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プレイッ!!◇笹浦二高女子ソフトボール部の物語◆  作者: 田村優覬
二回◇すれ違いからの因縁へ――vs釘裂(くぎざけ)高校◆
75/118

美鈴、グローブを買う。

何かを始める際には、必ず道具が必要となる。

それは、未経験者にとっては最初の冒険だと言ってもよい。それならば、星川美鈴にだって同じことが言えるに違いない。

そう、だからこそ……

「わぁったよ。明日は行くから勘弁してくれよ……」

 暗い夜にも目立つ、金に染められた長い髪を頭頂部で一つにまとめた、長身の女子高校生は、周囲を歩く大人から視線を浴びながらもスマートホンを片手に、耳へ当てて話している。しつこい電話を受けているようで、彼女の表情はうんざりとしており、早く電話を切りたいと言わんばかりであった。

『もう、愛華(あいか)ちゃんしっかりしてよ!!また去年みたいにインターハイ目指そうよ!!』

「へいへい……じゃ、また明日ー」

『あーちょっと!!待って愛華(あいか)ちゃん!!まだ続きがあ……』

 嫌そうに耳から離して、女子の大きな声が鳴りやまないスマホの画面にタッチして電話を切ると、彼女は大きなため息を漏らして、煉瓦造りの壁に寄りかかりながらしゃがみこむ。

「……ウチらが、県のトップか……」

 最後は鼻で笑った女子は、ビーズやシールなどで派手に彩られたスマホを、胸元を大きく開けて着崩した制服の胸ポケットにしまった。代わりにそのポケットからは、白と黒で染められたタバコのケースが取り出され、中身から一本のタバコをトントンと出して口に加える。風からタバコの先端を守るように手で覆うと、カチッとライターの音を鳴らせて、彼女の口からは白い煙がモクモクと排出されていた。

「……無理に決まってんだろ、バーカ……」

 夜空を見上げて煙と声を漏らした彼女は、女子高校生らしからぬ、大きな希望を失ってしまった目をしていた。

 星の弱々しい輝きすら眩しく見えた金髪の女子は、目線を徐々に下げていくと、目の前に広がる広大な面積の駐車場が目に映る。たくさんの車が置かれているアスファルトの場内では、多くの買い物客が店内に向けて歩いている。中でもまだまだ幼い子どもが走り回ったり、車が来ているのかを確認せずに道路に飛び込むことがよく見受けられ、今の暗い時間帯だと、いつ事故が起きてもおかしくないと思わせていた。

 そんな危険地帯に目を向けて、煙を吐き続ける女子高校生は、ふと目に三人の他校生が目に映る。暗くてシルエット状態の三人には、次第にお店の外灯で照らされていくと、その姿を顕にする。


「はッ!?」


 突如驚いた金髪女子高校生は、持っていたタバコを地面に落としてしまう。火種がまだ残るタバコの先端からは煙がわずかに出ているなか、ヤンキー座りの女子高校生は急に立ち上がり、背筋を伸ばして大きな瞳を三人の他校生へと向けていた。背が低くグラマーで短いツインテールを下げる一人、長身と共に美しく揺らす長い茶髪の一人、そして長い黒髪と長身から放たれる恐れ多い姿の一人とおり、一見バラバラに見える三人ではあるが、唯一の共通点は、三人とも愉快に笑顔を見せていたことだ。

「へぇ、マジかよ……」

 不敵な笑みを浮かべる女子は、その笹浦二高の制服を着た三人を遠くからじっと見つめていた。決してこちらに気づくことがない三人は、まっすぐお店の入り口へと向かっていると、喫煙していた女子高校生は黄ばんだ歯を出して笑っていた。

「こんなところで会うなんて……ウチらにはやっぱり、絶ち切れねぇ因縁があるみてぇだな……」

 恐ろしい眼光を向ける女子は、最後に三人組の中央にいた黒髪の姉貴ような女子高校生を見て呟く。


「なぁそうだろ?唯……」




「着いたにゃあ!!」

 夜の七時を回った笹浦市では、植本(うえもと)きららの高々な叫び声が響き渡る。

「へぇ……結構でけぇなぁ……」

 その隣に立っていた牛島(うしじま)(ゆい)は、目の前にそびえ立つ大きなお店の看板を見上げながら、小さな驚きを見せて声を漏らしていた。

 学年一つ下の後輩、星川(ほしかわ)美鈴(みすず)を含めた三人は今、笹浦市の中でも有名なスポーツ用品店、虹色スポーツというお店の入り口に固まっていた。端から端までの距離は約百メートルとあり、お店の前には、収容台数が四百を超える広いアスファルトの駐車場が拡がっている。建物の高さも、二階建ての家よりも一回り大きく、用品店という割には、何でも買い揃えそうな大型スーパーに近い存在であった。

 黄色で『虹色スポーツ』と輝く看板に照らされている唯は、こんなにも広いスポーツ用品店に行ったことが無かったため、自然と緊張感を覚えて固まっていた。俺のスポーツ店への勝手なイメージだが、もっとこじんまりした一軒かの思ってたが、まさかこんなにでかいとは……迷子にならないように気をつけよう。

  「唯先輩……それに、きらら先輩も……」

 ふと、唯ときららの後ろから美鈴の小さな声が放たれた。踵を返した二人には、美鈴が申し訳なさそうな表情を浮かべながら、制服のスカートを両手でギュッと握りしめている。

「……わざわざ、ウチのために脚を運んでくれて、本当にありがとうございますっす!!」

 なかなか目線を上げられなかった身長の低い美鈴は、最後に頭を勢いよく下げて、唯ときららに一礼していた。

 面を上げずにいる美鈴を目の当たりにした唯は呆れるようなため息を漏らし、きららはいつもの明るい笑顔を見せる。

「気にすんなよ。嫌で来たわけじゃねぇんだからよ」

「そうにゃあ。ミスズンみたいなかわいい乙女を、一人で旅させることなんてできないにゃあ!」

  二人から温かな声を受けた美鈴はゆっくりと顔を上げて、背を向けて歩いていく二人の後ろ姿を眺めていた。唯先輩に、きらら先輩……ウチのような独りっ子の人間をここまで気にしてくれるなんて、何だか本当のお姉ちゃんみたいで感謝感激っす。周りの人間が、この二人を避けているなんて到底考えられないし、ウチにとっては一生ついていきたい存在っす。いいなぁ……わたしもいつか、唯先輩のようにかっこよく、きらら先輩のように優しくなれたら……

