十球目 ②田村信次パート「お父様……お母様まで……」
◇キャスト◆
田村信次
警察官 S,H
舞園瑞季
舞園勝弓
ワン太
時刻は夕方の五時。
空は橙に染まり、穏やかな夕陽が笹浦市を照らしている。小学生の子どもたちが自宅への帰路を駆ける姿も見受けられ、徐々に一日終了の夜が迫っていた。
そんな笹浦駅前で、ビジネス鞄を片手に持つ一人のスーツ男性――田村信次は、手に持つメモを回転させたり裏返して見たりしながら、誰もが認める徘徊をしていた。
「ん~……うん、迷った!」
己の失態を心より認めた信次。そのメモには、笹浦第二高等学校から目的地――舞園梓の家までの略地図が刻まれている。しかし、肝心の住所が記載されていなかったのだ。増して幼稚園児でも描けそうなお絵かき地図極まりなく、道中のコンビニ数件立ち寄っても、店員からは首を左右に振られる繰り返しが続いた。
笹浦二高より赴いてから、早二時間。今年で三十路を迎えるというのに、信次は完全に迷子の一人と化していた。
「はぁ~……舞園の家は、一体どこなんだろう……?」
「おい? お前、どこに向かいたいんだよ?」
「ほっ? あ、お巡りさん!」
メモにため息を当てた信次の背には、ふと男性警察官の声が向けられた。どうやら笹浦駅前交番に勤める四十路近き一人らしく、ベテランの瞳で気づいてくれたらしい。低身長ながらも肩幅が広く、眉の濃さに比例した清き雄々しさを放ちながら寄ってくる。
「ちょうど良かったです! あの、ここら辺に舞園様という御宅はございますか?」
「舞園さん家? あ~あ、こっから歩いてすぐだよ。あっちの道を曲がった先でな……」
すると男性警察官は、上着を捲り上げたことで見える太い腕を伸ばして、信次に道筋を示し始める。少々丁寧には欠ける言葉並べだが、噛み砕いた道順には土地勘無き者には理解に助かる。
「なるほど! わかりました! ありがとうございます!!」
「へっ。笹浦のことなら俺に任せとけ!」
親指を立てたガッツポーズまで現した男性警察官には、とても頼もしいばかりだった。また道に迷ったときにはここに来ようと思いながら、信次は早速伝えられた方角に歩もうとするが。
「ところでお前さんよ? 舞園さん家に、何用で行くんだ?」
男性警察官からの問い掛けで、信次の足が再び停止した。振り向いて顔色を窺うと、どこか疑いを掛けられた細目が覗ける。これから罪を犯すであろうと言わんばかりに。
「そういえば、言ってませんでしたよね! 実はですね……」
しかし信次は臆することなく、微笑みを浮かべながら鞄の口を開ける。舞園家に出向く目的を意味する物を見せようと、透明ビニールに封じられた衣服を取り出して。
「配達です! みんなが待っている選手への、ボクにとっては大切な生徒への、届けるべき贈り物なんです!」
信次が笑顔と共に公にした品物は、笹浦二高女子ソフトボール部のユニフォームだ。清廉な白をメインとした胸元には、周囲を金糸で囲まれた青の高校名が刻まれ、光沢宝石の如く煌めきを宿している。
「ユニフォーム、配達、か……。へへっ! それなら早く届けなきゃな!」
すると男性警察官は信次に対する疑いが晴れたかのように、逞しい笑みを浮かべて紡ぐ。
「わりぃな。てっきりお前はこれから、空き巣でもやんのかと思っちまってさ」
「あ、空き巣!? そんな疑い掛けられてたんですか!?」
「へへっ。でも、もう疑ってねぇよ。だから安心しろや」
「は、はぁ……」
なぜ空き巣だと疑惑を掛けられていたのか理解できぬまま、信次はとりあえずユニフォームを仕舞うことにした。道に迷った挙動不審さがあったとはいえ、犯罪者として見られていたとは残念他ならない。
「なぁ? お前、名前は?」
「ぼ、ボクですか? ボクは田村信次と申します!」
