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プレイッ!!◇笹浦二高女子ソフトボール部の物語◆  作者: 田村優覬
一回裏◇始まる伝統の一戦。乗り越えろ恐怖の一戦―vs筑海高校編◆
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ミーティング

初めての練習試合を終えた笹浦二高女子ソフトボール部は、明日から行われる合宿の個人練習内容についてミーティングを行っていた。マネージャーである篠原柚月と月島叶恵によって様々な指示が言い渡されるが、部員たちの様子に異変が生じてしまう。

本日より、第二章、因縁の対決―vs釘裂(くぎさき)高校編スタートです。

 五月の初旬。春から夏に変わろうとしている今日は、暖かさよりも暑いくらいに晴れ渡る天気となっている。今年は平日を挟んだゴールデンウィークとなった日本では、様々な人々が時を過ごしていた。平日通り会社に向かって働く者もいれば、今まで溜め込んだ有給休暇を使って二週間近いゴールデンウィークを楽しむ者もいる。外の様子は普段の平日と比べると、車の台数が少ないことから、多くの者たちが連休に代えたとわかるが、公立校を初めほとんどの学校は登校日となっていた。そんな一つの公立学校、この茨城県にある笹浦第二高等学校では、本日もたくさんの生徒たちが集まっていた。ゴールデンウィークの間だけあって、なかなか授業に集中できない生徒たちが多いが、男女共にしっかり登校しているのが見られる。休みの間は何をして過ごしていたか、次の連休はどこに行くのかなどを話し合う生徒たちには、いつもより長く感じた授業は終わり、今日も放課後の時間となっていた。

 時刻は夕方の四時。家に帰る生徒、残って部活を直向きに努力する生徒と別れるなか、十一人の少女たちと一人の男性教員は、この学校の一階にあるパソコン室にいた。ガラス張りで廊下から中が見えるこの教室には、一クラス分の人数に値するパソコンが並んでおり、一つに三人座れる机に三つずつ置かれている。そんな席で着席している少女たちの前方には、パソコンを越えて大きなホワイトボードが見えるなか、スーツ姿の若々しい男が教壇に立って笑顔を見せている。

「みんな、一昨日は練習試合お疲れさま!!」

 教壇前の机に両手を着いて話した田村信次(たむらしんじ)は、制服を纏った十一人の女子生徒たちにハキハキと話していた。

 今年に新設された、笹浦二高女子ソフトボール部は、一昨日は初めての練習試合を終えてこの場に顔を揃えている。筑海(つくみ)高校との激闘の末、惜しくも引き分けという形で幕は下ろされたが、皆、ソフトボールに対する印象はより良いものとして感じることができていた。なかでも、キャプテンに指名された清水夏蓮(しみずかれん)は、この練習試合では大きな意味があったと実感していた。まだ部が創設して間もないのに、こんな私たちにも試合ができたんだ。最初は私から始まったけれども、気づけばこんなにも人数が集まった。四月から一昨日までの約一ヶ月、この短い間のキツい練習は、確かに私たち十人を成長させてくれたみたい。それに、部員は十人からまた一人増えた。その一人が、今でも信じられないくらい嬉しい。

 教壇前の中央席で、三人用の机の端に座っている夏蓮は、ふと隣に座る舞園梓(まいぞのあずさ)を微笑んで眺めていた。ありがとう梓ちゃん、またこのメンバーでいっしょにソフトボールができるなんて、夢のようで本当に嬉しい。

 夏蓮からの視線に気づいた梓も顔を向けて笑い合うなか、教壇に立つ顧問の信次は大きな口を開ける。

「以前に話した通り、明日からの三日間の連休は合宿を行うこととする!!場所はこの笹浦二高だ!!合宿といってもお泊まり会といっしょにしないように!!」

 笑顔ながらも真剣に叫ぶ信次からは、夏蓮を初め部員たちの心に届いていた。合宿とは、短い日数の間に行われるもので、普段の練習ではできない厳しい練習、または特訓を行うことができる貴重な体験である。それは選手個人の弱点克服、長所をさらに伸ばすなど、目的は様々であり多岐に渡る練習内容が求められる。また、合宿というのは練習だけではなく、あくまで同じチームメイトたちと同じ屋根の下で生活することを忘れてはいけない。決められた時間に集団行動が求められる合宿には、生徒たちに規律の精神も必要とされるため、友達とのお泊まり会のようなものとはいっしょにしてはいけない。そんな合宿は、選手たちの心身共に成長させる大切な機会であり、非常に置き換えがたい時間である。

 信次からの真面目な発言に、選手のみんなは黙って話を聞いていると、合宿の目的を話し終えた顧問は安堵の息を一つ漏らす。

「さて、じゃあここからは、合宿中の練習内容や生活の仕方を決めてもらおう」

 信次がそう言って教壇近くにある教員用の机に向かうと、夏蓮の後ろの席で座っていた、マネージャーの篠原柚月(しのはらゆづき)、チームのエースナンバーを背負う月島叶恵(つきしまかなえ)らが起立して教壇へと向かっていった。大きなホワイトボードの前に立った身長差のある二人だが、先陣を切った小さな叶恵は、教卓に両手を着いて大きく息を吸い込む。

