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プレイッ!!◇笹浦二高女子ソフトボール部の物語◆  作者: 田村優覬
一回裏◇始まる伝統の一戦。乗り越えろ恐怖の一戦―vs筑海高校編◆
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去年には無かったもの

練習試合はいよいよ最終回。

しかし、ピッチャーの叶恵にある異変が訪れる。心配する仲間たちであったが、それは一触即発のムードに発展させてしまう。

叶恵とチームの絆はどうなるのであろうか。


 バシッ……

「ボール!!フォア!!」

 六回裏。笹浦二高対筑海高校の練習試合は、ついに終盤戦へと突入していたが、その雰囲気は今までの試合の流れとは異なるものだった。

 ピッチャーの月島叶恵(つきしまかなえ)は、先頭バッターの一番、花咲穂乃(はなさきほの)に対して、投げたボールは僅かにも外角に外れており、いきなりのフォアボールを出してまう。

 先程のトリプルプレーというファインプレーで、息を吹き返したと言わんばかりの筑海高校ベンチは、たった一つのフォアボールに対して、選手全員が声をあげて喜んでおり、この練習試合最初の頃とは別のチームかのように思わせるほどだった。

 一方、選手は守備に就いており、顧問とマネージャーの二人のみベンチに存在する笹浦二高ベンチでは、スコアラーとして記録をつけている篠原柚月(しのはらゆづき)は、ピッチャーズサークルで汗を流す叶恵に違和感を覚えていた。

「この試合初めてのフォアボール……しかも先頭バッターに……」

 ソフトボールでは基本的に、先頭バッターへのフォアボールは相手にみすみすチャンスを与えているようなもので、御法度とされている。それは、経験者の叶恵ならわかっているはずだが、プレート上、肩で息をしながらロジンをポンポンと叩く彼女からは、柚月を自然と心配させる気持ちを生み出していた。自分が記したスコアブックをまじまじと見て、まず叶恵の投球数を確認する。

「ここまで九十六球……マズイかも……」

「え?マズイのか?」

 柚月の独り言には、隣にいた田村信次(たむらしんじ)も不思議そうに反応していたが、柚月はそれに返答することなく、持っていたロジンを地面に叩きつけ、辛さを堪えるような表情を浮かべる叶恵をじっと見つめていた。

 叶恵の投球内容は、ここまで零封という圧巻したピッチングだった。しかし、そのアウトのほとんどは三振から取っており、球数は自然と多くなるのは周知である。また、一番バッターとしても活躍する彼女は、この試合の全打席で全力疾走をしており、盗塁などを含めて様々な場面で俊足を活かしてきた。

 そんな活躍を見せている彼女には、きっとスタミナ的に限界が近づいているのだろう。昨夜の光景で、叶恵が、この試合に懸ける想いが誰よりも強いことを知っている柚月は、より一層、眉間に皺が寄っていた。

 また、キャプテンとしてチームを支える、ライトの清水夏蓮(しみずかれん)にも、遠くにいながらも、叶恵の状態が気になっていた。幼い頃はブルペンキャッチャーをよくしていた夏蓮には、今の叶恵はステップが狭まっており、体の開きが早くなっていしまい、足腰が全く起動していないのがよくわかる。放たれるボールも高めに浮いてしまうのがほとんどで、それを修正しようとするがワンバウンドと、完全に悪循環に陥っていた。

「叶恵ちゃーん!!打たせていこー!!リラックスリラックスー!!」

 タイムをかけようとも考えたが、叶恵のことを信じて声援だけを送ることにした。きっと叶恵ちゃんなら大丈夫だ。誰よりもソフトボールに熱い情を持つ彼女なら、こんなところでへこたれやしない。

 叶恵への期待を高めると共に、夏蓮は周囲の選手に、大きな声で指示を送って、次のバッターを待っていた。

 ノーアウト一塁。筑海高校の二番バッターは、監督の宇都木鋭子(うつぎえいこ)のサインを確認すると、ヘルメットのツバを触って合図を送る。一塁走者の穂乃と一度アイコンタクトをとったあと、左打席に入ってバントの構えを見せていた。

 プレート上では、叶恵が息を上げながらもセットに入っていたが、相手が何をしてくるのかは予想がついていた。

『どうせ、盗塁でしょ。外角に速い球投げれば問題ない』

 そう考えて、キャッチャーの中島咲(なかじまえみ)とサインのやり取りをし、やっと首を縦に振って投球動作に入った。ボールが手元から離れた瞬間、案の定、周りからは「走った!!」の声が鳴り響いており、咲の構える外角方向に白球を投じた。

「あっ!?」

「うおっと!!」

 ドン、パスッ……

 叶恵の投げたボールはホームベースの手前でバウンドしてしまい、捕球できなかった咲の後ろに転がってしまう。

 後逸してしまった咲はすぐに転がるボールを拾いに行くが、手に取ったときには、既にセカンドベース付近ででランナーがハーフウェイでこちらを見ており、悠々セーフとなってしまった。ゴメンゴメン、と明るく声を放って返球するが、受け取った叶恵の表情には、五点リードをしているのにも関わらず、もう余裕の二文字が感じられなく、先程までと別人のようにも見えていた。

 ボールを受け取り、天を見上げる叶恵は、ピッチャーズサークルで何度か軽くジャンプをし、荒ぶる心を落ち着けようと努力していた。

『冗談じゃない。あと二回……あとアウト六つなのよ……しっかりしなさい私!!』

 ツインテールと共に揺れるジャンプを終わらせると、再び咲と首振りのやり取りをし、セットをしてボールを投げていった。

 バシッ……

「ストライク!!」

 なんとか入った外角へのスライダーでワンボールワンストライク。しかし、咲が構えていた内角とは真逆の方向へと行ってしまっており、この一球のストライクですら、かなりの労力を感じていた。ボールを返球されて再びセットを構える。あとアウト六つで勝てる。その想いを強く抱きながら、今度はドロップを投げ込んだ。

 コーン……

『セーフティ!!』

 二番バッターはボールをバットに当てるとすぐに走っていき、白球はサードライン上を転がっていた。少しずれればファールだ。叶恵はボールのもとに向かい、サードの牛島唯(うしじまゆい)を憚るように立ち、ファールゾーンへとキレるのを待っていた。

