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プレイッ!!◇笹浦二高女子ソフトボール部の物語◆  作者: 田村優覬
一回裏◇始まる伝統の一戦。乗り越えろ恐怖の一戦―vs筑海高校編◆
71/118

ラストボール!!

勝利が消えながらも燃える笹浦二高対、勝利を目前とする筑海高校の練習試合。ツーアウト満塁まで迫り、ここでバッターは元笹浦スターガールズキャプテン花咲穂乃。絶対に打つと思って立ったこの打席だが、キャッチャー中島咲の行動で心が揺らいでしまう。

果たしてこの練習試合の結果は……

第一章、ついに最終回。

『穂乃ちゃん……』

 ライトで守備の構えを見せる、笹浦二高のキャプテン清水夏蓮(しみずかれん)は、バッターボックスで強気の姿勢を見せる花咲穂乃(はなさきほの)を眺めていた。その姿からはオーラが見えそうで、白いバッティンググローブの両手でギュッとバットを握る構えからは、相手に容赦はしないといった様子を伺わせる。ここで一番バッターの穂乃ちゃん……しかもツーアウト満塁だから、穂乃ちゃんの打席で試合が決まる。たぶん穂乃ちゃんは勝つために攻撃してくるに違いない。それに左バッターだ……頑張って、梓ちゃん!!

「ツーアウトー!!あと一人だよー!!」

 夏蓮の大きな声に、守備の者たちは皆返事をして挑む。状況はツーアウト満塁。八対八の同点で迎えた最終回は、元笹浦スターガールズ同士の勝負が繰り広げられようとしていた。

 プレート上にいる舞園梓(まいぞのあずさ)と、左打席から外れている花咲穂乃(はなさきほの)は両者睨みあっており、少しの間時間を停めているようだった。そこで、ゆっくりと左打席に入った穂乃は、バットの先でベースを何度か叩いて肩に載せる。その表情は相手を凍り付かせるほどの恐さを秘めており、睨んだ梓に固唾を飲み込ませていた。


「すいません!!タイムお願いします!!」


 すると、穂乃の後ろにいたキャッチャーの中島咲(なかじまえみ)が、立ち上がって主審に言葉を放っていた。この場面でどうしてタイムを取るのかを考えた穂乃は、恐らくピッチャーとの相談でもするのだろうと思い、バッターボックスから外れて咲を観察していた。しかし、マスクを取り外した咲は、ピッチャーズサークルではなく一塁ベンチへと駆けていってしまい、穂乃にはその理由がまったく検討がつかなかった。

 ベンチへとたどり着いた咲は、座っている月島叶恵(つきしまかなえ)篠原柚月(しのはらゆづき)、顧問の田村信次(たむらしんじ)からも不思議そうに見つめられるなか、彼女は笑顔を見せて柚月の前に立つ。

「あのさ、柚月のキャッチャーミット貸してくれないかな?」

「え!?いきなりどうして?」

 笑う咲からのいきなりな注文で、スコアラーの柚月は驚きを隠せずに目を大きく開く。

「いやー!!その、私のファーストミットって皮が薄いんだよね~。だから手が痛くてさ……だから、貸してくれないかな?」

 困りながらも笑いを見せる咲の顔を見た柚月は、どうして今さらなのかと思いながら不審に感じていた。が、次の瞬間、咲の輝く額に彼女の守備手袋を纏った左手が添えられるのが見えた。これは、咲が嘘をつくときの癖……へぇ、面白いじゃない。

 何で今さら痛がってるのよ!!と、叶恵に怒号を浴びせられている咲だったが、一方でにやつきを見せる柚月はため息を漏らして立ち上がり、ベンチの後ろ席に置かれた自身のエナメルバッグに手を入れて一つのグローブケースを取り出す。そのケースからは、柚月が普段、笹浦二高の練習時に使用している、赤いキャッチャーミットが出され、ベンチ外にいる咲に手渡される。

「汚したり咲の汗付けたりしたら、どんな罰が待ってるか、わかってるでしょうね?」

「勿の論!!ありがとう!!」

 奪い去るようにキャッチャーミットを手にした咲は、自身のファーストミットをベンチに置いてすぐにグランドへと駆けていく。

「フフ……咲ったら、なかなか面白いこと浮かぶようになったじゃない……」

 言葉を漏らし嬉しそうな表情を見せる柚月に、彼女を挟むようにしている叶恵と信次は頭にハテナマークを浮かばせていた。

「えっ!?アンタ、何か知ってるの?」

「今の会話にギャグが含まれていたってこと?」

 真剣に答えた信次には、呆れた叶恵の視線が当てられていたが、間の柚月は再び笑みを漏らしている。

「まあ、お二人にはわからないでしょうね~」

 頬を緩ませて目を閉じていた柚月は、ゆっくりと目を開けてグランドに視線を送る。プレート上に梓、バッターボックスに穂乃、そこにあのキャッチャーミットを足したら……

 更に疑問に駆られる叶恵と信次がいるなか、柚月は目線を変えずに口を動かす。


「これは、笹浦スターガールズの選手のみが知るシチュエーションだからね……」



「ゴメンゴメーン!!お待たせ!!」

 グランドに笑顔で帰ってきた咲に、周りの選手たちは不思議に思っていたが、マスクを被った咲の着席と共にゲームは再開。どうしてタイムをとったのか気になっていた梓と穂乃はふと、グローブを構え始めた咲に向けて驚いていた。

『『柚月のキャッチャーミット……』』

 両者が同じ思いを持つなか、今度はピッチャーとバッターが見つめあい心を通わせる。


『『あの日と、同じだ……』』


 一方で、ライトで柚月のキャッチャーミットを見た夏蓮も、二人と同じ思いを抱いていた。すごい……あの日と同じ風景だ……あれは確か、私たちが五年生のとき、初めて全国大会の予選で優勝したときの前だよね。

 元笹浦スターガールズの夏蓮、柚月、梓、咲、ベンチ外の泉田涼子(いずみだりょうこ)ですら、そして穂乃は、この情景があった六年前の出来事を思い出していた。


 今から六年前。当時小学五年生だった少女たちは土日祝日と、笹浦スターガールズの辛い練習を乗り越えていた。そんなある日、大会前日ということで午前中に練習を終わらせたスターガールズの選手たちは、家に帰る者と、この笹浦ソフトボール場でしばらく話し込む者と別れていた。なかでもベンチに座っていた一人の少女は、大きなため息を漏らして俯いている。

「……どうしよう……」

 太陽が南中状態のこの時間、辺りには眩しい太陽の陽で照らされているが、ただ一人の顔を除くものだった。春の温かさとは裏腹に、彼女の曇り顔が地面を覆っているようで、練習用ユニフォームを背中にピシッと張らせている。

「穂乃ちゃん、どうかしたの?」

 悩める様子の花咲穂乃に、補欠選手の清水夏蓮が傍に寄り添っていた。両手を顔に付けて肘を膝の上に置いている穂乃は、目線を足下に送りながら口を動かす。

「左バッターになれって、監督から言われたけど、練習じゃ全然ヒットが打てないから困ってるんだ……」

 再びため息を漏らす穂乃に、隣で座る夏蓮の表情も雲を覆っていた。夏蓮の祖父である清水秀(しみずしげる)監督からの言葉で、右バッターから左バッターになった穂乃は、確かに最近の練習では快音を響かせていなかった。打席を変更させた理由は、どうやら穂乃には右バッターのときに右脇を開いてしまう癖があるらしく、そのせいでヘッドが下がりフライの打球が多くなるらしい。ソフトボールにおいてフライは自滅行為とも呼ばれるくらいのもので、多くの選手は低い打球を転がし、その延長線上でヒットを打っている。だが、左バッターになった穂乃は、まだバットにボールを当てるだけで精いっぱいのようで、簡単な内野ゴロばかりを打っていた。試合ではセカンドとして先発出場しているからこそ、こんなにもヒットを打てないことを悩んでいるのだろうと、夏蓮は思いながら話を聴いていた。

