表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
プレイッ!!◇笹浦二高女子ソフトボール部の物語◆  作者: 田村優覬
一回裏◇始まる伝統の一戦。乗り越えろ恐怖の一戦―vs筑海高校編◆
69/118

六年前から……

ついに最終回の守備を迎えて初勝利を目前としている笹浦二高。様々なプレーが生まれていたが、ピッチャーの叶恵にまさかのアクシデント。

誰もが絶望し、もう練習試合はここまでだと思うなか、そこには満を持して彼女が現れる。

 カチャッ……

 五月の太陽で照らされたアスファルトの道には、さっきから金属と接触する音が響いている。一人の少女が一歩、また一歩と歩む毎に鳴るその音は一定のリズムを保っており、近くで日向ぼっこをする老人、緑生い茂る木の枝で休む小鳥たちにも届いていた。その音は、どこか怖れているような不安を醸し出しているが、明るい未来への期待も乗せられているようにも感じる。音が鳴る地面からは影は延びており、その隣にもう一つ寄り添うようにしていた。その影たちは決して歩みを止めず、ただ前を向いたまま移動している。そんな二人は、人々の応援が聴こえる、とある場所へと向かっていた。



 笹浦ソフトボール場。もうじき春の正午を迎えるこの空間は暖かな空気に包まれており、運動をする者は汗を流すほどである。キャッチャーが持つファーストミットの鳴き声が何度か響き渡ると、ボールはピッチャーズサークル内にいる月島叶恵(つきしまかなえ)へと渡り、最終回、七回の裏、笹浦二高の守備が始まろうとしていた。

 三点をリードされながらも諦めず、闘志をメラメラと燃やす筑海高校は二番バッターからのスタートであり、ベンチからは大きすぎる応援が止まない。

 そんな相手の様子も含めて、周りに指示を出し終えたキャプテン、清水夏蓮(しみずかれん)は、自身の守備位置であるライトで、ふと頭に過るものがあった。


『すごい……私たち今、勝とうとしてるんだ……』


 自身が部の設立者でもある夏蓮は、今この状況をまじまじと眺めていた。私がソフトボール部を創りたいと、担任である田村信次(たむらしんじ)先生が聴いてくれたときからまだ一ヶ月ちょっと。最初は私一人だけのスタートだったけど、マネージャーでポスターも作ってくれた篠原柚月(しのはらゆづき)ちゃん。次に入ってくれたのが、左ピッチャーで私よりもリーダーシップがある月島叶恵(つきしまかなえ)ちゃん。気性は荒くて男っぽい口調だけど仲間想いで、先生が助けてくれたおかげか突然部に入ってくれた、サードの牛島唯(うしじまゆい)ちゃん。彼女といっしょにいたいと願って入ってくれた、いつも明るく元気で私とよくキャッチボールをしてくれる、レフトの植本(うえもと)きららちゃん。同じく、一年生で小柄ながらも凄いパワーの持ち主である、ファーストの星川美鈴(ほしかわみすず)ちゃん。五人兄弟姉妹の家庭でいつも弟妹たちの面倒を見ることを優先していたけれど、田村先生との出会いがきっかけで部活に入ることに興味を持ってくれたみたいで、その恩返しとしてか、先生のいるソフトボール部に入ってくれた、運動神経抜群で私よりしっかりしている一年生、ショートの東條菫(とうじょうすみれ)ちゃん。いつも菫ちゃんといっしょにくっついていて、背が一番低い彼女はまるで本当の姉妹のように見える、身体は弱々しくいつも寡黙だけどソフトボールの勉強をしたりみんなにアドバイスも送ったりしてくれる、きっと根は優しく友だち想いのセカンド、菱川凛(ひしかわりん)ちゃん。彼女たちと同時に入ってくれたけど、アメリカの経験者でもあり、その能力はチームでピカ一であり、凛ちゃんのように背が低いけれど、私からしてみれば大きく感じる、センターの太陽、メイ・C・アルファードちゃん。そして私と同じ、元笹浦スターガールズの一員であり、最初はバレーボール部だったけれども、先輩の泉田涼子(いずみだりょうこ)ちゃんの暖かな支えもあって、田村先生の授業で言われたことが響き転部という大きな決断をして入ってくれた、上がり症だけどチームで一番大きな声を出している、キャッチャーの中島咲(なかじまえみ)ちゃん。今思い返してみると、全て田村先生が関わっていたんだなぁ。新任として笹浦二高に来たばかりなのに、ここまで私のために動いてくれたなんて、感謝しきれないほどうれしい。ありがとう、先生。

 すると、夏蓮はライトからベンチへと視線を向けて、腕組みをして立っている、笑顔を絶やさない信次を一度眺めていた。理由はよくわからないけど、なんだか引き込まれる先生の存在は、私の高校生活を大きく変えてくれるのかもしれない。これからも、よろしくね、先生。

 信次とは目が合わなかったが、夏蓮は頬を緩ましており、再び同じ目線でグランドに立つ選手たちを一人一人見ていた。本当は、もう一人入ってほしい人がいたけれど、今いる部員たちは、誰一人として手を抜かずにプレーしており、みんなハツラツの声を出している。正直、一ヶ月前の私は、こんなことを考えていなかっただろうな。だって、私がキャプテンだよ。運動音痴で万年補欠選手だったし、引っ込み思案で言いたいこともなかなか言えない……あの私がね。最初はどうかと思ったけど、みんなが私を選んでくれて認めてくれたんだ。ありがとう、みんな。

 夏蓮はそのまま、笹二の選手たちの顔を伺うと、言わずもがな、みんなは声を出し合っており、楽しくソフトボールをやっている様子がわかる。それは決してお遊び程度のものではなく、確かな部活動として行われていた。

 あとアウトは三つ。私は、試合の勝敗よりも、みんなと楽しくソフトボールをやることを考えていた。でも、ここからは勝ちにこだわり、笹浦二高ソフトボール部初の勝利のために、キャプテンとして精一杯やってみよう。

 夏蓮は一度目を閉じて、自分の心にがんばれと小さく呟く。キャプテンとして、部の創設者として、目を開けて凛々しい様子で最終回を迎えた。

 すると、笹浦二高のキャッチャーを務める中島咲は、キャッチャーマスクを取って大きく息を吸い込む。

「最終回~!!絶対勝つぞー!!」

「「「「ッシャーー!!!!」」」」

 守備の笹浦ナインに気合いが入ったところで、遂にゲームがスタート。

 筑海高校のバッターは左打席で構え始め、プレート上の叶恵に鋭い視線を送る。先頭バッターである自分が出て、何としても勝ってみせる。そんな思いを抱きながらグリップを強く握りしめていた。

 一方、ピッチャーの月島叶恵はすでに汗を流した状態であり、顔を向けて咲からのサインを確認する。

『打たせていくよ、叶恵ちゃん!!』

『当たり前よ。何球も投げられるほど、もう握力すら無いんだから……』

 辛さを隠す強気の表情をみせる叶恵は、咲からのサインを一発で容認して首を縦に振る。前屈みの姿勢は徐々にセットの構えに移り変わり、右のグローブで左のボールを隠して静止した。一呼吸置くと、咲のファーストミットはインコースに大きく拡げられており、先ほどよりも大きく見える気がする。ふとニッと口を開くと、体を前に折り曲げて、左腕が地面と垂直になったところで動きが止まり、次の瞬間に左足でプレートを蹴って推進運動を開始する。

『私は勝ちたい……このチームでっ!!』

 叶恵は白い歯を噛み締めて、気持ちのこもった左手から渾身の第一球目を放つ。

 キーン……

 叶恵のドロップはバットの根本に当たり、それほど強くない勢いでライト方向へと転がる。しかし、打球はファーストの美鈴とセカンドの凛のちょうど間へと向かっており、どっちに指示を送れば良いか悩ますものだった。

「フッ!!」

 ズシャー!!

