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王と令尹

 (かん)は才能に溢れ、将来を嘱望された優秀な神官であった。

 若いながらも神官として優秀な資質を示し、令尹(れいいん)(けつ)や王にまで気に入られていた。令尹は神の声を聴く神官の長であり、その地位を超えるものは唯一王があるのみである。

 ”王”は称号であり名ではないが、王を名で呼ぶものは誰もいない。名を覚えている者すらいない。この邦の礎を築いた二人の指導者の一人が王と呼ばれるようになったと言われているが、真相はもはや誰にも知りえない。確かなことは王がこの邦の誕生から今日まで数百年に渡ってこの邦を支配し、現在でも多くの民から尊敬と畏怖の念を集めていることである。この邦において王は絶対的な存在であり、その意向に背くことができる者は誰一人として存在しないのである。

 そんな王に気に入られている環は、百官の注目の的であった。

「次の令尹は環様で間違いないな」

 百官は口々にそう噂し合った。しかし当の環は令尹という地位になんら執着を持たなかった。環にとって最も重要なものは地位ではなく、妻の旺姫とその胎内に宿る新しい命だけであった。

「妻と産まれてくる子のためならば、なんだってやってやる」

 そう決意する環の元へ、新しい命が産み落とされた。希望に溢れ期待に満ちた環の元へ神が遣わした新しい命。その姿を見たとき、環の胸に溢れる希望は、絶望の波によって押し流されてしまった。

 それは白い子供だった。

 色素の抜け落ちた白い髪と肌。唯一、眼だけが血の色が透けたような赤だった。

 それは、黒い髪と淡黄色や褐色の肌を持つ者ばかりのこの邦において異質の存在であった。その子供を見た神官は驚き、すぐに令尹を通して王に報告を上げた。

「白い子は凶兆である。この邦を災いをもたらす前に殺すのだ」

 その命令は、この邦の絶対者である王によって下された。

 逆らえる者など、誰一人としていなかった。

 産まれてくる子のためならばなんだってやってやる、と誓っていたはずの環でさえも。

 環は泣いた。

 職務も放り出し、家に籠り昼夜を問わず泣き続けた。

 旺姫がこの事により病を得て寝込んでしまったことも、環の落ち込みに拍車をかけた。


 職務に復帰した環は、まるで人が変わったようであった。

 官位に執着を見せず出世争いから一歩引いたようであった環が、令尹の座を得るために手段を選ばなくなったのである。元々優秀さを高く評価されていた環である。次期令尹の候補者競争において、相手になる者は誰もいなかった。

 やがて令尹の桀がこの世を去り、空位となった令尹の座に、環は就くことになった。

――もう少し、もう少しで手が届く。

 一人になったとき、環は誰にも見せない表情を浮かべた。その眼に浮かぶのは、恨みの炎だった。

 環にとって異端と呼ばれ、凶兆と恐れられようとも、子は子であった。子を殺された環が流した涙は、恨みと怒りの奔流そのものであった。子を殺された恨みは相手が誰であろうとも消えることはない。恨みの念は王ただ一人に向けられた。

 しかし相手は邦の頂点に君臨する王。数百年に渡りこの邦を支えてきた絶対者である。近付くどころか、その姿を見ることすら叶わない。しかしただ一人、令尹のみが王への面会を許されていた。

 自身の恨みの念を向けるべき相手をこの目で見て、その近くへ迫り、仇を討つために、環は令尹の位を欲し、ついにそれを獲得したのである。


 令尹となった環であったが、王の姿を見る機会はしばらく得られなかった。

 王の屋敷に入るようになっても、その姿は帳の向こうに隠されていた。屋敷に入る際には寸鉄すら帯びることを許されないため、無理に踏み込んだとしてもその命を確実に奪うことは難しい。

