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第十五回.ババ と リノア

「ここだったな」

 石畳の路を抜けると、先ほどのような胞子の霧はないが、やはり壁がある気がするな。

「ここって、聖域の広場?」

 リノアがランプをあちこちに振りながら広場の掌握に掛かる。

「そうだ。お前の母親が死んだ場所だろうな」

「あっ・・・・・・」

 思い出したのか、リノアが息を呑む。それがいつのことだったのかは俺には知る意味はない。だが、恐らく時間は経過しているのだろう。骨も残ってない。

「ババ、下ろしてやれ」

 いつもこんな感じで俺の言うことも聞いてくれると可愛い奴だが、ララミンがいれば俺の命令など聞く耳を持つことはないだろうな。

「ここで、お母さんが・・・・・・」

 人の踏み入らない聖域と化した森。何人の人間が狼の餌として無駄死を遂げたのか。そして、鎮魂の碑も無ければ供え物すらない。あるのは聖域と人域との境界の石碑。

「さて、俺は探すか」

 このナイフに何の意味があるのか。殺傷力が無いことも無いが、切り傷程度の力しかないこのナイフで何を切ると言うのだか。

「リノア、お前これを抜けられるか?」

「え? 何を?」

 何も無い場所で母親の痕跡を探そうとしているのか、ババに付き添われながらあちこちをランプで照らしているが、何も見つかりはしないだろう。夕刻には何も見つけられなかったからな。悲しいものがあるだろうが、終わった以上は嘆いたところで変わりはしない。

「これだ」

 俺が森へ手を伸ばすと、やはり何かに遮られる。そして森の中に広がる毛皮のような光。夜闇の森が明るみに包まれる。俺には眩しいが、リノアには初めて見る輝きなのだろう。圧倒されたように立ち尽くしている。

「え? 何? 今のこれ・・・・・・」

「お前でも無理か」

 こうなると色は関係無さそうだな。

「これって、何? どうして空間が光ってるの?」

「空間ではない。恐らく何かしらの能力が働いているんだろう。俺はこの先に用がある。リノアは母親の軌跡を辿りたかったんだろう? ならばもう用は済んだはずだ。家までこいつに送ってもらえ」

「え? ガスイさん、この奥に行くの?」

「この先に俺の監督者がいる。帰りが遅い。何かしらあったのであれば俺の義務が加算される場合があるからな。探しに行く。もっとも用があるのは水狼だがな」

 壁にナイフを突き刺してみるが、光と共に弾かれた。初めからこれで切り裂けるとは思ってなかったが、実際に弾かれると何故か落ち込むな。このナイフが哀れに思えてしまう。

「ババ、お前の牙で喰い裂けるか?」

「グルゥゥゥッ!」

 ババの牙ならもしかすればと言う希望的観測からババを呼ぶが、明後日のほうにババが牙を剥き出し、姿勢を低くして戦闘体制を取っている。今にも駆け出しそうだ。けん制し合ってるんだな。

「ティドゥ?」

「リノア、こっちに来てろ。死にたくなければな」

「な、何? あの光って?」

 俺の傍に戻ってくるリノアも闇に浮かぶ無数の青の光に身を小さくする。どうやら俺のデプラッセのおかげでさらにその空腹かによる激情を刺激したのか、数が増した上に忍び寄る影に漂う殺意が空気を揺るがしてくる。

「あれがお前の母親を食ったであろう狼だ。お前たちがただの狼じゃないと恐れる理由なだけあって、凶暴さには一線を引いてるな」

 桁が違う。だが敵ではない。

「あれが、お母さんを・・・・・・」

「おい。どこに行く?」

 リノアが青の光に誘われるように歩き出す。馬鹿なことを考えているのか知らんが、余計な手間を掛けるつもりはない。

「離して」

「無駄なことをするな。殺されたいのか?」

 リノアの表情が本気になってる。敵討ちとか言う奴か。哀れな女だ。

「殺されない。今までだって沢山恐い思いをしてきたの。でも自分で何とか出来たの」

「さっきは喚いていたくせによく言える口だな。無防備に突っ込むとこうなるぞ」

 近くにあった木の枝を光に向かって投げた。途端にその枝に向かって青い光跡を残した狼たちが森の闇の中で一斉に枝に飛び掛り吼える。それにつられたのかババが今にも飛び出しそうになるがオンブルマルシュで押さえつけておく。