「田村、か……。覚えやすい名前で助かるぜ……」
ユニフォームを無事に収めた信次が立ち上がると、男性警察官も自身の名を公開する。正義よりも思い遣りに富む、蒼き警官服の胸元に掲げられた、プラスチック性の名札に親指を向けながら。
「――俺は、羽田信太郎。また迷ったときは、いつでも駅前交番に来いよ、田村信次先生?」
「羽田、信太郎さん……はい! ありがとうございます!!」
初対面のはずだが、信次は羽田信太郎と、親近感を顕にした笑顔を交えた。離れ際には御礼としての御辞儀を深々と放ち、やがて笹浦駅前交番から再度の出発に身を働かせる。
多くの愛が籠った贈り物を、梓へ届けるために。
ベテラン地元警察官の信太郎から教わった通り、信次は自信の眉を立てて舞園家に向かおうとしたが。
「……あの、ごめんください!」
「なんだよ?」
「もう一回、道順教えてもらっていいですか?」
「お前なぁ~……。俺の親友と似て、ホント呆れる男だ……」
信太郎の困り顔を目の当たりにしながら、信次は申し訳なくも二度手間をお願いした。
◇梓の壁――ソフトボールへの責務◆
「ふぅ~……やっと見つけた」
時刻はもうじき五時半を迎える、春の夕時。信次の安心した眼差しの先には、“舞園家”の表札が掲げられた、一軒の家が立ち待っていた。石壁に囲まれた二階立て物件で、玄関にまで向かう石畳の途中には、緑の広い庭、また端に建てられた犬小屋が観察できる。
――「ワン!!」
「ウワッ!! ビックリしたぁ!」
思わず全身に電気を走らせた信次の前には、吠え叫んだ一匹の雄犬がお出迎えする。二足で立てば成人程の身長になる大きさで、フカフカとした白と茶色の毛並みを備えたゴールデンレトリバーだ。
「ワンワン!」
「よしよし! 君は……ワン太っていうんだね! はじめまして、よろしくね。ボクは信次!」
「ク~ン」
信次が撫でている犬の名は、小屋に書かれた文字より“ワン太”だと推察できた。首輪が掛けられていないことからは、飼い主との生活に馴れた様子が想像でき、異なる生き物同士を結ぶ愛を感じる。
尻尾を振りながらもワン太が“お座り”をすると、信次は立ち上がって玄関前まで訪れた。まだ経験したことがない家庭訪問の雰囲気には緊張するが、一度深呼吸して心を整え、右手のインターホンを強く押す。
(はい。どちら様ですか?)
するとインターホンからは淑やか女声が届き、信次は身を曲げて口先を近づける。
「ど、どうもこんにちは!! 笹浦二高二年二組の担任、田村信次です!! あ、あの、舞園梓さんにお渡ししたいものがありまして、急ですが参りました!」
(はい。今、向かいますね)
女性慣れしていない男の汗ばみが襲う中、信次は静かに気をつけの姿勢で待機に専念した。鞄の持ち手をギュッと握りしめながら。
すると玄関の扉はすぐに開けられ、中からはエプロン姿の女性が登場する。若々しい素顔を拝見でき、嫋やかさを秘めた一つ縛りの婦人で、落ち着いた瞳のまま微笑みを放つ。
「はじめまして、こんにちは。母の舞園瑞季です。いつもうちの梓が、お世話になっております」
丁寧な御辞儀までしてくれた女性こそ、梓の母親――舞園瑞季だ。奥ゆかしさを際立たせた笑みの一言には、彼女など一切持ったことがない信次を更に萎縮させていく。
「い、いいいえいえこちらこそ!! ……と、ところで、梓さんは今いらっしゃいますか?」
「ごめんなさい。梓は今、外出中なんですよ」
「そ、そうでしたか。それは悪いタイミングで申し訳ありません!」
どうやら目的人物の梓は、ただ今不在のようだ。
できれば本人に直接渡したい胸中だったが、信次は瑞季に預けようと、鞄から笹二ソフト部のユニフォームと背番号を取り出す。
「実は梓さんに、これを渡そうと思ってたんです。是非入部してほしいなぁっていう、期待も込めて」