 すると、ファーストの美鈴は右手のファーストミットをめいいっぱい伸ばして飛び込みを魅せた。すると、ライトへのゴロはファーストミットの中に収めることができ、それを確認した凛はすぐにファーストベースへと駆けていく。

「ファースト……」

 声を震わせながら発した凛は、倒れる美鈴に指示を送りながら走る。自分がファーストベースに足を付けたときには、美鈴は起き上がっているのが見え、泥まみれの彼女からボールがトスされる。しかし……

「ハアァーー!!」

 ズシャー!!

 パシッ……

 筑海高校の二番バッターは意地のヘッドスライディングを魅せてオレンジベースに手をつける。

 一方でボールを捕球した凛だが、周囲に激しい砂ぼこりが蔓延してしまい咳き込んでしまっていた。

 そして、誰もが視線を向けるファースト審判は、ファーストベースに近寄って少しの間固まっていたが刹那、両腕を大きく広げた。

「……セーフ!!セーフ!!」

「よっしゃー!!」

 コールがされた瞬間、バッターランナーは天に両腕を上げて叫ぶ。すると、筑海高校のベンチからも壮大な声援が鳴っており、チーム一丸となって内野安打を喜んでいた。

 飛び込んで打球を捕ることができた美鈴だったが、それをアウトにできなかったことに悔しがっている。もう少し早く起き上がっていれば、アウトになっていたかもしれない。こんな場面で唯先輩たちの足を引っ張るとは……なんか、今日は良いとこ全くないな。

 体育倉庫から借りているファーストミットも汚して俯く美鈴だったが、ふと自分の右肩に手を置かれる感触が走る。

「ナイスガッツ……でも、まだ試合は負けてない……」

 ハッと気づくように顔を上げた美鈴は、自分の右隣で凛が通り過ぎるのを確認する。あまり会話をしたことがない相手でもあったため唖然としており、目の前を歩く小さくて弱々しい背番号『4』を眺めていた。ボールは彼女からピッチャーの叶恵のもとに渡ると、叶恵は笑顔で受け取っているのが見える。そして凛が視界から外れると、叶恵と目が合って微笑まれた。

「ファースト、惜しいわよ!次は頼んだわよ!!」

「は、はい……っす……」

 顔にも泥を付けた美鈴は、口を自然に動かすことができたが、未だ茫然自失のように立っている。だって、私はアウトを取れなかった。先頭バッターをアウトにすることは大切だってことは知ってるのに、初っぱなからエラーみたいなことしてしまった。なのに、みんなから怒られると思ったのに。

「おーい!!美鈴ー!!」

 ふと、美鈴にはよく耳にする声が届き顔を向ける。するとその先には、笑顔を見せるサード、牛島唯がこちらを見ており、右拳を前に突きだして向けられていた。

「やるじゃねぇか!!かっこいいぞー!!」

 最後に口を横に広げた唯を見て、美鈴は少しホッとしていた。あの唯先輩ですら、私を褒めてくれている。菱川にも言われたけど、確かに試合はまだ終わっていない……今はまだへこたれる、落ち込む場面なんかじゃないんだ。しっかりしろ、私。こんなところで俯いたら、大好きな唯先輩に嫌われるぞ!

 美鈴はグローブを脇に挟んで、両手で自分の頬をパンパンと二度叩くと、最後にごめんなさいっす!!と一礼してファーストに戻る。次こそは絶対にアウトを捕る。その想いを抱きながら、鬼のような形相で守備の姿勢をとり始めた。

 状況はノーアウト一塁。ファーストには俊足のランナーを置いて、バッターは三番。本日強い打球も放っていることから、ベンチにいる篠原柚月からの指示で外野は下がって構えており、内野も普段よりやや後ろで守っている。今は追加点よりも大きな打球を打たれないことを考えた柚月の采配は、皆の心に響いているようだった。

 三番バッターは打席に入る前に何度か強い素振りを見せると、お願いしますと声を出して、きりっとした目を見せ右打席に入る。監督の宇都木鋭子(うつぎえいこ)から言われている、低く強い打球を放つことを心掛けて、バットを指二本分短く持って構えた。

 緊張が走る場内、ピッチャーの叶恵は依然として恐れない姿勢を見せながら、マスクを被る咲のサインに頷く。三点もリードしているんだ。目の前のバッターのみ集中して投げていこう。

 叶恵は呼吸と心を整えて、今度は右バッター外角へのスライダーを放る。

「走ったっすー!!」

 バシッ!

「ボール!!」

「ドリャアーー!!」

 わずかに外の低めへと外れてしまったが、捕球した咲は座ったまま、すぐにセカンドベースへと投げる。

 セカンド塁上ではセカンドの凛が現れ、バッターと交錯するところだ。バシッとボールを捕球してタッチをしにいこうとしたが、下ろした時にはすでに、スライディングしたランナーの足がベース上に乗っていた。

「セーフ!!」

 セカンド審判の声に、筑海ベンチは立て続けに声で沸く。盗塁を決めたランナーもうれしそうに立ち上がり、ベンチに向かって笑顔とガッツポーズを見せていた。

 凛からドンマイと声をかけられて、ボールは叶恵に返されるが、ピッチャーはちょっと驚いた様子で受け取り、少しうれしそうにして笑っていた。正直、得点圏にランナーが置かれることは予想の範囲内だった。たとえこの場面でストレートを投げていたとしても、もうヘトヘトの私からはそんな速い直球は見込めない。盗塁されるのを覚悟して投げた変化球だったが、まさか座りながらあそこまで速い球を投げられるとは……アンタをちょっと見くびっていたわね……予想の範囲外よ。

 ボールを持つ叶恵は、マスクを外してゴメン、と微笑みながら謝る咲を見ていた。さっきまで壁のように扱っていた彼女だが、もうただの立派なキャッチャーだ。そう思いながら笑みをこぼし、気を取り直してゲームに戻った。

 ノーアウトランナー一塁、カウントワンボール。セットに入った叶恵は息を吐き出し、ウィンドミルからボールを投げ込む。

 カキーン!!

「レフトー!!」

 打球はショートの東條菫の横を通り、レフトへの強いゴロとなっていた。やや後ろで守っていた、レフトの植本きららは全速力で前に駆けているが、共にセカンドランナーもホームに帰る勢いで疾走している。ランナーがサードベースを踏む間近、中継のために追う菫だったが、トンネル開通専門家のきららはボールを無事に捕球し、その勢いのままボールを右手に持ちかえた。

「に"ゃあ"~~!!」

 ビューーン!!

 すると、きららからは矢のような送球が帰ってきて、再び菫の横を通り過ぎていく。あまりの速さで取れなかった菫は振り返ってボールを見ると、次の瞬間、咲のミットで大きな音を鳴らしているのがわかった。

 バシッ!!

