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プレイッ!!◇笹浦二高女子ソフトボール部の物語◆  作者: 田村優覬
一回裏◇始まる伝統の一戦。乗り越えろ恐怖の一戦―vs筑海高校編◆
55/118

十球目④舞園梓パート「ソフトボール、辞めます……。もうこれ以上、誰も傷つけたくないので……」

◇キャスト◆


舞園梓

篠原柚月

清水夏蓮

中島咲

花咲穂乃

河施かわせ瑚鳥ことり

河施かわせ優陽風そよか

泉田涼子

清水秀

舞園瑞季

舞園勝弓


田村信次

 全国大会の幕が降ろされた、一ヶ月後。

 世間では夏休みから二学期へとバトンが渡る季節で、小麦色に日焼けした少女たちの登校が始まる。


「おはよ……夏蓮かれんえみ

「おはよう! あずさちゃん」

「おっはよ~ん!!」


 無論、舞園まいぞのあずさたちにも新学期の幕が上がる。最近は三人で登下校する日々で、主に中島なかじまえみが盛り立て役、清水しみず夏蓮かれんが小さいながら突っ込み役を演じていた。


「いや~秋ですな~! 恵みの秋! 収穫の秋! 美味の秋!!」

「全部食べ物じゃん!」


「アハハ……」

 そして、梓は二人の話を聞いての笑い役担当に専念していた。

 長閑(のどか)な天気の下、三人の仲睦(なかむつ)まじい雰囲気には、まだ残暑に見舞われる秋風が後押しする。紅葉たちも鮮やかに揺れ、自然の世界も応援しているようだ。

 漏れ無く、梓の長い黒髪までなびかせ。


「……」

「梓ちゃ~ん? どうしたの~?」

「学校遅れちゃうよ~?」

「……あ、ゴメン。……問題ない」


 一度は立ち止まってしまったものの、離れた夏蓮の呼び掛けに微笑みを返してから、梓は二人の背を追った。まだまだ早すぎる寒冷さを、吹き付ける秋風から覚えて。



『――柚月ゆづきは、いつ学校来れるのかな……?』



 正直、毎朝思ってしまう心中だった。

 全国大会が終わってから早一ヶ月がつ今でも、篠原しのはら柚月ゆづきには市内の病院で入院生活が続いている。下半身を動かすことができず、学校に行くこともままならない車椅子状態なのだ。

 放課後はよく三人で、入院先へ御見舞いに向かった。部屋に入ってみると、いつもベッドに居座る柚月が笑顔で待ち、決まって(こころよ)く迎えてくれる。持ち前のドS口も饒舌(じょうぜつ)で、夏蓮と咲を難なく困り転がしていた。


「もぉ~! 柚月ちゃんのイジワルゥ~!」

「そうだそうだァ!! アタシも夏蓮に一票だァ!!」

「フフフ! あ~愉快愉快。……ん? 梓どうしたのよ? 一人ボケ~っとしちゃって」


「え……いや、問題ない。続けて」

 柚月ら三人の明るさに反して、梓は違和感で型どった微笑みを浮かべていた。

 夏蓮と咲を手のひらで転がすような、悪性格の癖が強い柚月。できればもう少し丁寧さを覚えてほしいあまりだが、それは彼女本来の姿で、どことなく楽しそうに窺える。たとえベッドに寄りかかった状態だと言えども、第三者の視点に立てば、たいそう解放的な笑顔に見えるのだが。



『どうせ作ってるんでしょ、その笑顔……。わかるよ、ウチも同じだし……』



 梓一人だけが、心を遊ばせることができていなかった。

 最高の絆で結ばれた仲間たちの一人であり、つバッテリーとしても共にチームをつむいできた、大切な存在――篠原柚月。そんな彼女の現状と心情を、梓は直視することに苦しみを覚えていた。



『あのとき、ウチが三振を取っていれば……』



 柚月は入院などしなかったはずだ。怪我を恐れずアウトを取ってもらい、チームは見事に全国ベスト4まで上り詰めた訳だが、勝利の余韻よいんに浸る者は誰一人もいない。あまりにも代償が大きかったからだろう。梓自身が考える、無力なエースのせいで。



『――もっとエースが、切り札(エース)にならなきゃ……』



 目の前の親友と同じような悲劇を、二度と起こしたくない。もう誰にも、偽造の笑顔を浮かべてほしくない。

 それを叶えるためには、自他共に認める絶対的なエースが必要だ。



『――もっとウチが、強くならなきゃ!』



 強い責任感のもと、決意を固めた梓は以降、生活スタイルを自ら変革させていく。起床時間を早めた朝には、登校前のランニング。それが終われば、笹浦スターガールズの練習球――“S☆G”と黒ペンで記された二号球を使って、自宅の庭に立つ石壁への投げ込み練習。当時生まれて間もないワン()にすら不安視されながら、早朝練習を一人継続させていった。


