40話 ②牛島唯パート「練習試合…………!? まさか……」
ゴールデンウィークの空も青から鮮やかなオレンジ色へと変わり、笹浦市にももうじき夜が訪れようとしていた。『夕焼け小焼け』が流れることで午後の五時を迎えた茨城県笹浦市。それは笹浦二高のグランドでも同じ音楽が響き渡っており、一日の終わりを告げるに相応しい音色を奏でられていた。
「おぅ、終わったぁぁ――――!!」
最後のメニューだった筋トレのスクワットを終えた夏蓮は叫び、『夕焼け小焼け』に続いてグランド中に轟かせながら膝から崩れ落ちる。
ついに最後までやり通すことができた、この地獄の合宿メニュー三日間。内容が内容なだけに、もはやこのまま女性自衛隊にでも入隊させられるのではないかというほど身体を動かしていたため、夏蓮に続いて部員みんなが地面に座り込んでいた。
選手十人が荒くした呼吸を整えようとするなか、一人練習を見守っていたマネージャーの柚月が皆のもとへと近づき、場違いな笑顔を見せていた。
「みんな、お疲れさま~! どう? すぐには帰れそうにないでしょ?」
「柚月ちゃん、恐いよ……」
何とか声を出すことができた夏蓮は地面にうつ伏せで倒れており、経験者らしからぬ姿で夕日に照らされていた。
夏蓮と同じく経験者である二年生、月島叶恵や舞園梓らも仰向けで寝転がって喘息気味となっており、柚月の顔を嫌々ながら眺めていた。
「アイツ、何がそんなに嬉しいのよ?」
「だって、柚月だもん……あの柚月だよ?」
「疲れてる私たち見て、楽しいとか思ってるわけ? どういう人格の持ち主よ……」
柚月の恐ろしい性格はこれまでに何度も見て味わったピッチャーの二人は起き上がれず、見たくもないマネージャーの微笑みを強制的に映されていた。
「まぁ、とりあえずこれで合宿は終了。新しく覚えたルールや動き方、忘れたら承知しないからね~」
相変わらず頬を緩ませている柚月はそう言いながら、夏蓮や梓、叶恵だけでなく、他にも地面に伏している選手全員に向けていた。
「お腹が空いて、力がでない~」
目を回して弱々しく呟いた、自称五つの胃袋を持つ咲。
「小忍ばざれば則ち大謀を乱る……勝つためには、これくらい頑張らなくてはいけないのです……恐らく」
咲のように目が泳いでいるが、アメリカ人と日本人のハーフでありながら、やたらとことわざを使いこなすメイ・C・アルファード。
「ふぁ~、お星様が鮮明に見えるにゃあ~」
仰向けで上空を眺めているが、夕焼けの空にはどこにも星がないことから幻影を眺めている植本きらら。
ここまではいつも通りの一言がそれぞれ放たれていた。しかし、これより先は今日から違っていた。
「うぅ~疲れたっすぅ~……」
「まったく、美鈴は情けないところある……」
「そういう凛だって、起き上がれないじゃん!」
うつ伏せで倒れている星川美鈴と仰向けで寝転ぶ菱川凛が、二人とも小さな頭を向かわせながら言い合っていた。
「やべぇ~……足が動く気がしねぇ~。なぁ、菫?」
「そ、そうですね。あたしもクタクタですよ~。唯先輩」
こちらでは地面に尻を着けながら話し合う二人、牛島唯と東條菫らが苦笑いを見せ合っていた。昨晩をきっかけに打ち解けることができた二人の間には強い絆が結ばれたようで、本日の練習では共に張り切りながら臨んでいた。
『嫌いだったフィールディングが、こんなに楽しいとは思わなかったなぁ』
自慢の力を発揮できる打撃こそが大好きな唯は以前から守備を好めずにいたが、サードを守る自分の隣にショートの菫がいることで心地好さを感じ、いつにも増して動きやすかった気がする。大嫌いだったフィールディング内で行う連携プレーを始め、必死に打球へくらいついたことでより守備や仲間の大切さを知ることができて、どことなく心が軽やかだ。
こうして、閉じていた心を通わせるようになった二人組。
それは美鈴と凛にも同じことが言え、名前で呼び合うようになった未経験者且つ内野手の四人は、いつにも増して楽しさを抱きながらノックなどに取り組めていた。
すると、場の和みを誕生させた唯たちの前には、顧問の田村信次が笑顔を抱きながら近づいてくる。何やら嬉しそうな様子を浮かべているせいか、かえって不審者に対する目を向けてしまいそうだったが、目の前で立ち止まったスーツの彼は腕組みをして口を開ける。
