軍拡
「お待ちしていました、ハヤカワ団長」
そう言いながら、中年の男性が護衛と思われる軍服姿の男性と共に姿を現した。ホルスターを腰に下げた護衛と一緒にやってきたものの、彼も元々は軍人だったのか、それとも身体を鍛える趣味でもあるのか、スーツから覗く手はやけにがっちりしていて、歩き方も政治家というよりは軍人の歩き方だ。
ソファに座って待っていたセシリアとサクヤさんも立ち上がり、やってきた大統領に手を差し出した。
「アナリアへの入国許可に感謝いたします、バーンズ大統領」
「いえいえ、テンプル騎士団には我らの祖先がお世話になった。これはちょっとした恩返しですよ。どうぞ」
バーンズ大統領がソファに腰を下ろすと、挨拶したセシリアとサクヤさんも再び腰を下ろす。当たり前だが、俺や大統領の護衛の分の席とコーヒーはないので、この密会が終わるまでは直立して敵が来ないか見張っていなければならない。それが俺たちの存在意義なのだから。
直立したまま応接室の窓の向こうや天井を見張っていた俺は、大統領合連れてきた護衛の兵士がちらりとこっちを見ていることに気付いた。アナリアでは東洋人は珍しいのだろうかと思いながら彼の方を見ると、その兵士はどういうわけかぶるぶると震えながら大慌てで目を逸らした。
このサングラス、本当に取っていいだろうか。
顔を隠すのであればバラクラバ帽の方が良かったのではないかと思っている内に、セシリアはテーブルの上に封筒をいくつか置いた。封筒にはテンプル騎士団のエンブレムが描かれている。
彼女はどうやらもう本題に入るらしい。
「これは?」
「我が騎士団の優秀な工作員と団員が、ヴァルツ大使館から入手したヴァルツ側の機密情報です。…………ご確認を」
「…………では、失礼」
口へと運ぼうとしていたカップを静かに置き、封筒へと手を伸ばす大統領。封筒の中から取り出した書類を広げ、ずらりと並ぶヴァルツ語の文章を凝視していた彼は、目を見開きながらセシリアの方を見た。
「…………メリレゴの連中に奇襲を…………?」
「どうやら、水面下でそれを企てていたようです。他にもとんでもない情報がありますよ」
もう1つの封筒を手に取ってから、大統領は冷や汗を拭い去った。ちらりと護衛の兵士の方を見上げてから首を縦に振った彼は、息を飲みながら封筒を開け、中に入っている書類を広げる。
彼が目にする羽目になった書類は――――――九分九厘メリレゴへの奇襲の要請よりもヤバい命令が記載された命令書であった。案の定、大統領の顔が青くなったかと思うと、またしてもぎょっとしながらセシリアの方を見上げる。
「大使館の職員の一部を合衆国に潜伏させ、私の暗殺を命じるとは………これは国際条約条約違反ではないか!」
「大統領、あまり時間はないのではありませんか?」
帝国軍が水面下で国際条約を破り、アナリアに攻撃をする準備を進めていた事に憤る大統領に、カップを口へと運ぼうとしていたサクヤさんが冷静な声で言った。
アナリア合衆国の宣戦布告が遅れている原因は、国民の中に戦争への参加を反対する者たちが何人もいるからである。彼らが世界大戦への介入に反対し続けていたからこそ、議会でもアナリア合衆国軍の予算は増やされるどころか削減され続け、戦争に参加する準備がなかなか進んでいなかったという。
だが、この情報が公表されれば、間違いなくアナリアは短期間で宣戦布告するだろう。戦争に反対していた国民たちも、彼らを裏切って水面下でアナリアへの攻撃の準備を進めていたヴァルツ帝国に怒り狂い、宣戦布告に賛成することになる筈だ。
燃え上がる。
ガソリンの海に、火のついたマッチを落としたかのように。
