十一球目④穂乃→夏蓮パート「叶恵ちゃん!! ナイスラン!!」
◇キャスト◆
花咲穂乃
呉沼葦枝
宇都木歌鋭子
錦戸嶺里
梟崎雪菜
清水夏蓮
月島叶恵
篠原柚月
May・C・Alphard
中島咲
牛島唯
星川美鈴
植本きらら
東條菫
菱川凛
泉田涼子
如月彩音
田村信次
「ゴメンね、呉沼さん。一塁間に合わなくて……」
「は、花咲さんは何も悪くないよ! ……」
ピッチャーズサークル内にて、ショート且つ主将の花咲穂乃が、先発投手の呉沼葦枝と、グローブで口を隠しながら話し込んでいた。眉と目の形で苦笑いを放ったが、ピッチャーの表情は逆に黒ずんでしまう。
「打たれた、ぅちが悪いの……。ゴメンなさい……」
「呉沼さん……そんなことないって、ナイスボールだったよ?」
「……」
一度三塁ベンチをチラ見し、俯いた姿勢から解放されない葦枝。しかし、それが彼女の悪い一面であると、穂乃は高校一年生当時から知っている。
『呉沼さんは、怖がりなんだ……。すぐに萎縮しちゃうの、わたしと似て……』
直球メインの勝負師らしからぬ、臆病な右腕投手なのだ。
葦枝自身、運動部に入ったのは筑海ソフト部が初めてらしく、穂乃とは異なる未経験者としてのスタートだった。とはいえ、彼女には眩い可能性が秘められ、入部から一年が経った今では、この通りバッテリーの一人だ。現在はまだ上級生がいるため控え組だが、次年度のエースになることは間違いないだろう。
『ただ、呉沼さんにとって怖い対象が、今のわたしと違うんだよね……』
同じく弱気の自覚を抱く穂乃だが、葦枝の恐怖対象はまた別の存在である。
『わたしが怖いのは……一言で表せば、変化。でも、呉沼さんは……』
それは、スポーツの世界に踏み入れたことがない、未経験者ならではの対象なのかもしれない。実際に穂乃だって、ソフトボールを始めた際に抱いた恐怖心だった。今では感謝という概念に変わると認知し怖れなくなったが、葦枝はまだその経路を知らない一人である。
『――怒鳴られるのが怖いんだ……指導者の、宇都木監督から……』
未経験者の誰もが直面する、最初の恐怖対象――指導者。特に叱られる生活に慣れない優等生ほど、身の凍えが強固してしまう存在だろう。親にすら怒鳴られない子が増えたことも、一理として挙げられるのかもしれない。
『でも、それはつまり……』
ふと穂乃は背番号“18”から目を離し、全ての筑海部員たちを覗く。今回は一二年生のみで構成された、全十八名の控えチームだが、その内経験者の数は、穂乃を含めて四人しか在籍していない。未経験者の数が圧倒したメンバーだと言える。
『――呉沼さんと同じ気持ちの部員が、ほとんどなんだよね……』
正直、みんなの表情も強張りを続けていた。まるで自分の前に打球が飛んでくるなと言わんばかりで、足元のスパイク跡があまりに少なく窺える。
『怖い気持ちは、わたしもわかる……でも、こんなの本物じゃないよ……わたしが求める物と、全然違う……』
未来の主将候補として、荷の重さを感じてしまった。葦枝のように、自ずと目線が落ちそうになりかけたが。
――「葦枝! もっと腕振りなよ! せっかくいいストレート投げられるんだから、もったいないよ~!」
すると、穂乃と同じく経験者の一人である、体格に優れた捕手――錦戸嶺里から、明るく逞しい一声が。
――「葦枝~!! 自信持って~!! 練習通り、続けていこう!!」
また今度は三塁ベンチより起立した、葦枝と同じ未経験者の細身スコアラー――梟崎雪菜からも、熱い声援が飛び込む。
「嶺里……雪菜……」
「二人とも……さぁ! 切り替えてこ、呉沼さん」
「花咲、さん……」
そして最後に穂乃が葦枝の背を叩くことで、闘志と勇気を煽る。嫌な雰囲気など、取っ払ってみせるように。
「次で、アウト一つ取りにいこう。自分を信じて?」
「う、うん……」
葦枝の表情には、完全な明るさが還るとまでは至らなかったが、伏せていた目線が上がっていたことが、穂乃も気づけた。
