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プレイッ!!◇笹浦二高女子ソフトボール部の物語◆  作者: 田村優覬
一回裏◇始まる伝統の一戦。乗り越えろ恐怖の一戦―vs筑海高校編◆
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受け継がれし、キャプテン

練習試合はいよいよ折り返し地点。

リードされる筑海高校には、大きな分岐点となっていた。


「集合!!」

 春休みの日曜日の朝、青空の下で笹浦ソフトボールグランドにて一人の男が叫び、楽しみで胸を高める女子小学生たちが集まっていた。第二次成長期を迎えて様々な身長の者が、小学校指定ジャージとキャップを被って並んでいる。人数は十人と、多いのか少ないのか微妙なラインだが、小学生にとって知り合いの子、話したこともない知らない子とおり、少女たちの間には、自然と親近感と緊張感が生まれていた。

 すると、男は厳格な表情を浮かべながら、整列する少女たちの前に立って口を開く。

「監督の清水秀(しみずしげる)です。今日から笹浦スターガールズが始動する。皆、今日は集まってくれて本当にうれしい。では、先ずは自己紹介からだ。端の君から一人ずつ、前に立って自己紹介をしなさい」

 三十代の目を尖らせたままの言葉は車の重低音の如く響いており、皆どこか怖れる様子で自然と笑顔が消えていた。また、予想もしてなかった、みんなの前での自己紹介がより緊張させており、強張る表情へと変えていが、少女たちの想いとは裏腹に、自己紹介はどんどん進んでいく。最初は六年生を筆頭に始まり、最初はなかなか喋られないほど固くなっていたが、知り合いからのツッコミなどで場は和み、少しずつ緊張感から解放されていた。その後は五年生、四年生と進んでいき、九人の自己紹介は無事に終わり最後の一人だけとなっていた。

「よし、では最後だ。端の君」

「は……は、はい!!」

 最後に残った一人の小さな少女は、がちがちに震えながら歩いて、緊張から解かれたみんなの前に立つ。同学年がいないだけでなく、知り合いも見つからない彼女には、みんなの様子など関係なく、ただひたすら張り詰めていた。なかなか口を動かすことができず、早くも家に帰りたいと泣きだしてしまう想いだが、なんとか口を開いて声を出す。

「さ……笹浦小学校の、三年、宇都木鋭子(うつぎえいこ)です……よ、よろしくお願いします!!」

 少し涙目になっていたが、最後に勢いよくお辞儀をした宇都木鋭子の後、上級生からの温かい拍手が送られていた。

 肩に力が入る鋭子がそそくさと列に戻ると、再び清水監督は、背筋を伸ばして威厳に満ちた表情で皆の前に立つ。

「それでは、今日からソフトボールの練習をしていく。いい加減にやれば怪我をしてしまう危険なスポーツだ。皆、真剣に取り組むように。わかったら返事だ。わかったか!?」

「「「「はいっ!!」」」」

 こうして始まった笹浦スターガールズというソフトボールチーム。練習日は土日と祝日の九時から夕方の五時。清水監督の厳しい指導のもと、キャッチボールやバッティング、フィールディングが展開されていくが、それはとても過酷なものだった。あまりの熱の入った指導に対して、びっくりする者、ふて腐れる者、突如泣き出してしまう者とおり、皆が想い描いていた、『楽しいソフトボール』とはほど遠くかけ離れていた。

 学校の先生のように優しく接してくれると考えていた鋭子は、その予想外の出来事に襲われており、ソフトボールへの興味心よりも、鬼のような清水監督への恐怖心が増していった。また、同学年の子もいなく、いつも大きな上級生と練習をするなか、みんなの速いボールや打球、休憩中のお喋りの話題にもついていけず、笹浦スターガールズというチームは、鋭子にとって居心地の悪い場所となっていく。

「楽しくない……辞めたい……」

 その呟きがきっかけとなったのか、鋭子は思いだった仮病で徐々に練習を休むようになっていき、独りの時間が流れていた。親からは何度も行くように言われるが、決してベットから起き上がらず、ゴロゴロする休日が訪れていた。

 そんなある日、ここ一ヶ月練習を休んでいた鋭子は、久々に練習に参加する。今日を最後にして辞めようと考える、そんな少女の目は輝きを失っており、とっとと家に帰りたいという想いが強く、興味を抱いていたソフトボールには何の希望も湧いてこなかった。

 その日の午前の部が終わると、チームのみんなは学年ごとに別れて昼食時間。木陰の下でお互いのお弁当を分けあったり、ベンチに座って最近学校であったおもしろいことなどを話したりと、スターガールズの活動で唯一楽しい一時を送っていた。

 そんな中、同学年もいなく知り合いもいない鋭子は、一人離れて芝生に座り、すぐに昼食を済ませてしまう。立ち上がって戻ろうとしたその時、右隣に大きな一人の影が見えた。

「鋭子、体調は大丈夫か?」

「か、監督!!」

 後ろから恐い清水監督が突如出現したことに驚嘆してしまい、力が抜けてしりもちをついてしまう。体ごと正面に向けた状態で、自然と監督と目を合わせるようになり、体の震えが発生していた。頭の回転が上手くいかないかもしれないが、とりあえずこの場をくぐり抜けようと、必死に返答の言葉を考えた。

「だ、大丈夫です!!」

 何の根拠もなく言った言葉だったが、なぜか清水は目を閉じてホッと息を吐いており、瞳と共に口を開く。

「そうか……それは良かった。鋭子は普段から休みがちだから、体調を崩しやすいのかなと思ってな」

 鋭子は目を見開いていた。監督は、自分が仮病で休んでいたことも知らず、心配までしてくれていたんだ。練習中は鬼の顔を見せている監督が、このときはまるで父親のような瞳を見せており、そこからは変な違和感を感じながらも、何だか優しく包まれるような優しさも実感していた。すると体の震えは消えていき、緊張感から解かれていくのがわかる。

「なあ鋭子……」

「はい……」

 清水監督に対して力の抜けた返事をした鋭子は、動かずじっと目を合わせていた。

「君は、どうしてこのチームに入ろうと思った?」

「え……」

 ず太い声を出す清水だったが、鋭子は掠れた声を発してしまう。見上げていた目線は自然と下がっていき、最後には足下の芝生に移っており、下を向いた状態となっていた。正直、あまり考えたことがない内容だった。ただ、以前に友だちとやった遊びで経験しただけで、ソフトボールに対しての想いはこれといって強くない。黙ったままの状態は続いており、時おりベンチにいる少女たちの楽しそうな声が耳に入っていた。考えても答えは出そうないと感じ、最初に思ったことを小さく口にする。

