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ヴァルツ大使館潜入作戦


 とっくに太陽は沈んでいるというのに、アナリアの大都市は夜だということを実感できないほど明るかった。所狭しと並んだビルや建物はこれでもかというほど照明を点灯させ、大通りは車のエンジン音や広告の音声で満たされている。


 それに対し、建物の間にある狭い通路や路地裏には光源が一切なかった。中には小ぢんまりとした照明で照らされている通路もあるが、照明は殆ど整備されていないらしく、光がやけに弱々しくなっている上に点滅している。


 車から降りた俺たちは、夜の街を散歩する若者や、映画館に行こうとする客を装って大使館の方へと歩いてから路地裏へと入った。今回の任務はテンプル騎士団の作戦行動記録には一切残らない極秘の任務なので、普段の任務と違って制服や軍服は身に纏っていない。シュタージのエージェントが用意してくれた、アナリア製の私服姿である。


 頭から伸びている角を隠すためのハンチング帽を片手で押さえながら、同じく路地裏へと入ってきた。ちらりと後ろの方を見てみると、工場の労働者のような恰好をしたマリウスや、灰色のスカートを身に纏ったコレットも路地裏へとやってきたのが見えた。


「ジェイコブは?」


 追いついてきた2人に尋ねると、2人は苦笑いしながら後ろを振り向いた。


 コレットのすぐ後ろに、ポニーテールの男の娘が立っていた。頭から伸びている蒼い頭髪の中からは2本のダガーの刀身を思わせる形状の角が伸びている。


「…………お前、何でそんな格好してんだよ」


「知らねえよ!」


 恥ずかしそうに顔を赤くしているジェイコブに支給された服は――――――どういうわけか、学生用の制服だった。しかも男子用ではなく、スカートがやけに短い女子用の制服である。他のメンバーと違って黒い制服なので暗闇では発見されにくい事だろう。スカートから伸びるすらりとした白い足を黒ニーソで覆っているのは、暗闇で白い肌が目立たないするための配慮に違いない。


 隠密行動も想定しているのは分かるんだが、何で普通の服装ではなく女子用の制服なのだろうか。


 しかも、ジェイコブの顔つきが女性にしか見えないせいで違和感が全くない。彼の名前と本来の性別を知らない男性ならば、ほぼ確実に女子だと思い込んでしまう事だろう。


「似合ってますよ、軍曹」


「ジェイコブ軍曹、今度私の服とか着てみます? サイズも合いそうですし」


「やめてくれ」


 苦笑いしながら、大使館のある方向へと歩き始めた。


 ジェイコブの遺伝子のベースになっているのは、テンプル騎士団の創設者の1人であるタクヤ・ハヤカワだ。彼も顔つきが母親に似過ぎてしまったせいで、何度も女性に勘違いされてしまったという。


 ホムンクルスは調整を施すことでオリジナルとは全く違う顔つきにする事も可能らしいが、テンプル騎士団ではホムンクルスに調整を施すことは一部の個体を除いて禁止されているのだ。なので、テンプル騎士団に所属するホムンクルスの顔つきはどの個体も同じなのである。


 彼女たちはどうやって見分けているのだろうか。


 しばらく路地裏を進んでいると、広告の音声や車のエンジン音が聞こえなくなってきた。映画館や劇場がずらりと並ぶ大通りよりも照明の筈が減っていて、建物の隙間から覗く道路の周囲は薄暗くなりつつある。


 幸運なことに、ヴァルツ大使館は大通りから離れたところにあった。周りに立つ建物がビルやアパートばかりだからなのか、ヴァルツ帝国の伝統的な建築様式で建てられた大使館は強烈な違和感を発している。


 建物の周囲には灰色のレンガで作られた塀があり、入り口の門は真っ黒に塗られている。まるで強制収容所の鉄格子だ。自分たちがアナリアに囚われているという事を意味しているのだろうか。それとも、アナリア人を拒絶しているという事を意味しているのだろうか。