「美鈴?」

「どうかしたかにゃあ?」

 後ろを振り返った唯ときららの声で我に返った美鈴は、すぐに返事をして、今にでも抱きつきたい二人の背中へと駆けていき、この虹色スポーツの入り口を潜っていった。



「いらっしゃいませ~……」

 三人が入り口の自動ドアを潜ると、すぐ傍にあるレジからは、今にも帰りたげな表情を浮かべた女性店員が、背中を向けながら声を揺らしていた。

 この虹色スポーツには、様々なスポーツ用品を取り扱っているだけでなく、店内の設備も充実している。ロッククライミングに似せた壁には、胴体に安全ロープを着けて登っていく子どもと親。少し離れたところには、今日の練習で疲れきった身体を癒すべく、酸素カプセルに入ろうとする男子学生。また店内にある筋肉トレーニングジムから退出してきた、体つきがゴツゴツした男は、会員専用カウンターから購入したプロテインを片手に持ちながら飲んでいる。

 部活や運動に火傷しそうな熱を注ぐ、近所のスーパーでは見られないような来客者がいるなか、唯たちはまっすぐ野球専門コーナーへと滞在していた。ソフトボール関係の商品も、この野球という括りで収められていることから、あまりメジャーなスポーツではないことが暗示されている。グローブやスパイクの修理も行うカウンターの前には、五列ほどの棚が並んでおり、辺りの壁にも数々のグローブやスパイク、野球史に残る偉人の紹介写真が掲載されていた。

 店内に設置されているテレビからは、今日のプロ野球の試合が放送されており、野球ばかりが目立つこの空間、唯は一人、カウンターから離れる壁に置かれていた、色とりどりのグローブたちを見上げていた。

「へぇ……グローブって、こんなに種類があるんだなぁ……」

 思わず独り言を漏らした唯の目の前には、様々な形をしたグローブが、ところ狭しと並んでいる。打者に対してボールの握りを隠すように、外からは中身が見えないような網を付けられたピッチャー用グローブ。捕球の際に痛みを軽減するため、より厚い革で形取られた、たらこ唇のようなキャッチャーミットと先端が少し長いファーストミット。他にも、捕った打球をすぐに持ち換えられるように作られた、一回り小さい内野用グローブ、指先が長く自身の顔も隠せそうなほどの外野用グローブとある。

 普段は体育倉庫にしまわれている、石灰の粉や茶色の砂ぼこりで薄汚いグローブを借りている唯にとっては、そんな発光体でもない新品のグローブたちが輝いて見えていた。野球は勿論、ソフトボールの知識もまともに無い彼女だが、ただ茫然として眺めており、グローブ一つ一つと会話をするように対面していた。

「……おっ!」

 ふと声を漏らした一人の唯は、自分の顔の高さに置かれていたグローブを取り出す。

「……これ、カッコいいじゃねぇかぁ~」

 唯が微笑んで眺めるグローブは、全体を黒としている、内野用よりも少し大きなオールラウンド用グローブであり、十字架の形をした網が白の革線で編まれていた。早速、中へと手を入れてみると、まだまだ固いが手の甲に当たるクッションの心地よさを感じている。革の質も上々であり、新品の匂いを放つグローブに惚れ込む唯は、ふと揺れる値札に目を移すと驚いていた。

「いッ!一万、五千……」

 目が飛び出すかのように叫んでしまった唯の、持っていたグローブの値札には『\14800』と書かれていた。マジかよ……小さいから安いってもんじゃねぇのかよ畜生……金があったら買おうとも思ったが、今の所持金はたったの三百円前後だ……はぁ……無理だよな……

 今の財布の中身では到底敵わないグローブを、唯はため息をついてもとの場所にそっと戻す。

「ミスズンは、どういうグローブが欲しいにゃあ?」

 少し離れた方から親友であるきららの声が聞こえると、唯はすぐに歩きだしてきららと美鈴がいる棚の前へと脚を運ぶ。そこには、周りと比べて狭いが『ソフトボール用』と標された小さな看板が棚の上に置いてあり、ピンクや緑など、野球ではなかなか見慣れない色のグローブが並んでいた。

「ウチはファーストっすから、やっぱり中島(なかじま)先輩のような、長いファーストミットがいいっす」

 キャッチャーとして部のバッテリーを務める中島(なかじま)(えみ)は、小さい頃から使用していた赤いファーストミットを持っていた。現在はこの前の練習試合で、今はマネージャーであり元捕手だった、篠原(しのはら)柚月(ゆづき)から貰ったキャッチャーミットを使っているため、ファーストミットが余っている現状でもある。それなら咲から借りてしまえばいいんじゃないかとも思った唯だが、咲は右利きであり美鈴は左利きであるため、ファーストミットを譲り受けても仕方がないことに気づく。

 それに、やはりグローブは自分で買ってこそ愛着が備わると考える美鈴は、中学校から貯めていたお金を握りしめてここに来ているため、唯は思ったことを口にしなかったことにホッと胸を撫で下ろしていた。

 相棒とも呼ぶべきグローブ選びは時間がものすごいスピードで流れていくなか、棚の上に書かれた『グローブ試用可』と書かれたボードにのっとり、一つ一つ握って確かめる美鈴は、ただ黙々と手にはめては外してを繰り返していた。

 真剣に恋人を探すような少女の隣では、二人の背の高い女子高校生の一人である唯は、美鈴が握るグローブを見ながらふと声を鳴らす。

「ファーストミットって、でかくていいよなぁ……」

 丸みを帯びたグローブとは、一見別物に感じるファーストミットは、自信の外野グローブを自慢気に見せつけてきた月島(つきしま)叶恵(かなえ)のものよりも長く思える。

「そうにゃあ。きららのも、あのくらいグローブがでかければ、トンネルもなくなるのににゃあ~」

 ファーストミットをまじまじと眺める唯に、きららは笑顔を見せて返していた。

「だったら、みんなファーストミットにしちまえば、いいんじゃね?」

「にゃはっ!それ、超ウケるにゃあ!」

「それが、どうもダメらしいんすよ……」

 面白おかしく会話していた唯ときららだったが、ふと美鈴が顔を向けて会話に入ってくると、二人の顔からは笑顔が消えてしまう。

「え、なんで?」

 不思議そうに訪ねた唯はきららと共に、ファーストミットを持つ美鈴へと目を会わせる。大切な後輩であり、妹のような存在である彼女からは深刻そうな表情が浮かんでおり、小さな口許が動き出す。

「ルールで、ファーストとキャッチャーだけが、ミットの使用が認められているらしくて、他のポジションでは使っちゃダメらしいんすよ……」

「そ、そんにゃあー!!……ガビーン……」

 苦笑いで言い切った美鈴に、きららはムンクの叫びの真似をして驚いていたが、ミットの使用に関するルールは確かに存在する。

『オフィシャルソフトボールルール3-3項』には、『

 グラブは、すべてのプレイヤーが使用してよいが、ミットは捕手と一塁手だけが使用できる』と実際に記載されている。これを破って他のポジションの者がミットを使用していた場合、打席の結果は攻撃側に選択権が渡り、プレイの続行、若しくは打ち直しをすることができる。

