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プレイッ!!◇笹浦二高女子ソフトボール部の物語◆  作者: 田村優覬
一回裏◇始まる伝統の一戦。乗り越えろ恐怖の一戦―vs筑海高校編◆
70/118

ONE for ALL , ALL for ONE

六年ぶりのプレートを踏む舞園梓であるが、筑海高校の容赦ない攻撃に圧倒される笹浦二高ソフトボール部。

左バッターにストライクがまったく入らない梓が苦しむなか、周りの仲間たちが動き出す。


 笹浦ソフトボール場へと続くアスファルトの道では、先程から身長に大きな差がある、二人の男が前後に並んで歩いている。後ろについて歩く、暑苦しい黒のスウェットを着こんだ一人は、今年で三十路を迎えるフリーターであり未だ職を見つけていない。彼の立ち振舞いも、どこか将来への不安を暗示しているかのように俯いていた。また前方で歩くもう一人のスーツを纏った老人は、若いときから学校教員として働いており、風貌は隣の男とまったく正反対の優しさが染み付いている。背中を丸めず前を見ながら歩いている老人の皺一つ一つからは、本人の優しさを見せているようだった。

「はぁ……今日は暑いなぁ。五月なのにこんなんじゃあ、今年の夏はどうなることやら……」

 二人の男が歩むなか、背の大きい大和田慶助(おおわだけいすけ)は、この晴れ渡る五月の青空を見上げながら呟いていた。今日の予想最高気温は『25℃』と天気予報で囁かれていたが、それ以上の暑さを感じながら、作業着の首もとを持って前後ろと動かしていた。

「若いのに情けないねぇ。これくらいの気温でへばっては、外では何もできないよぉ」

 スーツ姿にも関わらず、汗をかいていないどころか涼しげな表情を浮かべる清水秀(しみずしげる)は、両手を後ろで繋いで胸を張りながら歩いていた。

「さすが元監督……忙しい教員やりながら、こんな外にまで顔を出していたなんて、正直俺には無理っすよ……」

 あまりの暑さに汗とため息を出す慶助が言うと、隣で清水校長は声を出して笑っていた。

「生徒のため、子どもたちのため……そんな誰かのためと思えば、人はいくらでも頑張ることができるものだよぉ」

「ハハ……本当に御人好しなんですから……」

 一度は笑った慶助だがすぐにいつもの鋭い目付きに戻っていた。今日はアルバイトとして働いているスポーツショップのシフトが入っていない彼は、今こうやって空の下を歩くよりも、独り暮らしの狭いワンルームアパートに戻ってゴロゴロしたいというのが本音であり、清水秀からの言葉には気だるそうに返している。

 春の陽気を含んだ優しい風が二人のもとに現れると、話に一拍おいた清水校長は背中越しで慶助に声を鳴らす。

「……君だって、市民のため、平和のために頑張っていたじゃないか」

 すると、先陣を切って歩いていた清水秀には、後ろからついてくる足音が消えることに気づく。違和感を感じて踵を返すと、そこには陰鬱な表情を浮かべた大和田慶助が、下を向きながら立ち止まっていた。

「……それは、昔のことっすよ。今はこんなザマなんすから……」

 心配を隠せない清水秀が見守るなか、胸元から見える銀のネックレスを着けた慶助は、ふと顔を上げて青い空にため息を漏らす。

「……こんな思いするんだったら、警察官になんてなるんじゃなかった……」

 過去を振り返っても良い思い出が見当たらない慶助は、自分の気持ちなど関係なく晴れ渡る空に呟いていた。

 そんな慶助の左肩には、前を進んでいた清水校長の右手がそっと置かれていた。目線を空から正面に変えた慶助には、優しく包み込むような清水秀の微笑みが映る。

「結果的には、君は正義を貫き通したんだ。それで一人の人間を救うことだってできたんだ……もう少し、胸を張ってもいいんじゃないかい?」

 笑顔で語りかける元担任に、慶助は返す言葉が見つからず再び下を向いてしまう。すると左肩にあった温かな感触は無くなり、見えていた革靴が爪先から踵へと変わっていた。

「まぁそんなに落ち込むことはないよぉ。ほら、うちの生徒たちが頑張る姿でも見て、元気を出しなさい……」

 背中越しでそう言い残した清水が再び前を歩き出すと、ズボンのポケットに両手を突っ込む慶助は暗い顔を前に向けて、再度清水秀の背中を追っていった。

 太陽に照らされながら歩く二人は徐々に目的地へと近づいていき、笹浦総合公園ソフトボール場の一塁ベンチが見えてくる。まだ球場までそれなりの距離があるなか、生き生きとした元気な女子高校生の声が聞こえており、それは距離感を失わさせるほどだった。 球場の様子を眺めながら歩く二人はやっと一塁ベンチの近くまで来ると、そこには悩ましい表情を見せながら試合を観ている泉田凉子(いずみだりょうこ)が立っていた。ソワソワ感を見せる彼女を見る清水校長は、安らかで温かな笑顔を向けながら口を開ける。

「やぁ凉子ちゃん。試合の様子はどうだい?」

「はっ!!校長先生!!たいへんなんです!!」

 ふと清水たちに振り向いた凉子の顔は、目の前の出来事を助けてほしいと言わんばかりの表情を見せており、傍にたどり着いた秀と慶助たちを驚かせていた。彼女が一体なんのことを言っているのかわからない大人の二人は、その一塁ベンチの後ろから、現在行われている練習試合の様子と、三塁ベンチの方にあるスコアボードを覗き始める。

「へぇ~、勝ってんじゃん」

 意外なことが起きているといて喜ばしい様子の慶助が、最初にスコアボードを見て言っており、その錆び付いたボードには、左端の欄には笹浦二高と筑海高校の名前が上下に並んでおり、一回から七回までに様々な数字が白のチョークで書かれていた。そして一番右端の欄には、その合計得点が記載されており、上には『8』、下には『7』と書かれていることから、現在は笹浦二高が一点リードしていることがわかる。筑海ベンチの選手が首からぶら下げたカウント表示もワンアウトを示しているのが見てとれて、親友の田村信次(たむらしんじ)が率いる笹浦二高の勝利は目前としていた。

 しかし慶助とは逆に、清水校長と凉子はこの状況を心配そうに見つめていた。二人の視線は同じく、ピッチャーズサークル内で投球動作に入る舞園梓(まいぞのあずさ)へと向けられている。ランナーは満塁の状態でありバッターは八番を迎えていた。

 バシッ!!

