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第十八回.水の街 スズライ

「さて、とりあえず戻ろっか。用件はもう一つあるしね」

 伏せたババにララミンがよじ登る。先ほどとはまるで違う子供らしい動き。

「ほら、そこのお姉さんも乗って。歩いて帰ると迷って死んじゃうよ?」

「え? あ、うん。・・・・・・いいの?」

 リノアがあまりに淡々としているララミンに二の句が浮かばないようだ。

「乗れと言ってるんだ。大人しく乗っておけ」

 リノアが待っているババの背に乗る。背丈からしてララミンが守られるようにリノアの腕の中に納まる。

「宿は取ってるの?」

「宿は空いていない。今日は野宿だな」

 確かめてはいないが、アリスがそう言っていた。水がない以上まともに営業出来る店はない。

「全く役に立たないんだから。ねぇ、お姉さん」

「うん? どうしたの?」

 ババが立ち上がり、森の外へ歩き出す。ララミンが戻ってきただけで安堵したような歩きになりやがって。俺たちを乗せた時の揺れなんかまるでない。この犬はララミンのためだけに存在しているのか?

「明日には町を出るつもりだから、一晩泊めてくれない? あ、私だけで良いから。あれは犯罪者だし、野宿で構わないから」

「おい、何勝手言いやがる」

「うるさい。私に初めからついて来てれば日が暮れる前には終わってたの。なのに勝手なことばかりするから二度手間掛けられたのは私。その責任を取るくらいはして当然でしょ?」

 終われば終わったで元に戻りやがるな、こいつは。

「あ、大丈夫だから。さっきもガスイさんはウチで夕飯食べて行ったし」

 リノアよ。そう言う余計なことを今言うな。火に油も良いところだ。

「は? 何? ガスイ、夕飯食べてきたからこんなに時間かかったわけ?」

 明らかな不平不満を俺にぶつけようとする序章の開幕。その引き金をリノアが引いた。

「悪いか? どうしようと俺の勝手だろ」

「最っ低。人が何時間待ってたと思ってんの? 私、ガスイと違って子供で小柄で体力ないんだけど?

しかもお昼のブドウから何も食べてないってのに、何一人だけお腹満たしてるわけ? 仮じゃなくとも犯罪者なんだから、監督官に対する礼儀の一つも出来ないわけ?」

自由にして良いと言われたから好きにしたまでなんだが、何故そこまで言われなければならないんだ?

「ララミンちゃん、だったよね?」

「ハウンです」

 リノアが恐る恐る名前を呼ぶとララミンが即答する。

「え? でも、今ガスイさんは・・・・・・」

「ハウンです」

 他人に呼ばれるのは嫌なのか。俺にもそう言うが、ハウンよりもララミンの方が明らかに相応しい。

「え、えっと・・・・・・?」

「ハウン、です」

 三回も言いやがった。そこまで頑なになる必要はないだろ。たかが庶民相手に大人気ない。いや、子供だからありなのかもしれないが。

「・・・・・・ハウンちゃん、ウチで沢山食べれば良いから、そんなに怒らないで、ね?」

「ま、いつものことなんだけどね」

 確かに。むしろいつもよりは毒の切れが悪い。空腹のせいだろう。リノアはいちいち気を使う必要はないが、子供というギャップに呑まれているだけだろうな。

「あ、お姉ちゃん」

「ただいま。アリス、悪いけどこの子の分の夕飯の支度をしてあげてくれない?」

「え? あ、うん」

 俺たちが森を抜けてからも、まだ水は戻ってきてはいなかった。翌朝までにと言っていたからにはそろそろ流れてきても良いと思うんだが、水狼もまずは狼たちに言い聞かせているのだろうか。これでララミンとの約を放棄でもすれば、間違いなくあの暗黒で森ごと消されるだろうな。こいつに冗談は通じはしないしな。

「無事、だったん、ですね」

 室内に通されるララミンを見ながらアリスが俺に寄ってくる。心なしか安堵の表情だ。リノアが無事か心配だったんだろう。特に大したこともなくことを終えたのは、ララミンとババの功績だろう。色々と聞きたいことも溜まっている。