「やぁやぁ、みんな御苦労さん!! 早速なんだが、一つ業務連絡をもらったよ!」
「連絡……?」
見上げながら呟いた唯の声は信次に届いており、一度頷いてから再び地面の部員たちに顔を向けられる。
「実はさっき、是非うちと練習試合をやりたいと言うチームから電話を受けたんだ!」
「ど、どことです、か……?」
元気な信次とは逆に、地面に倒れたままの夏蓮から僅かな声が鳴らされた。
みんなの疲れた視線は信次に集まっているなか、同じく唯も練習試合の相手が気になっていた。一体どこのチームが申し込んだのだろう。
「練習試合…………!? まさか……」
しかし、練習試合という言葉を口ずさんだ唯は聞き覚えがあることに気づくが、ふと同時に嫌な悪寒を感じてしまった。まさか、本当に申し込んできたとでもいうのか。
しかめるようになった唯だが、するとマネージャーの柚月が信次に向けて、どこか嬉しそうに笑いながら話し出す。
「へぇ~。まだ部として認められていないチームと練習試合なんて、ずいぶんと珍しいチームね」
練習試合ができることに否定するつもりもないし、むしろ試合ができて嬉しいくらいなのは自分も同じだ。だが、唯は一人厳しい表情を貫いていた。この前試合をした筑海高校との件では、話を聞いたらこっちから依頼していたことらしく、今回のように相手から連絡を受けたことへ妙な感じが否めない。柚月の言葉通り、自分たちと練習試合を申し込むなど、普通のチームでは考えられない行動だ。そう、普通のチームなら……
「ゆ、唯先輩?」
隣から菫の心配した声が放たれたが、振り向かなかった唯は無視する形になってしまう。もしかしたら、相手はヤツらなのかもしれないと考えながら、激しい吹雪に見舞われたように固まっていた。
悩める唯が俯くなか、まだ相手の正体に気づいていない他の部員たち。皆がそれぞれ顔を合わせて和やかに相談してるが、腕組みをして足踏みを見せる叶恵が信次へと口を開ける。
「ねぇ、早く相手の名前言いなさいよ?」
人一倍気にしてる様子の彼女からふてぶてしい態度を見せられるなか、信次は対戦相手の名前を言おうと息を取り込んでいた。
一方で、考える度に嫌な予感が何度も過る唯は微動だにせず、固唾を飲み込んで信次の言葉を待っていた。どうか、別のチームであってほしい。
しかし唯の細やかな願い事は、無情にもあっけなく消されてしまうのだった。
「相手の名は、釘裂高校だ!!」
「――!?」
信次が発した刹那、唯の瞳孔は大きく開いてしまう。聞き間違いだと疑いたかったが、顧問のハキハキとしたクリアな話し方から、どうも間違いではない。
『愛華のやつ、マジな話かよ……』
「あれ? 釘裂って確か……」
ふと笑みを消した柚月はジャージのポケットからスマートホンを取り出して、素早く検索を開始していた。
何を調べているのだろうと周囲から視線を浴びていたマネージャーだが、一人唯だけが突如立ち上がる。
「ダメだッ!! 取り消せッ!!」
転々とする選手たちの視線は、今度は唯の焦る表情へと向かっており、信次すらも微笑みを消して彼女を眺めていた。
「牛島……」
「アイツらと練習試合やるくらいなら、ここで練習してた方がよっぽど増しだ! いくらバカなお前でもわかんだろ!?」
焦るあまり信次に暴言たる言葉を吐いてしまった唯だが、自分が放った意味に間違いはないという自信があった。彼だって合宿前夜の事件を知る一人だ。釘裂生徒の危険性くらい忘れている訳ではないだろう。
「唯先輩、どうしてですか?」
足下の方から菫の不思議がる声が聞こえると、唯は真剣さながら彼女と目線を合わせるようにして膝を折る。
「アイツらは野蛮で危険な集団だ。他校のオレたちにとっては、身の危険だってありうるんだよ」
恐らく菫だって練習試合を望んでいるのだろう。それは自分も同じ意見であり、この合宿の成果を今すぐにでも発揮したい心中だ。だが、今回の相手ばかりはやる気になれない。ただでさえ評判の悪い釘裂高校が相手となると、自分は良くても部員たちや、目の前にいる年下の菫にだって危険を伴う試合に成りかねない。だからこそ、今回の練習試合は避けるべきなのだ。
眉をひそめる唯が菫を真剣に見つめていると、ふとため息を出した柚月が声を鳴らす。