「キュウ~ン……」

『もっと速く!』


 もちろん、自主練習は朝だけではない。柚月の御見舞いから帰宅した後は、ハーフパンツのジャージに着替え、真っ暗な夜を迎えるまで再度の投げ込み。最初は早朝と同じく庭で(おこな)っていたが、母の舞園まいぞの瑞季みずきから近所迷惑になるとを告げられてしまう。


「ねぇ梓? ガンバるな、とは言わないけど……少し肩の力抜いてみ……」

「……わかった。今日から早速、別の場所で練習する」

「ちょっと梓!?」


 瑞季の助言も最後まで聞かぬまま、梓は練習場所を、(やなぎ)川を渡る線路下に改めた。人気(ひとけ)の少ないここならば騒音になるまいと、陽もほとんどに浴びれぬ影の空間で。



『もっと強く!!』



 母の瑞季や父の舞園まいぞの勝弓まさゆみも心配するほど、梓の長い夜練習が日常化していく。的を描いた壁を、ゴム質ソフトボールで打ち砕かんばかりに。



『――本物の切り札(エース)にッ!!』



 強度の責任感を確かに抱きながら、梓は一球一球に魂を伝染させる。チームの未来栄光のために、何よりも柚月のような犠牲者を出さないために、ウィンドミル投法から全力ストレートを幾度となく()続けた。



 それから一ヶ月後の中秋。

 全国各地で行われる新人戦が近いこの頃、笹浦スターガールズは大会前最後の練習試合にいどんでいた。相手は同じく茨城県内のチーム――緋勝奈多(ひかちなた)オーシャンズで、県央では最も優れたチームとの一戦だ。

 六年生の引退に(ともな)い、代替わりした笹浦スターガールズは、監督の清水しみずしげると元主将の泉田いずみだ涼子りょうこの意見合致で、新キャプテンは花咲はなさき穂乃ほのゆだねられた。また五年生でほぼ固まっていた守備位置の変更はなく、四年生以下の下級生らが、抜けた六年生と欠いた柚月のポジションを穴埋め。主軸がほぼ変わらない代替わりのため、補強すると告げる方が等しいのかもしれない。


「今日もよろしくね、瑚鳥(ことり)

「う、うん! 梓ちゃんのストレート、全部捕ってみせるから!」


 円陣が終演したピッチャーズサークル内にて、新たに決まった四年生キャッチャー――河施かわせ瑚鳥ことりから、梓は開いたグローブにボールを渡された。

 梓と違って、試合慣れは(おろ)か、相方が上級生であるため緊張感が随所ずいしょに窺える、一回り小柄な瑚鳥。しかしベンチ外から、引退した六年生の姉――河施かわせ優陽風そよかから声援を受けつつ、重そうなレガースと身を打席まで運んだ。


「ヨッシャ~!! バッチコ~イ!!」

 一方ファーストからは、絶賛大声援配信中の咲。


「内野オールファースト! 大事にいこう!」

 セカンドからは、指示と主将らしく凛々しい構えを放つ穂乃。


「みんなぁ! ガンバれェェ!!」

 またベンチには、相変わらず応援を繰り返す夏蓮。

 そしてベンチ外には、元主将の涼子に、今日だけ外出許可を得た、車椅子に座る柚月も訪れていた。先輩を始め多くの関係者に見守られながら、試合(ゲーム)開始の音が響かされる。


――「プレイボールッ!!」


 相手の一番バッターも打席に入り、両者白熱した勝負の劇場が開幕した。


『大丈夫だよ……瑚鳥』


 小さな瑚鳥が構える大きなミットからは、確かに微動が観察できる。試合に対する緊張と、まだ慣れていない捕手の恐怖があるのかもしれない。彼女がキャッチャーの練習を初めてから、まだ二ヶ月も経過していないのだから。


『監督に言われた通り、投げるからさ』


 すると梓は一度ベンチの秀に目を送ってから、投球モーション前のセットに入る。冷静沈着を保ちながら左腕を降ろし、投球板を蹴ると同時に風車の如く回転させ、早速第一球目をほおってみせる。初球の結果は、相手バッター見送りの内角ストライク。瑚鳥が要求したコースに、まずは正確に投げ込むことができた。


「梓ちゃんナイスボール!」

「瑚鳥も、ナイスキャッチ」


 互いに一球の接し方を褒め合いながら、ボールを受け取った梓は再びウィンドミルを繰り出す。今度は空振りの外角ギリギリのストライク。

 ツーストライクと、早くも相手バッターを追い込んだが。


――カキーン!!


