第九回.合流
「ここだけは町とは違うんだな」
町にはほとんど枯れ果てた緑しかなかったが、水狼様の森とやらは緑が鬱蒼と生い茂っている。水脈が入り組んでいるのだろうか? 森と町を繋ぐ両端の水路らしき側溝には水は流れていないんだが、森だけは元気そう見える。風に運ばれ溜まったであろう砂の中に、足跡がある。危険だから誰も立ち入ることはしていないはずではなかったのか。まだそれほど日は沈んでいないはずの森だが、鬱蒼と生い茂っているおかげで薄暗い。狼の生息区域らしいが落ち着く。町の日差しに比べたらこの薄暗さは。
「ララミンとババは、このまま俺を逃して良いのか?」
この世界の犯罪者は義務によって償いとする。その全てを司り、様々な刑を課すのが大法廷。俺が世話になってるのはこの国の法廷ばかりだが、世界各国に支部があり犯罪者の統括に勤しんでいるらしい。流浪中に出会った同類者たちも、監督者の監視の下で奉仕活動やプライベートへの介入制限。これは明らかな人権侵害でもある気がするんだが、犯罪者にそんなものは無いものなのだろう。
この世界には一時的に罪人を収監する施設と特定の能力者による犯罪に対しての義務更生の施設はあるが、それ以外に犯罪者を更生する専用施設は存在しない。そう言うものがあるほうが無法者の減少にも手を貸すことになると思うのだが、現実には犯罪者には監督者が四六時中監視し、義務を指導する。だが、犯罪者もそう簡単に更生義務を解消しようとする奴らばかりではない。俺もそうだ。武具の溢れる世の中では逃亡も監督者の殺害もないわけではない。故に監督者にも義務がある。身の保全と罪人に対する義務解消への更生指導の為に、基本的人権の剥奪とプライバシーの侵害を犯す。そして、心を預けぬ義務。徹底指導された白の人間は、無垢の白ではなくなる。染まる白ではなく染める白。最も相性が悪く、最悪の敵でもある。
「こうも自由すぎると実感すら失せるんだがな」
一月ほど前に俺は大量殺人で裁かれた身、だったよな? ついそんなことをしたのかどうかが分からなくなる。これまで三度の監督者は徹底的に厳格指導してきた。正直何度殺してやろうと思ったが、バングルを嵌められ能力を使役する度に力に反応して激痛をもたらされ耐えるしかなかった。その上能力者に付く監督者は同じ能力者。それも熟練された専門訓練を受けた人間とあっては、そんなものを知らない俺には常に敗北認識と見下しに晒された。更生ではなく屈辱による精神崩壊を、大法廷は白だと言う。
軽罪であればその罪状に応じた義務になり、それは謹慎のようなもので済む。幼少の俺の犯した刑で言えば、義務は清掃、活動時間の全てを学習、異性への接触不可及び接触されるも禁止など、今思えば大したことではない。羞恥に晒されることもあれば、労働に駆られることもある。その義務は多種多様であるが、監督者は共通して無慈悲厳格。俺もそれが至極妥当だと思っていたのだが、その常識的認識は覆された。あまりに変化のない自由。それがかえって腑に落ちないものがある。喜ばしいことではあるが、物足りなさを俺は感じているのだろうか。
「気にする必要などないんだが・・・・・・」
ふとした拍子にララミンとの比較を投影してしまう俺がいる。
「世界一素敵なものを目の前に、だったな。そう言えば」
それが俺に課せられた唯一の義務。
あの時ララミンがジジイの言葉を遮り、俺に言った言葉。俺を見下ろし、犯罪者を前にしてもまるで臆する様子もなく白でしかない法廷内に、俺の闇のような漆黒の四つの長髪の束を揺らす少女の言葉。
『ガスイの義務は、世界一素敵なものを私の目の前に見せて。それが義務』
俺がこの町を選んだ理由。俺がこの町へ来た理由。手っ取り早く義務を解消しようと、俺が流浪した地の中で、スズライの町の景観は最も綺麗な町だった。まさかこんなことになっているとは思ってもみなかった。
「何が?」
そうなると、俺には正直なところセンスはない。期待するだけ無駄と言うものだ。
「義務のことだ」
「あー・・・・・・。まっ、今までだーれも解消出来ない義務だもん。私も期待してないし、どうせ解消する前にガスイも死ぬんだよ」
世界一素敵なものとは一体何を以って素敵と称するものなのか。俺の闇と言うものに置き換えるなら、絶対暗度になるものこそが闇。希望なる光も、己自身の存在すら確認出来ないものが闇。