「楽しそう……と思ったから……」

 視線は下がったままであり、まるで地面に答えたような気がした。

 すると、清水は突然膝を折って座り込み、鋭子の正面で胡座をしてその顔を見る。

「今は、楽しいか?」

 次の瞬間、鋭子はハッと気づいたように目を開く。実際、春先からこの日までの数ヶ月間、一度もソフトボールが楽しいとは感じられなかった。仲間とも上手くいかずこのように一人でいるし、終いには仮病を使って休むぐらいだ。今が辞めたいと伝えるチャンスかもしれない。自分の想いを伝えようと心に決め、勢いよく顔を上げて清水と視線を合わした。

「監督、実は……!?」

 だが、鋭子は次の瞬間、清水の顔を見たと同時に黙ってしまう。目の前には、口を緩ませて微笑みを見せる、今まで見たことのない清水秀がおり、その優しさが溢れる姿に見とれてしまっていた。

「ん?どうした?」

 清水は表情を保ったまま言葉を返す。

「いえ……あの……」

「楽しくないか?」

 鋭子は再び目線が下がっていた。こんな優しい監督と目を合わせることが何だか辛かったからだ。自分の体調だけでなく、心情まで心配しているのだと感じてしまい、自分の愚かさがひしひしと実感していた。

 すると、青空なのに芝生には、鋭子の俯く顔から何滴もの水滴が落ち始めていた。

「ん、どうした?」

 心配になって声をかけた清水だが、鋭子はそのまま涙を流しながら弱々しい声を発する。

「監督……どうしたら、ソフトボールは……楽しくなるんですか?」

 地面に着いていた手は離れ、目に溢れ出る涙を左右交互に拭き取っていた。それでも涙は止まらず、最終的には両手で顔を覆って踞る。楽しそうだから始めたソフトボールクラブ。しかしそれは自分の想像していたものと異なり、厳しくて極めて辛いものだった。そして今も、独りという辛さを背負いながら、ただ涙を流していた。


 ポン……


 すると、頭に柔らかい物が置かれた感触が走った。帽子を被っているのに、それは掌の温かさすらも感じられ、不思議と呼吸が整っていく。

「どうしたら、か……なあ鋭子。今日からピッチャーの練習でもやろうか」

「え……」

 低い声だが優しさを秘める音が聴こえ、鋭子は涙目の顔を清水に向けた。

「私が責任もって指導する……いいな?」

「は……はい……」

 監督からは不思議と恐さを感じなかった。寧ろ、彼からの穏和な声にどこか温かな光を感じ取れた。つられて言ってしまった返事だったが、後悔する想いはない。ふと気づいたときには涙は止まっており、清水が立ち上がると同時に、自分の脚にも自然と力を入れることができた。

「よし。じゃあ早速始めてみようか?」

「は、はい!!」

 この日を境に、半信半疑のままだが、監督の言葉をきっかけにピッチャーの練習をすることとなった。最初は体を横に向けて、利き腕側の腰と肘のやや下の部分を接触させて、目の前のネットにボールを放つブラッシングという動作を練習が始まる。しかし、それはあまりにも地味な練習であったため、あまり快くは思わなかった。練習内容は日を増すごとに変わっていき、次の練習では腕を頭の位置から、その次は一回転させてブラッシングと変わっていく。

 清水からは、練習日が無い日もやるようにと言われていたが、今までは自主練習など、やったこともやろうともしなかった。しかし、素振りや走り込みと比べたら、それほど苦は感じなかったため、一日百回のブラッシングを、イヤホンを着けて歌でも聴きながら、庭の壁に向かって投げ込むことができた。

 それからもブラッシングの練習はスターガールズの練習時にも行われるが、それと共にステップや体重移動の練習なども含めやっていき、徐々にネットからの距離が延びていく。

 そして、ピッチャーの練習が始まって、数ヶ月がたった七月の大会。六年生にとってはこれが最後の公式試合となり、ユニフォームを纏う皆は、最後の思い出作りをするため楽しく試合に臨んでいた。しかし、相手チームとの能力格差は埋めきれず、二回で既に十点差を付けられてしまう。楽しいどころか、退屈さすらも覚える彼女たちたが、清水監督はベンチから出て主審に発言する。

「ピッチャーとレフトを交代!!そのピッチャーに代わって宇都木!!お願いします!!」

 スターガールズの六年生ピッチャーは、もううんざりだと言わんばかりにレフトに向かう。

 またレフトにいた四年生も、この試合を早く終わらせてほしい様子でベンチに戻ってきた。

 しかし、それに代わって宇都木鋭子は、すぐにピッチャーズサークルへと向かう。始めての公式試合で登板することには多少の緊張感があったが、監督に教わったことをもとに投球練習を始める。

 バシッ!!

 相手チームからはどよめきの声が沸いていた。三年生と聞いていたのに、まだまだ幼い少女のウィンドミル投法からとんでもない速いボールが放たれており、皆動揺を隠せずにいた。

 そして試合は再開され、鋭子は開かれた大きなミットに向かってボールを放つ。

 バシッ!!

「ストライク!!」

 すると、鋭子の体に得体の知れない電気が流れたのを感じた。空振りしたバットの音、捕球したミットの音、審判の声の音。その後に遅れて仲間からの声援を聴いた鋭子は、どこか気持ちが昂っていた。

『何だろう……たった一球投げただけなのに……なんかスゴくうれしい』

 自分のボールが相手をここまで驚かせている。一度頬を緩むのを見せたが、その後も鋭子の右腕は回転され、圧巻するピッチングを見せつけていた。


 試合は結局コールド負けとなってしまったが、笹浦スターガールズ内には、寧ろ賑やかな様子で試合を終えていた。それは勿論、衝撃デビューを果たした宇都木鋭子のピッチングに皆感動していたからだ。

 鋭子は試合中、試合後でも、周りからナイスピッチングと言われ続けており、今まで感じたことのない、チームの居心地の良さを感じることができた。

『そうか……これがソフトボールの楽しいっていう意味なんだ!!』

 辛い練習を乗り越えて上手くなる。そして仲間に褒められる。この日、鋭子は清水監督が言っていた『ソフトボールの楽しみ方』をようやく理解することができた。

 その後、鋭子は、ソフトボールを続けようと決意し、笹浦スターガールズのピッチャーとして努力していく。六年次ではキャプテンを務めて、小学校を卒業をすると共に勇退。中学に進むとソフトボール部に入部し、その後も高校、大学と続けていき、そして今この笹浦ソフトボール場へと戻ってきていた。