「……な、ナイスボール……」

 ノーバウンドのまま捕球できた咲は、茫然と立ったままレフトを見ていた。それは咲だけじゃなく、笹浦二高の選手たちも、本塁へ帰ることができなかったランナーも、そして筑海ベンチの人たちも開いた口が塞がらない様子できららを見ている。

 視線を浴びるきららは、最初は不思議そうに感じていたが、すぐにニッと笑ってピースサインを見せる。

「ニャッハッハッハー!!これがきららの秘密兵器、キラキラビームにゃあ!!」

 うれしそうに叫ぶきららだが、皆の様子はいっこうに変わらず黙っており、かん高い笑い声がグランドに響き渡っていた。

「お……おい、きらら!!」

 すると、最初にサードの唯が口を開く。

「お前、そんな強いボールいつから投げられるようになったんだよ!?今まで隠してたのかぁ!?」

 驚きを隠せぬ唯が言うと、きらら笑顔で首を横に振る。

「そんなつもりないにゃあ!!テキトーに投げたらこうなっただけにゃあ!!」

「……いや、テキトーって……」

 相変わらず笑い続けるきららには、唯は困った表情を見せるしかなかった。そんな唯の傍にはショートの菫が近寄り、きららを見ながら不審に口を開く。

「植本先輩って、ボールスローとか凄かったんですか?」

「いや、確かあいつ、中学校のときは十メートルいってなかったなぁ……」

「ええっ!!そ、それなのにあんなボールを投げられるようになったんですか!?」

「いや、恐らく当時はボールの握りかたとか知らなかったからだと思う……」

「に、握りかた?」

「ああ。最近、夏蓮に教わったらしくて、今までよりも投げられるようになったんだと……」

 呆れた様子の唯につられて、レーザービームを目の前で見せられ驚く菫は、外野の芝上でセンターのメイと跳び跳ねているきららをじっと見ていた。間近で見たけど、三番バッターの打球並みに速く見えた気がしたな……よかったぁ、当たらなくて。

 菫は安堵のため息を一つ漏らし、ゆっくりと守備位置へと戻る。ここでやっと、きららに対する歓声が湧き始めたが、すぐにゲームは再開された。

 ランナー一三塁、未だノーアウト。汗を拭う叶恵は、ここで四番バッターの錦戸(にしきど)を迎えた。彼女からは本日、特大のホームランを打たれていることから、ここにきて武者震いを覚える。しかし、ここで逃げてはいけない。ここで抑えることができれば、勝利はグッと近づくはずだ。絶対に、負けない。

 バッターが左打席でどっしりと構えると、叶恵は咲のサインを確認してゆっくりとセットする。弱気になってはいけない。私は、このチームで勝ちたいのよ。体がついてこないなら、気持ちで引っ張るだけよ!!

 叶恵は背中からオーラを出さんばかりの表情を見せると、細い左腕を振って投げていく。

 バシッ!

「ストライク!!」

「ナイスボール!!」

 元気で温かい咲の声と共にボールを受け取る叶恵は、まず左バッターのアウトコースに得意のドロップを決めた。球威は自分でもわかるくらい衰えており、芯に当てられたら間違いなく同点打だろう。それでも、立ち向かって行かなければ。満塁策を取ることも考えられるけど、それは逃げに等しい。だったら私は諦めず投げて、絶対に打ち取る。

 気持ちを徐々に昂らせる叶恵は、咲の指示通りどんどんボールを投げていく。

 バシッ!!

「ボール!!」


 バシッ!

「ボールツー!!」


 キーン……

「ファール!!」


 バシッ……

「ボールスリー!!」

 ボール先行気味の内容だが、叶恵はここまで失投を見せていなかった。外れた変化球も全てストライクゾーンからボールゾーンへと移るものであり、バッターを間違いなく困らせている。

『絶対に、負けられない!!』

 魂を燃焼させる中で投球動作に入った叶恵は、自身にそう言い聞かせながらラストボールを放つ。

「ウリィャア!!」

 カキィーーン!!

「!?」

「ファール!!」

 主審は両手を上げてジャッジしていたが、打球はその真後ろのファールネットに当たっており、それはバッターが、叶恵のボールにタイミングが合っていることを暗示していた。今のスイングに当たっただけで、身体中に電気が走ったように感じた叶恵。ボールを主審から受け取ってプレートをスパイクの爪先で掘り始める。今の一球で変な違和感がある。まずい……打たれそう。

 マイナスの思考が突然始まる叶恵はなかなか顔を上げず、足下の穴をより深くしていた。

 その様子を見てか、守備をする選手たちにも極度の緊張感が漂っている。先ほどの、きららによるレーザービームなどもう頭には無く、ただ相手の四番バッターに恐れる思いでいっぱいだった。ホームランを見せられたせいでスイングはとても凄まじく見えてしまい、叶恵が投じる一球毎に足がすくむ。空振りでさえ身体が凍りつく様子でもあるため、どうかこのままバットを振らず、見逃し、最悪フォアボールでもいい……だから前にだけは打球を飛ばさないでくれ。そんな想いが皆を襲っており、次第に声が無くなってしまい、叶恵が土を削る音のみが拡がっていた。


「叶恵ちゃーん!!ナイスボールだよー!!」


 ふと、静まり返っていた笹浦二高だったが、皆同時にライトの方を向く。そこには、まるで空気が読めないのか、清水夏蓮が笑顔を見せていた。

「ラストボール!!三振でも、打たせても、どっちでもいいよー!!」

 誰よりも楽しそうに叫ぶ夏蓮の声は、その瞬間からみんなの緊張を和らいでいた。野手のみんなはそれぞれグローブを叩いたり跳び跳ねてみたりとリラックスをし、次々にピッチャーズサークルに声を放っている。それはベンチの柚月からも送られており、皆一体となっているのがわかる。

 そんな声援を受ける叶恵はどの声もうれしかったが、もう一度ライトの夏蓮に目を向ける。アンタは流石ね。空気が読めないっていう訳じゃなく、そうやってみんなを正しい方向へ導いてくれる……もう立派なキャプテンじゃん。

「叶恵ちゃーん!!まずアウト一つだよー!!」

 一番遠いはずなのによく聞こえるライトの声援。それはピッチャーの叶恵に心の余裕を持たせ始めており、一度大きく深呼吸を開始させた。

『決める……次で、絶対に決める!!』

 きりっとした目を開けた叶恵は、自信を持って、声援を抱いてプレートに足を添える。キャッチャーのサインを確認すると、自分の得意球であるドロップが要求されており、満場一致で首を縦に振りセットに入った。絶対にこのバッターをアウトにする。どんな形であれ、絶対にしてみせる。だって私には、こんなにも背中を押してくれる仲間がいるんだ……だからこんなところじゃ、恥を見せられない。

 叶恵は大きく左腕を上げて、ウィンドミルの動作に入る。迷うことなく回転された左手からは、仲間の気持ちと魂を込めた一球が放たれる。

『これで、終わりよ!!』

 ボールは大きく開かれた咲のミットに突き進んでいき、コースも高さも要求通り。唸る白球はホームベースに到達する頃、軌道を変えて地面へと落下していった。


 カキィィーーーン!!

「!?」

 放ったはずのボールは急に大きさを増していき、叶恵のすぐ左隣へと向かってくる。芯に当たったことから打球はとても速く、このままではセンター前ヒットになってしまう勢いだ。

『まだだ!!』

 しかし、叶恵はまだ諦めておらず、すぐ傍を通るライナーに左手を差し出していた。素手でも構わない、アウトを取れるなら。打球は徐々に近づくなか、その進行方向には叶恵の小さな左手が待っていた。

『ふざけんなー!!』

 次の瞬間、叶恵の左手と弾丸ライナーは距離をゼロとしていた。

 ドシッ!!