「ボール!!」

 梓の投げたボールは、左バッターから大きく離れた右打席の上を通り過ぎており、キャッチャーの中島咲(なかじまえみ)が手を伸ばして何とか捕球する姿が見られる。

 苦い表情を見せ続ける凉子は、なかなか投球が定まらない梓を見ながら口を開ける。

「この回……アウトは一つ取れたんですけど、左バッターが出てきてから連続四球……ストライクが一球も入らないんです……」

 悩ましく話す凉子の言葉には、清水秀の表情がより険しくなっていた。状況はワンアウト満塁となっており、一打逆転の危機に追い込まれている。先程代打で登場したバッターも結局フォアボールとなってしまい、塁にランナーを貯めてしまっていた。そんな梓が六年前に当ててしまったのは左バッターであり、そんな彼女にはまだ左打者への恐怖心、トラウマがあるのだろう。その場で監督として見ていた秀ならよくわかっていた。

 再び立ち上がることに成功した梓に対して、清水は現実の残酷さを痛いほど感じながら眺めていた。

 バシッ!!

「ボールツー!!」

 ジャッジをする学生審判の前で、今度は咲が立ち上がって捕球しており、ボールカウントは再び増えてしまう。このままでは押し出しの同点となってしまうと思った清水は、先程まで慶助に見せていた笑顔がまったく無くなっていた。

 傍にいる二人とは違って、勝っていることに意識を向けていた慶助は不思議に思えていた。

「……別に勝ってんだから、まだそんな心配しなくてもいいんじゃねぇか?ほら、ゲッツーとかもあるわけだからよ……それにもう一点取られたってまだ同点だ。次の八回で点を取ればいいことだろ」

 慶助の平然とした発言を聴いた凉子は、次の瞬間彼に右人差し指を向けていた。

「アニキさん、浅い!!何もわかってない!!」

 弁護士のように振る舞う凉子の言葉から、まるで自分の考えが浅はかであるかのように感じた慶助は、一度驚いて固まってしまう。

「……な、なんでだよ?」

 困った顔を見せる慶助は、目の前の年下の少女に論破されることを危惧しながら耳を傾けていた。すると、目の前の凉子は一度小さなため息を漏らして、試合状況を見ながら説明を始める。

「ソフトボールは、野球とは違って七回が最終回……要するに、この場面で二塁ランナーが生還してしまえば逆転サヨナラ負けなの……」

 冷静ながら重苦しい言葉を放つ凉子から、慶助は勘違いしていたことに気付いてハッと驚く。いくら自分がスポーツ用品店で働いているとは言っても、多くのスポーツの細かいルールなど知らなかった。それにマイナースポーツとも称されるソフトボールに関してはまったく知らない。まさか、野球のように九回までやらないとは……

 驚きを隠せず凉子を見ている慶助は、固唾を飲んで彼女の言葉を待っていた。

「それにソフトボールは、野球のように塁間が広くない……一度は四六三のゲッツーはあったけれども、あれはセカンドとショートが二塁に寄ってゲッツーシフトをとってたし、打球もそれなりに速かったからできたようなもの。でも、前進守備を張ったこの状況ではまずそれは無理……ホームゲッツーなんてなかなか無いから、正直ダブルプレーは難しい。それに、きっとこの回、相手の筑海高校はまず一点を取るためにあらゆる手段を使ってくるに違いない……それはエンドラン、スクイズ、外野への犠牲フライ、ピッチャーに揺さぶりをかけてフォアボール狙い……相手にとっては手段が有りすぎるぐらいよ……」

 唇を噛んで悔しさを露にする凉子は、プレート上で汗を流しながら厳しい表情を浮かべる梓を見ながら言っていた。その言葉からは、まったくソフトボールを知らない慶助にとっても、笹浦二高は今、絶体絶命のピンチであることが伝わっていた。

「……で、でもよ……何とか同点でくい止められれば、延長戦にもっていけるじゃねぇか……そうすれば、信次たちの勝つチャンスだってあるわけだろ?」

 動揺を見せる慶助からの質問に、試合を眺める凉子は静かに首を左右に振る。

「これは練習試合……引き分けで終わりだって考えられるわ。仮に延長戦に入ってタイブレークをかけたとしても、今の笹二が、選手層の厚い筑海に圧倒するとは思えない……それに怪我人を出しているから、きっと試合はこれで終了するに違いないわ……」

 重鎮な様子で口を動かしていた凉子の言葉に、慶助はふと疑問を抱いて笹浦二高のベンチを覗く。そこには背中を向けた信次が立っており、そのすぐ隣のベンチでは、左手に氷水の入ったポリ袋を載せた背番号『1』の背中が見えた。

「け、怪我ってマジかよ!?早く病院に連れてってやった方が……」

 焦る慶助であったが、しかし、その言葉は誰にも届いていないようで、ベンチの中にいる者も含めて、すべての関係者たちは試合に没頭していた。

 凉子の隣で同じようにグランドに顔を向ける清水秀も、何度か悩ましいため息を漏らしている。そして凉子の言葉に付け加えるように、慶助へと言葉を贈る。

「要するに、あとアウト一つの取り方が重要だねぇ……」

 普段は見せない暗い顔をする秀からは、慶助を自然とグランドに視線を移させる。勝っているのにピンチ……いや、勝っているからこそピンチなのだろう。この最終回、一体どうなるのか……怪我も心配だが、ここは黙って見届けてやろう。

 ベンチ外からの三人の視線が送られるなか、試合は止まらず動いていた。八対七と一点リードをしている笹浦二高の守備からは、プレートに向けて大きな声が放たれているが、セットをする梓には届いていなかった。ワンアウト、ツーボールからの投球で静止する梓は、今は自分のことで頭がいっぱいだった。ここまで三振が一つと二連続の四球……そして暴投からの二失点。いくら自責点に繋がらないとしても、この投球内容では自分の責任が感じてしまう。私は一体何をしているんだ……これじゃ、みんなに迷惑をかけているだけじゃないか。リリーフとして登板した自分が恥ずかしい……

 ここまで左バッターに対してまったくコントロールできていない梓は、八番の左打者に第三球目を放るためウィンドミルの動作に入る。六年前と同じフォームを見せながら、左手を後ろに引いて重心を低くし、右足の発射と共に左腕を回しながらプレートを蹴る。勢いがついて風車のような回転を見せる左腕は、右手のグローブが右太股に叩かれると共にブラッシングをしてボールを放つ。

『入れっ!!』

 自身の気持ちを乗せた三球目は放たれとても速いボールが投げられる。キャッチャーとして構える中島咲へと向かっていくなか、突如咲はハッと目を見開いてしまった。


 ドンッ!!

