39話 ④菫×美鈴パート「――えっ!? じゃあ二人は……」
「ゆ、唯先輩、すみませんっす。盗み聞き……してました」
鼻をすすりながら答えた美鈴は苦笑いを見せ、くしゃみの正体であることを示していた。
「盗み聞きって、じゃあ菱川も?」
ふと唯は立ち上がって眉間の皺を寄せた顔を凛に放っていた。
つられて菫も立ち上がると、静かに笑う少女は頷く。
「唯先輩は、とても優しい人なんですね。わたしたちのこと、よろしくお願いします」
一度菫に目配せした凛は最後に唯へと一礼し、微笑みを絶やさずしていた。
「凛……」
凛の言葉から彼女も唯の話を聞いていたことがわかった菫は、頭を垂らす少女に苦い顔をしていた。先輩はあまり公にしたくないことなのに、機嫌を損ねてしまうかもしれない。
「へッ! おいおい、顔を上げろよ?」
しかし菫の予想は良い意味で外れ、鼻で笑ってしまった唯はそう告げて顔を上げさせると、菫と同様に、凛にも白い歯を見せていた。
「それはこっちのセリフだ、凛?」
「そんなことないですよ、唯先輩」
また一人、唯を下の名前で呼ぶ後輩が増える。それは決して悪い意味ではなく、厚き信頼を寄せようとした一声だった。
菫は、親友である凛が幸せそうに笑っていたことが嬉しく、唯に心を開いてくれたことに感謝していたときだった。
「み~んな、友だちにゃあ!」
するときららからは微笑ましい一声が放たれるが、四人の喜ばしい視線を集めていた。
――なぜなら、ここにいる五人が望んでいた言葉だったからである。
部内でのグループ化を気にしていた菫にとって、きららの明るい一言には心から賛成していた。自分たちは揃って笑っていることから、もはやグループという見えないバリアは消えているだろう。素直にとても嬉しく、合宿始まって以来の和みを感じる。
菫を含め、五人のソフトボール未経験者たちはそれぞれの顔を会わせながら笑っており、それは入部して以来初めて交わした、心の微笑みだった。
……ルン……ブルン……
「ん?何か聞こえません?」
ふと耳に物音が入り込んだ菫は不審に思い、隣の唯に尋ねていた。
「……本当だ。グランドのほうからだ」
改めて耳を澄ませた唯も怪しい音に気づくと、菫と共に先頭に立ち、五人でグランドへと向かい出る。
……ブルン……ブルン!
近づくにつれて物音は大きくなっていくが、月明かりという照明しか設備されていないグランドでは誰がいるのか検討が着かない。学校の関係者なのだろうか。はたまた、本当に不審者がいるのだろうか。
……ブルン!……ブルン!!
音の発信地にもうすぐたどり着くなか、体育館の入り口から出た五人は左角を曲がってグランドを眺める。その刹那、彼女たちには二つの人影を目に入るが、その影は見覚えのある形をしており、すぐに誰なのかわかって名前を叫ぶ。
「夏蓮先輩!?」
「田村!?」
菫と唯が声を放った暗闇の先には、右バッターの構えをしている、キャプテンの清水夏蓮と、しゃがんで夏蓮にバットの先を伸ばしている、顧問の田村信次が向かい合っていたのだ。
こんな夜中に、キャプテンと顧問は何をやっているのだろう。
すると声に気づいた夏蓮はバットを下ろし、菫た五人に向けて驚いた顔を見せる。
「あれ!? みんな、起きてたの!?」
夏蓮の様子から、どうやら彼女もこそこそと何かをしていたらしい。
気になった菫と唯が歩き出すと、後ろの三人も後に続き、夏蓮と信次のそばにたどり着く。
「おっ! やぁ!!」
「やぁじゃねぇよ!! 何やってんだよ?」
信次の気さくな挨拶に唯は声を荒げたが、バットを握りしめる二人がこんな夜中に何をしていたのか、菫は首を傾けて観察していた。キャプテンが手に持つ木製のマスコットバット、二ヶ所に掘られたグランドの窪み、そして夏蓮先輩の汗。
「――えっ!? じゃあ二人は……」
ハッと気づいた菫はすぐに夏蓮へ顔を向けて、驚きのまま声を鳴らす。
「もしかして、素振りの練習、してたんですか!?」
グランドにある時計台はもうじき十一時を指そうとしているなか、夏蓮からは笑いながら頷かれてしまう。