 敷地内に用意された照明で照らされながら揺れているヴァルツの国旗を睨みつけていると、マリウスが背負っていたカバンの中からでっかい無線機を取り出した。


『こちら第二分隊、位置についた』


「了解」


 ポーチの中から小型の双眼鏡を取り出し、ビルの屋上やアパートの屋根の上を確認した。


 私服姿の人影が、アパートやビルの屋上で双眼鏡やサプレッサー付きのモシンナガンM1891/30を持っているのが分かる。彼らに支給されているのもテンプル騎士団の制服ではなく、労働者や学生を思わせる服ばかりだった。


「第二分隊、何か見えるか」


『敷地内の庭に警備員が2名。武装は拳銃と警棒のみ』


『こちらブラボー2、ベランダにも1名確認』


『ブラボ―3、こちらからは何も見えない』


『こちらブラボ―4、塀の上に魔力センサーを確認。塀の上からの侵入は不可能』


 くそったれ、やっぱり魔力センサーを用意していたか………。


 魔力センサーとは、小型フィオナ機関で生成した魔力を電波のように放射して侵入者を検知するためのセキュリティシステムである。テンプル騎士団やモリガン・カンパニーが運用していた兵器のレーダーを参考に、フィオナ博士が開発した代物だ。これを大型化したものを艦艇に搭載して索敵に使う事もあるという。


 という事は、侵入できるのはあの門だけだ。鍵を開けて侵入するしかない。


 ポーチの中から木製の小さなケースを取り出す。中に入っているのは、小さな鈍色の鍵だ。


 大使館に潜入したエージェントが用意してくれた、大使館の合鍵のうちの1つである。この鍵を使えば門や執務室の鍵を開ける事ができるため、わざわざ塀を飛び越えて侵入する必要はない。


 女子用の制服を着せられたジェイコブに目配せしてから、路地裏から躍り出る。周囲に通行人がいないことを確認してから、ケースから取り出した鍵を使って門の鍵を開け、第一分隊のメンバーと一緒に庭の中へと侵入した。


 呼吸を整えながら、姿勢を低くして庭の中を確認する。庭の中心には大きな噴水があり、照明がいくつか用意されている。その照明の下に警備兵が1人だけ立っていて、塀の方を見つめていた。腰に下げているのは拳銃のホルスターと警棒のホルダーである。


 もう1人の警備員は、片手にランタンを持ちながら塀の近くを巡回しているようだった。先ほど門の鍵を開けた事に気付かれたら拙いなと思いつつ後ろを振り向くと、既に最後尾のコレットがもう一度鍵をかけ直していて、こっちに向かって親指を立てていた。


 ナイス。


 姿勢を低くしたまま、警備兵がこっちへとやってくる前に移動する。噴水の近くにいる警備兵は照明のすぐ下に突っ立たまま周囲を見渡しているが、あいつに発見される可能性はかなり低いだろう。


 塀のすぐ近くを移動しつつ、後ろをついて来る仲間に合図を出して立ち止まる。


 ベランダの上にいる警備員が、ベランダの上から庭を見下ろしているのだ。彼はベランダの手すりの近くでぴたりと立ち止まると、近くに用意されていた黒い物体のスイッチを入れた。


 その直後、白銀の強烈な光が庭の芝生や噴水を照らし出した。暗闇を容易く蹂躙してしまうほどの光を発しているその装置を旋回させ、庭の中に侵入者がいないか索敵し始める。


 サーチライトだ。


 あの光に当たるわけにはいかん。発見されて警報を鳴らされれば、任務は失敗する。


 ただ単に慎重に潜入するだけならば難易度はそれほど高くはない。だが、タイミングを合わせたり、大急ぎで潜入しなければならなくなれば、潜入の難易度は爆発的に上がると言ってもいいだろう。地面に伏せたまま呼吸を整え、サーチライトを旋回させる忌々しい警備員を睨みつける。