「無論だ。まぁ大概はあいつが済ませたことだがな」

 俺は水を吸っただけ。俺がいなくともララミン人地で十分な気がするが、オンブルで囲わなければ暗黒は森を破壊したのだろう。

「アリス、悪いがこいつにも何か食い物をやってくれるか?」

「ワンッ」

 こいつもさっきの荷以外は何も食ってない。

「はい。あ、でも、調理したのでも大丈夫ですか?」

「大丈夫だよ。ティドゥは葱系以外なら何でも平気だから」

 ララミンがリノアに手を引かれながら答える。それにアリスが納得したように調理場へと俺に背を見せる。なぜこいつらは俺たちにここまで好意的に接してくるのだろうかと、食卓に座り食事を始めるララミンとそれを見守るリノアと親父の姿を見ていると思ってしまう。そこにあるのは団欒。ララミンに関しては法廷の人間としての一般家庭の無償援助として見られるが、どうも俺には居心地が悪い。

「あの、どうぞ」

「ワンッ」

 アリスが大皿に野菜やら肉をとりあえず盛ったものを運んでくる。足りはしないだろうが、ババは与えれば与えるだけ食う奴だ。犬は満腹を知らんからな。

「ガスイ、さん?」

「明日の朝、ララミンを迎えに来る。世話を掛ける」

 見ていられなかった。温かな食卓の風景は、家族を感じさせて気持ち悪い。これ以上の馴れ合いは俺にとってはララミンの毒よりも毒でしかなかった。呼び止められる声も背後から夜空に消えた。

「月夜も白いもんだな」

 夜空が藍色に照らされている。星々の中でも目立つ白の月。闇の空すらも色を変えるその力は、まさしく白。昼間ほどではないとは言え、良い気はしない。生温く乾いた風が俺の前髪を流れる。

「ワン」

 一陣の風が強く俺の前を吹いて、視界を白が覆い隠した。白の稲穂が波打つように風に揺れている。

「もう食ったのか?」

 ワンとババが俺の目の前に座る。俺の監視のためか、単に室内に入ることも出来ず、旅の間は町の外やらで野良犬のように寝るためか、俺の視界をデカイ体で覆い尽くす。

「怪我、すっかり治ってるな」

 血で染まったはずの足脛も、元の白い毛で月夜に輝いている。無駄に荘厳な雰囲気を感じさせてくれるな、こいつは。

「お前は、ララミンの力を知ってたんだろ?」

「ワウ?」

 今夜はここで野宿だな。ババの横っ腹を借りれば心地良く寝られるだろう。

「恍けるな。分かっていたからこそ、急いだんだろ?」

 単にララミンを心配してのことだと思ったが、俺を待っていたようにここで座ったまま俺にナイフを渡し森に入った。身を案じてのこともあるだろうが、ララミンのあの能力を危惧してのこともあるはずだ。

「なぁ、ララミンは一体何なんだ?」

「クゥゥ・・・・・・」

 答えられないのか、答えたくないのか、小さく唸っている。困ったように。

「良いさ。話す義務はないんだからな」

 草地が所々で禿ているところに腰を下ろす。立っているだけでもババはでかいと思うが、座るとさらにババの大きさに圧迫感を感じる。巨塔に背中を預けているような感覚で、空を見上げるとババの顔が夜空に映え、随分と凛々しく見える。

「お前はどうしてあいつの傍で忠実に従うんだ?」

 ララミンが他人に対して一線を引いているのは分かっている。あいつの裏の顔が表だと言うことも薄々把握してきた。故にララミンが一人であると言うこともこのいくつかの町を旅してきて感じた。俺は知っている。能力者は全てが全て、受け入れられているわけではない。価値ある能力は重宝され、貴族間では従属させていることが一種のステータスにもなっている。だが、俺は俺だ。誰にも従いはしない。だから俺は貴族を殺した。厳密には生き埋めにしただけだが、それは俺が異質であるから価値を見出され、俺にとっては人間こそが異質であり、それを排除したまで。故に孤独。それとは違うかもしれないが、ララミンも同じ分類だろう。能力者ではないと思っていたが、案の定だった。

「お前はララミンが能力を使うことが嫌なのか?」

「ワン」

 肯定の意での一吼え。混色と言うものは初耳であり、オンブルの中で見た俺よりも遥かに暗い黒と、白。

「お前は白だろ? なぜ黒を持つララミンが白の中にいる?」

 純粋な白ではなかった。俺よりも深い黒を持っている子供が何故法廷にいるのか。それも俺の監督者として。おかしなことだらけに考えるだけでも疲れる。

「ワウ?」

「悪いな、犬の言葉は俺には良く分からん」

 何かを解説でもしてくれているのか知らないが、俺には所詮は吼えにしか聞こえない。

「クゥゥン」

 ババがずりずりと前足を滑らせ伏せる。俺も寝るか。

「お前は、あいつの孤独を紛らわせるために傍にいるのか? それとも、別の何かのためなのか?」

 ババの横腹を枕代わりに背中を預ける。呼吸の度に上下する腹は温かく毛並みが心地良い。こいつの毛皮はいざとなって剥げば、相当高値で売れるんじゃないかとか思う思考はやはり黒なんだろうな。