 自分の知らない細かなルールを知っていた美鈴には、唯は年下の後輩である彼女に、へぇ~と感心していた。

「なんだ、美鈴、物知りじゃねぇか」

 自身の後輩を自慢気に思いながら、唯は笑顔を見せて答えていた。

「いえ、以前に篠原先輩から言われたんすよ。ミットを使える分、打球に対して自信を持って、泥まみれになるまで飛びつけって……」

 はめていたファーストミットを両手で持ちながらポケットを覗く美鈴は、優しい笑顔を見せながら棚へと戻していた。

 美鈴から柚月の名前と言われた内容が出たことで、唯はふと部の鬼マネージャーの顔が浮かんでしまった。今日のミーティングでは、明日からの合宿内容を残酷なスケジュールにされてしまうし、とんだ鬼娘だ。しかも学校での生活では、授業中に板書を間違えた教師に指摘したら、授業終わりにはその教師に歩み寄って説教のように文句を言っていた。休み時間だってそうだ。キャプテンの夏蓮(かれん)や中島、今日からは(あずさ)も加わっていっしょに昼飯を食べていたが、チラッとその会話を盗み聞きしていたら、まるで三人を(けな)しているようにしか聴こえなかった。篠原柚月という女は、どこにいても、いつも上から目線で振る舞っており、その相手は親友はもちろん、たとえ歳上だろうとも変わらない。アイツからは何か、ものすごい恐ろしさを感じるなぁ……

 まるで天下統一を目論んでいるようにすら感じてしまうマネージャーからは、大人からは常に反抗的な唯ですら、恐れ多く感じるものがあった。

「まあ、アイツらしいっちゃ、アイツらしいな……」

 苦い顔をして答えた唯は、今後は篠原柚月というおぞましき存在を考慮に入れて生活していかなければと、心のなかで唱えていた。



「う~ん……なかなか決まらないっす……」

 グローブ選びが始まってから、もうすぐ三十分が経つ頃、数多くのファーストミットが並ぶ棚の前で、小さな美鈴は腕組みをして悩ましい表情をしていた。

「お二人とも、本当に申し訳ないっす……」

「だから、気にすんなって。これだけ種類あったら、決めづらいのも無理ねぇしよ」

「そうにゃあ。ミスズンはゆっくり考えてくれていいんだにゃあ」

 再び頭を下げた美鈴に温かく返答する二人だったが、グローブを買いに来た一年生から悩ましい表情は残ったままだった。どれも試しに手をはめてみたが、全て同じような心地よさを感じてしまい、一体どれが一番なのかがわからない。野球やソフトボールの経験など全くないウチがグローブ選びなんて、まだ早かったのかなぁ……

 グローブを選ぶ決定要因をなかなか見出だせない美鈴は、大きなため息をついて肩を落としていた。

「なんか、決める要因でもあったらいいんすけど……唯先輩ときらら先輩だったら、どうやって決めますか?」

 深刻そうに二人へと質問した美鈴には、唯ときららは一度互いの目を会わせて真剣に考える。大切な後輩である美鈴の力になりたいのは山々だが、如何せん、グローブなどを買ったことがない唯にとっては、なかなか結論を見つけづらい質問であり、腕組みをしながら、う~んと声を唸らせていた。

「……俺は、その場で一番だと思ったやつだなぁ……でも、これじゃあフィーリングだから、参考になんねぇよな。きららは?」

 苦笑いを見せた唯は、隣のきららに言葉を投げると、彼女は地毛である長い茶髪を揺らして頷く。

「かっこよさも大切だけど、きららはやっぱり色にゃあ。好きな色で選ぶのもありだと思うにゃあ」

「色……ですか……」

 晴々しい顔をしたきららの話を聴いて、顔から浮かんでいた厚い雲が少し薄くなった様子の美鈴は、再びカラフルに染まったグローブの棚へと目をやる。

 いつもおチャラけているきららからの言葉とは思えない唯は、そんな彼女が今日は何だか頼もしくも見えてしまい、本当に本人なのかと疑わせるほどだった。きららのヤツも結構、美鈴のこと気に入ってんだろうな。俺がここに来たのもきららのおかげだし、本当に空気の読めるイイ女だ。まぁ、明るく振る舞うことに無理してなければいいんだけどよ……

 きららとは中学生のときに出会った唯は、明るすぎるきららに少し心を配っていた。

 端から見ると、娘のような美鈴のそばで母親にも感じさせるきららが寄り添うなか、小さな娘は未だに決まらない様子で悩み続けている。

「う~ん……好きな色……」

「ミスズンは、何色がいいんだにゃあ?」

「う~ん……」

 あまり自分の好みである色を考えたことがないのか、きららからの問いに渋い顔を見せるだけの美鈴は答えられず、喉を鳴らしていた。

 悩みこむ美鈴を見ていた唯は、彼女とは小学生からの付き合いであるが、そんな美鈴がこんなにも悩んでいるシーンは見たことがなく心配していた。いつも従順なるしもべのように後ろをついてきた美鈴であったが、思い返せば、会話では俺がが主に発信者だったから、美鈴から話し出すということはほとんどなかったなぁ。たとえ美鈴から話し出したとしても、それは自身のことではなく、相手に対する注意やアドバイスであり、今思えば、美鈴の内面的な部分をほとんど知らない自分がいる。

 自分のことばかり考えてきた唯とは違い、常に周りのために動いてきた美鈴がなかなか答えられずにいると、ふと隣のきららは唯へとアヒル口を向ける。

「唯だったら、何色がいいにゃあ?」

「俺か?俺だったら、やっぱり黒とか、青で染まった、ちょっと暗い感じがいいかなぁ……そこら辺の色だったら、自然と落ち着け……」

「……じゃあこれでっ!!」

 唯の言葉尻を被せるように、急に大声を出した美鈴は、少し離れた棚のミットに指を差しながら強ばった顔を見せていた。

「にゃッ!!ミスズン、ビックリしたにゃあ~」

 きららの言うとおり、唯のことも驚かせた美鈴が早速選んで手に取ったファーストミットは、口周りは青で染められており、グローブのポケットや手のひらにあたる箇所は黒で彩られている。