颯爽とショートのポジションに戻ると、まずは状況確認と指示を周囲へ送る。そして自身の気持ちを改めて高めようと、グローブのポケットを強めに叩き、相手バッターに向けて眉を立てる。
『バッター二番、夏蓮からだ……』
常に求める本物を目指し、筑海高校次期主将候補は、セカンドベース寄りで構えた。
◇伝統の一戦、開幕ッ!!◆
先頭打者の月島叶恵の出塁により、状況はノーアウトランナー一塁。ここでバッター二番――清水夏蓮が右打席に踏み入れる。
『ヤバいよぉ~、怖いよぉ~、ホラーだよぉ~お~……』
しかし全身の振動が拭い切れず、多大なる緊張の血液を巡らせていた。万年補欠だった自分自身が、二番という上位打線の一人になっているのだ。経験者であるが故に、マネージャーの篠原柚月から抜擢された経緯だが、やはり慣れない舞台に頬が強張る。チームの主将を知らしめる“10”の背も、小さく見えて仕方ない。
『で、でも、叶恵ちゃんに言われた通りやれば……きっと大丈夫……たぶん……』
ふと夏蓮は、一塁走者の叶恵と目を合わせた。御互いコクりと頷いて確認を取ると、恐る恐るバントの構えを始める。
『叶恵ちゃん……これでいいんだよね?』
――「内野ゲッツーあるよォォ!!」
「ヒィッ!!」
突如背後で指示を叫んだ、ガッチリ系女子の錦戸嶺里に凍り付く夏蓮。しかし時間は待つことなく、いよいよ第一球目が、呉沼葦枝の右腕から放たれる。
『まず初球は……見送るっ!』
バシッと轟音をミットで響かせた初球は、外角へのストレート――ゾーンから離れたウエストボールだった。恐らくは盗塁を予期した配球のようだが、逆にそれを読んだ叶恵は一塁上で止まっていた。
夏蓮もバットを無事に引いて見送ったことで、まずはワンボールのカウントを作り上げる。だが、どちらかといえば、“見逃した”と告げた方が適当かもしれない。
『速ッ!! 叶恵ちゃんに言われてなかったら、バット出したままだったかも……』
気がついたときには白球が通過しており、目が追い付いていなかったのだ。事前に叶恵からの指示があったからこそ、何とかバットを引けた現況も否めない。
恐怖心がどうも取り払えないままだが、夏蓮は再びバントの構えで立ち向かう。一塁側ベンチからの応援も身体に受けながら、二球目を投じられると。
――「走ったッ!!」
ボールが葦枝の指から離れた直後、ファーストからの一声――叶恵が盗塁を試みたようだ。
度重なるストレートが右打者内角へ突き進むと、夏蓮は再度指示通り、バットを引いて見送る。すると捕球した嶺里がすぐに持ち変え、ショートの穂乃が待つ二塁へ放り込む。
気になる判定は……
――「セーフ!!」
二塁審判ジャッジの元、叶恵のスライディングが穂乃のタッチを制し、盗塁が見事に成功したのだ。
「さすがです! 月島先輩!!」
「ナイス盗塁です!」
「How fast!! 韋駄天走りデスネ!!」
現在ランナーコーチの東條菫と菱川凛、そしてネクストバッターズサークルで跳び跳ねるMay・C・Alphardも含め、笹二サイドは沸き起こっていた。叶恵の俊足をきっかけに先制のチャンスが生まれ、初回から早くもイケイケムードと化していく。
「叶恵ちゃん!! ナイスラン!!」
周囲の仲間たちと同じように、夏蓮も自分のことのように嬉しかった。しかし叶恵は浮かれることなくランナーの構えを始め、速やかな再開を促す。
状況は変わって、ノーアウトランナー二塁。
カウント、ワンボールワンストライク。
先制ムードで迎えられた打者として、夏蓮の胸にも勇気が湧いていた。
『いい流れが来てる……よしっ!』
前向きな瞳を相手投手に飛ばしながら、繰り返しバントの構えをしてみせる。
『ここで送りバント……大丈夫!! 絶対できる!! できろッ!!』
今日までの辛い練習だって乗り越えてきたのだ。その苦しき経験で培った、自信の炎まで放つ。
ところが……
――ぽかぁん……。
「あ……」
打席に立ち竦んだまま、夏蓮の目線が空に向かう。バットに当てられたは良いものの、打球はキャッチャー後方のバックネットへ上がってしまった。もうじき地に着いてファウルが宣告される……はずだったが。
――パシッズシャァァ!!