「夏蓮、帰ろー!!」

 すると、ベンチの後ろから咲の元気な声が放たれる。振り返った夏蓮には、笑顔の咲に抱きつかれて困った様子の泉田涼子、隣からは梓と柚月がついてきており、四人ともエナメルバックを肩から掛けており帰ろうとするところだった。

「ん?穂乃、どうかしたの?」

 六年生のキャプテン泉田涼子が不思議そうに、背中を丸める穂乃に言葉を送ると、一度隣の穂乃を見た夏蓮は彼女の肩に手を置く。

「穂乃ちゃん、最近左バッターになってから打てなくて悩んでるの……」

 自分のことのように悩ましく発言した夏蓮には、涼子たち四人も穂乃に視線を送っていた。

「考え過ぎなんじゃない?バッターなんて、来た球を打つだけのことでしょ」

「それは柚月がセンスの塊だからだろ?全然説得力ない……」

「あら失礼ね。不器用の塊な舞園梓ちゃんには言われたくないでございますわ」

「く、悔しい……これが事実なのが本当に悔しい……」

 お嬢様のようにかん高い声で笑う、五年生という学年で関東選抜のメンバーにも挙げられている柚月と、拳を握りしめて悔しがる梓がいつものやり取りを見せるなか、考えていたキャプテンの涼子は何かを閃いたように口を開ける。

「じゃあ、穂乃のために、私たちで練習しよっか!」

「えっ?」

 振り向いて悲しげな表情を見せる穂乃がいるが、明るく振る舞う涼子は言葉を続けた。

「梓がバッティングピッチャーで、柚月がキャッチャー。守備は私と咲、それと夏蓮でやるから、穂乃は納得がいくまでバッティング練習やってね」

 最後にアイドルのようなウィンクを見せた涼子だが、困った表情の穂乃はみんなに悪いと言葉を返した。しかし、咲は涼子の意見に笑顔ですぐ納得。柚月も気だるそうだったが、仕方ないと言って参加し、梓もすぐに笑顔で頷いた。

 みんなが自分に協力してくれることに涙しそうな穂乃は、目を潤ませて全方の四人を見ていたが、ふと自分の肩に隣から手が置かれるのに気づく。横を向くと、そこには笑顔を見せる夏蓮と目が会った。

「穂乃ちゃん、良かったね!がんばろっ!」

「う、うん……」

 性格が似た二人が共に笑顔を見せ会うと、穂乃はヘルメットを被りバットを持つ。一方で夏蓮たちもバッグから自身のグローブを取り出しており、夏蓮はライト、涼子はセンター、咲はレフトへと散っていった。キャッチャーレガースを身につけた柚月がホームベース付近に座ったところで練習がスタートし、バッターの穂乃にピッチャーの梓が投げ込んでいく。

 コーン……

 バシィッ!!

 ボコッ……

 練習を開始してから早くも三十分が経つが、穂乃のバットからは快音がまったく響かずにいた。当てるだけで精いっぱいの彼女の打球は、外野で守る三人に弱いゴロばかりが放たれるだけで、時には失速して内野で止まってしまうこともあった。なかでも多かったのが、ボールの速い梓からのストレートの空振りであり、徐々に穂乃の顔からは明るみが消えていた。

 バシィッ!!

 ピッチャーの梓が放ったストレートが、左バッターである穂乃の外角低めギリギリに決まると、キャッチャーの柚月はマスクを取ってため息を漏らした。

「あのさぁ、梓はバッティングピッチャーなんだから、穂乃を打ち取ろうとしてどうすんのよ?」

「いや、別にそんなつもりじゃ……」

「はぁ……ゴメンね、穂乃。あれでも真面目にやってるみたいで……」

 不器用でコントロールを苦手とする梓からのボールを受けていた柚月は、バッターボックスの穂乃に向けて困り顔を見せて笑っていたが、俯く穂乃は首を横に振って下のホームベースを眺めていた。

「……でも、ストライクはストライク……打てない私が悪いんだよ……」

 穂乃の暗い発言は、傍にいた柚月の表情を曇らせていたが、それ以上に己の無力さに悲壮な思いを寄せていた。こんなに多くのみんなが、私なんかのために残って、わざわざ練習に付き合ってくれているのに……それに応えることができない。私の存在って、みんなに迷惑をかけているだけなんじゃないのかな……私は、本当にダメな人間だ。


「穂乃ちゃーん!!次は打てるよー!!」


 ハッと気づくように穂乃は顔をあげて、声が聴こえたライト方向に目を遣る。そこには、両手を上げて笑顔でこちらに声を送る夏蓮がいた。

「大丈夫だよー!!自信持ってー!!」

 正午の太陽よりも明るく見える夏蓮からは、穂乃は泣きそうになりながら不思議に思っていた。どうして、私なんかのために、そこまでしてくれるの?

 明るく声を送り続ける夏蓮が見えるなか、その雰囲気は徐々に広がっていき、外野の各方面からも声援が送られてくる。

「穂乃ー!!明日はいっしょにヒット打とうねー!!」

 センターからはキャプテンの涼子の声がし、前向きな姿勢で強気な笑顔を見せている。

「穂乃ー!!元気出してー!!ファイトファイトー!!」

 レフトからは誰よりも大きな声と、誰よりも明るい笑顔を見せる咲がおり、穂乃はみんなから背中をそっと押されている感覚がして不思議に思っていた。

 キャッチャーの柚月からピッチャーの梓に返球されると、再びバッティング練習が再開されようとしていたが、穂乃の後ろで座った柚月がフフフと笑みを溢す。

「柚月……どうしたの?」

 不審に感じた穂乃は柚月に顔を向けて聞くと、彼女は右手で口を抑えながら笑っていた。

「夏蓮って、やっぱ補欠だなぁって思ってさ」

「えっ?」

 笑いながら言葉を放った柚月には、穂乃は目を丸くしていた。確かに、夏蓮は私たちと共にスターガールズで練習しているが、公式戦で彼女が出場する姿は見たことがなかった。いつもベンチにいてレギュラーのサポートをしてくれて、いつも声を出してレギュラーを鼓舞しているのが伺われる。

「ど、どうして?」

「周りの選手を助けるだけじゃなく、成長させちゃうからよ」

 穂乃の質問にすぐ答えた柚月は、マスクを顔で覆って再びキャッチャーとして座る。ピッチャーではなくキャッチャーを黙って眺める穂乃が固まってるなか、柚月は目線を夏蓮に送りながら口を開く。

「……まあ、そんな夏蓮が私は好きだけどね。自分が活躍するよりも、仲間が喜ぶ方を優先する。私たちって、あの子に支えられてソフトボールやってるのかもね……」

 優しく言いかけるように口を動かした柚月につられて、穂乃もライトで笑顔を見せて応援する夏蓮を見ていた。私が悩んでいることに気づいたのも夏蓮だ。今こうやってみんなが私に付き合ってくれているのも彼女が発端となったわけで……なんだろう、キャプテンみたいだな……

 練習を開始して初めて頬を緩ませた穂乃。その後ろで再び柚月が声をかける。

「夏蓮の言う通り、もっと自信もってバットを振りなさい。当てることができるなら、あとは力負けせずに振り抜くことが求められるわよ」

「……うん」

 目の前のピッチャーを見ながら頷いて答えた穂乃は、一度深呼吸をして凛とした表情で構えていた。私は、今までバットにボールを当てることだけを考えていた。でも、問題はそのあとにあったんだ。当てたら今度はバットを振り抜く……ありがとう夏蓮、私、なんだかできる気がしてきた!!