 完全に自分の好みの色で染まったミットを見た唯は、かえって美鈴に気を遣わせて選ばさせてしまったという気持ちが強く、素直に喜べずに目を細めていた。

「いいのかよ美鈴?自分の好きなやつを選んでいいんだぞ?」

「こ、これがいいっす!!ウチも黒と青が好きっす!!」

 さっきまで自分の好きな色を答えられなかった美鈴は、なぜか全身を震わせながら答えており、まるで自分にそう言い聞かせて、無理強いしているようにしか見えなかった。

 ふと、美鈴が選んで手に持つミットからは値札がぶら下がっており、唯は恐る恐るその値段を確認すると、一度大きく目を開けてしまう。

「いっ、一万八千ッ!?」

 さきほど自分が見て欲しいと思ったグローブよりも高値を示すファーストミットからは、唯には恐れ多い輝きが放たれているように感じていた。

「……もう少し見て選んでもいいんだぞ?時間のことは気にしなくていいから」

 いくらなんでも、二万円近くの急な出費は女子高校生にとって死活問題だ。自分とは違って貯金できる美鈴でも、これは可哀想だろ。

 美鈴の金銭面も考えて、他のミットを選ぼうと考えた唯だが、美鈴はものすごい早さで首を横に振っていた。

「いえッ!黒と青のミットはこれしかないんで、これに決まりっす!!」

「……だってそれ、完全に俺の好きな色だけだし……」

「ゆ、唯先輩の好みはウチの好みっす!!だから決まりっす!!」

 自分と同じ趣味で嬉しいのか、見栄を張っているようで残念なのか、二つの想いが同時に生まれた唯は、顔を赤くして真剣にグローブを握る美鈴に返す言葉が見つからなかった。結局、美鈴には俺の好みを選ばさせてしまった気がする……これからは、美鈴の自己を成長させていかないと、いざコイツが大人になったときの未来が心配で仕方ない。少しでも自分の意見や考えを持てるように、今後は言いたいことがあればどんどん言わせてあげよう。

 あまり納得のいっていない表情の唯が小さなため息を漏らすと、強張る美鈴の傍にはきららが嬉しいそうに、彼女の小さな肩に両手を添える。

「では、ミスズン!」

 言葉を放ったきららは、突如右手にマイクを握るかのように丸めており、自身の口許に近づけていた。

「このグローブ、買いますにゃあ?それとも、買いませんにゃあ?」

 きららの温かくも追い込みを感じる唯は、握りしめるミットを眺める美鈴を見て、黙りこんで固唾を飲み込む。今、俺の目の前で、二万円近くの高級品を買おうとしている美鈴からは、見ているこちらにも緊張が高まっていき、静かに見守ることしかできなかった。

 この緊張の一時、ミットを抱き抱える美鈴は、きららから透明マイクを向けられると、目を固く閉じていた。張り裂けそうな心臓の鼓動が聞こえるなか、彼女の小さな口はゆっくりと開けられていく。


「……か、買います!!」

「ウオーー……」


 覚悟と共に言い放った美鈴のあと、緊張が解かれた唯は声を漏らしながら拍手をしており、茫然と立ったまま目の前の後輩を感心して眺めていた。こんな高額商品を購入するからには、相当な決断力が試されるに違いない。それを乗りきった美鈴には、感心どころか、むしろこっちが尊敬するぐらいだ。コイツ、結構ガッツある女の子だよなぁ。

 自分だったらもっと安いグローブを選んでいるだろうと自負する唯が未だに拍手を止めないなか、美鈴も徐々に笑顔を取り戻しており、場の和みが拡がっていく。

「……唯先輩、きらら先輩。長々とお付き合い、ありがとうございました」

「いやいや、なんか感動した……美鈴かっけぇよ」

 笑顔からエヘヘと声を溢した美鈴を見た唯は、今彼女がとても幸せそうにしているため、内心ホッとして目を会わせることができた。

「じゃあ早速、レジに向かおうにゃあ!!」

 まるで自分が買うかのように喜ばしい顔のきららが右拳を上げていたが、それよりも、唯には美鈴の方が嬉しそうに見えて仕方なかった。他人がグローブを買うって、こんなにドキドキするもんなんだな。イヒヒ、今度はきららが買うところを見てみたいな。

 静かに笑う唯だったが、大きな決断をした美鈴も笑顔でファーストミットを抱き締めており、三人は店内にある、祝福しているかのような照明を浴びながら脚を運ぼうとした。


 バシッ……バシッ……


 ふと、壁の方からはさっきからグローブが叩かれる音が鳴っていた。

「ん?なんか騒がしいなぁ」

 棚越しからは他の女子のかん高い笑い声が耳に入った唯は、不思議そうに音の方へと顔を向けるが、自分よりも背の高い棚で遮られている。

「なんか面白そうだから、行ってみようにゃあ!」

「おい、きらら!?」

「あれ?レジじゃないんすか?」

 笑顔で走り出したきららの後を、心配する唯、続いてミットを持った美鈴が追いかけていく。茶髪を優雅に靡かせるきららの後ろ姿のみが映る唯は、このような彼女の突拍子のない動きにため息を漏らしながら見つめていた。どうせ、グローブの修理の音とかで、それを見て小さい子どもがテンション上げているだけだろう。

 反ってレジから遠くなってしまい、内心、早く美鈴を家に帰してあげたい気持ちと、早く家に帰って母親を心配させないようにしたいという想いが芽生えるなか、棚の端まで来たところで突如、目の前のきららは急ブレーキをかけて停まりだす。

「うぉっと、今度はなんだよ?」

 きららのいい匂いがする背中に抱き付くようにくっついた唯は、困ったように疑問を投げかけると、きららから笑顔が消えており、すぐに棚に隠れるように移動して呟く。

「ねぇ唯、あの制服って……」

 珍しく真顔で声を出したきららにつられた唯は、彼女が棚の隙間から向ける視線へと顔を覗かす。

「ああ……釘裂(くぎざけ)の制服だ……」

 張り込みのようにじっと見つめる唯ときららの目に映ったのは、釘裂(くぎざけ)高校の制服を着崩した、髪を赤と青に染めた二人の女子高校生が、向かいあってキャッチボールをしていた。赤い髪の毛のロングテールを揺らす女子は、制服の胸元を第二ボタンまで開けており、首もとから下げたリボンを揺らしながら白いソフトボールを投げている。一方で捕球した青い髪の毛でショートカットの女子は、大きなマスクをつけて口を隠しており、細い太股をこれ見よがしに出すほどスカートを短くしていた。

 赤よりも青の方が小さい背丈で、異質な二人は笑顔を見せて向かいあって仲むつましい様子が伺えるが、それはあまりにも場違いなことをしていると感じさせる。いくら広いスポーツ用品店とは言えども、店内でのキャッチボールはマナーが悪すぎる。来客者に迷惑をかけるのはもちろん、怪我だって与えかねないのに。

 そんな異次元の空間を覗きこんでいる唯ときららは、目を大きく開けながら眺めていた。

「ま、マジっすか……店の中であれはないっす……」

 唯ときららのもとにたどり着いた美鈴も見守るなか、キャッチボールを続ける二人のギャルは更にテンションを上げていき、赤髪の女子が野球のピッチャーのように振りかぶる。

「いっけぇ……アタシの全力ストレートッ!!」

 バシィッ!!