「いっ!!」

 ポトッ……

「はっ!!叶恵ちゃん!!」

 ボールは叶恵の手のひらで止めることができ、ピッチャーズサークル前に落ちていた。サードの唯はすぐに転がったボールを取りに行くが、全速力で走ったバッターは既に一塁に到着。一方サードランナーは動くことができずにおり、結果は内野安打となっていた。


「タイム!!タイムお願いします!!」


 すると、夏蓮の叫びでゲームが止まる。主審からのタイムを宣告されると、ピッチャーズサークル内では、叶恵が左手をグローブで押さえながら踞っていた。全力で駆ける夏蓮、それを見て事態の状況を理解した信次と柚月、そして野手たちもすぐにサークルへと向かい、痛みを表情で表す叶恵を取り囲むように集まる。

「おい、月島!!」

「だ……大丈夫、よ……こんなの……」

 信次の声に返答する叶恵だが、その痛みは途切れ途切れの言葉からもわかるほどであり、取り巻くみんなを困惑させていた。

「月島、左手だよな!?見せてみろ!!」

 信次は必死の様子で叶恵に伝えるが、彼女はグローブから左手を出さず見せようとしない。叶恵の左手には確かに打球が直撃していた。それは一塁ベンチから見ていた、素人の信次にとっても明らかである。

 平気だと言い続ける叶恵だが、歯の噛み締めは全く解かれることなくしており、あまりの激痛のせいか、彼女の瞳から涙が溢れているのがみんなに見える。


「おい!!大丈夫か!?」


 すると、相手ベンチからは監督である宇都木鋭子(宇都木鋭子)が、走って叶恵の正面で膝を折る。

「見せてみろ……」

「だから……大丈夫ですって……」

「いいから見せろ!!」

 怒りを見せる鋭子は、叶恵の左手首を掴んでグローブから引きずり出した。すると微動する小さな手には、土手とも呼ばれる手首よりやや上の部分が赤くなっており大きく腫れている。その腫れは叶恵の痛みを十分に体現しており、周囲のみんなを凍りつかせていた。

 唯一口を動かす宇都木監督は、自身のチームキャプテン、花咲穂乃(はなさきほの)に指示を送って、氷水の入った袋を急いで作らせる。その間は叶恵の左手を両手で持ちながら、赤い部分を軽く押して状態を確かめていた。

「……痛むか?」

「くっ……大丈夫です……投げられ、ます……」

 落ち着いて話す宇都木に対して、叶恵は苦い顔を見せながら発言しており、その状態は取り囲むみんなにも伝わっている。固唾を飲んで視線を送る笹浦二高のメンバー、そのなかでマネジャーの柚月は恐る恐る声を鳴らす。

「骨折……してるかも……」

 柚月の短く小さな言葉は、笹二の人間たちの目を大きく見開かせた。打球は確かに速いもので、それはきららのレーザービーム以上であることは言うまでもない。そんな危険なボールが、この座り込み悶える叶恵の手のひらに直に当たったのだ。三号球のゴムボールと言えども、そんな固いものが直撃してしまっては骨折も疑える。ソフトボールというスポーツは、こんな怪我も身近に出現してしまう、とても危険なスポーツである。それは経験者にはもちろん、笹二で初めて部活動を始めた選手たちの頭にも過っており、目の前の衝撃的な出来事に襲われ立ちすくんでいた。

 ピッチャーズサークルでは周囲が誰も口を出さない沈黙が続くと、筑海ベンチから花咲穂乃が飛び出して向かっており、氷水の入ったポリ袋を持ってくる。宇都木の手に渡ると早速、叶恵の赤い左手に袋を乗せ始めるが、その痛々しい赤色は徐々に色を変えていき、青紫に近い内出血の色を映し出していた。

 相変わらず顔をしかめる叶恵であるが、宇都木は一度目を閉じて小さくため息をつき、鋭い目と共に口を開ける。

「悪いことは言わん。練習試合は、ここまでにしよう……」

 先ほどの柚月が放ったように皆は驚きを隠せずに目を張る。それを聴いた夏蓮は俯いて諦めの表情を見せていた。ここまで楽しくやれた練習試合が、まさかこんな嫌な終わりかたになってしまうとは……いや、仕方ないのかもしれない。考えてみれば控えの選手もいないし、叶恵ちゃん以外の人が投球練習をしていたところなど見たことがないため替えの投手もいない。七回裏まできた最終回、勝利を目前としていたのがより悔しさを増していたが、宇都木監督の言葉はもっともなのかもしれない。

 すると宇都木は、マネジャーの柚月に替わるようにして氷水の袋を持たせ、立ち上がって信次と向き合って口を開く。

「この試合、ここまでにしましょう……彼女はもう投げられるような状態ではありません」

 その言葉は、あの信次すらも笑顔から離れさせていた。ここまでは本当にみんな良く頑張ってくれた。監督が僕という中で、みんなは主体的に、能動的にこの試合に参加してくれていた。そんなみんなには、試合で勝つことの勝利を味わって欲しかったのだが、こればかりは仕方ない……九人ぎりぎりでやっていて負傷者が出てしまっては。きっと、僕の未熟さが生んでしまったアクシデントなんだ。

 目の前の出来事をあえて自分のせいにする信次は、叶恵を始め、彼女に寄り添う柚月、自分のことかのように涙を流しそうなキャプテンの夏蓮、そして暗い表情で心配の様子を浮かべる野手たちの顔を見て、目の前の宇都木に重い口を開くことにした。

「……わかりました。試合は、ここまでに……」

「……ちょっと、待ってよ……」

 信次の言葉尻を被せるように、叶恵の苦し紛れな言葉が飛んでくる。その言葉は背の高い二人の監督を振り向かせており、叶恵は歯を噛み締めながら俯いていた。

「……嫌だよ……終わらせたく、ない……」

 声を震わせて話す彼女には、笹二の選手たちも振り向いており、次の瞬間小さなサウスポーは怒涛の表情を二人に向ける。

「こんな終わりかた!誰も望んでないっ!!」

 その刹那、二人の大人には、下から睨み付ける叶恵の目から一滴の涙が落ちるのが見えた。それは痛みのせいでもあるだろうが、悔しさの方が増しているものだと感じる。そんな彼女は徐々に涙の粒を大きくしていき、地面に顔を向けて土を湿られていた。

「……アンタたち大人なら、わかるでしょ?今はみんなが、心からソフトボールを楽しんでるって……それなのに、どうして止めたりするのよ……」

 鼻をすすりながら言葉を投じる叶恵は、ボールのないグローブを強く握りしめていた。


「アホかっ!?お前のためだっ!!」


 すると、相手監督の宇都木はしゃがみこみ、大声を出され驚いた叶恵と目線を合わせる。

「去年の練習試合、お前は言っていたよな。私はプロになりたいって……」

 向き合っている叶恵は涙を流しながらも目を合わせており、冷静に戻った様子の宇都木は言葉を続ける。

「もしも、その意志が変わっていないなら、私は高校ソフトボール部の監督を務める者として、お前の無理な投球及び出場は認められん……安心しろ、これは練習試合だ。再試合なんて、いつでもやってやる」

 それは決して挑発させるような言葉ではなかった。宇都木はただ真剣な表情だけを見せており、叶恵の未来を見据えての発言であることがわかる。世の中にはプロを目指して奮闘する学生たちがたくさんいる。皆幼い頃から高い志を抱き、息を荒くして汗を流して日々の練習を行っており、それは誰が見ても輝かしいものである。ただ直向きに夢のために努力する少年少女たちからは、観ているだけで尊敬の意を持てることもある。しかし、その素晴らしい輝きは一瞬にして消されることもある。その一つが、怪我。予測のできない災害である怪我は、時に夢を失わせ、時に人間の生きる希望すらも奪い去る。現に、学生選手たちに強いられる多労な部活動は、大会による連戦連投、無理をさせての強行出場が問題視されている。怪我するとわかっていて出場させることはもはや人災としか言いようがなく、生徒の希望を尊重するはずの教師が逆に奪っていくようにも感じる。

 高校部活動を始めて、今年で九年目を迎えた宇都木鋭子は、本気でプロになりたいと懇願していた月島叶恵を見ながら口を開いていた。しかし、対して叶恵は返す言葉が見つからず、下を向きながら涙を溢している。腫れて震える左手、ギュッと握り締めるグローブの右手、未だ現実を直視できない様子でいた。

 それは今のチームのみんなの心情を表しているかのように、キャプテンの夏蓮には見えていた。私もこの試合を楽しんでプレーしていた一人として、叶恵ちゃんの意見は間違っていないと思う。それに、みんなだってきっと同じ想いだ。じゃなきゃ、この場面で黙ったまま叶恵ちゃんを見ていられないよ。仲間思いで優しいみんなは、気持ちの整理がつかないんだ。試合を続行したいけれど、替えがいない、何よりも仲間の負傷が決断を邪魔しており、素直に棄権しようと考えられない。そりゃあそうだよ、あとアウト三つ、たった三つでこの楽しいゲームで勝てるんだから……叶恵ちゃんの言うとおり、ここまで来たからには勝敗を決着させたいよ。誰も中止なんて望んでいない!!でも……

