第二十回.ハウンとイヌの義務の旅
「次はどこに行く? 国越えか?」
もう俺の知っている町は全て回った。この国に他に俺の義務を解消することが出来るものがあるのかは知らない。
「ほんとダメだね。流浪のくせにもう行くあてが底をつくなんて。何のために流浪してたわけ?」
相変わらずの毒舌だが、見上げるララミンの顔はそれほど毒を吐いているようには思えない。
「目的なんかない。それを探すために流浪していたようなもんだ」
「だっさ。夢とか自分探しとかする歳じゃないでしょ? そんなだから全身から暗いオーラが漂ってるんだよ。気付いてる?」
「それは能力だ。そう言えばお前はそれがないな?」
能力を有するものは、大抵身体的に関して何かしらの常人とは違うものがある。能力による代償ではなく、特徴というものだ。俺は服装に限らず、まとう雰囲気に黒が漂っている。そのせいで馴れ合いはないが、ララミンは混色を持っている。だが身体的特徴として現れているものがない。
「私はガスイと違って、半端な力じゃないから」
「そうかよ」
法廷にいればその程度は鍛錬なりもあるのだろうな。俺には独学でしか制御する術がなかったからな。
「義務解消の旅はどーせ長いから、教えたげよか?」
「拒否する。ガキに教わる術はない」
「良いけど。なら早く私の義務を解消して見せてよね」
鼻歌交じりでババの背中に揺られるララミン。
「やけにご機嫌だな? 何か良いことでもあったか?」
そんな覚えはないんだが、ララミンにしてみればそう値するものがあったのかもしれないな。俺は退屈なことこの上ないんだが。
「べっつにぃ。誰かさんがなかなか男らしいこと言ってくれただけ」
さっぱり分からんが、毒が少ないならそれで良いだろ。歩きやすいからな。
「あ、ガスイさん、ハウンちゃん」
馬に引かれた荷馬車の座席にリノアと親父が乗っていた。
「おう、嬢ちゃんに兄ちゃんか。無事だったんだな」
ララミンの無事は昨夜知っていただろうから、その言葉は俺に向いているのだろう。
「ララミンが世話になったな」
「何偉そうに言ってんの。ガスイの世話をしてるのは私でしょ」
「権利としてだけだ。ガキには分からんことだ」
世話をしながら世話をされている。子供に金銭的に世話されているのは気に食わんが、財政的に俺が劣っているのは明らかだ。
「無事な上に、こうして水が戻ってきたんだ。礼があるのはこっちだろうが」
親父が笑う。それにつられてリノアも笑みを浮かべる。ララミンは好きにやっただけと言うが、その笑い声に満更でもないと言うことは、これが見たかったんじゃないだろうかと思うが口には出さずにおいた。
「これからまた卸に行くの?」
馬が本当に小さく見えるな。ババがすぐ隣にいると。
「うん。水が戻ってきたことに騒ぎたいのは山々だけど、契約があるから呑気でいられないよ」
荷台に積まれた物資を見ても契約業者への卸だろうと分かる。他町への卸とあれば関係ないことだろう。
「ガスイ」
ララミンが俺を呼ぶ。名を呼ばれただけで何を指しているのか理解してしまったのは、これまでに散々毒を受けたせいで勘が鋭くなってしまったのだろうか。
「リノア、親父でも良いが訊きたい事がある」
「ん? 何?」
「役に立つことなら協力してやるぞ?」
俺が犯罪者だと知っていると言うのに、この家族は態度が変わらない。それはそれでどうしてか喜ばしくない。俺の性分だろうが、どうしようもないことだ。
「その、何だ。訊きたい事ってのはだな・・・・・・」
俺の義務だからこそ恥じる必要などないのだが、大方の人間性を知り、知られたうえで尋ねることに関しては、妙な羞恥を感じる。
「何恥ずかしがってるわけ? それでも男? しょーがないなぁ。ねぇ、お二人さん」
追い討ちを掛けるようなララミンの言葉に羞恥から苛立ちへと気持ちが変貌してくる。
「私ね、世界で一番素敵なものを探してるの。行商をしてるなら色んな所を行ってるでしょ? 何かお勧めのものとか知らない?」
見かねたララミンが問う。親父とリノアが顔を見合わせ小さな唸り声と共に熟考する。
「ちなみにで悪いが、この国以外で何かあれば教えてくれ」
俺にはこの国においての義務解消に繋がるものを見つけ出せない。
「ねぇ、ハウンちゃん、ガスイさん」
リノアが俺たちを呼ぶ。俺は正面を、ララミンは何となく声のした方をババの毛の中に手を埋めながら見下ろす。
「それって、義務って言うやつ?」
「私の願いでもあるけど」
俺たちが頷くのを見て、リノアが親父に視線を送る。どうやら何かしらの情報を持っているようだ。
「隣国のハーティス王国にある、ミミルナントって町に行ってみな」
ミミルナント。聞いた事のない町だ。国を出た事のない俺だからだがな。
「そこには何がある?」
「えっとね、あたしたちも見たことがあるわけじゃないんだけど、真実の涙って自然現象が起こることで有名な町なの。それが凄く綺麗だって言う話らしいよ」
自然現象か。この町のこともある意味自然現象だが、またしても水に関係しそうだな。
「へぇ、良いねそれ。ガスイ、行ってみよっか」
ララミンはノリノリか。当人がそれで良いと言うのであれば、俺はそれに合わせるしか出来ない。
「分かった。情報に感謝する」
「どういたしまして。あ、この町で両替と国境検閲は止めて、越えた所にあるガクラって町でした方が良いよ。今のスズライはまだ経済回復が遅いし、貨幣価値がだいぶ落ちてるから」