「……やっぱり。牛島さんの言う通りかもしれないわね」
片手に持っていたスマートホンを眺めながら柚月はそう言うと、残念そうな表情を見せていた。
叶恵も隣に立ってスマホの画面を覗き込むが、厳しい表情のまま俯く。
「そうね。相手に問題ありだわ……」
叶恵も真実を知ってしまったかのように低い声で呟き、柚月の言葉を後押ししていた。
「柚月、それに叶恵も、どうして?」
お腹が空いていることも忘れた様子の咲が首を傾げ、珍しくまともな疑問を投げていた。唯を除く部員たちの思っている意見であり、自然と選手たちの視線を柚月、そして叶恵にも集めさせていた。
すると柚月は一度深々と頷き、暗く神妙な様子のまま声を鳴らす。
「釘裂ソフト部は去年、再来週に行われる関東予選大会で、暴力事件を起こした高校なの」
せっかく和やかな雰囲気だった笹二ソフト部には、五月らしからぬ一瞬の凍える風が吹き荒れた。練習試合を申し込んだ相手は、スポーツマンシップの欠片もない、とんでもない問題高校だったのだ。
「え……ええぇぇぇぇ――――――――!?」
咲の絶望的なリアクションで現場に温度が戻されるが、誰一人として笑っている者などいなかった。
「確か、一年間の活動停止処分だったわよね?」
腕組みをする叶恵は鋭い目付きのまま柚月に告げていた。
「ええ。去年の関東予選からは、ついこの間で一年経ったから、今活動していても問題ではないわ。ただねぇ……」
相手にするのは、とても危険過ぎる。
きっと柚月だってそう言いたいのだろうと唯は察し、立ち上がって部員たちに身体を向ける。
「アイツらはマジで危ねぇ輩どもだ。今回の件は、断った方が身のためだ」
釘裂には、自分の目の前で男子生徒の顔に膝蹴りを入れた鮫津愛華を筆頭に、たくさんのヤンキー生徒たちで溢れかえっている。そんな異端者らと戦っても、得るものよりも失うものの方が多いに違いない。練習試合をやりたい気持ちは痛いほどわかるが、つまらない怪我をしないためにも、ここにいるみんなには是非とも見送ってほしい案件だ。
「ありがとう、唯ちゃん」
しかし、断固反対の姿勢を貫いて唯の力は、少女の小さな一声で一気に抜け落ちていく。
「キャプテン……」
声が聞こえた方へ驚き顔を向けた唯はすぐに夏蓮と目が合い、彼女の優しさ籠る笑顔を見せられていた。息はすっかり整えた様子でゆっくりと立ち上がるキャプテンだが、正直彼女の言動の理解に苦しむ。
「なんで、礼なんて言うんだよ?」
部員たちが望む練習試合を反対している自分に、御礼など言われる筋合いはない。むしろ批判されてもおかしくない流れだ。なのに、どうして夏蓮はこんなにも嬉しそうに告げるのか。
キャプテンでありながらも、彼女に不審な目を向けていた唯だが、夏蓮はにっこりと笑ったまま手を後ろに組む。
「やっぱり、唯ちゃんは優しいなぁって思ってさ」
「はぁ!? オレのどこがだよ!?」
夏蓮の気持ちがますますわからなくなってしまった唯は、眉を潜めてつい声を荒げてしまう。
「だってさぁ……」
相変わらず微笑みを消さない幼さ残るキャプテンが目の前に映し出されるなか、夏蓮はやっと自身の気持ちを吐き出す。
「唯ちゃんは私たちのこと、本気で心配してくれてるんだもん!」
年下の後輩のように無邪気に答えた夏蓮に、唯は口が動かせなく黙っていた。確かに声を荒げて止めた自分だったが、正直言うと無意識に叫んでいたことは否定できない。こうしてキャプテンに言われると、何も考えずに発していた自分が少し恥ずかしかった。
「ボクも、暴力の心配はしなくていいと思うよ」
すると夏蓮と似た眩しい笑顔を見せる信次が、夕日に照らされながら答えていた。
「お前、アイツらのこと見て、よくそんな簡単に……」
唯は下を向きながらボソッと呟いていたが、信次らしからぬ言葉だと思っていた。昨晩の事件は自分と同じように見ている男で、親友らしい大和田慶助にだって傷を負ったはめになっているのだ。今回の相手がいくら女子だからと言っても、暴力の心配はするべきだと考えているのに。
「確かに、彼女たちは見た目も恐ろしい、不良らしい不良だ。それはボクもわかるよ」
「だったら、なんで?」
飄々と答える童顔教師に、唯が眉間に皺を寄せて言い返す。すると信次からは自信を持った様子が伺われると共に囁かれる。