 返事はなかった。乱れることのない腹の上下にもう寝たのだと分かる。一日中歩いて待って闘ってと、犬にしては随分と遊び回っていたからな。こいつはこいつで俺とはまた別にララミンに関係しているのだろう。それがどうあれ俺には関係ないこと、か。

「にしても、法廷とは一体どんな組織なんだか」

 ババの呼吸に合わせて、俺の体も浮かんでは沈む。こいつも法廷によって作り出された犬。法廷は悪を善なる元で裁く。それはあくまで一角。国家間における紛争の和平調停及び制裁への介入による平和維持活動と再建への特別政治。貧困、発展途上国への経済大国よりの支援の分配、人道支援、衛生管理、難民保護、技術支援などの救済支援から基金管理、人権保護まで財的貢献から人的貢献まで多岐に渡る。

その中で異色とも取れる能力者の生成。ババを見た時に俺の中での常識は覆されたが、人間だけではなく動物までも色に染めるとは思いもしなかった。そしてそれを神を崇めるスズライの町。水狼の暴走による町の荒廃。白を謳い絶対的善として色を染めると言うことは、果たして善なのかと俺自身に置き換えると疑問だ。それを信じて疑わない平民の生活も俺の目には異質に映る。

「考えるだけ面倒だな」

 まずは俺の義務の解消が何よりの問題だ。この町で解消出来るかと思っていたが、ララミンにとってはそれすらも見透かしていた。次はどこへ行くべきか。検討も立たないまま意識が闇の中へと霞んで消えた。


「ん・・・・・・ん?」

「あっ」

 ゆりかごのように上下するババの腹は程よい柔らかさで寝心地が良かったが、目に入る白に目覚めを迎えさせられる。

「おはよ。起きた?」

 はっきりと開けられない眼ぼけ眼に映った顔。

「・・・・・・何の用だ?」

「何って朝だけど? いつまで寝てるわけ?」

 ララミンが俺を見下ろしていた。眼が開いてないくせに朝だと分かるのは慣れの感覚だろうか。ララミンが顔を上げると、俺の目に朝陽が突き抜け焼かれるような白で開けられなくなる。

