2-1 起:幼馴染みの間に紛れ込んだ黒い野良猫
ここはアルトリッヒ大陸の南東に位置する小さな村トラスダン。
村人同士が助け合いながら生活している平和で静かな緑多き農耕集落だ。
雲一つない青空、柔らかな日差しが村を優しく照らしていた。
「フッ」
「ハアッ!」
木製の模造刀がぶつかり合う軽快な音が、村外れにある広場に響いていた。
剣の訓練だろうか、二人の男性が対峙している。
「ガット、そろそろ休憩しようか」
そう言ったのはケイン・ワイカロス、この村に住む十八歳の青年だ。
農作業で鍛えられた逞しい体に、汗で濡れた薄いシャツが張り付いている。
この村では一般的な麻生地の半袖、長ズボン姿だ。
身長は百七十センチぐらいだろう平均より少し高い。
がっしりとした体格に不釣り合いな、素朴で穏和な顔をしている。
額から汗を流し、浅い呼吸を整えている。
「そうだな」
返事をしたのは、命を狙われ祖国を捨てた魔王の第三王子。
今はガット・ウルリガと偽名を名乗っている、今年で十三歳になる。
城を抜け出した彼は、獣と戦いながら森を抜け、街では食料を盗みながら飢えを凌ぎ、心身共に限界状態でこの村に辿り着いた。
「ガットがこの村に来てもう3年か……」、手の甲で汗を拭きながらその場に座る。
「あの時、ハスエルが助けてくれなかったら今頃俺は」
老人が過去を思い出すかのように、遠くを見つめるガット。
「私がなーに?」
ブラウンのもふもふした髪を揺らしながら話に入ってきたのは、ハスエル・テシードン、この村に住む十七歳の少女だ。温厚だが芯の強そうな顔をしている。
麻生地のワンピース姿で、痩せても太ってもない健康的な体型だ。
ケインとハスエルは幼馴染みである。
三年前、ハスエルは隣の家に住む村長に夕食を届けに行くとき、道に倒れていたガットを発見し救護したのだ。
「命の恩人だって話しさ」、ケインが陽気に答える。
「あ-、私って野良猫、拾っちゃうのよね」、悪戯っぽく笑いながらガットを見る。
「俺は野良猫かよ」
「もっと酷かったでしょ、体中傷だらけで、やせ細っちゃって。野良猫のほうが逞しいわよ」
「グッ……」
冗談を言い合う二人を見ながらケインが、
「今ではたいぶマシになったけどな」と、笑顔でツッコミを入れる。
「もっと食べないと駄目だよ。私と同じ背丈じゃかっこつかないよ」
「ケインがでかすぎなんだよ」
ケインとガットは拳二つほど背の高さが違う、それにケインは骨太でがっしりした体格だ。
ガットも筋肉は普通の男子より多く付いており華奢という感じではない。
言うなれば細マッチョだ。ただし同年代と比べれば背は少し低いかも知れない。
「はっはっは、がんばれガット」
「ほら、お弁当持ってきたから食べなさい」
そう言いながらケインとガットの間に座りお弁当を広げる。
バスケットに被せてあるナプキンを開くと、中にはサンドイッチとガラス瓶の水筒が入っている。
「おー、サンキュー。ちょうど腹が減ってたところなんだ」
ケインは服で手の汚れを拭くとニコニコしながらサンドイッチに手を伸ばす。
「食ってやるよ」と、ガットは表情を変えずに手を出す。
ハスエルはムスッとした表情になり、
「またそんな言いかたして。無理に食べないでいいわよ」と、伸ばしてきたガットの手を遮る。
「いや、まあ……、お腹減った……な」、出した手が宙を彷徨っている。
「最初からそう言えばいいのよ、腹を空かせた野良猫さん、髪が黒いから黒猫かなー」
クスクスと笑いながら弁当の入ったバスケットをガットに向ける。
「ちっ」
サンドイッチを大口でかぶりついているケインが、
「ハスエルは料理上達したなー」と、ごく自然に褒める。
「でしょ、毎日やってるからねー」
「ああ、村長も俺も助かってる」、ガットがギリギリ聞こえるぐらいの声で呟く。
「やけに素直ね」
「俺ら料理できないからね。男二人の生活だとどうしても……」
「ガットが素直だと気味悪いな」
