第八回.スイロウ
「行くことが出来ないんです」
真剣な面持ちでアリスの視線が下がる。
「聖域だからか?」
頷く。水源はこの町にとって発展の元になった一種の神聖視すべきものだろう。町の人間にとっては宗教的位置づけではなくとも、源であれば同等の価値があるということか。
「でも、それだけじゃないんです」
アリスの目が巨塔ではなく、別の方に向く。その先にあるのは緑。あの一帯だけ緑が枯れていない。水分含有量の多い土壌だったか? 俺の視線を辿った答え。つまりあそこが水源。
「・・・・・・泉が枯れたのは、突発的ではないんです」
アリスの表情が曇る。さて、俺はどうするべきか。貴重な果物まで出され水を飲んだわけだ。一食一飯と言うわけではないが、敵意も故意もない下からの物言いと厚意につい連れられてしまった以上、聞くくらいはするべきなんだろうか?
「水狼様は知っていたんです」
どうやら拒否権は行動で示す以外、俺にはないらしい。どうして女は勝手に話してくるのだろうか。その馴れ馴れしさが嫌いなんだが。
「この町の栄華に埋もれた水資源の乱用だろ?」
眩しいくらいに水に溢れた町だ。周囲には山も川もないのに、平原の中に現れた水のオアシス。湧水に頼りきったことを忘れたからこそ、この町は気付くのが遅かった。
「はい。きっと浮かれて忘れていたんです」
無窮に懇々と湧き出る宝など存在しない。どんな資源にも枯渇はある。俺でさえ闇は無窮ではない。俺もいつかは死ぬ。老いていく分、能力も俺が死ねばなくなるだろう。
「一つ、聞きたいんだが?」
「はい?」
アリスの話は全て聞かずとも筋書き通り。だからこそ、答えの分かる長話は嫌いだ。
「水狼とは何だ? それが枯渇の原因で、お前たちが聖域に近づけない理由だろ?」
神なのか、生物なのか、幻夢なのか。水源の石碑だかで祈りを捧げに行くことが出来ないと言うことは、それなりに恐怖の対象でもあることだろう。でなければ立ち入ることが出来ない理由が分からん。
「水狼様は、狼、なんです」
―――狼。それがスズライの水神と崇められる存在か。この事態に陥っても狼を崇めるのはどうかと思うが。これだけ町の危機であるなら原因究明として、水狼の森とやらに立ち入る必要があるだろう。どんだけ宗教に侵された町なんだ、ここは。
「水狼様は、ただの狼ではないんです・・・・・・」
恐怖を帯びた目。俺にとっては話しやすい目色。眩しいよりも気が楽になる。昔来た時よりも、正直今の町のほうが室内で限れば過ごしやすいと言うことは、言わないほう方が良いのだろう。
「あっ、もちろん他にも狼はいるんですっ」
何を焦ったか、狼を擁護するように俺に言うが、俺は聞くだけで別に何かをしてやるつもりなどない。
「で、続きは?」
「・・・・・・はい。水狼様は、他の狼とはまるで違うんです」
他の狼とは違う狼? 意味が分からんな。
「私も、見たことはないんですが、昔、父が森に入って見たそうなんです」
「水狼様とやらをか?」
表情が冴えない。暗いと言うわけではないが払拭できない不安でも抱えているような。
「私とお姉ちゃんが子供の頃なので、十年以上昔のことなんですけど・・・・・・」
アリスの話は、俺にとっては興味をより一層引き立てるものでしかなかった。森に行く俺を引きとめようとしていたが、今更遅かった。目的のない俺に思いがけない目的を生み出したのだからな。