「何で野宿してたわけ? 折角泊めてくれたって言うのにさ」

 体を起こすとアリスもいた。

「あ、お、おはよう、ございます」

「何してるんだ? 二人して」

 もう出発かと思ったが、ララミンの服が違う。今まで見たことのない服と言うことは、借りたものだろう。髪も全て下ろしている。

「畑見に来たの。この町の農業がどんなものか視察しに来ただけ」

「見えないくせに視察とはよく言えるな」

 昨夜は良く見えなかったが、よくよく見ると確かに畑らしいな。腰丈ほどの木が連なってブドウ畑を成している。

「ん? 水が流れてるのか?」

「はいっ、今朝起きたら水路に少しずつですが戻ってきたんです」

 アリスが興奮気味が畑に沿って掘られている用水路を俺に見せるように指差す。その笑顔は本当に嬉しそうだが、俺にはそれほどの感動はない。水量もまだまだ不足してる。

「水狼の状態が完全にならないと水量は戻らないけど、町の様子は凄いよ。顔洗うついでに見て来れば?」

 ララミンが手を彷徨わせてブドウの木の葉を掴む。見るのではなく感じるのだろう。

「これってブドウ酒用の品種?」

「あ、はい。収穫はまだ先ですから、まだ葉は青いですよ。収穫は枯れてからなのでもう少し先ですね」

 果実としてのブドウはもう少し丈がでかかったな。

「これなら問題はないね。他の畑もあるんでしょ? そっちに連れて行ってくれない?」

「はい。こっちですよ」

 リノアとは違って年下であるララミンにも言葉遣いが変わらない。ララミンの方が上からの言葉だ。

「ババ、おいで」

「ワン」

 俺が起きるのを待っていたようにババが立ち上がる。やはりララミンに対しては忠実に付き従うな。

「なら俺は町に行ってくる」

「後で用があるからラナル家の所に戻ってきててよ」

 ララミンの言葉を背中で受け、顔を隠し町に向かう。朝陽が毎日のことだが寝起きを最悪の気分で迎えさせてくれるおかげで足取りが重い。朝は嫌いだ。清々しくなどない。

「やけに賑わってるな」

 懐かしさを彷彿とさせるほどの活気。だがその活気は俺の知るスズライのものではない。

「水だっ! 水が戻ってきたっ!」

「スズライの水の復活よっ!」 

「水狼様の惠が戻ってきたぞっ!」

町に一歩踏み入ると、路肩の水路を小川にも満たない緩やかな水量が小さな音を奏でながら流れている。水狼がララミンとの約を守ったことの証だろうが、あちこちで聞こえてくる人間の声は、異様なほどに歓喜に満ちている。誰もが水路に桶や手を突っ込んで水を飲み、顔にかけ、全身で水を浴びている。祭りかと思うほどの光景に圧巻されてしまう。調子のいい人間に飽き飽きする。

「・・・・・・凄い盛り上がりだな」

 朝のテンションは恐ろしいほどに低い。今だけは俺の邪魔をする人間も闇に葬る気にならない。覚醒するまでに時間がかかるのは、俺が黒だからどうしようもない。

「ガスイさんっ」

「ん? ああ、リノアか」

「どうしたの? やけに暗くない?」

 俺を見つけて駆け寄ってきたリノアが俺の顔を見ながら首を傾げる。

「朝は苦手だ。明るすぎる」

 目もはっきりと開けられない。前髪のおかげでほとんど顔は見えていないだろうが、俺もそれほどよく見えない。

「もぉ、折角水が帰ってきたんだから、もっと楽しそうにしてよ」

 リノアの表情も昨日に比べると随分と明るい。この町の人間に限らずに、滞在していた無法者たちも金品よりもまずは水に群がっている。それほどまでに待ち焦がれたものなのだろうが、先日まで水に困ることのなかった俺にしてみれば大したことではない。

「無理なことを言うな。俺は部外者だ」

 この盛り上がりようには付いて行けない。大体水路に群がっている光景は奇怪だ。その水は今まで乾燥して砂や枯葉で汚れた水路を流れているわけであって、決して綺麗だと言える水じゃないだろう。緩やかな水流は表面を流れるだけで俺からすれば汚いように思えて仕方がない。

「部外者じゃないじゃない。昨日ガスイさんのおかげで、こうしてまた町に水が戻ってきたんだから」

「ララミンの奴だ。俺は言われたことしかしていない」

「謙遜謙遜」

 やけに機嫌が良いようで、リノアが笑う。欲していたものの復活はこの町には何よりなんだろう。その気持ちに今は浸っていれば良い。

「でも、まだ噴水が出ないの。公園広場に沢山人が集まってるんだけど・・・・・・」

「この水量じゃ水圧が足りんだろ」

 側溝でもある水路の水を汲んでいる人間もいるが、大半はこの町のシンボルである噴水に向かっているのだろう。それこそが水狼の威厳の具現であり、スズライの源。

 スズライの噴水は巨大であり、吹き上げさせるには地上から地下深くへ急激な水流と共に空気を取り込み、地下空洞に貯水した水を水管を通して空気の圧力と水圧を利用して吹き上げさせる。地下へと流れ込む水量が少ない今は、圧力不足だ。

「でも、これだけ水が戻ってきたんだよ。この町はまだ生きてるんだよ? 元に戻れるんだから」

 確かにな。初めから死んでなどいなかった。だからララミンは拘って自分の足で解決した。こんな町の一つや二つに拘る理由は知らないが、悪いことではないだろう。俺もこの町は嫌いではない。

「良かったな。これで商売も回復していくだろ」

「うん。お父さんも張り切って小屋に行ってたし、あたしも手伝いがあるから、またね」

 向かう途中だったようで、リノアが人の流れに逆らうように歩き出す。

「あ、そうだ。ガスイさん」

 行き交う人間の中でリノアが振り返る。俺の傍は風体から町の人間は避けて歩く。そして俺を呼ぶ声に横目の視線が怪訝に俺を見る。

「アリスと会ったら小屋にいるって言っておいて」

 んじゃね、と言うだけ言って波の中に消えた。何故俺が伝言をしなければならないんだか。あいつにとって俺は使いか何かだと思われているのだろうか。少しばかりムカついた。

「顔でも洗うか」

 俺もその流れからはずれ、列を成している水場に並び、顔を洗う。朝陽を反射し揺らめく水の冷たさに顔が引き締まる。ついでに喉も潤すと、ようやく目が覚める。前髪が少しばかり濡れたが今の町中にいる人間を見ていると顔が濡れている人間ばかりで、俺もその中の一員としてしか見られないだろう。