『今度は監督として……多くの者にソフトボールの楽しさを知ってもらいたい』



 コーン……

「「「「ピッチャー!!」」」」

 晴れ渡る空と、緑の芝生と湿り気を含んだ土の間では、笹浦二高女子ソフトボール部の声が轟く。 対戦相手、筑海(つくみ)高校の九番バッターが放った打球は、バットの根本に当たり、鈍い音を鳴らした後には弱々しいフライとなっていた。

 パシッ……

「アウト!!」

 ピッチャーの月島叶恵(つきしまかなえ)が、ピッチャーズサークル内で難なく掴み、学生審判のジャッジで状況はツーアウトランナー無し。周りの守備人からは、「ナイスピー」と、叶恵の守備に対して声を出していたが、叶恵は周囲の応援には目もくれず、黙ったまま真面目な硬い表情で、足をプレートの上に置いていた。

 一方、筑海ベンチでは、監督、宇都木鋭子(うつぎえいこ)からの指示を聴いた、トップバッターのキャプテン、花咲穂乃(はなさきほの)がバッターボックスの左打席に入る。宇都木から聴いた言葉を頭で何度再生させながら、叶恵と睨みあっていた。

『変化球を呼び込んでカット。全種類投げさせることが私の役目』

 バットを短く持ち、多少の力みを見せていたが、小さいころからソフトボールを経験している彼女はすぐにリラックスをし、良い緊張感の中構え始めた。

 そんな穂乃に直接指示を与えた宇都木は、ベンチで脚を組みながら威厳ある様子で見つめている。

『二年生で唯一、三年生とスタメンを争っているお前だ。今年のチーム、今度の新チームのためにも、こういう仕事をしてもらうぞ』

 新チームでは一番バッターで起用される予定の新キャプテン花咲穂乃。また、現在は三年生とともに公式戦にも出場しており、下位打線であるが故、ただアウトになるのではなく、何球も粘って、願わくはヒット。一つの打席で相手の情報を引き出す力を付けてもらいたい、という想いが寄せられていた。類いまれなセンスの持ち主である花咲、そして笹浦スターガールズのキャプテンでもあった彼女には、宇都木の期待はとても大きく、眉間にシワを寄せて見ていた。

 キーン!!

「ファール!!」

 打球はサード方向のファールへのゴロとなり、左打者として引き付けて打っていることが証明される。ソフトボールは難しいスポーツの一つであり、言われたことを実際にできる者は少ない。しかし、それをすぐにこなすことができる花咲穂乃からは、宇都木も確かな将来性を感じ取っており、頬を弛ませることができた。

「スコアラー……これで何球目だ?」

「は、はい。次で九球目です。カウントはスリーボールツーストライクのラストボールです」

 隣のスコアラーはおどおどしながら宇都木の質問に答えており、宇都木は、「そうか」と、一言告げて、なぜそんなに怯えているのかわからず、小さくため息を漏らしてしまう。

 叶恵がバッターに投げた球種はドロップ、スライダー、カーブ、シュートであり、残るはチェンジアップ。コントロールが持ち味の彼女は、多少のボールでも穂乃を振らせることができており、キャッチャーの中島咲(なかじまえみ)に何度も首を横に振っていたが、やっと縦に振ってセットに入る。体を前に倒し、ボールを握る左腕は地面と垂直に上げられ、次の瞬間、体を起こすと共にプレートを蹴って、腕を大きく回してウィンドミルからの球を放った。

 すると、放たれたボールは速度がどんどん落ちていき、自然と穂乃の体勢を崩していく。前のめりに近い立ち方の穂乃ではあったが、体を開かず何とか堪えて、次の瞬間バットを振り抜いた。

 ボコッ……

「ファール!!」

 今度の打球はバットの先端に当たり、ファースト方向へのゴロとなった。

 タイミングがあと少しずれていたら間違いなく三振となるところだったが、穂乃は無事に当てることができてホッとひと安心を見せる。

 ベンチの宇都木は、今のボールはチェンジアップだと理解し、立ち上がってまず花咲に「ナイスカットだ」と一声かけて、改めてサインを送っていた。それを見た途端、穂乃の表情は変わり、目を見開いた様子で立っている。

『セーフティーバント!?この場面でですか!?』

 追い込まれているこの状況で、そのバントのサインを送られて、監督は誤っているのではないかとも感じた。バントでボールに当てたとしてもファールゾーンに転がれば即アウト。相手の意表をつくことができると同時に大きなリスクを背負うこととなる。が、宇都木の自信に満ちた表情を見て、監督は確かに本気だと悟り、素直にその指示に従った。

 穂乃がヘルメットのツバに手を当てて打席に入ると、宇都木は腕組みをして立ちながら眺めている。

『確かに、追い込まれているのにバントはリスクが大きい。お前のリアクションは間違っちゃいない。だが、そんな状況下でも、左バッターであるお前にはできるようになってほしいんだ。まずは練習試合からだ。やってみろ!』

 左バッターのセーフティーバントは、内野安打の確率が高いため大きな武器になる。それに、相手ピッチャーの投球内容から、ラストボールはストライクで三振を狙ってくるだろう。そのことを踏まえて、穂乃の決定力を信じながら結果を待っていた。

 ピッチャー叶恵は首を縦に振り一つ息を吐くと、真剣な表情を見せながら投球動作に入る。先ほどのチェンジアップで決めたかったところだが、魂心のラストボールを放った。

「ヤァッ!!」

 コーン……

『チッ!!ここでセーフティー!!』

 意表をつかれた様子の叶恵は、すぐにサークルから飛び出して、前に転がったボールに駆けていく。

 一方、セーフティーバントが、フェアゾーンではあるがピッチャー前になってしまい、少し悔いる様子の穂乃は、すぐにバッターボックスから抜けてファーストのオレンジベースへと駆けていった。

 コンマ一秒を争うこの瞬間。叶恵は素手でボールを拾い、ファーストに立つ菱川凛(ひしかわりん)にボールを投じる。

 バシッ!!