――失敗は許されない。

 一度失敗すれば、もう環は自身の命を保てないだろう。上手く逃げ切れたとしても、二度と王に近付くことはできなくなる。

 環は待った。好機をひたすらに待った。

 そしてその好機が訪れないまま、三年の時が流れた。


 その日、環は王に呼び出され王の屋敷に向かっていた。

 屋敷の門前に立った環は、屋敷を包む雰囲気が普段と異なっていることに気付いた。

――ずいぶん警備の兵が多いな。

 普段の倍はいるだろうか。何事かあったのか、と警備兵に問いかけてみても「王の命令です」という答えしか返っては来なかった。

 訝しがりながらも屋敷の中へ入り、謁見の間へ向かう。が、今度はいつも謁見の間の前に控える警備兵がいない。

――どういうことだ……。

 外の警備を強化し、内は人払いされたように誰もいない。

――つまり、これから話すことを私以外の誰にも聞かれないように、ということか。

 どのような話をされるのか。環にはまるで心当たりがなかった。しかし環は心臓が高鳴るのを抑えられなかった。

――待ち続けていた好機が、ついに訪れたのか。

 今、この屋敷には王と自分のたった二人しかいない。王を殺そうとしても、止めることのできる者は誰もいないのである。

 歓声を上げて部屋に駆け込みそうになる自分を抑えながら、謁見の間へ入る。

「令尹環でございます」

「来たか」

 いつもの帳の向こうから聞こえる王の声。

 環は平常通りやり取りを装いつつ、静かに少しずつ王のいる帳へ近付いていく。

 一歩。

「今日は予の秘密をそなたに伝えるために呼んだのだ」

 二歩。

「秘密、でございますか」

 三歩。

「ああ、こちらへ来て、この帳を捲るがよい」

 環はその言葉に驚き、思わず足を止めていた。

「い、今、なんと」

「帳の中を、私の姿を見せてやろうと言ったのだ。それで私の秘密の全てがわかる」

 そのとき、環は不思議な違和感を覚えた。

 その原因の一つは、王の一人称が変わったことであろうか。当初口にしていた”予”とは王が自身を呼ぶ際に使用する王専用の一人称である。しかし秘密を明かすと告げてからは、一般市民も使用する一人称に変わっている。

 しかしそれだけが原因ではない。それ以上に、その声や話し方に覚えがあるような気がしたのである。

――いや、王の声は知っている。今の声もそれと変わりはない。

 だが、それだけではない何か別の記憶が、環の記憶の奥底から呼び起こされそうになっている。しかし記憶を辿ろうとしても、魚の小骨が喉にひっかってなかなか出てこないように、思い出すことができなかった。

「どうした」

「いえ、なんでもありません。失礼します」

 促されるまま、帳を捲る。

 そこにいた人物を目にしたとき、環の喉にひっかかっていた小骨はきれいに取り除かれた。

「桀様」

 それは死んだはずの前任の令尹である桀だった。

「久しぶりだな、環。いや、帳を向こうとこちらで幾度となく対面はしていたがな」

「な、なぜ貴方がここに。貴方は亡くなったはずでは……」

 亡くなったはずの桀が、王の代わりにこの場にいる。その意味するところはなんであろうか。

「貴方が王を殺し、王に成り代わっていたのですか」

「それは半分正解であり、半分誤りだ」

 混乱に陥りかける環に座るように促す桀。そして事の次第を静かに語り始めた。

「王に成り代わっていたというのは事実だ。私は三年前に死んだことになって以降、王としての役割を背負った。しかしそれは私欲を満たすために王の位を簒奪したわけではない」

「ま、まさか」

「さすがに環は聡明だな。ここまでの話で既に王とはどういうものかを察したか。そして、何故たった一人の王が数百年もの長きに渡りこの邦を治めることができていたのかを」

「王とは、ただ一人の人物が担っていたわけではないのですね」

「その通りだ。王が死ぬとそのとき令尹の位にあった人間を死んだことにし、その者が王の位を引き継ぐ。それがこの数百年繰り返されてきた王とこの邦の秘密だ」

 王とは一人の人間ではなく、多数の人間に引き継がれてきた仕組みそのものであったのだ。

 王の死を隠しその役を代わりの者に引き継がせることによって、”王の死”という邦にとっての最大の凶事を排除する。正体が秘匿された存在が神秘性を生み、それが数百年続いたという事実がその神秘性を補強する。そうして王の権威は磨き上げられ、権力を維持する根源となっていたのである。

 そして、環がその真実を理解したとき、もう一つの真実を理解せざるをえなかった。つまり、環の子を殺す命を下した”王”が何者であったか、ということを。

「私の子を殺すよう命じた王は先々代の令尹であったお方ですね」

 その人物のことを環は直接はあまり知らない。環が神官となってまもなく令尹は桀となっていた。そして今、王の座にその者がいないということは、既にこの世を去った後ということでもある。

「ああ、お前の子のことか。可哀そうではあったが、仕方のないことだ」

「仕方のないこと……」

 環の中に、再び怒りの炎が燃え上がった。

 それは何に対する怒りだったか。

 我が子を殺す命を下した先代の王にか。それを仕方ないと言い切った桀にか。我が子に異端の生を与えた神にか。我が子を守るために何もしてやれなかった環自身にか。

 環の心中で熱を発する怒りだったが、しかし環はその怒りをどこへ向けるべきかわからないでいた。

 環はその答えをついに見つけることはできなかった。

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