「それじゃ、反省会及び練習内容の話を始めるわよっ!!」

 試合のようにきりっとした表情で叫んだ叶恵には、席に座る選手たち固唾を飲み込ませていたが、彼女の目の前で座る夏蓮は、叶恵が元気であることにホッとしていた。一昨日の練習試合で、利き手である左手に打球を受けてしまった叶恵だったが、幸い大事には至らなかった。近くの外科医に診察を受けたところ、左手は軽い打撲であることがわかり、現在教卓に置かれた彼女の左手からは一枚の湿布が貼られているだけである。痛々しい赤色はもう見られず、痛そうな素振りも見せない彼女からは、明日からの練習合宿に参加できることが暗示されており、叶恵からの鬼のような発言に緊張しながらも温かい眼差しを送っていた。

 叶恵からの怒号が告げられたあと、スコアブックを持って立っている柚月は、そのブックと共に口を開く。

「じゃあ、まずは梓からね……」

 この学校でモテモテである彼女の大人びいた笑顔から告げられたが、名前を呼ばれた梓は目を会わせると、彼女の美しい笑顔はすぐに消えてしまい、目を細めて眉間に皺を寄せていた。

「あなた、ヤル気あるの?」

「うぅ……」

 ドスの利いた低い声を放つ柚月には、震える梓は下を向いて返す言葉が無かった。正直、厳しいことを言われるのは覚悟していたが、ここまでの公開処刑のようにされるとは思っておらず、夏蓮の隣で肩を竦めていた。

 冷や汗すら伺える梓を見た柚月は、呆れてため息を漏らすと、右手を腰に添えて片足に重心を置いていた。

「いくらコントロールが悪いって言っても、あんなに荒れてちゃキャッチャーだって困るわよ!ねぇ(えみ)?」

「え?まぁ……そうなっちゃいますかな……」

 不機嫌そうな柚月から話を振られた中島咲(なかじまえみ)は、梓の隣で座って苦笑いを浮かべていた。練習試合では、七回の最終回からリリーフとして登板した梓だったが、その内容は良いものとは言えなかった。結果的にはアウトを三つ取ることができたが、その間には四死球を三つ与えており、三振を奪った投球内容もほとんどがボール球となっていた。そんな荒れ球に必死で食らいついていたキャッチャーの咲は、最初は後ろに逸らすことはあったが、後半はまったく後ろにやることがなく、充分梓のキャッチャーを務めていた。

 小学生の頃は梓のキャッチャーとして活躍していた柚月も、自身と同じポジションとなった咲には関心するところがあり、彼女の頑張りを内心評価していた。

「ということで、梓は合宿中、とことん投げ込みをやってもらうからね!一日目は四分割のストライクゾーンへの投げ込み、最終的には九分割にしてもらうから!」

「うわぁ……柚月、こわ……」

 淡々と話を進める柚月に咲が横槍を投げるなか、梓は苦い顔をして聴いていた。ストライクゾーンというものは、実際に打席に立ったバッターの膝から脇の下までの高さと、ホームベースの広さから表示されるもので、一般的には縦長の長方形のような形になる。それを四分割ということは、主にインコース、アウトコースの高低によって区切られることとなり、九分割となると真ん中という概念が表れるため、より細かく分けられるということがわかる。ただでさえインコースとアウトコースの二通りでいっぱいいっぱいの梓にとっては、九分割は愚か、四分割ですら大きなプレッシャーを感じていた。

「ゴメン、咲……私、できるだけ頑張るから……」

 心配そうな表情の梓は、隣の咲に呟いていた。練習試合でキャッチャーとして自分のボールを受けてくれた彼女には、正直頭が上がらない。かつてはボールを捕球するだけで精いっぱいだった彼女が、今ではボディストップ、大きく外れたボールにも飛び付いて捕ってくれるほどとなり、バッテリーとしてとても頼りになる存在と変わっていた。試合中は自分のヤル気の無さに気づいてくれて、ビンタをして鼓舞する場面もあったが、そのおかげで最後まで投げ抜くことができたのは確かである。今でも嫌われていないかと心配になりながらも、まずは咲のためにコントロールを身につける練習をしようと決意していた。

 すっかり暗い顔になってしまった梓に、言葉を受け取った咲は彼女に明るい笑顔を見せていた。

「気にしない気にしない!私だってまだまだキャッチャーとして未熟だし、お互い頑張ろっ!!」

 ニッと笑って白い歯を見せた咲は右手で、梓の左肩をパンパンと叩き微笑んで頷かせていた。

「そのとおりよ!!アンタは未熟極まりない!!」

 次に咲に放たれた声は、柚月とは変わっていた。ふと前方の教卓を見た咲には、そこから背の低いツインテールの少女が、指を向けて怒っているような表情で映し出された。

「か、叶恵……」

 目を丸くして笑う咲だったが、叶恵からの言葉にはすでに固まっている様子だった。自身の心のなかでは彼女を鬼軍曹と呼んでいる咲には、次に彼女から飛び出す厳しい言葉を、両手を膝に置いて下から目線で構えていた。