「どうだ? それでもいくならこの手は離してやる」

 そこまで強く引き止めるつもりはない。傷の痛みを知らなければ、傷の治し方を知らない。母親の殺された現場を見たわけではないから、狼の恐怖を知らないのだろう。その身を持って知ると言う決意があるなら好きにさせてやる。

「・・・・・・・・・っ」

「懸命だ。アリスも親父もそんなものは臨んではいない」

「でも、やっぱり目の前にお母さんを殺した狼がいるのに、何も出来ないなんて・・・・・・」

 苦やしそう言ったところで、力量の差と言うものは埋まりはしない。

「何か出来たら一匹でも殺しに行ったのか?」

「それは・・・・・・」

 中途半端な決意か。殺されに行くようなものだろ、それは。

「ババ、俺はこの壁の打破を探す。お前は狼を森の奥に追い払って来い。殺さない程度なら怪我くらいはさせても良いだろ。好きに払って来い」

「ガウッ!」

 狼の中で空気の壁を突破するのは難しい。流石に力を使役し続けるのは体力の浪費になる。

「こっちにはしばらく狼を近づけるな」

「ガルァァウウゥゥッ!」

「きゃっ!」

 大樹をも振動させ耳を劈くババの咆哮に、眠っていた鳥たちが一斉に空に舞い上がり木がざわめき立つ。

「本当に犬なのか、あいつ・・・・・・」

 そして俺たちを包み込む森と土の香りを含んだ一陣の白い風が闇夜に駆け抜けた。響き渡るババと狼たちの咆哮合戦とでも言うか、凄まじい衝撃音の連鎖に森が目覚めたように静寂が打ち払われる。

「大丈夫かな、ティドゥ・・・・・・」

「良く耳を済ませてみろ。この甲高いのは狼だ」

 二種類の声が響いている。一つは攻撃的咆哮。もう一つは苦痛的悲鳴。ババの体格からして一斉に襲い掛かったところでババは大して退けはとっていないだろう。狼が圧倒されている。それに乗じて鳥たちの鳴き声まで響いてうるさいくらいだ。

「きゃっ!」

 リノアが身を屈める。

「ん? ・・・・・・うぉっ!」

 リノアの声に反応した瞬間、俺の体が衝撃に吹き飛ぶ。余所見をしていて気付くのに遅れた。今のはさすがに不意打ちも良いところだった。

「ガスイさんっ!」

「・・・・・・何なんだ?」

 背中を何かに強打したが、大した負傷はない。俺の腹の上で呻いている物体を退けて立ち上がる。

「大丈夫?」

「問題はない。しかしババの奴、随分と暴れているな」

 俺に体当たりしてきたのは狼。事切れてはいないが、当分は動けはしないだろう。犬の喧嘩のような声が暗闇から響いては草木が裂かれる音や衝撃が空気を揺らしている。ババは本当に犬だろうかとこの喧騒の中で何をしているのか若干恐怖のようなものすら感じた。

「ナイフは、どこに行った?」

 先ほどの狼との衝突でナイフを手放してしまった。唯一の手がかりが飛んでしまった。

「リノア、ランプを」

「へ? あ、はい」

 木の根の張り巡る石畳の上ではいくら夜眼が利くと言っても小さなナイフは俺にも見えはしない。夜間の流浪用にババの背中に掛けているカバンにランプは常備しているが、さすがに一つだと足りんな。

「この辺りだと思うんだが・・・・・・」

 金属音はしなかった。つまりは何かの木の根が蔓に刺さったかしたはずだと思うんだが。

「ガスイさん、これ・・・・・・」

 ランプを近づけているつもりなのだろうが、自分のことが第一なのか己の目で探しているところを中心に探しているおかげで、俺のランプでの可視範囲は狭かった。

「何だ?」

 俺の服を引っ張るリノア。しつこく引っ張るからリノアの視線の先を辿る。

「これって、刺さってるのかな?」

 そこにあるのは水狼の碑。蔓に覆われコケが生え、原型は隠れてしまっているが、紛れもなく石碑であり、そこにナイフがあった。

「これは何だ?」

 蔓を取り除くと、その間に挟まるように刺さっていたナイフが石碑に嵌っていた。何故か石碑にそのナイフがちょうど嵌る型が削られており、引っかかるようにナイフが石碑と一つになっている。

