二球目 ③信次→唯パート「植本……貝塚……」
◇キャスト◆
田村信次
清水夏蓮
貝塚唯
植本きらら
「よしみんな! 授業はしっかり受けるようにね~!」
「あの、先生……」
「清水? どうしたの?」
朝のホームルームを終え、解放された生徒たちのざわつきが起こる二年二組。教室出入口から放った信次の前には、緊張気味の夏蓮が部活動申請書と共に訪れていた。
「私も名前書いて、一応三人の著名は揃いました」
「おぉ了解!」
信次も明るく見つめる申請書の著名欄には、先ほど目の前で書いてくれた柚月と咲の名が刻まれ、その下に夏蓮自身の名が小文字ながらも記入されていた。きっとホームルームが終わってすぐに書いたのだろう。
「あとは、顧問の先生の名前だね」
「その件なんですけど……」
「ふぉ……?」
申請書で小さな口元を隠しながら呟いた夏蓮から更なる緊張感が伝わる中、信次は瞬きと共に首を傾げる。
視線も逸らし、ウジウジと微動する少女の気持ちを考えようとした矢先、信次は夏蓮に勢いよく申請書を突き出される。
「――顧問は、田村先生でお願いします!!」
「……え? えぇぇ~~~~え!?」
授業前に大きなサプライズ――いや、たいへんなハプニングが起きてしまった。
◇◆
人生初めての授業へと、珍しく静かに廊下を進む田村信次。
初授業がまさかの、成績優秀者で揃った特別進学クラス――二年九組というプレッシャーを感じているためだ。が、今の信次の頭には、夏蓮から言われたことでいっぱいいっぱいでもあった。
『とりあえず顧問は引き受けたけど、果たしてボクでいいのかな~?』
胸中で呟き続ける信次は、二年九組出欠表の上に載せられた部活動申請書を覗いていた。
一先ず信次は、夏蓮の願いを尊重して申請書の顧問記入欄に書くことを約束してから二年二組を出てきた。
とはいえ、ソフトボールはもちろん、球技は愚か、学生時代は部活動にすら携わったことがない自分が務まるのだろうかと、深く考えさせられている。
この学校の教員でソフトボール経験者である、適材適所な人材はいないのだろうか? 何なら野球経験者でも構わない。むしろ何かしらの部活動を経験した者なら誰でもいいとさえ思える。
『スポーツに疎いボクより、相応しい人はたくさんいると思うんだけどな~……』
――キーンコーンカーンコーン♪
校内に再び鳴り響いたチャイムは、今度は授業一限目スタートの合図を意味している。
悩める信次はチャイムと同時に目的地の二年九組の前にたどり着くと、突如両頬を手のひらでパチパチと叩いてみせる。
『ダメだダメだ! 今は初授業に集中しなきゃ。よし、張り切っていくぞ!!』
無理矢理にも自分自身を鼓舞させた信次は心を引き締め、得意の笑顔で早速二年九組のスライドドアを開ける。
「おっはよう!! それでは起立!!」
本来なら日直の生徒がかける号令だが、張り切る信次は無意識にも起立、礼、着席まで通してしまう。
初授業でもあるため、信次はまず黒板にデカデカとフルネームを記し、昨日職員室同様、個人情報丸投げの自己紹介を語る。
「……ということで、よろし……あれ?」
ふと信次は、廊下側の後席が空いていることに気づき、挨拶が途中で止まってしまう。初日早々欠席の生徒なのだろうか。それとも、御手洗いからまだ戻っていないだけなのだろうか。
「あの、そこの席は……?」
――「植本さんです。欠席の連絡は来てないそうです」
「え……あ、そうか。あ、ありがとね……」
今日の日直だった女の子から報告された信次は微笑み、感謝を残しながら授業名簿の植本きららの欄に遅刻マークを付けた。
植本きらら。
昨日信次のクラスメイト――貝塚唯といっしょに始業式をばっくれようとした一人である。クールな貝塚とは反面、語尾に“にゃあ”をつけるほど元気で明るい茶髪女子高校生だ。
そんな元気溌剌としたきららの姿を覚えている信次は、なぜ今日は来ていないのかと不思議に思っていた。
『そっか。植本も、か……』
周囲に聞こえない心の声で呟いた信次。
すると少しだけ嫌な雲が表情に表れ、町並みが見える窓の外に瞳を向ける。
『――貝塚も、連絡無しなんだよな~……』
昨日二人が共にいたからこそ、是非とも外れてほしい嫌な予感が信次に過っていた。
もちろん唯ときららが今どこにいるかなどわからない。欠席や遅刻の連絡も無いのだから。
「植本……貝塚……」
小さな独り言を窓の景色に当てた信次は、初授業にも関わらずあまり集中しきれていないままのスタートを迎えた。
◇◆
学校の授業開始と同じ頃。
この時間では笹浦市の人々も、苦しい仕事に嫌々没頭して臨んだり、家事育児のために外出して買い物に向かったりと、慌ただしい様子が四方八方から観察される。
