十球目 ③舞園梓パート「柚月って、ば……」
◇キャスト◆
舞園梓
篠原柚月
清水夏蓮
中島咲
花咲穂乃
泉田涼子
清水秀
柳川の河原。
笹浦市を行き渡る長き河川に、緑溢れる河原は日没間近の本日も見守られていた。垂直に横断した県道も数本設けられ、足繁く帰宅する車のエンジン音が止まないが、ふと耳を澄ませば、川付近のタンボコオロギや地中のケラの鳴き声が訪れる。また、白き花の関東嫁菜やシロツメクサたちがメインに咲き誇り、緑の大地から少し頭を出す姿は、自身と良く似た上空の月光を見つめているようだ。
自然に包まれながらも、人工物のビルやマンションも水面に映す、笹浦市の第一級河川。しかし橋下に限っては、どの箇所も草木が生えぬ土の広場だ。頭上の騒音ばかりが降り注ぎ、僅かな自然の脈拍さえ掻き消している。特に電車が通過する線路下では、水中のフナやコイが離れるほど無機質な空間だった。
――パコーン! ……。
そんな線路下の影に隠れながら、直立したコンクリート壁にボール当てをする少女――舞園梓が立ち竦んでいた。腕捲りの長袖ハーフパンツのジャージ姿だがグローブは無く、跳ね返ってきたソフトボールを、利き手の左素手で拾い見つめる。何とも晴れぬ、陰りが浮かんだ瞳で。
『やっぱりダメか……。もう私には、できないんだ……』
諦めを語る俯き姿勢の影が、真横から訪れる夕陽に延ばされていた。
梓がこうして壁当てをするのは、決して最近始めた練習ではない。小学生時代のソフトボールクラブ――笹浦スターガールズに入団して以降、放課後は毎日のように積み重ねてきた習慣だ。小学校を卒業してからも、部活動に入らなかった中学生時代も、そして高校二年を迎えたこの頃まで、彼女には変わらぬ日々が続いている。
『六年間やっても、この様だし……』
ふと梓は面を上げ、足場から“13.11m”離れた壁に焦点を移す。表面には長方形のストライクゾーンが描かれ、また多くのボールの縫い目跡が刻まれていた。一朝一夕では不可能なほどの球数を、今日まで放ってきたことが見てわかる。しかし妙なことに、ゾーン内の跡が比較的薄く、清潔性が保たれているほど微かだった。
『――これが現実……。四人でプロになりたいって夢見てた自分が、ホント恥ずかしい……』
再び左手のソフトボールに目を落とした梓は自嘲し、最高の絆で結ばれた仲間たち――清水夏蓮と篠原柚月に中島咲へ、六年前に自身が放った一言を脳内再生する。己に多大なる羞恥と悔しさを覚えながら。
“「――でっかい夢がある方が、中学も高校も、またその先でも、四人いっしょでガンバれるって、思ったから………」”
『言い出しっぺの本人が、今も挫折してるんだから……』
思わず大きなため息を着き、梓はガックリと方を落下させた。すると、先ほどから放射する薄い夕陽が視界を明るめ、振り向くと共に、空けた左手のひらを翳し伸ばす。
『掌に、太陽の光を……。六年前も、よくやったっけな……』
僅かに残された夕陽の頭に眩さを感じつつ、梓は橋影と壁に包まれながら、六年前の女子小学生ソフトボール時代を脳裏に流した。
それは、今から六年前の八月。
蝉が悲鳴を上げるのほど燃え盛る炎天下で、厳しい暑さに襲われる夏休み期間。空気に浸るだけが汗が吹き出し、小まめな水分補給無しでは脱水症状または熱中症になりそうだ。
そんな酷暑な大地の上では、試合によるアドレナリンでより熱くなるソフトボールチームが躍動していた。
茨城県代表チーム――笹浦スターガールズ。
笹浦市内の女子小学生ソフトボールチームで、毎年県のベスト4に入る強豪チームだ。指揮官の清水秀監督に長年育てられてきた結果、今年は見事に県の頂に立ち、現在は待ちに待っていた全国大会――準々決勝に挑んでいる。
対する相手とは、神奈川県代表チーム――厚桧シャイニーオールスターズ。