「そうよねー」
「もういいよ」
ガットは村長の家でお世話になっている。
村長はもともと一人暮らしだったので、今はガットと男二人の生活だ。
ハスエルは彼が転がり込む前から村長の世話をしていたので、ガットのために食事を運んでいるわけではない。
「ガット、その仮面――外さないね」、少し心配そうな表情でガットを見るハスエル。
「まあ、ね……」
彼がこの村に来る途中で盗んだ品だ。
白銀製の仮面で目だけ覆われており、鼻と口は露出している。
目の部分にはカラーのレンズがはめ込まれ、外から目の色は判断できなかった。
魔王の第三王子であるガットを狙った刺客が誰なのか、今だ判明していない。
命を狙われる危険があるため彼は常にマスクを被り、己が王子であること、魔人であること、命を狙われていることを周囲の人間に秘密にしていた。
「前に聞いたときは酷いキズって――私なら治癒魔法で治せるよ?」
「これは、このままでいいよ。戒めみたいなものさ」
「そう? ならいいけど。必要なら言ってね」
「ああ」
「今さら素顔を見せられて、美少年でしたとか、俺困るわ」、苦笑いするケイン。
「何に困るって言うんだよ」と、ガットが小声で呟いた。
「え、いやぁ、まぁ、なんだ――」、弱いところを突かれ、しどろもどろになる。
「ぷっ、ふふふ、はっはっはっ」、そんな彼を見て思わず笑ってしまうガット。
ガットは薄々感づいていた。彼がハスエルに好意を抱いていることを。
そして、幼馴染みの間に突然沸いたガットを意識していることも。
暫くするとハスエルはお弁当の入っていたバスケットを持ち自宅へと戻っていった。
「最近、俺たちの出番ないな」、ガットが独り言のように呟いた。
村に迷い込んだ獣は、主に彼らが退治していた。
「そうだな、平和でいいじゃないか。俺は戦いが嫌いなんだ」
「村で一番ガタイがいいのに、なんでだよ」
「それとこれとは別だよ、血の流しあいなんてゴメンだ」
「宝の持ち腐れだよ」
「秘宝って言うだろ、隠してこそ価値が上がるんだ」、ケインが笑顔で答える。
ため息をもらしながら、
「誰が探し当ててくれるんだか……」と、呟くガットだった。
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
村人が農作業を終え家で食事をしている時間、ここ村長宅でも食事をとっていた。
この村の一般家屋、木造の平屋建て。いわゆるログハウスである。
この世界にまだ電気はない、明かりは蝋燭かオイルランプが主流だ。
「いつも済まないねハスエル。今日も美味しいよ」
この村の村長で六十歳に近い男性、この世界では医療が発達していないためこの年齢は長寿と言っていい。
痩せてはいるが年相応であり病気というわけではない。
いつも笑顔を絶やさず、誰にでも優しく接している老人だ。
「いいえ、私料理好きですし。ガットもお礼言ってもいいのよ?」
テーブルを挟み正面に座るガットにハスエルが冗談ぽく催促する。
「昼、言った」
「あっそ」
素っ気ない態度だが嫌ったり喧嘩しているわけではない。
彼は感情を表面に出さない性格なのだ。
その事を彼女や村人も理解していた。
「ハスエル、ガット、あとで話がある。――ガット、食事が済んだらケインを呼んできてくれるかね」
「わかった」
ハスエルは毎日、自宅で作った料理を村長宅へ運んでいた。
そして隔日で、そのまま食事をして帰るのだ。今日は村長宅の日だった。
村人の困っている話しや、めでたい話しを、村長に聞かせるのがハスエルの役目になっていた。
食事を済ませ一息ついた頃。
「村長、お呼びですか」と、村長宅にケインがやってくる。
片付けを終えたハスエルが温かい飲み物を運んできた。
三人がテーブルに集まると村長が話を始めた。
「隣町のターバンズと、この村を行き来する行商人が大狼に襲われたそうじゃ」