「アウト!!」

 学生審判のジャッジのあとに、穂乃はオレンジベースを踏んでいた。気づけば悠々アウトではあったが、何球も粘られたあげく裏をつかれた叶恵は、この一つのアウトに対して大きな疲労感を感じていた。

 スリーアウトとなって攻守交代。ベンチへ戻る笹浦二高、逆に出ていく筑海高校が交差しているなか、穂乃は悔しそうにベンチへと戻ってきた。

「すみません監督……期待に答えられませんでした」

「ファールじゃないだけよっぽどマシだ。切り替えて守備につけよ」

「はい!!」

 穂乃は表情を変え、グローブとサンバイザーを持って、ひたむきな様子でショートのポジションへと走っていった。

 宇都木は、穂乃が守備位置についたのを確認したあと、今度は視点を換えて、笹二ベンチの端で座る叶恵の様子を眺めていた。

『この練習試合は、お互い良い収穫ができるようにしたい。悪いが、お前にはこれから相当苦しんでもらうぞ』

 ここまでフルスロットルの投球を見せつける叶恵だったが、そんな彼女に対して宇都木は、そんなピッチングがいつまで続くことかと思っていた。ペース配分を考えないピッチングは先発向きではない。特に、君たちのような、控えがいないチームでは尚更考えなくてはいけないのに。ピッチャーズサークルという、孤独の空間に仕切られているような月島叶恵に対して、自然とため息が出ていた。


 ゲームの折り返し地点となる四回の攻防では、両者のピッチングと守備が冴え渡り、ヒットを許しながらもお互いのスコアに『0』と記される。そしてここからは五回表。

 三点リードで迎えた笹浦二高は、本日ここまで全打点を叩き出している、三番バッターのメイ・C・アルファードが、勝負を楽しむかのように左打席で立つ。

「さあ!!ここも打って、猛打賞獲得ですよ!!」

 バッターボックスで突然叫んだ彼女は、強気の表情を相手に見せ、ピッチャー呉崎(くれさき)の投球を待っていた。

 ベンチの選手だけでなく、ランナーコーチを務める、ファースト側の凛、サード側の清水夏蓮(しみずかれん)からも応援が鳴っており、試合は笹二ペースで行われているように見える。

 筑海高校の守備の様子は、キャプテンの穂乃以外、どこか緊張しているようで、どうか打球が飛んでこないように願っているようだった。それを目で見ている宇都木は、自分の選手たち情けないと思いながら、不機嫌そうな顔で見ていた。

 すると、呉崎はキャッチャー錦戸(にしきど)からのサインに首を縦に振り、セットをして第一球目を投じる。

 バシッ!!

「ボール!!」

 呉崎の速いストレートは、メイのアウトコースに大きく外れてボールだったが、捕球した錦戸は頷きながら呉崎に返球していた。

『あいつら……もしかして……』

 ふと、宇都木の頭にはあることが過る。しかしまだ断定することができなかったため、呉崎の第二球目を見届けることにした。

 バシッ!!

「ボール!!」

 再び外角に外れてボール。バッターのメイも不思議そうにボールを見送っていると、

「タイム!!」

 と、宇都木の一言がゲームを停止させる。やはりと思いながら、呉崎と錦戸を呼んでベンチ前に集めた。

「錦戸……敬遠か?」

 宇都木のドスの効いた低い声に、錦戸は一度固まるが何とか口を開く。

「は、はい!ここまで二打席ともヒットを打たれていますし、長打だってありますので……」

「ほう……」

 宇都木は呟くと、震える錦戸の顔から一度視線をそらし、一拍置いて再び錦戸を睨むように見た。

「お前は、それでいいと思ってるのか?ノーアウトランナー無しだぞ。先頭バッターにいきなりフォアボールは良くないと、三年生にも言っていたのを聴いていないのか?」

 宇都木の言葉に、錦戸は、蛇に睨まれた蛙のように固まり、口すら動かすことができずにいる。不味い、交代させられる。そう思う表情は次第に恐怖を示しており、黙って立ちながら宇都木と目を合わせていた。

 すると、宇都木は大きくため息をつく。これだからうちの選手は困ったものだ。皆それなりの能力があるにも関わらず、私が介入すればすぐに怖じ気ついてしまう。呆れた想いを抱きながら、悩ましい顔で口を動かす。

「なぁ錦戸……」

「は、はい!」

「お前は、この練習試合……いや、これからの試合で、笹浦二高に負けたいのか?」

「えっ?」

 今までの質問のように、イエスかノーで答える質問だったが、錦戸は宇都木の発言に目を見開いてしまう。正直、うちの監督からの質問の意味がわからなかった。どうして、これからの試合という言葉を言ったのか。

「別に、お前らはこの練習試合で、打たれて負けたら引退するわけじゃないだろ。だったら今は、持ってる力を相手に全部ぶつけるのが正解じゃないか?」

 宇都木は表情を変えずに言っていたが、先ほどの怒りのトーンとは異なり、ため息まじりで話していた。

 錦戸は宇都木の言葉になかなか返答せずにいた。部員の多い筑海高校では、宇都木監督はいつも主力の三年生をメインに見ている。そんな二年生である自分たち下級生は、ボール拾いやノックの手伝い等の雑用係であり、練習を見学しているのと同じ感じだった。監督はいつも主力に対して、時には自分たちへの気の緩みに対しても怒声を浴びせており、いつも恐い表情で練習に参加している。また、学校生活面においても規律を重視し、口を酸っぱくしている宇都木先生でもあり、そんな監督には、いつの間にか恐怖心だけが募っていた。そして今回、このように言われてしまい、きっと自分に対する評価が下がったと感じ、宇都木への恐怖感から、これから自分は試合に出られなくなる危機感へと変わってしまう。

「それから、呉崎……」

「は、はい!」

 宇都木は視線を換えて、今度はピッチャーの呉崎の顔を見る。

「お前、錦戸からの敬遠のサイン、首を振った認めたよな?」

「はい……」

「悔しくないのか?」

「えっ?」

 錦戸と同じように、呉崎も驚いた表情を見せ、宇都木の口が再び開かれるのを待った。

「確かに、お前はこのバッターに二回打たれてる。しかし、次こそは打ち取りたい、そう思わないか?」

 口ごもる呉崎だったが、重い口を開いて、「はい……」と、小さく呟く。

「だったら勝負しろ。お前らが逃げ腰になっては、このチームの勢いを止めかねない。バッテリーであるお前たちだけに言っておくぞ。いいな?」

「「はい!」」

 錦戸と呉崎は大きく返事をしたが、まだ絶望の淵に立たされた様子でおり、早速もとの守備位置にそれぞれ戻っていく。

 ダメだ、結果を出さないと。

 二人の心中にはそんな想いが生まれており、焦りの感情が強まっていた。

 学生審判の掛け声とともにゲームは再開。バッターのメイは相変わらず揚々と構えており、呉崎からの投球を待っている。

 それに答えるように、呉崎は首を縦に振り、改めて錦戸へと投げ込んでいくが、

 バシッ!!