激戦区でもある神奈川県を勝ち抜いてきた名門チームであり、その実力はスターガールズにも劣らぬ、高嶺の精神を宿している。
そして、時間制限上、最終回を迎えた五回裏の攻防。
ここまでは二対一と、先攻の笹浦スターガールズが一点リードしている状況だ。緊迫した選手たちの胸の鼓動は、応援しに訪ねた観覧者にまで聞こえんばかりで、誰もが固唾を飲み込む様子で見守っていた。
守備側のスターガールズ選手たちは、まずピッチャーズサークルに集まり、負ければ即引退が掛かった六年生キャプテン――泉田涼子を中心に円陣を組む。
「さぁ最終回! ベンチも含めて、みんなで乗り切るよ!!」
――「「「「はいッ!!」」」」――
チーム全員の胸中が同時に鼓舞され、涼子を出だしに閧の声を上げる。
「かがやけェェェェエッ!!」
――「「「「スタガファイトォォォォオオ゛!!」」」」――
ベンチ後方から黄色い声まで送られながら、清水夏蓮率いる控え組はベンチへ、ファーストの中島咲やセカンドの花咲穂乃らレギュラー選手も各々のポジションへ、そして涼子も自身のポジションであるショートに向かうところだった。
「梓! 柚月! あとは“AZUKIコンビ”のあなたたちに任せた!!」
主将が最後にウィンクしたピッチャーズサークルには、五年生バッテリー――――左ピッチャーの梓と右キャッチャーの柚月が並んでいた。流れ出る汗に煌めく逞しい表情で立ちながら、涼子に頷き返す。
「ねぇ梓? やろう、ホッとココア」
「あ、あぁ……」
すると二人は向かい合うことで、互いの利き手を合わせ始める。守備の最初に毎回行っているバッテリー間ルール――“ホッとココア”というらしいが。
「……あら? 珍しいわねぇ。救い用のない不器用娘で有名な梓ちゃんでも、さすがに緊張してるのね」
「そんなこと、言われた覚えないんだけど?」
五年生ながら関東代表選手として名高い、当時の篠原柚月。しかし辛辣な毒舌っぷりには未だに慣れず、梓は思わず苛ついてしまった。しかし彼女が告げた通り、大きな緊張に襲われているのは事実。炎天下であるはずなのに寒さを感じ、スライディングで汚れたハイソックスから微動で土が溢れる。こうして左手のひらを相方の右手のひらに預けていることだけが、僅かながらも大いなる救いだった。
「……」
「フフフ。さぁてと!」
言葉もまともに出せない梓だが、ふと柚月が相手ベンチに目を向けると、赤いキャッチャーミットで口元を隠して語る。
「確か、八番からね」
「う、うん……」
頷いた梓も促されるままに黒グローブで口を覆い、柚月と目が再会する。
「ムダなフォアボールなんか出したら、アンタどうなるかわかってるわよね?」
「さ、さぁ……」
柚月からの嫌がらせ的罰ゲームの内容は、日々更新されるのだから。
「今月号のcomecome奢ってもらうから」
「こ、こんなところでその話する……?」
「今月の付録はね、私が御気になメーカーのバッグなの。だから変更するつもりはないわ」
「……ギャル」
「あ、そうそう。一冊だけじゃあ物足りないから、責めて四冊ね」
「は、はぁ? なんで同じバッグ四つも必要なの? てかあの雑誌高いから困るんだけど?」
「じゃあ結果出しなさい。私のサイン通り投げてくれれば、あんなヤツらイチコロだから」
「言い方……。そ、そういえばさ柚月? 腰が痛いとか言ってたけど、大丈夫なの?」
「ストレート中心でねじ伏せるわよ。アンタは真っ直ぐしか投げられないからね」
「聞いてないし……」
さすがは篠原家のドS末っ娘女王様だ。今日も柚月の一歳上の兄が笑顔で応援しに来てくれているが、普段の生活ではきっと多大なストレスを迫られているに違いない。
「かわいそうに……」
「さてと、どうやら整ったようね?」
「な、なにが?」