 弱気な顔が消えた穂乃が構えるのを確認した柚月は、すぐに赤いキャッチャーミットを構えて梓に投球を要求する。梓からもすぐにストレートが放たれると、穂乃は積極的にバットを振っていった。

 キーン……

 速いストレートにバットは当てられているが、今度はなかなかフェアゾーンに飛ばずファールばかりだった。しかし、穂乃は今まで見せなかった、目の前の敵に全力で立ち向かう姿勢で何度もバットを振り抜いていく。私には能力や才能が足りない。でも、それ以上に気持ちが足りなかったんだ。能力は練習でカバーできると監督に言われた……だったら気持ちは……

 疲れを見せないピッチャーの梓は、再びボールを投げていき、柚月のキャッチャーミットへとストレートを放つ。ボールはすぐに穂乃へと近づき、それと共に穂乃のバットが現れる。繰り出されたバットは直球へと真っ直ぐに向かっていき、芯に当たろうとしていた。


『……自分自身の覚悟で決まるんだ!!』


 カキーン!!

 歯を食いしばってバットを振り抜いた穂乃の打球は、ライト方向への低いライナーとなっていた。それは外野と内野の境界線でもある芝生の上に落ちて、すぐにライトの夏蓮のもとにたどり着く。

 パシッ!!

 ボールをワンバウンドで何とか捕球できた様子の夏蓮は、自分が捕れたという安堵のため息を漏らすと、すぐにバッターの穂乃に眩しい笑顔を見せていた。

「穂乃ちゃーん!!ナイスバッティングだよー!!」

 夏蓮の言う通り、穂乃の打球はセカンドとファーストの間を綺麗に破るライト前ヒットとなっており、それは今ここにいるメンバーが皆納得していた。

 ナイスバッティングと声をかけるのは夏蓮だけじゃなく、拍手も送るセンターの涼子、レフトの咲は勿論、キャッチャーの柚月、ピッチャーで寡黙な梓ですら言っていた。

 そして誰よりも驚いた様子の穂乃は、ふと自分の手のひらを確認した。そこには、手のひらと指の間に多くのマメが出来ており、女の子らしい綺麗な手とはほど遠いものだった。穂乃は左バッターになれと宣告を受けてから約二ヶ月、家で毎日の素振りをしてきた。その証拠として残っているのがこのマメであり、この気持ちの変化だけでヒットを放ったことが証明している。努力は嘘をつかないのかもしれない……だったら、自分が自分に嘘をついたらもっとダメだよね……私は、できる。傲慢だとかワガママとかじゃないけど、せめてもバッターボックスにいるときはそう信じよう。

 明るい笑みを取り戻した穂乃は、ここまで手伝ってくれた仲間たちに顔を向けて、ありがとうと伝えようとする。


「穂乃ー!!もう少しやってみよーか!!」


 口を動かそうとした穂乃は、キャプテンの一声で止まってしまう。まだ、私に付き合ってくれるってことなの……もう相当時間を割いているのに……

「穂乃ちゃーん!!もっともっと打ってー!!」

 無邪気な笑顔を見せる夏蓮の言葉で、周囲のみんなにも笑顔が移る。まるでキャプテンが二人もいるような錯覚を起こす穂乃だったが、二人の言葉にすぐ頷いていた。

 それからの練習では、穂乃は何かを掴んだように生まれ変わり、強い打球を引っ張り、流し打ちと、多岐に渡る打球を放っていた。そして笹浦スターガールズが全国大会を決める最終日、試合の結果は二対零となり勝利する。試合内容は舞園梓の圧巻した投球で完封勝利とはなったが、この二点を取ったのは篠原柚月、そして花咲穂乃のタイムリーヒットであったことを忘れてはいけない。試合後に集合写真を撮ることとなった夏蓮たちは、全国大会の切符を手に入れたこともあり、皆とても嬉しそうに笑いながら写っていたが、そこでは唯一、穂乃だけが涙を浮かべていた。


 そして今、高校生となったスターガールズの一員は、再びこの笹浦ソフトボール場で、再びあの日と同じ時間でこの地に立っていた。影が足元にしか現れないこの時間、鋭い目付きの穂乃は僅かな春風を受けながら左バッターボックスで構え始める。

 一方でプレート上で立ちすくんでいた梓は、ふとにやついた表情を見せて、すぐに投球動作前のセットに入った。

『柚月のキャッチャーミット、懐かしいな……咲のミットよりも大きく鮮明に見える……これならコントロールがつきそうだ』

 柚月の赤いキャッチャーミットで構える咲に、左腕を後ろに引いた梓はプレートを蹴って向かっていく。右腕のグローブを突きだすと同時に左腕を回転させ、右足が着地した瞬間、光るストレートが放たれる。

 バシィッ!!

「ストライク!!」

 梓のストレートは咲の構えていた外角には行かずど真ん中に入ってしまうが、グローブの大きな音からも証明しているように、問答無用のストライクを投じることができた。

 ナイスボールと言って咲がボールを返球するなか、左打者の穂乃はバットを肩に載せたまま下のホームベースに目を向けていた。

『このミットの音……懐かしい……』

 先程の表情とは打って代わり、どこか安らかな表情を浮かべる穂乃は梓へと視線を送る。あの日があったからこそ、私は打てるようにもなったし、こうして左バッターとして立っていられる。本当にありがとう……

 バシィッ!!

「ボール!!」

 梓のストレートは、今度は高めに外れてしまうが、バッターの穂乃はボールを目で追っている様子がなく、動かずじっと梓を見ていた。梓、あの日はわざわざ私のバッティングピッチャーをやってくれてありがとう。ピッチャー陣はいつも別メニューで厳しい練習していたから結構疲れていたと思うし、そんななか長時間付き合ってくれて本当に感謝してるよ。

 バシィッ!!

「ボールツー!!」

 インコースギリギリに外れたボールだが、それにまったくバットを出そうとしなかった穂乃は、咲からの返球が起きると共に一度バッターボックスから離れて、首を曲げて一塁ベンチの方を一度見る。そこで座っている柚月は、穂乃と目があったことにハッとしていると、穂乃は少し微笑みを見せて、すぐに一塁ベンチの後ろに視線を映す。すると、ベンチ外で調度観戦していた涼子とも目が合い、お互い微笑みを見せると、バッターは背中を向けて左打席に入る。柚月も、あの日は大会前だったし、早く帰りたかったよね。キャッチャーだって他の野手と比べれば肉体的に精神的にもスゴく疲れるポジションだから、バッティングキャッチャーとして手伝ってくれて嬉しかったよ。それに涼子先輩も、私の練習を発案してくれて本当に助かりました。あなたはやはり、私たちにとって、とっても尊敬できる先輩でありキャプテンでした。

 バシィッ!!

「ボールスリー!!」

 バッティングカウントから投じられた真ん中高めのやや外れたストレートだったが、それにも動じず手を出さなかった穂乃は、不思議な顔をする咲に一度目を会わせる。

「ん?」

「ありがとう、咲」

 何故ありがとうと呟かれたのかわからない咲は、首を傾げたまま梓に返球すると、穂乃は咲に背中を向けたままバッターボックスで立っていた。咲の元気な応援、今でもハッキリと覚えているよ。私が打てなくて弱いゴロばかりだったのに、練習中ずっと、ファイトファイトーって応援してくれてたよね。あのときは自分のことでいっぱいいっぱいだったから、うん、とも頷きともしなくてごめんね。だからこの場を借りて言わせてもらったよ。本当にありがとう。

 バシィッ!!