『『『『!?』』』』

『っそ!?……そんな……』


 笹二ベンチの信次、怪我をしてしまった月島叶恵(つきしまかなえ)、その隣で膝元にスコアブックを広げる篠原柚月(しのはらゆづき)を含め、笹浦二高の選手たちは皆驚きを隠せずに、ボールが転がるホームを見ていた。そのなかでも、あまりの驚きで絶望的な表情を見せる梓は、最初の勢いを完全に消した弱気な顔をしていた。

 梓の放ったストレートは勢いはあったものの、左バッターへと一直線に進んでいってしまい、避けようともせず背中を向けた打者の腰付近に当たっていた。

 デッドボールを受けたバッターは、当てられた場所を手で撫でていたがすぐにガッツポーズをしながら一塁へと向かっていき、ベンチからは大歓声が起きていた。

「ッシャアー!!同点だぁー!!」

 八番バッターへのデッドボールで押し出しから、筑海高校に再び一点が加えられる。三塁ランナーの、無情にも音を立てるホームインで八対八と、またしても追いついた筑海高校の選手たちは、お祭り騒ぎのようにバッターランナーに声援を送っていた。

 状況は変わらずワンアウト満塁。あと一人ホームに生還すれば筑海高校の逆転勝ちという場面で、笹浦二高の雰囲気はとてもどんよりとしていた。目の前の勝利のために頑張っていた選手たちは、もう試合が終わってしまったかのように俯いており、ピッチャーへの声援は消えかかっている。

 そんな中でも、キャプテンの清水夏蓮(しみずかれん)は、ライトから必死に声を出しているが、誰も続いて出そうとしない。

「ピッチャードンマーイ!!みんなも声出してー!!」

 グランド上は夏蓮の弱々しい声が響くが、すぐに筑海ベンチからの声援にかき消されてしまう。そんな……みんなは諦めちゃったの?確かにピンチだけど、まだ負けていないのに……やっぱり、私たちじゃ、勝てないのかな。

 周りの空気に促される夏蓮もついに下を向いてしまっていた。

 咲からの、切り換えていこう、という言葉を受けながらボールを貰った梓。しかし、彼女は誰よりも陰鬱な表情を浮かべながらプレート上に立つ。

『……全部、私が悪いんだ……』

 俯いて目の輝きを失った梓は、目の前の出来事は全て自分のせいだと己に言い聞かせていた。私が来たばかり、みんなはとても嫌な思いをしているだろう。だって、勝てるはずの試合が今消えてしまったんだから……私を迎えてくれたときはスゴくうれしくて、このチームならやっていける思ったけど、私という存在がある限りこのチームはダメになる。叶恵に任せてと伝えた自分がフォアボールの連続……明るかった一年生たちの笑顔を奪って……ソフトボールを初めてやる二年生の楽しさを台無しにして……夏蓮や柚月、咲だってこんな試合を望んでいないはずだ。こんなことになるんだったら、私はここに来るべきではなかった。いっそのこと、練習試合を中止にしていた方が良かったのかもしれない。やっぱり、私はやるべきではなかったんだ……

 虚ろな目をする梓の前には、すでに相手のネクストバッターが立っており、九番の左バッターが起用されていた。梓はやっぱり左かと思いながら、咲からのサインをテキトーに眺めていた。どうせ次だってストライクは入らない。恐らく暴投でもしてサヨナラ負けだ……でも、これで私はハッキリしたことがある……それは、私の前に立ちはだかる壁は、とても厚く硬くて、私なんかの人間がどうこうできるような代物ではないということだ。ありがとう、みんな……これで私は、晴れてソフトボールを諦めることができそうだ。長い呪縛から解き放たれて、さぞ楽しい未来が待っているだろう。そう、この試合が私のラストゲームだ……

「フッ……」

 セットに入る梓は一度鼻で笑っていたが、笑顔とは到底離れたものだった。深呼吸もせずにゆっくりと左腕を回し始め、ステップを踏んでボールを投じる。すると、梓にはスローモーションに見えるストレートは、徐々にストライクゾーンからかけ離れていき、右バッターボックスへと向かっていた。バッターがいればまた当たっていたかもしれない……いや、それ以上に高く浮いたボールは進んでいき、梓の頭には再び暴投という文字が浮かんでいた。

『ほら、やっぱり……』

 まったく自分の予想通りとなったボールを、にやつく梓は生きているのかを問わせるような沈んだ目で、ソフトボール人生のラストボールを追っていた。


 バシッ!!

「!?」

 ズシャッ!!