「ウソォォ!!」
素早く始動した捕手の、懸命なダイビングキャッチ――夏蓮の初打席の結果は、悔いの残るバントフライと成り経た。この状況を考慮すれば、三振の次にやってはいけない罪を犯してしまったと解説できる。
だが、試合は静止していない。
――「ランナー走ってる!!」
ショート穂乃の悲鳴染みた叫びが拡がった。感情が追い付かず茫然気味の夏蓮だが、起き上がった捕手の視線先を辿る。すると、送球を待つサードの脚の間から、三塁ベースが垣間見えた。
――雄々しく滑り込んだ、叶恵の左脚もいっしょに。
「叶恵ちゃん……スッゴ~~い!!」
「んの前に転がせや!! アホんだらァァ!!」
「ゴメンなさァァイ!!」
轟く怒声を浴びたことで、夏蓮はシクシクとベンチに退く。しかし、内心は多いに歓喜したままだった。バットとヘルメットを脱ぎ置き、再び救世主的存在の三塁ランナーへ眼差しを送る。
『叶恵ちゃんが、私のバント 邪飛を帳消しにしてくれた! ありがと、叶恵ちゃん!!』
足を叩いて砂ぼこりを溢す叶恵に、夏蓮は感謝を胸に釘付けだった。結果的に送りバント成功時と同じ状況が作れ、一先ず安堵の一息を着こうとしたが。
「フフフ~ン、あらぁ夏蓮ちゃん! おかえりぃ~」
「――ッ!! ゆ、柚月ちゃんさん……」
すると満面の笑みで迎えてくれた柚月が、夏蓮の右耳に口を寄せてきた。嫌な予感がしてならず、身の毛が逆立つばかりだ。
「その、ですね……叶恵ちゃんのおかげで……」
「そんなのわかってるわよ~ん、ずっと見てたんだからぁ~! ただぁ~、夏蓮ちゃんも~、わかってるわよねぇ?」
「は、はい……。今後はバント練習、死なない程度にガンバります……」
「あらぁ~! イイ子イイ子~。出来の悪い子じゃなくてぇ、ホントにイイ子だねぇ~夏蓮ちゅわぁん!」
「……殺される」
夏蓮の破滅的未来は扠置き、状況はワンアウトランナー三塁。
先制まであと一打と迫った、正にチャンス場面だ。
「Nice to meet you!! よろしくお願いシマ~~ス!!」
ここで三番打者のメイが左打席で一礼し、小柄な背丈でどっしりと構え立つ。
「初球からガンガンいきマスヨ~!!」
あどけなくも強気の小顔で迎え撃つメイに対し、相手投手の葦枝は余裕無き表情だ。チャンスの裏に表れたピンチに焦っているに違いない。
「行っけぇぇ! ターロリパツキ~ン!!」
「幼稚園児との違いを見せてやれッス!!」
「打てたらオムツ卒業にゃあ!!」
応援しているのか定かではない野次三姉妹――牛島唯と星川美鈴に植本きららも歓声を飛ばすと、いよいよメイに本邦初の投球が直射す。
その初球だった。
――キィィィィン!!
片手持ちになるまでに、バットを壮大に振り抜いたメイ。足元の土埃も舞ったその瞬間、快音が球場中に鳴り響いた。
誰もが追う打球の行方は、既にセカンドの頭上を猛スピードに越えた。間もなくセンター寄りの右中間へ一直線――ライナーとしてグランド上を突き刺そうとしていたが。
「Oh my god……まだ、嘴が黄色いようデスネ~……」
諦めず走るメイの打球は惜しくも、センターのグローブに収められてしまい、結果はフライアウト。これでツーアウトとカウントが変わるところだ。
「――but! Let's go!! 叶恵ちゃんセンパイ!!」
捕球された刹那、三塁ランナーの叶恵はメイの発言通り、ベースを蹴る勢いでスタート――タッチアップに身を捧げたのだ。
センターもすぐに返球したが、既に二つの盗塁を決めた俊足ランナーの足下に及ばず、総立ちした笹二ベンチが決定的瞬間を捉える。
――「「「「ヨッシャァァァァ!!!!」」」」――
――「「「「イッテェェェェン!!!!」」」」――
悠々とホームに帰還した叶恵により、先攻の笹浦二高が、いきなりの先制点を叩き出した。ベンチ内外問わず、笹二関係者全てが歓喜し、もはやグランドを占領する勢いで賑やぐ。
「やったね、清水!!」
「うん先生!! 私たちの、初の一点だよ!!」
顧問の田村信次にも劣らぬ、誰よりも輝かしい喜びを上げた主将の夏蓮。時期尚早とはいえ、創部より初の得点を得たことには、無邪気な万歳を繰り返すハートビートが止められなかった。もちろん犠牲フライを放ったメイの活躍も忘れず、先制打点者へ笑顔を掲げる。
「メイちゃ~ん!! ナイスバッティングだったよ~!!」