「素敵と言うものは、光なのか?」
「そなんじゃない? 私だって何が素敵なのか知らないもん」
光か。だとすると俺が思い浮かぶ素敵と言うものは、ただ一つ。
「あっでも、大法廷とか全然素敵じゃないし、もしそうだとか思ったんならその思考は最悪だから今すぐお医者に脳みそ取り替えてもらう方が良いよ」
「そうだな。俺も一瞬考えたが、どう考えても素敵じゃない。白という神に固執しすぎだ」
大法廷が世の中の善と悪を色として表している。その最も大きな判断色は、白と黒。生まれた瞬間の無垢な白を神とし人間の秩序を白と定義づけているが、それは間違いだろ。神なんてもの存在しない。世界中にいる孤児や無法者がいるというのに、神は何をした? 何も出来ぬと言うのであれば、そこに神はいない。故に悪行は悪ではない。善なる神がいなければ人を殺したところで罪ではない。それが俺の認識であり、黒という色。生き抜く為に、殺しは必要不可欠な本能と欲求に過ぎない。
「私もちょっとおじいちゃんたちのやり方って極端過ぎると思う。白に拘りすぎると無垢な白じゃなくなっちゃうんだよ。白って染まらないんじゃなくて染められないだけ。黒と対極でも、拘れば黒と紙一重の色でしかないの。おかげで私だって苦労してるんだから、もう少し忠実に成ろうとか思わない?」
脛に全盲の人間が持つ歩行補助棒を当ててくる。地味に痛い。
「思わんな。大体、何故俺が子供の言いなりになる必要がある?」
「大人だろうが子供だろうが、能力ある人間に貴賎はない。何だかんだで縛られないとか言うくせに、ガスイって拘ってるよね?」
「説教される謂れはない。子供は子供らしくじゃれて遊んでろ」
「じゃあガスイは大人の思考なわけ? まだ二十歳そこいらで大人だとか思ってんの? 流浪してる奴なんて所詮仕事もないプーでしょ? 子供じゃん。私、これ仕事だから。ちゃんとお給料も貰ってるんだよ? 誰が監督者になってからずっと衣食住の面倒見てあげてるんだろうねぇ?」
そう言われると俺に反論の余地がない。欲しけりゃ盗み、奪うだけ。手元にある金も殺した賊の持っていた穢れた金だ。金なんて流れもの。善人の金も悪人へ流れる。金は全て穢れている。
「暗くて恐いから、いつも以上に早口になっているのか?」
「馬鹿じゃない? 私全盲で朝昼夜なんて見たことないし、光なんて知らないんだけど? ぶっちゃけ、ガスイよりも闇に関しては知ってるつもりなんだけど?」
それもそうだな。俺は光を見ているから闇を求める。それが本能。それすらないこいつは、一体どこが白だと言うんだか。
「・・・・・・でさ、いい加減ツッコもうとか思わないわけ?」
「初めから来ていると思っていた。森の入り口の足跡に杖をついた跡があったからな」
足跡の先に、左右に点在する穴があった。それが杖で道を確認して歩いた歩跡だと分からんわけがない。幾度と目にしてしまえば。それに闇の中は光り差す場所以上に、俺にとっては視力が上がる。歩きが下手なララミンの姿などすぐに見つけた。
「つまんない男。女を満足させたことなんてないでしょ?」
「男を知らん小娘に言われる筋合いはない」
どこまでマセたガキだか、呆れるばかりだ。
「で、何をしにここに入った? 町民なら足を踏み入れぬ聖域だそうだぞ」
「暇なガスイと違って私はやることがあるの。とりあえず今は用ないから、適当に好きに遊ぶなり、強盗するなり、人殺しするなり、自由にしてていいよ」
「監督者の言葉じゃないな」
犯罪を助長するようなことを監督者が堂々と言うとはな。呆れてものも言えんぞ。
「言ったでしょ。課す義務は唯一つ。それ以外において監視対象者に対する更生処置はしないの。面倒いし、どうせSランクの犯罪者が更生出来るわけないじゃない。言えば出来るの? 言わないと出来ないの? 大人なんでしょ? 自分のやるべきこととか自分で直すべきことを、いちいち指南されないと出来ない? それで私に大人だって言える口って相当軽いよね? 大人としてその態度ってどうかと思う私って変? 至極全うな意見だと思うんだけど? その辺りの見解を言いたいなら聞くよ?」
絶好調だな。俺の心はズタボロだ。ララミンにとってそれが普通だとしても、恐らくこいつの義務を背負った先人は、その毒に耐えられなかっただけじゃないのか?