「その人は無事だったの?」、驚いたハスエルは真っ先に行商人の安否を気遣った。
「うむ。馬車だったから辛くも逃げのびたそうじゃ」
「良かったー」
「最近はその手の話を聞かなかったんですが」、少し不安げな表情のケイン。
「そうじゃな、理由があるはずじゃ。異常繁殖なのか、食料が無く里まで来ているのか」
村長が考え込んでいる。言い出すべきか悩んでいるようだ。
「……そこでじゃ、三人には大狼が現れた原因を調査しに森へ行って欲しいのじゃ」
「えっ。俺たちだけで、ですか?」、唖然とするケイン。
「そうじゃ。ケインは村一番の力持ち、ガットは剣の腕前、ハスエルは治癒の魔法が使える。どうじゃろう、行ってはくれまいか」
ケインは目線を下に落とし申し訳なさそうに、
「俺は……。できれば農作業していたい……」
「私は行きます!」
「えっ?」、驚きを隠せないケイン、
「調査に行ったら君が危ないんだよ」
ガットもまさかハスエルが行きたがるとは想ってもみなかったようで驚いた表情を隠せなかった。
「もし大狼が繁殖して村を襲ったら皆が危ないもの。もしそれで子供たちが命を失ったら、私は耐えられない……。それなら少しぐらい危険でも私が行く! 大狼を退治しに行くわけじゃないわ原因調査だもの」
ガットは賛成でも反対でもない態度だ。
――何人死のうと、怪我をしようと、俺が無事ならソレで……。
「ガットはどうじゃ?」
「ああ、俺は村に恩がある。ハスエルが行くならついてくさ」
――村というか村長とハスエルだけだがな
ケインは腕を組んで考え込んでいる。
「ケイン、俺がハスエルを守り切れなくても恨まないでくれよ」
「村長、俺いきます!」
「そうか、うむ……。済まないなケイン、頼れるのは若い三人なのじゃ」
「やっぱり誰かが襲われてからじゃ遅いですもんね」
ガットは――よく言うよ、と言いたげな表情をした。
「明日は身支度を整え、明後日の早いうちに出発しなさい。必要な物があれば村人に言うが良い、話はしとくでのう」
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
出発当日、鶏が朝一番を告げる頃、村長宅の前で出かける準備を進める三人。
朝靄は出ているが天気は悪くない。
「食料は三日分ね、鍋、食器、水も一緒に入れとくね」
ハスエルはケインの背負うバックパックに詰められるだけ詰め込んでいる。
大きな彼の背中が隠れるほどのに膨れていた。
「重いのは全部俺かよ、盾と鎧で、ただでさえ重いのに」
泣きそうな顔をしながら彼女の行動を見ている。
口では嫌そうな言葉を発しているが止める気はないようだ。
そんな彼の姿を見たガットが、
「なんでそんなに重装備なんだよ」
「危ないだろ」
鎧と言ってもボディープレートとヘッドギアだけだ。
盾も大きな鍋ぐらいのサイズである。
武器は長剣が一本。
昔戦争に出たことのある村人から一式拝借した。
「ハスエルは杖だけだろ、少しは――」
「私はおやつ担当です」
いつもスカート姿のハスエルだが、森歩きを考慮し長袖と厚手のズボンをはいていた。
深い草の中を進んでも肌を傷つけることはないだろう。
それと、おやつ? が入っているポーチを腰に下げている。
「ガットー」
「俺はスピード重視だよ。それに投擲武器も結構重いんだ」
ガットは爺とククリナイフの二刀流、爺は刺突用、ククリナイフは切断用だ。
ブルウィップを腰に下げベルトには投擲杭を何本も刺していた。
肌にぴったりとフィットした服で動きやすさを考慮していた。
肘、膝、肩などは革製のパッドが貼り付けてあり破れにくい細工が施されている。
「村長、原因が判明しなくても四日後には戻ります」
ガットはケインの泣き言を無視し、出発の準備を見守っていた村長に挨拶する。
「そうじゃな、あまり深くまで入るでないよ」
「了解」
何の不安も感じさせない笑顔でハスエルが、
「じゃ、村長行ってきまーす」、と手を振った。