「ボール!!フォア!!」

 と、結局メイにフォアボールを与えてしまい、二人の表情はより険しい表情を見せていた。

『力まないで……呉崎さん……』

『だって、マズイよ……このままじゃ私たち、来年バッテリー組めなくなるかも……』

 二人は泣き出しそうな表情を浮かべていたが、ゲームは無情にも進行していき、ノーアウトランナー一塁。

 メイが打てずに残念そうに一塁に着くと、四番バッター、中島咲(なかじまえみ)が震えながら右打席に入る。ここまで良いところがないが、変わらず緊張した様子を見せながら構えた。

 キャッチャーの錦戸は、ここまで咲を全打席凡退で打ち取っていることを踏まえ、呉崎に対して、臆せず投げてと、サインを送ってミットをど真ん中で大きく構えて見せる。

『呉崎さんなら大丈夫……思いっきり来て!!』

『わ、わかった……あくまで打たせて取るよ……』

 心の声ですら震えが生じている呉崎は、深呼吸を忘れて、咲に第一球目を投げ込んだ。

 キーン!!

 バットに当たったボールは高々と上昇してレフトへと向かっていく。しかし、距離はあまり出ておらず、追いかけていたレフトは足を停めてグローブを開いていた。

 パシッ!!

「アウト!!」

 三塁学生審判の声が響いてワンアウト。

 ボールはすぐにショートの穂乃に返されてしまい、メイはハーフウェイだけで進塁することができなかった。

「レフト!!ナイスキャッチ!!」

 キャプテンの穂乃がうれしそうにレフトへ言葉を送り、ピッチャーの呉崎へとボールを戻す。

「呉崎さんもナイスピーだよ。あとアウト二つ、取っていこう!!」

 前向きに声をかける穂乃ではあったが、ボールを受けた呉崎からは、顔色が悪い様子が伺われ、かえって雰囲気が重くなっていると感じていた。

 ワンアウトランナー一塁。ここでバッターは牛島唯(うしじまゆい)。三打席目を迎えた唯は落ち着いた様子で右打席に入り、凛々しく堂々と構え始める。

「唯ちゃん先輩!!三度目の正直ですよー!!」

 ランナーのメイを始め、笹二ベンチからも応援が鳴っているが、唯はリアクションを取らずにおり、ただ目の前の呉崎をじっと睨んでいた。

 そんなバッターからの凄まじい眼光を受ける呉崎は、より威圧感を感じており、逃げ出したい気持ちが生まれていた。打たれたらどうしよう。また恐い監督に怒られてしまう。マイナスの想いばかりが浮かぶなか、キャッチャーからのサインを見て、指示通りストレートを投げ込んだ。

『えっ!?マズイ!!』

 錦戸は、呉崎から放たれたボールは、確かに構えた真ん中だったが、その球威の無さに驚いてしまい、ミットと共に大きく目を見開いてしまう。

 カキーン!!

 ストレートをど真ん中に投じた呉崎は、バットの快音と共に時が止まったような錯覚に陥っていた。バットを勢いよく振り抜いたバッターと、マスクを外して目を見開いている錦戸だけが視界に入る。そんな錦戸の表情から、打球が飛ばされたレフト方向に恐る恐る顔を向けられた。

 高々と大きな弧を描く打球。距離はどんどん延びていき、いつの間にかレフトの頭を越しているのがわかる。

 追っていたレフトは、先ほどと同じように立ち止まったが、呉崎に背中を向けた状態だった。

 ボトン!!

 ボールと芝の接触音が聴こえ、学生審判たちは右手を挙げて円を描き始める。

「ホームラン!!」

 バッターボックスでは、自分が飛ばした打球を見ながら固まる唯がいたが、次の瞬間、頬を緩ませていた。

「ウォッシャー!!」

 高々と雄叫びをあげて右拳を空に向けていた。

 ベンチからも、最初はあまりの意外な展開に驚きを隠せずにいたが、すぐに、待ってましたと言わんばかりの声が鳴っていた。

 バットを地面に置いて走り出す唯は、まず一塁、次に二塁と、一つずつゆっくり踏んで回っている。セカンドベースを踏んだところで、改めて飛ばした距離、そのときに伝わった感覚を思い出していた。

『当たった感じがしなかった。ムカついて壁を殴ったら、ぽっかり穴をあけたときと似てる……ハハハ!!ヤベェー。ソフトボール超楽しいぞー!!』

 以前、生活指導の教師に、遅刻したことをこっぴどく叱られたことがあり、そのあと学校のトイレのドアにパンチをかまして穴を作ってしまったことがある。そのときの感触と似てると思いながら、唯は最後のホームベースを力強く踏んだ。

「帰ったぞー!!」

 ランナーから生還したメイ、ネクストで待っていた星川美鈴(ほしかわみすず)、そしてベンチからは夏蓮が一番に出てきて、「唯ちゃん、ナイスバッティング!!」と、心から喜んだ様子で迎えていた。続けて田村信二(たむらしんじ)も大声で喜んでいたが、大きすぎて何を言っているのかわからなかった。

 一方、打たれた筑海高校の空気は重苦しいものだった。ベンチの者を含め、守備についている選手たちも口を開かずにいる。

 唯一キャプテンの穂乃だけが、ドンマイと声をかけているが、呉崎を始め誰も反応せずにおり、自然と穂乃の表情も雲がかっていた。


『はぁ……まあ、あんな棒球を投げたら打たれるよな……』

 監督の宇都木も、呉崎の気迫のないピッチングにあきれてしまっており、ゆっくりとベンチから立ち上がった。

「審判!!ピッチャーを湯本(ゆもと)、キャッチャーを沢田(さわだ)に交代だ!!」

 宇都木の宣告が響くと、呉崎と錦戸は驚いたように固まってしまう。

『『終わった……』』

 打たれて顔を下に向ける呉崎、そんな彼女を引っ張ることができず天を見上げる錦戸。二人の視点は違えど、交代させられる想いは一致しており、両者は絶望感を抱かざるを得ない様子だった。すぐに控えのピッチャーとキャッチャーがグランドに向かうと、呉崎と錦戸は、まるで敗戦したかのように、ゆっくりとベンチへ向かう。