 これで全てが終わったと思っていた梓は、目の前の状況に驚いている。自分の投げたワイルドピッチのボールは、飛び付いた咲の持つファーストミットに収められていた。捕球して地面に叩きつけられた咲だがすぐに起き上がり、ボールを右手に持ちかえる。飛び込みの勢い外れたマスクのせいで彼女の表情はよく見えており、その顔は普段笑顔でいる咲とは別人で、鬼のような恐ろしい顔をしていた。今にも投げそうな彼女の先には三塁ランナーがおり、鋭い視線を送って牽制しているのがわかり、結局ランナーは進塁せずに戻っていた。

 ドヨメキが声に出ている筑海ベンチからの音で場に拡がるなか、咲は下を向いていた。

「タイム……お願いします……」

 チームの元気印から放たれた声はとても小さくて低く、なかなか聞き取りづらいものだったが、主審は少し間を空けたあとにタイムのジャッジをする。すると、足元を見ながら歩きだした咲は、ゆっくりとピッチャーズサークルへと向かっていた。ライトにいる夏蓮は、きっと落ち着かせようと声をかけるのだろうと思っていたが、梓の目の前に立ち止まった咲は、ボールをミットのなかにしまった刹那、怒りの表情で顔を上げた。


 ペチッ……


 もはや試合に入り込めていない様子の笹二部員たちは、その乾いた音がなったピッチャーズサークルをすぐに見ていた。恐い表情の咲の右手は左へと振られており、その勢いで梓の顔がその右手のひらを追うように首を曲げている。

「え、咲ちゃん!?」

 ライトから驚きを声で表す夏蓮は、すぐに走り出して二人のもとへ全力疾走をする。どうしてこんなことするの……梓ちゃんに暴力なんて、一体何があったの?

 すぐにピッチャーズサークルに駆けつけた夏蓮は、咲に平手打ちされて地面に尻餅を付く梓の隣で座る。

「梓ちゃん大丈夫!?」

 突然の事件に困惑した様子の夏蓮は、梓の両肩に手を置いていた。平手打ちをくらった梓の左頬は赤くなっているのがわかり、打球が直撃した叶恵ほどではなかったが、そこからはジンジンと痛みが伝わってくる。最高の絆で結ばれた仲間たちがどうしてこんなことをするのか、まったく理解できない夏蓮は、目の前で歯を噛み締めている咲に目線を移した。

「咲ちゃん!!どうし……」

「私言ったよねぇ!?」

 困った様子で話した夏蓮の言葉尻をかぶせるように、下の梓ではなく足元を見る咲が、大きな声で怒号をあげてグランド中に広める。周りの選手たちにもその声はもちろん聞こえており、夏蓮たちのもとに行きはしなかったが神妙に顔を傾け始めていた。

 座り込む梓と夏蓮の前に、大きく立ちはだかるように見せる咲は眉間に皺を寄せた顔を見せて声をぶつける。

「全力で投げなきゃ、許さないって!!今のボール、それに梓のフォームの動き、メチャメチャ遅かった!!今は結果よりも内容が大切なの!!たとえ勝利が無くなったからって、こんな気の抜けた投球をしていい訳じゃないっ!!」

 咲の声を間近で聴いていた夏蓮と梓には、最後に下を向いた彼女の声が震えているのがわかった。咲ちゃんはきっと、梓ちゃんが投げた棒球に対して怒っているのかな。言われて見れば、確かにボールはさっきよりも遅くは見えた。それに中学からバレーボール部をやってきた、咲ちゃんの練習試合に対する姿勢は最もだ。練習試合とは、もしかしたら勝つことも大切なんだろうけど、それ以上に全力で取り組むことが必要であって、自身の能力向上に繋げていって、この経験を生かして公式戦に臨むためのものだ……でも、だからって殴らなくてもいいのに。いくらなんでも暴力はダメだよ……

 足元を見て悔しそうに白い歯を見せるキャッチャーだが、その口許はなぜか震えており、その横にタラっと一粒の滴が流れ込んでいた。


「……そんな梓、もう見たくないよぉ……」


 涙を堪えきれず地面に落とす、呼吸を整えられない咲の様子から、キャプテンの夏蓮はその気持ちをやっと理解することができた。咲ちゃんの気持ちは、私も同じだ。六年前、柚月ちゃんがキャッチャーできなくなってから代わったのが咲ちゃんで、そのときからの梓ちゃんはどこか手加減をしているように投げていた。ボールをミットに当てるだけで精一杯だった咲ちゃんに気を遣ってか、わざとスピードを抑えて投げていたんだろう。その結果、秋の大会でのデッドボール……再びキャッチャーとして始めた咲ちゃんは、そんな梓ちゃんにまた手を抜いてほしくなかったんだ……いや、それだけじゃない。私たちの揺るぎないエースに、こんな弱気なピッチングをしてほしくない。勝っていたって、負けていたって、どんなに苦しい場面でも全力で投げてきたのが舞園梓だ。そりゃあ全盛期とは心持ちは変わっているけど、そんな梓ちゃんには堂々と投げてほしい。結果はどうあれ、うちのエースには胸を張っていてほしい。

「咲ちゃんの言うとおりだよ……」

 目の前で涙を溢す咲を見ながら夏蓮は呟き、梓の肩を強く握りしめていた。それに気づいて梓は顔を夏蓮の方に向けると、同じようにキャプテンも振り向いて優しい表情を見せる。

「梓ちゃんの苦しみ……それは私たちには到底味わえないものだと思う。でも、だからって私も梓ちゃんの弱気な姿は見たくない。一緒に乗り越えていこうよ……元同僚なんだからさ」

 最後に目と口を横に伸ばした夏蓮の表情に、梓はハッと気づいたように目を開ける。私は、私の壁を一人で撃ち破ろうとしていた。一人がダメなら、二人で、二人でダメなら三人で、それでもダメなら四人で……

 ふと、さっきまで絶望していた梓の目には光が灯しだす。私の苦しみは、スターガールズのみんななら知っている。だからこそ、この悩みは夏蓮、柚月、そして咲たちといっしょに乗り越えていくこともできるんだ。どうして私は、いつも失敗してからわかるんだろう……そうだよね……私には、最高の絆で結ばれた仲間がいるんだ。

「ありがとう、夏蓮……え、咲も」

 最初にこの試合に臨んだときと同じ顔をする梓は、最後に下を向いて目を合わせない咲を見ていた。彼女は右腕の裾で涙を拭い、殴ってゴメン、と小さな声で言い残し、持っていたボールを地面に落として背中を向ける。

 再びキャッチャーとしてホームベースに、下を向きながらゆっくりと歩みだした咲。目に輝きを取り戻したものの、咲の態度に申し訳なさが募る梓。二人が和解できていないことに残念がる夏蓮。そんな嫌な空気で終わらせてしまった三人のやり取りは、もちろん周りの選手たちも見ていた。