「いってぇ~」

 グローブの大きな音を経てて、正面で捕球した青髪ショートカットは、マスクを着けていてもわかるほど顔をしかめて返球する。

美李茅(びいち)、また速くなっんたじゃね?」

「エッヘッへ~。このまま野球でも初めて、プロ野球界にでも行っちゃおっかなー。豪腕少女現る!なんてねぇー」

美李茅(びいち)は女だから無理だろ」

 冷静な青い髪の毛の女子から美李茅(びいち)と呼ばれる赤髪ロングは、自身がプロ野球に行けないことを心から悔いるように肩を落としていた。

「ガーン……生きる希望を失ったー……」

「だったら、女子野球目指せばいいんじゃね?」

「そっか!!風吹輝(ふぶき)は天才だぁー。あのエンジンもビックリだねぇ」

「……ああ、エジソンね……」

 明るい笑顔を浮かべる美李茅に、風吹輝(ふぶき)と呼ばれた青髪はしばらく考えたあとに答えると、再び二人のキャッチボールが始まってしまう。バシバシと大きな音からは、彼女たちが投げるボールの速さが伝わり、人にぶつけたら間違いなく怪我をさせてしまうと思わせるほどだ。

 想像を超える景色を目の当たりにしている唯たちはじっと眺めていると、ふと美鈴が思い出したように口を開ける。

「あの二人、前に会ったヤツラっすか?」

 高校生として、人間として乱れている二人を眺める笹浦二高の三人だったが、美鈴が疑問を提示すると、姉御肌の唯からはため息が漏らされる。

「行こうぜ……アイツらとまた絡んだって、面倒なだけだしよ……」

「店員さんに知らせたほうがいいにゃあ」

「わかってる。そのためにも、早くレジに行こうぜ」

 今にもこの場を離れようとする唯だったが、彼女がなぜそうするかは、店内でキャッチボールをする釘裂高校の生徒とは、どういう輩なのかをよく知っていたからである。

 釘裂高校。

 茨城県に属する県立高校であり、笹浦市に近い田舎町に存在している。毎年、生徒の定員割れが懸念されている高校の一つであるが、その理由は生徒たちの行動に問題があった。授業にはほとんどの生徒が遅刻してくるが、これはまだ幸いである。登校日にも関わらず近くのゲームセンターに行ってしまうことがあり、警察からも問題視されている。授業崩壊など言わずもがな、ということである。

 では、生徒たちが学校に来たらどうなるかというと、今度は殴り合いが始まる日常であった。校内で行われる生徒同士の喧嘩は当たり前、時には教師が生徒から殴られてしまうことも珍しくない。そのせいで身体や心に怪我をした教師たちは次から次へと辞めていき、学校職員の失業率すらも上げている学校である。

 また、校外においても暴れる生徒たちは、夜中遅くまで原付き自転車で走り回ったり、未成年者であるはずなのに路駐に座ってタバコを吸ったりと、数々の問題行動の主犯者として名高いのである。毎年逮捕者、少年院に行ってしまう生徒がいるくらいで、その悪名はこの茨城県に知れ渡っているのが現実なのだ。

 そんな、誰もが通いたくない学校だと知らしめる釘裂高校は、県内では『ヤンキー高校』と呼ばれているくらい荒れた高校である。

 この実状を知りながらも、一度は行こうと考えていた唯だが、今思えば笹浦二高に入学できたことに幸福すら感じながら、野球コーナーのレジへと身体を向かわせる。

「うわっ!やっぱり赤くなってるー」

 すると、歩きだそうとした唯を止めるように気を向けさせると、赤髪の女子は、はめていた黒のグローブから手を出していた。

「あーあ。やっぱり新品って、中身も固いから嫌だなぁー」

 きららと美鈴と共に、再び唯はキャッチボールをしていた美李茅と呼ばれた女子に顔を向けると、彼女が持つ黒のグローブを見て思わず驚いてしまった。

「あのグローブ、さっきの……」

 美李茅が痛めた左手を振りながら持っていたグローブは、先ほど唯が気に入って手に取った、黒のオールラウンド用グローブだった。この数多く存在するグローブから唯一見つけた、自分のお気に入りグローブを見せられてしまい、再度棚の裏から覗く唯は睨み付けるように美李茅の様子を伺う。あの野郎……俺のお気に入りを勝手に使うなんて……もしかして買う気なのかよ。

 お金さえあれば、自分が買おうとしていたグローブを握る美李茅を見ていた唯は、徐々に嫉妬の念に襲われていた。


「あ、あのッ!!」


 突如、釘裂高校の二人の顔が同じ方向へと向けられる。唯たちもつられて棚越しから視線を移すと、そこには胸元に『虹色スポーツ』と表記された作業服を纏い、『内海(うつみ)』と小さく書かれた名札を着けた、眼鏡の若い青年男性が震えながら立っていた。えー……もう少し頼りになりそうなヤツ来てくれよ。

 いかにも弱そうなやつが来たと思い残念がる唯だったが、取りあえずこの場を静かに見守ることにすると、童顔浮かべる店員は視線を落としながら無理矢理口を開ける。

「て、店内でのキャッチボールは、お控えください……」

 あまりにも小さな声に、釘裂の二人は一度互いに顔を会わせるとブッと吹き出して笑い始めてしまった。

「店員さん、なにぃ?相手に話すときは、元気にハキハキと言わなきゃー!」

「モジモジしてて、マジモジキモいんだけど」

 完全に店員を馬鹿にする二人からは、盛大な笑い声が放たれていたが、刹那、男性店員は全身を震わせながら顔を上げる。

「お願いですからお止めください!聴けないなら、すぐに帰ってください!!退出してもらいますッ!!」

 目を閉じながら大声を出した店員の声は辺りに響き渡ると、二人の釘裂生徒を茫然とさせていた。よく言った!と、彼の小さな勇気を褒め称えていた唯は温かな視線を送って名札の『内海』の文字を目に焼き付けていた。しかし、おチャラけていたが一度は黙った赤髪の女子は、無表情を変えぬまま店員に歩み寄る。

「あのさ……あたしら、客なんだけど……」

 さっきまでの気さくさはどこかに消えてしまい、怖い表情で店員の目の前に立って睨み付けていた。視線で舐め回すように上下と目線を移す美李茅は、全身震えて黙りこくった店員に舌打ちをすると、踵を返して背を向ける。