「形、同じじゃない?」

「そうだな。嵌めてみるか」

 ナイフの形に模られた穴へナイフを差し込む。

「・・・・・・・・・」

 そして沈黙が訪れる。遠くでババと狼が争っているが、事象的には何も起こらない静寂が俺とリノアを包み込む。

「・・・・・・変化なし、か」

「なぁんか、がっかり?」

 勝手にがっかりするのは勝手だが、普通はそう言うものだろう。何を夢見ているんだか。しかし、俺も何かしらの期待はしていた。だからこそ、そこに張られたままの壁の存在に内心では落胆した。このナイフの使用用途は間違ってはいないと思うのだが、何かが足りないのか、それとも手順があるのか。

「ハッハッハッハッハ・・・・・・ワンッ!」

 振り出しに戻ったところで、ティドゥが舌を出しながら速い呼吸で戻ってきた。

「無傷とはいかなかったか」

「クゥゥ・・・・・・」

「大変っ! 血が出てるじゃないっ」

 狼も単に馬鹿ではないか。デカイ図体に圧倒されながらもババを倒せば死ぬことはないと本能で理解しているのだろう。獣と言うものは他者を喰らうことで栄養を満たすだけではなく、その獲物の知恵を喰らうと言われているからな。狼の知能は低くはない。犬もそれを引き継いでいるとは言え、犬は人の手に触れてしまっている。野生の闘争本能から言えば狼が格段だろう。証拠にババの足脛に噛み付かれたのだろう、白い毛がランプの明かりに赤さを滲ませている。

「毛が邪魔だな。少し刈るぞ」

 ちょうどナイフがあって助かったな。前足だけでも随分と太い足の毛を刈り取る。血の匂いが臭う。

「リノア、カバンの中に包帯が入っている。消毒液と一緒に撒いてやれ」

「あ、はい。ティドゥ、少ししゃがんでくれる?」

「ワン」

 痛みはさほどないのか。体がデカイ分神経も図太いのだろうか。それともララミンの命令に、この程度の痛みは感じられなくなったか? 自分で舐めれば治るんだろうけどな。

 ナイフに付いた血の匂いが空気に混じる。あちこちから漂う血の匂い。影からは屍を感じられないが、瀕死の影が俺のオンブルに混じっている。殺すなとは言ったが、瀕死においやるとは。その怪我を負ったと言うことはそれだけの力がある。蟻も数を成せば蟷螂(かまきり)を討てる。そういうことだろう。だが、ババにはそれすらを打ち払う力があっただけのこと。

「しかしどうしたものか・・・・・・」

 いい加減ララミンの帰路時刻が遅い。数刻を経た今、戻ってこないと言うことは何かしらの事態に巻き込まれた可能性が高い。俺が知る限りあいつは能力の通じない不可解な部分はあれど、所詮は全盲の少女。彷徨ったか、水狼に食われたか、くらいはしているかもしれない。水狼を求めることが今の目的ではあるが、監督者が義務更生中に死亡した場合は、その対象者である犯罪者が法廷への再義務更生監督者の要請申請と監督者の死亡原因解析と遺体引渡しをしなければならない。怠れば義務階級が数ランク上がる。これ以上上がることのない俺は、恐らく最終極刑になるだろうが、ララミンが死んだところで俺の責任ではないことを証明しなければならない。極刑ではなくとも白の開闢を脱獄した俺は、そこへ再送還される可能性も高い。無実の罪で義務を背負うのは御免だ。旅の目的がいつからかなくなった俺に、示された一つの義務。それが無くなれば水狼の解明解明が唯一の目的。それからのことなど知ったこっちゃないが、ララミンの骸くらいは法廷に差し出さなければ。余計な監督官よりも遥かにマシな奴だ。

「はい。これで大丈夫っ」

「ワンッ」

「ここだと思うんだが・・・・・・ん?」

 もう一度ナイフを石碑の穴に差し込む。鍵穴のように捻ったところで鍵が開くわけでもなく、ただそこに刺さっただけ、だったのだが。

「え?」

「どういう、ことだ?」

 ナイフを差し込んだ途端、壁が虹色に光り始め、やがて強い青を発しながら光粉のように霧散した。森の中に広がる光に、静寂を取り戻した森の夜闇が光に包まれる。

「な、何?」

 リノアも目の前で広場と森の奥との境界になっていた空気の壁の発光に、眼を見開いて呆然と立ち尽くしている。俺は今、何かしたか? 先ほどのことを再確認する行動しかしていないのだが、何が起きた?

