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第十四回.聖域の異変

「天つなる惠の下に実りし命を惠まれし水狼よ、一日の糧を我らに授けしその御魂に、感謝を」

「感謝を」

「感謝を」

 話が途中で区切られる。親父の祈りにリノアとアリスがテーブルに肘を着いて組み合わせた手をそれぞれが額に当てて祈りを捧げる。

「宗教家か? しかも水狼か。神として崇めるものなのか? そいつは」

 だが、俺は信仰するものはない。信仰したところで救われるものなの何もない。祈りは光の下においての詩。俺とは無縁のものだ。

「昔は違ったさ。金の為に働くことが第一だったからな。祈りなんざ捧げたことはねぇな」

「なら何故、祈った? 水狼は祈りを受ける存在ではないはずだが?」

 ララミンの言葉が正しいかは、まだ確認はしていないが、神ではないと断言していた。

「お父さん、昔水狼に会ったことがあるんだって」

「そうらしいな?」

 昼間にアリスがそんなことを言っていた。

「でも、その時は・・・・・・」

 アリスの言葉が語尾を言い終えることなく塞ぎこむ。

「水狼にゃ近寄っちゃならねぇ」

 温かい食事。具のないスープに保存していたであろう干し肉と豆の煮込みとパン。この町の事情からすればそれでも豪華なのかもしれないが、比較的普通の家庭料理。俺には縁のないものだが、リノアの言う通りにアリスの腕は確かなようだ。

「何故だ?」

 俺は何も知らない。知る必要がなかったからだ。だが、興味を持つと旅の目的がなかった俺にはちょうど良い暇つぶしになる。だからこそ情報が欲しい。あの妙な空間の壁を越えられる手がかりとなるもの。何故ララミンだけが通り抜けられたのか。それはやはり俺が黒だからなのか。その確証を得るための何か。

「ねぇ、ガスイさん」

 親父がどこか気落ちしたようにフォークを動かし、アリスも明らかに落ち込んでいる。落ち込むのであれば先に話を終えてからにしてもらいたい。俺は焦らされるのが一番嫌いなんだ。

「神様に人は近付いちゃいけないの。住む世界の違う者同士は決して一つにはなれない。だから人は区切るの、聖域として。でも人は少しでも近付こうとして崇めるの。祈りとして、祭りとして、儀式として」

 リノアが二人の代わりに口を開く。

「そうだろうな。事実はそうでなくとも、人間には欲望と気持ちがある。だが、それがどうした? 生贄でも神に捧げるのか、この町は?」

「・・・・・・・・・」

 誰か何か言え。だんまりは事実だと無言の肯定にしかならない。

「・・・・・・ああ、そうだ。この町には祭りがあった。スズライの水祭りってのがな」

 祭りがあったのか。祭りの時期には来たことがないからか、初耳だ。

「そりゃ、兄ちゃんのような流浪もんにゃ無関係な祭りだが、町のもんにとってみりゃこの水の惠に祈りを捧げる大事なもんだったさ」

 親父が深く息を吐く。水の重要性は旅の人間でなくとも、生活のある住民にしてみれば大事だろう。生きる上では必要不可欠。

「けどな、ありすぎた宝に祈りは消えちまった」

 溺れるものも出るだろう。それで発展した町なのだから。

「それで始まったのが水狼への命の献上。枯れた泉へ再び水をって願いを込めて、水祭りの裏で森の聖域の奥に命を献上するの」

「生贄と言うわけか。時代錯誤も甚だしいな」

 何たる愚かな行為。俺が言えた義理じゃないが、そう言う風習をした所で得るものがないからこそ、この町はこの現状なのだろう? それを改善するために何故森に入って現状を確認しようとしないのか。

「それで俺の妻もそうなっちまったわけだ」

「森の聖域とやらは荒れ放題だったぞ。長らく人の出入りが滞っていたようにしか見えなかったが?」

 一同が息を呑む。俺が森に入ったことを知っているアリスだけは相変わらずだが。

「兄ちゃん、森に入ったのか?」

「嘘でしょ? 狼がいるんだよ? 一匹や二匹じゃないし、人だって何人も襲われてんだよ?」

「俺は色能者だ。獣など恐れはしない。そこいらの無法者と同類視するな」

 もう忘れたのか? 俺が目の前で男数人を殺したことを。違和感を覚えているのは俺だけか?