 コロコロ……ピタッ……

 しかし、無情にも三号球はライン上で止まってしまい、結果内野安打となってしまった。

 何度も大歓声が湧くサードベンチの近くで、叶恵は舌打ちをして苛立ちを見せながら、ボールをすぐに拾ってプレートへと向かう。

 その様子を見ていた筑海ベンチの宇都木も、叶恵の極限状態が伺われた。

『元から球威はそれほど無いから、ここまで工夫して変化球ばかり……しかし、それは肘や肩に大きな負担になるはずだ。それにバッターとしてもあんなに動いたら、もう立っているだけでも辛いだろう。球威も無ければ、今は変化球のキレも感じない。そしてソフトボールの女神様からも見放されているようだ。さあ、ここからどうするよ?』

 状況はノーアウト一三塁。バッターボックスには三番バッターが構えていたが、叶恵が放つボールはワンバウンド、高めに浮いてしまうなどでボールカウントは徐々に増えていき、なかなかストライクが入らない状況を目の当たりにしていた。

「おい、錦戸(にしきど)

「はい!!」

 ネクストバッターとして素振りをしていた四番の錦戸(にしきど)を呼び出して口を開く。

「ピッチャーは荒れ始めてるから、狙い球を絞ってフルスイングしてこい。間違ってもボール球には手を出すなよ」

「はい!!」

 バシッ……

「ボール!!フォア!!」

 この回二度目の四球で、ついにノーアウト満塁となってしまった。ソフトボールの経験のない、牛島唯(うしじまゆい)植本(うえもと)きらら、星川美鈴(ほしかわみすず)東條菫(とうじょうすみれ)菱川凛(ひしかわりん)たちにも、叶恵の辛そうな様子が伝わっており、ドンマイドンマイ、打たせていけと、後押しをするよう声をかけている。

 しかし、両袖で汗を拭う叶恵には、周りの声を聴く余裕すらなく、全く届いていなかった。

 そしてバッターは四番キャッチャー錦戸。

 ここまで良いところはないが、左打席でどっしりと構える大きな体からは、叶恵には自然と威圧感を感じさせていた。

『ストライクを取りにいきたいところだけど、甘くはいったら絶対にやられる。コーナーを突いていくしかないか……』

 相変わらずの焦る表情を浮かべながら、叶恵は咲を誘導させており、配球とコースを決めてセットに入る。

『どうせ打ちにくるんでしょ。だったらまずは、インコースの低めに落ちるドロップで……』

 叶恵は一つ息を吐いて、腕を回してウィンドミルをし、自分の得意球を放った。

『よしっ!!』

 叶恵のドロップは、予定通りバッターの内側へと向かっていく。投げ抜いた後の、指先の感触も悪くない。そう思いながら、ボールがキャッチャーミットに納まるのを待っていた。すると、ボールがミットに入ろうとする刹那、横から一本の刀剣が飛び込んでくる。


 カキィィーーン!!

「えっ……」

 恐ろしいほどの快音がグランド中に響き渡ると共に、叶恵が目で追っていたボールは消えていた。ただ目の前には、バットを振り抜いたバッターと、驚いた様子で固まる咲だけが見えている。一体、ボールはどこに行ったのだろうか。虚ろな目をしながら探していたが全く見当たらない。ふと、周りの選手の顔を見てみると、皆唖然として同じライト方向を向いており、つられてその方向へと視線を移してみた。

 ボトン……

 振り向いたと同時に、ライトの方からは、芝生と何かの接触音が聴こえたが、その何かの正体は、外野フェンスラインを越えたところで転がる白の塊を見て検討がついた。

「ホームラ~ン!!」

「ヨッシャー!!」

 学生審判のジャッジの後に、バッターの錦戸は大声を上げて拳を挙げ、ゆっくりとベースを走っていた。筑海ベンチからは壮大な声援が鳴り響いており、皆自分のことのように祝福している。

 このとき、疲弊しきった叶恵はやっと、現在どういう状況か把握することができた。

「満塁……ホームラン……一点……差……」

 一人言でも片言でしか口にすることが精いっぱいだった。

 バッターがホームベースを踏んで、まずはランナーから、そしてベンチへ返ると全員から、ヘルメットの頭を叩いたり、ハイタッチをしたりと、手厚い祝福を受けている。

 試合は五対四となってしまい、依然としてノーアウト。ストライクがなかなか入らない。思い通りの場所に投げられない。投げられたとしても、球威とキレが無くて結局打たれてしまう。勝っているはずの彼女からの目からは、既に輝きは無くなっており、両手を膝に乗せて、ひたすら絶望を味わっていた。


「た、タイムお願いします!!」

「タイム!!」

 一塁学生審判が叫ぶと、ライトの方からキャプテンの夏蓮が、心配した様子で走っており、ピッチャーズサークルに駆け寄る。ダメだ、叶恵ちゃんはもう限界かもしれない。少しでも時間をとって休んでもらおうと、内気な彼女は勇気を振り絞ってタイムと叫び、叶恵のもとへと到着する。

 そのキャプテンを見て、守備のみんなも自然と集まっており、苦しむ叶恵を取り囲むようにしていた。

「叶恵ちゃん、大丈夫?」

 夏蓮の優しく問いかける言葉は、共に困惑したニュアンスも含まれていた。うちのチームには控えのピッチャーはいない。ここでダメだと言われれば、試合を中断することになる。汗が止まらない様子の叶恵に目を合わせようとするが、一方的にこちらが見ているだけで、下を向く叶恵は合わせようともせず、僅かに口を開く。

「なんで……タイムなんて、かけたのよ……時間の無駄よ……」

 練習では特攻隊長と言わんばかりの勢いと元気を見せつける叶恵だったが、今回はそれらが全く感じられず、周囲のみんなも違和感を感じて見ていた。

「叶恵ちゃん、ここまで本当にナイスピッチングだよ。ここからは、打たせてアウト取っていこう。私たちも頑張って打球を捕るから。信じて……」

 夏蓮は、そんな叶恵に対しては頭が上がらない。この試合のほとんどは三振からアウトを取っており、共にバッターとしても活躍していた背番号一番。ここまでゲームを進めてくれたことには感謝しきれなく、笑顔で言葉を送っていた。

