろうな、モリガンスペシャル味って。モリガンの傭兵たちが由来なんだろうか。


 近くの看板に描かれているハンバーガーのイラストを興味深そうに見つめているセシリアを見守っている内に、ハーフエルフの店員が笑みを浮かべながらハンバーガーとタンプルソーダの瓶を手渡してくれた。


「銀貨4枚です!」


「どうも」


「ありがとうございました!」


 財布から銀貨を4枚取り出して、店員に渡してから露店の前を離れる。受け取ったハンバーガーとタンプルソーダをセシリアに渡すと、彼女は「ほう、これがハンバーガーか………」と言いながら、バンズの間から溶けたチーズが覗く美味そうなハンバーガーをまじまじと見つめる。


 とりあえず、近くにある公園で食おう。大通りを歩きながら食うわけにはいかないからな。


 彼女と一緒に歩きながら、一緒に受け取ったタンプルソーダの瓶をちらりと見下ろす。モリガンスペシャル味のタンプルソーダの瓶は普通の瓶と比べると真っ黒で、モリガンのエンブレムである”真紅の二枚の羽根”が瓶に描かれている。中に入っている液体の色は分からないが、普通のタンプルソーダと比べると少しばかりどろりとしているようだ。


 どんな味なんだろうかと思いつつ、俺はセシリアと一緒に講演を探す事にした。













 アナリアの市街地は高い建物が多い。


 だから狙撃する位置を探すのは簡単かもしれないけれど、どのビルの中にも人がいるし、屋上は高すぎるせいでスコープ付きのライフルでも狙撃するのは難しい。第一、ビルが高すぎるから、屋上まで登っている間に標的が別の場所へと移動してしまう。


 仕方がないから、私は狙撃ではなく尾行する事にした。


 テンプル騎士団の黒い制服は目立つから、身に纏っているのは私服だった。ポケットの中にはコルトM1911が収まっているし、ナイフも用意している。


 2人は露店でハンバーガーと飲み物――――――多分タンプルソーダだと思う―――――――を購入してから、公園の方へと移動し始めた。セシリアはいつも和食ばかり食べてるからなのか、楽しそうに尻尾を左右に振りながらハンバーガーを見下ろしている。


 ああ、あの子可愛い…………!


 深呼吸しながらハンチング帽をかぶり直し、いつの間にか上着の後ろから出ていた自分の尻尾を再び服の中へと戻す。


 公園へと向かう2人を尾行しながら、はしゃいでいるセシリアを見守る。9年前のタンプル搭陥落で私は死んじゃったから、メルンブルッヘ基地で彼女に助けられるまでの9年間にあの子がどんなことを経験してきたのかは分からない。けれども、きっと私や父上の仇を討つために、厳しい訓練を受け続けていたんだと思う。


 報復のためだけに戦ってきたあの子が楽しそうに笑っているのが嬉しい。


 この戦争さえ終われば、あの子もきっと幸せに生きる事ができるかもしれない。普通の女の子のように、好きな人と結婚して、一緒に子供を育てる事ができたなら幸せだと思う。


 相手は誰なのかしら。


 ニコニコしながらちらりと彼女の隣にいる少年を見た途端に、笑顔が消滅する。


 力也くんかしら?


 別に彼の事が嫌いというわけではないわ。セシリアに相応しい男として認めていないだけよ。


 確かに力也くんは強いし、彼も転生者だから、セシリアと結婚すれば間違いなく強いキメラの子が生まれてくるのは想像に難くない。それに、転生者とセシリアが結婚することによってハヤカワ家当主の能力の劣化も食い止める事ができる。


 でも、認めるわけにはいかない。


 セシリアの相手に相応しいのは、強い男などではない。


 彼女を幸せにできるパートナーである事よ。


 だから、確かめなければならない。


 彼女と同じように復讐を誓った彼が、本当にセシリアを幸せにできるか否かを。


 ウラル教官の所に預けられていた時、戦闘訓練や暗殺だけではなく、標的を尾行する訓練もスペツナズの兵士たちと一緒に行った。当時の特殊部隊の隊員たちが私の訓練の相手だったのだから、私とは違って真っ向から敵部隊と戦うような訓練を最優先で受けたセシリアの尾行は容易いわ。


 素早くゴミ箱の陰に隠れ、数秒ほど待ってから顔を上げる。セシリアの隣を歩いていた力也くんが、彼女と話しながら肩をすくめ、再び歩き始めた。


 セシリアの尾行は難しくないけど、彼は難敵ね。今のスペツナズの隊長なのだから。


 彼がセシリアをちゃんと守っていることに感心しながら尾行を続行しようとしたその時、近くの建設現場から鉄パイプを抱えて出てきた巨漢とぶつかりそうになった。


「あっ、ごめんなさい。…………あれっ?」


「お?」


 黄色いヘルメットの隙間から覗く桜色の頭髪と、口を少し開けるだけであらわになる発達した犬歯を見た途端、私は凍り付いた。


 私が尾行を教わったのは、当時のスペツナズ隊長だったウラル・ブリスカヴィカ。個人差はあるけれど、彼から尾行を教わった他の隊員たちもいつの間にか似たような癖まで身についてしまっていたから、数人で尾行する時にいつの間にか一緒に尾行している仲間が隣にいることは珍しくなかった。


 もちろん、それを教えた張本人も同じ癖がある。


「う、ウラル教官?」


「サクヤか?」


「えっ? な、何で工事現場で仕事を?」


 問いかけると、教官は抱えていた鉄パイプを路地裏に向かって放り投げ、ヘルメットをかぶったまま耳元で言った。


「いや、セシリアのやつが力也と外出したって聞いたから、あいつに変な事されないか心配で…………」


 教官も尾行してたの!?


 しかも工事現場の労働者に変装してるなんて………。その服はどこで用意したのかしら。


「お前もか?」


「え、ええ」


 冷や汗を拭い去りながら、私は首を傾げる。


 ウラル教官の種族は吸血鬼。圧倒的な身体能力を持つけれど、聖水、銀、日光などが弱点で、その弱点で攻撃されると身体能力や再生能力が低下してしまうし、人によっては日光を浴びた瞬間に消滅してしまう事もあるみたい。


 だから、問いかけた。


「教官」


「ん?」


「その…………今、午前10時ですけど………大丈夫ですか?」


「ふっ…………いや、結構ヤバ――――――――おえっ」


「し、しっかりしてくださいよ!!」


 何で無茶するんですか!?


 セシリアたちがまだ大通りの歩道を歩いていることを確認してから、大慌てで教官を路地裏へと連れ込んだ。


 教官のせいでセシリアたちを見失っちゃったらどうしよう………。

 


 

サクヤさんの装備はアメリカ系にしようと思います。東側ばかりだと前作みたいに偏るので。


※一応、サクヤさんはまともな人です。若干エリスっぽくなりつつありますが。

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