「無いなら口出ししないで。いい加減認識改めてくれない? 何度も言うのってすっごく面倒臭いの」
子供は素直なものだろう。だからこそ大法廷は孤児に対する支援を怠らないと言う噂を聞いたことがある。それが果たして真実の善であるのか俺には計り知れんが。
「何をしに森に入った?」
「聞いてた? 私の話」
ララミンが明らかに不機嫌に俺に言うが、一人で森に入ったことが俺には疑問が残る。
「ババはどうした? この森は狼の生息地だぞ」
俺の義務の具現の少女。俺にとっては能力者以外の人間の監視者であり監督者。あり得なかった。全盲である障害者であり、俺からすればすぐに殺せるはずのただの人間。一人で歩行すらままならないと言うのに、狼の餌になりたいのかこいつは。
「私に関することを詮索するのも禁止って言った。ガスイに殺せない私が、狼に殺されるわけ無いって分からない? 私は私でしないといけないことがあるの」
何をするのか興味がないわけではないが、俺も俺で確認したいことがある。大人しく引くつもりはない。
「悪いが俺も用がある」
「水狼の正体知りたいんでしょ? 水狼はただの狼。ティドゥと同属なだけ。これで分かった? ガスイがいるとこじれるの。短気だから絶対倒そうとする。あれは倒しちゃいけないの。私にスズライの景色を世界一素敵なものだって言いたいなら、帰れ。邪魔」
俺はこいつにそんなことを微塵でも口に出したことはない。だが、何故こいつの勘はそこまで見抜く?
「俺はこの目で確認しなければそれを事実として認識しない。お前こそ俺の邪魔をするな」
「分かってないね。そんなに言うなら好きにすれば? どうせガスイは町の外で待ってるティドゥの所に戻ることになるから」
盛大にムカつくため息を漏らしながら、その歩みを再開する。両端を側溝で固められ、気を使いながらの杖裁き。道の真ん中を陣取るから追い越すに追い越せん。
「先に行かないの? デカイ口叩く割に肝っ玉小さい?」
「道幅が狭い上に、お前が中央歩いて杖使うから先に行けないだけだ。勘違いするな」
「見栄っ張り」
「違う」
「誰もいないんだし、照れなくても良いって」
「勝手な思い込みも甚だしいな」
カツンカツンと、リズム良くララミンが杖を左右に揺らしながら小さい歩幅で歩いていく後ろを、結果的についていく羽目になっているが、ララミンの言うことなど戯言だ。俺よりも頭二つは小さいくせに、態度だけはその数倍はデカイ。こいつの脳内を見てみたいもんだ。
「一つだけ、言っとく」
「何だ?」
「ここの狼は、一匹だって殺したらダメ。もし殺したらスズライが滅びるよ」
冗談とは取れない口調。こいつは口調に感情をはっきり混ぜてくる。冗談は俺の心を何度も傷つけてくるが、嘘を言われたことはない。それは子供だろうと俺の監督者である大法廷の人間だからかは知らんが、その口調はいつぞやの俺の予想を確証に変えた。
「何の因果がある?」
「犯罪者には無縁のこと。気にするだけ無駄」
きっぱり気持ちが良いくらいに言ってくれる。毒の耐性さえ完璧に備わってれば、こいつは一番楽な監督者なんだが、どうも俺はまだ精神的に未熟だ。
「俺は俺のするべきことをする。自由なんだろ?」
「うん。でもガスイの主として命令。絶対に狼を殺しちゃダメ。殺したくなったら町に無法者を好きなだけ殺せばいい。私が監督者に就いた以上、これ以上の殺人に関しては別に大した追加義務はつけないから」