 教壇の上で腕組みの姿勢に変えた叶恵は、縮こまった咲に鋭い視線を送りながら口を開ける。

「キャッチャーとして、配球の仕方がいい加減するぎる!!インコースの次はアウトコースの繰り返しって、どんだけ安直な配球よ!!」

「いやぁ~そのですねぇ……えんきん……遠近法、そう、遠近法ってやつです!!アッハッハ~……はぁ……」

 最近美術の授業で教わった言葉と無理矢理結びつけた咲は、頭の悪い自分としてはなかなか良い言い訳げできたと実感していたが、叶恵の睨み付ける顔は変わらなかったたため、苦笑いからため息へと変化していた。

「アンタ、バッテリーとしてもっと知識と経験が必要ね」

「おっしゃる通りですぅ~……」

 まるで月島叶恵先生から説教を受けている様子の咲は、僅かに上げていた顔も完全に下を向いていた。

 言いたいことは山ほどある叶恵だが、それを一つのため息に置き換えて話をまとめる。

「まあ、合宿中は私直々にソフトボールの勉強会を開くから、そこでキャッチャーとしての知識を身につけなさい」

「えぇ~!!勉強~!?」

 突如立ち上がった咲は、あまりの驚きで声を大にして嘆いていた。

 咲にとって勉強という言葉がどれほど苦痛なものかは、キャプテンで幼馴染みの夏蓮がよく知っていた。小学生から今日まで、共に同じ学校で過ごしてきた咲は、超が付くほどの勉強嫌い娘である。理由としては、部活やクラブの練習で疲れてしまうことから、ほとんどが居眠り授業となってしまうからだ。今日の授業だって、六つ中五つは机でうつ伏せになっており、本人曰く、本日は六打数五安打の猛打賞と言って笑っていた。その分、授業の内容が頭に入ってこない彼女の成績はいつも目を疑わせるものだった。彼女が得意とする現代文の点数では、いつも平均点の過半数を超えるか超えないか……不得意教科に関しては、もう言うまでもない。

 勉強という言葉で今にも蕁麻疹を起こしそうな咲だったが、魂が抜け出したように着席して机上で倒れてしまった。

「アハハ~……絶不調~……」

 どこを見ているのかわからない、虚ろな目をして気味悪く笑う咲に、隣で心配そうに眺めていた梓は、前髪を頭頂部で結んで額を出す彼女の頭に、ポンポンと優しく手を叩いて同情していた。

 倒れる咲にとは、練習試合ではバッテリーを組んだ叶恵だったが、今日は彼女に対してため息ばかりが募っていた。

「まったく……まだまだ穴だらけね」

「叶恵も叶恵よ」

「ギクッ……」

 偉そうに言葉を紡いでいた叶恵の隣から、疑わしい視線を向ける柚月の声が放たれる。生き生きとしていた叶恵の動きを停止させたマネージャーは、再びスコアブックを開いて練習試合の投球内容を目で追っていた。

「まあ、前半は問題なしだけど……如何せん後半がダメダメね……」

「ダメダメ……」

「後半から三振が全然取れてなかったし、ボールも浮き気味で軽く感じられたわ。といことで、叶恵は合宿中とことん走って、足腰の筋力強化とスタミナ強化に励んでもらうからね」

「う、うぅ……」

 スコアブックを閉じた柚月はアイドルのような眩しい笑顔を見せていたが、一方で叶恵は苦汁を舐めさせられた様子であり、笹浦二高のマネージャーが恐ろしく感じて固まってしまう。柚月の指摘はごもっともであり、叶恵の問題点は一試合を投げ抜くスタミナの足りなさだ。打順を一番にしていることも負荷の要因となっているが、足の速さに自信がある彼女は、先頭バッターでピッチャーという場を誰にも譲りたくないというのが本音であった。

「わ、わかったわよ……」

 口ごもった感じで言葉を発した叶恵は、苦い表情を変えずに立っていた。

「クックック……」

 すると、パソコン室の後ろの方から一人の笑い声が辺りに響き渡っていた。表情を怒りのマークに変えた叶恵は、お腹を抱えて笑っている牛島唯(うしじまゆい)に目を向け始める。

「な゛に゛が可笑しいのよ?」

 拳に変えた両手を震わせる叶恵は、以前として笑いが収まらない唯を見ていた。

 この教室の入り口近くで着席している、長い黒髪と高い身長を備える唯は、乱れて着こなした制服と共に揺れていた。

「……だって、さっきまでの潔さが無くなってんだもんよ~」

「うるさいわね!!第一、アンタら何でそんな後ろにいるのよ!?」

 声を荒げた叶恵は、ホワイトボードからもっとも遠い席に着いている唯たち三人に指を指していた。三人並んで座れる机には、間に唯を置いて、その両脇には二年生の植本(うえもと)きららと、一年生の星川美鈴(ほしかわみすず)が座って共に笑っている。