「で、親父が見た水狼ってやつはどんなものなんだ?」

 驚いてばかりでは話が進まない。

「本当は入っちゃいけねぇことなんだが、俺はよ、妻が選ばれてから気が気じゃなかったんだ」

 それはリノアもアリスもだろう。そして、親父の妻も。それでも森に入ったと言うことは、既に狼の餌になっただろうな。狼の腹を満たせば水がまた戻るとでも思っているのかね、この町の人間は。

「それでお父さん、お祭りの日の夜に、森に行ったみたいなんです」

「私たちが寝てからだったみたいだけど」

「お前らを連れて行けるわけないだろうが」

「もしそれでお父さんまで狼に襲われてたらどうしてたのよっ?」

 リノアの口調が激しさに染まる。家族を思うからこそなんだろうが俺にはうるさいだけだ。

「お母さんだけじゃなくて、お父さんまでいなくなったら、私たち・・・・・・」

「今居るんだから問題ねぇだろ」

「問題あるわよっ! ただでさえお母さんの事でいっぱいいっぱいだったのに、もし戻ってこなかったらあたしたちだけじゃ生きていけなかったんだからねっ!」

「落ち着け、リノア」

 俺の存在を忘れていたのか、俺が少しばかり睨みを聞かせてやると気恥ずかしさに小さくなる。アリスと違って直情的か。苦手なタイプだな。リノアを見ているとララミンを思い出してしまう。

「それで、見たんだろ? 教えてくれ、水狼とやらを」

「・・・・・・俺が見たのは、狼じゃなかった」

 食卓の場が嫌に沈んでいる。母親が居ないと言うのは辛いことだろうが、済んだことだ。生き残ったのなら生き続けるしかない。引きずったところで何の力にもならない。

「あれは、青の光だった」

 青の光とは、俺が見たあの壁ではないな。むしろ狼のほうか。だが狼ではない言うことはそれ以外にあの森には何かが居ると言うことか。庶民でも接見出来ても俺には無理と言う事実は、やはり色だろうか。そうなるとどうしようもないんだが。出口が見出せないな。

「不思議な光だった。何も考えられなくて、気がついたら森の中にいたはずが森の外に立っていた。何が起こったのか、未だにさっぱり分からん」

「つまりは、その光が水狼だと思ったわけだな?」

「そういうことだ。神はいねぇかもしれねぇ。でもな、あの森にゃ力がある。町が枯れても森だけは枯れねぇ。だからこそ、それが水狼の力ってもんだろ? ありゃ水狼の怒りだ」

