ウェーダンの戦い
世界大戦が勃発した原因は、『ヴリシア・フランセン帝国』の皇帝が暗殺された事であった。
ヴリシア・フランセン帝国は、かつてテンプル騎士団によって最大の植民地を奪われた挙句、戦争に何度も惨敗して崩壊した”フランセン共和国”を、列強国の1つであった『ヴリシア帝国』が吸収することによって産声をあげた大国である。
皇帝が暗殺されたという事件は、その大国を怒り狂わせた。
怒り狂った大国は、11歳だった皇帝の息子をすぐに皇帝に即位させ、皇帝を殺害した小国へと宣戦布告した。小国は暗殺した犯人の身柄を拘束し、帝国側へと差し出そうとしたが、皇帝を殺してしまった事で大国の逆鱗に触れた小国は、ヴリシア・フランセン帝国に降伏するという選択肢を与えられなかった。
もしその事件が、激昂した帝国と小国の戦争で済んだのであれば、世界は平和なままだっただろう。愚かな小国が大国の逆鱗に触れたという記事が掲載された新聞が世界中で発売され、ラジオでも大国が小国に宣戦布告したというニュースが放送されただけで済んだに違いない。
だが―――――暗殺事件が起こったタイミングは、最悪としか言いようがなかった。
ヴリシア・フランセン帝国と大きな領土問題を抱えていた『フェルデーニャ王国』が、小国を大国から守るために、ヴリシア・フランセン帝国に宣戦布告したのである。
更に、ヴリシア・フランセン帝国と同盟を結んでいたヴァルツ帝国もフェルデーニャ王国に宣戦布告し、フェルデーニャ王国と同盟を結んでいたオルトバルカ連合王国も帝国軍側に宣戦布告した。
小国で起こった暗殺事件が、世界大戦を引き起こしてしまったのである。
キャメロットからボートでフランギウスの沿岸部に上陸した俺たちは、列車を借りてウェーダンへと向かうことになった。
ウェーダンは、フランギウス共和国が世界大戦の勃発前に構築した防衛ラインであるという。複数の要塞と屈強な守備隊によって守られており、要塞の周囲にはこれでもかというほど塹壕や鉄条網が用意されているらしい。
列強国であるフランギウスが用意した防衛ラインを、少数の部隊で突破しようとしても、あっという間に機関銃でズタズタにされるのが関の山である。
――――――だから、フランギウス側は全く警戒していない。敵が攻め込んできたとしても塹壕の守備隊が機関銃で敵をぶちのめすし、仮に塹壕が突破されたとしても、強力な要塞砲や榴弾砲で敵を木っ端微塵にする事ができるのだ。
だが、転生者ならばその堅牢な防衛ラインですら容易く突破してしまう。
様々な武器や能力を生産して装備できる上に、敵を倒してレベルを上げれば、あっという間に強くなってしまう転生者たち。さすがに単独でウェーダンを突破することは不可能だが、複数の転生者を投入すれば、大規模な歩兵部隊や砲兵隊を投入しなくても敵の防衛ラインを突破する事ができるのである。
転生者の戦力を知らないからこそ、フランギウスの連中は高を括っている。
きっと作戦指令室で紅茶でも飲みながら、「少数の部隊で突破できるわけがない」と決めつけているに違いない。
沿岸にある小さな町の駅から乗り込んだ列車の座席で、ルベルM1886を抱えながら窓の外を見つめていると、前にある車両の方からセシリアが頭を抱えながらやってきた。彼女は溜息をついてから隣の席に腰を下ろすと、「飲んでおけ」と言いながら水筒を差し出す。
水筒を受け取って蓋を外すと、中から紅茶の香りが漏れ出した。
この世界の人々は紅茶が好きなのだろうか。確か、キャメロットから出発する前に、セシリアはホムンクルスの兵士が淹れていた紅茶にジャムを入れて飲んでいたような気がする。
「私たちが到着する前に、ウェーダンが焼け野原になっていなければいいな」
「ああ」
フランギウスの連中と戦っている最中であれば、隙は突きやすい。真正面から敵と戦っている最中のクソ野郎共を、側面から思い切り攻撃できるのだから。
とはいっても、側面から攻撃するのは俺以外の兵士たちの役目である。俺はこのライフルとナイフを持って敵陣の後ろに回り込み、フランギウス軍を蹂躙する転生者たちを後方から見ている来栖をぶち殺す。
拳をぎゅっと握っていると、隣に座っていたセシリアが苦笑いした。
「ふふっ、殺気は出さないようにしておけ。………………まったく、お前はもしかしたら暗殺者に向いていないのかもしれんな」
「人選ミスかもしれないぞ、ボス」