柚月の右手のひらが離れる触感を覚え、梓は不思議な瞬きを放った。すると親友はバッターボックスへ歩み始めようとスパイクを返し、正捕手を顕にする背番号“2”と、手の甲を放つ裏ピースサインを見せられる。
「――緊張しない私と、ド緊張なアンタの心が、均されたってことよ。毎度やってることでしょ?」
一方的に集中していた緊張感を、手のひらを合わせることで均等に分け合っていたのだ。ホッと安心できるように、互いの掌を合わせる――故に、“ホッとココア”である。
「柚月……」
「行くわよ、梓。私、負ける気ないから」
「……あぁ!」
心を重ねた二人は最後に真剣な表情を見せ合うことで、物理的な距離のみを生ませる。
『さすが柚月だよ……。私のこと、何でもお見通しなんだから』
小学二年生の春、梓はスターガールズの一員になってから間もなく柚月と出会った。一年生から既に入団していた彼女の右に出る者は一人もおらず、つい見とれてしまうほどの逸材選手である。
そんな長年共にバッテリーを組んできた、頼もしい相方がホームベース後方でしゃがみ込むと、梓は個人的なルーティンとしている動作に入る。右手のグローブにボールを握りしめながら、空いた左手のひらを輝く夏空の太陽へ翳す。
『掌に、太陽の光を……。私なら、みんながいるから、できる!』
やがて相手打者が打席に入り、主審の再開宣言で、最終回のゲームが動き出す。
――「プレイッ!!」
まずは、監督としてベンチから険しい表情を続け、腕組みで見守る秀。
次に、ファーストでずいぶんと身を震わせ、表情が強張っている咲。
また、セカンドで同じく緊張に駆られた肩を張り、落ち着こうと呼吸を整える穂乃。
一方で、ベンチから馴れない大声を出し、小さな背を延ばして必死に応援する夏蓮。
焦点を反対側に変えれば、今か今かと打球を待ちながらも、周囲の選手たちをも観察する涼子。
そして正面には、マスクで小顔を被せ、赤く大きなキャッチャーミットをどっしり構え柚月。
そんな素晴らしきチームメイトの面々を確認してから、梓は一度瞳を閉じて深呼吸をする。
『私には、みんながいてくれてる……。大丈夫……大丈夫だ……ヨシッ!!』
開いた目は鋭く尖り、眉まで立てた覚悟そのものだ。右手のグローブを相手に突き出しながら、ボールを掴みながら落とした左腕を、プレートを左足で蹴ることで旋回させる。ついに投球動作――ウィンドミルの開演だ。
『――絶対に、勝つッ!!』
――シュルルルルバシィィッ!!
梓の魂が籠められた全力ストレートは、柚月が構えたミットを見事に唸られせた。相手バッターも手が出ないほどの豪速球で、終盤戦でも尚スタミナの衰えを感じさせない、渾身のストライクボールだ。
『まだまだ……これからだッ!!』
柚月のサイン通り、次々にストレートを繰り出す梓。八番打者に関しては、コントロールを乱しながらも、何とか三振に鎮めてワンアウト。また九番だった打者には代打を送られたが、ショートの涼子によるファインプレーでツーアウト。
残るは、アウト一つ。
笹浦スターガールズの勝利はもう目の前まで近づいていた。が、相手の粘り強い猛攻も顕在で、一歩も譲らぬ打線が展開される。一番の先頭バッターは、アウトコースに食らいついてのレフト前ヒット。続いて二番打者は、ツーストライクまで追い込まれながらも、ファールを連続させるカット打法の末フォアボール。このとき、梓が最も懸念していたことが柚月からの罰ゲームだったということは、全世界共通の機密事項である。
――カキィィン!!
迎えた三番打者には、サードのグローブを弾かせる、強襲内野安打を放たれた。
これで状況は、ツーアウトランナー満塁。
そしてバッターは、相手チーム打線の大黒柱となる四番。
一打逆転サヨナラの、大ピンチに直面してしまった。
――バシッ!!
