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プレイッ!!◇笹浦二高女子ソフトボール部の物語◆  作者: 田村優覬
一回表◇最高の絆で結ばれた、仲間集め――創部活動編◆
53/118

十球目 ②田村信次パート「お父様……お母様まで……」

◇キャスト◆


田村信次

警察官 S,H

舞園まいぞの瑞季みずき

舞園まいぞの勝弓まさゆみ

ワン()

 時刻は夕方の五時。

 空は橙に染まり、穏やかな夕陽が笹浦市を照らしている。小学生の子どもたちが自宅への帰路を駆ける姿も見受けられ、徐々に一日終了の夜が迫っていた。

 そんな笹浦駅前で、ビジネス鞄を片手に持つ一人のスーツ男性――田村たむら信次しんじは、手に持つメモを回転させたり裏返して見たりしながら、誰もが認める徘徊をしていた。


「ん~……うん、迷った!」


 己の失態を心より認めた信次。そのメモには、笹浦第二高等学校から目的地――舞園まいぞのあずさの家までの略地図が刻まれている。しかし、肝心の住所が記載されていなかったのだ。増して幼稚園児でも描けそうなお絵かき地図極まりなく、道中のコンビニ数件立ち寄っても、店員からは首を左右に振られる繰り返しが続いた。

 笹浦二高より(おもむ)いてから、早二時間。今年で三十路(みそじ)を迎えるというのに、信次は完全に迷子の一人と化していた。


「はぁ~……舞園の家は、一体どこなんだろう……?」

「おい? お前、どこに向かいたいんだよ?」

「ほっ? あ、お(まわ)りさん!」


 メモにため息を当てた信次の背には、ふと男性警察官の声が向けられた。どうやら笹浦駅前交番に勤める四十路しそじ近き一人らしく、ベテランの瞳で気づいてくれたらしい。低身長ながらも肩幅が広く、眉の濃さに比例した清き雄々(おお)しさを放ちながら寄ってくる。


「ちょうど良かったです! あの、ここら辺に舞園様という御宅はございますか?」

「舞園さん()? あ~あ、こっから歩いてすぐだよ。あっちの道を曲がった先でな……」


 すると男性警察官は、上着を捲り上げたことで見える太い腕を伸ばして、信次に道筋を示し始める。少々丁寧には欠ける言葉並べだが、噛み砕いた道順には土地勘無き者には理解に助かる。


「なるほど! わかりました! ありがとうございます!!」

「へっ。笹浦(地元)のことならオレに任せとけ!」


 親指を立てたガッツポーズまで現した男性警察官には、とても頼もしいばかりだった。また道に迷ったときにはここに来ようと思いながら、信次は早速伝えられた方角に歩もうとするが。


「ところでお前さんよ? 舞園さんに、何用で行くんだ?」


 男性警察官からの問い掛けで、信次の足が再び停止した。振り向いて顔色を窺うと、どこか疑いを掛けられた細目が覗ける。これから罪を犯すであろうと言わんばかりに。


「そういえば、言ってませんでしたよね! 実はですね……」


 しかし信次はおくすることなく、微笑みを浮かべながら鞄の口を開ける。舞園家に出向く目的を意味する物を見せようと、透明ビニールに封じられた衣服を取り出して。



「配達です! みんなが待っている選手への、ボクにとっては大切な生徒への、届けるべき贈り物なんです!」



 信次が笑顔と共に(おおやけ)にした品物は、笹浦二高女子ソフトボール部のユニフォームだ。清廉せいれんな白をメインとした胸元には、周囲を金糸で囲まれた青の高校名が刻まれ、光沢宝石の如く煌めきを宿している。


「ユニフォーム、配達、か……。へへっ! それなら早く届けなきゃな!」


 すると男性警察官は信次に対する疑いが晴れたかのように、逞しい笑みを浮かべてつむぐ。


「わりぃな。てっきりお前はこれから、空き巣でもやんのかと思っちまってさ」

「あ、空き巣!? そんな疑い掛けられてたんですか!?」

「へへっ。でも、もう疑ってねぇよ。だから安心しろや」

「は、はぁ……」


 なぜ空き巣だと疑惑を掛けられていたのか理解できぬまま、信次はとりあえずユニフォームを仕舞うことにした。道に迷った挙動不審さがあったとはいえ、犯罪者として見られていたとは残念他ならない。