住宅街もママ友同士で話し合う音も奏でられている。しかし、とある一軒家の中からは女性の甲高い笑い声が漏れていた。
その家の表札には、“貝塚家”と縦に記されており、時間帯的にはあまり考えられない、女子高校生の会話が耳に入ってくる。
「にゃははは!! 唯~、これマジでウケるにゃあ!! 腹筋バキバキになっちゃうにゃあ~!!」
「その漫画、そんなにおもしろいかよ?」
家の一室から聞こえた笑い主は言わずもがな、本日学校にまだ行っていない植本きららだ。
また傍でスマートホンをタップしながら尋ねたのも無論、欠席の連絡など送る気などない貝塚唯である。
部屋に閉じこもって楽しんでいる二人の空間は、貝塚家の二階にある唯自身の部屋。
カーテンで見えない小さな窓の傍には白いベッド、また部屋の角隅には組み立て式の木製本棚が立ち、そして部屋中央には毛布のような黒いカーペット上に低いテーブルが置かれている。
男口調で性格が荒々しい唯を考慮すると、意外にきれいに整っていた。
現在はきららがベッドにうつ伏せになって、本棚から取った漫画に爆笑している。
一方で唯はベッドの横に寄りかかりながら座り、片足はテーブルの下に伸ばし、もう片方の曲げた足の膝には腕を置いてスマートホンを眺めていた。
「にゃははは!!」
「そんなおもしろい漫画、家にあったっけか? ……てかそれ、ギャグ漫画じゃねぇじゃん」
あまりに愉快なきららを窺った唯の目にはこの前買った、甘酸っぱいストーリーを描いた恋愛少女漫画第一巻が映る。
「にゃはは!! だってこの男、彼女に結局フラれてるにゃあ!! いっしょにお祭りデートまでしたくせに、高いプレゼントもあげたのに…………にゃあっははは!! こいつ、結局良いように使われてただけなんだにゃあ!」
「はぁ、きららの感性には驚かされるわ……てかそれ、ヒロインまた別のやつだろ? ほら、ピンクの浴衣の子だよ。まぁ崖から落ちて、死んじゃうんだけどさ……」
儚い展開を教えても、きららの爆笑はいっこうに止まる気配がなく、唯は呆れてしまいため息を溢した。
「にゃははは~……はぁ……今ごろ、授業始まったのかにゃあ?」
すると落ち着きを取り戻したきららは本を閉じ、仰向けになりながら天井を見上げる。
素っ気ない呟きに他ならなかった。
しかしその言葉は唯のスマートホン操作を止めるほどの影響力があり、点灯ボタンで画面を真っ暗にさせる。
「きらら、ここで学校の話はしないって、約束だろ……?」
「にゃは~……ゴメンにゃあ。ちょっと気になっただけにゃあ……」
返された唯は向き合う画面と似た表情で俯き、不機嫌な眉の形を始める。
「教員だって、所詮は大人だ。オレらの気持ちなんかわかっちゃくれない……いや、わかろうともしてくれない輩の一員だぜ?」
妙に大人を忌み嫌う唯の一言は、静かながらも自室の空気を振動させた。大人なんて皆いなくなってしまえばいいと意味するような、冷徹な空気が漂い始める。
「でも唯の担任、なんかおもしろかったにゃ」
「田村がァ!? あんなおかしい男のどこが?」
ベッドに寝転ぶきららに、唯はより険しい表情で振り向き問う。しかし早速見えたのは、麗しくも乱れた茶髪に隠れた、御嬢様の高貴な微笑みだった。
「――おかしいのは確かだけど……ただ、普通じゃないってところが、なんか良いかなって思った、にゃ」
「……普通じゃねぇ、か……でも、あいつだって大人だ。どうせ仕事の成績のために演じてるだけだ。きっと……」
再びスマートホンの画面へ顔を戻した唯。しかし画面から見えたのは、自分自身の辛そうな表情で、点灯していないせいで余計鮮明に映っていた。
「にゃあ唯!! ゲームしようにゃあ!!」
「ゲーム?」
「そうにゃ!! どっちが上手く化粧できるか勝負するゲームにゃあ」
「はぁ!? またかよ?」
唯はきららの提示したゲームに身体を反っていた。
これはきららからよく誘われるものだが、昨日も早退後に行っている、定番化しかけている一勝負である。もちろん、慣れていない唯がいつも負けてしまうのだが……。
「……オレ別に、化粧とかしないしよ~」
「お願いにゃあ~唯~。お・ね・が・い~にゃ」
猫口を目の前に見せられた唯は困り果てていた。だが親友のきららからの願いでもあり、やるせないため息を漏らす。
「きらら、こういう美容関係ホント好きだよな……しゃあねぇ。そこまで言うなら、やってやるよ」
「にゃあ!! 唯はやっぱ優しいにゃあ!!」
「ダアァァ!! 急に抱きつくな~!! てかどこ触ってんだァァ!!」
きららのおかげもあり、カーテンで締め切った部屋には暖かな温度が戻っていた。優しい春の陽射しが静かに射し込むような、穏やかな空気に染まる。
しかしこの二人は、本日笹浦二高に登校することはなく、一切の連絡も送らなかった。