「フフ……信じて……ですって?」

 一度笑った叶恵は、膝についていた手を腰に添えて、夏蓮と目を合わせ始める。不敵な笑みを浮かべて見下すようにするピッチャーは、優しく振る舞う夏蓮に言葉を投げる。

「冗談でしょ……こんな寄せ集めの素人たちを信じろ、なんて……無理に決まってんじゃない……」

 叶恵の、あえてみんなに聞こえるように話した言葉には、夏蓮は予想もしておらず、驚いて目を見開いてしまった。

 笹浦二高ソフトボール部は、今はマネージャーも含めて十人の部員がいる。その中で初めてソフトボールをする者は、唯、きらら、美鈴、菫、凛とおり、半分の選手が未経験者にあたる。また、経験者ではあるが、小学校卒業時からボールを握っていなかった夏蓮と咲にも、四年近くのブランクがある。きっと叶恵の思う経験者とは、アメリカで経験していたメイ・C・アルファードしかおらず、このチームは所詮、未経験者たちの集まりだと思っているのだろう。


「おい!!てめぇ、今のどういう意味だよ?」

「ゆ、唯。落ち着いて」

 叶恵に怒りの表情を顕にしながら歩み寄ろうとした唯を、後ろからきららが、口癖の『にゃあ』を付けずに取り抑えていた。

 一触即発の空気が漂うピッチャーズサークルでは、誰もが困惑した表情を浮かべており、唯一、一人微笑する叶恵は、怒れる唯に向けて口を開ける。

「だいたい、アンタは初回にエラーしといて……よくもこんな大口叩けるもんだわ……」

 呆れたように話し続ける叶恵には、唯の血は昇る一方だった。

「てっめぇ~……前から思ってたけどよ、てめぇの性格はマジでムリだわ」

「唯落ち着いてよ!喧嘩してる場合じゃないって!」

 再び語尾を無くして言うきららは、唯を押さえ続けているが、叶恵は唯だけでなく、全ての部員に言葉をぶつける。

「それはこっちのセリフよ。下手な奴が偉そうに喋るな!どうせお遊び程度で集まるような奴らに、どうこう言われる筋合いなんか無いのよ!」

「野郎~!!」

「ゆ、唯先輩!!落ち着いてください!!」

 拳を振りかざそうとする唯には、傍にいた菫も正面から抱き合って抑え始める。それでも動こうとする大きな猛牛を、今度は咲も正面から抱き合って止めに入り、三人がかりでやっと止めることができた。

「唯先輩の、侮辱は……許さない……っす……」

「はあ?」

 叶恵は、憤りを収められない唯を見ていたが、ふと後ろから声がして振り返る。すると、そこにはファーストを守っていた美鈴がおり、唯と同様、厳しく睨み付けるように立っていた。

「いくら唯先輩と同い年だからって、何でも言っていい訳じゃないっす!!」

「何よ?金魚のフンも、それなりの感情を持ってるのね」

 次の瞬間、金魚のフン呼ばわりされた美鈴は、歯をギシギシ鳴らしながら叶恵に近づこうとする。

「あんまりイイ気になるなっす!!」

 拳を強く握りしめ、一歩ずつゆっくりと近づいていくが、キャプテンの夏蓮とセカンドの凛が正面から量肩をそれぞれ押さえて止めに入っていた。

「美鈴ちゃん、落ち着いて落ち着いて!!」

「喧嘩はダメ、絶対!」

 普段から大人しい凛ですらも、困惑した表情をして抑えており、二人の小さな体から叫んでいた。

「アワワ!!私は何係になれば良いんですか!?」

 一人残されて叫ぶメイは周囲を走り回るようにしていたが、今の状況を明確に表している。

 プレート上で他者を蔑む目を見せる一人の選手。それに対して憤怒し睨み付ける二人の選手。それらを抑えている残りの選手。鼠捕らずが駆け歩く一人の選手。周りから見ていても、全く収拾ががつかない様子だった。

 憤怒する美鈴を抑えている夏蓮も、タイムをとってこんな状況を作りたかったわけではないと思いながら、必死に止めている。もうどうしたらいいの?誰か、助けて……


「スト~~ップッ!!」

 女の子だらけのグランドに、一人の男の大きな声が鳴り響く。フィールド上にいるナインは、改めてその声の鳴った方を一斉に見ていた。すると、一塁ベンチから田村信次が、後ろに、制服姿で困った様子を見せる柚月を連れて歩いており、場違いの微笑んだ表情でこちらに向かっている。

 信次はピッチャーズサークルの傍まで来るが、叶恵の目の前を通り過ぎていき、まずは三人に取り抑えられている唯のもとで立ち止まった。

「牛島……まぁ落ち着けって」

 ニコッと微笑みを見せながら目を合わせるが、未だ怒りが収まらない唯は、信次に対しても恐ろしい眼光を解き放っている。

「だって、こいつが悪いだろ?こっちは楽しくやってんのによ!!」

 叶恵にグローブの先を向ける唯は、声を荒げて言い切り、最後に右拳を強く握りしめていた。

 すると、信次は唯の目の前でしゃがみこんで、彼女の、土で汚れた右手を包むように、両手でゆっくりと覆っていた。

「な、なにすんだよっ!?」

 突然他人の温もりを感じた唯は、さっきまでの怒りの表情ではなく、顔を赤くしながらも我に返った様子でいた。しゃがみこんで手を握る信次を見ていると、男はゆっくりと顔を上げて、優しい表情で声をかける。

「暴力が良くないってことは、牛島が一番知っているはずだよ」

「……」

 信次の言葉に唯は返すことができず、男の両手のなかで、自然と自分の右手の力を弱めることができた。唯は幼い頃から父親に執拗な暴力を受けていた。その壮絶さは、今でも身体中に痣が残っていることが証明しており、夢でも出てくるくらいトラウマになっている。また、自分の家まで来て、実際に殴られた信次だってよくわかっている。そんな、自分の内なる悩みを知っている信次からの言葉には、普段から大人なんて嫌いだと思っていながらも、素直に従うことができた。