「なぁ? お前、名前は?」

「ぼ、ボクですか? ボクは田村信次と申します!」

「田村、か……。覚えやすい名前で助かるぜ……」


 ユニフォームを無事に収めた信次が立ち上がると、男性警察官も自身の名を公開する。正義よりも思い遣りに富む、蒼き警官服の胸元に掲げられた、プラスチック性の名札に親指を向けながら。



「――(オレ)は、羽田はだ信太郎しんたろう。また迷ったときは、いつでも駅前交番(ここ)に来いよ、田村信次先生?」



「羽田、信太郎さん……はい! ありがとうございます!!」

 初対面のはずだが、信次は羽田はだ信太郎しんたろうと、親近感をあらわにした笑顔を交えた。離れ際には御礼としての御辞儀を深々と放ち、やがて笹浦駅前交番から再度の出発に身を働かせる。

 多くの愛がこもった贈り物を、梓へ届けるために。

 ベテラン地元警察官の信太郎から教わった通り、信次は自信の眉を立てて舞園家に向かおうとしたが。


「……あの、ごめんください!」

「なんだよ?」

「もう一回、道順教えてもらっていいですか?」

「お前なぁ~……。(オレ)の親友と似て、ホント呆れる男だ……」


 信太郎の困り顔を目の当たりにしながら、信次は申し訳なくも二度手間をお願いした。



 ◇梓の壁――ソフトボールへの責務◆



「ふぅ~……やっと見つけた」

 時刻はもうじき五時半を迎える、春の夕時。信次の安心した眼差しの先には、“舞園家”の表札が掲げられた、一軒の家が立ち待っていた。石壁に囲まれた二階立て物件で、玄関にまで向かう石畳の途中には、緑の広い庭、また端に建てられた犬小屋が観察できる。



 ――「ワン!!」



「ウワッ!! ビックリしたぁ!」

 思わず全身に電気を走らせた信次の前には、吠え叫んだ一匹の雄犬がお出迎えする。二足で立てば成人程の身長になる大きさで、フカフカとした白と茶色の毛並みを備えたゴールデンレトリバーだ。


「ワンワン!」

「よしよし! 君は……ワンっていうんだね! はじめまして、よろしくね。ボクは信次!」

「ク~ン」


 信次が撫でている犬の名は、小屋に書かれた文字より“ワン”だと推察できた。首輪が掛けられていないことからは、飼い主との生活に馴れた様子が想像でき、異なる生き物同士を結ぶ愛を感じる。

 尻尾を振りながらもワン太が“お座り”をすると、信次は立ち上がって玄関前まで訪れた。まだ経験したことがない家庭訪問の雰囲気には緊張するが、一度深呼吸して心を整え、右手のインターホンを強く押す。


(はい。どちら様ですか?)

 するとインターホンからはしとやか女声が届き、信次は身を曲げて口先を近づける。


「ど、どうもこんにちは!! 笹浦二高二年二組の担任、田村信次です!! あ、あの、舞園梓さんにお渡ししたいものがありまして、急ですが参りました!」

(はい。今、向かいますね)


 女性慣れしていない男の汗ばみが襲う中、信次は静かに気をつけの姿勢で待機に専念した。鞄の持ち手をギュッと握りしめながら。

 すると玄関の扉はすぐに開けられ、中からはエプロン姿の女性が登場する。若々しい素顔を拝見でき、(たお)やかさを秘めた一つ縛りの婦人で、落ち着いた瞳のまま微笑みを放つ。



「はじめまして、こんにちは。母の舞園まいぞの瑞季みずきです。いつもうちの梓が、お世話になっております」



 丁寧な御辞儀までしてくれた女性こそ、梓の母親――舞園まいぞの瑞季みずきだ。奥ゆかしさを際立たせた笑みの一言には、彼女など一切持ったことがない信次を更に萎縮いしゅくさせていく。