「帝国軍は合衆国への攻撃の準備を進めています。もし帝国軍の準備が完了すれば、アナリアが宣戦布告した直後にメリレゴ連邦が合衆国へと攻め込み、ヴァルツ本国へ攻撃することはできなくなるでしょう。それに大統領の命も敵の工作員に狙われ続ける」
「うむ………」
メリレゴ連邦とアナリア合衆国には、以前から領土問題がある。それが原因でこの二ヵ国は度々紛争を起こしており、国境付近にはライフルや機関銃を装備した兵士たちが常に展開している状態である。
ヴァルツはこの二ヵ国の対立を利用しようとしているのだ。
メリレゴにアナリアとの本格的な戦争をさせて時間を稼がせ、その間に少しでも連合国に損害を与えておくつもりらしい。もしこの情報をエージェントが掴んでおらず、アナリアの宣戦布告がもっと遅れていたのならば、アナリア合衆国は隣国との全面戦争で世界大戦への介入どころではなくなっていたに違いない。
大統領は護衛の兵士にその封筒を渡すと、セシリアとサクヤさんの顔を見ながら言った。
「確かに時間はない。我らは油断していたようだ………この件は来週の議会で公表させていただく」
「ええ、お願いします。ただ、この情報を入手したのは我らではなく、アナリアの同盟国であるオルトバルカ連合王国という事にして頂けないでしょうか」
「構いませんとも」
腹黒い。
大統領に、情報を入手したのはオルトバルカだということにしてほしいと言ったサクヤさんを見下ろしながら冷や汗を拭い去った。
中立国への攻撃の準備をするのはこちらの世界の国際条約違反ということになるが、中立国にある敵国の大使館への侵入も立派な国際条約違反ということになる。この情報が公開されると同時に、オルトバルカ王国に国際条約違反の濡れ衣まで着せることになる。
濡れ衣を着せて父を殺した国への報復のつもりなのだろう。ハヤカワ姉妹の父親は、何もしていなかったにもかかわらず濡れ衣を着せられて火炙りにされたのだから。
サクヤさんと目を合わせてから、こっちを振り向いて扇子を広げるセシリア。彼女と目を合わせた途端、俺もオルトバルカのせいにした理由を察した。
単なる報復ではない。世界大戦が一旦終結した後に勃発する革命への布石だ。
戦争中にオルトバルカ連合王国が国際条約違反をしていたという事にする事で、王国を孤立させるつもりなのだ。この戦争はアナリア合衆国が参戦すれば連合国軍の勝利は確定すると言ってもいい。帝国軍は間違いなく敗戦国と化すだろう。
戦争が終われば、間違いなくオルトバルカは同盟国から制裁を受けることになる。国内で革命が勃発しても、同盟国からの支援は受けられない。
そう、孤立させるのだ。
戦争で消耗した上に同盟国からの支援も受ける事ができないオルトバルカ軍であれば、革命軍やテンプル騎士団義勇軍だけでも容易く殲滅する事ができるだろう。今のうちに濡れ衣を着せて孤立させつつ、さり気なく報復しておくという事か。
巧い。
扇子を広げつつニヤリと笑うセシリアを見つめながらそう思った。
9年前のタンプル搭陥落から、組織の壊滅を防ぎつつ帝国軍に損害を与え続けてきたセシリアは、間違いなく立派な団長と言ってもいいだろう。最前線で他の兵士たちを率いるほどの実力とカリスマ性を持っているだけでなく、先を見ることができるようになっているのだから。
きっと、あの世にいる2人の両親や祖先たちは喜んでいるに違いない。
広げていた扇子を閉じたセシリアは、微笑みながらソファから立ち上がった。
「では、よろしくお願いします」
「ええ、お任せを」
「行くわよ、力也くん」
「はっ」
2人より先に部屋のドアの方へと歩き、ドアを開けながら2人が通り過ぎるまで待機する。セシリアとサクヤさんの2人が部屋から出たのを確認してから、大統領に頭を下げ、俺も部屋を後にした。
