第六回.アリス・カミナブル・ラナル
「・・・・・・っくしょいっ!」
「だ、大丈夫、ですか?」
「ん、ああ。問題ない。砂埃が鼻に入ったんだろ」
如何せん、服を下ろすと呼吸が楽にはなるが、今のスズライだと砂煙が鼻と口に遠慮なく入ってくる。顔を覆い隠すくらいに前髪を伸ばす必要があるかもしれないな。
「長時間外に出ると、今は大変なんです」
「湯浴みも出来んだろ? これだけ節水を余儀なくされているなら」
「あはは・・・・・・臭い、ます?」
アリスが恥ずかしげに頬を染め、胸元の衣類の匂いを嗅ぐ。勘違いさせたようだ。
「そうじゃない。室内と町の様子を見て思っただけだ」
室内の至る所に水瓶がある。水が減っているとは言え、溜まっていると言うことは機能している証拠。それだけ水が貴重であれば、湯浴みなど贅沢と取られ、非難されるだろう。
「さすがは行商の家だな。ここまでの水の貯水はそうないだろ?」
通された部屋から見えるだけでも、大型の水瓶が四つ。内二つは貯水量が三分の一ほどだが、残りは満量。見てきた町の光景と人間の生活を見ていれば、ここは高水準の範疇だろう。
「日頃から父がそうしてただけです。貯水なんてしてなければ、どこも同じですよ」
水が尽きることなく溢れる町で重要性を認知した上で貯水など、行商だからこそ他の町の生活を見ている殊勝な心がけだ。あの親父がそんな人間だったなんて、今思えばおかしくもあるが出来た男だろうな。
「悪いことではない。卑下にするな」
「・・・・・・・・・」
「何だ? 何か俺についているか?」
急に俺を見て固まった。いちいち反応が顔に出る娘だな。姉妹そっくりだ。
「あ、いえ。ガスイさんって・・・・・・その・・・・・・不思議な、方ですよね」
「不思議、か。色能者は大抵何かが欠落しているもんだ。一般人とは違うだろ」
色が何かを支配するため何かが欠落し、力が備わる。俺には何が欠落したのかはよく分からん。他人との接触を避けてきたせいで、それを鏡に通して見ることがない。ララミンのおかげで意外と我慢強いんじゃないのか? と言う一面を見つけた反面、打たれ弱いと言うことも気付いた。それが欠落したものか、確証はないが可能性はある。
「そうじゃないですっ。そう言う意味じゃ・・・・・・っ」
「そう言う意味だからこそ、結びつく延長がお前の言うことに繋がる。それが結果だ」
出された水を遠慮なく飲む。他の町とは違い、それなりに鮮度は多少は落ちているが、スズライの水だとすぐに分かる水質と甘みのある味がかすかにした。後腐れのない清涼感が特徴だろう。
「・・・・・・すみません、私、馬鹿なので、ちょっと良く分からなくて・・・・・・」
俺の言葉にアリスが困惑に小さく苦笑する。その歳で理解される方が恐い気もするんだが。
「気にするな。お前の言う通り、俺は不思議な奴だと言うことだ」
否定はしまい。不思議と言うよりは、俺の常識と一般人の常識に差異があるというだけだ。俺が不思議に思うことは不思議ではなく、不思議に思われることは俺には不思議ではない。
「しかし、お前は同行しなかったのか?」
アリス・カミナブル・ラナル。背中に声を受け、しばし戸惑った後にそう名乗られた。ただ名乗られただけなら、こうして家にまで足を運ぶことはなかった。
「お姉ちゃんは跡継ぎだから勉強も兼ねてお父さんと一緒に行ってるんです」
こいつはあの時のリノアの妹。親父の子であると思うのは、素直と言うところだろうか。
「それに私は、畑があるので」
「家族経営か。行商で自家栽培とはまた珍しいな」
卸を仲介せず利益の独占か。スズライの町ならではなのかもしれないな。あれだけ環境に恵まれていれば全てが家族経営で成り立つ家系も存在するだろう。この家もその一つ。それで片付ければ理解は出来る。
「でも、今は泉が枯れて、雨も降らないですし、気温も高くて、折角の実りも大半はやられちゃうんです」
「乾風害と水不足か。土地も餓えるもんだろ」
水不足な上に、高温乾燥風に作物がダメージを受けるのか。高騰しても仕方はないとしか言えないな。
「苦労してるな」
俺はそれで済んでも、アリスにはそうもいかないだろう。生活が掛かっているのだからな。
「町長も突然泉が枯れて、対応に困惑しているとかで、なかなか支援も始まらなくて」