 遮蔽物があればそこに身を隠しながら移動できるが、最悪なことに庭の中にある遮蔽物は中心部にある噴水のみ。しかも、その近くにはもう1人の警備兵がいるので、身を隠すために使うにはまずそいつを眠らせなければならない。


 そんな事をするよりは、サーチライトを旋回させている隙に一気に突破した方が良い。


 仲間たちに目配せしてから、サーチライトが遠ざかると同時に一気に突っ走る。重い義手や義足を強引に動かして加速し、そのまま大使館のすぐ近くまで肉薄する。同じく突っ走って大使館の建物へと肉薄する仲間たちを見守りながら、サーチライトを旋回させている警備員を見上げた。


 すぐ近くにテンプル騎士団の兵士が潜入していることには気づいていないらしい。あくびをしながらサーチライトを旋回させている警備兵を見上げてから、噴水の近くにいる警備員や塀の近くを巡回する警備員の方も確認する。


 夜間に潜入したのは正解だったな。昼間ならばもっと警備員がいただろうし、敷地の外にある道にも通行人がいた筈だ。


「みんな大丈夫か?」


「私は大丈夫です」


「俺も」


「スカート嫌だ」


 全員大丈夫そうだ。


 他のケースからエージェントが用意してくれた合鍵を取り出し、大使館の裏口のドアを開ける。音を立てないようにこっそりとドアを開けつつ、ホルスターの中からサプレッサー付きのナガンM1895を引き抜いた。


 もちろん、装填されているのは実弾ではなく麻酔弾である。殺傷力を極限まで落とすため、薬莢の中の火薬の量はかなり減らされている。なので、警備員に命中させても麻酔薬で眠る程度で済む筈である。


 火薬の量を減らしているので殺傷力は低下しているが、もし警備員が厚着だった場合は服すら貫通できない恐れがあるので、狙うのであれば肌が露出している部位が望ましい。


 薄暗い通路の中をチェックしてから、後続の仲間たちに合図を送る。最後尾のコレットがこっそりとドアを閉めたのを確認してから、音を立てないように前進して広間へと向かった。


 当たり前だが、職員はもう誰もいない。大使館の中にいるのは、少数の警備員だけらしい。


「!」


 広間へと出ようとしたその時、広間の向こうにある階段の上の方から足音が聞こえてきた。警備員が持っているランタンが橙色の光を暗闇の中にばら撒いて、手すりを橙色に照らし出している。2階を警備していた警備員が降りてきているという事を察知すると同時に、記録を消された4人の兵士は素早く物陰に隠れ、麻酔弾の入ったナガンM1895を構えて狙撃する準備をする。


 あくびをしながら降りてきたのは、少しばかり太った中年の警備員だった。警備員は階段を降りると、広間の中をランタンで照らして異状がないか大雑把にチェックしてから、再び階段を上がろうとする。


 随分と勤務態度が不真面目だな。テンプル騎士団の警備兵だったらきっちりと周囲の部屋の中までチェックしていくはずだが。


 マリウスがリボルバーを向けるが、俺は首を横に振った。


 彼の射撃訓練の成績は優秀なので、外すことを危惧したわけではない。あの警備兵がランタンを持っているから狙撃するのをやめるように指示したのである。


 仮に後頭部とかうなじに麻酔弾を直撃させて眠らせたとしても、ランタンを落とした音で他の警備兵に発見されてしまう恐れがあるし、火災が発生するかもしれない。発見されたり、敵を殺害することが認められているのであれば撃つように指示していたが、今回は俺たちがここにいるという痕跡を残すことは認められていない。


 警備員が階段を上がっていったのを確認してから、俺たちも階段へと向かった。


 命令書が保管されている場所は、九分九厘大使の執務室だろう。机の引き出しの中か、金庫にでも保管しているに違いない。まずは執務室の中を探してみるべきだろう。幸運なことに、エージェントは金庫の合鍵も用意してくれている。


 階段を上がると、先ほど1階を見渡していた警備員がいた。どこかの部屋の中から持ってきたのか、椅子を2つほど通路の中に置き、片方にラジオを置いて音楽を聴きながらうとうとしている。