「い、いいいえいえこちらこそ!! ……と、ところで、梓さんは今いらっしゃいますか?」

「ごめんなさい。梓は今、外出中なんですよ」

「そ、そうでしたか。それは悪いタイミングで申し訳ありません!」


 どうやら目的人物の梓は、ただ今不在のようだ。

 できれば本人に直接渡したい胸中だったが、信次は瑞季に預けようと、鞄から笹二ソフト部のユニフォームと背番号を取り出す。 


「実は梓さんに、これを渡そうと思ってたんです。是非入部してほしいなぁっていう、期待も込めて」

「そ、そうでしたか……。わざわざ、うちの梓に……」

「……あれ?」


 信次は緊張で震えた微笑みを続けたが、瑞季の表情が雲がかり始めていたことに気づく。梓を取り巻く親友並びに知人たちは、皆揃って歓迎している。しかし、やはり親側の気持ちとしては反対なのだろうか。


「……田村先生?」

「は、はい?」


 すると瑞季が上げた表情は一変し、訪問者を心からもてなすような、元の優美な笑顔に帰る。


「もし時間があるようでしたら、うちでお茶でもしませんか? 梓の学校生活も聞きたいですし、主人も会いたがってましたから」

「えっ!? お父様が中にいらっしゃるんですか!?」 


 家の中には梓の父親もいることを知り、両足の強張りが激しさを増した。梓と共に外出中だと思っていただけに、予想外のプレッシャーが押し寄せる。


「で、でも、こんな時間で、しかも土曜の休日ですし……。迷惑じゃあ……?」

「いえいえ、お気になさらず」

「は、はぁ……」


 瑞季の言葉には、ついに何も言い返せなくなった信次。この後の予定といえば、溜まっている授業報告書の片付けがあるが、そんなことをクラス生徒の親に告げれば、嫌な不信感を抱かれてしまうに違いない。仕事もろくにできない担任だと、後々解雇の未来さえ想像できてしまう。


「……じ、じゃあ、失礼します……」

「どうぞ」

「ワン!」


 瑞季に続いてワン太からも背を押され、信次は渋々ながらも舞園宅に上がることにした。

 準備されたスリッパを履き、瑞季の後ろ姿に着いていくと、すぐにリビングにたどり着いた。広く快適な空間の中央には、座布団で囲まれた長方形の長テーブルが立ち、正面には台に置かれたテレビが点灯している。


「あなた、お客様よ。梓の担任の、田村先生」


 すると瑞季が振り向いたソファーには、一人座り込んでいた男性が、リモコンでテレビ画面を消灯させると同時に立ち上がる。



「おぉ。はじめまして、田村先生。父の舞園まいぞの勝弓まさゆみです」



 信次よりも背が高い、梓の父親――舞園まいぞの勝弓まさゆみだ。年齢は恐らく婦人の瑞季に近いのだろうが、スポーツ刈りの短髪でジャージ姿からは、大人びた様子と共に生き生きとしたエネルギーを窺える。


「は、はじめまして。こちらこそ、いつも御贔屓(ごひいき)にさせてもらってます!」

「ハハハ! まぁそんなかしこまらず。まぁ座ってくださいな」

「は、はい……」


 勝弓から誘導されるがままに、信次は示された座布団にゆっくりと座った。静寂なリビングは広大なはずなのに、どうも窮屈きゅうくつさを感じて正座してしまう。


「なんだか、本当にすみません。突然押し付ける形になってしまって……」

「いえいえ、お構い無く」


 向かい側に勝弓も腰を置くと、母の瑞季も、冷蔵庫から取り出した烏龍(ウーロン)茶をガラスコップに注ぎ、信次の前に置いてから着席する。


「どうですか? うちの梓は? 学校では、上手くやってます?」


 勝弓をきっかけに、信次は二人に向けて、梓の校内生活をしばらく話すことにした。

 学業に関しては抜かりなく、先日の現代文単元テストでは上位に属していた。また別教科の教員からの評判も良く、担任の耳には決まって(こころよ)い音色で入ってくる。生活面においても、始業式と変わらぬ落ち着いた態度が続いており、指摘する点など皆目見当たらなかった。


