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第四回.スズライ と ガスイ

 リノアの言葉は正しかった。そしてその情報は俺には十分だった。

「随分と様変わりしたもんだな」

 よくよく気づけば変化はあった。行商の列の通った道の脇には、昔は水路が通っていた。俺もよく羊皮の水袋にこの辺りで水を補給していた。だが、さっき俺はその水路が枯渇し、ひび割れた裸地がむき出しなのに気付いただろうか。

「行く当てもない今は、行くしかないか」

 俺の視線の先に広がる町。俺の記憶が正しければ、スズライは絶えず水の飛沫に町を覆われ虹が絶えず掛かり続ける町だった。町の中央から噴出す噴水の飛沫が町を包み込むオアシスとして賑わいがあった。だが俺の視界に入る町は草原の草すら色褪せ、乾燥に包まれている。水風の匂いすらない。

「あいつらは大丈夫か?」

 徐々に活力を失う草を踏みしめながら町に向かうが、毒を喰らい過ぎたのか、いらぬ考えに後を振り返るが、その姿を捉えることは出来なかった。俺はこれで義務から逃れたのだろうか? 逃げられないとかララミンは言っていたが、これだけ姿の欠片すら見受けられない距離になれば、俺がどこへ行こうとさすがのババでも掌握は無理だろう。一刻も早く逃亡したい気もあるが、物資の補給をしなければ。何が必要かを考えながら、俺もちらほらと行き交うあまり覇気のない行商の列に混じりながらスズライの町に立ち寄った。

「遠目からよりも随分と変わったな」

 過去の記憶が俺の視界に投影される。絶えず町を行き交う行商の賑やかな馬脚の音に、威勢の良い露店商人の掛け声。俺にはあまりに眩しい町だった。それでも溢れる物資と活気に隙もあり、気付かれることもなく盗みを働くことも楽な町だった。多くの平民の影が溢れる分、そこには闇が支配しやすくなるだけの隙が溢れる。眩しい分、過ごしやすい町と言うのが俺の印象、だったんだが・・・・・・。

「変われば変わるもんだな」

 デカイ行商の馬車を見かけない。農村にあるような屋根もない小さな荷車が寂れた音を立てて俺の横を通り過ぎる。収穫した野菜が載っている。新鮮で瑞々しさがあるが、量が俺の記憶にあるものの数分の一ほどしかない。リノアたちが言っていた高騰の意味が実感出来る。横目を少しずらして見れば、見受けられるのは聞いた話の通りにほとんどが流浪者か盗賊だろう。町の人間の姿なんてあってないようなもの。町政が衰え生活が不安定になり、町民は他の生活水準の安定した町へ転出したのだろう。かつての露店の数には遠く及ばない点在する店から漂う香りも大して食指を誘おうとしない。

「泉が枯れたとか言ってたな」

 行ってみるか。坐り場でも溜まり場でもない軒先に座る人間の目には、絶望に近い闇の色が溢れている。悪いものじゃないが、肩が凝りそうな空気だ。

「水を・・・・・・水、を・・・・・・」

 喉の乾きに耐えかねた男が俺の裾を引き、物乞う。それを突き飛ばす。立ち上がる気力もないのか倒れたまま呻くばかり。情を求めているのだろうが、俺にそんな情はない。水の能力を持つ人間ならば、この町では救世主だな。金ではなく水を求めてくる人間に溢れている町だ。

「おい。それ、水だろ? よこせよ。命が惜しいならよ」

 町民に限らず、荒くれもか。廃頽を辿る町に何を求めて残るのか分からん。水のないスズライは、もはや価値のない町。用件を済ませてととっと去るか。

「愚族が色能者に何を出来る?」

 眼力を差し向ける。血を出さずとも開いての目を捉えれば、そこに俺の闇を投影する。俺の目は他者を映しはしない。全てを飲み込むだけ。

「うっ、あ、いや・・・・・・じょ、冗談だってっ・・・・・・」

 愚かな人間ごときならそれで凄む。これが普通の反応。

「ちっ、色能者かよ・・・・・・」

 引き下がり際に舌打ちをされる。愚かな犬ほど良く吼えるとは言ったもんだ。慣れたものに対して殺意を覚えず哀れみすら感じてしまう。

「ほんとに枯れたのか・・・・・・」

 町の中心部にある巨大な噴水広場。スズライの象徴である噴水も枯渇してしまえば、ただの廃墟。廃れる景色は好きだが、少々気持ちは複雑でもある。格別に澄んだ水の味は忘れられない。水を商売に持ち出すきっかけは、スズライの街が始まり。故にその水産業の依存は激しかった。そう言うことだろう。水袋に入った残り少ない水も補給したかったが、我慢しかないかもしれない。

「・・・・・・?」

(すい)(ろう)様、どうか、どうかまたスズライに清く無窮の水をお願いします。お願いします」

 眼前に手を組み合わせ、噴水前に跪いて祈る女がいた。ララミンよりは年上だろうが、俺よりは年下。こんな子供が祈りを捧げなければならないほどに水不足は深刻かと、どこか他人よりの客観視に傍観する。