そう言いながら、彼女から受け取った水筒を口へと運ぶ。もう既にこの紅茶にはジャムが入っているらしく、中に入っていた紅茶はやけに甘かった。入っているジャムはおそらくストロベリージャムではないだろう。味は似ているけれど、パイナップルのような風味と、ちょっとばかり酸味がある。
この異世界の果物をジャムにしてのだろうか。
首を傾げながら水筒の中の紅茶を見下ろしていると、機関車がブレーキをかけ始めたらしく、ゆっくりと列車が減速を始めた。もう戦場に到着したのだろうかと思いつつ、窓の外を見つめる。窓の向こうには草原が広がっていて、その草原の向こうには木造の家や納屋が何軒か建っているのが見える。けれども、その建物の周囲には住民や家畜の姿は見えない。
きっと避難させられたのだろう。
敵が少数の部隊で攻撃してくるとはいえ、戦場の近くに住んでいる住民を避難させないわけにはいかない。砲兵隊が砲撃を始めれば、民間人も巻き添えにしてしまう恐れがある。
列車がゆっくりと停車する。セシリアは立ち上がると、「ついてこい」と言いながら車両のドアの方へと向かい、ドアを開けて列車の外へと躍り出た。
紅茶を飲むのを止め、席から立ち上がって列車の外へと出る。フランギウスでは夏が終わり始めた頃らしく、草原の向こうからやってくる風は少しばかり冷たい。ミスマッチな気温だと思いつつ機関車の方へと向かうと、セシリアが機関車に乗っている運転手と話をしている最中だった。
「悪いな、お嬢さん。ここから先は軍から入るなって命令されてるんだ」
「結構だ。こちらこそ、兵士たちを乗せてもらって助かった」
機関車の中に乗っていたのは、痩せ細った若い人間の青年と、同じく痩せ細ったドワーフの中年男性だった。ドワーフは小柄な者が多い種族で、160cm以上の身長の者はいないという。他の種族との混血だったらどうなるのだろうかと思いつつ、俺はセシリアが彼らに報酬を渡している間に、機関車をまじまじと見つめる。
傍から見れば、前世の世界の蒸気機関車を思わせる形状だ。けれども、機関車の上部に煙突らしき部品は見受けられない。円柱状の胴体を横倒しにして、車輪や配線を取り付けたような形状のがっちりした機関車である。
動力源は石炭だろうかと思いながら運転席を覗き込むけれど、2人の運転手はスコップを持っていない。蒸気機関車を動かすためにはスコップは必需品だろうと思ったけれど、助手と思われる若い人間の男性が運転席の中で両手を突き出したのを見た瞬間に、この機関車の動力源が何なのかを理解した。
おそらく、この機関車は魔力で動いているのだ。
助手が突き出した両手の傍らに、蒼い魔法陣が浮かび上がる。助手はその魔法陣を片方の手で何度かタッチすると、機関車の配管から蒸気を排出させた。
この世界で生まれ育った人々には、生まれつき魔力があるという。魔力の量は個人差があり、その量は決して増やすことはできないらしいので、優秀な魔術師になれるか否かは生まれつき持っている魔力の量で決まるらしい。
当たり前だが、この世界とは違う世界からやってきた俺の体内に魔力は存在しない。魔術を使うためには、端末を使って『魔術師』という能力を生産し、装備しなければならないのだ。
でも、俺には銃があるから魔術なんかは使わないと思う。
「こんなに貰っていいのかい?」
「ああ、貰ってくれて構わない。世話になった」
たっぷりと銀貨の入った袋を受け取り、微笑みながら助手に渡すドワーフの運転手。きっと、戦争が始まってしまったせいで食料が不足しているのだろう。金があれば、家族たちに少しばかり豪華な食事を食べさせてやることもできるかもしれない。
運転席で「これならみんな満足してくれるぞ」と楽しそうに話している2人の運転手を見守りながら、前世の世界の事を思い出す。バイトで給料をたっぷりと貰えた日は、こっそりとスーパーででっかい牛肉を買ってステーキを作ったり、バイト帰りにケーキ屋で明日花が好きだったショートケーキをいっぱい買ってから家に戻った。明日花はあまりお金を使い過ぎないでと俺に釘を刺したけれど、最終的には笑顔でステーキやケーキを美味しそうに食べていた。
彼女の笑顔を思い出すと、心の中に居座る憎悪が目を覚ます。
その妹を犯した男をこれから殺しに行くのだ。
『ブオォォォォォォォォ!!』
「!?」