――「ストライクツー!!」
多大なるプレッシャーの中、梓は何とかツーストライクまで追い込む。柚月の指示の元、外角コースをいつも以上に意識しながら投げ抜いた。が、背の高い相手バッターからの睨みは依然として強烈で、決して安堵の呼吸などできたものではない。
『でも、あと一球で、勝てるんだ……。大丈夫……大丈夫だ』
エースナンバー“1”という大きな責任を載せた背中には、スターガールズの仲間たちの期待が集まる。ふと目を開けた先には、マスクをも飛び越す柚月の真剣な眼差しが窺えた。四方八方からの飛び交う想いに答えるべく、梓はストレートのサインに首を縦に振る。
『これで、ゲームセットだ!』
ソフトボールを始めてから今日まで、何百何千何万と繰り返してきたかわからないウィンドミル投球動作から、梓は唯一無二の得意球――全力ストレートを投げようとプレートを蹴る。左足を引きずりながら左腕を風車のように雄々しく回し、宙に浮いていた右足が着地すると同時に、利き腕を腰に擦らせたブラッシングを加える。
『いっけェェェェエエ゛ッ!!』
ドリル回転で空気を引き裂くような全力ストレートが、梓の左手から放たれた。全てのグランド訪問者から注視されながら、柚月の赤ミットへと直進していく。
――コーン……。
「きゃ、キャッチャー!!」
バットのやや先端から舞い上がった打球は、捕手後方のスタンドへ向かった。スピードもなく高々と宙に浮き、ファールフライだと見て取れる。
するとマスクを外した柚月も素早く反応してくれ、ファールフライを全速力で追いかける。
『柚月、頼む!!』
落下地点まではギリギリの距離で、ついに打球も地に落ちようとしていた。しかし、柚月のダッシュには更なる加速が生まれ、口を開いたミットをめい一杯伸ばし、ダイビングキャッチの姿勢に移ろいでいく。
――パシッ!!
『――っ! は、入った!!』
飛び込んだ柚月のミットに打球が収まった瞬間を、梓の目には確かに捉えることができた。あとは着地してからも放さず、審判からのアウトコールを待つだけだと、すでに勝利の歓喜が表情に浮かび上がる。
ところだったが……。
――ガンッ!!
「――ッ!!」
灼熱の夏空の下、本日一番の寒気が、梓の全身を駆け巡った。目の前の光景に、はち切れんばかりに目を見開いて。
『ゆ、柚月……?』
梓だけでなく、スターガールズの全選手に親御ら、また相手チームの誰もが声を圧し殺した。飛び込んだ後に着地した、柚月のうつ伏せ姿を見て。
「柚月……ねぇ?」
審判のアウトコールによって、結果はキャッチャーファールフライ。試合は無事に、笹浦スターガールズの勝利が決定した。しかし、梓の小さな囁き以外、一人も歓声を上げる者など現れない。
なぜなら、それどころじゃなかったからだ。
ダイビングキャッチした柚月が、頭から鉄製のスタンドに激突して倒れ、起き上がる気配が一切観察できなかったのだから。
。
「柚月ィィィィッ!!」
悲鳴を上げてしまった梓が一番に、ボールを握りながらも動かない柚月の元に駆け寄った。次に監督の秀に主将の涼子、次第に両陣営からも飛び出し、一人の少女が多くの人々が囲まれる。
「柚月!? ねぇ柚月ってばァァ!!」
「……」
「起きてよ!! ドッキリとか言うんでしょ!?」
「……」
「柚月って、ば……」
「……」
この日、結果的には勝利を収めた、茨城県代表の笹浦スターガールズ。しかし、勝利に浸る者は誰一人おらず、反って悲劇的緊急事態に遭遇してしまったのだ。
試合終了後、柚月はすぐに近くの病院に救急搬送され、監督の秀が同伴し、後にチームメイトの夏蓮に咲、そして梓も向かうことにした。
三人が到着してからは、診察室の前で長く待たされる時間が訪れた。しかしなぜだか、無音の静寂さが落ち着きを与えてくれない。夏蓮は今にも泣き出しそうにハーフパンツを握り、咲は右往左往と歩き回り、梓も神妙な表情で構えるばかりだった。