「彼女たちだって、君たちと同じソフトボーラーだ。普通だったら、去年の事件で諦めて、二度とソフトボールなんかやらないと思うけどね。だから、きっと大丈夫だよ」
暖かな笑みを見せ続けながら真意を突いた信次に、唯は何も言えずそっぽを向いてしまう。
「やりましょうよ! 唯先輩!」
「菫……」
自然と目が合った菫は立ち上がり、みなぎる勇気を見せ付けつけるように唯を見上げていた。
「確かに恐い相手だとは思いますけど、唯先輩がそばにいるなら、あたしは平気です!」
「なんだよ、それ……」
笑う菫にも目を反らした唯だが、内心はとても嬉しく頬を赤く染めていた。それは練習試合に望む彼女の姿勢ではなく、自分の存在意義を表してくれた後輩の気持ちが伝わったからである。もちろん美鈴にだって同じことをよく言われるが、新たな後輩となった菫の言葉は妙に心へ突き刺さった。
菫の前向きさは徐々に伝染していき、周囲の部員たちが相談し始める。
「わたしも、練習試合やりたい。美鈴は?」
「そりゃあ、うちだって同じだよ」
同意見だとわかって笑顔を交わす、一年生の凛と美鈴。
「ハイハ~イ!!じゃあワタクシもやりたいので、大賛成で~す!!」
「アタシも賛成ッ!!次こそ、絶対に勝~つッ!!」
夕日になんか負けない明るさで挙手する、メイと咲。
「ったく、仕方ないわね~。賛成してあげるわよ」
「とか言って、本当は自分が一番やりたいくせに~」
「うぅ……先発にしなかったら、許さないわよ?」
「どうかしらね~」
偉そうな振る舞いを見せたはずも、まんまと柚月に弄られる仕打ちを受けている叶恵。
「私もやりたい!夏蓮は?」
「もちろん私もやりたい!きららちゃんは?」
冷静沈着な梓にも笑顔が浮かぶなか、キャプテンの夏蓮は、まだ一言も発していなかったきららへと問いかける。
「……やろうにゃあ!」
「――!? きらら……」
遠くから唯はボソッと呟いていたが、きららがいつものように高らかな一言を放って賛成を示すと、周囲の部員たちも熱が伝染したかの如く喜んでいた。中だも一際眩しい表情を見せる夏蓮は立ち上がり、信次の隣へと立って部員たちに顔を向ける。
「じゃあ、みんなの意見が一致したということで、練習試合をやろう!」
――「「「「はいッ!!」」」」――
部員たちの高らか返事は夕焼けの空へ響き渡り、陽で染められた雲たちも応援しているように赤く鮮明だった。しかしその返事には、唯の声は無かったのだ。
合宿の終わりを迎えたことで、早速グランドから離れて帰り支度をしようと動くソフトボール部員たち。それぞれの仲間たちは誰かしらと隣り合いながら、喜ばしい様子で体育館へと向かっていく影が延びていた。最後の最後で練習試合すら決まったことに、きっとみんなは嬉しいに違いない。
「唯先輩!あたしたちも、行きましょうよ!……先輩?」
菫が笑顔を消して不思議がる表情に変えていたが、一人グランドに立ち竦む唯には見えていなかった。
「きらら、お前……」
儚げに言葉を漏らした唯には、メイと楽しそうに歩いていくきららの背中が目に映りこんでいた。こうして遠くにいながらも、二人の元気有り余る声は確かに耳に入り、今彼女たちが美容効果について話していることなど丸聞こえである。
「唯先輩!?」
「おぉ! なんだ、菫かぁ……」
突如として目の前に菫の顔が見えた唯は少し驚いてしまい、一瞬怖いオバケを視てしまったかのように身体を後ろに反らしていた。
「どうしたんですか? 何か、考え事でもしてたんですか?」
心配そうな瞳を向けている菫だったが、唯は彼女を悲しませたくないあまり、頬を緩ませて首を左右に振る。
「疲れたから、ボーッとしてただけだ。ほら、オレたちも帰ろうぜ~」
「あっ! 唯先輩、待ってくださいよー!」
自分は疲れていると言いながら駆け出した唯は笑っていたが、それは表情だけである。やはり目はきららの姿へ向かってしまい、すぐに動かしていた足を止めてしまう。
『きららのやつ、やりたいとか、賛成にゃあとか、自分の気持ちを言わなかったな……』
中学二年生のときに出会った彼女のことは、自分がよく知っている分、唯にはきららの肩がずいぶん張っているように見えていた。
◇◆◆