「水狼様。どうか、どうか・・・・・・けほっ、けほっ」

 喉の乾きだな。病気には思えない肌色。湿気のない乾燥風に巻き上がる砂埃。あれだけ声に出して祈りを捧げていれば肺に粉塵が溜まるぞ。

「おい、うがいして飲め」

「え・・・・・・?」

 何をしてるんだか俺は、と自分に呆れる。この数週間の間に妙な毒まで注入されたか。何故俺が人間に水を差し出してるんだか。自身が可笑しく笑えた。

「声が掠れてる。唇もひび割れしてるぞ」

 こんな少女がいると言うのに、ララミンは呑気にブドウを食ってたな。世も末かもな。

「いい、んですか・・・・・・?」

「子供が遠慮をするな。毒など入っていない」

 何故か羞恥を感じてしまう。それと同時に差し出す水に警戒のような遠慮をする少女の瞳孔。俺に対する怯えは構わない。慣れたものであり、そう認識させることで余計な関係の構築を避けるには最適。だが、この少女の見上げる瞳に宿るのは、それとはまた異なる色。困惑と戸惑いに近いかもしれない。

「水だ・・・・・・」

「水だとっ!?」

「水・・・・・・水っ」

「あっ・・・・・・」

「何だ?」

 少女が伸ばしかけた手に差し出した瞬間だった。近くで生気を失っていた人間の目が衝動に駆られる獣のように光った。

「水だぁっ!」

 水面に落ちる一滴の水滴による波紋の広がりとでも言うのか、こういう現状のことは。

「廃人の集い場か、ここは」

 俺の水袋を狙う目の早いことだ。こうなりそうな予感がしていたからか動揺はない。賊であろうと町民であろうと一様に喉を鳴らしている。ここは地獄かとも錯覚を起こしそうだ。思っているほど水は入っていない。振れば乾いた水音がする程度。飲んだ所で余計に乾きを促すぞと言ったところで、無意味だろう。狂乱に呑まれた目が物語っている。

「あ、あのっ・・・・・・」

「みっともない大人ばかりだな。来い」

「えっ!? あっ・・・・・・」

 ―――自分よりも弱い人間をいたぶるんじゃなくて、守るの。それが子供なら特にだよ。未来を潰す人間なんて存在価値ないの。

 こんな時に浮かぶものがララミンの言葉と言うのが気に食わないが、この現状を傍観していてはこの少女に災が及ぶだろう。真に受けたわけじゃないが、寄ってくる大人どもの目を見ていると、何を仕出かすかも想像が出来ないほどに病んでいるこいつらは罪に問われないのだろうかと、俺と比較してしまう。

「オンブル」

 親指の腹を軽く噛み、血を影に落とす。その間も俺のことなど無関係に水飲みを求める狂気の目はにじり寄ってくる。駆けてこない分マシだろう。その体力すらない現状の町とは見捨てられたのか、国に。

「しっかり捕まっていろ」

「え、あ、あの・・・・・・」

 突然のことに動揺しているのだろうが、俺が差し出してしまった責がある。この場は逃げるが勝ちだ。

「デプラッセ」

 物はない。あるのは俺と名の知らぬ少女。

「え、えっ・・・・・・?」

「場所を変えるだけだ」

 体が闇に飲まれていく。少女が先ほどの困惑の瞳の色から不安に変わる。それもすぐに晴れるだろう。沈み行く俺の体と俺に抱きつかせた少女の体が地中に消える。だがオプスキュリテではないから、苦しみも圧迫もない。感じるのは無音、無味。そして光のないただ一色の黒。

 俺が引き寄せていたはずが、いつのまにかしがみつかれている。そんなにも暗闇と言うものが恐怖になるのだろうか。俺には全身を包み、俺自身の姿さえ見えなくなるこの空間は何よりも落ち着くんだが。

「出るぞ」

 掴むものもなければ感じるものもない空間に、平衡感覚も何もかもが奪われる。この世界は混沌も慟哭もない。それを感じる前に人間は探す、己がどこにいるのか。そして見つけられないと分かると絶望し、疲労する。そして最後にやってくるのが悲しみ。常に支配する不安と恐怖に捕らわれながらも、己なりに悟れば慣れが生じる。どんな人間もそうなる。それが人間に備わる本能の一つだ。逃れることの出来ない使命。それは別に言い換えれば本能。生まれ持った闇に俺は疑問を抱くことがない。それが使命であり、俺に備わる本能だからだ。

「いつまで目を閉じているつもりだ?」

「えっ、あ・・・・・・」

 出てきたのは街角の一角の影。出て来たところで町の景観も人間の様子も変わらない。閑散として活気の消えた、かつての栄光の跡。

「い、今の・・・・・・」

 恐る恐る見上げる瞳。どこかの誰かとはまるで違う澄んだ目。これこそが子供だろう。俺には気持ち悪くなる白。だが、俺の主観では世界から除外され嫌悪される。世界は白を善とし、黒を悪とする。故に俺の力は悪の化身。染まらない白に繰り返す悪の素行。