「狼は殺すのは禁止で、人を殺すのは良いのか?」
こいつの中で人間と言うものの存在の位置づけは、一体どの順位に分けられているんだか。
「良いよ、別に。誰が死のうと私に関係ないもん。私は他の法廷の人間みたいに面倒なことまで面倒看ないから。自分が大人だって言ったからには、少しは自分で責任持って行動して」
やはりこいつはいつか殺すべき対象だ。俺が殺さなければ、殺される気がしてならない。
「前は追加義務を課すとか言ってなかったか?」
黙っていれば周囲の人間の心を掴むことくらいは簡単だろうが、一度口が滑るとトコトン滑るから結果的にこいつの行動は、最終的には一人になっている。初めから一人の俺とは違い、人の心を見透かし徹底的に弄ってくる。子供のくせにどこまで道を踏み外したように生きるんだか。
「臨機応変。小さいことに拘ってても良いことないよ?」
動き出してきたみたいだな。ララミンが気付いているのかは知らんが、明らかな殺意を感じる闇だ。
「常に言動を覆しているようだと信用を失くすぞ」
数にして、およそ二十。思っていたよりも群れとしては大きいほうだ。通常狼は一家族で群れを成す。多くて五、六。二十など聞いた事がない。
「誰に信用してもらうわけ? 監督者に必要なものは孤高。馴れ合いしたくて犯罪者と一緒に旅なんかするわけないじゃん。それに旅の信用なんて、これで十分得られてるでしょ」
ララミンがスカートの裾を持って軽く広げる。大法廷の人間にか欠かせない装束、白のワンピース。生地は厚手で一張羅には見えんが、白に染められた装飾も日の下では俺には眩しすぎる。一般人から見ればそれを着ているララミンは可愛い女子だろう。行く先々で全盲と言うハンデもあるからか、可愛がられている。だが、その横に俺がいてその装束を纏っていると言う現実を把握した時点で愛くるしさから崇拝に変わる。おかげで一人流浪に比べれば何もせずとも食にありつける。あながちララミンの言うことは間違ってはいないが、子供と言うものはそれで良いのだろうか。町で見る親子を見ての感想でしかないが、何も悪人を謳っているわけでもないから、感じることもある。
「私の心配するんだ?」
「するわけないだろ。何度俺はお前を殺そうとした?」
「一度も傷すら負わせられたことなんてないけどね」
「お前は色能者じゃないのか?」
普通の人間であれば、オンブルに入った時点で命は俺の掌の上。握り潰すも離してやるも自由だが、こいつはその呪縛を無視する。つまり平然とテリトリーから抜け出す。
「まともに歩けない私が、何の能力持ってるって思ってる?」
緊張感無く、自分のペースで一本道を歩いていく。俺からすればその歩みはイラつく程の遅さだが、先を急ごうにも側溝が想像以上に深い。ふらつく足を見ていると、こっちが気になる。
「ならどうして俺の力が通用しない?」
「未熟だからじゃないの? 黒の力のくせに今まで他の色と手合わせしたことないでしょ? 黒なんて早々目覚める色じゃないんだから、本当はもっと毒々しい絶望くらいあるもんなんだけど、感じないよ?」
痛いところを平然と突いてくる。他の能力者は確かに接見したことはあるが、この世界でそうそう戦闘などしない。能力者同士の戦闘はすぐに法廷が出てきて厄介だ。
「やっぱり浅いね?」
こいつの言葉はいちいち棘棘しい地味な痛みを含むから腹が立つ。
「お前は、もしかして死人か?」