「了解した」
さすがは行商だな。俺たちにはそこまで考えることはないだろう。
「じゃあ、俺たちは仕事がある。礼はしたりねぇから、またいつか寄ってくれ」
「行商に出てれば会うこともあるかもね」
「そうね。その時にはご飯でもご馳走するわ、ねっ、お父さん?」
親父がああ、と笑うと手綱を波打たせ馬を出発させる。
「アリスも感謝してたからねぇー」
リノアが俺たちに手を振る。振り返す気はせず、見送る。
「ちゃんとお供えはしてあげてね。狼はもう襲ってこないから」
その背中にララミンが声を掛けると、二人が片手を上げた。
「なら、俺たちも行くか」
「そだね。もうスズライには用ないし」
俺が歩き出すと、すぐにババの足が俺の視界の端から白く光を反射してついて来る。
「それで? 何か聞きたそうだけど?」
「何のことだ?」
ババに乗ったララミンが俺に聞いてくる。確かにララミンには訊きたい事がこの町で増えた。
「私のことでずっと疑問持ってるでしょ? 私に隠そうとしても私は見えない分見えてるんだよ?」
人の流れに逆らうように歩いていくと、この町には行った道とは別の出口に着く。騒ぎの声を背に受けながら俺たちはスズライを抜けた。
「うん? 雨降ってきた?」
背に受ける声が一層高く多く空へと響き渡り始めた。
「いや、そうじゃない」
振り返ると俺の視界に眩しいくらいに輝くシンボルが復活の兆しを上げていた。
「見てみろ、俺が見せようとしていたスズライの姿だ」
俺の視界に輝く水しぶきの噴水。町を出た俺たちにまで届く乾燥を吹き飛ばす潤いに満ちたかつての栄光の霧。外に出ても聞こえてくる歓喜の声は、俺には不相応だが、悪い気はしなかった。久しぶりに見るからか、ララミンの言う素敵なものを指すには十分だと思うものだ。
「ガスイって馬鹿?」
だが、そんな俺の思いをララミンは一蹴する。
「私さ、全盲だよ? 見えるわけないじゃん、ねぇティドゥ」
「ワン」
その瞬間、色々と聞きたいことがたった一つの真実で打ち消された。
「どしたの? 固まっちゃって」
俺は愚かだった。何を今更気付いていたのだろうかと激しく後悔してしまう。
「・・・・・・一つ、良いか?」
出てこない言葉を振り絞って、問う。
「別に良いけど、聞いた所で頭抱えるのはガスイだよ? 私は何度も何度も言ったよ? もしかして今更になって気づいたとか馬鹿なこと言わないよね? 自分の義務のこともまともに理解出来てないなんて、最高義務を背負わされた犯罪者としては相当頭弱いんじゃないのかな? ん? そこんとこどうなわけ? 黒の犯罪者さん?」
迂闊で愚かだった。そうだよな。今更なことじゃないか。何度もララミンは自白し、俺はそれを認知していたはずだ。
「お前の義務は、そう言うことか・・・・・・?」
「そゆこと。今更理解されても遅いって話。ほんとに馬鹿だね、ガスイって」
―――世界で一番素敵なものを目の前に。
俺に課せられた最も重たい義務。犯した罪の重さを認知させる義務。
「ほらガスイ、行くよ。あんたは私の犬なんだから、ご主人様の命令には忠義を持って最後まで責任を果たしてよね」
俺を残してババが土道を進んでいく。その背中に乗る少女。俺に義務を課した対極の白と同義の黒を併せ持つララミン。
沸々と湧いて来るのは衝動。それは自身に対する愚かさ。
「いつか絶対葬ってやる・・・・・・」
沸々と湧いてくるのは衝動。それは俺辞任に対する愚かさでいっぱいだ。全盲の少女に対して、俺はどうやって世界で一番素敵なものを見せれば良いと言うのだ? 全く分からんぞ。
「やれるもんならやってみればー? どうせティドゥに噛まれるのがおちだよ?」
「ワンワンッ」
解消前に死んだ罪人。何故かそいつらに対して道場と哀れみを感じてしまいながらも湧いてくる殺意のような憤りに、俺は絶望に近い闇の中へ落とされた気分だ。
「ほらぁ、はーやーくーこーい。遅いよ。私に手出しする奴から守ってくれるんでしょぉー?」
「何で俺がそんなことをしなきゃならん?」
ララミンが恍けた事を抜かしてきた。
「・・・・・・ティドゥ、ぶっちめちゃえ」
「ワンッ!」
そして俺の世界は闇に染まった。不満げなララミンの毒を浴びながら、俺はこれからのことも真っ暗になっていた。
「この義務の解消は、無理だろ・・・・・・」
俺の旅は、そう簡単には思惑通りには行かないらしい。理不尽な義務は白の神から俺に課された最悪の義務かもしれない。
「ガスイは、私の義務を晴らすことは出来るのかなぁ〜?」
「楽しそうに言うな」
ババに揺られながらカニ頭を揺らすララミン。一見は子供だが、中身は悪魔のようにしか見えない。ババの隣を歩きながら、呑気に笑うララミンの言葉が俺を更なるどん底へ突き落としてくれる。
「罪の重さを認識出来るだけでも、成長した証だね」
鼻歌を混じらせ、毒も吐く。歌声は少女の白を表し、俺への毒は不相応な心の黒を表しているのかもしれない。混色という色に染まるララミンの課した俺への義務。到底解消できるとは思えない。認識しなければ良かったと後悔するが、一度知ってしまった事実はそこに不変にある。本当に俺の義務の解消される日は遠そうだ。
「さっ、先に急ぐよ。私のイヌたち」
―――こうはならなかっただろうと、少女のイヌとなった今では、全てが手遅れの悪夢旅と化した。