セシリアが腰に下げていた法螺貝――――――普通の軍隊ならホイッスルである――――――を吹き、兵士たちに車両から降りるように命じる。すると、相変わらずバラバラのライフルを背負った兵士たちが大慌てで車両から駆け下りてきた。何度も戦闘を経験した錬度の高い兵士なら、列車から素早く降りて整列していただろうが、降りてきた第6軍の兵士たちの中には躓いて転倒してしまう兵士も見受けられる。
大慌てで整列する兵士たち。セシリアは彼らを見渡してから苦笑いすると、黒と灰色で迷彩模様に塗装されていた法螺貝を腰に下げた。そして真っ白な手を腰に下げている純白の日本刀へと伸ばし、鞘から引き抜いてから刀身を地面に突き立てる。
キン、と甲高い金属音が響くと同時に、兵士たちがセシリアの目を見つめた。
「――――――これより、ウェーダン防衛戦に加勢する! 諜報員からの報告では、どうやら帝国軍のお客さん共は待ちきれなかったらしく、30分前に攻勢を開始したという! 我々は作戦を変更し、ウェーダンの防衛ラインを攻撃する帝国軍転生者部隊を側面から強襲する!」
その隙に、俺は敵陣の後方へと浸透する。
そして最後尾で戦いを見物しているデブを、ステーキ用の肉にしてやるのだ。とはいっても、あんなデブの肉は美味しくなさそうなので食べたくないが。
「よし、進軍開始!」
彼女が命じると、テンプル騎士団の旗を持ったホムンクルスの兵士が、その旗を掲げながら歩き始める。彼女の後ろに並んでいた他の分隊の兵士たちもライフルを抱え、彼女と共に行進を始めた。
目的地は、激戦地。
数多のフランギウス兵と少数の転生者が戦っている戦場に、俺たちも加勢する。フランギウス軍を掩護することになるので、傍から見れば少数の敵を集中攻撃でぶちのめすような戦いに見えるが、その少数の敵は、単独でも武装した歩兵たちの群れを容易く殲滅する事ができるほどの力を持つ化け物だ。むしろ、彼らを倒すのならばこれでもかというほど戦力を用意しなければならない。
行進していく兵士たちを見送っていると、セシリアがこっちにやってきた。
「では、私も行ってくるよ」
「おう、無茶すんなよ」
「貴様もな。………無事に戻ってきたら勲章をやろう」
「そりゃどうも、ボス」
俺の役目は、あの兵士たちと一緒に銃剣付きのライフルを抱えて突っ込む事ではない。
日本刀を腰の鞘に戻し、兵士たちと一緒に行進を始めるセシリア。彼女を見送りつつ、背負っていたルベルM1886を取り出してから別の方向へと向けて歩き出す。
一番最初に血祭りにあげてやるよ、来栖………!
塹壕の向こうから飛来した炎の矢が、機関銃で弾幕を張っていた兵士の眉間を撃ち抜いた。炎の矢で眉間を貫かれた兵士は、傷口から燃え広がった炎によってあっという間に黒焦げにされ、肉の焦げる臭いと味方が焼き殺されたという恐怖を、他の兵士たちに向けてばら撒き始める。
その矢を放ったのは、塹壕の兵士たちを蹂躙していた白い軍服の敵兵たちであった。
戦闘が始まったばかりの頃は、フランギウス軍の兵士たちは少数の部隊でウェーダンを突破できるわけがないと高を括っていた。ウェーダンはフランギウス軍の精鋭部隊によって守られている巨大な要塞であり、突破するためには無数の塹壕と複数の要塞を攻撃する必要がある。
仮に塹壕を突破する事ができたとしても、疲弊しているところを要塞砲で狙い撃ちにする事ができるため、歩兵部隊のみで攻撃するのであれば大損害を被ることは確定と言っても過言ではない。ドラゴンや飛行機などで攻撃したとしても、要塞に設置されている対空用の機関銃で蜂の巣にされるのが関の山である。
だからこそ、兵士たちは敵はすぐに蹂躙されることだろうと思い込んでいた。
しかし――――――3分足らずで塹壕を突破されたことを知った兵士たちは、銃を構えたまま凍り付くことになる。
もし敵が普通の兵士であれば、逆に3分足らずで機関銃に撃ち抜かれて全滅していた事だろう。しかし、ヴァルツ軍が投入してきた兵士たちは、強力な武器や能力を自由に生み出し、短時間で強くなることが可能な転生者で構成された精鋭部隊だったのである。
要塞砲の砲手たちは慌てて砲撃を開始したが、彼らの放った砲弾は撤退する味方を巻き添えにするか、転生者が生み出した魔力の防壁によって強制的に跳弾させられ、大地に大穴を生み出すことしかできなかった。
「撃て!」
「くそ、動きが早過ぎる!」
「何なんだよ、こいつら――――――ギュッ」