 光か。白でないなら問題はないな。

「怒りだと思うのか?」

 俺は思わんがな。

「あたしたちが水のありがたみを忘れて、祈りをしなくなった。水祭りが祈りじゃなくてただの観光のお祭りになったからよ」

「初めは皆でお酒や食べ物を聖域に捧げていたんです。でも、そうする人も減って、いつの間にか狼が森に入った人を襲うようになって、誰も入れなくなったんです」

 意味のはき違いに今更気づいたところで後の祭りだったのだろう。そして、狼の駆除にも乗り出したはずだ。ララミンの言う事が正しければ、その後の惨劇が今なのだろう。

「人間は愚かだからな。一つ歯車が狂えば白も黒になる。だが、少しは役に立ちそうだ」

 まだ飯は残っているが、切り上げ時だ。

「あれ? どこいくの?」

「森だ。俺は森に用がある。飯、美味(うま)かった」

「あっ・・・・・・」

 そんなに喜ぶことか? 単に美味かったからそう言っただけなんだが、アリスが言葉を詰まらせる。

「森って、何すんだ兄ちゃん?」

「関係ないことだ。世話になったな」

 俺が立ち上がると三人がついて来る。いちいち付きまとわないで欲しいんだが。

「止めとけって兄ちゃん。森の狼は普通じゃねぇ。兄ちゃんでも食われるぞ。そうじゃないとしても、怪我は免れねぇぞ」

「問題ない。夕刻にも入ったと言っただろ? それに俺一人と言うわけではない」

 首を傾げる親父たちを他所に俺は掛けていた服を着、玄関を開ける。

 そこにババがいた。いや、厳密には先ほどの夕餉の場からいた。窓の外に夜の闇とは違う動く闇。小さな窓からは全身が見えずとも、窓が不自然に曇っていたからな。鼻を近づけて様子を伺っていたのが目に余ったと言うこともある。

「俺に用があるなら吼えろ。じっと待ってられると落ち着かんぞ、こっちは」

「さっきの犬? どうしてここにいるの?」

「犬・・・・・・へっ?」

 アリスは初見だったか。いちいち反応が家族だな。大して面白くはないからか飽きた。

「どうした? 森に入ったはずじゃなかったか?」

「クゥゥン・・・・・・」

 こいつもあの壁に阻まれたのか。俺の力は通用しないくせに、そこはララミンとは違うのか。ん? と言うことは、色と言うわけではないのか? ババは白のはずだ。余計に分からなくなったな。

「ね、ねぇ、ガスイさん」

「何だ?」

「森に行くんだよね? あの、さ・・・・・・あたしも連れてってくれない?」

「何を言ってるんだお前は?」

「そ、そうだよっ。お姉ちゃん何言ってるの?」

 アリスも困惑しながら反対するように言っているが、リノアは視線を外そうとしない。

「ちょっと興味・・・・・・あ、いや、お母さんの入った森なら、もしかしたらってこともあるじゃない? だから行ってみたいの。あたし、聖域に行ったことがないから」

 隠しきれてない。本音は興味だろ。対象が俺なのか森なのかは知らないが、面白がっているだけだな。

「ダメだ。俺は遊びに行くわけじゃない。森の中に入った俺の監督者の捜索もある。忘れたのか? 俺は大量殺人を犯した義務を持つ犯罪者だぞ。森の中は人目がない。お前を殺すことも厭わないぞ」

 いつの間にか親父の姿もない。引き止めてもらおうと思ったのだが、妙な気でも使われたか? 

「大丈夫。絶対に迷惑にはならないから。聖域までで良いの。お母さんが最後にいた場所を見たいの」

「お姉ちゃん・・・・・・」

 母親が殺された場所をそんなに見たいものなのか、家族を持つ人間とは。その神経は理解出来なんな。

「邪魔になれば俺はお前を放置する。殺しても構わんが、狼を引き付ける餌にするぞ」

「それでも良い。だから連れて行って」

「おっ、お姉ちゃんっ?」

 俺の条件に間髪なく応える。それにアリスが動揺を隠しきれずにリノアの腕を掴む。そうなることが確実だからと物語っているように見えるのは俺だけか?

「大丈夫よ、アリス。あたしだって幾多の危難を掻い潜ってきた行商の娘なんだから、ちょっとやそっとじゃ何ともないわよ」

 その割には先ほどは随分と騒いでいただろ。あれは幾多の危難を掻い潜ってきた人間ならよくあることの一つのはずなんだが。リノアの危機感にはズレがありそうだな。

「ババ。こいつのことはお前が何とかしてやれ。俺は俺のことする」

「ワウ?」

 意味が分からないのか、デカイ頭を大きく横に曲げる。犬なら可愛げがあるかも知れないが、でかいと奇妙な行動だ。

「ついて行って、良いの?」

 俺の答えに意外そうにリノアが聞いてくる。

「こいつに聞け。俺は先に行くぞ」

 後はババの反応次第だ。俺は確かめるだけ。このナイフの意味と青の光とやらを。後、随分経つが戻ってこないララミンも気になるな。犯罪者を残して監督者が死ぬと言うことは、新たな義務への再付課になる。そうなるとこの自由が無くなる。それは勘弁だな。