 夕刻はキノコの胞子に視界が阻まれていたが、今は光粉に視界が照らされ目を細めるしかなかった。

「解けた、のか?」

 恐る恐るながら、手を伸ばしてみる。俺を拒絶してた広場と森の境界線を成していた空間の壁が、なくなっていた。ランプ灯りに出来る俺の影が森の中へと伸びている。足元の影にあった小枝をデプラッセで転送してみる。

「大丈夫みたいだな」

 森の中に伸びる俺の影を越えて、夜闇の中に交差する木陰に小枝が転送された。つまり拒絶が解けた。そう言うことで良いか。どういう理屈かなのかは知らんが、解けたのであれば先を良くだけだ。

「ガスイ、さん?」

 石畳も無い森に踏み込むと、心なしか空気が澄んだように思う。

「狼は襲っては来ないだろう。お前の目的はここだろ? 俺は先に用がある。もう家に戻れ。アリスと親父が心配しているだろう。ババ、来い」

 ババがのっそりと俺の後からついて来る。

「ちょっ、ちょっと待ってよ。あたし一人で帰れって言うの?」

「問題はないだろう? 恐れるものはない。そのランプも貸してやる」

「いや、そうじゃなくてっ。・・・・・・あぁんもぉっ、あたしも行くっ」

 一人で悶えながらもリノアが駆けてくる。狼はババが退散させたのだから問題はないだろうに、この森の暗さが恐いのか? 明るいほうだと思うんだがな。

「ババ、ララミンの匂いは分かるだろ? 俺たちを乗せて急げ」

 リノアがいると足手まといになる。ババの背に乗っていけばその手間も掛からないだろう。

「ワンッ!」

 やけに命令に忠実になるな。それだけババもララミンのことが気がかりと言うことか。そこまでしてあのガキに尽くすと言うのも不思議なものだ。

「乗れ、リノア」

「あ、うん」

 伏せたババに乗り、手を差し出す。鞍を付けていないため、ババが走れば落ちる可能性があるだろう。毛を掴むのも手だが、それはそれでババが痛いだろう。この夜闇があれば、俺のオンブルマルシュで俺たちをババの影に束縛しておけば問題はない。

「行くぞ」

 リノアを前に乗せ、俺が後に乗る。女の匂いが微かにするが気にしないでおく。リノアが妙に意識したように縮こまっているから、俺までそうは出来ない。手綱がない分、リノアを腕の中に収めババのカバンの布を掴み、ババの腹を軽く蹴る。

「ワンッ!」

 途端に感じる全身の残される重みと先に体が引張られる重み。ババの蹴りの加速に体がついていかない。

「きゃっ! ・・・・・・くぅ」

「踏ん張るな。俺に体重掛けて良いぞ」

 前のめりになろうとするリノア。俺が背もたれになっているのだから遠慮する必要はないと言うに。

「もう少し落ち着いて走れ、ババ」

 犬は馬と違って全身の跳躍運動で前に出る。おかげで乗り心地は最悪だ。体が前に押し出されるかと思えば、後に揺られる。ババの背に乗るのはそうあるものじゃないが、走るババには二度と乗らんぞと誓うほか無いだろうな。酔いそうだ。

「ね、ねぇ、ガスイさん、これ・・・・・・」

「ん?」

 体が揺れに揺れながらリノアが先を指差す。

「何かな?」

「さぁな。水狼とか言う奴じゃないのか?」

 夜闇に支配された森の中に不意に輝きだした遠くの光。青の光。それに集うように森の中を青に光が突き抜けて俺たちを追い越していく。夜闇の黒が鮮やかな水の調べのような青に包まれていく。

「もしかして、これが、お父さんの言ってたの、かな?」

「かもしれんな。ババ、これを辿れ。ララミンがいるかもしれんぞ」

 生きているかは不明だが、この光が集う場所にララミンがいる気だけは確実に感じた。

「ワンッ」


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