 ランタンを傍らに置いていることを確認してから、俺はそいつの眉間に麻酔弾を撃ち込んだ。


 この麻酔弾はフィオナ博士が開発したものだ。弾丸の先端部に麻酔薬の入ったガラスの小さな容器が取り付けられていて、命中すると同時に薄いガラスが割れ、少量の麻酔薬が標的の皮膚に浸透して血管へと入り込む仕組みになっている。


 即効性の麻酔薬なので、命中すると同時に標的は眠ることになるのだ。


 麻酔弾を装填するのにこのナガンM1895を選んだ理由は、通常のハンドガンと違って再装填リロードの際に薬莢をシリンダーから取り出すことになるため、発砲した際に薬莢が排出されずに済むからである。


 うとうとしていた警備員が寝息を立てた事を確認してから、堂々と目の前を素通りする。ジェイコブたちが他に警備員がいないことを確認している内に、ケースの中から執務室の合鍵を取り出した。ドアノブにある鍵穴に差し込んで鍵を開け、眠っている警備員の方をちらりと見てから執務室の中へと入る。


 執務室の床には真っ赤なカーペットが敷かれていた。部屋の窓の近くには仕事用の机が置かれており、窓と窓の間にはヴァルツ製のボルトアクションライフルが飾られているのが見える。観賞用なのか、ハンドガードやストックにはやけに装飾がついている。


 足元がカーペットで覆われているのは喜ばしい事だ。足音で警備員に気付かれずに済む。


「命令書があるとしたら、机か金庫だな」


「なかったら?」


「もちろん大使館の中を全部探す。隠し部屋があるかもしれないからな」


 この部屋にあるのが一番楽だが。


 手始めに、俺は机の中を探す事にした。引き出しの合鍵をケースから取り出し、金庫の合鍵をジェイコブに渡す。ジェイコブとコレットに金庫の中を探すように命令してから、マリウスと2人で引き出しの鍵を開けた。


 引き出しの中にはいろいろな書類や手紙が入っていた。アナリアの知事から送られてきた手紙や、ヴァルツ帝国が実施した無制限潜水艦作戦に対する合衆国からの抗議書。あらゆる先進国のラジオや新聞で報道されている情報の真相や、報道すらされていない情報が引き出しの中に保管されていた。


 こっちを持って行って暴露した方がヴァルツにダメージを与えられるのではないかと思いつつ、命令書を探す。公になればアナリアを敵に回しかねないリスクがある書類だからなのか、引き出しの中には見当たらない。


 すると、反対側の引き出しを探していたマリウスがぴたりと手を止めた。


「た、隊長」


「ん?」


 彼が引き出しの中から引っ張り出したのは―――――――メイド服に身を包んだ金髪のエルフの女性が、粘液まみれの紫色の触手に絡みつかれているイラストが描かれた薄い本だった。


「え…………何それ」


「薄い本です。これ、戦利品として持って帰っていいッスか?」


「…………後で俺にも読ませろよ」


「了解!」


 というか、何でヴァルツの大使がこんなものを机に保管してるんだよ………。真面目に仕事しろ、クソッタレ。


 そう思いながら一番下の引き出しを探していた俺も、とんでもないものを探し当ててしまう。


「うわ」


 一番下の引き出しの中には、たっぷりと薄い本が入っていました。


 盗賊らしき男たちに拘束された赤毛の冒険者のイラストが描かれた薄い本や、手枷をされたハーフエルフの女性が表紙に描かれた薄い本が、仕事に使う書類の代わりにぎっしりと収まっていたのである。


 ヴァルツ帝国の大使は何をやってるんでしょうか。というか、こういう代物は自分の部屋に隠すべきなのではないでしょうか。


 冷や汗を義手で拭い去り、引き出しをそっと閉じる。


 大使の勤務態度が不真面目だという事も暴露してやろうと思いながら、俺とマリウスも金庫の方へと向かうのだった。


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