「うわっ! すごっ! 高っ!」

 背後から子供のはしゃぎ声のようなものが聞こえる。ババの奴断らなかったな。ったく、余計な面倒を背負いやがって。どうなっても知らんぞ。これ以上の義理はもう何もないんだからな。

「ねぇねぇっ! ガスイさん、凄いね、この子。名前なんて言うの?」

 俺の歩数はババの歩数の半数以下の幅しかない。だからすぐに追いつかれる。そしていつもなら俺を見下ろすのは毒舌我が儘少女だが、今は開いた口の閉じ方を知らない女だ。これはこれで相手にするのが疲れそうだな。

「ティドゥ・ババだ。だが、ババァと呼ぶと」

「ワフ」

「わっ、食べたっ!?」

 ララミンがいなくとも、その一言はこうなるわけだな。主人がいない以上、力ずくで顎を持ち上げる。

「・・・・・・こうなるから気をつけろ」

「う、うん。・・・・・・でも、大丈夫?」

「問題ない。戯れだ」

 涎に塗れると言う最悪の特典付きの。

「リノア」

「うん?」

 デプラッセで涎を闇に葬り、一つ聞きそびれたことを聞いてみる。先ほどまでは見下ろしていたリノアを見上げると言うのは気に入らないが、

「このナイフを知っているか?」

「ん? 見せて」

 月明かりでは見えないのだろう。ババに跨り伸ばしてくる手に渡す。

「ちっちゃいね。これって玩具?」

「知らないなら良い」

 町の人間でも知らないとなると繋がりは法廷関係しかないな。何のためなのかは知らないが、ババに預けた以上役には立つことはあるだろう。

「あ、待って待って。考えるからっ」

 何故考える必要がある? 俺は問題を出したわけじゃない。知っているかを聞いただけだぞ。やはりアリスの言う通り、リノアは自由すぎると言うか無能じゃないのか? 

「狼がいるな」

 森の入り口付近まで来ると遠吠えが響いてくる。

「ウルゥゥッ」

「へ? どうしたのティドゥ?」

 リノアからは見えないだろうが、ババも牙を剥いて唸っている。同族ではあっても嫌悪しあう本能があるのか。

「リノア、森に入ったらババにしがみついておけ。じゃなければ狼に噛み付かれるぞ」

 ティドゥの姿を見れば狼も安易に寄っては来ないだろうが、集団だったからな。可能性は否定出来ん。

「う、うん。ちょっと、というかドキドキしてきたかも」

「そうは見えんぞ。ババ、お前が連れてきたんだ。ちゃんと面倒見ろよ」

「ワンッ」

 頷くババの声を聞いて、また森の中へ踏み込む。

「うわぁ、真っ暗。何も見えないし・・・・・・いたっ!」

 リノアが無尽に生える木の枝に顔面をぶつけてババの背に倒れる。何をしてるんだか。

「言っただろ。森の中では伏せとけと」

「狼のことって言ったじゃないのよ。木の枝なんて注意されてないぃ」

 不満そうに言うが、それは自己責任だろ。身長の高いババの背中に乗っていれば、木の枝にすぐに手が届くだろう。

「ババのそのカバンの中にランプと着火具が入ってる。前が見えんなら点けてろ」

「そうする。ってか、ガスイさんは見えるわけ? 灯り、何にもないんだけど?」

 微かな月明かりも木の葉に遮られ、森の中は不気味な静寂と暗闇に包まれている。普通なら足元も見えんだろうが、俺からすればまだまだ明るい。こんなものは闇でもなんでもない、ただの夜だ。星空に比べれば闇と言うものが相応しいが。

「庶民には分からん。俺の闇など」

 俺について来るババは己の色から判断でもしているのだろう。動物の感覚など俺には分からんが。

「来たみたいだな」

「ヴァルゥゥゥ」

「え? 何が来たの?」

 これほど近くに狼が来ていると言うのに、リノアは呑気なもんだな。何も分かっていないリノアはさておき、ババも珍しく闘争本能でも開花させたか? 思いっきり暴れているババを見てみたい気もするが、ララミンの指示なしではそこまでは至らんだろうな。


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