「梓さんはとても真面目です。何も問題ない、立派な優秀生徒ですよ!」


 校内情報を伝えていくことで、信次の緊張は次第に和らいでいった。微笑みで臨む舞園夫妻の前で、固まっていた饒舌じょうぜつも取り戻すことができ、口数が増していく。


「担任のボクとしては、ホントに大助かりです! 彼女の担任ができて良かったと思えるくらいです!」


 一方的に褒めるばかりだが、それは担任としてのまぎれもない感想だ。実際に梓には、要所要所で助けてもらったことがあるのだから。


「それに、クラスメイトとも仲が良くて……。特に、清水しみず篠原しのはら中島なかじまとは、上手くやれてますよ!」


 笑顔にまで返り咲いた信次は具体的に、勝弓と瑞季の前でそう答えてみせたときだった。


「そ、そうですか……」

夏蓮かれんちゃん、柚月ゆづきちゃん、えみちゃんと、ね……」


 しかし夫妻の顔からは、どことなく憂鬱な暗さを感じた。勝弓も瑞季も揃って視線を落としてしまい、嫌な沈黙な舞園家のリビングに充満する。


『清水たちの名前、出さない方が良かったのかな……?』


 自分の台詞が失言だったのだろうかと、信次は顔をしかめてうつむく。悪い話題ではなくとも、かつてソフトボールクラブの仲間でもあった四人だ。先ほど瑞季が笹浦二高のユニフォームを見たときから気をつけるべきだったのかもしれない。

 ここにきて、妙な罪悪感が生まれてしまった信次。しかし固唾を飲み込み、改めて話題を変えようと口を開こうとした。


「あの……」

「……田村先生? ちょっと、見てほしいものがあるんです。瑞季、頼む」

「はい」


 しかし、信次の言葉尻は勝弓に被せられ、代わりに話題を与えられてしまう。すると瑞季は、父の意思を察した様子で立ち上がり、リビングの隣に繋がる和室へ向かった。何かを持って見せようとしているのだろうか。


「これなんですよ、先生」


 瑞季が運んできたのは、一つの大きな段ボール箱だった。信次と勝弓の間に置き、ガムテープで封されていた口を開け始める。


「梓からは早く捨ててくれって、言われてるんですが……」

「やっぱり親としては、できないんですよね……」

「――っ! こ、これは……」


 勝弓と瑞季が囁きながら見せられた中身に、信次は驚きの目を見開いた。段ボールに入っていたのは、眩しいくらいに輝く金のメダルやトロフィー、熱闘を繰り広げる試合中の写真が複数枚、“笹浦スターガールズ”と書かれたユニフォーム、そしてたてに収められた集合写真だ。一つ一つテーブル上に並べられたのは、梓がかつて、ソフトボールクラブに所属していたときの、思い出の貴重品である。


「このメダルとトロフィーは、スターガールズが県で一位になったときなんです。梓が小五のときでしたね。それから、これが試合中の写真です」


 勝弓が指差した写真たちには、当時小学五年生の梓が写っていた。バットを振り抜く打者として、また次の塁に駆け向かう走者として、そして躍動感が溢れる投手としての姿と、全ての表情が真剣そのものだ。


「舞園……なんか、楽しそうだなぁ」

「あと、これが最後に撮った集合写真なんです……」


 写真上のいさましい梓に、信次はそっと呟くと、勝弓によって楯の集合写真に焦点を固定させられる。その写真には、端に監督らしき男性老人と共に、二十人近くの女子小学生たちが三列に集まっていた。笑顔を浮かべる選手たちは、チーム名と同じく輝かしい星のようで、和気(わき)藹々(あいあい)とした空気が閲覧者にまで伝わってくる。


「……あ、あれ? この監督って……」


 ふとまばたきをした信次は、写真に存在する男性を注視した。恐ろしいまでの厳粛な表情で、目を合わせているだけで気が縮こまりそうな監督様だが、どこかで――しかもつい最近――見かけた眼鏡姿の老人だと思えてならなかった。

 信次は前のめりになってマジマジと観察してみるが、勝弓が監督の正体を明かしてくれる。



「――あぁ、夏蓮ちゃんのお祖父さんですよ。清水しみずしげるさん。スターガールズの元監督です」



「そっかぁ~。やっぱ清水のお祖父さん……て、エェェェェェェエエ゛!? 清水校長って監督だったの!?」

 一足遅れて驚嘆した信次は何度も写真を見返していたが、写る老人はやはり、今より少し若く見える、現笹浦二高学校長――清水しみずしげるだった。現在の優しい面とは大きく異なる威厳のオーラを放っており、どうも当時は笹浦スターガールズの監督を務めていたようだ。もはや別人だと感じてしまうほど、手厳しそうな指導者である。