 下を向いて黙りこむ選手たちがいるなか、監督の鋭子と信次は再び向き合う。

「よろしいでしょうか……田村先生?」

「……はい」

 悩める信次も納得がいかない様子で返事していた。場内は全ての者が黙りこんでしまい、陽気な空とは裏腹に不穏な空気が漂う。ただ、目の前にいる一人の少女がすすり泣く音が聴こえるだけでそれは残酷な現実を見せられているようだった。


 カチャ……

 すると、誰もいないはずの一塁ベンチからは、何やら金属とアスファルトの接触音が鳴っていた。最初に気づいた夏蓮は不思議に思い、ふと首を曲げてベンチへと顔を向ける。すると、彼女は一度驚いた表情を見せるが、すぐに瞳を輝かせて場違いの喜びを表現していた。

 それにつられて次は一塁ベンチに向き合うように立っている唯、隣のきららもベンチに目を向ける。二人は夏蓮と全く同じような一連で心が移ろいでおり、夏蓮の気持ちが身をもって理解することができた。

 その振り向く動作は浸透していき、一年生は目を丸くしていたが、二年生の選手たちは最後に頬を緩ませていた。最後にみんなの異変に気づいた信次も、背を向けていたベンチに顔を覗かす。そこには、いるはずのない一人の少女が、凛々しい表情をしてユニフォーム姿で立っているのが目に映り、口をポカンと開かせていた。


(まい)(ぞの)……」


 その一言に、ピッチャーズサークルに集まる笹二のみんなが笑みを漏らす。グローブを右手に着けてそこにいるのは、以前に夏蓮たちが話していた、舞園梓(まいぞのあずさ)であることがわかったからだ。

 ベンチの屋根の下、梓は一度大きな深呼吸を始めると、ベンチ外のすぐ後ろで、体育館から共に歩いてきた泉田涼子(いずみだりょうこ)が背番号『11』へ言葉を送る。

「なんか、すごい場面で来ちゃったね……でも、緊張することないよ。みんな、待ってくれてる。いってらっしゃい」

 深呼吸を済ませて前を見る梓は背中越しで、いってきますと言い、ベンチからグランドへと一歩踏み出す。ザクッとスパイクから放たれる音が変わり、両足をグランドに着けたところでサンバイザーを左手で取り、きりっとした表情で一礼した。

「よろしくおねがいしますっ!!」

 大きな声を鳴らすのに慣れていないのか、途中で声が裏返ってしまった梓だが、サンバイザーを再び装着して歩み出す。天気にも恵まれた笹浦総合公園ソフトボール場でゆっくりと歩く彼女は、みんなの待つピッチャーズサークルへと到着した。沈黙が流れるサークル内だが、皆からは視線が向けられており、取り囲まれた梓は一人一人の目を見ながら口を開く。

「ま、舞園梓と、申します。ピッチャーやってて……えっと……ど、どうかよろしくお願いします!」

 一礼する梓だったが、皆に見守られながら行った自己紹介が終わると、口を押さえる柚月がクスクスと笑っていた。

「な、なんだよ?」

「だって、この場面で自己紹介って。しかも途中で何話したらいいかわからなくなってるし。アンタどんだけ不器用なのよ!」

「い、いや……ゴメン……」

 梓は申し訳なさそうに謝っていたが、柚月は吹き出した笑いを抑えられずにいる。しかしその笑いは、この空間に和みを与えているようで、皆の固かった表情はすでになくなっていた。

「梓ちゃーん!!」

「んぐっ!」

 すると、キャプテンの夏蓮が突如梓の胸に飛び込む。ギュッと捕まれて正直苦しかったが、自分の胸から顔をあげて見せられ、その瞳には涙が浮かんでいた。しかしそれは悲しみからではないことは、彼女が微笑んでいることからわかり、自然と梓も微笑みを返すことができた。

「おかえり……梓ちゃん!」

「……あぁ、ただいま。遅くなってゴメン」

 抱きつかれた梓が優しく言いかけると、夏蓮は涙ながらとてもうれしそうな笑顔を見せていた。

「あ゛~ずさ゛~!!」

「ぐふっ!!」

 まるで横からタックルを受けたような痛みを感じた梓だが、左に顔を向けるとキャッチャーの咲が泣きすがりついていた。

「待ってたよ~!!ずっと待ってたよ~!!」

「咲、泣きすぎだって……待っててくれてありがとう」

 咲にも優しく言葉をかける梓は、キャッチャーヘルメットの上から左手を乗せて、優しく撫でるようにしていた。二人に抱きつかれて心から幸せを感じながら、ふと左前方にいた唯ときららに目があう。中学校のときに出会った二人も私のことを覚えてくれているのか、笑顔を見せながら口を開く。

「っよ!なかなかカッコいい登場だな!」

「ズッキーニャお久しぶりにゃあ!!ドラマチックで女優さんみたいだにゃあ!」

「二人とも……私のことを覚えてくれていたんだ……」

 うれしさを表情で表す梓が言うと、唯は一つため息をついて腰に手をつける。

「あったりめぇだろ!お前からは、いろいろと借りがあるんだからよ」

「そうにゃあ!ズッキーニャは恩人にゃあ」

 二人が言っているのは、たぶんあのときのことだろう。あれは確か中学二年のとき、ゲームセンターで二人を見かけたときだ。あのときのことをそんなに言ってもらえるとは思っていなかった。

「ありがとう。唯、きらら、これからもよろしく」

 微笑む梓が唯ときららの目を見て話すと、二人は言葉は出さなかったが白い歯を見せて答えていた。あのときは私も必死だったから、あんな危ないことをしてしまったけど、結果としてこの二人を助けることができたと思う。本当にあのときは……

「舞園先輩……ですか?」

 梓の思考を止めるように放たれた言葉は、梓の首を右へと曲げさせる。そこには背の小さい一年生と思われる選手たちから、頭が一つ飛び抜けた東條菫がおり、目を輝かせているのがわかった。

「は、はじめまして。舞園梓です」

「やっぱりそうなんですね!!私、東條菫といいます!舞園先輩の話は、篠原先輩たちから聴いています!ねぇ凛?」

「……菱川凛です……よろしくお願いします……」

 菫の横で隠れるようにしていた凛も小さな声で挨拶すると、梓は菫の言葉が気になってしまった。

「ゆ、柚月……」

「はい?」

 ふと、しゃがみこんでいる柚月に顔を向ける。

「私の話ってどういう話?」

「決まってるじゃない、梓ちゃんは天然と不器用の性質を持つ、次世代ハイブリッド型女子高生ってことよ」

「……ドS……」

 呆れてものも言えない梓は一言漏らすと、菫は苦笑いをしていたが周りの一年生も笑顔を見せていた。

「はいはい!!私、メイ・C・アルファードっていいます!!袖振れ合うも多生の縁でしたね!!アズちゃん先輩!!」

 梓はそう言われると頷いて返していた。まだメイがソフトボール部に入る前、彼女はよく掲示板に張られた部のポスターを眺めていた。そんな留学生をふと発見したときは、日本語が読めないのではと思い近づくと、メイは急に動き出して私とぶつかってしまう。Sorryではなく、ごめんなさいと言いながらすぐにその場を去っていったわけだが、まさかこうして再会するとは思っていなかった。袖振れ合うどころか当たってしまったわけだが、そんなメイにも心からよろしくの意を評することができた。