「私、経験者なのに下手っぴだからさ。こうでもしないと、上手くなれない気がするの、エヘヘ……」
夏蓮はバットを握っていない片手で頭を掻いて笑っていたが、未経験者の五人はその姿に笑い返すことができなかった。
「エヘヘって、お前、正気かよ……?」
「ただでさえ、合宿中っすのに!?」
苦い顔で唯と美鈴が返答していたが、二人の言葉は菫も思っていたことだ。今日で厳しい合宿メニューの二日目を乗り越えた訳だが、やはり身体のあちこちには悲鳴を上げており、体育館からここまで歩くのだって一苦労の筋肉痛が襲っている。確実に疲労が積み重なっていることがわかる一方で、キャプテンという、重責がある夏蓮には更なる疲れがあるはずだ。にも関わらず、キャプテンが夜に練習をしているなど理解し難い思いであり、いくら経験者としてのプライドがあろうとも、少しばかりやり過ぎではないかと疑ってしまう程である。
心配ながら見つめる菫だが、夏蓮はいっこうに笑顔を変えずに隣の信次に顔を向ける。
「一人だったら、昨日の時点でムリだって言って、すぐに止めてたと思う。でもね、先生も昨日からフィールディングノックの練習をしててね。最終的にはこうやって、私の素振りに付き合ってくれてるんだ」
五人の前で微笑みを交わしたキャプテンと顧問であり、続けて信次は菫たちに向かって口を開ける。
「ボクがバットをかざして、ボールのラインを示す。それを清水が芯で捉える練習をしてたんだ。キャプテンはスゴいんだぞ~! 最初はなかなか捉えられなかったのに、今はほぼ完璧だもんな!!」
「先生、誉めすぎだよ~!」
二人のやり取りは少しいちゃついている様子もあったが、菫はその会話から大切な意味を見出だしていた。
――信頼できる人がそばにいるから、人は諦めず努力できる。
気づけば自分だって、親友である凛がそばにいるから、ソフトボールを頑張れている気がする。そして今では待望の唯にだって、大きな信頼感が生まれているのだ。言ってしまえば、もう努力を怠る理由など見当たらなかった。
もちろん自分のために努力することが一般的だが、大切な仲間や友だちに応援されればされるほど、顔を前に向けることができて、自然とやる気や自信がみなぎってくる。団体競技であるソフトボールにおいては、尚更感じることができる現象なのかもしれない。
『――キャプテンもスゴいけど、チームスポーツってスゴいんだなぁ……』
チームスポーツの一種であるソフトボール。
菫は、自分が行っていることに誇らしい思いをし、共にその部に入っていることに幸せを感じていた。
「せっかくだから、みんなでやろうにゃあ!!」
月明かりというスポットライトを浴びているきららは叫び、周囲から視線を集めていた。すると唯は笑ってしまい、突然声を上げた彼女に疑い目線を送っていた。
「お前らしくねぇなぁ。あれだけ練習サボりたいっつってたくせに」
「今は気分がいいから関係ないにゃあ!! みんなもいるし、それに信次くんもいて、テンション赤丸急上昇にゃあ!!」
相変わらずのきららがいつも通りはしゃいでいるなか、凛は早速二人一組のペアを決めようと考え込んでいた。
「じゃあ、ペアは……」
「リンリンはミスズンとにゃあ!!」
「え……?」
菫とやろうと考えていた凛だが、きららからの高らかな注文に口が止まってしまった。だが、すぐに頬を緩ませて、緊張している様子の美鈴の前に立つ。
「よ、よろしくっす……」
美鈴はそっぽを向いたまま呟いていたが、目を会わせようとしている凛は喜ばしく頷く。
「――よろしくね、美鈴」
「えっ……」
驚いた顔の美鈴は笑顔の凛に向けていたが、どうやら聞き間違いではないことに気づくと、明るい笑顔となって勢いよく頷き返していた。
「ビックリさせないでよ、凛!」
「何も驚かしてないけど……? 美鈴って、不思議だね」
「いや、凛ほどじゃないって!!」
美鈴と凛の様子を見届けたきららは次に、そばで寄り添っていた唯と菫に身体を向ける。
「それから、唯とスミスがペアで完了にゃあ!!」
「お前のペアは……?」