「美鈴……お前も落ち着け……」

 俯く唯は静かに声を放ち、二人に取り抑えてられている美鈴と目を合わせる。

「でも、唯先輩……」

「俺のことは気にすんな……お前には、汚れてほしくねぇからさ……」

 困惑した表情を浮かべる美鈴も、利き手の左拳を開き、抑える二人から解放される。唯からの言葉には、俺みたいな暴力的になるな、というニュアンスが込められているのを感じ、尊敬する彼女からの優しさをひしひしと感じながら落ち着きを取り戻していた。

 信次の登場で二人の怒りが収まったのを確認した夏蓮は、ホッと一安心していた。きっと自分ではまとめられなかったにちがいない。先生ありがとう。言葉に出して伝えたい想いはやまやまだが、今度は信次と叶恵が向き合っているのが見えたため、黙って二人のやり取りを見送ることにした。

 依然として叶恵は片足に重心を置きながら立っており、ふて腐れた様子が伺われる。目の前で堂々と立つ信次を見上げながら、彼女は一度鼻で笑い話す。

「何しに来たのよ?この素人監督……」

 叶恵の挑発的な一言には、夏蓮も黙っていられなくなり、「叶恵ちゃんも、もう止めてよ!」と、感情的になってしまい、少し涙を浮かべながら叫んでしまう。私たちはこんな喧嘩をしに来たわけじゃないのに。

「大丈夫だ。清水……」

 しかし、信次が右腕を横に伸ばして庇うようにしており、渋々であったが黙ることにした。

 一度夏蓮に目を合わせて頬を緩ませる信次は、表情を変えずに叶恵の方を向きはじめる。

「いや~、こういう場面、ちょっと憧れていたんだよな~」

「はぁ?」

 何が飛び出すかと思えばそんなこと!?

 驚きを隠せなかった夏蓮はとっさに言ってしまった。

「よくプロ野球とかであるだろ?ピンチのときに皆で集まるやつ。ああいうのって、一体何を話してるんだろうなぁって思ってさ。だから一度、この場所に来て確かめたかったんだよ!!」

 両腰に手を添えて、夢が叶ったかのように喜ばしく話す信次であり、傍にいた夏蓮も突っ込みをいれようか迷っていた。今はそんなことを言う場面じゃないのに。さっきまでの先生はどこに行っちゃったの?便りになる先生だと一度は思えたが、もう既にため息が出るほどのものだった。

 すると、叶恵は再び鼻で笑っており、 目の前の信次に口を出す。

「頭の中身も素人そのものね。こりゃあ手の施しようがないわ」

 両掌を上方に向けて、理解不能のサインを示して、暗に信次を馬鹿にするような態度をとっていた。

 しかし、信次はその態度が気にならなかったのか、表情を明るいままに保ち、不敵な叶恵と目を合わせる。

「月島、打たせていけばいいじゃないか。うちのキャプテンだって、そう言ってるよ」

「フン……生憎、これは私の試合なのよ。この試合は、去年の復讐と共に、自分がどれだけ成長できてるかを証明することができる。だから、下手な素人たちに、背中を預ける真似はできないわ」

 偉そうに話した叶恵の言葉が終わると、ピッチャーズサークルに集まる選手の間には、再び不穏な空気が流れる。

 しかし、去年、筑海高校との練習試合で、ボロ負けを喫した叶恵は、自身の発言を撤回する気は毛頭無かった。あんな屈辱的な出来事は、ソフトボール人生において初めての経験であり、それを今回の勝利で払拭したい。練習試合の相手が筑海高校と聞いてから、夜の自主練習だって、いつもより一時間以上長くやってきた。この試合は、何がなんでも勝つ。そんな想いが募りながら望んだ試合だった。

 すると、信次は一度目を瞑り、腕組みをしながら息を一つ吐いていた。ゆっくりと開かれた瞼からは、相手を哀れむような目が向けられた。

「それは、試合じゃないよ……」

「はぁ?」

 信次の哀愁を漂わせる言葉には、叶恵も苛立ちを覚えていた。どうして自分のために試合をやってはいけないのよ。私はただこの日を勝利で飾りたいだけなのに。疑問と共に苛立ちを覚えながら、ただ信次の返答を待っていた。

「ソフトボールの試合は、九人……いや、ベンチも含めて、みんなで行うものだろ?長年の経験者である月島なら、わかるはずだよ」

「そんなの知ってるわよ!!」

 叶恵は自ずと声を荒げてしまう。信次の言い聞かせるような言い方には頭にきており、怒りを抑えられないまま話を続ける。

「最低でも九人!!ソフトボールは歴とした団体スポーツよ!!でも、バッテリーの一人であるピッチャーは違うのよ!!」

 ソフトボールは確かに九人がグランドにいて初めて成り立つスポーツである。しかし、その役割には皮肉にも差があり、特にバッテリーのピッチャーとキャッチャーは、試合の九割を司ると言われている。その重責を感じながらも、叶恵は日々勝利のため、そしてプロになるという夢のために努力してきた。その努力を示すことができるのが試合。そして、因縁の相手である筑海高校を、何としても倒したい。誰よりも野心を燃やす彼女は、もう疲れていることを忘れ、立ちはだかる信次に言葉をぶつけていた。

「うちのキャッチャーはしっかりしないし!!だったら私だけで十分よ!!この試合は、絶対に勝つ!!そして、高校卒業したら、絶対にプロになってみせる……」

 最後はまるで野望を語るように、重々しく話していた。

 叶恵の言葉を聞いていたキャッチャーの咲は、暗い表情で俯いていた。確かに自分はキャッチャーをやったことがなく、彼女の言う通りしっかりしていない。配球の仕方や叶恵の特徴もわかっていない、ただの壁のような自分を改めて恥じていた。

 話を聴いていた柚月は、落ち込む咲を励まそうとするが、決して叶恵は間違っていないと感じている。キャッチャーを経験している彼女にとっても、叶恵の言ったことはもっともであり、捕手の責任感だって甚だしいものだ。柚月は咲の隣に移り、「大丈夫だよ、これからだから」と、肩を優しく叩いていた。