「星川美鈴っす。唯先輩の舎弟ですがよろしくっす!」

 気合いの入った挨拶をする美鈴には、梓は舎弟という言葉が気になっていたが、唯の優しい一面を知っているため安心して聞き入れることができた。

 そして梓はもう一度、一年生の顔を一人一人見ながら声をかける。

「菫、凛、メイ、美鈴。よろしく」

 梓からいきなり下の名前で呼ばれた四人であったが、菫と凛は互いに顔を合わせて笑っており、メイは無邪気にニッと白い歯を見せ、美鈴は顔を赤くして緊張した様子を見せていた。この子たちが私を受け入れてくれたのかどうかはわからないけど、彼女たちに一歩は近づけたかな。


「舞園、梓……」


 すると周囲には叶恵の低く重々しい声が響く。その様子を見た梓も気付き、抱きついた夏蓮と咲から自然にほどかれ、先ほどまでの和やかな空気が、叶恵を心配するもとの暗い雰囲気へと一変してしまった。柚月は再び叶恵の左手に氷水の袋を乗せて支えており、梓を含む、取り囲んでいるみんなの視線を集めている。未だに腫れが治まらない様子の小さな左手は、今目にした梓にすら、その苦しい痛みが伝わっていた。ジンジンという擬音を立てているかのような紫色には、梓も鳥肌を立ててしまうほどのものであり、じっと叶恵の様子を伺っている。

 すると、踞る叶恵は顔を下に向けたまま僅かに口を動かす。

「……私のこと、知ってる?」

「ああ。月島、叶恵……」

「フフフ……いきなり呼び捨てとは、私もなめられたものね。まあこんな姿でいたら仕方ないか……」

 痛みに耐えながらも言葉を続けていた叶恵だが、涙を止めることができず地面を濡らしている。初対面である相手にはこんな顔を見せたくない。己の情けなさを感じながら黒子が浮き立つ地面と向き合っていた。

 すると、その地面は突然前方からの影に覆われてしまい、自分の着けた涙の跡が見えなくなってしまう。気になって顔を上げて見ると、叶恵の目の前には梓が、ひざを地に着けて目線を合わせており、スッと彼女の左手が叶恵の右肩に置かれた。

「……ピッチャー、ここまでありがとう。怪我をしても投げようとしてくれてたんだよね。勝利のために、みんなのために」

 梓の言葉が図星だったのか、叶恵は頭を下げてしまい、再び地面に大きな雨を起こしていた。グローブをはめた右腕で涙を拭い、強気ながらも潤む両目を梓に見せる。

「……アンタ、まさか投げる気?」

「ああ。ここからは私が投げる」

「何言ってんのよ……アンタ、まだ肩も温まってないじゃない」

「大丈夫……」

 ふと目を閉じた梓は、ゆっくりと輝く瞳を開いて自信の持った表情を見せる。


「六年前から、温まったままだから……」


 六年前、それは梓が頭部へのデッドボールを当ててしまったときに値するとき。そのことは、夏蓮や柚月、咲たちからみんなに伝わっており、叶恵だって知っている。真顔で何かっこつけてんのよと思い、叶恵はまた下を向くが今度は笑いを隠すためだった。最後にため息をつくと、そのまま右手の黒光りするグローブを横に伸ばす。

「唯……」

「あん?」

「ボール貸して……」

「お、おう……」

 いきなり下の名前で呼ばれて戸惑いを見せて、何がなんだかわからない様子の唯は自分が持っていた白球を、言われるがままに叶恵の差し出したグローブにそっと置く。

 すると叶恵は立ち上がり、氷水から離された左手でボールを持ち替える。手に持つだけでかなりの神経を使いながらも、震える左腕をまっすぐ梓に伸ばしていた。

「梓!」

 突然名前を呼ばれた梓は驚きを隠せぬまま叶恵の顔を見ると、彼女からは白い歯が見られた。

「……ああ!」

 叶恵と同じような顔を見せる梓は、前方に右手のグローブを開いて伸ばすと、パシッと、叶恵からずっしりとした一球が渡される。

「リリーフ、まかせたわよ。不細工なピッチングしたら許さないからね!」

「わかった。叶恵の想い、無下にはしないから」

 すると叶恵は頬の緩みを見せる。無下にはしないか……いいわね、才能あるヤツが言うとこんなにカッコイイんだからさ。努力で穴埋めする儚くも私とは違って、何だか嫉妬するほど羨ましい。でも仕方ないよね……体力は無いし怪我はするし。下手したらもう私には誰もついてこないのかもしれない……まあその時はその時だ。頼んだわよ……みんなの揺るぎないエース。

 下を向いた叶恵は梓から視点を換えてみんなに背中を向けて歩みだそうとした。


「おい叶恵!」


 その荒々しい言葉は叶恵の歩みを止めてしまい、ボロボロの様子の叶恵はゆっくりと振り返る。そこには、みんなが叶恵を見ているなか、一際だって映る唯が片腰に右手を乗せていた。その真剣な表情を見せる唯は、口を横に伸ばして微笑みを見せる。

「俺たちも、全力でやっからよ。だから信じて、安心してベンチで見てな!」

 唯の挑発ではない、励ましである言葉をきっかけに、みんなの笑顔が叶恵に向けられる。ふと、再び込み上げてくるのを感じた叶恵は、顔の皺を増やして堪えきれず皆に背中を向けてしまう。小さな背中に貼られたエースナンバーは僅かに上下しており、叶恵の呼吸を苦しめているのが伝わってくる。

「……アンタ、たちもよ……」

 叶恵の背中から弱々しく震える声が鳴るなか、選手たちは微笑みを消さず見守るようにしており、刹那振り返る、シワクチャの叶恵から言葉が放たれる。

「一人でもいい加減なやつがいたら、許さないから!!」

 叫んだ叶恵はすぐに目を右腕につけて隠してしまい、再びゆっくりと歩き出す。隣にマネジャーの柚月が寄り添い、背番号『1』を背負いながら、選手たちの温かな視線を送られながら、一塁ベンチへと向かっていった。試合中に、仲間からのありがとうや、信じてなんて言われたのは初めてだ。孤独の空間に仕切られたピッチャーズサークルで、私はいつも自分のためだけに投げていた。それは小学生のときからずっとであり、試合中のナイスピーという形言葉だけが耳に入っていたが、試合が終わったら誰からも感謝の言葉などもらったことはない。独り善がりの私には、誰からも応援なんてされなかった……でも、今はたぶん違う気がする。だって、この試合で私のソフトボール観が明らかに変わったからだ。それは、どこか温かくて、なんだか居心地のよい、みんなで協力して行うチームプレーの大切に気づいたからかもしれない。どうして今まで気づかなかったのだろう。こんなこと、そこらの安い参考書にも書いてあることなのに……どうも、頭で理解するのと、身を呈して理解することは別物なのね。私は、バカだったんだ。

 一塁ベンチに到着した叶恵は早速ベンチに座ると、柚月に左手を持たれながら氷水を付けられていた。

「月島さん、大丈夫?痛くない?」

「さっきより、マシになったわ……」

「良かった。氷が無くなったら、取り換えてあげるからね」

 すぐ傍で優しく看てくれる柚月とは、叶恵は目を合わせずサンバイザーを深々と被っている。ただ、左手からは氷水の冷たさと、柚月の温もりを感じながら下を向いていた。

「……アンタさ……」

「ん?」

 叶恵の小さな声は、自分の顔に柚月の視線を向ける。

「……いや、アンタたちって、なんか羨ましいなって……心から信じられる仲間がいてさ」

 叶恵のか細い声に乗せられた言葉は、隣の柚月を笑わせていた。

「それは、月島さんも同じだよ。私、こうやってスコアラーとして見てたけど、決して誰もテキトーにやっていなかったと思う。初めての娘たちだって、試合に熱中して取り組んでいたもん……私ね、夏蓮や咲、梓とは最高の絆で結ばれた仲間だって、今も思ってる。でも、今日になって、その数が突然増えちゃった気がしてさ……」