 茶髪気味でカールを施した、お嬢様のような風格を見せる二年生と、短い髪を二つ縛りにして下げている一年生を揃えて、中央で居座る姉貴分の唯は叶恵に微笑んで口を開ける。

「俺らは、ここが一番落ち着くんだよ」

「唯先輩が正しいっす!!」

「小さいカナカナが、よりチビに見えて良い感じにゃあ」

 笑顔を向けて話す三人に、叶恵の怒りのボルテージは臨界点を間もなく超えるところだった。

「誰がチビじゃあーッ!!」

 今にも走り出して三人のもとに戦いを挑もうとする叶恵を、後ろから柚月が肩を押さえて止めていた。

「まあまあ、落ち着いて落ち着いて。いつものことじゃない」

「アンタらぁ、合宿中覚えておきなさい……地獄に叩き落としてやるぅ……」

 あからさまに歯軋りをして重低音の声を鳴らす叶恵を、後ろから取り押さえていた柚月は、その可愛らしい低い背を見ながら苦笑いをして答えていた。

「……でも、牛島さんたちにも課題はあるわ」

 すると微笑んでいる柚月の瞳は、次に唯のもとへと向けられており、お腹を抱えて笑っていたヤンキー娘を黙らせていた。

「まず、牛島さんはバッティングはスゴく良かったわ。それに応じて結果も出てるし、このまま続けて行けばいいと思うわ」

 練習試合では力強いスイングからホームランを放つことができた、未経験者ながらも頼もしい唯に、柚月は心から褒め称えていた。

 そんな柚月から言われた唯は、頬を赤く染めてそっぽを向いてしまう。

「……へっ……大したことねぇよ……」

「唯、かわいいにゃあ~」

「う、うるせぇ!!」

 子を愛でるように言ったきららに、照れ隠しの唯はムキになって叫んでいた。親友のきららだけあって、手出しはまったくしなかったが、顔を赤くしたまま腕組みをして眉間に皺を寄せていた。

「……で、課題ってなんだよ?」

 唯の怒っている恐さよりも、姉貴分の彼女が顔を赤くしていることに可愛らしさを覚える柚月は、臆せず笑顔で眺めていた。

「牛島さんは守備を強化してほしいわ。サードは普通の打球だけじゃなくて、バント処理やベースカバーもあるから、守備は今まで以上に俊敏なプレーが期待されるわ。合宿中には、その動きを覚えてもらうわね」

「……俊敏って、どのくらい速くしたらいいんだよ?」

「まあそれは追々説明するから、待っててね」

「……わぁったよ……」

 目を会わせずふて腐れたように言い返した唯だが、思い返せば、試合中はろくな守備ができていなかった。初回に自分のエラーがあってから、ピッチャーの叶恵が近辺の打球を全て捕っており、その一球のエラーしか覚えていないのが正直なところだ。練習のときだって、打球を身体で止めてからファーストに投げるというのがほとんどであり、なかなかグローブに収めることができずにいた。自分は受け身である守備はあまり好きではないが、やられっぱなしは性に合わない。

 相変わらず赤面を見せ続ける唯だが、柚月に言われたことをしっかり覚えようと頭の中で何度もリピートしていた。

 唯の口先が動いているのを見た柚月は、それは決して自分に対する不満ではないことがわかると、次は隣で唯の様子を伺う美鈴に焦点を当てる。

「それから、星川さんも牛島さんとほぼ同じかな。ファーストであるあなたも守備は肝心だから、いっしょに頑張ってね」

「お、同じ……唯先輩と、同じ……」

 頭の中で守備の内容を口ずさむ唯は、顔色をもとに戻していたが、今度は隣の美鈴へと赤面が移ってしまう。少し可笑しいが、恥じらいを見せる可愛らしい一年生に、柚月は二人の飛び抜けた友情に困り顔で笑っていた。

「ユズポン!!きららは何をしたらいいにゃあ?」

 元気よく挙手したきららが目を輝かせていたが、柚月は持っていたスコアブックを開かずに笑顔を見せる。

「うん、両方」

「両方……にゃあ?」

 満面の笑みで答えた柚月だったが、きららは頭を傾げており理解していない様子だった。すると、柚月は表情を変えぬまま一度頷いてニッと伸ばされた口を開ける。

「植本さんは、守備と打撃の基礎をしっかりやってもらうから、よろしくね」

「に゛ゃっ……」

 あくまで優しい雰囲気を見せていた柚月だったが、ぎょっと凍りついたきららは、今自分がとんでもなく恐ろしいことを言われていることに気づいた。柚月が言った両方というのは打撃と守備の、試合の要となる二つの点であり、要するに自分は問題だらけだということだ。きららの試合成績は、レフトでの守備では一球だけゴロを捕って、助走からの勢いでホームへとレーザービームを魅せたが、普段の練習でトンネルばかりしている自分としては、内心打球を捕れたことが奇跡だったと今でも思っている。また、バッティングではボールにバットが掠りもせず、結局全打席が三球三振だった。

 そんな内容であったきららは、多少の覚悟はしていたが現実の悲惨さに屈してしまい、咲のように机上に頭を寝かしてしまう。

「アハハ~……きららの命日は、どうやら近いようにゃあ……」

 力抜けたきららからは、その口から魂が抜け出しているようで、鬼マネージャーによって二人の幽体離脱者を出してしまっていた。

「バント処理、ベースカバー……捕ったらすぐ投げる……」

「唯先輩と同じ……あの唯先輩と、同じ~……」

「成仏先は、せめて天国にしてほしいにゃあ……」

 柚月からの指示を受けた三人は、それぞれ異なった様子を見せていることから、形はどうあれ、どうやら指示はちゃんと届いているようだった。


「あの、篠原先輩!」


 すると、パソコン室の窓側前席から、一人のハキハキとしたたくましい女の子の声が鳴る。

 ふと柚月は振り向くと、そこには両脇に同じ一年生で挟まれた、東條菫(とうじょうすみれ)が不思議そうな表情を浮かべて座っていた。

「私たちは……何をすればいいんでしょうか?」

 セミロングの髪の毛を後ろで縛って、ポニーテールを揺らして首を曲げる菫が言うと、隣のショートヘアで癖っ毛が目立つ眠そうな菱川凛(ひしかわりん)、反対側にいる金髪のツインテール幼女のメイ・C・アルファードたちも頷いて言葉を待っていた。