「そ、そうでしたか……。わざわざ、うちの梓に……」
「……あれ?」
信次は緊張で震えた微笑みを続けたが、瑞季の表情が雲がかり始めていたことに気づく。梓を取り巻く親友並びに知人たちは、皆揃って歓迎している。しかし、やはり親側の気持ちとしては反対なのだろうか。
「……田村先生?」
「は、はい?」
すると瑞季が上げた表情は一変し、訪問者を心からもてなすような、元の優美な笑顔に帰る。
「もし時間があるようでしたら、うちでお茶でもしませんか? 梓の学校生活も聞きたいですし、主人も会いたがってましたから」
「えっ!? お父様が中にいらっしゃるんですか!?」
家の中には梓の父親もいることを知り、両足の強張りが激しさを増した。梓と共に外出中だと思っていただけに、予想外のプレッシャーが押し寄せる。
「で、でも、こんな時間で、しかも土曜の休日ですし……。迷惑じゃあ……?」
「いえいえ、お気になさらず」
「は、はぁ……」
瑞季の言葉には、ついに何も言い返せなくなった信次。この後の予定といえば、溜まっている授業報告書の片付けがあるが、そんなことをクラス生徒の親に告げれば、嫌な不信感を抱かれてしまうに違いない。仕事もろくにできない担任だと、後々解雇の未来さえ想像できてしまう。
「……じ、じゃあ、失礼します……」
「どうぞ」
「ワン!」
瑞季に続いてワン太からも背を押され、信次は渋々ながらも舞園宅に上がることにした。
準備されたスリッパを履き、瑞季の後ろ姿に着いていくと、すぐにリビングにたどり着いた。広く快適な空間の中央には、座布団で囲まれた長方形の長テーブルが立ち、正面には台に置かれたテレビが点灯している。
「あなた、お客様よ。梓の担任の、田村先生」
すると瑞季が振り向いたソファーには、一人座り込んでいた男性が、リモコンでテレビ画面を消灯させると同時に立ち上がる。
「おぉ。はじめまして、田村先生。父の舞園勝弓です」
信次よりも背が高い、梓の父親――舞園勝弓だ。年齢は恐らく婦人の瑞季に近いのだろうが、スポーツ刈りの短髪でジャージ姿からは、大人びた様子と共に生き生きとしたエネルギーを窺える。
「は、はじめまして。こちらこそ、いつも御贔屓にさせてもらってます!」
「ハハハ! まぁそんな畏まらず。まぁ座ってくださいな」
「は、はい……」
勝弓から誘導されるがままに、信次は示された座布団にゆっくりと座った。静寂なリビングは広大なはずなのに、どうも窮屈さを感じて正座してしまう。
「なんだか、本当にすみません。突然押し付ける形になってしまって……」
「いえいえ、お構い無く」
向かい側に勝弓も腰を置くと、母の瑞季も、冷蔵庫から取り出した烏龍茶をガラスコップに注ぎ、信次の前に置いてから着席する。
「どうですか? うちの梓は? 学校では、上手くやってます?」
勝弓をきっかけに、信次は二人に向けて、梓の校内生活をしばらく話すことにした。
学業に関しては抜かりなく、先日の現代文単元テストでは上位に属していた。また別教科の教員からの評判も良く、担任の耳には決まって快い音色で入ってくる。生活面においても、始業式と変わらぬ落ち着いた態度が続いており、指摘する点など皆目見当たらなかった。
「梓さんはとても真面目です。何も問題ない、立派な優秀生徒ですよ!」
校内情報を伝えていくことで、信次の緊張は次第に和らいでいった。微笑みで臨む舞園夫妻の前で、固まっていた饒舌も取り戻すことができ、口数が増していく。
「担任のボクとしては、ホントに大助かりです! 彼女の担任ができて良かったと思えるくらいです!」
一方的に褒めるばかりだが、それは担任としての紛れもない感想だ。実際に梓には、要所要所で助けてもらったことがあるのだから。