「色能、者・・・・・・」

 驚きの目にすぐ分かる。スズライなら他の色能を有する者も訪れることは珍しくはないはず。俺が訪れたかつても見かけた覚えがある。今は立ち寄る流浪者などほとんどいなさそうだが。抱き寄せていた手を解き、少しばかり離れる。どうも他人と密着していると緊張と嫌気が差す。

「うがいをしとけ。堰が止まらんだろ?」

 忘れていたように俺の言葉を聞いて、乾いた口から吐き出される小さな堰。

「乾燥している中で水分を補給していないな? 肺がやられるぞ」

「でも、こんなお水・・・・・・」

 今のスズライでは貴重。それをうがいに使うなど、とでも思っているのか俺の背の向こう側にいる人間の姿を目で追う。その歳で他人のことをまず気にかけるとは、ララミンに見習わせてやりたいくらいだ。今はどこにいるのか知らないが。

「気にするな。俺は流浪の身。水くらい困りはしない」

 少女が水袋を受け取り、少しばかり口に含んで乾燥を癒すように長く口の中を(すす)ぐ。

「ありがとう、ございました。おかげさまですっきりしました」

「飲んでいい。うがいだけでは喉奥がすっきりはしないだろ」

 うがいした水を建物の合間の影にしゃがみこんで吐き出す。どれほどこの街が乾いているのか、その吐き出された水を吸収する土の力に知った。喉を小さく鳴らし人目を忍ぶように水を飲む少女の体内に入っていく水を見ていると、長居していては俺も乾きにやられると思った。この町にとって必要なもの。それは依存し、掛け流しにしていた宝物(ほうもつ)。生命活動の中で宝物とは何を指すのだろうか。宝石、貴金属、貝、金。その繁栄の栄華に踊っていた町に必要なもの。それは水。天秤に掛ければどちらが重いのか。どちらも元を辿れば価値なきもの。生命を維持する宝が水であるなら、生命の欲を満たす宝が宝物。それに付属し継続し、存在するものが生命。何を持って宝とし、何を持って宝であると認識するのか。気づいた時には当たり前にあったものが、手の届かない場所にあってしまうものだ。故に人間は働く。命より重いものはないと言うが、それは違う。人間は働くことで金を得る。それは、金のために命を削る。つまり世界は金が最も価値があり、重いものだ。

「あ、あのっ」

「・・・・・・何だ?」

 ただ振り返っただけで少女が息を飲んで凄む。そう恐怖を覚える顔を俺はしたつもりはないが、風体がそうさせるんだろう。犯罪者だと罵るララミンは気にもかけないから、その認識が根付いていたが、それは誤認だったようだ。

「あ、えっと・・・・・・その・・・・・・」

 もじもじ視線を彷徨わせるな。ムカつくんだ、そういうのは。言い放ちたかった。だが、義務を負っていると言う思いが俺の胸の中に燻っているせいか、闇の中に飲ませてしまう。

「言いたいことがあるならはっきり言え。無いなら用はない」

 慣れたから良いものの、一言を発するだけで庶民に恐れられると言うのは少しばかり心寂しいものがある。それが俺の定めであるが、白にさえそう思われるのは心労する。

「ま、待ってくださっ」

「何だ?」

 呼び止めておいて、俺に凄んで最後まで言い切らない。どうしろと言うんだ。

「お、お腹・・・・・・」

 恥らうように俯かれても、単語だけでは意味が通じはしない。生憎俺はそこまで博があるわけじゃない。言ってくれなければ事は分からん。

「空いて、ません・・・・・・か?」

 腹が減っていないか、か。減っていれば飯でも与えてくれるのだろうか。

「いや、ここに来る前にブドウを食った。大して減ってはいない」

「ブドウ・・・・・・」

 だが、俺は厚意が嫌いだ。俺が与える好意は意味がある。義務による更生の意味ではない。見下すことが出来るのが厚意。厚意を差し向ける側は常に上から見下ろす。そこに対等は存在しない。与える者、与えられる者。聞こえが良いだけが厚意の真意。俺は見下された気以外を感じることが出来ない。

「これからは祈りは内心で捧げろ。声に出した祈りに意味はないぞ」

 このままララミンから何事も無いと判断できれば、俺は逃亡成功と言うことだ。そうなれば今まで通りの流浪を再開するだけ。留まることが出来なければ、行くだけ。だが、ララミンの義務から逃れたのであれば、俺は目的を失う。目的あって流浪する連中に羨望がある。俺が思うのは唯一つでしかない。邪魔するものは闇に消す。それがせめてもの流浪の目的。その先にあるものなんてない。あるのは俺と同じ色の広がりだけしかない。だからこそ、俺はその色を求めているのかもしれない。本能の求める欲求として。


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