 まだ指示を出していなかった一年生集団たちに、柚月は答えようとスコアブックを覗きこむが、しばらくすると三人に顔を向けて微笑んでいた。

「正直、あなたたちには、これと言って問題点がないんなだよねぇ……エラーもなく、ヒットまで打っていたから、現状維持ってとこかしらね」

 問題点を見つけられなかった柚月は困ったように笑っていたが、隣り合う菫と凛は嬉しそうに笑顔を交わしていた。

「まあ強いて言うなら、あなたたち二人は二遊間を守る、内野守備の要となる存在だから、細かいベースカバーの動きや外野からの中継とかも考えてもらえるといいわね」

「わかりました!頑張ろうね、凛!」

「うん。菫といっしょなら大丈夫……」

 嬉しさで微笑み会う菫と凛がいたが、この二人の成績は今でも目を疑わせるものだった。未経験者として入部した、姉妹のようにいつもいっしょの二人は、バッティングでは出塁だけでなくヒットエンドランのコンビネーションも決めており、守備ではダブルプレーを取るほど息がピッタリである。意思疏通がしっかりできているこの二人には、誰も文句など言えなかった。

 菫と凛が手を握りあって喜んでいるなか、次に柚月は、端に座っているメイに顔を向ける。

「あと、メイちゃんは……もしかしたら守備位置の変更もあるから、フィールディングのときとかは、率先して内野もやってみてね」

「ホントですかーッ!!」

 机をドスンと叩いて立ち上がったメイは、大きなブルーの瞳をキラキラと輝かせていた。あまりにも突然だったため、少し驚いた柚月は一度目を見開いてしまうが、愛想笑いを浮かべて気を取り戻す。

「う、嬉しそうね……」

「はいっ!!とっても嬉しいですよっ!!棚からぼた餅が降ってきたようですぅ!!」

 アメリカ人留学生ながらも日本語を流暢に話すメイは、両腕を上げて万歳をしていた。今までセンターを守ってもらっていたメイには、守備の形が内野捕りという癖がある。勢いをつけて遠くに投げる外野捕りとは異なるもので、打球をしっかり待って、股を開きながら身体の正面で捕っていた。アメリカでも経験がある彼女は、恐らく内野の経験者とも考えられた柚月は、いつか内野でも守らせてあげたいと願っていた。

「ちなみに、メイちゃんは内野やるとしたらどこがやり易いの?」

「内野、ですか?ん~ん……いつも転々としていたから、特に拘りはありませんねぇ……あっ!!でも、もし出来たらセカンドをやりたいですっ!!」

 パシッ!!

 高らかに声を出したメイだったが、その刹那、制服と制服がかさばる音が聞こえ、ふと隣を見てみると菫の右腕が凛のか細い両腕に掴まれていた。抱きしめた凛からは恐ろしい目を向けられており、メイを遠ざけるように睨み付けられている。

「菫の隣は渡さない、菫の隣は渡さない、菫の……」

「アハハ……凛、ちょっと怖いんだけど……」

 呪いの呪文と言わんばかりのトーンで話す凛に、菫は苦笑いを浮かべていた。セカンドで守っている凛は、ショートの菫と隣り合いたいという理由で、そのポジションを決めたのだが、その執着心は誰よりも強かった。

 そんな凛を目の当たりにしながらも、明るいメイは笑顔を絶やさずにいる。

「いえいえ、私はどこでも構いませんから!!セカンドを奪おうなんて、微塵も思ってませんよ。転職先はどこでも結構です」

「それを言うならコンバートでしょ……」

「アハハ……メイさんって、あんまり英語使わないよね……」

 無邪気な笑顔を見せるメイを見て小さく呟いた凛は、全身で抱き締めていた、苦笑いの菫の腕を徐々にほどいていく。まだ警戒している顔つきではあったが、一方で柚月は優しさを感じるメイにふと疑問が浮かんでいた。

「どうして、セカンドがやりたいの?」

 金髪のツインテールを揺らして振り向いたメイは、にっこりと笑って口を開ける。

「はい!ママが現役時代、セカンドのポジションに就いていたからです」

「現役……メイちゃんのお母さん、ソフトボールやってたの?」

「はい。アメリカの……」

「あぁーー!!思い出したぁーー!!」

 柚月とメイの会話途中に、突如大声を出したのは叶恵だった。二人に驚きの視線を感じながら、思い出したことに自分も驚いている叶恵は、メイに震える人差し指を向けていた。

「あ、アンタ……ローレン・C・アルファードの娘だったの!?」

 全身と共に声を震わせる叶恵がそう言うが、メイはキョトンと首を傾げて眺めていた。

「あれ、言ってませんでしたっけ?」

「ええーっ!!ローレン選手の娘だったのぉー!?」

 叶恵の次は、今度はキャプテンの夏蓮が立ち上がって叫んでいた。さっきから何度も叫び声が聞こえるガラス張りのパソコン室は、傍の廊下を歩く生徒や職員に疑わしい目で見られていたが、内気な性格の夏蓮には、このときはどうでもよいことだった。