「セカンド!!」

 第三球目に快音を響かせた打球は、セカンド寄りの二塁へ飛び向かい、守備に定評がある穂乃ですら飛び込んでも防げなかった。先頭に対し、いきなりのシングルヒットが生まれてしまう。

 オーシャンズベンチからは歓声が、一方のスターガールズベンチからはため息がと、表裏(ひょうり)明確な心情へ分けられていた。


「ゴメン、梓!」

「謝らないで、穂乃。問題ないから。ナイスガッツだったよ」


 しかし、打たれた梓には平常心が顕在けんざいだった。エラーした訳でもないのに泣き出しそうな穂乃から、微笑みを掲げて捕球する。


「……ねぇ、梓?」

「ほら、守備位置に戻って。状況確認、キャプテンの穂乃がやらなきゃ」

「う、うん……」


 何か言いたげな様子の穂乃だったが、梓は主将の心言葉を察して、セカンドポジションに向かわす。


『大丈夫だよ、穂乃。ウチのことは心配しないで』


 ノーアウトランナー一塁と、内外野それぞれに適格な状況確認を送る主将背番号10を見つめ、梓は、試合前に告げられた秀の監督命令を、瞳を閉じながら思い出す。



『――全力ストレートは禁止。打たせてアウトを取る……』



 それが監督からのチーム方針だった。色々な要素が組み込まれているのだろうが、一番の要因はきっと、未発達な捕手の瑚鳥の存在に違いない。小さな下級生に上級生の全力ストレートを捕球させれば、最悪場合怪我する恐れさえ思い浮かぶ。いくらレガースを(まと)っているとはいえ、梓の得意な豪速球では危険を呼び起こす原因になりかねない。


『楽しいって言ったら、たぶん嘘になる……』


 相手を直球でねじ伏せる、絶対的な切り札(エース)を目指してきた。そんな練習に大きくさからった、制球重視の投球スタイルなのだから。一球入魂の梓にとっては、悪く言えば手抜き投法に他ならなかった。



『でも大切なのは、ウチが楽しむことじゃない。この先の未来で、チームが輝くことなんだ……。何よりも……』



 次なる二番打者がバッターボックスに君臨すると、梓は小さく息をこぼし、構えられたミットではなく瑚鳥の瞳を覗いてからセットする。



『――柚月と同じ悲劇を、瑚鳥には浴びせたくない!』



 仲間を想う末、梓の魂無きストレートが再び繰り出された。うなりたがっている左腕を、責任感という気持ちで抑圧しつつ、コントロール重視で進行していく。


 指導者たちの判断で回数制限に(のっと)った練習試合は、時間制限の公式試合とは真逆に、長々と流れていた。得点されてもすぐに追いつき、また追い越されの、両陣一歩も(ゆず)らぬバッティングが打ち続く。投高(とうこう)低打(ていだ)のソフトボール概念とは異なる、完全な乱打戦と化していた。


『あと、アウト三つ……』


 ついに最終回を迎えた五回表。スコアボードを覗けば十対八と、後攻の笹浦スターガールズが二点リードした現況だ。練習試合とはいえ、この回を抑えれば勝利である。


『あと、アウト二つ……』


 ここまで梓の打たせるピッチングは続いており、キャッチャーの瑚鳥も後逸こういつする回数が減っていた。数えきれぬ被安打を受けながらも、チーム方針を脳裏に焼き付けて投げ抜く。



『あと、アウト一つ……でも、マズイ……』



 大会前の勝利は目の前まで訪ねていた。が、状況はツーアウト満塁。一打同点、下手すれば逆転も想定できる、絶体絶命のピンチ場面だ。

 対するバッターは、九番の左打者。仮にシングルヒットで抑えられたとしても、ネクストバッターは初回からヒットを放っている一番打者がいる。加えて何本も快音を響かせた、安打製造機ことアベレージバッターだ。



『――九番(この)バッターでアウトを取らなきゃ、きっと負ける……。ここで抑えなきゃ!』



 自身なりに勝利への方程式を立てた梓は構え、あくまで瑚鳥が捕球できるコースに、スピードを抑えて放る。第一球目は、アウトローへのストライク。第二球目はインハイに要求されたが。



――カキィィィィン!!