「それに、クラスメイトとも仲が良くて……。特に、清水や篠原に中島とは、上手くやれてますよ!」
笑顔にまで返り咲いた信次は具体的に、勝弓と瑞季の前でそう答えてみせたときだった。
「そ、そうですか……」
「夏蓮ちゃん、柚月ちゃん、咲ちゃんと、ね……」
しかし夫妻の顔からは、どことなく憂鬱な暗さを感じた。勝弓も瑞季も揃って視線を落としてしまい、嫌な沈黙な舞園家のリビングに充満する。
『清水たちの名前、出さない方が良かったのかな……?』
自分の台詞が失言だったのだろうかと、信次は顔をしかめて俯く。悪い話題ではなくとも、かつてソフトボールクラブの仲間でもあった四人だ。先ほど瑞季が笹浦二高のユニフォームを見たときから気をつけるべきだったのかもしれない。
ここにきて、妙な罪悪感が生まれてしまった信次。しかし固唾を飲み込み、改めて話題を変えようと口を開こうとした。
「あの……」
「……田村先生? ちょっと、見てほしいものがあるんです。瑞季、頼む」
「はい」
しかし、信次の言葉尻は勝弓に被せられ、代わりに話題を与えられてしまう。すると瑞季は、父の意思を察した様子で立ち上がり、リビングの隣に繋がる和室へ向かった。何かを持って見せようとしているのだろうか。
「これなんですよ、先生」
瑞季が運んできたのは、一つの大きな段ボール箱だった。信次と勝弓の間に置き、ガムテープで封されていた口を開け始める。
「梓からは早く捨ててくれって、言われてるんですが……」
「やっぱり親としては、できないんですよね……」
「――っ! こ、これは……」
勝弓と瑞季が囁きながら見せられた中身に、信次は驚きの目を見開いた。段ボールに入っていたのは、眩しいくらいに輝く金のメダルやトロフィー、熱闘を繰り広げる試合中の写真が複数枚、“笹浦スターガールズ”と書かれたユニフォーム、そして楯に収められた集合写真だ。一つ一つテーブル上に並べられたのは、梓がかつて、ソフトボールクラブに所属していたときの、思い出の貴重品である。
「このメダルとトロフィーは、スターガールズが県で一位になったときなんです。梓が小五のときでしたね。それから、これが試合中の写真です」
勝弓が指差した写真たちには、当時小学五年生の梓が写っていた。バットを振り抜く打者として、また次の塁に駆け向かう走者として、そして躍動感が溢れる投手としての姿と、全ての表情が真剣そのものだ。
「舞園……なんか、楽しそうだなぁ」
「あと、これが最後に撮った集合写真なんです……」
写真上の勇ましい梓に、信次はそっと呟くと、勝弓によって楯の集合写真に焦点を固定させられる。その写真には、端に監督らしき男性老人と共に、二十人近くの女子小学生たちが三列に集まっていた。笑顔を浮かべる選手たちは、チーム名と同じく輝かしい星のようで、和気藹々とした空気が閲覧者にまで伝わってくる。
「……あ、あれ? この監督って……」
ふと瞬きをした信次は、写真に存在する男性を注視した。恐ろしいまでの厳粛な表情で、目を合わせているだけで気が縮こまりそうな監督様だが、どこかで――しかもつい最近――見かけた眼鏡姿の老人だと思えてならなかった。
信次は前のめりになってマジマジと観察してみるが、勝弓が監督の正体を明かしてくれる。
「――あぁ、夏蓮ちゃんのお祖父さんですよ。清水秀さん。スターガールズの元監督です」
「そっかぁ~。やっぱ清水のお祖父さん……て、エェェェェェェエエ゛!? 清水校長って監督だったの!?」
一足遅れて驚嘆した信次は何度も写真を見返していたが、写る老人はやはり、今より少し若く見える、現笹浦二高学校長――清水秀だった。現在の優しい面とは大きく異なる威厳のオーラを放っており、どうも当時は笹浦スターガールズの監督を務めていたようだ。もはや別人だと感じてしまうほど、手厳しそうな指導者である。