「あ~あ、この試合、負けちまうんじゃねぇか?」


 静まり返った笹浦ソフトボール場のサード方向から、あえてみんなに聴かせるような発言が起こる。笹二のみんなが顔を向けるなか、その場所には牛島唯(うしじまゆい)が、ニッと口を伸ばして腕組みをしていた。

「そう思うよなぁ東條(とうじょう)?」

「え、ええっ!?な、なんでそんなこと言うんですか!?」

 首を左に曲げた唯が明るいトーンで発すると、言葉を受けたショートの東條菫(とうじょうすみれ)が驚いて言い返していた。

「牛島先輩、空気読んでくださいよ!!まだ諦めてはいけないところですよ!?」

「いや~だってよ~、経験者がこのザマだぜ~。こんなんじゃ、負けて当然だろー!仕方ねぇなぁ……」

 ユニフォームの半ズボンを腰パンさせハイネックの長袖アンダーを着こんで、顔と手以外の素肌を一切見せていない唯は、この笹浦二高に在籍する経験者の二年生たちを見て、呆れたように鼻で笑っていた。それはベンチにいる信次たち、そして外にいる三人の観戦者たちも唯に目を向けており皆、彼女がどうしてそんなにも話しているのか理解できなかった。

 なかでも梓のそばにいたキャプテンの夏蓮は、そんな唯の姿を見て顔を暗くしていた。もしかしたら、私たち嫌われちゃったかな……それもそうだよね、あの唯ちゃんだって、一度は叶恵ちゃんに殴りかかろうとしていたけれど、結果的には手をおいて和解までしてくれた。それに引き換え私たちは、ビンタはするわ嫌な雰囲気まで作るわ……もうダメダメだよね。

 この試合を諦めると言っているような、未経験者のなかでもリーダーのように振る舞ってきた彼女は、微笑みを浮かべながらピッチャーズサークル付近の梓、夏蓮、咲、そして彼女たちを越して見える一塁ベンチの柚月と叶恵たちの方を見て口を開ける。


「こっからは俺たち素人が、アイツらの背中を押してってやろうかぁ」


 上目遣いの唯の言葉は、みんなを一度驚かせていたが、唯をこよなく尊敬するファーストの星川美鈴(ほしかわみすず)、あまり感情を面に出さないセカンドの菱川凛(ひしかわりん)、いつもおチャラけているが今のところは静かに黙りこくっているレフトの植本(うえもと)きらら、一応経験者ではあるが夏蓮たちのようにボロを出していないセンターのメイ・C・アルファード、そして唯の隣で言葉を受けて一年生の中でもまとめ役であるショートの菫たちには、自然と笑顔に近い表情が浸透していく。

 すると、唯はまずファーストに顔を向けて、一度は飛び込んで腹に泥をつけた美鈴に微笑みを見せていた。

「おーい美鈴!!もっかい気合い入れ直して、精一杯やれよー!!」

「う、うっす!!」

 明るい唯の言葉には、美鈴も笑顔を見せて答えており、顔を赤くしてはいるがファーストミットの芯をバシバシと叩いて気合いを入れ直していた。

 大切な後輩である美鈴に元気が戻ったのを確認できた唯は、今度は後ろを振り返ってレフトにいるお嬢様の様子を伺う。

「おーい、きらら!!元気が無いなんてお前らしくねぇぞー!!いつものでっかい声で盛りたててくれなー!!」

「フフフ、あったり前にゃあ!!」

 きらびやかな笑顔と右手の親指を立てて見せるきららは、学校にいるようないつもの明るく煩いチャラ娘に戻っていた。唯に向けられた笑顔はすぐに首を曲げて別の方角を指しており、センターにたたずむ金髪の幼女にそのまま向けられる。

「ほらほら、メイシーも声出すにゃあ!!メイシーは背がちっちゃいんだから、せめて声だけでも大きくしなきゃダメにゃあ!!」

「ああー!!キラちゃん先輩、それどういう意味ですかー!?私だってあと一年経てば、キラちゃん先輩のようなナイスバディになって見せますからねー!!」

 目を閉じて聴けば怒っているような口調のメイではあったが、その顔は無邪気な子どものように笑っている。試合とはまったく関係ない話を繰り広げる二人ではあったが、そこには元気と明るさを取り戻しているのがわかり、晴れ渡るグランドに声が行き渡っていた。

 二人のバカバカしい話を耳にして笑う唯は、隣で温かな微笑を見せている菫に顔を向ける。

「牛島先輩……」

「まあ、そういうこった。お前も、素人らしくガムシャラにやっていこうや」

 両手を腰に添えて、最後に白い歯を見せてニッと口を伸ばす唯を見て、笑顔の菫は、はい!、と意気込んで頷いた。きりっとした強気の表情を見せ始める菫は、体ごと左に向けており、セカンドにいる妖精に目を向けていた。

「凛、私たちもいっしょに頑張ろう!」

「うん。菫といっしょなら何も怖くない。夏蓮先輩たちのためにも、私たちが背中を押してあげよう」

 菫だけに見せてきた温かな笑顔を浮かべる凛が言うと、最後に菫はもう一度頷いて右拳の甲を見せてのガッツポーズと、ニッと横に伸ばした口を見せていた。

 明るく和やかな空気が戻る笹浦二高。そんな空気に囲まれている夏蓮と梓、そして咲たちの心を動かしていた。


「こらぁー!!咲ー!!」


 ふと一塁ベンチから飛び出した叫び声に、キャッチャーの咲は顔を向ける。するとそこには、ベンチの策から今にも飛び出そうとしている叶恵がおり、練習でよく見せてきた厳しい表情をしていた。

「アンタが元気無くて一体どうすんのよ!?太陽がそんな下ばっか向いて泣いてたら、育つ花も育たないでしょうがー!!」

 最後に叶恵は強気ながらも頬を緩めていたのが見える。自分のことを太陽と称してくれる叶恵には、咲も自然と温かな笑顔を見せることができた。そうだよ。私たちはこんな喧嘩をしたかったんじゃない。わざわざバレーボール部を辞めてここに来たのは、梓や柚月、夏蓮たちと……いや、それだけじゃない。ここにいるみんなを含めて楽しいソフトボールをやりたかったからだ。ありがとう叶恵ちゃん。私、これからも元気だして頑張るから!!