「ストライクツー!!」

 再びど真ん中に決まった梓のストレートは大きな音を上げているが、穂乃はミットではなく、ライトで守りながら声を出している夏蓮に視線を送っていた。そして、夏蓮……あなたが気づいてくれなかったら、今の私はここにいなかった。夏蓮のおかげで、私はここまで成長できて、しかも来年のキャプテン候補ともされている。ありがとう、夏蓮。私はあなたのような、視野と心が広いキャプテンを目指していきたい。だからこれからもよろしくね。

 優しく微笑む穂乃は、二年生ながらも立派なキャプテンに見える夏蓮から視線をそらし、左打席で天を見上げていた。あの日も、こんな晴れ模様だったな……あまりにも眩しくて、見上げるのが辛くなるくらい光ってて、自分の悩みなんて無視されそうな輝き。正直、みんなとはいつまでも続けばいいって、今でも思ってる。折角梓が帰ってきたわけだし、こうやって同じグランドで立っているんだ……でも、もう終わりなんだよね……今日で、この打席で、終わっちゃうんだ……


「ラストボール!!」


 学生審判の声が響くと共に、笹浦二高の選手たちは、あと一球と、声を唸らせて応援し、対して筑海高のベンチからは、バッチいっぽ~んと、穂乃に止まらぬ声援が送られている。

 晴れ渡る青空から顔を下に向けて、一つ息を吐いた穂乃は、一度肩にバットを載せて梓と目を会わせる。微笑んだ顔を浮かべる左打者は、そのまま腕を伸ばしてバッターの構えに入る。

 フルカウントとした梓は、早速セットに入ってウィンドミルの動作に移る。笹浦二高の仲間たちの気持ちを載せたボールを大きく回して、ブラッシングをして放り込む。


 キーン!!

「ファール!!」

 梓の投げたストレートは、主審のすぐ後ろのバックネットに当たっていた。相手バッターのタイミングが合っていることを示すそのファールからは、梓は危なかったと思いながら新しいボールを受けとる。次で絶対に決めようと覚悟した梓は、プレートの足場をスパイクで深く掘り、両足を収めてセットに入る。ただ、咲が持つ、柚月キャッチャーミットを見る梓は、左腕を大きく回してストレートを放つ。

『!?マズイ!!』

 目を大きく開いて驚く梓には、自分の放ったボールがストライクゾーンからどんどん離れていくのが見えていた。バッターで頭部の高さでキャッチャーも立ち上がっており、左打者の外角に大きく外れようしているボールが走っていく。頭に押し出しという言葉が浮かぶ梓は、絶望の目でただじっと自分の失投球を追っていた。


 コーン……

「!?」

「ファール!!」


 梓の大暴投は左打者は何とかバットを片手で伸ばして当てられていた。失投を帳消ししてもらい形的には助けられたピッチャーであるが、その理由が梓にはわからなかった。ツーアウトだからエンドランや進塁打だっていらない……それに押し出しでサヨナラというこの場面でどうして……!?

 驚きながら考える梓は、ふとバッターの顔が目に映り更に驚愕していた。そこには、左バッター穂乃の瞳から涙が流れている。

『穂乃……どうして……』

 ピッチャーズサークルから飛び出した梓は、歯を食いしばって泣くことを堪えようとする穂乃を眺めていた。

 利き手である右手でバットを強く握り締める穂乃は、一度バッターボックスから外れて下を向いていた。


『……嫌だ……終わらせたくない……』


 涙を溢しながら再び左打背に入る穂乃は、梓から放たれるストレートに必死に食らいついていた。

 キーン……

『だって、考えられないよ……』

 コーン……

『みんなが敵なんて……』

 ボコッ……

『弱かった私を、大きく成長させてくれた、大切な仲間なのに……』

 キーン……

「ファール!!」

 何球も粘る穂乃は、未だに涙を堪えきれず流している。それはベンチにいる監督、宇都木鋭子(うつぎえいこ)にも見られており、ため息を漏らさせていた。

 バットコントロールが良いだけに、何度もファールを重ねている穂乃は、ピッチャーにボールが戻る共に打席に入る。見逃しても、打球をフェアゾーンに転がしても試合は終了。試合が終われば、宇都木との約束通り、これからは筑海の勝利のために頑張ることが待っているが、そんな現実から逃れようとする穂乃のバットは震えており、顔を上げるのがやっというところだった。みんなを敵として見て戦っていくなんて、正直想像もしたくない。もう、どうしたらいいかわからないよ……

 息を荒くしている穂乃は、ふと晴れ晴れとした青い空を見上げ始める。それはあの日と変わらない眩しい空で、少しの白い雲を散りばめた広い空だった。そんな天空の下、バッターはため息を漏らして眺めていた。いっそのこと、この時間がずっと続けばいい……この空のように、あの日と変わらないみたいに……


「怖いよね……変化するってさ……」


 ふと後ろから声が聞こえた穂乃は、自然と首を向けると、そこにはミットの口を地面に付けて、マスクを頭に載せた咲が微笑んで座っていた。目を会わせていたキャッチャーは、表情を変えぬまま目線を、柚月の赤いキャッチャーミットに下げて口を動かす。

「本当はさ、梓が投げやすいかなと思って、柚月から借りたんだけどさ……今気付いちゃった……これ、あの日みんなで居残り練習したときみたいだなって……こんな場面で、思い出させちゃって、ゴメンね……」

 少しの悲しさを面に出す咲を見ていた穂乃は、返す言葉が見つからず黙って俯いてしまう。

「穂乃の気持ち、何となくわかるんだ……同じチームで頑張っていた仲間が、今度は敵として戦うなんて嫌だよね……スポーツやってるとよくあるんだよね……大切な仲間がいなくなったり、大好きな先輩と離れ離れになったりとかさ……」

 優しく言いかける咲の言葉に図星だった穂乃は、更に悲しげな顔を浮かべており、咲と同様下を向いて土で汚れた、スパイクの刃でボコボコになっているホームベースを眺めていた。

「私、どうしたらいいかわからなくて……みんなには、本当に感謝してる。私をここまで成長させてくれたのは、梓や柚月、夏蓮や涼子先輩、そして咲がいてくれたからって思ってる……」

「私入ってるんだ。何もしてないのに……でも嬉しい……」

 一番近くにいる元笹浦スターガールズの選手の二人は、目を会わせていなかったが、二人だけの空間がこのバッターボックスで繰り広げられている。

「……だから、私はこの試合を終えて、本当に筑海の一員として戦えるのか、心配で……」

「穂乃なら大丈夫だよ。だって、ほら……」

 下を向いていた咲が顔を横に向けると、穂乃もつられて顔を上げる。すると、穂乃の目に映ったのは、三塁ベンチから今にも飛び出しそうな勢いで応援し続ける、筑海高校の選手たち、厳しい目付きをしながらも優しく見守っている様子の宇都木鋭子だった。それを見て固まる穂乃は、また別の想いが込み上げており、目頭を熱くしていた。

「穂乃にはさ、新しい仲間がいるんだよ」

 再び声を鳴らしたキャッチャーに穂乃が振り向くと、今度は温かな微笑みと直面する。

「咲……」

「変化はね、成長できるチャンスなんだよ。変化が無ければ私たちは成長なんてできなくて、いつまでたっても子どもで弱いまま……だからこそ、この変化する瞬間を見過ごしちゃダメだよ」

 最後に咲の、ニッとした笑顔を見た穂乃は、アンダーの裾で涙を拭き取り、自身が持つ水色のバットを見ていた。そのバットには、幾つものボールを打ってきたせいで白い跡が残っており、所々にキズを浮かび上がられている。しかし、このバットは穂乃が筑海高校に入ってから購入したマイバットであり、この高校での努力してきた日々が刻まれているようにも見えた。