 潔く帰ってくれと期待した唯だったが、新品の輝きを放つ黒のグローブをまじまじと眺める美李茅は、小さなため息をつくと、ニヤリと不敵な笑みを浮かべる。

「こんなグローブ、いらねぇー!」

 次の瞬間、美李茅の右手に支えられていたグローブは地面へと叩きつけらてしまい、辺りにグローブの聞きなれない音が響く。

「あの野郎……」

 目の前で、気に入っていたグローブを投げ捨てられたように感じた唯は、右拳を震わせながら見ており、徐々に表情が怒りへと満ちていた。

「お、お客様、お止めください!!」

「だって、あたしら客じゃないんでしょ?アンタに注意される筋合いねぇし!」

 店員の言葉も無力に終わると、怒り狂った美李茅の問題行動は止まらず、今度は地面に投げられたグローブに、自身が履いている革靴を近づけていく。

「フッフーン。お前なんて、こうしてやるー!」

 ふと、楽しそうな表情を浮かべた彼女は、上げていた片足をグローブに接触すると、次第に体重を乗せて踏み潰していた。悪ふざけにしては行き過ぎた彼女を何とか止めよう、という店員の姿勢が見受けられるが、怯えているせいか、声を出さぬまま悲劇的な表情をして固まっている。

 更に美李茅が、わざと足跡を残すようにグリグリと踏みつけていると、もう一人の青髪はお腹を抱えて笑っていおり、着用している大きなマスクを前後に揺らしていた。

「やべぇ。美李茅マジウケる!ピン芸人向いてるわー」

「もう、止めて、ください……」

「やだね!喧嘩吹っ掛けてきたのは、そっちじゃんかぁ!」

 新品であり、商品であり、しかも俺が気に入っていたグローブにあんなことをするなんて、あまりにも酷すぎる。それに、今から新しいグローブを買おうとしている美鈴の心だって、居たたまれないはずだ。あの野郎、マジで許さねぇ!!

「ゆ、唯?」

 きららの疑問も届かず、怒りの表情をした唯は歩き始めると、目の前の棚を避けて釘裂の生徒たちに歩み寄る。

「おいっ……」

「「ん?」」

 重低音の声を鳴らした唯は、両手の拳を震わせながら鋭い目付きで、キョトンとした釘裂高校生徒の二人を睨み付けていた。

「唯、止めとこうにゃあ!」

 怒れる唯の後ろを焦ってついてきたきららと美鈴は、彼女を止めようと声をかけていたが、頭に血が上昇中の彼女には届かずにいる。

「いい加減にしろよ……店員の人、困ってんだろうがっ……」

 後方で震えている店員に一度目配せをし、決して怒鳴りはせず、込み上げる怒りと共に震わせた声を放った唯だが、赤と青の不良コンビは不敵な笑みを返していた。

「だぁってぇー、あたしたちお客様なのに、帰れとか言うんだよぉ?それって、ある意味非常識だと思わない?」

「試用はオッケーって言われてんだけど」

 美李茅と風吹輝がそれぞれ答えると、赤の美李茅はふと青の風吹輝に顔を向けると、何か閃いたように笑顔を浮かべる。

「試用だけに、使用してましたー!なんちってー」

「……ピン芸人、撤回ね……」

 冬の嵐のように冷たく答えた風吹輝に、元気が有り余る美李茅は、そんなぁーと悲観しており、何とか彼女を説得しようと必死に肩を掴んでいた。

「話を逸らしてんじゃねぇよ!!」

 会話が進まないことにも苛立ちを覚える唯は、一度舌打ちをして大声を上げてしまう。

 その大声につられた美李茅と風吹輝は、ゆっくりと再び唯に向けると、今度は笑みがなく、眉間に皺を寄せた恐い顔を見せていた。

「なに?喧嘩売ってんの?」

 先陣を切る赤の美李茅が小さく呟くと、唯は決して臆せず、同じように恐さを秘めた真面目な顔を向けていた。

「そんなんじゃねぇよ。迷惑行為は辞めろって言ってんだ」

 以前として睨み会う唯たちを、きららと美鈴が傍で心配そうに見守るなか、今にも喧嘩が始まってしまう空気が流れ込む。

 店員のお兄さんも黙りこんで固まったままであり、きららには、もはや誰にも止められない雰囲気を感じ取ってしまった。自分に堂々と背中を預ける唯を止めたい気持ちでいっぱいであり、今にも泣き出しそうな顔を見せる。


「おい、どうしたん?」


 すると、美李茅と風吹輝の二人の背後からは、同じく釘裂高校の制服を纏った、片耳にピアスを着けた金髪の男子高校生が近づいてくる。手をズボンポケットに入れて高いはずの背を猫背にしており、片目を半開きにして下から視線を投げてくる彼には、唯の後ろで見ていたきららと美鈴たちの恐怖心を仰いでいた。

 しかし、一人動じず果敢な唯が怒り面を向けるなか、男子はついに美李茅と風吹輝の前にたどり着く。

諒太(りょうた)、いいとこに来たじゃん!」

 笑顔で愉快に美李茅が答えると、諒太(りょうた)と呼ばれた金髪男子は、唯と目を会わせながら声を鳴らす。

「誰?この生意気な女は」

「ソイツがさぁ、あたしらに喧嘩売ってくんだよー。諒太の力で黙らせてー」

「チッ……女が相手とか、マジ面倒……」

 ふてぶてしい顔をした諒太はすぐに歩きだし、びくともしない唯に顔を近づけていく。

「ゆ、唯……」

「大丈夫、下がっててくれ……」

 背は唯の方が一回り小さく見えるきららは、今にも唯が傷つけられてしまうのでないかと心配しているが、彼女に言われた通り一歩下がって美鈴と手を握っていた。

 ついに唯の目の前までたどり着いた諒太は、背中からドンと押せば間違いなくキスしてしまうほどの距離に立ちながら睨む。

「お前、どこ高?」

「……」

「なぁ、聞いてんだけど?」

「……」

 目には目を、しかし言葉には無言をで返している唯は、口すらも動かさずいると、金髪男子は舌打ちをして更に顔を近づける。

「なに?そんなに喧嘩してぇのかよ?」

「……」

「それとも、ただビビってるだけかぁ?」

「……」

「いい加減喋れよ!!このメスブタッ!!」

「息 (くせ)ぇよ、ニンジンの食い過ぎじゃねぇか?馬面(うまづら)野郎……」

「て、てめぇー!!」

 唯のたった一言で怒り狂った金髪男子は、突如右手を固い拳へと変えて振り上げる。

『へっ、やっぱり殴るよな』

 殴られることを覚悟していた唯は、更ににやつくことで男の怒りを上昇させる。こういう場面は、小さいときから経験重ねてきてんだよ。そんなに肩が力んでたら、まっすぐにしか拳を飛ばせねぇんだから、余裕で避けられるっつうの。

「っざけんな、オルァーッ!!」

 ついに始動した男子の拳が唯の顔へと近づいていく。笑顔で眺める美李茅と風吹輝、心配に心配を重ねるきららと美鈴が見守るなか、唯はスッと右足を後ろへと動かす。避けられることに自信を持っていた彼女は、殴ってきたあとのカウンターまで考慮に入れており、利き手である右手を固く握りしめる。