 みんなから視線を集めるメイからは笑顔が消えており、ダッシュで近寄ってくる叶恵と夏蓮に不審な思いで目を会わせている。

「あの~、お二方、そんなに驚かなくても……そして近いです……」

 困り果てたメイの目の前には、顎を手で押さえる叶恵と、片手にスマートホンで写真を撮ろうとする夏蓮の二人が眉間に皺を寄せて立っており、小さな金髪幼女を取り囲むようにして眺めていた。

「……似てる、瞳の色、顔立ち、そしてこの金髪……確かに似ているわ……」

「うん。間違いない、これは本物だ……パシャッ……」

 まるで未確認生物を発見したかのように話し合う叶恵と夏蓮は、怖くて震えるメイをまじまじと見ていた。

 メイがかわいそうな状況に置かれていると感じた柚月は、叶恵と夏蓮それぞれの肩に手を置いて離れさせようとする。

「ほら、戻って戻って……ていうか、ローレンってそんなにスゴい人なの?」

「「当たり前でしょーっ!!」」

 珍しく息がピッタリの叶恵と夏蓮は、すぐに振り向いて柚月に怒号をぶつけていた。二人には呆れた顔を隠せずにいる柚月は、それからもエキサイトした二人の言葉を受けている。

「アンタ、ローレン・C・アルファードを知らないで、よーくもヌケヌケとソフトボールやってるわね!!」

「はぁ……」

「そうだよ柚月ちゃん!!ローレン選手は、以前のアメリカ代表選手!!小柄ながらもチームのキャプテンとしてセカンドを守り、スラップやセーフティバントで何度も出塁して、オリンピック優勝に貢献したスーパープレイヤーなんだよ!!」

「へぇ……」

「それにそれに!!数年前までは日本の実業団リーグにも参加していて、バッターとして、守備においても数々のタイトルを手にした選手なのよ!!日本のピッチャーが言うには、ローレンに打球を転がされた時点でヒットは決まったものって言われたくらいよ!!」

「うわ~すご~い……」

「それにそれにそれに!!ローレン選手の活躍はアメリカ全土に渡って知られて、世間からはずっと前から、カリフォルニアのシューティングスターって言われてるんだよ!!その足の速さは全米だけでなく世界中を圧倒させたんだからね!!」

「願いを叶えてくれそうねぇ……」

 鼻息を荒くしながら、低身長なのにこのときは大きく見える二人に、柚月はテキトーな言葉を見つけて返していた。

 柚月が追い詰められて話されているなか、メイの隣にいた菫は驚きと共に笑顔を見せていた。

「メイさんのお母さんって、スゴいんだねぇ」

「知らなかった……」

 感心する菫の後ろで無表情の凛が呟くと、メイは一度頷いて目を閉じ、ゆっくりと席に座る。再び開けられたサファイアの瞳からは、少し寂しさを思わせる心情が映し出されていた。

「前にも言ったかと思いますが、私はママからソフトボールを教わりました。今はママの仕事の関係でなかなか会えていないんですが、いつかまた、ママといっしょにキャッチボールしたいですね……」

 最後に微笑みを見せたメイだったが、隣の菫たちとは目を会わせず下を向いていた。

 七人家族の長女である菫には、なかなか親に会えず悲しむ、そんなメイに心を移していた。自分の父母だって、朝から夜遅くまで仕事で、家にいる時間はほとんどない。二人が帰ってくる頃には下の弟妹たちを寝ている時間のため、会えてもあまり会話は無い日々だった。寂しくないと言ったら嘘になる……しかし、姉である私が弱音を吐いてはいけない気がする。私には、小学五年生男子の椿(つばき)、小学二年生女子の(さくら)、幼稚園児の女の子である百合(ゆり)、まだ一歳の男の子の蓮華(れんげ)が傍にいる。私以上に、彼らの方が寂しがっているに違いない。だからこそ、一番上の私がしっかりしなきゃダメなんだと思う。それに……

 頭の中で自身の家族のことを考える菫は、ふと首を曲げて、後ろいる小さな少女と目を会わせる。私の傍には、凛だっていてくれている。一人っ子の凛からはいろんな場面で助けてもらっている私は、彼女には本当に感謝している。本当の家族のように、こんなにも近くに寄り添ってくれるんだから……

 優しく微笑みかけた菫は、凛から笑顔が返されており、今度は、俯くもう一人の少女の顔を覗きこんでいた。メイさんだって、きっと私と同じなんだろうなぁ……家族が大好きで、会いたくても会えなくて……その大好きの分だけ、寂しさばかりが募ってしまうんだろうなぁ……

 ポン……

「はい?」

 下を向いていたメイの肩には、隣にいる菫の大きな右手が載っていた。まだ寂しさが消えない顔を上げると、そこには優しい眼差しの菫が顔を向けており、お互いの瞳がそれぞれの顔を映し出す。