 一度右裾で両目を擦ってきりっとした目を見せる咲は、背中を向けていた夏蓮と梓たちに振り向く。今度は下を見ず、彼女たちと目を合わせていた。

「みんな、梓のことを応援してくれている。だから、テキトーにやっちゃダメだよ。勝ちは無くなったかもだけど、残りのアウト二つ……全力で取りにいこう!」

 さっきと違って言い聞かせるように優しく言葉を紡ぐ咲に対して、梓とその隣の夏蓮は微笑んで首を縦に振ることができた。

「咲……ありがとう」

「さっきはビンタしてゴメンね……テヘッ」

 立ち上がる梓からの言葉に、舌を出して眉をハの字に変えて咲が答えると、再び背中を向けて去ろうとするが、今度は駆け足でバッターボックスに戻るのが見えた。

 ピッチャーズサークルに残された夏蓮と梓は、お互い見つめあって頷きを見せていた。

「あとアウト二つだよ。切り替えていこう!」

「ああ。心配かけて済まない……」

 笑顔のキャプテンに答えた梓は、ふと左手で握りしめたボールに目が行く。その白球からは今まで以上に重さを感じながら眺めていた。

「みんなの想いが載ったボール……投げられるかな?」

 微笑みをみせながらもどこか心配した面立ちの梓だが、隣で聞いていた夏蓮は温かな眼差しを送っており、梓の左手を両手で優しく包む。

「梓ちゃんなら……ううん、責任感ある梓ちゃんだからこそできるよ!」

「夏蓮……ありがとう」

 梓の左手を離した夏蓮は、すぐに走り出してライトへと駆けていく。もう私たちは、ただの愛好会程度のものなんかじゃない。みんなは一人のために、一人はみんなのためにって、最後まで頑張る心を持っていてくれる。それは決して形だけではなくて、奥底の芯まで行き届いたもので、確かな野心だよ。もう、ただの部活動だよ。

「みんなぁ~!!最後まで頑張ろうねぇー!!」

 ライトに着いた夏蓮から放たれた言葉に、みんなは顔を向けて頷き応答する。それに続くように、監督である田村信次はベンチから片足を出して、手のひらをメガホン代わりにして笑顔を見せていた。

「よーしっ!!あとアウト二つだぞー!!かがやけー!!笹二ファイトー!!」

「それは円陣だろうが!!一人でやってどうすんだよ!?」

 信次の大きすぎる声がみんなに届くなか、サードの唯は怒号のような突っ込みを入れると、信次は頭を掻きながらうれしそうに笑っていた。

「いやぁこの言葉、僕なんか好きでー」

 安易に口にする信次を見て、唯は一度舌打ちをして腕組みをしてみせる。

「フン……もうお前は輪に入れねぇからな!!きららにベタベタ触りやがって!!だから男は信用できねぇんだよ!!」

「そ、そんなぁ!!無実だ!!そんなつもりはまったく無いのにー!!」

 一気に悲壮な表情に変わってしまった信次は、右手を広げて唯に今後の円陣枠に入れてくれと懇願していた。

 どこかのお笑い芸人のように騒ぐ二人の間には、梓がポカンとして立っていた。応戦しあう二人の顔を、首を何度も振って見ていると、ふと恐ろしい顔をした唯と目が合う。それにハッと気づいた様子で目を大きく開けた唯は、梓に向けて白い歯と片目を閉じてウィンクをして見せた。それは完全にひきつっていて、上手いとは言えるものではなかったが、梓はそれ以上に安らぎを覚えていた。ありがとう唯……唯のおかげで、私は大切なことを思い出せたよ。一人じゃない……いや、四人だけでもない。この笹浦二高ソフトボールに関係する全ての人と共に、私は投げていくから。みんなには申し訳ないけれど、どうか私の壁を、みんなの力といっしょに乗り越えさせてほしい。


 元気が戻った笹浦二高の様子は、ベンチの外にいる清水校長、泉田涼子、そして大和田慶助にも伝わっていた。今日の太陽のように明るいグランドからは、三人もホッとした様子で見守っており、外にいながらもどこか心地よさが生まれていた。

「はぁ良かった~。咲ったら、とんでもないことするんだから……」

 軽くため息をついた涼子は、この前までずっと共に過ごしてきた咲を見ながら言っていた。バレーボール部でもビンタなど他人に暴力を奮ったことがない咲が、まさかこんなところでするとは……でも、周りと打ち解け合うことができてるからこそ、みんなの前で素直に自分の想いをぶつけられるのかな。何はともあれ、大事に至らなくて良かった。

 バレーボール部から離れた咲には、少し寂しさを感じている涼子だったが、今こうして目の前でイキイキと再びソフトボールをやっている姿を見て、幸せすら感じてながら温かな視線を送っていた。

「へぇ~なるほどねぇ……」

「ん?どうした慶助?」

 グランドを眺めながら独り言を漏らした慶助に、隣の清水校長が問いかける。

「え?あ、いや……あのサードのやつ、なかなか良いこと言うなぁと思ってよ……」

 顎を右手の親指と人差し指で挟む慶助は、どこか自分と同じ風貌にも見える笹二のサードを見ていた。例え能力が無くても、上手いやつへの応援はすることができる……そんなメッセージ性を感じた、今年で三十路のフリーターは更に彼女の顔を眺めていた。長い黒髪で周りのやつらと比べて背が高く、口調は荒っぽいが堂々とした立ち振舞いでいる……そして顔つきはどこか怖さも感じるが……

「ん!?」

 驚くように目を大きく開けた慶助は、顔をネットにギリギリに近づけ始め、サードのヤンキー風女子高校生に目を凝らしていた。もしかしてと思いながら、慶助は次の瞬間首を一気に曲げて、後ろにいる清水校長に真面目な顔を見せつける。