『さぁ来いよ……!?』

 すると、自信に満ち溢れていた唯の表情は、突然として電気が走ったかのように驚いた顔へと変換される。徐々に近づいてくる、前方から真っ直ぐ向けられた拳には、痛いほど覚えがあった。


『お、親父……』


 右拳を向ける諒太から、唯はかつて家庭内暴力を受けていた、父親の姿が目に浮かんでしまっていた。この世界において何よりも恐い対象が(よぎ)る唯は、はるかに大きく、そして禍々しく見える拳に全身が震えだし、身動きが取れなくなってしまう。

『また、殴られる……』

 カウンターしようという心もどこかに消え去ってしまい、絶望で頭が埋まった唯には大きな恐怖心が芽生え始めてしまい、目の前まで来た大きな男の拳が恐すぎて固く目を閉じてしまう。

「唯ッ!!」

「唯先輩ッ!!」

 きららと美鈴の悲壮な叫びも影響を与えず、父親と共に過ごしていた以来の暴力に、唯は絶大な恐怖と、痛みを抱える覚悟を持って、自分が殴られるのを待ってしまった。


 パシッ!!


 乾いた音が目の前で聴こえた唯は、未だに消えぬ恐怖心を抱きながら、恐る恐る目を開け始める。そこには、さっきまで向かっていた大きな拳が、更に大きな手のひらに包まれており、諒太の拳が静止されていた。横から伸ばされた救いの手を眺める唯には、すぐそばに見覚えのない、全身黒のスウェットを着込んだ男の、無精髭を浮かばせる横顔が目に映る。凛とした顔を見せる男の首もとには、銀のネックレスが下げられており、輝きと共に前方の諒太へと視線を送っていた。

「な、何すんだオッサン!!」

 驚愕していた諒太はすぐに鬼の顔を見せて叫ぶと、突然現れた大人は一度鼻で笑って返す。

「女に手を出すなんて、お前、男としてのプライドはねぇのか?」

 諒太よりもはるかに重く低い声を鳴らした男は、握っていた金髪男子の拳を降り投げて距離を取る。

「せ、先輩ッ!!」

 強くたくましく見える男に、『内海』の名札を着けた店員からは歓喜の叫びが放たれており、期待の登場なのかと察した唯は、再び男の横顔を覗く。

『あれ、この人って……』

 驚いた顔を続ける唯は、大きな背を向け始める男を静かに見上げていると、その姿には最近見かけたような気がしており、ふと筑海(つくみ)高校との練習試合の日を思い出す。

「アンタ、この前、練習試合観にきてた人?」

 確かあの日、清水(しみず)校長の隣で試合を観ていたオッサンだ。つまらなそうに浮かない顔をして立っていたのを覚えている。それにしても、なんでこんなところにいるんだ?

 疑問に疑問を浮かばせる唯だったが、長身の男はふと気づいたように恐い顔を動かす。

「あん?……えッ!?」

 唯の微かな声に反応した男は、踵を返して彼女の顔を見た途端、目を大きく開けて驚いていた。

「うッ、牛島唯!?」

「はぁ?なんで俺の名前知ってんだよ?」

 不思議そうに顔をして目を会わせる唯の前で、ギョッと目を開けて固まる男は、さっきまでのヤクザのような恐さはどこかに消えてしまっていた。なんで、俺の名前を、しかもフルネームで知ってんだよ?知り合いでもねぇし、話したこともねぇのに……

 驚嘆した男と目を会わせる唯は、頭の中に疑問を沸かせながら、身体ごと見つめあっていた。

「おい、オッサン!!邪魔すんなよッ!!」

 再び前方で怒鳴り散らす諒太に、顔を向けようとする男は、元のヤクザ顔に戻ると、踵を返して小さく低い声を放つ。


「俺の名前はオッサンじゃねぇ。大和田(おおわだ)慶助(けいすけ)っつうんだ。試験には出ねぇから覚えなくていい」


 実際よりも大きな背中だと感じる唯が見守るなか、大和田慶助は背筋を伸ばしながら言葉を続ける。

「どういう理屈だか知らねぇが、コイツを殴るなら、まず俺を倒してからにしろよ」

「お、おい……」

 全く関係ない慶助を巻き込んでしまったことに戸惑いを見せる唯は、彼の背中に声を漏らしていた。これは俺が引っかかった罠なんだから、いくらなんでも大人のアンタが手出ししなくても……

 しかし、心配する唯の心は、慶助が挙げた右手のひらの甲で返されてしまう。

 背中越しで語りかけた慶助は、右手をズボンのポケットに入れると、左手に持っていた鞄を地面に落とす。

「どうした?やんねぇなら、とっとと家に帰って、ママの美味しいご飯でも食べてな」

「ヤルォオーッ!!」

 怒りを促す慶助の発言に乗っかった金髪男子は、今度は慶助に対して右拳を繰り出す。

 再び拳をいっちょまえに掴むのかと考えた唯が後ろから眺めていたが、悲運にもその予想は外れる。

 ドゴッ!!

「ウッ!!」

 バタン……

「お、おい!!」

 見事なまでに顔面に拳を受けてしまった慶助は、殴られた勢いで床に仰向けで倒れこむ。すぐに唯寄り添うように近づくが、彼の鼻からは鼻血がタラッと流れており、目を閉じたまま倒れていた。

 目の前で人が殴られて倒れる。唯にとってこのシーンは、かつて担任である田村(たむら)信次(しんじ)が自分の父親から暴力を受けたときと似ており、何の繋がりもない大和田慶助にも同じことをさせてしまったと、罪悪感が芽生えていた。なんで大人って、できないくせにムチャしやがるんだよ……そんなの、どこもかっこよくねぇよ……