「呉崎!!錦戸!!」

 宇都木の声が鳴るが、二人にとって今は、その恐怖はどうでもよい状況であり、目の輝きを失った状態で監督の前に立った。

「あんな勝負を見せられては、私はお前たちを使う気にはなれない。出直してこい!!」

「「はい……」」

 鬼の形相で怒声を上げた宇都木のあと、呉崎と錦戸は下を向きながら去っていく。もう、今日の試合は終わった。練習試合をやると聞いて、この練習試合を楽しみにしていた、日々雑用係である二年生の二人。が、不本意な形で終わってしまい、落胆しながらベンチの外でダウンを開始しようとした。

「おいっ!!」

 すると、宇都木は再び大きな声を上げて二人の顔を見る。先ほどよりも怒りが込められた言葉に、二人は監督の逆鱗に触れてしまったか思い、また怒られると、黙って固まってしまった。

「アホか!!誰がダウンしろと言った!?私は、出直してこいと言ったはずだぞ!!」

 次の瞬間、呉崎と錦戸は大きく目を見開く。

『『リエントリー……』』

 監督の言葉はとても荒々しく、いつもの恐怖心を増大させるものだった。しかし、リエントリーを行使して、再び試合に出させてくれると察し、まだ自分たちを使ってくれると感じ取れた。使う気にはなれないと言われたときは、自分たちへの信頼が無くなってしまったかと思ったが、決してそんなことはなかった。

『『まだ監督は、私たちを見捨てていない』』

 そう感じた二人は、再び瞳に光を取り戻し始め、大きな声で返事をする。

「錦戸さん。ブルペン付き合って!」

「もちろん。ちゃんと腕回してよ!」

 二人は表情を変えて、メジャーと簡易ホームベースで作られたブルペンに向かい、試合前同様、投げ込みを開始していた。

 二人の様子をベンチから眺めている宇都木は、険しい表情のあと少し頬を緩ませていた。

『まったく……生真面目というか、弱気というか……情けないやつらばかりだなぁ……お前たちバッテリーはまだまだこれからだ。経験を積めよ』

 徐々に息を吹き返す二人に想いを寄せながらベンチへ腰がけ、ゲームの再開と共にグランドに目を向ける。

「湯本!!沢田!!アウト二つをきっちり取ってこい!!」

「「はい!!」」

 湯本と沢田も同じ二年生であり、彼女らもこの試合を楽しみにしていた者たちだ。勢いよく返事をした二人だがやはり笑顔を見せず、緊張した様子でいたが、投球練習を終えるとすぐに主審の声の宣告で試合が再開された。

 ワンアウトランナー無し。

 左打者の美鈴は、前のバッターの唯のホームランを目の当たりにして、自分も唯先輩のような打球を飛ばしたいと思いながら打席に入り、グリップを力強く握っていた。

 まだ守備陣の雰囲気は暗い様子が伺われるが、左ピッチャーの湯本はキャッチャーの沢田のサインに従って、首を縦に振りセットを始める。せっかく頂いたチャンスを無駄にはしたくない。一つ息を吐いて気持ちを整え、体を少し倒して左腕を大きく回した。

 バシッ!!

「ストライク!!」

 左バッターのアウトコースに決まったのは直線的に曲がるスライダー。

 最初はインコースに来ると思った美鈴だったが、あまりの変化の大きさに手を出すことができなかった。

『横回転か……ボールはさっきの人ほど速くないけど、何だか見づらくて速く感じる……』

 左対左の難しさを改めて感じながら、スライダーの回転を頭にインプットさせ、打席から出て素振りを見せる。キャッチャーがボールを返したと同時に、再び打席に入りバットを掲げた。

 ピッチャーの湯本は、左足で何度かプレートを掘り、両手をヘソの位置へと持ってきてセットの構えを見せる。チラッと握りを確認したあと、白板を蹴って第二球目を投じた。

『ドリル回転!!ストレートだ!!』

 美鈴は持ち前の視力を駆使し、インコースに放たれたボールに、力一杯バットを振り抜いた。

 キーン……

『あっ!?』

 打球は高々と上がったが、唯のホームランのようには距離が出ておらず、ファーストベースのやや後ろに落下するところだった。

 パシッ!!

「アウト!!」

 ファーストの選手が掴んでアウトのコールがされる。まずアウト一つ取ったピッチャーに返球し、ナイスピーと小さな声をかけていた。

 打ち上げてしまった美鈴は、以前に篠原柚月(しのはらゆづき)から言われていた、ヘッドを下げてしまう癖を今頃思い出してしまい、ガックリと肩を竦めてベンチへと戻っていく。

「大丈夫にゃあ!!ミスズン!!」

 すると、ネクストバッターの植本(うえもと)きららが、戻る美鈴の肩に右手を置いていた。

「きららお姉ちゃんがミスズンの分まで打ってくるにゃあ!!」

 唯と同じくらいの大きな背をするきららを、美鈴は見上げながらうれしそうに、「よろしくっす!!」と叫んでベンチへと戻っていった。

「燃えろ~きらら女なら~ここで一発、き!!ら!!ら!!にゃあ!!」

 以前に、とある野球関係のバラエティ番組を見て覚えた応援歌を歌いながら、右打席に入り構えていた。


 バシッ!!

「ストライク!!バッターアウト!!チェンジ!!」

「おかしいにゃあ……この曲を歌えばレフトスタンドに行くはずなんだけどにゃあ……まあ良いにゃあ!!」

 バットを三回振って結局三振。しかし、きららは悔いた表情を見せず、再びプロ野球選手の応援歌を歌いながらベンチに戻ってきた。

 ベンチにいる、唯の隣でグローブを持つ美鈴は、その様子を見て苦笑いしている。

「きらら先輩……自分が言ったこと忘れちゃったっすかね……」

「はぁ……アイツ、根は良いやつなんだよ、あれでもな」

 美鈴の言葉の後に、唯はため息と共に困った表情を見せており、天真爛漫なきららを見ていた。まあ落ち込まれるよりかはまだマシだろう。いつもあんなおちゃらけていてくれた方が、反って学校のきらららしい。

「よしっ!!守備行くぞ、美鈴!!」

「は、はいっす!!」

 二人は、現段階のチームと同じよう勢いでベンチから飛び出し、それぞれのポジションへと駆けていった。


 ゲームは五回裏が始まり、この回もピッチャー叶恵の圧巻した投球は続いている。ストレートを投げず、自身が持つ多種の変化球を放り、先頭の七番八番バッターを三振に切ってツーアウト。そして右打者の九番バッターも既に追い込まれており、カウントはツーボールツーストライク。小柄のサウスポーはセットに入り、勢いよくプレートを蹴ってボールを放った。

 バシッ!!

