第十二回.リスティア を 継ぐ者
「やっぱりついて来ない、か」
先に森に入ったけど、やっぱりガスイは後を追ってこない。阻まれたんだろうね、水狼の皮に。突破出来るかなってちょっと期待してたんだけど、所詮はその程度の男でしかなかったみたい。だからかな? ちょっと心寂しさがあるのは。これも突破出来ないようじゃ、とてもじゃないけど私の義務なんて解消出来ない。だから私はこれから先、ガスイが盗みをしようと人を殺そうと罪を追加するつもりなんて毛頭ない。どうせ死ぬから。遅かれ早かれ。
私の義務は犯罪者に困惑を招く。縛ることがないから。規則正しい生活を強いるAランクまでの犯罪者。Sランクでも私以外の義務を背負う犯罪者は、常監視に束縛、夜間は薬による強制睡眠の生活を強いられる。そこまでして犯罪者の更生に意味があるのか疑問はあるけど、私にその疑問を投げかけられる力はない。だから私は私の形を実行する。誰の真似でもない、私のための、私のためになる、私だけのものとしての義務を課す。それは最低限の保護の約束と一つの願いの提示。何も難しいものじゃないのに、誰一人として解消した犯罪者がいない義務。解消してくれる犯罪者がいないから、この義務は私にも課されている。願いが叶わないまま犯罪者が死んでいくのをただ見てきただけで、成就しない。
「だから捻くれてるんだよね、私って」
死に際の声は嫌い。命乞いをしたり、気味の悪い声を出したり、血が飛んだり、いつの間にか死んでたり。共通するのは全部叫び。純粋で、全投出して、人の本能として生きることへの執着を見せる。生まれた時の叫びと同じように、あまりに醜く綺麗で愚か。勝手に死んでいくからそのまま死なせてきたけど、未だに義務の具現としてまた犯罪者と同行してる。
「ティドゥも大変だよね、私と一緒に来てるんだし」
町とかと違ってすんごく歩きにくい。腐葉土の変に柔らかい踏み心地は、体が沈んだり浮いたりして、酔いそうな気持ち悪さがあるし、木の根っこだと思うけど慎重に歩かないと地中からはみ出した根っこに足を取られる。森の中って嫌い。空気は好きだけど一人で歩くには神経使い過ぎるから疲れる。子供だから大人みたいな体力もない。この苦労を闇の能力者なら少しくらい分かってくれると思ったのに、どこか期待してた私が馬鹿。
忠実なティドゥも、色能者も、私を囲んでいる狼たちも、みんな、みんな。味方なんてないのも一緒。法廷の人間だからってちやほやされるのも、法廷への奉仕は法廷からの資金援助や人道支援への期待。白であるものを擁護するための基金の設立と同時に、大法廷と言う存在が知れ渡り、味方だと言う認識が広域に拡大した。それって所詮お金で釣っただけ。それで善が守られてるなら世の中ってすっごくお馬鹿な幸せだと思うんだけど、それが現実だからつまんない。
「水の匂い・・・・・・?」
聞いてた話の通りってことかな。町には供給を断ったのに、この森には命の源を与え続けてるんだ。生きるために惠を作ってる森だから、当然の対価交換なのかな。
「水狼、いるんでしょ? 姿を見せなさいよ。わざわざ会いに来てあげたんだよ」
町の中じゃ聞こえることのなかったせせらぎの静音。今は夕刻を越えた辺りだと思うから、これからが狼にとっても活動時間になるんだろうけど、自然の波長しか感じられない。他の狼は立ち入れないんだ、水狼の皮の中には。余程の力があるか、純粋な思いがあるかのどっちか。ずっと見られてる感覚って気持ち悪い。
《何者なるか? 小娘よ》
「ふーん、脳内伝達出来るんだ? 狼のくせにやるね?」
《我は水神なる唯狼なり》
まさか狼が人語を語りかけてくるなんて。そんな能力があるならティドゥにも備わってれば良かったのに。どうせ忠実な犬だからワンとかだけの方が良いかもしんない。次の命令とかどんなに手荒に扱っても喜んで催促してきそうだし。
《何故我らが聖域へ立ち入る?》
「言いたいことがあるの、分かってると思うけど」
物体像が把握出来ない。息遣いも咆哮もないからきっと目の前にはいない。人と話す時くらいちゃんと顔の一つくらいは見せても良いと思うんだけど。手下の狼をガスイに差し向けておいて、自分だけは傍観なんて情けない。ひ弱な指導者の典型。自分だけ傍観なんて愚かで情けない。
《笑止。小娘ごときが戯言を》
「それを笑うのはこっち。神でもないくせに神を謳ってるなんて寒いよ?」
人間に崇められた程度で良い気になって幸せな狼。