 すると、叶恵の罵声を聴いていた信次は、なるほど、と一言告げた後、膝に両手を添えて、叶恵と同じ目線になって微笑みを見せ始める。

「月島の気持ちはよくわかった!!それを知らなかった僕は、本当に愚か者だ!!」

 叶恵は、突然目の前で反省する信次を見て、怒りよりも驚きが込み上げていた。こんなにもあっさりと謝るなど想像しておらず、不審な思いで目を合わせている。

「でも、言ったじゃないか。夢は、一人で追うなって……」

「……」

 次の瞬間、叶恵は、信次の前で目を見開いて固まってしまう。以前、現代文の授業で、信次が教えていた内容と同じ言葉だった。夢を一人で追うことは、とても叶えることが難しく、例え叶ったとしても、誰からも祝福してもらえず儚いものである。だからこそ、一つのにんべんに夢を足して『儚』。それはまるで自分のために告げられたような気がしていた。そんな叶恵は、ずっと優しく見守る信次の前で、何も言えず口を閉ざしたままだった。

 そんな信次と、叶恵は目を合わせているのが辛くなりそっぽを向くと、笹二の監督は手を膝から離して立ち上がる。

「よしっ!!仕切り直しだ!!全員で円陣組むぞ!!」

 明るくハキハキと答える信次には、みんな素直に聞き入れており、ピッチャーズサークルに沿って円を作る。まずはキャプテンの夏蓮、その隣に喜ぶきらら、次いで美鈴、唯、菫、凛、メイ、咲、柚月、そして叶恵、が肩を組み合って円陣を完成させた。

「唯先輩……申し訳なかったっす……」

 美鈴は、自分が殴ろうとしたときに止めてくれた唯に申し訳なく呟いた。いくら尊敬する先輩のためとは言っても、暴力は良くないことは唯から何度も言われている。自分が犯そうとした罪を、改めて感じていた。

「気にすんなよ美鈴。お前は優しいままで良いんだよ。それに、東條たちにも迷惑かけたな。わりぃ」

 唯は、右隣で暗い顔をする美鈴に告げたあと、左隣にいる菫、その隣の凛にも向かって言っていた。年下にも関わらず、わざわざ止めに入ってくれたお陰で喧嘩することなく済んだ。そんな勇敢である二人にはとても感謝していた。

「いえいえ。牛島先輩がもとに戻ってくれて何よりです!!」

「喧嘩しないで良かった……」

「Happy endingですね!!」

「あなたは何もしてなかった……」

 メイは突然、凛の隣でうれしそうに叫んでいたが、不快そうにいる凛は、走り回ることしかできていなかった彼女に冷たい突っ込みを入れていた。

 また、メイの次には、未だ落ち込んだ咲がいるが、その隣にいる柚月は優しく微笑みを見せていた。

「元気出しなさい、咲。涼子(りょうこ)ちゃんに良いとこ見せるんでしょ?」

「でも……いないし……」

「きっとまた来るわよ。それまで、へこたれちゃうのはダメよ」

「う、うん……」

 大好きな先輩であり、バレーボール部であった自分をソフトボール部へと導いてくれた泉田涼子(いずみだりょうこ)のためにもがんばらなきゃ。そう思いながらこの試合に望んだ咲だったが、あまり納得をしていない様子で、表情が変わることはなかった。

 咲に話しかけた柚月は、その反対側の叶恵にも話しかける。

「月島さん。みんなだって、一生懸命練習してきたよ。きっと、月島さんの期待に応えてくれるわ」

「……」

 叶恵もふてぶてしい様子で黙っていたが、ちゃんと聴く耳を持ってくれているのは確かだった。叶恵以外の選手だって、四月から厳しい練習を乗り越えてきている。激しく燃え盛る炎の中を歩く、そのような苛酷さは、マネージャーとして見てきた柚月にはよくわかる。みんな汗を流し、歯をくいしばってやってきた。その一生懸命さは、裏で努力する叶恵とだって同じである。叶恵だけでなく、今ここにいる皆に絶対的な信頼感を密かに置いていた。

 円陣は完成されたのを、後ろで笑顔で見届けていた信次だったが、繋ぎ目である夏蓮ときららは一度離れているのが見えた。どうして肩を組まないのだろうと、笑顔が消えて不審に思っていたが、その二人は同時に首を捻って明るい顔を見せる。

「先生もやろう!」

「信次くんと肩組みたいにゃあ!!」

 明るく振る舞う二人に対して、まだ円陣を組んだことがない信次は驚いてしまった。

「えっ!?ぼ、僕も!?」

「うん。ソフトボールは、ベンチにいる人も含めてやるスポーツでしょ」

 微笑みを続ける夏蓮の、自分も放ったもっともな言葉に、信次はどうしたら良いか躊躇していた。男性教師が女子と肩を組むなんて、色々マズイのではないか。しかし、他の選手からも誘われていたため、渋々ではあったが輪のなかに入ることにし、右のきらら、左の夏蓮と肩を組み合う。

「信次くんの肩、温かくてカチカチにゃあ……」

「おい、きらら!!試合中に何考えてんだ!!」

 笑顔で呟くきららに、唯は赤面しながら突っ込みを入れる。ゴメンゴメンと軽く謝ったきららだったが、唯は変な熱に襲われていた。

 苦笑いをして返す信次だったが、そんな二人のやり取りは、今ここで円陣を組む選手たちに笑いを起こしており、一時を安らぎを与えているのが伺われた。

「よしっ!!」

 信次は気を引き締めて、大きく息を吸い込んで、地面に向かって声をぶつける。

「まだ一点差でこっちは勝ってる!!例え逆転されたとしても、次の回がある!!ボールが放たれた次の瞬間、自信を持って、精一杯プレーをしていこう!!」

 信次の言葉には、多くの選手たちが、強気の笑顔を見せて頷いていた。

「よしっ!!キャプテン!!」

 信次の言葉に夏蓮が最後に頷いたあと、監督と同じように息を吸い込み、そして声と共に吐き出す。

「ががやけ~!!」

「「「「笹二ファイトーー!!!!」」」」

 全員が叫び終えると、円陣は徐々に解かれていき、選手たちはもとのポジションへと勢いよく駆けていく。

 話し合いながら外野に走る夏蓮ときららとメイ。

 内野で指示を出し合う唯と菫と凛と美鈴。

 ベンチに戻って声援を送り始める信次と柚月。

 そして、ピッチャーズサークル内には、俯いた叶恵と、対して背を向けて立つ咲が残っていた。

 普段ならここでピッチャーとキャッチャーは戦略を練るのだが、叶恵は、そんな背中を見せ続ける咲には、正直なんて言葉を発したら良いかわからなかった。うちのキャッチャーはしっかりしないし、などと蔑んだことが、内心酷いことを言ったかもなと、今更申し訳なく感じている。流石にあれは言い過ぎだ。素直に謝ろう。