「それにしては遅すぎるんじゃないのか? もう数年経っているだろ?」
これほどまでに活気あった街が衰弱している。それほど短い期間ではこうはならない。ここまでに成るには、時間か果ては上の人間の高慢だ。恐らく後者で違いないだろう。
「アリス」
水瓶の水を掬って食器を洗っているアリスに、少しばかり聞いてみたいことも浮かぶ。
「何故この町に残る?」
「え・・・・・・?」
何をそんなに驚く。俺はただどうしていつまでもこんな町に残っているのかを訊ねただけなんだが。
「これは俺の勘であり、確証のない予想だ」
俺には一つ、思うことがある。白を何度も前にしている愚かな俺だから、思うことだ。
「スズライはいずれ大法廷から粛清を受けるだろう」
これだけ無法者の温床になり、治安悪化、町民の流出、支援未始、環境悪化、土壌衰退、水資源の乱用及び自然資源の枯渇、そうなることを予想し対策を打たず、現状もなお衰退の一途を辿っているのであれば見逃しはしないだろう。ララミンが俺よりもスズライの現状を知っていたと言うことは、大法廷が知らないはずがない。
「粛、清・・・・・・?」
「名ばかりのものだ。町民を他の町へ転出させ、賊を通告なしに審判を下すと言うことだ」
まともな保安官すら見てないと言うことは、機関が機能していない。
「それは、つまり・・・・・・」
「そうだ。大法廷は白という善の下に、スズライを滅すと言うことだ」
国境の町だと言うのに、ここまで廃れているのは問題がある。隣国より人間が流入してこないのは噂が広がっているのだろう。それに便乗した荒くれ者だけが休息の地と勘違いし集う。民がいない町を休息にした所で、無法者も人間。休むことなど出来ないだろう。
「そんなっ・・・・・・」
ガシャァン、と皿が落ちて砕けた。そんなに驚くようなことか? 他町からの支援も十分にあるようには思わない。行商が出ていると言うことは、スズライだけでは再生不能という烙印を押したのだろう。国からの補助もなければ、出てくるのは大法廷。世界秩序を白とし、善義なる下での民の安泰を司る無国唯一の存在。黒に染まることがあるのであれば、白に染め直す。それを平気でするものまた法廷だ。
「あくまで予想だが、俺は大法廷のことは庶民よりは知ってるつもりだ」
否定する要素がない。むしろ肯定する要素ならいくつも思い当たる。
「ガスイさんは、大法廷の方、なんですか?」
とんでもない勘違いをさせたか? あんな眩しすぎて腹が立つ組織の一員なわけがない。
「違う。あんなのと一緒にするな。俺を見てそう思えるか?」
「あ、いえ。・・・・・・あ、す、すみません」
素直な奴だ。少しばかりおかしく思ったりもした。
「現状を見ていれば、この町に残る理由などないはずだが?」
留まることを知らない俺としては、何もなくなった貧弱な町に残る理由なんて考えられん。さっさと他の環境の整った町で安泰に生活するべきだろう。
「それは・・・・・・」
窓の外に見える情景も荒んでいる。覇気のない人間社会にいた所で、それにいつかは毒される。俺とは違う意味でのこの町の毒は、大法廷にとって摘まなければならない毒芽だ。
「そういえば、噴水前で祈りを捧げていたな?」
「え? あっ、はい」
別窓の先に見える広場に立つ石彫りの巨塔。今でこそただの塔でしか見えないが、かつてはあの先から溢れ絶えざる水が霧を成してスズライを包み込んでいた。眩しくてあまり見てはいないが、なければないでつまらないものだ。
「何故塔に祈る?」
噴水はあくまでシンボルとしての塔。祈りを捧げたところで崇拝の対象ではない。届くことのない祈りに何の意味がある? 自己満足で良いのであれば祈る必要はないはずだ。
「喉を嗄らしてまで祈るのは、切迫したものか縋ろうとしているものがあるんじゃないのか?」
俺の言葉にアリスが俺を見る。何を考えているのか読み取れない表情で。
「どうして、分かるん、ですか?」
「何となくだ。長いこと旅をしていると不審なことはすぐ気付く」
と自負しているが、そうでもないかもしれない。他人の考えていることを考えるとは、所詮は交差しない無意味なもので終わることもある。人の考えなど誰にも分かりはしないだろう。恥を掻く為に気を使うことなど御免だ。ララミンのせいでそれをよく知った。