「ねぇねぇ先生!!」

「どうした?そんな血眼にして……」

「あのサードのやつ、名前わかります?」

 ショートと話し合っているサードに指を指して、どこか焦りを見せる慶助には、清水校長は彼に呆れた様子でおり、一度ため息をついていた。

「あの子は確か……唯ちゃん……そうだ、牛島唯ちゃんだよ」

「う、牛島……そ、そうっすか……」

 一気に熱が冷めていく慶助だったが、どうしても気になるのかもう一度サードの唯を見ていた。

「そっか……違うか……似てると思ったんだけどなぁ……」

「誰とだい?」

「あっ、いや、何でもないっすよ!!ハッハッハ~……」

 清水校長の言葉に振り向いた慶助は、疑わしい視線を送る元担任の姿が映ってしまい、場を濁すように苦笑いをしていた。

 すると、二人の傍で聴いていた涼子も不思議に思い、便乗して慶助に、疑わしいにやついた顔を向ける。

「もしかしてアニキさん、唯ちゃんに惚れちゃったの~?」

「ばっ、バカ、そんなんじゃねぇよ!!俺ロリコンじゃねぇし!!」

「はっはぁん……」

「……お前、信じてねぇだろ?」

「だって、アニキさんだもん!」

「さっきまではピュアとか言ってたくせに……」

 人を小バカにするような態度の涼子には、慶助は怒りの拳が震えており、この小娘がぁ、と闘志を燃やしていた。だが、その炎はすぐに消えてしまい、再びネット越しで牛島唯の顔を覗く。やっぱり似ている……あの人に……

 練習試合の始めは一番遠くで見ていた慶助。それが今、右手で銀のネックレスを握りしめながら釘付けになっている。そんな彼の様子を目にした秀と涼子は、首を傾げて不思議に思いながら見守っていた。


「しまってぇ~、いこぉーーっ!!」

「「「「ッシャー!!」」」」

 

 辺りを揺らすような咲の声に続いて、守備人たちの気合いが入った声が返ってくることで試合が再開される。状況はワンアウト満塁。バッターは九番の右バッターの順ではあるが、ここで相手監督の宇都木鋭子(うつぎえいこ)は代打を投入しており、梓の苦手とする左バッターがベンチから出てくる。登場したバッターは打席前で何度か素振りをして、お願いします!!と叫んだあとに左打席に入った。

 ゲームが再開されて勝利を目前としている筑海高校のベンチは声が止まずに応援が続くなか、ネクストバッターサークルに一番のキャプテン、花咲穂乃(はなさきほの)がヘルメットとバットを持って向かおうとしていた。

「おい、花咲……」

「はい!」

 試合の様子を恐い顔で見る宇都木からの一言に、穂乃はすぐに監督の右横で立っていた。

「あのピッチャー、お前の知り合いなんだよな……」

 恐ろしさすら感じる低い声で話す鋭子に、穂乃は少し身震いを感じていた。

「は、はい!でも、だからって手加減はしません!!」

 強気の表情を浮かべる穂乃は、そのままプレート上にいる梓へと視線を移していた。ゴメンね梓。またこうして、ソフトボールをやりに戻ってきてくれたのはうれしいんだけど、今私は筑海高校のキャプテン。六年前みたいな仲間ではない。これからはライバルとして、精いっぱいぶつかっていくから……

 凛とした表情でいる穂乃は、コントロールに苦しむ梓を見ていた。

「なあ花咲……」

「はい!」

 穂乃の表情は再び鋭子に向けられ、ピシッとしながら話を聴いている。

「お前に打席が廻ってきたとして、お前は何を狙う?」

 グランド顔を向けながらも、隣の穂乃に横目を向ける鋭子に、キャプテンの風格を持つ穂乃は口を開く。

「はい。状況としてはツーアウト満塁。ボールは力強いですのでヒットを狙うのは難しい。しかし、左バッターへのコントロールに苦しむ梓ですから、ここは揺さぶってフォアボールを狙おうと思います!」

「ほう……なるほど」

 真剣に言葉を発した穂乃に対して、厳格に呟いた鋭子だった。

「フフフ……」

「え、監督?」

 しかし、鋭子はすぐに頬を緩めて笑っており、真面目に答えたはずの穂乃をキョトンとさせていた。私、なにか変なこと言ったかな……おかしいなぁ……

 笑いが止まない鋭子を見て、ネクストバッターの穂乃は疑念を抱いていた。

「あの……私何か間違ってますか?」

「フフ……いや、まったくの正論だ。ただなぁ……」

 依然として笑い続ける宇都木は、グランドに向けていた笑顔を穂乃に向ける。


「……お前、相手ピッチャーじゃなくて、梓って答えたよな?」


 宇都木の笑いながらの一言に、穂乃はふと目を大きく開けていた。私は、無意識のなかでまだ梓を相手として見ていなかったのか……そうか、まだ私は笹浦スターガールズのキャプテンとしての心が残っているのかもしれない。来年、筑海高校のキャプテンに指名されている私の未熟さを、監督はたった一言から見抜いたんだ。

 驚きで自身の想いに耽る穂乃は、立ちすくんだまま固まっているが、ふと自分の左肩に温かな感触が走る。目に映っていたのは、監督である宇都木鋭子の右手が伸ばされており、威厳を持ちながらも頬を緩めている姿だった。

「監督……」

「花咲……ここでお前に打順が来るなんて、なかなか運命的だと思わないか?」

 普段見せない優しい顔を見せる鋭子に、未だヘルメットをつけない穂乃は棒立ちして黙っていた。

 すると、座っていた鋭子は立ち上がり、腕組みをして穂乃を見下ろす。

「いい機会だ。この打席は、筑海のキャプテンとしてではなく、元同僚、元スターガールズのキャプテンとして打席に立ってこい。もちろん手加減はするなよ……しかし、揺さぶりなんてしたって何の面白みもない。だから正々堂々とバットを振っていけ。それでこの打席を終えたら、晴れて筑海の一員として返ってこい……いいな?」

「は……はい!」

 強気を無くした晴れやかな笑顔で答えた穂乃は、ヘルメットを深く被りネクストバッターサークルへと向かっていく。監督は、私に最後のチャンスをくれた……それは、私が梓の親友として立ち直らせること。バットで答えてあげよう……梓のボールはスゴいって……

 穂乃を見送って再び着席した鋭子は、プレート上でセットの構えに入ったピッチャーの姿を見ていた。やっぱり、ソフトボールとは面白いスポーツだ。どうしてこんなにもドラマチックなスポーツがマイナースポーツなのか、私にはまったくわからない。さぁ頼むぞピッチャー……せっかくチャンスを与えてやったんだ。無駄にしたら、もう助けの手なんて差し出さないからな……

 監督として強気の表情に戻る宇都木の前で、セットから投球動作に入った梓は、左バッターに第一球目を投じる。

 バシィッ!!