 あまりにも衝撃な光景を目の当たりにしたきららと美鈴も、唯のように慶助へ近づいていくが、ふと、鼻血を垂らす慶助の顔が動きだし、口許が緩んでいるのが見えた。

「だ、大丈夫なのかよ?」

「へへ、なってねぇなぁ……」

「はぁ?」

 ゆっくりと起き上がった慶助とまるで会話が成り立たない唯が疑問に思っていると、慶助は鼻血をスウェットの裾で拭き取り、立ち上がって再び金髪男子の前に立ちはだかる。

「な、なんだよ、オッサン……まだ、やんのかよ?」

 先程とは明らかに怯えているように見える諒太が唯に映るなか、背中を見せる慶助は片足に重心を乗せて挑発的な姿勢をしていた。

「なってねぇんだよ、テメェのパンチ。折角だから、教えてやんよ」

 すると、慶助は前方へと歩きだし、身震いする金髪男子の髪の毛を左手で握る。

「な、何すんだ!!放せッ!!」

 染め上げた金髪を力強く握られた諒太は、慶助の片腕を両手で掴んで引き離そうとするが、ビクともせず焦りだけが生まれていた。

「いいか?テメェのパンチは、肘と肩しか使ってねぇから、まるでなっちゃいねぇんだよ」

 徐々に恐怖を浮かべる諒太とは裏腹に、慶助はどこか楽しそうな表情を出しながら右足を一歩退く。

「大切なのは、上半身より筋肉が多い下半身を使うこと……相手に対して半身になることで、腰の回転が使えるんだ」

 言葉通りソフトボールのピッチャーのように身体の正面を横に向けた慶助は、徐々に右拳を肩の高さまで上げていく。

「理想の角度は傾斜約三十度。上から下に向けて拳を飛ばすんだ」

 さっきまで(わめ)いていた金髪男子も、慶助に対して黙りこんでしまい、その表情からは恐さなど微塵にも感じられない。

「そして、インパクトの瞬間に拳を固めて、相手に捻りこむように、全体重を乗せて押し込む」

 言葉を徒然なるままに続けながら、金髪少年の表情を確認した慶助は鼻で笑ってみせると、ニヤッと口を横に開いて更に強く金髪を掴む。

「腰の回転、上から下に向けた拳の軌道、そして相手に体重をぶつけるような拳。この三拍子を揃えるとな……こうなるんだよッ!!」

 ついに慶助が弾いていた右の鉄拳が前へと動きだそうとしていた。大の大人である彼には、皆から驚愕した目が向けられており、辺りを鎮まらせている。

 殴られたからって、これは相手にも、自分にもマズイだろ!誰か止めてくれ!!

 再び救いを求める唯は、畳まれた慶助の右腕が徐々に伸びていくのが目に映る。


『誰か、頼む!!』


 フン!!

「!?」


 刹那、唯の隣から何者かがものすごいスピードで通り過ぎていき、彼女の長い黒髪を疾風で揺らしていた。ふと、気になって横に目をやろうとした、その時だった。


 ガシッ!!


「あっ!!」


 唯の驚きが声で漏れるなか、慶助の右腕は一人の男性の片手によって掴まれていた。突如現れた、白いスーツを着込んでいる、スポーツ用品店では明らかに場違いな格好をしたスポーツ刈りの男性が唯たちに背を向けていたが、一体彼が誰なのかは、その後ろ姿だけで笹浦二高の生徒である三人は理解できていた。

「田村!!」

「信次くん!!」

「先生!!」


 ほぼ同時に三人が放った声の先には、女子ソフトボール部の顧問であり監督である、田村信次が大和田慶助の腕を掴んで止めていた。

「し、信次……」

 ハッと我に返った様子の慶助が首を曲げると、いつも笑顔を絶やさない信次が、珍しく鋭い目を向けていた。

「他人は、絶対に傷つけないんじゃなかったのかい?」

「う、うぅ……」

 返す言葉が見つからなかった慶助は、渋々とした顔と共に右腕を下ろし、力が抜けて金髪男子を解放する。

 落ち込むように肩を落とした慶助に、信次は得意の笑顔を向けており、黒のスウェット男性の肩をポンと叩いていた。


「まさか今度は、僕が君を止めることになるとはね……」

「済まねぇ……」


 背中を向ける二人の大人が、どこか儚げに見えた唯たちは、黙ったまま眺めているが、この空間で唯一明るい振る舞いをする信次は、まだ震えが止まらない金髪の諒太に歩み寄る。

「ゴメンな。怪我はないかい?」

「あ、はい……」

「そうか。良かった良かった!!」

 ニッと白い歯を出してみせた信次は、次に諒太の後方にいた、茫然と立っている美李茅と風吹輝へと微笑みを向けて近寄ろうとしていた。


「ダセェな、諒太……」


 ふと遠方から鳴らされた声に、信次の足は止まってしまい笑顔が消滅していた。

 聞こえた唯たちは、女子の低い声が鳴った方角に顔を移すと、まず釘裂の二人が目に映るが、その禍々しい声質は美李茅からではない、そして風吹輝からでもないことに気づく。

 しかし唯にとって、何よりも気掛かりだったのは、この声を、どこかで聞いたことがあるように感じていることだった。聞き覚えがあるが、しばらく聞いていない声だ。一体、誰なんだ?俺の知り合いなのか?

 すると、美李茅と風吹輝は後ろへと向け始め、赤髪と青髪の後頭部が見せられた状態になると、彼女たちが視線を送る方から革靴の足音が近づいてくる。

 今度は視線を更に奥の方へと移動した唯たちは、同じく釘裂高校の制服を纏った女子が目に入り、ゆっくりとこちらに歩いてくる。ブレザーのボタンは全て開けており、シャツのボタンも第二ボタンまで解放する彼女からは、もう少しで胸が見えてしまうほどだ。

 膝下から更に延びたスカートと、長い金髪を揺らしながら優雅に歩く彼女の顔が見えてた唯は、刹那、今日一番の驚いた顔をしていた。


「なんで、いるんだよ……」


 唯の口から溢れた言葉に、きららが反応していたが、すぐに金髪の女子高校生はこの場にたどり着き、赤と青の笑顔に挟まれるようにして仁王立ちしてみせる。嘘だろ……なんでお前が、こんなところにいるんだよ?もう釈放されてたのかよ?

 驚愕する唯に、早速目を会わせた金髪女子は、唯すら黙らせる恐い笑みを向けながら顎を突き出していた。


「よぉ、唯……久しぶりだな」

「あ、愛華(あいか)……」


「ん?知り合いか?」

 違う高校にも関わらず、お互い下の名前で呼び会う仲なのかと感じた信次は、唯に微笑みを持って顔を向けるが、この空調が利いた店内にいる彼女からは冷や汗のようなものが流れているのに気づく。まるで蛇に睨まれた蛙のように動かず、ただ目を見開いている唯が立ちすくみ、愛華と呼ばれた金髪女子高校生が向かい合うなか、信次の目には、この二人にとっては、どうも望まない再会のように映っていた。



 

皆様こんにちは。本日もありがとうございました。

本日、十月三十一日はハロウィンですね。カボチャを使った、可愛らしいジャックオーランタンや、派手に仮装した少年少女を見ると何だか良いものです。元々は日本の文化ではなく、最近になって人気となっているイベントですが、今後も楽しく進められるのならば、是非とも続いてほしいものです。

さて、ギャグ回だと期待していた方には申し訳ありませんでした。大分荒れた話となってしまいました。ヤンキー高校である釘裂高校、そして愛華と唯はどんな関係なのかに注目してみてください。

あとこれは私個人的な意見なのですが、もしも未成年でタバコを買っている方がいるならば、どうかお止めください。タバコの販売は非常に責任が重いもので、買った側には勿論、そして売った側にも罰金約五十万が課せられています。タバコへの興味を否定するつもりはありませんが、どうかこの現実を理解して頂ければと思います。

では、また来週、お会いしましょう。



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