「……っ! 柚月……」
やがて診察室が開放され、梓たちの前に漸く柚月の姿が現れた。秀といっしょに退出してきた訳だが、どうやら命に支障は無かったらしい。
即座に夏蓮と咲が涙ながら飛び着き、最悪のケースは免れたように思える。だが、やたらに無気力な柚月を見つめる梓は、近寄ることすら恐さを覚えてしまった。なぜなら、バッテリーとして共に過ごしてきた優秀選手の姿が、頭に包帯を巻き、戦意損失した虚ろな瞳を落とし、そして何よりも印象強い車椅子患者に変貌していたからである。
「ゆ、柚月……」
「中心性脊髄損傷だって……」
「え……?」
久方ぶりの返答は、とても聞きづらいほどの弱音だった。柚月独特のドSっぷりが皆目見当たらず、まるで別人格になったかにまで。
「な、なに、それ……?」
「もう私、ソフトボールできないってさ……」
「――ッ!! そ、そんな……」
ついには梓も視線を足元に落とし、診察室前は不穏の静寂が甦ってしまう。驚愕と絶望が混沌とし、大怪我の柚月にどんな言葉を掛ければよいかわからなかったのだ。
その後、柚月は言うまでもなく現役を引退。また、しばらくの入院生活を強いられる始末となり、夏休み明けの登校も不可能だと受診してしまう。
一方、大会中に正捕手を失った笹浦スターガールズは、控えキャッチャーの六年生に任せてみたものの、準決勝は三回持たずのコールド負け。全国大会の試合と呼べる内容とは、程遠い結果となってしまったのだ。
茨城県代表としての羞恥も否めなかった。しかしそれ以上に、逸材選手の柚月、同時に涼子を含めた六年生を失うショックこそ大きかった。チームの士気は底辺まで下がり、皆悔やむ幕切れを迎えてしまったのだ。
『なんて弱いんだろ……私は』
上級生が抜けることで、最高学年の選手となった梓。涼子の推薦もあってキャプテンに穂乃が選出された一方で、エースの座は引き続き任されることとなった。残された在校生たちから、更なる活躍を期待されたのだが。
『あのとき、私が三振を取ってれば……柚月は怪我なんかしなかったかもしれないのに……』
長い間“AZUKIコンビ”としてバッテリーを共にしてきた柚月を失ったために、梓は常に罪悪感を隠し持っていた。不完全な己の弱さ故に、大切な相方が戦線離脱してしまったのだと、惜別の後悔に微笑みまで奪われていく。“ホッとココア”も誰ともできずに。
『なんて、情けないんだろ……』
新たな正捕手が定まらぬ中、梓はソフトボールに重苦しい心持ちで臨むように変わってしまった。以前と比べて愉快さの欠陥を感じて仕方なかったが、柚月のように辞退することはなく、これまで以上の責任感を覚えながら投球練習に打ち込んだ。新チームの練習中はほとんどブルペンで投げ込み、サブキャッチャーの夏蓮によく捕球してもらった。また平日でも自主練習に励み、走り込みや線路下での壁当てに身を捧げ、雨の日も関係なく毎日専念した。自身が決めていた、ルーティンさえ忘れて。
『もっと強くならなきゃ! 柚月みたいな怪我人を、生まないためにも!』
罪悪感と後悔の念から生まれたのは、辛いながらも使命感だった。しかし心が腐ることまでには至らず、練習時間を延ばすことでソフトボール意識の高まりが開花する。
『――私が強くならなきゃ!!』
このときの梓には、ソフトボールクラブを辞めるつもりなど全くなかった。不器用ながらも努力を重ね、残された仲間たちのためにと、責任感をしっかり保ちながら活動していく。
しかしそれは、梓にはまだ最大の悲劇が訪れていなかったことを意味している。要するに、彼女がソフトボールを手放すことになる原因とは、これから先に起きてしまうトラウマ的事故こそ、真の黒幕なのだ。