「あのさ……」

「うわぁ~!!ダメだダメだ~!!」

 すると、咲は突然、自身の頭を両手で叩きながら、空に向かって叫び始める。

 叶恵は、あまりの突発的な出来事を目の当たりにして、固まって口を閉ざしてしまうが、次の瞬間、背番号二番は消えて、キャッチャーレガースを身につけ凛とした表情が目に映った。

「叶恵ちゃん、ゴメン!!」

 咲は勢いよくお辞儀をして叫ぶ。

「な、なんでアンタが謝るのよ?……」

「私はキャッチャーでありながら、ピッチャーの心情もわからないし、何も知らないおバカさんだから!!」

「はぁ?」

 頭を下げ続けている咲の答えには、叶恵は呆気に取られれていた。

 すると、咲は頭を上げて、再び口を開く。

「叶恵ちゃんには、これからも迷惑をかけると思う。でも、こんな私だけど、一生懸命頑張るから!!だから、いっしょに頑張ろっ!!」

「アンタ……」

 叶恵たちの間には沈黙が起こり、少しの間時が止まったように感じていた。私はあんな酷いことを言ったのに、逆に謝られてしまった。どうしてよ……あなたは悪くないのに。叶恵は改めて自分の愚かさに気づいていた。この試合に勝ちたいのは、決して自分だけではない。周りから声をかけてくれる選手たち、ベンチから応援する柚月や信次、そして目の前にいる咲。みんな、勝ちたいからこそゲームに臨んでいるんだ。独り善がりで頑張っていた私は、周りも見えない、ただのバカだ。一番しっかりしていなかったのは、自分だったのかもしれない。

「……そうよね……」

 叶恵はポツリと言葉を漏らすと、咲は何か気づいたかのように声を上げる。

「ああー!!ゴメンなさい!!勝手に名前で呼んじゃった!!馴れ馴れしくしてすみません!!」

 焦りだした咲は再び頭を下げて謝罪をしていたが、それに対して叶恵は、声を出して少し笑っていた。

「あれ?月島さん?」

 咲は、突然笑い声が聞こえて不思議に思い、ゆっくりと顔を上げると、

「違うわ!!」

 と、練習でよく聞く叶恵のトーンが耳に入る。

「折角だから、アンタの指示に従うわ。ちゃんとやりなさいよね!?……咲」

 左手を腰に付け、グローブを向ける叶恵が言うと、咲は大きく目を見開いて輝かせていた。

「うん!!叶恵ちゃん!!」

 満面の笑みを浮かべた咲はその一言を最後にして、軽快にバッターボックスへと向かっていった。二人の様子は、守備に就いている者、ベンチにいる者も含めて理解することができ、笹浦二高には、再び前向きな明るさが戻っていた。

『正直、もうクタクタよ……だからこそ、私はまずアンタを信じるわ……』

 咲がマスクを被って座り、バッターが打席に入るのを確認した叶恵は、まずはキャッチャーからのサインを見る。出された指示は外角へのドロップであり、一発で首を縦に振り、大きく開かれたキャッチャーミットを眺めてセットに入る。

『私だけじゃないんだ……勝ちたいのは!』

 叶恵は体を前方に倒し、ステップとともに大きく腕を振り抜く。


 カキーン!!

「えっ……」

 叶恵が投じたボールは、咲の構えていたアウトコースではなく真ん中高めに浮いてしまい、快音を響かせて打たれてしまった。振り返って打球を見ると、弾道は低いが、先ほどのホームラン同様、凄まじい勢いで右中間を襲う。センターのメイとライトの夏蓮たちが必死に追っているのが見えるが、芝生上でバウンドしたボールはあっという間に外野フェンスラインを越していた。

「ツーベース!!」

 学生審判の手と声が上がり、バッターはセカンドベース上でガッツポーズをしていた。筑海高校のベンチからも壮大な声が鳴り響いており、まだ勢いが衰えぬ様子でいる。そのベンチからは、監督の宇都木も叶恵に視線を送っていた。

『そこらのドラマのようには、簡単にできんぞ……ソフトボールの女神様は、お転婆だからな……』

 一方、いきなり打たれてしまった叶恵は、右中間に転がるボールを見ながら茫然としていた。やはり思ったところに投げられなく、たった一球で肩で息をするほどだ。

『ダメね……私って……』

 思い返せば、今日と似た日が思い出される。ソフトボールを始めた小学生の頃からピッチャーを目指していたわけだが、その成績はぱっとしないものだ。また中学においても同じで、部活推薦で強豪の高校へ行こうとも考えていたが落選。その理由はいつも同じであり、それはスタミナの無さだった。後半になるに連れて失点率は上がる一方であり、よく逆転敗けをしていた。そして、その弱さが今日も随所に出ている。自分の弱さを改めて実感した叶恵は、俯いたまま方向を変えて、咲からボールを受け取ろうとしていた。


「叶恵ちゃーん!!ゴメ~ン!!」

 すると、外野の方から大きな声が鳴り響いていた。自分の名前を言われた叶恵はふと、振り返って見てみると、ライトで息を荒くしている夏蓮と目が合う。

「次は、絶対に、捕るから~!!」

「ど……どうしてよ……」

 叶恵にとって、夏蓮が謝る理由がわからなかった。あんな速い打球なんて、プロでも捕れるかわからないのに。正真正銘のヒットであり、打たれた私の責任だ。そんな打球を、夏蓮は本気で捕ろうとしていたのか。