「ありがとう、咲……」

「あとさ、敵として、って言ってたけど……」

 バットを眺めていた穂乃は、再び咲に目を遣ると、彼女の太陽のような笑顔が見られた。

「できれば、ライバルって言ってね!まあ私も言っちゃったけどさ……アハハ~」

「……うん!」

 困り顔を見せて笑う咲との会話を終わらせて、目を閉じて大きく深呼吸を開始した穂乃は、溜め込んだ空気をホームベースに置いていた。そして目を開けて、バットの先端をゆっくりとピッチャーに向け、同時に、きりっとした覚悟の表情を見せていた。

 その顔はピッチャーの梓もしっかりと見届けており、ホッと笑みを溢していた。

『覚悟はできた……いくよ、梓……ラストボール!!』

『ああ……私たちにとってのラストボールだ!!』

 バッターの穂乃は強気の表情で構え始め、どこに投げてもヒットを打たれそうで、赤く燃え盛るようなオーラを放っているようだった。一方でピッチャーの梓も、鋭い目付きをしてセットに入り、絶対に打ち取るという青い炎のオーラが背中から浮かび上がらせているようで、両者の炎がぶつかり合おうとしている。

「ラストボールだよー!!」

 ライトの夏蓮の声で始まり、誰もが見守るラストボールのシーン。動き出した梓は左腕を大きく回して、大地を強く踏みしめて、堂々と構える穂乃に渾身のストレートを放つ。ボールはストライクゾーンど真ん中に一直線に走っていき、穂乃の迷いなきスイングが開始される。

『『これで、終わりだーっ!!』』

 二人の熱い魂の炎がぶつかる刹那、唸るストレートは輝く金属バットの芯と対面していた。


 カキーン!!

「っな!?」

 バシィッ!!

「!?」


 恐ろしいスピードを秘めた打球に、梓は驚いてその行方を追って首を曲げたが、穂乃の放ったライナーは、セカンドの菱川凛(ひしかわりん)が正面で構えたグローブに、砂ぼこりをあげて収まっていた。


「アウト!!ゲームセット!!」


 主審のジャッジが響くと共にゲームは一瞬にして終わりの宣告がされる。練習試合の結果は八対八の引き分けとなり、両陣は皆黙ったままホームベースへと集まる。審判たちが本塁に集まると共に、笹浦二高、筑海高校の選手たちは整列をして挨拶を交わした。

 傍に柚月と叶恵を連れて、一塁ベンチから出て、相手ベンチの宇都木に頭を下げていた田村信次は、そんな笹浦二高の選手たちの背中を残念そうに眺めていた。練習試合とはいえ、引き分けは一番シックリこない終わりかただ。篠原や月島だって黙ったままだし……そりゃあ生徒たちも喜んでいいのかわからないよな……

 挨拶を済ませた笹二の選手たちは、皆下を向いて黙りこんでおり、ゆっくりと一塁ベンチに向かってくる。そんな肩を落とした選手を見て、信次は何とか元気を出してもらおうと思い、選手たちがベンチに着くのを笑顔で待っていた。が、先頭で歩いていた夏蓮が突然立ち止まり、下を向きながら全身が震えていた。次の瞬間、バッと顔を上げる彼女は、両腕を高々と青い空に向け始める。


「……やったぁ!!試合ができたよー!!」


 キャプテンである夏蓮の一声で、選手たちはそれぞれ笑顔を見せて万歳をしたり、抱き合ったりなどして歓喜していた。

「やりましたよーカレちゃん先輩!!これで私、今日のMVP間違いなしです!!」

「アハハ、引き分けだけど、ね!」

 夏蓮とメイ・C・アルファードが抱き合いながら、お互い嬉しさを全面に出すように跳び跳ねていた。

「やったね凛!!最後の、ナイスキャッチだったよ!!」

「エヘヘ……スゴく痛かった……」

 東條菫(とうじょうすみれ)の笑顔に凛も笑顔で答えており、二人仲良く抱き合っている。

「へへ!なんだかんだ、ソフトボールも楽しいスポーツじゃねぇか。ボールをぶっ飛ばした時はスッゲェ気持ちよかったしよ」

「さすが唯先輩っす!!かっこいいっす!!」

「二人とも結婚しちゃえばいいにゃあ!」

「けっ、結婚!?」

「バーカ、何言ってんだよ?」

 腰に両手を添えて気だるそうな牛島唯(うしじまゆい)と、からかうほど元気な植本(うえもと)きららがいるなか、星川美鈴(ほしかわみすず)の顔は真っ赤に染まっており、頭から湯気が出ているようだった。

「咲~?」

「あ、柚月!!」

 疑わしい目を見せる柚月に、咲は関係ないとばかりに笑顔を見せていた。

「アンタ、まさか私のミット汚してないでしょうねぇ?」

「大丈夫大丈夫……って、ああ~!!」

 柚月から借りた赤いミットをまじまじと見ていた咲は、ミットの口周りに土が付いていたことに気づいてしまい、目玉が飛びださんばかりに驚いていた。

「え~み~……」

 恐ろしい目付きで睨み付ける柚月が近くなか、咲は足を一歩引いて冷や汗を流していた。

「ご、御勘弁を~柚月お姉様……!?」

 眉をハの字震える咲ではあったが、次の瞬間、柚月に強く抱き締められており、自然と震えを止めることができた。

「柚月?」

「それ、あげる。咲に似合ってるし、アンタもキャッチャーなんだから、それ使いなさい」

「えっ、でも、これメチャメチャ高くて、柚月の大切なミットなんじゃ……」

「私のミットを汚した罰よ。だから、これからはそれを使ってね」

「……うん!!ありがとう!!」

 一塁ベンチ前で和やかな空気を漂わせる選手たちに、最初は心配していた信次もひと安心して見守っている。みんなは結果よりも、こうやって一致団結して試合を行ったことが嬉しいんだ。どうやら結果に囚われていたのは僕のようだ……

 心配していた信次も自然と微笑むことができており、皆嬉しくて喜びあっているものだと感じていた。

「ゴメン……みんな……」

 しかし、一人だけ俯く少女は、そんな空気から一歩離れて立っている。

 声が聞こえた後方に顔を向けた選手たちには、途中参戦した梓が、下を向きながら悔しそうにいるのが見える。

「私がしっかりしないあまりに、勝てなくて……本当に申し訳ない!!」

 梓が頭を下げたその勢いで、結んでいた長い黒髪も御辞儀するようにしていた。自分の登板で引き分けという結果に終わらせてしまったことにやるせなく、選手たちに会わせる顔が見つからなかった。深々と頭を下げ続けるながら、己の弱さを感じながら歯を食いしばっていた。

「バーカ!お前はしっかりしてたから、逆転されなかったんだろ?」

 頭を垂らす梓は唯の声が聞こえ、ふと顔を上げて目の前を見ると、そこには目を見張る光景が拡がっていた。互いの手を握りながら私に微笑みを見せている菫と凛。隣り合ってこちらに顔を向ける、困り顔ながら微笑む柚月と、横に口を大きく伸ばしてニッコリ笑顔の咲。腕を後ろに組んで顔を下から覗くような姿勢で笑うきらら、その隣で腕組みをして、横目ながらも口許を緩ませているのがわかる唯、そんな彼女の真似をする美鈴。ニヒヒと白い歯を見せながら無邪気に笑うメイ。選手たちの後ろから、頭を飛び出して眩しい笑顔を見せる信次。そして、グローブを両手で握りながら笑顔を見せる夏蓮。そんな彼女たちからは、温かな微笑みを受ける梓は、一人一人顔を伺ったあと、最後に真ん中にいる夏蓮と目を会わせる。

「みんな……」

「梓ちゃん!!ようこそ!!ソフトボール部へ!!」

「え?し、清水!!それは僕のセリフだぞ!!」

「うるせぇうるせぇ!!てめぇは引っ込んでろ!」

 みんなが集まるこの場から、唯によって押し出されそうになる信次がいたが、陰りない満面の笑みを見せる夏蓮に言われた梓は、もう一度みんなの顔を見ながら、よろしくと伝えていた。一年生の菫、凛、メイ、美鈴、二年の唯、きらら、咲、柚月、夏蓮、それに田村先生……あれ?一人足りない……