「ボール!!」

 初球はボールからの始まりで舌打ちをする梓。しかしそのストレートは、高さは真ん中となっており、コースが僅かに外角へと逸れただけであった。

 久しぶりに座ったまま捕球したキャッチャーの咲は、梓のボールが再び勢いがついていることに微笑ましく思っていた。

「ナイスボールだよ!!」

 咲からの返球で受け取った梓は、苦い顔を面に出しながらプレートに足を添えようとしていた。

「ナイスボール!!」

 ふと梓の顔は、高らかな声が出されたライト方向へと向いていた。そこにはキャプテンの夏蓮が眩しい笑顔を見せており、遠い外野からの声援が確かに届いていると感じていた。

 夏蓮の一言はすぐに周りの選手たち、そしてベンチにいる叶恵と柚月にも浸透していき、梓の全方向から声援が送られてくる。

「梓、その調子だよ!!もう少しでストライクが入るよ!!」

「梓がフォアボール出したら、来月号のEIGHTEEN(エイティーン)買わせるからね~!!」

「舞園梓!!アンタのストレート、そんなもんじゃないでしょーがぁ!!」

「梓先輩、打たせて良いっすよ!!守備は任せて下さいっす!!」

「梓ちゃーん!!ナイスボール来てるよー!!その勢いだよー!!」

「まだワンボール。梓先輩コントロールできてる……」

「アズちゃん先輩ファイトでーす!!先輩が本気出せば、間違いなく竜に翼ですよー!!」

「梓先輩、自信持って下さい!!後ろには、私たちが守ってみせますから!!」

「ズッキーニャー!!大丈夫にゃあ!!アウト取れるにゃあ!!」

「いったれぇー梓ー!!」

 グランドの中心で叫ばれる梓は、目を閉じながらセットをし、ウィンドミルの動作に入る。ありがとう、みんな……何が責任感のある、だ。試合を投げ出しそうになった私が、そんなわけがないよ……でも、今はみんなの気持ちに応えたい。ただそれだけのために、この左腕を思いっきり振り抜きたい!!

 目を大きく開いた梓は、みんなの期待を載せたストレートを投じた。

 バシィッ!!

 高さは再びど真ん中、コースは左バッターの内側で打者が腰を引いている姿が見られる。すると主審は、膝に添えていた左腕を動かし始める。

「ストライク!!」

『は、入った……』

 ウィンドミルの勢いでサンバイザーが外れてしまった梓は、主審の判定に口を横に伸ばしており、今日初めて左バッターにストライクが投げられたことに内心喜ばしく思っていた。

「ナイスボール!!」

 ボールを受け取った梓に元気な声が咲から聞こえると、今度は周りからも声援が届いてくる。今の感覚なら、イケる……左腕を思いっきり振っていけば、絶対に入る。

 カウントワンボールワンストライク。すぐにセットに入った梓は、力強いピッチングを披露していく。

 バシィッ!!

「ストライクツー!!」

 今度は外角真ん中へのストレートが決まった。再びサンバイザーがとれる梓に返球した咲は、ファーストミットから左手を出して痛そうに振っていたが、すぐに笑顔に戻って声を出していた。

「ツースト!!追い込んだよ!!」

 ど真ん中に構えられた咲のファーストミットは大きく開いており、声援を受ける梓は得意のストレートを投げていった。

『これで、三振だっ!!』

 サンバイザーがすでに浮き上がるなか、梓の左手から唸るストレートが放たれた。

 ブルンッ……

 バシィッ!!

「ストライク!!バッターアウト!!」

「ヨッシャー!!」

 バットの上を通り過ぎたストレートで三振を取った梓は、プレート上で闘志を見せながら吠えていた。周りの選手からも、あとひとつ、ツーアウト、と温かな声援が止まずに送られており、まるでピンチなど思わせない雰囲気が漂っている。


「お願いします!!」


 ツーアウト満塁。ここで筑海高校のトップバッターが一礼して左打席に立つと、自信を持ち始めた梓は、キリッとした表情を見せて構える、意気込んだ様子のバッターに目を見開いて驚いていた。


『穂乃……』

『梓……』


 二人が見つめ合うなか静かな時間が過ぎていく。知らなかった、敵陣に穂乃がいたなんて……でも、手は抜かない。私は、笹浦二高の想いに押されて今ここに立っているんだ。久しぶりの言葉は後にして、全力でいくよ。

 自分と同じように、試合に臨む姿になった梓を見て穂乃は、真剣ながらも一度頬を緩めていた。戻ってきてくれてありがとう……またこうして梓とソフトボールができてうれしいよ。でも、いつまでも仲良しでいるわけにはいかない……この打席は、宇都木監督が許してくれた、私が笹浦スターガールズのキャプテンとして、最後の打席。フォアボールなんていらない……全力で振っていくから……梓の、本気のストレートに!!

 お互いが鋭い目付きになったところで、元エースの梓はセットに入り、元キャプテンの穂乃はバットを構える。白熱した二人の様子は、ベンチ外にいる上級生の泉田涼子、元監督の清水秀にもその熱さは伝わっており、固唾を飲み込んで見ていた。

 試合は七回裏ツーアウト満塁。八対八の同点で迎えた最終回で、最後の戦いが繰り広げられようとしていた。

 

皆様、本日もありがとうございます。

最近は気温や天気な変化が著しいもので、体調をくずされる方が多くいますね。皆様は大丈夫でしょうか?また、新型インフルエンザのニュースもやっていたことから、今年の冬も気をつけなければいけませんね……お互いに乗り越えていきましょう!!

次週……やっと決着します!!

ここまで一話ワンアウトペースで自分も驚いていましたが、もうこれで無事にこの章が完結できそうです。

練習試合の結果はどうなるか?梓と穂乃の対決はどうなるか?

ではまた来週、よろしくお願いいたします。


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