「ま、マジか~……人って、こんなにも変わるもんなんですね」
「ハハハ! 勝利のために、練習中はいつも怒鳴ってましたからね。でも清水監督が長年務めてくれたおかけで、スターガールズは間違いなく強くなれたんですよ」
信次の驚愕は残ったままだが、勝弓の静かな瞳につられ、今度は幼き選手たちへ目が移ろう。
後列の娘たちはピースやグーなど多種多様なポーズをとっている中、最前列では、信次にも見覚えのある五人が並び、達筆で記された賞状、現在テーブルに置かれた金のメダルとトロフィーをそれぞれ携えていた。
「この先頭で賞状を持っている娘は、泉田涼子さんですよね」
「はい。当時のキャプテンでした」
「それに、その隣に中島……アハハ。ずいぶんはしゃいでるなぁ~」
一番最初に気づいて笑ってしまった相手は、写真中央の主将――泉田涼子に飛びついた、眩い笑顔の中島咲だ。歳違いを越えた仲の良さは、この頃から顕在だったらしい。
「清水なんか、メダルに噛みついちゃってるよ。それに、トロフィーを二人で持った篠原と舞園……嬉しそうだなぁ。舞園のこんな顔、初めて見たかも」
篠原柚月のそばで微笑む梓はとても明るく、また健気な温厚さも感じ取れた。信次が笹浦二高二年二組に訪れてから、一度たりとも見たことがない、心の底から感情を出した笑顔そのものだ。
「あの頃の梓は、ホントに楽しそうでした……」
「お、お父様……」
「そうねぇ。あの頃は、ソフトボール大好きだったから……」
「お母様まで……」
夫妻の俯きに、信次の眉がハの字に変わる。動作までピタリと停止し、外を走る車のエンジン音が室内に飛び込むほどだった。
しかし信次は、暗い沈黙の訪れと同時に、どうも気になる点があったのだ。それは二人の言葉尻が、過去形で一致していたことである。まるで今は違うと言わんばかりに。
『言葉尻だけじゃない、“あの頃”っていう出だしもだ……。舞園は、変わってしまったっていうのか? それも以前とは真反対で、暗くて嫌な方向に……』
「あ、あの!!」
沈黙しかけた勝弓と瑞季に、立ち上がった信次の轟き声がぶつかる。外のワン太も吠えるほど響いた音量だったが、緊張を忘れた覚悟を込めて、魂の言葉を紡ぐ。
「教えてくれませんか!? どうして舞園が、ソフトボールをやりたくない選手になってしまったのか? 六年前、彼女に一体何があったのかを!?」
投球恐怖症に陥ったことは、実際に柚月から知らされた真実だ。しかし、そこまでの詳しい経緯は未だ誰からも教わっていない。
ピッチャーが嫌ならば、別のポジションで守ればいい考えだって浮かぶ。が、梓がソフトボール自体を拒む理由までは、信次は認知していなかった。
『――親友だって待っているのに……。その絆を引き裂くほどの理由って、一体何なんだ?』
ひたすらに知りたかったからこそ、信次の表情は真剣に染まっていた。すると夫妻には動きが生まれ、互いの目配せが行われる。伝心で無言の相談をしている様子が窺えるが、両者が頷き合ったところで、父の勝弓が改めて喉を開く。
「……では、お話ししますね……。梓本人から聞いた気持ちも踏まえて……。今から六年前……この写真を撮った、すぐ後の話なんです……」
今日一番の重苦しいトーンで始まった、舞園梓の昔話。
「誰よりも、責任感の強い娘でした。きっとそれが原因かもしれませんが、結果的に辞めることになったんです……。もう、誰も傷つけたくないって……」
「誰も、傷つけたくない……」
「梓は、自分が大好きなソフトボールを辞めることで、罪を償おうとしているんです……」
もうじき四月の静かな夜が訪れる頃で、辺りは日没の紺世界が拡がっている。しかし、本日の冷え込みはいつにも増して、強い寒気が流れ込もうとしていた。信次が訪れた、舞園家の中にも。