「ストライク!!バッターアウト!!チェンジ!!」

 最後は右バッターの、ボールゾーンから外角ギリギリにスライダーが決まり、手を出せず見逃し三振となる。

 この回も投げ抜いた叶恵は、雄叫びは上げなかったが、あることを確信しながらベンチに戻っていた。


『勝てる……』


 これから六回の攻防に入る時点で五点のリードをしている笹浦二高。チームの雰囲気も明るく、誰一人不愉快な顔をしている者などいなかった。

 叶恵は、信次、柚月を始め温かく迎えられるが、変わらずすぐにベンチの端に向かって水分を補給する。あと二回を抑えれば。しかも五点という大量のリードがある。勝利は目前だと考えながら、少し口を横に開いていた。

 一方、この回も三者凡退で終わった筑海高校は、皆暗い様子でベンチから出ていくところだった。五点も差があるなんて勝てっこない。練習試合だから負けていいや。みんなの勝利への意識が下がっているのはその表情からよくわかり、キャプテンの花咲穂乃でさえも同じだった。


「おい。全員集合……」

 すると、宇都木の小さな声に選手は反応し、すぐに監督の回りに集まって脱帽していた。また、何か怒られるのではないか。監督に対する恐怖心は募るばかりで、皆強ばった表情をしていた。

 集めた宇都木は、そんな選手たちの表情を一人一人見ていき、最後に大きくため息をついて声を放つ。

「お前たち……今は楽しいか?」

 宇都木のたった一言で、場の空気はさらに凍りついていた。

「なあキャプテン……」

「は、はい!!」

 宇都木は穂乃を睨み付けるように目を合わせる。

「どうだ……楽しいか?」

 しばらく黙り混む穂乃は、徐々に目線が下がっていた。口をぴくぴくと震動させながら、そのまま声を発する。

「楽しく……ないです……だって……」

 穂乃の言葉はとても震えているのがみんなによく伝わっていた。しかし、キャプテンは続けて口を震わせながら話す。

「だって……おもしろくないじゃないですか!」

 顔を上げた穂乃の目は潤んでおり、今にも泣き出しそうな顔をしていた。

 宇都木は、そうか、と小さく呟いて、穂乃との会話を終わらせる。それもそのはずだ。だって、この試合はお前しか笑ってなかったからな。腕組みをして一度を瞑り、一つ息を吐いた後に目を開く。

「お前たち……このチームの教訓はなんだ?」

「「「「初心忘るるべからず、です……」」」」

 勢いのない揃った声であり、怒鳴り付けたい気持ちもあったが、宇都木は話を続けた。

「じゃあ、お前たちは、どうしてソフトボールを始めたんだ?」

 選手のみんなは黙りこんでしまい、皆俯いて考えている。

「なあ呉崎。お前はどうしてソフトボールを始めた?」

 左端にいた呉崎に言葉を放つと、彼女も穂乃と同様の顔をしていた。

「楽しそう……だと思ったからです……」

 呉崎の目から一粒の涙が流れ、静かに地面に落ちていく。呉崎は、中学では部活動をしたことがなかった学生であり、俗にいう帰宅部だった。か弱い性格の彼女ではあるが、親友の錦戸と高校が同じとなり、ある日の休日にキャッチボールをしたことがきっかけとなる。ソフトボールは楽しそうだ。それに錦戸さんとならよりおもしろそう。そんな想いで入部したはずが、辛い練習に追われる日々は続き、いつの間にか、ソフトボールの楽しさなど意識していなかったことを気づいてしまった。

 すると、宇都木は視線を変えて、集まるみんなに向ける。

「みんなだってそうだろう?うちに経験者は、花咲と錦戸しかいないんだ。だったらそんな顔でプレーするんじゃない。初心者らしく、明るく直向きにやればいいじゃないか」

 言い聞かせるように話した宇都木鋭子。しかし皆の表情は一向に変わらずにいた。それは、宇都木も経験した、監督に対する恐怖心を連想させるものであった。はぁとため息をついて再び口を動かす。

「お前たち、勘違いするなよ。私が厳しく接しているのは、お前たちに遊び半分のようなソフトボールをやってほしくないからだ」

 ふと、選手たちの表情は変わり、皆きょとんとした顔をしていた。

「私は、お前たちに知ってほしいんだ。辛い練習を乗り越えて、上手くなったときの達成感てやつをさ」

 監督から聴いた始めての心境に、誰もが意外なことだと驚く。厳しい裏にはそんな想いがあったなど、今まで知らなく、ただ怖じ気ついていた。しかし、今回の言葉を聴いて、監督は、自分たちがソフトボールをより楽しむために厳しくしているのだと気づく。

「相手チームを見てみろ。勝ってるからもあるが、誰一人暗い顔してる選手なんていない。みんな楽しくやってるよな。エラーしてもドンマイと声をかけてあげる。三振しても次は打てるよと声をかけてあげる。そして一つのアウトに皆が喜ぶ。そんな当たり前のことを、今のお前たちはできてるか?」

 選手のみんなは、笹浦二高の様子を見ながらひしひしと、ソフトボールの楽しさについて理解していた。きっとあの子たちだって辛い練習を乗り越えてきた。そんな努力があったからこそ、ゼロに抑える守備ができて、ヒットやホームランを打つことができて、あんなにうれしそうに喜んでいる。

「いいか?やらされてはおもしろくない。いつでも能動的に動き、自信をもってプレーしてこい。大丈夫だ、お前たちが辛い練習を乗り越えてきてることは、この私がよく知ってる。あとはお前たちが、自分を信じてプレーするだけだ」

 鋭子は一度大きく息を吸い込んで、皆を吹き飛ばすように声を放つ。

「初心忘るるべからず!!残りの二回を存分に楽しんでこい!!わかったな!?」

「「「「はいっ!!」」」」

 こうして選手たちは勢いよくベンチを飛び出し、それぞれのポジションへと散っていく。

「呉崎、錦戸。ちょっと早いがリエントリーだ。行けるか?」

「「はい!!」」

 二人もすぐにベンチから出ていき、筑海高校の雰囲気が、先程までの暗く重い空気は消え、まだ勝利を信じる明るく前向きなものへと変わっていた。

 審判に交代を伝えてベンチに座る鋭子は、そんな選手たちの様子を一人一人見ていた。

『まったく……頭の鈍いやつらだ。始めからそうやればいいのに』

 呆れた想いを抱きながらも、選手たちの様子に少し微笑みを見せていた。

 ショートに就いた穂乃も元気を吹き返しており、一人一人に指示を与えている。誰よりも明るく前向きな彼女のかけ声は、全ての選手を鼓舞しており、この試合で初めての一体感がうまれていた。最後にベンチにいる宇都木の方を見て微笑んでいた。