「いないから見学してるにゃあ!!」
「やっぱサボるんかい……」
「アッハハハ~……」
マイペースなきららに唯は静かな突っ込みを溢していたが、その隣で菫は眉をハの字にしながらも声を出して笑っていた。
早速きららから、予めグランドに置かれていたバットを受け取った菫と唯は、互いに目を会わせて身体と心を向けていた。
「んじゃ頼むわ、菫!」
「はい!唯先輩!!」
唯と菫の喜ばしい様子は周りの部員たちも安心して見守ることができて、笑顔という表情が感染していく。リィリィと聞こえるツヅレサセの鳴き声を始め、夜空から優しく降り注ぐ月明かりが、菫と唯の新たな絆を静かに祝福しているようだった。
一方で同じく新しい絆で結ばれた美鈴と凛もそれぞれバットを持ち出して、早速素振りの練習を始めようとしていた。
信次からは、あまり遅くまでやらないようにと注意されていたため、今すぐに練習に取り掛かろうと強くグリップを握りしめる。
「じゃあ構えて、美鈴?」
「うっす! 時間ないから、ぱっぱと始めよう!」
「さっさと、じゃないの? やっぱり不思議ちゃん」
「もう! いいから早く~!!」
左バッターとして構えた美鈴に対して、凛はクスクス笑いながらバットの先を向け、打つべきボールの的を示そうとした、そのときだった。
「――美鈴!!」
「――凛!!」
ふと名前を呼ばれた美鈴と凛はそれぞれバットの先端を地面に置き、意気込んで臨んだ素振りを中断させてしまう。声の質から誰が呼んだのかは察しが着いており、二人はそれぞれ唯と菫の方へと顔を向けていた。
「なんすか~?」
「どうかしたの?」
美鈴も凛も不思議そうに質問を投げていたが、唯と菫はニッコリとしながら声を揃える。
「「――トイレ、行こ~~!!」」
彼女ら二人の声を聞いた美鈴は何を言っているのか意味がわからず小首を傾けていたが、凛はハッと気づいたように口を開けていた。
「忘れてた。トイレに連れて行かなきゃだったんだ……」
「え……? 別に、唯先輩と菫の二人で行けば……」
唖然とした凛の呟きに美鈴はさらに疑問を感じながら聞いていたが、新たな親友は悩ましい顔をしながら首を横に振る。
「だって、あの二人ってさ……」
凛はため息ながらそう告げると、残りの言葉は美鈴の身元で囁いていた。一応周りには聞こえないようにするために、小さな口を手で覆ってこそこそ話として伝えていたが、まだ理解しきれていなかった美鈴は大きく目を開けて知ってしまう。
「――えっ!? じゃあ二人は……」
とんでもない真実を突きつけられた美鈴は驚いていたが、やはり凛からは深々と頷かれてしまう。
「おーい美鈴!! 早く行こうぜ!!」
「凛、早く早く~!!」
夜のトイレに行きたがる唯と菫に急かされるなか、美鈴と凛は揃って彼女たちに苦い顔を見せていた。
「そっか……あの二人、オバケ嫌いなんだっけか……」
「うん、菫に関しては間違いない。それに、唯先輩だってそうなんでしょ?」
「…………うん、間違いない……」
凛から告げられた二人の真実を思った美鈴は顔をひきつっていたが、唯と菫からは笑顔が絶やさず放たれていた。
身も心も寄り添って声すら揃える唯と菫。
そんな似つかわしい二人には“オバケ嫌い”という、もう一つの共通点が存在するのだった。
皆様、こんにちは。
本日もありがとうございました。
最近はやたやらと親子の暗いニュースが流れていて、毎日胸が苦しい思いです。
もしも今、私の作品を読んでくださっている方がいるならば、どうか未来の光である子どもたち、青年たちを守ってあげてください。私なんかの作品に目を通してくれている時点で、貴方はきっと思い遣りに溢れた人格の持ち主だと思います故、どうかよろしくお願いいたします。
さて、合宿も次で終わりですね。実は今回のお話は作品を立ち上げてからすぐに思い付いた話でした。約一年が経ってしまいましたが、無事に書けてよかったです。
未経験者たちの絆にも、今後注目してあげてくだそい。
次回は合宿ラスト!
そしてついに動き出す練習試合の話。
またよろしくお願いいたします