 すると、柚月は叶恵の左手を少し強めに握り始めた。気になった叶恵は顔を上げて柚月に振り向くと、そこには優しい眼差しを向ける、大怪我で苦しんだスコアラーがいた。

「……それは、このソフト部のみんな。もちろんそのなかには、月島さんも入っているんだよ」

 叶恵は再び顔を下に向けるが、もう涙は出なかった。照れなのか、涙が枯れてしまったのかは自分でもわからないが、頬を緩ますことだけはできた。

「……アンタさ……」

「ん?」

「アンタも私のこと、苗字じゃなくていいわよ……私公認で許してあげる……柚月」

 柚月には、下を見続けている叶恵が傍におり、サンバイザーのせいでその目は見えない。しかし、唯一見えた彼女の口はいつもより横に伸びている気がし、それに合わせて自分も笑うことができた。

「うん、叶恵……」


 叶恵からボールを受け取った梓は、そのまま利き腕の左手に持ち替え、傍で優しく見守っていた信次に目を合わせる。

「舞園……」

「先生、ピッチャー交替でお願いします」

「いけるか?」

「はい。今すぐは無理かもしれないけど、目の前にある高い壁を、ちょっとぶち抜いてみます」

「ヨシッ!!わかった!!」

 満面の笑みを見せた信次は、宇都木に打診してピッチャーの交替を伝える。容認に迷いを見せる宇都木ではあったが、笹浦二高の者が集まるサークル内を一番近くで見ていた者として、仕方ないが交替で試合の続行を決めた。

 スコアラーの隣で座る宇都木は、腕組みをしながらため息をついていた。

「スコアラー」

「はい」

「投手交替だ。背番号は……」

「舞園、梓さんですよね」

 宇都木は彼女の言葉に疑問を抱いて口を閉じてしまう。どうして彼女が相手の背番号以上に、名前まで知ってるのか。ふと、スコアラーのブックに目が行くと、その上には試合前に配られた、笹浦二高のメンバー表が置いてある。そしてその控え選手欄には、堂々と舞園梓と書かれていた。

『なるほど……』

 宇都木はメンバー表から視線を外すと、相手投手ではなく、笹浦二高ベンチから応援している田村信次を眺めていた。

『来るとわかっていたからか……』

 一度鼻で笑った鋭子は、そんな信次の姿勢からは、生徒を心から信じている温かな優しさをひっそりと感じていた。

 笹二の選手たちは試合続行と決まると、すぐにピッチャーズサークルから飛び出してそれぞれの守備位置に向かおうとしていた。その中で梓は、背中を向ける『10』番に声を放つ。

「夏蓮……」

「ん?」

 ライトに向かおうとしていた夏蓮が立ち止まり振り向くと、自然と梓と目を合わせていた。

「私の背番号決めてくれたの、夏蓮でしょ……ありがとう」

 梓の言葉に夏蓮は、一度キョトンとした顔を見せるが、すぐににっこりと笑って頷く。

「最初は嫌かなって思ったけど、梓ちゃんには十一番がいいかなって思ったからさ。ピッチャー頑張ってね!!」

 笑顔のエールを送った夏蓮が走り去っていくと、梓はしばらく夏蓮の背中を見続けていた。私の背番号『11』は、六年前デッドボールを当ててしまったバッターの背番号と同じ。最初は嫌がらせなのかなとも思ったし、当時の苦い思い出が甦ってしまい吐いてしまったくらいだ。でも、この意味を知ったのは、今みんなが私に背中を向けていることでわかった。そのチームには誰一人として、私の苦手な『11』を見せる者がいない。灯台もと暗しとも言うべきか、私の背中に背負うことで試合中は見ずに済む。さっきの様子から夏蓮は、その事まで考えてこの背番号を与えてくれたのかもしれない。本当に、頼りになるキャプテンだ、ありがとう。

 外野の夏蓮がライトに到着する頃には他の選手たちも守備位置に着き、人だかりが無くなったッチャーズサークルには梓と咲のみが残っており、二人向き合いながら話をしている。すると梓が先に口を開き、これから起こる災難を暗示させるような顔を見せていた。

「咲……私、やっぱコントロールは悪いままだ。相当迷惑かけるかもしれないけど、どうか頼む」

 梓の申し訳ない想いを表す言葉を聴いた咲だったが、いつも学校で見せる明るい笑顔を見せて、持っていたファーストミットを梓の胸に一度当てる。

「本気で投げなかったら、家のパンの廃棄、ぜーんぶ、買ってってもらうからね!!」

 自宅がパン屋さんである咲は最後にニッと笑顔を見せて背中を向けると、キャッチャーマスクを被って走り去る。

 背番号『2』を見送る梓は、そんな咲から心のゆとりをもらっていた。今なら、大丈夫かもしれない。思いどうりかは別として、今日はストライクが投げられそうな気がする……うん、絶対投げられる。

 咲がホームベースの後方で座ると、主審の合図をきっかけに梓の投球練習が始まる。久しぶりに明るい空の下にあるプレートからの投球、梓は深呼吸を見せて投球動作のセットに入る。懐かしい……この笹浦場のグランドの感触、吹き付けるそよ風の心地好さ、そしてみんなの声が聞こえてくるプレート。六年前となんら変わらないソフトボール場だけど、果たして私は変われたのかな……いや、変わらなきゃいけない。今この瞬間、私は六年前の者とは違うんだ。

 目を尖らせる梓は、前傾姿勢をとって左腕を地面と平行になるところで止め、次の瞬間、プレートを左足で勢いよく蹴ると共に左腕を大きく回転させる。引きずる左足からは大きな砂ぼこりが舞うなか、前方に踏み出された右足はドンッと地面に着地すると、キャッチャーに対して半身の状態を見せて立っており、勢い付いた左腕をブラッシングすると共にグローブを右太股にぶつけて、躍動感際立つ力強い一球目を放る。

 バシィーッ!!

 咲が構えていたファーストミットは構えていたところと少しずれてしまっていたが、梓の直球が無事に収められていた。それは音からもわかるように、叶恵を遥かに越し、相手のピッチャー呉崎(くれさき)のストレートをも越える速さがあると、笹二の選手、筑海の選手共々唖然として見ていた。

「ナイスボール!!」

 野性的な鋭い目をする梓から放たれたボールを、無事に捕球できた咲は、マスク越しからでもわかる笑顔を見せて梓に返球していた。正直、メチャクチャ痛かった。キャッチャーミットと違って私のファーストミットは長くて薄いし、土手とかへんなところに受けたら腫れ上がりそう……でも、想像していたよりも梓のボールはキテる。今のはコースが若干外れていたけれど高さは大丈夫。スピードもバッティングセンターで練習していたものよりも遥かに速く感じる。よし、続けて行きましょうか!!