大地をお構いなしに履帯で踏みつけながら、分厚い装甲に覆われた怪物たちが進撃していく。車体の上には強力な主砲や機関銃を搭載した砲塔が鎮座しており、その砲塔のハッチから車長らしきホムンクルス兵が身を乗り出して、一緒に走行している他の戦車たちへと指示を出しているのが見える。
今までのテンプル騎士団は、フランスが第一次世界大戦で投入したルノーFT-17と呼ばれる軽戦車と、第一次世界大戦後にフランスが開発したシャール2Cを採用していた。だが、アナリア支部の敷地内を走行するその戦車たちは、さすがに超重戦車であるシャール2Cよりも小柄だったけれど、小ぢんまりとしたルノーFT-17と比べるとがっちりとしている。
アナリア支部の敷地内で訓練を行っている戦車は、ソ連が第二次世界大戦に投入した『T-34』と呼ばれる中戦車たちであった。強力な76mm砲と頑丈さを兼ね備えている上に、非常に信頼性の高い戦車である。更にコストも低いので、歩兵用の装備とは比べ物にならないほど大量のポイントを消費する戦車でもある程度は容易く生産できるという利点がある。
おそらく、ポイントがそれほど多くないという点はこの戦車のコストが低かったことを反映しているのだろう。自分の部隊だけでなく、他の部隊に支給する装備まで用意しなければならない俺から見れば非常にありがたい事である。
ちなみに、このT-34にはより強力な85mm砲を搭載した”T-34-85”と呼ばれる改良型が存在するんだが、そっちの方はまだ生産できない。生産するためには『戦車で敵戦車を10両撃破する』という条件のサブミッションをクリアする必要があるため、T-34の初期型を陸軍に支給することになった。
T-34は第二次世界大戦で活躍した優秀な戦車のうちの1つだが、車内が非常に狭いという欠点がある。なので、乗組員は小柄なタクヤのホムンクルスやドワーフたちが担当することになるだろう。
近くで射撃訓練をしている兵士たちにも、次々に新しい装備が支給されている。
装備が急激に新しくなっているのは、テンプル騎士団残存部隊の全ての兵力を投入した『クレイデリア解放作戦』の準備をしているからだった。春季攻勢の戦力を削ぐために転生者を殺しまくったおかげで、俺の端末でも第二次世界大戦までの装備であればもう生産できるようになっている。とはいっても、中にはサブミッションをクリアしなければ生産できない兵器もあるため、現時点で生産できる兵器を片っ端から生産して兵士たちに支給している。
訓練を受けている兵士たちの士気は、かなり高くなっているようだった。
クレイデリアには、テンプル騎士団のかつての本部でもあるタンプル搭もある。そう、この作戦が成功すれば9年ぶりに祖国へと戻り、タンプル搭をクソ野郎共から奪い返す事ができるのだ。
やがて、訓練をしていたT-34のうちの1両が近くへとやってきた。停車してからエンジンを止めたかと思うと、砲塔の上のハッチが開き、中からホムンクルスの兵士が顔を出した。やはり大柄なオークやハーフエルフよりも、小柄なタクヤのホムンクルスが乗組員を担当しているらしい。
「どうだ、乗り心地は」
そう尋ねると、顔を出した蒼い髪の美少女は苦笑いしながら答えた。
「正直に言うとあまりよくありませんね。狭いですし。さっき何回も頭をぶつけちゃいました」
戦車兵にヘルメットを支給するべきだろうか。
そう思いながら、早くも”テンプル騎士団仕様”に改造されたT-34を見つめた。
塗装は黒と灰色の迷彩模様で、砲塔の側面にはこれ見よがしにテンプル騎士団の赤いエンブレムが描かれているのが分かる。本来ならば車体の正面にも機関銃が搭載されており、接近してくる歩兵を迎撃する事ができるようになっているんだが、これは少しでも防御力を確保するために廃止している。第二次世界大戦の頃の戦車ではこのように車体の正面にも機関銃を搭載するのが一般的なのだが、現代では車体の正面に機関銃を搭載する戦車は存在していない。