「菫……」

「メイさんのお母さん、きっとすぐ会えると思うよ。だから、そんな寂しそうな顔しないで。私たちがついてるからさ……ね?」

 最後に白い歯を見せて笑う菫、その背後からは頭をひょっこり出した凛が表情を浮かべずにいたが、メイのことをしっかりと見ていた。

「菫、凛……ありがとうございます……」

 ふと涙が込み上げてくるのを感じたメイは、顔を下げてしまうが嬉しそうに微笑んでいた。

 そんなメイを見ながら、菫は再び彼女の肩を二度優しく叩いてみせる。今年から来た留学生の一年生メイさん……この時点で寂しいのにね、だって、一人だもん。別の国から海を渡ってきた彼女には、この学校に幼馴染みもいなければ友だちだっていないはずだ。だからこれからは、私たちといっしょにいることで、メイさんの寂しさが少しでも無くなればいいな……

 無音となってしんみりとした空気は、このパソコン室全体に渡っており、着席している選手は勿論、さっきまで興奮していた叶恵と夏蓮も口を閉じて、一年生三人に温かい眼差しが送られていた。

 そんな三人を眺めている夏蓮は、ふと歩きだして教壇へと上がる。目の前の教卓に両手をつけて、座る選手たちに自信が籠った顔を向けていた。魂が抜けている咲ときららを除いて、皆から注目を浴びるなか、緊張も多少を感じながらも小さな口を開ける。

「よしっ!!みんな!!明日からの合宿、いっしょに頑張ろうね!!」

 着席する選手たちの目は希望に満ちているように輝いており、同じように光らせる夏蓮にも見えていた。みんなとなら、大丈夫……どんな困難も乗り越えられる気がする。

 そんな想いを抱きながら、夏蓮は教壇から離れようとした、そのときだった。

「ちょっと待って」

「なに勝手に締めくくろうとしてんのよ?」

「へ?」

 疑問に思い首を横に曲げた夏蓮には、傍で腕組みをして睨む柚月と叶恵と目が会ってしまう。

「まだ、夏蓮の話、してないし」

「わ、私の?」

「当たり前よ。キャプテンにだって、問題はたくさんあるわ」

「は、はい……」

 折角良い雰囲気で締めくくれたと思っていた夏蓮も束の間、今度は二人から自分に対する意見が飛んでくる。練習試合では守備も打撃も良いところが無かった夏蓮には、鬼の二人から数々の練習メニューが繰り出されており、徐々にキャプテンの背中が小さくなっていく。

「……ということで、夏蓮には今まで以上に努力してもらうからね」

「い、今まで以上とは……」

「今日から素振りを一日二百本に増やしてね。もちろん合宿中にもやってもらうから……練習後にね」

「そ、そんなぁ……」

 笑顔も見せず冷徹に宣告する柚月に、夏蓮は今にも崩れ落ちそうな様子でいる。しかし柚月だけに終わらず、もう一人の鬼、叶恵からも容赦ない刑が言い渡される。

「それだけじゃ足りないわ。アンタの守備見ていたけど、外野からのベースカバーが遅すぎる。ランナーのときだって、まだまだ怠慢だわ。もっと脚力をつけてほしいから、今日からランニングを別メニューとしてやってもらうわよ。もちろん合宿中もよ……」

「アハ……アハハ……」

「か、夏蓮!!」

 白目をして笑いだしたキャプテンは、二人の鬼の前で後ろへと倒れそうになっており、それを何とか梓が背中を支えてキャッチしていた。

「柚月、叶恵!いくらなんでも厳し過ぎるよ……夏蓮だって、かわいい女の子だぞ?」

「女の子の前に、夏蓮はキャプテンよ」

「柚月の言う通り。キャプテンなら、これくらいの練習はこなしてほしいわ」

 気を失いかけている夏蓮に微塵も同情しない柚月と叶恵からの言葉は、梓に苦い顔をさせていた。とんでもない二人が仲良くなってしまったことを、心から悔いている梓は、さっきから笑い続ける夏蓮をオンブして席へと戻っていく。

「夏蓮、大丈夫?」

「アハハ……願わくは、天国に逝きたいにゃあ……」

「きららの真似してる……」

 夏蓮を椅子に座らせると、そのまま机にうつ伏せになってしまい、完全に戦闘不能状態に陥っていた。共に着席した梓だが、同じ席には二人の幽体離脱者がおり、犠牲者の二人に向かって静かに南無阿弥陀仏と口ずさんでいた。


 ドン!!


 勢いよく教卓が叩かれた音が突如響き、意識のある選手たちは教壇に視線を向ける。すると、そこにはさっきの夏蓮のように強気の表情をした信次が、教卓に手をついて立っていた。彼の真面目な顔つきからは確かな自信と、威厳という言葉にはほど遠いが、堂々と胸を張って構えている。

「よしっ!!みんな!!明日からの……」

「……だからさ」

「へ?」

 まるでデジャブを思わせるそのシーンで、意気込んでいた信次は、言葉尻を柚月によって被されてしまい、目を丸くして彼女を見ていた。

 さっきよりも不機嫌そうに見える柚月の隣には、同じ表情の叶恵が並んでおり、信次に固唾を飲み込ませていた。

「まだ、アンタのこと、言ってないでしょ……」

「ぼ、僕も?」

「ていうか、先生が一番問題ありなんですけど……」

 唯一男性としてこの教室にいる信次は、二人からの恐ろしい視線で固まって身動きがとれない様子だった。キャプテンの夏蓮が場を締めくくれなかったこの場面、ここは僕がやると思いだって上がった教壇は、いつの間にか処刑台へと変わっているようにも感じてしまう。