 みんないるはずの一塁ベンチに違和感を感じた梓は、ふと目を丸くして辺りを見回していた。すると、ベンチの奥の方では、背番号『1』が震えているのが見えた。

「……グ……グズッ……うぅ……」

「か、叶恵?」

 一人だけみんなに背を向ける叶恵がいるなか、梓が不思議そうに尋ねているが言葉が返ってこない。

「おいおい、もしかして、また泣いてんのかよ?」

「……ないわよ……」

「あん?」

 ちゃかすように笑いながら言った唯に、叶恵は背中越しで言葉を返す。両手を顔に置いている彼女は、ゆっくりと踵を返してベンチ前のみんなに姿を見せるが、その顔からは何滴もの雫が地面に落ちていた。

「泣いてないわよ~お゛~!!」

 叶恵の泣き叫びには、吹き出す者や呆れて優しく笑う者などがおり、今ここで初めて、笹浦二高の選手たちがいっしょに、試合を最終回まで行うことができて、立派にゲームを作ることができたという嬉しさに包まれていた。それはもちろん、いいかげんにやっていたわけではなく、ただ直向きにプレーしていたため、皆の嬉しさは普段味わえない倍増したものだった。

 みんなが喜びを分かち合い、満を持して集まった仲間たち。その様子は、一塁ベンチ外のすぐ後ろで見守る、笹浦スターガールズの元監督と元キャプテンにも伝わっていた。

「よかった……」

 清水秀の隣で一粒の涙を溢した泉田涼子は、笹浦二高の温かな雰囲気を感じながら見とれている。

「校長先生?」

「ん?」

「私もこれで、やっとソフトボールのキャプテンから卒業できそうです……」

「それにしては、悲しそうだねぇ……」

 お互い目を会わせず、笹二の選手たちを眺めている二人だが、涼子は涙を手のひらで拭き取り、潤んだ目で正面ではしゃぐ選手たちを見ていた。

「いいえ、悲しくなんてありませんよ。スターガールズのみんなが再び笑って、新しい部員とソフトボールやっているんです。元キャプテンとして見届けられて、もう遺した想いはありません」

「フフフ……じゃあ今度は君の番だねぇ」

「えっ?」

 清水校長の優しさ込めた言葉に、不思議に思った涼子は顔を横に向ける。すると、秀の温かな目と会い固まる。

「今度は君が頑張るってことだよぉ。夏のインターハイ予選。三年生である君にとっての最後の大会、悔いの残らないよう頑張りなさい」

「……はい!」

 まだ残っていた涙を浮かべて涼子が答えると、秀はにっこりと嗄れた笑顔を見せた。その後に反対側にいる大和田慶助(おおわだけいすけ)に顔を向けた秀だったが、慶助は黙ってボーッと一塁ベンチを眺めていた。

「慶助?」

「あ、はい!?なんすか!?」

 不意を付かれたように振り向いた慶助に、秀は不審な思いを隠せないまま言葉を続ける。

「あのピッチャーの娘を病院に連れてってあげてくれないかい?」

「ピッチャー……すか……まさか、俺と二人きりですか?」

 女子高校生と二人でドライブということで喜ぶかと思いきや、寧ろ嫌そうな表情を浮かべた慶助に、疑わしい視線を送っていた秀は笑顔を取り戻して言葉を返す。

「いや、もちろん信次くんもいっしょにね。あと、そのあとに涼子ちゃんを学校に連れてってあげなさい。彼女はこれから部活の練習だからね」

「はあ?なんでコイツも載せなきゃいけないんすか?」

「お願いします、アニキさん!私、アニキさんは悪い人じゃないって信じてますから!」

「うぅ……女の笑顔には弱ったなぁ……それに先生に言われたら、仕方ないか……」

 きらびやかな笑顔を見せておねだりする涼子に、慶助はため息を漏らしていたがすぐに叶恵と信次を連れて病院に行こうとする。

 また三塁ベンチには、試合が終わるとすぐに、ベンチに座る宇都木のもとに、集まった筑海高校の選手たちがいたが、結果が引き分けともあって少し重い空気を漂わせている。特に監督の正面にいた穂乃は、自分勝手な行為で逆転できなかったことを心に持ち、顔を上げられずに立っていた。

 なかなか宇都木が話し出さず静かな時間が流れていくなか、ふと、あまり笑わない監督の頬が緩む。

「フフフ……お前ら、来年は大変だなぁ……」

 皆不思議そうに目を丸くするが、笑っていた宇都木は立ち上がり、一塁ベンチにいる笹浦二高の喜ぶ姿を見ていた。つられてみんなも視線を移すと、宇都木はもう一度にやついていた。

「……あんな強いチームと戦わなくちゃいけないんだからなぁ……」

 宇都木の少し嬉しそうに発言した言葉には、穂乃は何となく察しがついていた。笹浦二高のみんなは、私たちにソフトボールを楽しくやるという、当たり前で誰もがわかっている大切なことを教えてくれた。それは、監督がチームスローガンとして掲げる、『初心、忘るるべからず』ともどこか一致しており、まるで出来立ての笹二がお手本のようにも感じる。私たちもいつか、みんなであんな風に喜びたいな……でも……

 未だに抱き合って喜んでいる笹浦二高の雰囲気を、穂乃は羨ましそうに眺めていた。

「……あ、あとな……」

 すると、起立した鋭子の発言に皆の視線が監督に戻る。さっきと違って厳しい表情を見せる鋭子がいるなか、彼女の口が開かれる。

「今日の試合は、まあ正直、勝てた試合だ。まだまだお前たちには練習が足りないってことだな……今日の試合は敗北と思えよ、いいな?」

「「「「はいっ!!」」」」

 腕組みをして威厳ある様子を見せる鋭子に、自分のせいで勝てなかったと落ち込む穂乃は目を会わせずに話を聞いている。

「そして最後に、少し早いが来年のキャプテンを決めようと思う。誰か推薦したい者はいるか?」

「はい!」

 鋭子がみんなに聞くなか、俯く穂乃の後ろの方で一人の声がした。たぶん私ではない……正直、キャプテン失格みたいなことをしてしまったし……仕方ないかな。

 諦めを僅かな笑みで表現した穂乃は、顔を下に向けたまま耳だけを傾けていると、挙手した選手に鋭子が問う。

「よし、呉崎(くれさき)、誰だ?」

「はい!私は、試合中に積極的に声をかけてくれた、花咲さんがいいと思います!!」

「えっ!?」

 本日ピッチャーとして試合に出ていた呉崎が言うと、驚いた穂乃は振り返ると共に声を漏らしてしまう。呉崎さん……どうして……!?

 穂乃はふと呉崎と目が会うが、彼女は穂乃に笑顔を見せて返していた。

「そうか……おい錦戸(にしきど)

「はい!」

「経験者であるお前は、立候補しても構わんがどうする?」

 鋭子から鋭い目付きを見せられる、本日キャッチャーとして出場した錦戸は、笑顔で首を横に振っていた。

「私たちには、花咲さんが一番だと思います!」

 笑顔でハキハキと話す錦戸に、花咲は顔を向ける。錦戸さんまでどうして……本当に私でいいの?