これを廃止したのは、前世の世界での記憶があるおかげだ。
主砲は76mm砲のままだし、主砲同軸の機関銃も変わっていないが、砲塔の上にはより大口径の『DShK38重機関銃』を搭載している。この銃機関銃は、モシンナガンに使用する7.62×54R弾よりも巨大な12.7×108mm弾を連射することが可能であり、その気になれば航空機を撃墜することも可能だ。さすがに戦車に搭載した機銃で戦闘機を撃ち落とすのは無理があるかもしれないが。
クレイデリア解放作戦が始まる前に、同じカスタマイズを施したT-34をあと50両ほど生産する予定である。端末のポイントが尽きるまで生産してもいいのだが、航空機や艦載機の生産も行わなければならないので温存しておく必要があるのだ。
T-34の車長と話をしている間に、空からエンジンの音が聞こえてきた。空を見上げてみると、ジャック・ド・モレーと同じく蒼と黒の洋上迷彩で塗装された逆ガル翼のプロペラ機が、港に停泊しているナタリア・ブラスベルグ級空母の二番艦『カノン・セラス・レ・ドルレアン』―――――増産されたナタリア・ブラスベルグ級の同型艦である―――――のアングルドデッキに着艦したのが見えた。
今しがたアングルドデッキに無事に着艦したのは、テンプル騎士団が採用することになった『F4Uコルセア』と呼ばれるアメリカの戦闘機である。アメリカ軍が第二次世界大戦に投入し、旧日本軍に大きな損害を与えた機体のうちの1つだ。
高い防御力と機動性を併せ持つ上に、その気になれば爆弾やロケット弾を搭載させて対艦攻撃や対地攻撃にも投入できる優秀な機体である。
今のところ、ナタリア・ブラスベルグ級一番艦『ナタリア・ブラスベルグ』、二番艦『カノン・セラス・レ・ドルレアン』の2隻の空母の艦載機をこのF4Uコルセアに更新しているところだ。テンプル騎士団の空母はスキージャンプ甲板を採用しているのだが、発艦は全く問題がなかった。
カノン・セラス・レ・ドルレアンの隣には、ナタリア・ブラスベルグ級空母の三番艦『イリナ・ブリスカヴィカ』が停泊している。ウラルの妹の名を冠した空母だが、他の同型艦とは異なり、その空母の甲板の上には1機も艦載機が見当たらない。艦橋は船体の右側ではなく左側に変更されており、艦首の近くにあるので他の姉妹艦と見分けるのは簡単だろう。本来の艦橋があった位置からは、何かの排気管のようなパーツが突き出ているのが分かる。
まあ、あの空母はクレイデリアにいる帝国軍艦隊を撃滅するための”決戦兵器”を搭載するための艦として用意されたらしいからな。その決戦兵器を搭載するために、艦載機は1機も搭載されていないのだ。
停泊している空母たちを眺めていると、アナリア支部の格納庫の方からセシリアがやってきた。彼女の方を振り向いて敬礼すると、T-34の砲塔から顔を出していた戦車兵たちも彼女に向かって敬礼する。
「お疲れ様、同志諸君」
「ボス、何か用か?」
「うむ。力也、今は暇か?」
「ああ、暇だ」
そう答えると、セシリアは嬉しそうに微笑んだ。
「では、アナリアの街を見に行かないか?」
「か、構わんが………」
物資の補給は終わっていないし、兵士たちの九かも必要なので、あと一週間くらいはアナリアでお世話になる予定である。外出もシュタージに申請すればすぐに許可が下りるだろう。
「よし、ならばすぐに着替えて外出の準備をしろ。ゲートで待っている」
そう言うと、セシリアは微笑みながらアナリア支部のゲートの方まで歩いて行った。