「んなッ!! ……ふぅ……」

 猛烈な勢いで飛ばされた打球は、切れてのファールボール。フェアゾーンに放たれていれば、ホームランの可能性さえ窺える大飛球だった。

 とはいえ、カウントはツーストライク。あと一球でアウトが取れるターニングポイントまで訪れた。


『あと、一球……』


 梓の心の声をそのまま、ベンチの選手たちも喜び叫んでいた。既に勝利が決まったと言わんばかりに、ゲームセットの集合へ前のめりな数人も見て取れる。


『あと、一球……でも……』


 しかし梓はここにきて、険しい面構えを見せていた。考えてしまったからだ。果たして対戦中のバッターを、魂無きストレートで打ち取ることができるのかと。



『あと、一球……なら……』



 固唾を飲み込んだ喉に冷や汗を垂らすも、声援に応えたい梓。そのとき、思ってしまったのだ。



『――全力ストレート、投げたい!』



 今日まで磨きを加え、一番自信のある球種――全力ストレートに全てを掛けたい。

 監督にも相談していない、チーム方針にそむいた自己中心的案だ。が、大会前にチームが勝つために、まばゆい明日へ飛躍できる希望を誕生させるために、この場面ではどうしても投げておきたかったのだ。



『ゴメン、瑚鳥。一球だけ……この一球だけ、えてくれ!』



 長い試合時間で疲弊(ひへい)した様子の瑚鳥に心配りをしながら、梓は苦渋くじゅうの決断を固めてセットに入る。コントロールは多少乱れるだろうが、柚月と経験してきた数々の真っ向勝負を強気のかてに、本日初めて瞳を尖らせた投球を行う。


『これで、ゲームセットだァ!!』


 封じていた豪左腕をしなやかに回し、スパイクで足場を深くえぐったウィンドミルからの全力ストレート。最近の練習試合では見られなかった一球で、蒼く燃える梓の魂がめられ、うなる勢いで放たれたが。



『――っ! あれ……?』



 刹那せつな、左指先に残った感触に、妙な違和感が走った。スッポリ抜けてしまった感覚で、投げたいコースへ最後の一押しを加えられなかった気が(いな)めない。また、瑚鳥のミットを凝視していたためか、放った白球がどうもゾーン内路線より目に映らない。一体どこへ向かってしまったのかと、焦点を即座に変えてみたが。


「――っ!」


 もう、遅かった。




――バリ゛リリィィィィッ!!




「――ッ!!」

 プラスチックが砕ける音と共に目を見開いた梓は(ようや)く、ボールがすっぽ抜けてしまったことに気づく。いきなり速めようとしたがゆえに、力みまで生まれてしまったからだろう。

 しかし、そんなことはどうでもよかった。


 ――「で、デッドボール!!」


 狼狽(ろうばい)気味な主審のジャッジ通り、結果は死球で押し出しの追加点。これでスコアは十対九と、点差は僅か一点に迫る。

 だが、その事態すらどうでもよかったのだ。



『デッド、ボール……』



 ただ今梓が呆然と見つめる、バットと共に倒れた相手バッターを目にすれば。



『――頭部への、デッドボール……』



 梓の全力ストレートは、左バッターの側頭部に直撃してしまったのだ。ヘルメットには大きな亀裂が走り、また右耳部分は完全に破損し、多くの破片がバッターボックス内に散らばっていた。

 緋勝奈多ベンチに笹浦ベンチも、梓が投じた一球に声を圧し殺していた。意識はある様子だが、喰らったバッターは背番号を上空に向けて倒れたままで、なぜか顔を両手で伏せていたからだ。


『そん、な……』


 恐る恐る相手打者に近づこうにも、梓は痙攣けいれんが鳴り始めた両足を稼働させることができなかった。ついこの前も目にした気がする光景に、我ながら怖じ気づいていたのであろう。ただ今ベンチ外で試合展開を覗く、最高の絆で結ばれた仲間たちの一人を思い出してしまい。



『あの日の、柚月と同じ……』



 静寂せいじゃくなグランドと化した、秋風薫る青空の下。周辺の樹木の多くは既に数多あまたの枯れ葉を降らし、今年は少し早い冬を迎える暗示が観察できる。枝に残された三枚の紅葉も、今にも風にあおられて、真下の地に向かいそうだ。

 すると、相手監督がベンチから颯爽さっそうと飛び出し、バッターのもとへと駆けつける。余裕など窺えない焦り横顔で、打者を揺すりながら起こしてやるが。



――「……お、おい!! 出血だ!! 出血してるぞ!!」



「――ッッ!!」

 梓の驚愕した瞳にも、相手監督が叫んだ現実が飛び込む。飛び散ったヘルメットの破片で切れてしまったためか、相手少女の左頬からは確かに、紅の鮮血がドロリと伝っていた。

 それだけではとどまらない。破片は(ひたい)をも襲ったらしく、眉間を経由した赤い涙まで、顔面を蛇行していたのだ。ユニフォームに点々と赤を塗り、事の重大さをより強調させていく。