 経験者である錦戸からは、推薦されるとは思っていなかった穂乃だが、彼女と監督の続く会話をしっかりと聞いていた。

「ほう、理由は?」

「はい!今日の試合で、私たちのチームスローガンをちゃんと意識していたのが花咲さんだったからですし、この短いゲームで、ソフトボールを楽しむことを教えてくれたからです!!」

『錦戸さん……』

 錦戸の迷いない言葉に、穂乃は泣き出しそうになるくらい嬉しく思っていた。試合中盤では、みんなの雰囲気が悪く、楽しいソフトボールとは程遠いものだと感じてしまった穂乃だったが、そのことをしっかり覚えていてくれて、自然と錦戸に笑顔を見せることができた。

「よし……花咲」

「あ、はい!」

「前に来い……」

 鋭子に言われるがままに前に一歩踏み出した穂乃は、監督に肩を掴まれて一回転させられ、取り囲む選手たちと対面した状態になる。

「来年のキャプテンは花咲穂乃!賛成の者は、拍手で答えろ!」

 パチパチパチパチ……

「みんな……ありがとう……」

 嬉しさのあまり再び涙を溢した穂乃は、声を震わせていた。すると、鋭子の口が自分の耳元に近づいたのを感じると、鋭子からはみんなに聞こえないよう小さな声を鳴らす。


「お前もまだ、立派な筑海の一員だな……」


 宇都木監督の小さな問いかけに、穂乃は止まらない涙を両手で覆いながら頷く。まだみんなが、私をキャプテンであることを許してくれている。勝利のためにプレーできなかった、こんなダメな私を……だからこれからは、この目の前にいるみんなと共に戦う。たとえ相手が笹浦二高だとしても、私はこのみんなと勝利のために、全力で、直向きにプレーしていきたい。ありがとう、監督……私に成長するチャンスを与えてくれて……そしてありがとう、みんな……私にキャプテンという称号を与えてくれて……来年は、このメンバーでいこうね、インターハイへ。

 一塁ベンチで賑わう笹浦二高の一方で、この三塁ベンチでも一人の選手が、みんなから温かな拍手と笑顔が届けられていた。



 試合が終わった笹浦ソフトボール場。筑海高校の選手たちはすぐに荷物をまとめて、グランド挨拶を一人一人怠らず行いマイクロバスへと向かっていく。選手たちには規律を重視させ、行動をてきぱきとさせる宇都木鋭子だが、彼女はバックネットの裏側で一人残り、自身のエナメルバックを肩にかけながら、綺麗に整備されたソフトボール場を眺めていた。多目的練習場とも扱われているこの場所には、緑の芝生の方では家族で賑わう者たちがいたり、友だちとキャッチボールをする少年たちがいたりと、正午を越した時間は緩やかな時間が流れているようだった。

 男混じりな鋭子の立ち姿は堂々としてこのグランドを見ているが、どこか悲しげに見つめる様子だった。

「やぁ、試合お疲れさま」

 声が聞こえた鋭子はふと顔を右に向けると、スーツ姿の老人がゆっくりとこちらに歩いてくるのが見えた。微笑ましい様子で近づいてくる恩師には、鋭子も笑みを溢して迎える。

「改めて近くで見ると、随分小さくなりましたね。昔の恐さが嘘のようですよ」

「寧ろ今じゃ、君の方が恐く見えるよぉ。そんなことじゃあ、結婚相手がさぞ苦労するだろうねぇ」

「フン……芯のない男には興味ありませんから……」

 歩いてくる秀は鋭子の隣にたどり着くと、鋭子は心配した表情を見せていた。

「あのピッチャーの娘は、大丈夫でしたか?」

「ああ、月島叶恵ちゃんね。さっき信次くんから連絡があったけど、どうやら軽い打撲で済んだみたいだよ。骨にも異常は無いそうだ」

「そうですか、良かった……」

 微笑む秀からの言葉に、鋭子は胸を撫で下ろすようにホッとため息をつく。

「彼女がお気に入りのようだね。君はどちらかと言うと、穂乃ちゃんに近いタイプだから、彼女を気に入ってると思ってたけどねぇ」

「お気に入りなんていませんよ。ソフトボールを愛する全ての選手が、私にとっては大切な存在ですからね」

「フフフ……それをお気に入りって言うんだよ」

 二人の会話が一端止まると、両者並びあって目の前に拡がるグランドを眺め始める。小学生のときはこのグランドでソフトボールの練習をしていた鋭子にとっても、この地には思い入れが深いもので、懐かしさのあまり景色に見とれてしまいそうになっていた。

「確か、来年で監督業十年目かい?早いもんだねぇ~時の流れというものは……君もベテランじゃないか」

 しみじみと言葉を放った秀に、共に微笑む鋭子は首を左右に振って答える。

「この世界は、年月よりも結果が全てですよ。もう暫くインターハイには出ていませんしね……もうそろそろ、筑海の娘たちを連れていってあげたいですね」

「そうかい……応援するよ、とは言えないが頑張りなさい。初心忘るるべからず、ソフトボールを楽しむこと……決して忘れないようにねぇ」

 グランドを見つめながら話した秀の隣で、鋭子は鼻で笑い顔を秀に向ける。それにつられて秀も顔を会わせると、自身の満ちた様子の鋭子がいた。

「忘れませんよ。私の唯一無二である、恩師からの言葉ですから……」

 向き合って堂々と立ち振る舞う背の高い元選手と、すっかり老いぼれとなってしまった元監督は、お互いの瞳を輝かせながら微笑んでいた。


「あの~!?」


 二人のもとに、か弱い少女の震えた声が鳴り響く。ふと首を曲げた鋭子と秀に見えたのは、後ろに笹浦二高のユニフォームを纏った選手たちと一人制服姿のマネージャーを引き連れた、緊張した様子の夏蓮だった。

「今日は、ありがとうございましたー!!」

「「「「ありがとうございました!!」」」」

 夏蓮を初め笹二の選手から頭を下げられた鋭子は、不思議そうな顔付きを見せていたが、すぐに頬を緩ませて彼女たちのもとに近づいていく。

「お前ら、今年のインターハイ予選は出るのか?」

「あ、まだ、検討中ですっ!」

 頭を上げた夏蓮は咄嗟に大きな返事をするなか、インターハイという言葉を聞きなれない選手が一人おり、少しざわついていた。

「なんだ、インターハイって?」

「県大会みたいなもんにゃあ。最後まで勝てば全国大会に行けるんだにゃあ」

「県のトップになるってことっすね」

「へぇ~面白そうじゃねぇか」

 唯ときらら、美鈴を含めて話していたインターハイ予選。それは六月に行われる大会であり、高校スポーツ選手が最も重視するものである。優勝した学校は、県で唯一、全国大会への切符を手にすることができ、七月の本選へと招待される。特に三年生にとってはこれで引退する者がほとんどであり、野球でいう夏の甲子園に近いものである。そんなことを知らなかった唯は、今ここに叶恵がいたらきっとバカにされていただろうと思い、現在病院で治療を受けている彼女がいなくて内心ホッとしていた。


「アンタ、そんなことも知らなかったの~!?」


 すると、皆が集まるこのバックネット裏側に向けて、一人の甲高い声が一塁ベンチの方から鳴り響く。振り向く選手たちには、一塁ベンチの後ろ側から怒った様子で歩いてくる、左手にガーゼをテーピングで巻かれた月島叶恵が田村信次と共に見えたが、ただ一人顔を向けなかった唯は声だけで誰かがわかっており、ヤバイといった表現で固まっていた。

 すぐに皆の場所にたどり着いた叶恵は、横から黙りこむ唯を睨み付けていたが、それはすぐに終わり、目の前の鋭子に微笑んだ顔を見せて始める。

「宇都木監督!今年も、ありがとうございました!!」

「僕からも、本日はありがとうございました!!」

「そんなことより、怪我は大丈夫なのか?」

「はい!すぐそこの病院で診てもらいましたが、三日もすれば大丈夫だって言われました!!」

「そうか……」

 ハキハキと笑顔で話す叶恵に、見下ろす鋭子は優しく微笑んで言葉を終わらせていた。が、突如現れた笹浦二高のエースナンバーは、強気の表情を浮かべて言葉を続ける。

「もちろん、私たちはインターハイ予選に出ます!!」

 叶恵から返事を受けた鋭子は、目を鋭くしながらも口を横に伸ばしており、集まった笹浦二高の生徒たち一人一人の顔を見ていた。その表情は皆同じで、誰一人として嫌そうな顔をしておらず納得した様子だった。