ボルトハンドルを引いていた兵士の首を、転生者が投擲したロングソードが串刺しにする。兵士たちは仲間を殺したその転生者に向けて次々に銃弾を放つが、その転生者は腰に下げていたもう1本の剣をあっという間に引き抜くと、その白銀の剣で弾丸をあっさりと弾き飛ばしてしまう。
銃弾を弾かれたという事を理解した兵士たちは、目を見開きながらボルトハンドルを捻る。しかし、銃の側面から伸びたハンドルを手が引っ張るよりも先に、スピードのステータスをフル活用して肉薄した転生者が剣を薙ぎ払い、数名の兵士の首を容易く切断した。
「はははっ、こいつら弱すぎる」
「凄い力よね、これ。勇者様に感謝しなきゃ♪」
血を吐きながらもがき苦しんでいた兵士を踏みつけていた転生者の少女が、楽しそうに笑いながら杖を振り上げた。ドラゴンの頭を模した杖が天空へと突き出されたかと思うと、ドラゴンの頭上に無数の風の刃で構成された球体が生成され、戦場に風の音を響かせ始める。
兵士たちがぎょっとした直後、まるで標的をロックオンしたミサイルが一斉に解き放たれるかのように、風の刃で生成されていた球体から刃が一斉に剥離し、塹壕の中にいる兵士たちへと降り注いだ。
軍服や手にしているライフルもろとも、無慈悲に兵士たちを両断していく風の刃たち。塹壕から銃弾が飛んで来なくなったのを確認した転生者たちは、惨殺された兵士たちの死体を踏み躙りながら先へと進んでいく。
兵士たちからすれば、塹壕や機関銃は非常に恐ろしいものだ。航空機や砲撃の命中精度が発達した現代の戦闘では、塹壕は脅威ではないが、航空機や砲撃が未発達だった時代では、塹壕は最も恐ろしい存在であった。
塹壕を突破するためには、容赦なく放たれる機関銃を回避しながら進撃し、敵兵と白兵戦を繰り広げなければならないのである。
しかし、転生者たちの強力な能力を使えば、塹壕は驚異的な存在の中から姿を消すことになる。魔力を使えるようになれば、長い詠唱をしなくても強力な魔術を連発できるし、もし仮に魔術で防御できなくても、ステータスさえ高ければ銃弾を喰らっても小石を投げつけられた程度の痛みを感じるだけで済むのである。
それゆえに、本気を出している転生者は1人もいなかった。
「くそったれ、増援はまだか!? 要塞砲は!?」
「要塞砲は現在装填中!!」
「このままじゃ壊滅しちまう!」
「増援部隊は何やってんだ!!」
辛うじて要塞まで後退できた兵士たちが、ボルトアクションライフルを構えながら照準器の向こうの転生者たちを睨みつける。要塞には無数の榴弾砲や要塞砲が用意されているが、要塞砲で飽和攻撃を実行したとしても、進撃してくる転生者を撃滅することは不可能だろう。
もしウェーダンが突破されれば、敵が首都に到着する前に最終防衛ラインを構築して抵抗しなければならない。だが、その最終防衛ラインがウェーダンの守備隊よりも早く突破されるのは火を見るよりも明らかであった。
絶望した兵士が、息を呑みながら首都にいる家族の事を思い出したその時だった。
戦死した仲間の死体を踏みつけながら、杖を突き出して魔術を放つ準備をした転生者の少女の頭が――――――いきなり大きく揺れたのである。
がくん、と頭を揺らしながら崩れ落ちていく転生者。頭には小さな風穴が開いていて、砕け散った脳味噌の一部が風穴から覗いている。頭を撃ち抜かれた挙句、風穴から破壊された脳味噌の残骸を晒しているにもかかわらず、その少女は抵抗する兵士たちを虐げている時の笑みを浮かべたまま逝く羽目になった。
剣を抱えていた転生者がぎょっとしながら振り向くと同時に―――――ウェーダンに法螺貝の音が響き渡る。
『ブオォォォォォォォォ!!』
『『『『『Урааааааааааа!!』』』』』
法螺貝の残響を雄叫びで掻き消しながら突撃を始めたのは―――――――黒い制服に身を包み、バラバラのライフルで武装したテンプル騎士団遠征軍の第6軍であった。
元ネタ解説『ヴェルダンの戦い』
ウェルダンの戦いは、第一次世界大戦でドイツ軍とフランス軍が死闘を繰り広げた戦いです。フランスに攻撃を仕掛けて消耗戦を始め、フランスの戦力を削ることでフランス軍に大打撃を与えようとしましたが、フランスを支援するため、戦闘中にイギリス軍の『ソンムの戦い』、ロシア軍の『ブルシーロフ攻勢』が開始されたことにより、ドイツ軍はフランス軍との死闘を続ける余裕がなくなってしまいます。
最終的にドイツ軍はヴェルダンでフランス軍に損害を与える事を諦めて撤退したことにより、フランス軍は辛くもヴェルダンを守り抜くことに成功したのです。