「Yeah!! ニッポンでの、めでたき初打点デェス!!」
アウトにも関わらず、メイはなぜか二塁上ではしゃぎ跳ねていた。どうやら勢いに任せて辿り着いてしまったらしいが、反って更なる盛り上がりを着火させた。
「あ、叶恵ちゃん!!」
すると夏蓮は、先頭打者から帰還まで活躍した叶恵に、褒め称えるようにハイタッチを求める。
「ナイスバッティングだし、ナイスランだし、もうナイスだらけ……」
「……ねぇキャッチャーやって? 投球練習するから」
「え……あ、うん……」
しかし、言葉尻を被せてお願いしてきた叶恵は、夏蓮に目も与えず通り過ぎ、ヘルメットを置くとすぐにスポーツドリンクを開けていた。背後から彼女担任――如月彩音も、
「月島さん、カッコいいよ!」
と喜び放つも、飲みながら会釈するだけに止まり、早速自身の黒グローブを右手に嵌め始める。
『叶恵ちゃんは、あんまり嬉しくないのかな? 私たち笹二ソフト部の、初得点……』
研ぎ澄ました神経を失わないためか、たった一人冷静沈着な叶恵には、夏蓮はどうも疑念を抱いてしまう。ベンチの明るいムードは依然として続いていることで、余計にエースの暗さが顕在的に映った。
『もっと、みんなといっしょに楽しめばいいのに……』
部員の仲間たちと、大きな喜びを分かち合えばいいのにと、主将は孤独なエースに本音を向けそうになった。しかし叶恵に言われた通り、まずは彼女の投球練習に付き合おうと、夏蓮も自分用グローブに手を伸ばす。今は小さな問題点を意識しても、致し方無い。以上に今は、試合展開を優先すべきだと思ったが。
――「ストライク!! バッターアウト!! チェンジ!!」
「あれ……チェンジ……?」
学生主審の声に、夏蓮は思わず首を傾げてしまった。打席を眺めると、確かに四番打者の中島咲が、バットを振り抜いたまま固まっている姿が見える。
どうやら、空振り三振のようだ。
「あ゛ぁ~……やっぱアタシ、四番とかムリだよ~」
「なんだよ? いつもの中島らしくねぇじゃん。バットに掠りもしねぇで」
ネクストバッターの唯と共に帰ってきた、ため息混じりな落ち込み気味の咲。夏蓮は柚月に詳しい結果を聞いてみると、やはり三球三振だったと告げられる。
「はぁ……まさか咲が、まだ治っていなかったとは……」
「あ、そっか! 咲ちゃん……それじゃあ仕方ないよ」
「柚月~夏蓮~、ゴメ~~ン!」
練習中では快音を何度も轟かし、今回はチーム打線の大黒柱を担ってもらった。しかし現在の咲は、小さな主将に泣いて抱き着くほどの弱々しさが見受けられる。
周囲の部員たちも不思議と見つめていたが、困りながらも頭を撫でる夏蓮が公にする。
「――実は咲ちゃんはね、極度の“あがり症”なの……」
いつもはチーム一番に声を出してプレーする咲だが、思い返せば本日の練習試合では、全く声が聞こえてこなかった。一人ずっと大きな緊張と戦っていたに違いない。因みにこの症状は、小学生の頃から夏蓮たちに見せている特徴で、その時の姿は練習時と別人格と言っても過言ではない。特に打者となると、多くの視線を浴びてしまうためか、本人曰く、嫌いな守備よりも悍ましいまでに緊張するらしい。
ベンチの外で観戦する、咲とは長い付き合いの泉田涼子も、
「ゴメンねぇ夏蓮、柚月。バレーボール部でも、ずっと同じだったの……」
と、頭を抱えながら悩ましく漏らした。
夏蓮たちとしても、苦笑いを見せることしかできず、とりあえず咲が早く泣き止む時を待つことにした。
四番の咲が三振したことで、笹浦二高の攻撃である一回表が終了。しかし初回から一点を奪取できたことで、部員たちの表情には元気の印が宿っていた。相変わらず叶恵だけは落ち着いた様子だが、チームの雰囲気は、良き前向きさに包まれている。
「今度は守りだっ! みんな行こう!!」
――「「「「シャァァァァア!!!!」」」」――
主将の一声をきっかけに、笹二ソフト部員たちはそれぞれのグローブを握り、各々のポジションへと駆けていく。今度はチーム初の守り側――一回裏の守備に向け、輝く色とりどりの星華たちが、このソフトボール場に散りばめられた。
一 二 三 四 五 六 七 計
笹二|1| | | | | | |1|
筑海|…| | | | | | |0|
ランナー無し
B○○○
S○○
O○○