「ま、マジか~……人って、こんなにも変わるもんなんですね」

「ハハハ! 勝利のために、練習中はいつも怒鳴ってましたからね。でも清水監督が長年務めてくれたおかけで、スターガールズは間違いなく強くなれたんですよ」


 信次の驚愕は残ったままだが、勝弓の静かな瞳につられ、今度は幼き選手たちへ目が移ろう。

 後列のたちはピースやグーなど多種多様なポーズをとっている中、最前列では、信次にも見覚えのある五人が並び、達筆で記された賞状、現在テーブルに置かれた金のメダルとトロフィーをそれぞれたずさえていた。


「この先頭で賞状を持っているは、泉田いずみだ涼子りょうこさんですよね」

「はい。当時のキャプテンでした」

「それに、その隣に中島……アハハ。ずいぶんはしゃいでるなぁ~」


 一番最初に気づいて笑ってしまった相手は、写真中央の主将――泉田いずみだ涼子りょうこに飛びついた、眩い笑顔の中島なかじまえみだ。歳違いを越えた仲の良さは、この頃から顕在だったらしい。


「清水なんか、メダルに噛みついちゃってるよ。それに、トロフィーを二人で持った篠原と舞園……嬉しそうだなぁ。舞園のこんな顔、初めて見たかも」


 篠原しのはら柚月ゆづきのそばで微笑む梓はとても明るく、また健気な温厚さも感じ取れた。信次が笹浦二高二年二組に訪れてから、一度たりとも見たことがない、心の底から感情を出した笑顔そのものだ。



「あの頃の梓は、ホントに楽しそうでした……」



「お、お父様……」

「そうねぇ。あの頃は、ソフトボール大好きだったから……」

「お母様まで……」

 夫妻の俯きに、信次の眉がハの字に変わる。動作までピタリと停止し、外を走る車のエンジン音が室内に飛び込むほどだった。

 しかし信次は、暗い沈黙の訪れと同時に、どうも気になる点があったのだ。それは二人の言葉尻が、過去形で一致していたことである。まるで今は違うと言わんばかりに。



『言葉尻だけじゃない、“あの頃”っていう出だしもだ……。舞園は、変わってしまったっていうのか? それも以前とは真反対で、暗くて嫌な方向に……』



「あ、あの!!」

 沈黙しかけた勝弓と瑞季に、立ち上がった信次の轟き声がぶつかる。外のワン太も吠えるほど響いた音量だったが、緊張を忘れた覚悟を込めて、魂の言葉を紡ぐ。



「教えてくれませんか!? どうして舞園が、ソフトボールをやりたくない選手になってしまったのか? 六年前、彼女に一体何があったのかを!?」



 投球恐怖症に陥ったことは、実際に柚月から知らされた真実だ。しかし、そこまでの詳しい経緯は未だ誰からも教わっていない。

 ピッチャーが嫌ならば、別のポジションで守ればいい考えだって浮かぶ。が、梓がソフトボール自体を拒む理由までは、信次は認知していなかった。



『――親友だって待っているのに……。その絆を引き裂くほどの理由って、一体何なんだ?』



 ひたすらに知りたかったからこそ、信次の表情は真剣に染まっていた。すると夫妻には動きが生まれ、互いの目配せが行われる。伝心で無言の相談をしている様子が窺えるが、両者が頷き合ったところで、父の勝弓が改めて喉を開く。


「……では、お話ししますね……。梓本人から聞いた気持ちも踏まえて……。今から六年前……この写真を撮った、すぐ後の話なんです……」


 今日一番の重苦しいトーンで始まった、舞園梓の昔話。


「誰よりも、責任感の強いでした。きっとそれが原因かもしれませんが、結果的に辞めることになったんです……。もう、誰も傷つけたくないって……」

「誰も、傷つけたくない……」

「梓は、自分が大好きなソフトボールを辞めることで、罪を償おうとしているんです……」


 もうじき四月の静かな夜が訪れる頃で、辺りは日没の紺世界が拡がっている。しかし、本日の冷え込みはいつにも増して、強い寒気が流れ込もうとしていた。信次が訪れた、舞園家の中にも。



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