 依然として睨み続ける二人の悪魔だが、叶恵は柚月の耳元で口を動かすと、マネジャーは頷いて歩き出す。信次の前を通り過ぎて、自身のスクールバッグが置かれた席に移動すると、その鞄から十冊近くの分厚い本が取り出され、すぐに信次の前の教卓にドスンと置かれる。

「……あの、これは?」

「ルールブックよ。見てわかるでしょうが!」

 目を丸くした信次は叶恵から冷たく返答されると、目の前の本を、瞬きを何度も繰り返して眺めていた。積み重ねられた本の表紙は一番上の物しかわからないが、その表紙には英語でルールブックと記されており、その下にある本の背には、ソフトボールのルールブックは勿論、基礎から始めるソフトボールの練習法、オリンピック選手から学ぶソフトボール理論、これで君もソフトボーラーなど、ソフトボールに関する参考書がドッサリと積まれているのがわかる。

 信次の表情は次第に崩れていき、何とか保っていた微笑みもいつしか苦笑いに変わってしまう。見るに耐えられなくなった信次は、顔を二人の悪魔たちに向けて、教卓の参考書に指を指していた。

「これ、全部読まなきゃいけないの?」

「ええ。はっきり言うけど、先生は監督でありながらルール知らなすぎ」

「まったくよ。宇都木(うつぎ)監督を見習いなさい。監督次第で、試合結果が変わるのは当然なんだからねっ!」

「……だからって、この量ですか?」

 改めてもう一度参考書を眺める信次だが、その分厚さからは一冊あたり約八百ページ以上、古風なデザインが多いことでページ中の挿絵があまり期待できない。確かに信次は、ソフトボールの監督をしていながらそのルールの勉強など全くしたことがなかった。最近ではやっとの思いでノッカーとして働けるようになったのだが、それ以上に時間と労力がかかりそうな本たちを見て、より一層の悪寒を感じていた。

「……まあ、来年までには……」

「……あ、それホンの一部に過ぎないから。来週また別の本持ってくるわね」

「なん、だと……」

 淡々と言葉を発した柚月に、信次は心臓を刀で貫かれたかのように、顔をそのまま本の上にドスンと重ねてしまう。



「ということで、明日からの合宿は、皆気を引き締めて行いましょうね!!」

 教壇に立っていた柚月の明るい声は、このパソコン室に響き渡るが、はい、と返事を返したのは一年生の菫とメイだけだった。

 ふと回りを見た梓には、唯の隣で気絶しているきらら、自分の傍でうつ伏せ状態で座っている咲と夏蓮、そして教員用の事務机で、重ねられた参考書の前で俯く信次が映り、この教室には瀕死の人間が四人も出てしまっていたのを確認する。そんな被害者にさせたのは言うまでもなくうちの美人マネジャーであった。柚月とはバッテリーも組んでいたこともあって昔からの仲であり、彼女のドSな性格はよく知っていたつもりだったが、まさかこれほどまで部員及び顧問を至らしめるとは考えていなかった。そんな悪魔の彼女からは昔以上の恐ろしさを感じていたが、それ以上に、彼女の変わらない性格の悪さに呆れた想いの方が増していたため、大きなため息を漏らしてもとの状態に戻った。時刻は四時半を回っており、このミーティングが開始されてから約三十分が経っていた。恐らくこの後は外に出て練習だろうが、すると柚月は一つのリモコンを手に持ちはじめ、パソコン室の天井にあるプロジェクターに向けていた。

「このまま練習ってのもありだけど、これから勝利のために頑張るみんなには、是非とも観てほしいものがあるの」

 プロジェクターを見ながら柚月が話すと、叶恵はアシスタントのように動いており、その小さな身長をめいいっぱい伸ばして、ホワイトボードの上からプロジェクター画面を下げていた。すぐに彼女が室内のカーテンを閉めて電気を消すと、さっきまで気絶していた四人は目を覚まし、青い画面が写し出された幕に顔を向け始める。そこには去年の西暦と六月の日付が出ており、何やら一年前に録った映像を観てもおうとしていた。

「頑張るためには、まずどのような敵を越えなくてはいけないかが大切よ。みんなには、将来こんな選手に立ち向かわなくてはいけないってことを、覚えてもらうわ」

 真っ暗となって、まるで映画館にでも来たような錯覚に陥るみんなだったが、唯一起立している柚月は、リモコンの再生ボタンを押す。

「これは、去年の夏行われた、茨城県インターハイ予選の決勝戦よ。自分のポジションの動き、バッティングや走塁も含めて、集中して観てね」

 柚月が言葉を終わらせて席に着くと、青い画面には『インターハイ予選決勝戦 筑海(つくみ)高校 VS 仙総(せんそう)学院』と白文字で映し出されていた。





皆様、本日もありがとうございました。

無事に今週から新しい章を始めることができました。今回は牛島唯メイン回のつもりで書いていきますので、どうかよろしくお願いします。

そしてまたこれからもよろしくお願いします。

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