「カナちゃんせんぱーい!!」

 すると、今度はセンターのメイからも大声が聞こえてくる。

「私も次は捕りますから!!安心して、どんどん打たせてくださ~い!!」

 声を届けられた叶恵は、目の前の出来事が眩しすぎるのを感じていた。それは、快晴な空のせいではなく、自分と同じ目線で起きている現状である。内野からも声は次々に届けられており、いつも一人で努力し続けてきた自分にとって、これは初めて見る光景だった。

「叶恵ちゃん!!」

 叶恵は咲に呼ばれて振り返ると、咲から新しいボールが投げられ捕球した。

「大丈夫!!みんな付いてるよ!!」

 咲から太陽のような笑顔を見せられた叶恵は、少し目の潤みを感じ始めた。

『ダメよ……泣くとこじゃない!!』

 なんとか呑み込んで、深呼吸をしで心を落ち着ける。咲が現在の状況を叫んで座るのと同時に、叶恵は新しく見えるプレートに足をつけ始めた。

 ノーアウトランナー二塁。バッターは六番の左打者。

 叶恵は咲からのサインを確認し、すぐにセットに入り第一球目を投じた。


 コーン……

 すると、バッターはセーフティーバントを仕掛け、走り出すと共にボールはサードライン上を転がっている。ヘトヘトな叶恵は、重い脚を一歩一歩動かしていくが、このままじゃセーフになるのがオチだと考え、どうかファールにキレてくれと願っていた。


 パシッ……ビュン!!

 だが、叶恵の前には突如、サードの唯が現れ、素手で持ってボールを捕球してすぐにファーストに投げていた。

 バシッ!!

「アウト!!」

「ッシャア!!見たかゴルァ!!」

 学生審判の後に、唯の荒々しくもうれしそうな叫びが拡がるが、周りの選手たちもナイスプレーと、声で祝福していた。

 汗を地面に落とし、茫然と見ていた叶恵であったが、ふと唯と目が合った。すると、唯は最初キョトンとしていたが、すぐに微笑みを見せる。

「素人だって、これぐらいできるっつ~の」

 笑いながらもとの位置へと帰る唯を見届けた叶恵は、その言葉には、自然と頬を緩ますことができた。

 状況はワンアウトランナー三塁。七番バッターを迎えた叶恵は、パンパンになった腕と肘を駆使して、投げ続けていた。


 カキーン!!

「しまった……」

 再び真ん中に入ったボールは打たれてしまい、速いゴロがライト方向へと向かっていく。セカンドとファーストの間をきれいに抜けていくと見てとれた。


 ズシャー!!……

「!?」

 ボールは抜けてライトの夏蓮に行き着き一点が入ってしまうが、叶恵は同点にされたことなど頭に入ってなかった。ただ、目の前でセカンドの凛が飛び込んでいたことを驚いていおり、倒れた凛のもとに慌てて駆けていく。

「ちょっと……何慣れないことしてんの!?」

「凛、大丈夫!?」

 遅れてショートの菫も心配した様子で到着する。

 確か、凛は喘息持ちであまり体が強くない娘だと聴いていた。痩せ細った彼女がどうしてこんなプレーをするのか。

 すると、泥だらけになった凛は、菫の肩に掴まってゆっくりと起き上がり、辛そうにしながらも微笑みを見せていた。

「大、丈夫……私も、勝ちたいから……」

 叶恵には、弱々しく発せられた声には、凛の強さが直に伝わってきていた。一年生である、しかも菫の隣にいたいから、という理由で入部した彼女ですら勝ちにこだわっている。

「ありがとう……凛……」

「え?」

「それに……菫……」

「あ、はい?」

 驚きを隠せずにいる二人に、叶恵は言葉を続ける。

「内野ゲッツー……頼むわよ……」

「はい!!叶恵先輩!!」

「うん……叶恵先輩……」

 二人に優しく微笑みかけながら言った叶恵は、ファースト近辺まで来ていた夏蓮からボールを受け取り、ゆっくりとピッチャーズサークルへと戻る。状況はワンアウトで同点のなってしまったが、決して挫けてはいない。今度は八番バッターを迎えたが、粘られてフォアボール。次の九番には、ボールが滑ってしまい、肘へのデッドボールを与えてしまった。舌打ちをしながらも、状況はワンアウト満塁。ここでバッターは一番、花咲穂乃を迎えていた。もうほぼ限界だ。次の回もあると思うと恐ろしい。でも、なぜだろうか。初回と比べて心は軽くなった気がしていた。きっと、これは自分が成長したからではないだろう。きっと、去年にはいなかった、心から信じられる仲間がついているからであろう。私の前、いや、後ろにだって頼もしい仲間がいる。みんな、こんなに私に声をかけていてくれたんだ。ありがとう……仲間を信じるって、本当に大切なんだね。

 叶恵は咲からのサインを認め、一つ息を吐いてセットに入る。周囲からの応援を受けながら、叶恵は最後の力を振り絞って投げた。

「ィヤァー!!」

 放たれたボールは、左打者のインコースに構えた咲の場所と一致している。

 インコースに来るであろう予想を立てていたバッターの穂乃は、迷わずバットを振っていった。

 カキーン!!

 打球は叶恵のすぐ左横を通りすぎ、土が飛び散っていた。ヒット性の当たりだとは感じたが、信頼するバックに声を上げた。

「凛!!菫!!」

 パシッ!!

 強いゴロはセカンドの凛のグローブに収まり、すぐにセカンドベース上にトスをする。

「菫!」

「待ってました!!」

 二塁上で浮いたボールは、今度は菫のグローブの中に入る。菫はベースを踏みながら、持ちかえ、体を右横に反らしてファーストに投げていた。

「星川さん!!」

 ボールは勢いよく放たれ、美鈴の持つファーストミットへと吸い込まれていく。

 バシッ!!