《愚辱なるは、万死を持つ》
「私の姿を見てもう一度それが言えるわけ? 製造番号21006番、青の狼?」
この森にいるのは水神なんかじゃない。大法廷によって作られた人造動物。自分たちで作っておいてその手に負えなくなったからって放置して、そこで暮らす人から故郷を奪おうだなんて言語道断。己の不始末は己で償う精神は評価出来るけど、私にとっては恥の根絶でしか感じられない。
《・・・・・・懐かしい名よ。小娘、名を何と言う?》
「ハウン・リスティア・ララミン。リスティアって言えば覚えはあるんじゃない?」
子供っぽい名前だからってガスイには禁止してるけど、本当はそうじゃない。私は子供だからララミンって方が相応しいことくらい分かってる。でも私の、私だけの名前はハウン。だからララミンなんて嫌い。
《リスティア・・・・・・。その名を継ぐ者であったか》
「覚えてたんだ? 相当昔のことだって言うのに、記憶媒体も変質させられてたんだ?」
私は知らない。でも、知ってる。リスティアの名に守られる私は。
《ハルビアーデはいずこにおる?》
「おじいちゃん? おじいちゃんなら法廷を取り纏める大法廷の裁断長だよ」
フフフッ、ハハハハッ、私の脳内に反響して響く笑い声。途絶えない滝の轟音のようでうるさい。長生きしてる分、笑い声も随分とやかましくなるもの?
《世界を治むる人の長か。実に愚かよ。誠に愚かなり》
トール・リスティア・ハルビアーデ。Sランク犯罪者なら誰もが裁かれる最終審判の裁断人。私のおじいちゃん。ガスイがジジイって舐めてるけど、今のガスイじゃ足元にも及ばない白の具現であって人の頂点。
《ハウン、と名乗ったか?》
「何?」
《愚かなる死神の化身よ。何故慕う?》
直球で来るとはね。さすがは本能に抗わない獣。これに私の忠実を誓えたら随分使えそうなんだけど、ガスイ以上に言うこと聞くわけないよね。頑固な年寄りでもあるし。
「おじいちゃんだから」
《人に非ざる者、語るに足らず》
さすがって言うかな。ガスイですら見抜けない私をあっさりと見抜いちゃうなんて。だてに水狼様って崇められるだけのことはあるってことね。
「誰が死のうと関係ない。それがアスナ・リスティア・ララミンやリーディル・リスティア・アーデだろうとね。私にあるのは義務。そして、私だけの名前ハウン。それだけが私」
想像以上にしつこそう。余計なことをいちいち私に再認させなくて良いって言うのに。男だけじゃなくて、雄ってのも面倒な生き物かも。
《如何なる物を我を求むる?》
「水を返して。ううん、水を開放しなさい。それはあんたのものじゃない。この世界の資源でしかない。その流れを止める資格はあんたにはない」
《不可なりは水。翻し帰るが良い》
だと思った。初めからうまくいくなんて思ってなかったし。おじいちゃんの生み出した人狼が私の命令に忠実になるなんて考えてなかったし。
「それは出来ないお・は・な・し。私は交渉になんか用はないの。どっちかって言うと、言うことを聞かない我が儘ワンちゃんを躾に参上って感じ?」
《白がごとき恐るるに足らず。その身、噛み砕かれる前に失せるが良い》
交渉決裂。まだまだ想定内。私のあらすじは常に完璧。だからこそ誰も叶えられない。
「私を殺すことは出来ないよ。私は白じゃない。白から黒までも飲み込む死神だよ」
《死するが故に、永らえる御魂、ハウンなるか》
どれほどの時間をこの森で過ごしているのか知らないけど、時を止めていても世界は常に流れる。全てが死の闇へと。それに逆らうことは何者にも権利はないって知らないのかな、この子。
「否定はしない。それに忠告はしといたけど、言うことを聞いてくれない私の狗が、きっと狼を黙らせに来ると思うよ。我が儘で諦めの悪い黒だから」
《誠に同じ。鎖された母娘の鎮魂に非ざる化身故か》
勝手に納得されるのは嫌い。世の中は全てが私に忠実であればうまく行くのに、誰もがそれを拒む。苛々する。だったらそういう面倒なことをしなければ良いだけなんだけど、どうしてか体が動いちゃう。
「私のことは良いけど、白を愚弄すると噛まれるよ。狼だろうと善は悪を見捨てはしないんだから」
《面白い。ならば果たして見せよ。我が下において》
随分自身満々だね。口だけでものを言うような馬鹿じゃないだろうし、それなりに力はあるんだろうけど。でも、皮は牙で開くことも出来る。
「後は待つだけ。私はただ待つだけ。世界で一番素敵なものをもたらす犬を――――――」