「しかし、噴水がないと、やはりスズライという気がしないな」

 人口の流出、市政の衰弱による全体的な経済悪化もあるからだろうが、俺の中でのスズライの町イコール霧の噴水と言う認識のせいで、この活気は他の町の朝よりも少しばかり賑やかに思えるくらいだ。

「うおっ!? な、何だありゃ?」

「け、獣だっ!」

 だが、その活気が驚愕と悲鳴に変わる。

「あ、あの、ハウンさん、皆さんが見てます、よ?」

「国境の町のくせにこれくらいのことで驚くなんて、狭量の証拠。色能者がいる世の中なんだからおっきな犬がいたっておかしくないじゃん」

 のっそりと道のど真ん中を悠然と白い犬が歩いている。それに驚いた町民が道端に退いては眼を見張っている。その反応が普通なんだろうが、それに乗る俺の監督者は王のように堂々としている。

「えぅ、で、でも、恥ずかしいですぅ・・・・・・」

 ババの歩く道には邪魔するものがない。あちこちから小声で猛獣だの食い殺されるだの、上に乗ってる少女は誰だの奇異の目が射抜いているのか、アリスが顔を隠すように俯いているが、ララミンはそれすら見えないのだから気にもしてないんだろうな。その堂々とした足取りにはため息しか出ない。

「少しは遠慮して歩いたらどうだ? 町の人間が引いてるぞ」

 いつの間にか白装束に着替え、髪もまたカニ頭に戻っている。

「ここにいたんだ? 遠慮なんかしてないけど? ティドゥが大きいからしょーがないでしょ。それともあんたがデプラッセででもこの子を運んでくれるって言うの?」

「お断りだ。常時力を使役するのは疲労が激しい。その上外を歩くお前の足取りに合わせるといつまで立っても次の町には着かん」

「でしょ? だからしょーがないの。それにティドゥは私が命令しない限りあんたみたいに奔放我が儘に行動しないんだから」

 その言葉はそっくり返してやりたいが、朝から毒を受けるのは勘弁だ。

「ティドゥ、伏せ。アリスを下ろしてあげて」

「大丈夫か? 随分と羞恥を味わったようだが?」

 ティドゥから降りたアリスの顔は赤く染まっている。目が見えていることはそれだけの負担を受けるんだろう。アリスのことを知っている人間からも妙な視線を受けていた。旅の恥は掻き捨てであろうとも、そこで暮らす人間の恥はなかなか消えはしない。

「あ、あはは・・・・・・」

 纏わり付く視線に顔を上げられないか。ララミンは他人に対する配慮と言うものを多少は身につける必要があるな。

「リノアは親父の所に行った。用があるならそっちへ行けということらしいぞ」

「あ、はい。ありがとうございます」

 リノアと違って随分と礼儀がなってるもんだ。姉がああだと妹はこうなるものなんだろうか。

「それじゃあ、私も行きます」

「昨日はありがと。何かあったら遠慮なく法廷を頼って。私の名前で法廷は動いてくれるから」

「はい。こちらこそ、ありがとうございました」

 人が良いのか悪いのか、ララミンがアリスのほうに顔を向け口元を緩めた。

「それじゃ、行こっか」

 ババが起き上がり、ララミンの体が揺れる。立ち上がるババに近くにいた町民が後ずさり、驚きの視線を向ける。ババにしてみれば見世物としての痛い視線が刺さっているだろうが、平然としているな。

「どこへだ? 次の町か? 見当はまだ付いてないぞ」

 この町でことを済ませるつもりが、それが出来ない上に却下された今では情報が欲しい。この国に関してはもう俺の知るものはない。

「違う。庁舎。もう一つ用があるの。その後に町を出るから、ガスイも同行すること」

「命令か?」

「そ」

 次に行くと言う問いのであれば、従うか。忘れかけているが俺は犯罪者だ。拒否したところでババに加えられたまま連れて行かれることだろう。町の中でそんな羞恥に晒されたくはないな。