「アウト!!」

「「「「よっしゃあー!!」」」」

 見事に決まった四六三のダブルプレー。このプレーを見せた二人には、選手のみんなが同時に祝福していた。ベンチに帰ると、今度は柚月からもナイスプレーと言われ、うれしさが増していく一方だった。

 五点を取られはしたが、無事にピンチを乗り越えられたこと、何よりもチームが再び勢いを取り戻したことを目で見た叶恵は、ホッと一安心して、ゆっくりとベンチに向かっていた。

「叶恵ちゃーん!!」

「ん?……んぐっ!!」

 叶恵のもとにはライトから夏蓮が全速力で向かってきており、その勢いで抱きつかれてしまい、一瞬気を失いそうになっていた。

「ゴメンね!!ゴメンねだけど、ナイスピッチングだよー!!」

 笑顔で少し涙を溢れされながら言う夏蓮の声で、周りのみんなも叶恵に視線を送っていた。それは決して不穏なものではなく、心から受け入れるような優しく温かい眼差しである。

 そんな視線を浴びてしまい、いつも強気の自分を失いそうになっていた叶恵は、早速口を開く。

「アンタたち!!まだまだ同点よ!!」

 みんなは叶恵の発言に驚いていたが、叶恵は気にせず話を続ける。

「この最終回!!絶対に点を取りなさい!!」

 そう言い切った叶恵ではあったが、みんなは、練習のときのような彼女に戻っていると、しみじみ感じていた。

「ったく!!誰のせいで取られたと思ってんだよ?」

 気だるそうに唯が声を出すと、叶恵はそれに応戦する。

「な、何よ!?アンタだってエラーしてたじゃない!!」

「一瞬泣きそうになってヤツに言われたかねぇよ」

「んな……何を~!?」

 二人のやり取りが起こるが決して誰も止めに入らなかった。何故なら、これは決して喧嘩ではなく、練習中によく見るふざけ合いだと認識していたからである。そのためか、選手たちは二人の言い合いを見ながら、自然と笑みが溢れていた。

 パチッ!!

 すると、信次は両手で音を鳴らし、みんなの視線を集める。

「よしっ!!遂に最終回だ!!今の勢いがあれば、絶対に何とかなる!!このまま勝ち越して、初勝利を飾ろう!!」

「「「「はい!!」」」」

 五月の太陽よりも明るさが増す笹浦二高ベンチ。円陣を終えて攻撃に入る七回表が始まろうとしていた。

 そんななか、ベンチの端では、柚月から冷したタオル渡された叶恵は座っていた。あと一回は投げなくてはいけない。そのためにも、少しでも体力を戻さねば。持ってきた水筒の中身は遂に空っぽになってしまうと、ため息をついてエナメルバックにしまう。未だに流れてくる汗をタオルで拭き取りながら、この回の攻撃を見届けようとしていた。


「お疲れさま」

 すると、休む叶恵のもとには、監督の信次がにこやかに寄ってき、隣合うかのような近さで立ってグランドを見ていた。

 そんな腕組みをしている信次の傍で叶恵は、まだ試合は終わってないと言いたいところだったが、疲れているのは確かである。とりあえず黙って、信次の言葉を待っていた。

「良いもんだよなぁ……チームスポーツって……懐かしいなぁ……」

「え?」

 グランドに向かいながら話す信次には、自然と叶恵の視線が移っていた。懐かしいって、どういう意味なのか。疑念を覚え初めていたが、信次は透かさず言葉を続ける。

「楽しそうだったぞ。月島が投げていた、さっきの回。初回とは違って、イキイキして見えたよ」

「何よ……初回はイキイキしていなかったような言いぐさは……」

 疑念などどうでもよくなった叶恵は、再びベンチにぐったりと寄りかかり、信次と同じ方向を見ていた。

「でも……確かに楽しかった。去年には無かった、楽しさがあったわ……」

 叶恵は頬を緩まして、ベンチにいるみんなの様子を見始める。ヘルメットを被りベンチから出ていく者、バッターに声をかけている者、相手ピッチャーの特徴を話し合っている者など、それはまるで、寄せ集めとは言い難い程のチーム感を漂わせていた。去年には無かったもの、きっとそれは、こんな光景と、確かに信じあえる仲間だったのかな。いや、それだけではない、信じようとする自分もいなかったな。

「あと一回……投げられるか?」

「当たり前でしょ。私を誰だと思ってるのよ?」

「そうか……任せたよ!!」

 信次は最後に叶恵の肩をポンと叩いて、笑顔で立ち去っていった。

 体力はほぼ無い状態の叶恵だが、次の回も投げられる気がして仕方なかった。

『だって……私は一人で投げてないから……』

 ゲームはいよいよ最終回。同点で迎えた両チームの、最後の攻防が始まる。



 そんな同じ空の下、一台の車には、もう一人欠かせぬ存在が、ソフトボール場へと向かっている。

 運転席には若いがヤクザのような風貌の男がおり、その隣の助手席には、優しさがにじみ溢れる老人がいる。車中、二人はボケと突っ込みを担当しているかのように、他愛のないやり取りが繰り広げられているが、後ろの座席で座る一人の少女は俯きながら膝に置かれた、笹浦二高ソフトボール部のユニフォームの正面を、細目で静かに眺めていた。

(あずさ)、背番号はいくつなの?」

 隣に座る泉田涼子から、梓と呼ばれ少女は、振り向きもせず口を動かす。

「十一です……正直、見たくないです……」

「そ、そう……」

 暗く重い表情を浮かべ続ける舞園梓(まいぞのあずさ)を、なんとか明るく元気にしたいと思う涼子だったが、いっこうに変わる気配がなく、困って小さなため息が出てしまう。

 春の明るく優しい陽は、何度も梓の顔を照らしていたが、移ろいを見せることはなく、ただ車だけがエンジンを唸らせ、音を響かせながら走っていた。



皆様。今回もありがとうございました。

私の尊敬する学生方の皆さんは、ついに新学期が始まりましたね。正直しんどいと思います。ちなみに私は学生時代のこの季節、決まったように風邪を引いていましたね。疲れからでしょうか、もう辛かったです。そんな苦境に置かれる学生の皆様、どうか元気なままで新たな学期を迎えてください。心から応援しております。

夢を一人で追ってはいけない。これは私が勝手に発案したものですが、共感して頂ける方がいるとうれしいです。

また、今回は梓の話を決着させるつもりでしたが、まったく追いつきませんでした。

ですので、次回は梓メインのお話しです。一体誰が、どんな理由が梓の心を動かすのか。

また来週もよろしくお願いします。



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