『また、だ……』


 事態は騒然とし、未だ立ち上がれぬ打者のもとに何人も集まり、誰もが悲愴に染まっていた。もちろん、ピッチャーズサークルに一人立ち尽くす梓も同様で、右手のグローブがスルッと落ち、絶望の瞳で視界をせばめていく。



『また、怪我人だ……』



 その日の秋風は妙に強く、そして冷たく吹き付ける。グランドの砂埃(すなぼこり)を巻き上げ、落ち葉たちを次々に飲み込んでいく。枝にしがみついていた一枚の紅葉もついに離れ、冷たい渦の中へ消えていった。魂が抜けかけた梓が伸ばす、長髪をも靡かせて。



『――また、ウチのせいだッ……』



 その後、練習試合の結果は笹浦スターガールズが辛勝。一点差を守りきり、大会前としては上々のゲーム内容で終えることができた。

 しかし、終了直後に梓は、監督の秀を始め、両親の瑞季と勝弓に直訴することにした。後悔と罪悪感で膨れ上がった責任感を胸に宿し、小五の秋に決断する。



「ソフトボール、辞めます……。もうこれ以上、誰も傷つけたくないので……」



 終始(うつむ)いたままの、電撃引退宣言他ならなかった。その日を境に、舞園梓という一人の投手が、二度とグランドに現れることはなかった。抜け落ちたグローブも置いてきぼりにしたまま、帰らぬ選手となってしまったのだ。




なごごろに、太陽きぼうの光を……。六年前も、よくやったっけな……』



 そして引退してから約六年が経った現在、高校二年生にまで成長した梓は今日も一人影に隠れて、落ちかけ寸前の夕陽に手のひらを向けていた。


『そういえば、柚月とバッテリーじゃなくなってから、やるの忘れてたっけ……』


 あの期間は自身のルーティンを忘れてしまうほど、心にゆとりが無かったに違いない。戦力外になった柚月に涼子ら先輩の引退と、今でも長い一時だと感じていた。怪我をさせてしまった相手バッターの出血顔も、鮮明に記憶しているほど。



『だからウチは、もうソフトボールをやっちゃいけないんだ……。それがウチなりに決めた、ソフトボールへの責務なんだ』


 切り札(エース)どころか、あってはいけない捨て札(ジョーカー)になってしまったのだから。

 日没の時刻も訪れ、梓は左手を降ろし、かざすことを止めた。呪縛的絶望の色に染まった瞳には、言うまでもなく太陽の光は射さず、(やなぎ)川の線路下の壁に(たたず)む。



『……帰ろっか、家に』



 中学生になってから購入し使用している三号球を一目してから、梓は壁の的に背を向ける。ソフトボールをやりたいか、それともやりたくないかと聞かれれば、やはりやりたいと告げた方が事実だ。小学生公式球の二号球から、中学生以降新たに手にする三号球を馴染ませているほどだ。少なくとも、自分自身に嘘をついた愚行である。



『――それでもウチには、乗り越えられない大きな壁がある……。可能性も希望も見えない、大きな壁が……』



 諦めた心をなだめるようにため息を吐き、梓は帰宅しようと歩み出す。か弱い月明かりのみを頼りにした、暗く見透しの悪い夜道へ進もうとしたが。



――「舞園~~……」



「――っ!」

 突如遠方から背後に届いた男声に、梓の張った両足が停止する。

 この、男性にしては高い声域。

 この、轟かんばかりの声量。

 何よりもこの、夏の太陽のように暑苦しい声質から、主の正体を察しながらも、梓は驚いて振り向く。



『――た、田村たむら先生!?』



「舞園ォォ~~!!」

 遠く離れた一本道から必死に叫び駆けてくるのは、見慣れたスーツ姿の現担任――田村たむら信次しんじだ。手には何も持たず、ひたすらに汗を吹き出しながら猛ダッシュで近づてくる。暗く見づらいはずの、一寸先の夜道から。


「先生……どうして、土曜に先生が……」


 届く訳もない小声で呟き、迫る信次を戸惑い見つめる梓。ただそのとき、見開いた瞳には一筋の光が射していた。現役当初にルーティンとして手のひらに集めた、太陽の輝きと似た煌めきを。


「舞園ォォォォオオ゛!!」


 その夜、高い壁の中に追いやられた少女には確かに舞い込んだのだ。絶望の鎖を断ち切る原点となり得るかもしれない、眩しいまでの希望の光が。




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