「そうか……だったら、もっと練習しなくてはいけないなぁ。今年に限っては、引退に追い込まれた三年生が出場するしな……三年は強いぞぉ~」

 今年新設されてまだ間もない笹浦二高女子ソフトボール部。しかもまだ正式には部として認められていない、周囲では愛好会扱いされているのだが、みんなの先頭に立つキャプテンの夏蓮は、脅したような鋭子に微笑みを見せていた。

「はい!頑張ります!!」

 自信を持って発言した夏蓮は、後ろにいる仲間たち一人一人に顔を会わせ始める。ここには、色々な仲間たちがいる。それは優しい人もいれば厳しい人もいて、この短い期間で脱落しそうなときもあったし、ときには喧嘩になりそうなときもあった。色んな性格の持ち主がいて、一人一人の個性がバラバラで、一見共通性がわからない寄せ集めのようなメンバーたち。正直、キャプテンである私もみんなをまとめることができるか心配なくらい……でも、私はそんなみんなが大好きだ。こんな素敵な仲間たちがいるからこそ、一つだけ言いたいことがある。


『みんなといっしょなら大丈夫!!』


 選手全てに笑顔でアイコンタクトをした夏蓮は、再び鋭子に顔を見せるがもう初めの緊張は無くなっており、仲間たちに支えられているような安心感を抱いていた。

 そんな夏蓮の顔を見て、ふと不思議に思った鋭子は、隣にいた秀に顔を会わせる。

「この娘、監督のお孫さんですか?」

「そうだよぉ。まだ言ってなかったっけかぁ」

「おじいちゃん!なんでいつも、そういう大切なこと忘れるの!?」

 鋭子の前では、かつては全身が震えるほど恐かった清水秀が笑いながら、なんとも可愛らしい娘に怒られているシーンが映し出されていた。孫がチームのキャプテンか……そりゃあ、私のチームなんて応援できないはずだ。もうただの優しいお祖父さんですね……


「監督!!準備できました!!」


 鋭子が微笑んで見守るなか、今度は後方から筑海高校のジャージに着替えた選手がこちらに走って向かってくる。

「わかった花咲。お前も挨拶しなさい」

 鋭子に言われたキャプテンの穂乃は返事をすると、まずスターガールズ時代にお世話になった秀に笑顔を見せた。

「お久しぶりです、清水監督!」

「やぁ穂乃ちゃん。見ないうちに大きくなったねぇ。まだ君がソフトボールをやっていてくれて嬉しいよぉ」

 頭を掻いて照れ臭そうに笑った穂乃は、最後に笹浦二高の選手たちに身体を向ける。

「今日は、ありがとうございました」

 頭を下げてお辞儀をした穂乃は、顔を上げて柚月、梓、咲、そして目の前の夏蓮に目を会わせる。

「これからはライバルとして……勝たせる気は更々ないからね」

 自信に満ちた笑顔を見せた穂乃には、夏蓮たちも同じ表情で頷いていた。

「よし、じゃあ帰って三年の練習だ。またな……今度はしっかり決着つけようじゃないか」

 最後に鋭子による強気な表情からの言葉に、笹二の生徒たちは大きな声で返事をしていた。

 筑海高校の監督とキャプテンの背中は徐々に離れていくのが目に映る夏蓮は、その二人を黙って眺めていた。二人寄り添って歩き去るその姿からは、確かな威厳と強さを感じる。

「みんな……」

 メンバーに背を向けていた夏蓮は、全身を反転させて明るい笑顔を見せていた。

「これからも、よろしくね!!」

 眩しい笑顔の彼女に、みんなも微笑んで言葉を返す。

「なによ急に……まあマネージャーとして見届けてあげるわ」

「フフフ、ちゃんと私の練習メニューに着いてきなさいよ!!」

「へっ、当たりめぇだっつーの。俺だってもっとホームラン打ちたいしよ!」

「なんか、照れ臭いっす!」

「カレリーナかわいいにゃあ!!ほっぺプニプニしてあげたいにゃあ!」

「こちらこそよろしくお願いします!!夏蓮先輩!」

「よろしく、お願いします……」

「はいはーい!!まさに、断琴(だんきん)(まじ)わりですね!!」

「勿の論!!目指すはインターハイ出場だぁ!!」

「ああ……よろしくな」

 十人十色な私のメンバーたちは、皆笑顔で答えてくれていた。最後に、一番後ろにいた田村先生と目が会うと、ニコッと笑顔を見せてくれてた。

「よーしっ!!みんなで行こう、インターハイ!!」

「「「「オーッ!!」」」」

 運命は決まっている……よくそんな言葉が使われる世界だけど、じゃあ運命は何かなんて、誰も知るわけない。運命は変えられない、変えられる……よく耳にする言葉だけど、それはどこか矛盾しているようにも聴こえる。だって、運命という結果を知らないんだから……きっと、運命という得体の知れない言葉は、私たちは使うべきではなくて、その代わりとなって現れたのが、未来という言葉なんだと思う。未来と運命は、どこか似ている表現でもあるけれど、実は大きく違っている気がする。簡単に言えば、運命とは結果のみであって、未来は運命を含めた内容なんだと思う。これから先、少なからず私たちには、相当厳しい未来が待っているはずだ。それは想像もしたくない、とても過酷で辛い日々に違いない。でも、きっと大丈夫。だって、大好きなみんなといっしょに、大好きなソフトボールができるんだから。こんな大好きずくめな環境があれば、こんな弱くて泣き虫で下手な私でも、どんな困難も乗り越えていける気がする。つまり、運命は誰にもわからない……わからないからこそ、人は毎日幸せを求めて必死に生きていく。部活だってそうだ……どんな結果が待っているかなんてわからない……わからないからこそ、私たちは努力して、私たち自身のドラマを造り上げる。予言者でもない、平凡な私たちにできることは、直向きに努力して、ただひたすら明るい未来を信じて待つことである。その方が、きっとたくさんの思い出ができるし、確かな生き甲斐を持つことができるから。

 笑顔を見せ会う最高の仲間たちには、この短い期間で固い絆が結ばれたのはもう誰もが知っており、それを祝福するかのように、人一倍喜んだキャプテンの顔に、グランドからの暖かな春風が優しく吹き付けていた。



皆様、本日もありがとうございました。引き分けという中途半端な形かと思われますが、練習試合でできる唯一の結果を書かせていただきました。

これでなんとか第一章が完結したわけですが、正直こんなに長くなるとは思ってもいませんでした。全てが終わるとき、一体何年後なんでしょうね?それは私にもわかりませんが、この物語が完成するまでは、ソフトボールファンが一人でも多くなることを夢見ながら生きて書いていこうと思います。

このお話には、今までも、そしてこれからもたくさんの人物が出てきます。それは様々な悩みを抱えた少女たちな訳でありますが、読者の皆様が共感できる人物がいると、私としては嬉しいです。

ソフトボールというマイナースポーツを舞台にした少女たちのストーリーを、どうかこれからもよろしくお願いします。

次回はお約束の合宿回で、まだ笹浦二高内のお話となりますが、今後は様々な因縁があるライバル校を出していきます。それは、元同僚を初め、あのときのバッター、違った意味でのライバル、生き別れた姉妹、そして仲間の……

相当ダイナミックなお話になりそうですが、どうか読んでいただけることを心待ちにしております。

では、また来週、新たな章でお会いしましょう。

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