『ありがとう監督。私も、受け継がれしスターガールズのキャプテンらしく、精一杯頑張ります!!』

 時は違えど同じ役柄を持つ穂乃と鋭子には、大きな信頼感があった。それはとても強いものであり、二人を決して引き離すことができないものである。微笑む鋭子を見て、穂乃もうれしくなり、意気揚々と守備に就いていた。


 呉崎の投球練習は終わり、六回の表が始まる。先頭バッターは八番の東條菫(とうじょうすみれ)。チームの勢いと共に、強気の表情で右打席に入った。


 カキーン!!

「やった!!また打てた!!」

 菫の打球はショートとサードの間を勢いよく通り抜けてレフト前ヒット。

 笹二ベンチからの声援が放たれるなか、次に九番の凛がバッターボックスに入る。


 バシッ!!

「ボール!!フォア!!」

 さっきの穂乃のように粘り続けた凛は、九球目でフォアボールを選び、ノーアウトランナー一二塁のチャンスメークを成功させた。

 一方でピンチに追いやられた筑海守備陣だが、穂乃を始めとするかけ声で、空気は明るくなっており、皆強気の表情を見せていた。

 そしてバッターボックスには、一番ピッチャーの叶恵が向かい左打席に入る。ここまで来たら勝てると確信している彼女は、一番バッターとしてヒッティングすることを決める。

『ここで長打が出ればさらに点差は広がる。目指すはライトオーバーよ!!』

 いつもの練習のような明るさを持ち始めた叶恵は、呉崎の投球を、構えて待っていた。

「ノーアウト!!内野ゲッツーあるよ!!」

 ショートの穂乃の声が響き渡り、周囲の選手も声を掛け合う。

「呉崎さん。打たせていこう!!私たち絶対アウト取るから!!」

「うん、わかった!よろしくね!!」

 普段内気な呉崎でさえも、この場面には強気で臨んでいた。この回を抑えて次の攻撃に勢いをつける。ただそれだけを考えて、親友の錦戸からのサインを確認してウィンドミルを始める。絶対に打ち取ると強く想いを込めて、魂心のストレートを放った。

 カキーン!!

 外角に来たストレートに振り遅れた叶恵だったが、振り抜いたおかげで打球の勢いは強く、レフト方向へのゴロとなっていた。

 二塁から三塁へ向かう菫は、さすが月島先輩と思いながら、打球を目で追いながら走っていたときだった。

 パシッ!!

「あっ!!」

 菫の前を通り過ぎようとした打球は、ショートのグローブに吸い込まれる。しかし、驚いたときにはもう遅く、すぐにタッチをされてしまう。

「セカン!!」

 タッチを済ませた穂乃はすぐにセカンドへ投げた。するとセカンドの選手はすぐにベースに入り捕球。その頃ファーストランナーの凛はまだ着いておらず、これでツーアウト。


『うそ!?冗談でしょ!?』

 この刹那に二人もアウトになっていることを確認した叶恵は、自分だけでもと猛ダッシュでオレンジベースに駆けていく。ボールを捕球したセカンドも、すぐにボールを持ち変えてファーストに送球しており、それを見て叶恵は地面蹴って、決死のヘッドスライディングを試みる。

『待って!!こんなはずじゃないってば!!』

 バシッ!!

 ズシャー……

「……アウトー!!」

「「「「やったー!!」」」」

 歓喜を沸かせる筑海の選手たちは、このピンチをトリプルプレーで乗り越えた。皆笑顔でベンチへと戻っており、完全に勢い付いた様子が伺われる。

 このプレーには、さすがの鋭子も選手たちに拍手を送っていた。

『やればできるじゃないか……この箱入り娘ども』

 本日初めて大歓声を上げる自分のベンチは、とても輝かしいものを放っていた。

 一方、守備に就く笹浦二高は、キャプテン夏蓮の、切り換えていこう、という一声のもとでベンチから出ていく。

 泥だらけになった叶恵もショックのせいか、ファーストベース前でしばらく倒れたままだったが、すぐにベンチに戻り、サンバイザーとグローブを持ってピッチャーズサークルに向かう。

『チッ……まあ良いわ。あと二回、四点以下で抑えれば勝ちなんだから』

 自身にそういい聞かせながらプレートを踏み、キャッチャーの咲に向かって投球練習を開始した。

「!?」

「おお~!!」

 投球練習として投げた第一球目は、咲がジャンプしても届かないほどの高いボールが放たれた。驚きの声を上げてしまった咲は、すぐにボールを取りに行き、叶恵にドンマイドンマイと声をかけて返球する。

 だが一方で、叶恵にはここまでなかった違和感が襲っていた。

『どうしたの?私の足腰……重い。一歩歩くだけでもキツい……』

 叶恵の様子を見ていた筑海ベンチの宇都木は、やはりと悟ったように見つめていた。

『スタミナ切れだな。投球でも走塁でも、足腰をフル稼働させるからそうなる。ここからはお前にとって地獄の始まりだ。これだってお前の成長のためだ。悪く思わないでくれよ』

 叶恵の二球目は、今度はゴロのように転がってしまいキャッチャーがボディーストップ。コントロールを武器とする叶恵からは、その武器は既に錆び付いているのがわかる。

「おいお前たち!!この勢いを止めるなよ。ストライクとボールをしっかり見極めて、強く低い打球を打て。逆転目指せよ。いいな!?」

「「「「はい!!」」」」

 トリプルプレーという、劇的な展開を終えて勢いに便乗する筑海高校。

 一方で、叶恵の荒れた投球に違和感を感じ始めている笹浦二高。

 零対五で迎えた六回。

 相反する二つのチーム状況だが、無情にもゲームはいよいよ終盤戦が始まろうとしていた。


皆様本日もありがとうございました。

今回は筑海高校サイドをメインにかきました。

次回からはいよいよ終盤戦。叶恵は無事に抑えられるのか?

そして梓は……

また来週よろしくお願いします。

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