 咲がミットを開く度に梓のストレートはドンドン投げ込まれていく。コントロールに苦しむ様子は何度も見受けられるが、それ以上にボールの速さに皆圧倒されており、それは筑海の監督、宇都木鋭子にも注目を浴びせていた。まさかこんな秘密兵器を隠していたとは……笹二は本当に恵まれたチームなのかもしれない。


「梓、投げられるようになったんだ……」


 ふと、宇都木の後ろから一人の部員がうれしそうに呟く。鋭子は後ろを振り向くと、そこにはキャプテンの花咲穂乃が目を輝かして微笑んでいた。

「花咲、あのピッチャーは知り合いか?」

「はい。スターガールズのときにピッチャーをやっていた子です。彼女のストレートはもうピカ一で、五年生のときに全国大会に全国大会に行けたくらいです」

「なるほど……五年生のときに、か?」

 その言葉を聴いた穂乃の明るい表情は一変し、下を向いて暗い様子を浮かべてみせる。

「はい……頭部へのデッドボールで怪我をさせたのが原因で、五年の秋に辞めてしまいました……」

「そうか……わかった、ありがとな」

 鋭子は穂乃から視線を外して、元のように梓の姿を見て座っていた。穂乃の言葉が確かならば、彼女は間違いない、イップスを抱えてしまったのか。思いもしないことが起こって、辞めるまでに至ってしまうのは辛いよな。それは私にもわかる……でも、それがスポーツであり、ソフトボールなんだよ。この地に帰ってきたからには、お前の気持ちを踏みにじるような真似はしない。だが、同じ球界を生ける者として、しっかりと立ち上がってもらうために、お前に手加減はしないからな。

 相手を氷付けにさせるような眼光を見せる宇都木が梓の投球練習を見ていると、梓は最後の一球を放って終わらせる。ボールが戻ってき、咲からのしまっていこー!!の声でゲームは再開。状況はノーアウトランナー満塁、ホームランが出ればサヨナラのピンチのなかのリリーフ登板。相手の五番バッターが右打席に入ると共に主審の声が響く。

「プレイッ!!」

 その声と同時に、咲と梓のサインのやり取りが始まる。投げられる球種がストレートのみの梓は、咲が要求するコースだけをしっかり認識して、頷いてセットに入る。今まで二号球で練習していた梓は、握る三号球が重く感じていたが、投球練習を終えてからさほど気にしていない。凛とした顔を見せて一つ息を吐くと、投球練習よりも目付きを鋭くさせながら投球動作に入る。その力強いウィンドミルからは、魂が込められた光輝く白球が放たれた。

 バシィッ!!

 やや高めに浮いた外角のストレート。しかしその球を、キャッチャーの咲はしっかりと受け止めていた。

「ストライク!!」

「ナイスボール!!」

 高らかに発する咲からボールを受け取る梓は、決して表情を変えることなく闘争心を燃やしている。ストライクを取れたことは確かにうれしいが、こんなところで満足してられない。絶対にアウトで抑える。

 周りからもナイスボールの声援を受けながら、ピッチャーはすぐに第二球目を放つ。

 バシィッ!!

 ブルンッ!!

「ストライクツー!!」

 インコースに決まった凄まじい速さの直球は、バッターが手を出したにはすでにバットを通り過ぎており、相手をすでに困惑させていた。

 バッターはバットを短く持つなか、梓は気にせず次のボールを放る。

『これで、終わりだっ!!』

 ブルンッ!!

 バシィーッ!!

「ストライク!!バッターアウト!!」

「ヨッシャー!!」

 雄叫びをあげた梓の渾身のストレートは、バッターの目の高さに外れていたが結果として釣り球の役目を果たし、先頭バッターを見事三振で切り抜けた。それは笹二ナインの元気をも吹き返すものであり、プレートを中心に全方向から仲間たちの、ナイスピーという声が届いていた。

 ワンアウト満塁、依然としてピンチの状況である笹浦二高だが、咲のワンナウトの叫び声が響くと、六番バッターが左打席で構える。

『左……』

 すると、プレート上の梓は一瞬目を見開いていた。咲のコースを確認してセットに入ると、先ほどはなかった手の震えを感じる。いや、大丈夫だ。昨日は投げられたんだ、それをもう一回やればいいだけなんだ。

 強気と険しい表情を見せる梓は、苦手意識のある左バッターに第一球目を投じる。

「!?」

「うわあぁ!!」

 梓が放ったストレートは咲の遥か頭上を通り越して行ってしまい、バックネットの上端に当たってしまう。しまったと思い、急いでホームベースへカバーしにいくが、儚くも咲がボールを持ったときには既に三塁ランナーが生還してしまい、辺りを見回せばランナーは二塁と三塁に進んでいた。

 筑海ベンチからナイスランと声が沸くなか、梓は咲からボールを手渡される。

「ご、ゴメン、咲……」

「大丈夫!!点差はまだあるから。リラックスリラックス~」

 笑顔の咲に左肩をポンポンと叩かれて戻る梓だが、その表情は険しさを増していた。どうして昨日のように投げられないんだ、できないはずがないのに。

 歯を噛み締める梓は、自分にはできるはずだといい聞かせながら再び投じていく。

「なっ!?」

「うおっとぉ!!」

 今度はボールが手元からすぐに地面に付いてしまい、左バッターボックスの後ろを転がってしまった。案の定、三塁ランナーは再び生還。いくらピンチの場面と言っても、たった二球で、しかもこんな不完全燃焼な投球で二点を取られたことは、梓はもちろん、選手たちや信次の明るさを奪っていた。

 その様子は相手の筑海ベンチに座る宇都木鋭子にも伝わっており、さっきまでの勢いはどこにいったのかと、しかめるピッチャーを見ながら疑問に思っていた。

「はっ!?」

「マジかぁー!!」

 三球目は右バッターボックスの後ろをノーバンで通り過ぎていきバックネットに直撃。しかし勢いがあった直球はすぐに咲のもとに返ってきて、なんとかランナーを三塁に留まらせた。同点にはならなかったものの、それは笹二の雰囲気を重くしており、梓は自分のせいだと感じていた。自分でまかせてとか言っておいて、このザマなんて……どうして、どうしてこうなるんだよ……


 バシィッ!!

「ボールフォア!!」

 最後は咲がミットになんとか収めることができていたが、ボールは右打席を割くように大きく外れてしまい、結局この左バッターにはストレートのフォアボールを与えてしまう。

 プレート上で悔しがる梓、そんな彼女を知る花咲穂乃も、心配した様子でベンチから眺めていた。やっぱり、まだ完全復帰っていうわけではないのかな……

 筑海ベンチで声を出しているが、戦う相手のはずなのに闘争心を燃やせない穂乃は、傍にいた宇都木監督に顔を向けられる。

「なあ花咲……」

「はい?」

「あのピッチャーが当てたバッターは、左バッターか?」

「あ、はい!ど、どうしてわかったんですか?」

「見ればわかるさ、こんなに変化されてはな……」

 すると鋭子は立ち上がり、主審のところに向かって代打を告げる。ベンチから出てくるバッターには、ボール玉は振るなよと囁いて見送り、プレート上で汗を拭う梓を眺めていた。

 ボールを見ながら握りを確認していた梓は、バッターボックスに目を向けると、そこにはハッとさせる相手の意図を感じていた。そこには、代打で起用されたバッターが左打席で構えており、梓の表情がより苦いものへと変わっていく。


『悪いな、ピッチャー……これは、あくまで練習試合だ。正直、勝敗などどうでもよいが、お前の潜在意識を引き出すためにも、容赦はしないぞ』


 明るい雰囲気が一変してしまった笹浦二高。対して追い討ちをかけるかのように攻撃を行う筑海高校。試合は八対七で笹浦二高のリード。

 勝っているのに追い込まれた様子を浮かべる梓は、その震える左手の指先を見ながら、再びグローブからボールを取り出していた。


皆様こんにちは。台風の被害から早くも一週間がたちましたがいかがお過ごしでしょうか。テレビを見ていると避難生活で苦しむ人々が何人も見受けられ、非常に心が苦しい思いです。追い打ちをかけるような雨の影響で水域は増していると聴いておりますが、どうか皆様がご無事であることを御祈り申し上げます。また、再び強い台風が来ているため、一刻も早い復興を望んでおります。私の住む大好きな茨城県の皆さん、どうか絶望せず、前向きな希望を持っていてください。

私事ですが、近々ボランティアに出向こうと思っております。壮大な苦しみに耐える皆様の、ほんの少しでも役にたてられればと思っております故、引き続き生きていてください。特に未来を担う子どもたち、決して挫けずに前を向いて過ごしていてください。

一応、今回も投稿させていただきますが、皆様のご家族、ご親戚が元の生活に戻ることを心から願っております。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