「何をしに行くつもりだ?」

「質問禁止。ただ付いてくれば良いの。いい加減何度も同じこと言わせるようならティドゥに頭噛み砕いてもらって新しい脳でも入れる?」

「死ぬだろ」

 周囲の奇異の視線を浴びながら誰よりも高い位置で見下ろすララミンの装束を見て気付いた人間が、その視線を改める。そしてそれに付随して歩く俺は、姿から罪人だと言う軽蔑の視線に射抜かれる。それこそが普通であるはずだが、随分と久しく感じるのは不思議だ。ようやくスズライの町も水の復活によって常識を取り戻してきたのか。

「再生出来るかもしれないじゃん。動物が神に改造されることだってあるんだから」

「皮肉か?」

 水に一喜一憂する町民の崇める存在。自分で決着を付けておきながら貶すように言うか、普通は。

「どうだろね。でもこれでこの町は再建される。それで良いでしょ?」

 何がしたいのか良く分からんが、前に言っていた通りに法廷からの制裁はないと言うことだろう。再建出来ればの話だが。

「お前は法廷が嫌いなのか?」

「何で?」

「この町はいずれは制裁されるはずだろ? それを何故俺の義務を後回しにした上で水狼と対峙し、その力を収めた? 関係ないと言っていたと思ったが?」

「関係ないよ。これは私に課された命じゃないし、独断だもん。別にガスイに対してあれしろこれしろ言ったって、私の義務を解消出来ない限りは死ぬまでこの義務の中で生きることになるんだもん。いちいちガスイに対して何かをする必要がないから、私はああしただけ。町が滅ぼされることには興味ないもん」

「矛盾してないか、それは?」

 町が制裁を受けたところで関心がないのであれば、無視しておけば良いだけのことだろう。一人一人の人生があろうと、法廷はそれをその他として纏めることしかしないのだから。

「してないよ。私は私にとっての白を実行しただけ。法廷だって産まれた子供みたいに無垢で純粋な白をしてるわけじゃない。だから過ちを犯すこともある。人間の作った組織なんだもん。もちろん、私は監督官でしかないから意見は出来ないし、権利もないけど、実行することは出来るの」

「理不尽だと自己決定の上での行動か。罰せられるのはお前だろ?」

 堂々とババが道夫陣取り歩く姿は、それなりにララミンが誰なのかと言うことに気付かれると奇異の視線が敬意の眼へと変貌していく。

「そだね。間違ってたら法廷が制裁を下しておしまい。私は純粋な白じゃないし、それが誤りだとすれば私はそこで一つ学ぶだけ。いつまでも繁栄を続ける町なんてないんだよ。だからどうなろうと関係ないの。それにガスイは私の色と力を見れたんだから儲けものだと思うけど? 私の力を見た犯罪者なんて、ガスイが初めてだよ? もっと感謝してくれても良いんじゃないの?」

「それはいい経験をさせてもらったな」

 確かにこいつのことを知る上では悪くはなかった。弱点を探す材料にはなるからな。まだ見つからないが、いずれは俺の力で飲み込んでやる。

「なら態度で返せ。言葉が棒読み過ぎてつまんない」

「無理な相談だ」

「ティドゥ」

「ワフ」

「・・・・・・・・・」

 相変わらずだな、このクソガキが。町の人間が声を漏らしているのが聞こえるじゃないか。獣が人を食った。犯罪者が逆らうとああなるのか。と。俺は見世物じゃないぞ、こら。

「ティドゥ、このまま庁舎に行って」

「ワン」

 予想を裏切らないな、こいつら。ババの生臭い口内に包まれながらくぐもって聞こえてくる町民や無法者たちの足だけが犬の口から出ている俺の姿に対する嫌悪と哀れみ。今すぐ殺してやろうと思うが、全身を纏う感触に体が硬直する上に、ババの歯が食い込むばかりだ。アリスの羞恥心が痛いほど理解出来た。

「・・・・・・オプスキュリテ」

 ようやく開放された時には窒息寸前だ。涎を闇に消し、鼻から新鮮な空気を吸い込む。

「少しずつ水分含有量が増してきてるでしょ?」

 お前のせいだと言うのに、呑気にババから降りる。

「それだけ水量が回復してきたと言うことだろう。この賑わいも当分は続き、やがて再生していく。そうなればこの町に吹く風も潤いに満ち、元に戻るだけだろ」

「洗濯物が乾きにくくなるだろうけどね」

 そんなことは知ったことではない。吹く風が強い分大した問題にもなりはしないだろう。

「ティドゥ、待っててね」

「ワンッ」

「行くなら行くぞ」

 杖をついて歩かれては遅い。


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