八球目⑤月島叶恵パート「……信じる、わよ?」
◇キャスト◆
月島叶恵
清水夏蓮
中島咲
篠原柚月
植本きらら
牛島唯
星川美鈴
東條菫
菱川凛
May・C・Alphard
田村信次
次の日。
笹浦総合公園ソフトボール場で練習する日々へと変わった、笹浦二高女子ソフトボール部。キャッチボール練習を終えてもうじき休憩終了の中、昨日の疲労や筋肉痛に襲われる部員たちが見受けられる。気怠さが否めない雰囲気のベンチではある。が、皆の表情は至って晴れやかだった。
なぜなら彼女たちの衣装が、ジャージからユニフォームへと変貌していたことが要因なのだろう。
「先生! ホントにありがと!」
「いえいえ! みんなのサイズ、大丈夫かな?」
誰よりも清水夏蓮から感謝を示されている者こそ、顧問の田村信次だ。昨晩届いた練習用ユニフォームを放課後に献上され、早速本日の練習から着用することにした。真っ白なボタン付き半袖シャツに、紺の長袖アンダーシャツ。ベルトで固定されたハーフパンツは膝が隠れないほどだが、長く厚い白ストッキングが代わりに肌を覆っていた。また紺ライン入り白スパイクとサンバイザーまで用意され、端から見ればすでに立派なソフトボール部の容姿だった。
ほとんどの部員たちのユニフォームは、しっかりと馴染むほど正確なレディースサイズだった。しかしマネージャーの篠原柚月は、
「ありがたいんだけど、私はドクターストップ掛けられてるからねぇ……」
と、残念そうにサンバイザーだけ加えたジャージ姿のままだった。
また一部に関してはどこか違和感を覚えている様子で、慣れ親しまない衣装にもどかしさが観察される。身体が小さい菱川凛は東條菫にベルト縛りを手伝われるほどブカブカで、一方部内で最も背が高い牛島唯は、
「そ、ソフトボールの服って、こんなに露出多いなのかよ? オレ、長ズボン派なのに……」
と、無理強いにもストッキングを上げる作業を、練習開始からずっと続けていた。
僅かにも不満は垣間見えるが、皆が内心喜んでいることに間違いはない。ただでさえ多額の費用が掛かる道具を、顧問から一人一人へ渡されたのだから。
特に経験者の一人である月島叶恵は、表に出さずとも、纏うユニフォームの胸元を誰よりも強く握っていた。
『――部費も集めてないのに……。ホント、助かるわ』
叶恵は少し離れた芝生の上で、肩越しに信次を見つめながら思っていた。一年前では旧笹二ソフト部の発起人を務めたのだが、当時の顧問による部費横領がきっかけで廃部となってしまった。最近までプロソフトボーラーの夢を諦かけていたことも事実で、希望の光射さぬ深淵に陥ったことを覚えている。
『信次と、出会うまでは……。でもそれは、彩音ちゃんに、希望未にも助けられたからなんだよね』
新生笹二ソフト部に入る際には、二年連続の担任――如月彩音と、一年時からの付き合いがある親友――空継希望未の協力を得たことも忘れていない。二人の応援が入部する決意を生ませ、夢への覚悟を再燃させてくれたのだ。
『“儚”くなんかない。だって私は、一人じゃないから。……応援してくれる人がいるから……“イイ夢”にしてくれる、かけがえのない存在が』
信次との邂逅、彩音と希望未の手に背を押されたが故に今があるのだ。
叶恵は感謝の気持ちを膨らませるばかりだった。ふと目頭に熱を帯びようとしたが、サンバイザーの鍔を下げて深呼吸し、練習継続へと心を染め替える。
「アンタたち!! 練習再開するわよ~!!」
もとの鬼軍曹姿に返り咲いたのか叶恵を発端に、皆は次なる練習へ立ち上がる。
フリーバッティング。
選手の内三人が守備から抜け、一人は実際のバッターボックスに立ち、全十球の打撃。また残った二人は後方のネットを活用し、ネクストバッターが打ち込み、三番目の相方がボールを上げるトスバッティング練習に臨む。残る部員はバッターのボール拾いとなるが、あくまで守備練習の一貫として活動し、捕球した際にはすぐにファーストベース方向へ投げなくてはいけない。一人の打者が終われば守備の者一人と交代し、いわば流れ作業的に進めていき、全員がフリーバッティングに挑めるシステムだ。
今回のバッティング練習提唱者は、やはりマネージャーの柚月だったが、事細かなルールを呈したのは叶恵自身だった。すると外野の三人――清水夏蓮と植本きららにMay・C・Alphardらが守備から外れ、内野から少し遠ざかった赤土上には、サード側から唯、菫、凛と続き、そして打球処理後に集まるファーストベース付近には星川美鈴が残り、それぞれ打撃と守備に別れてもらえた。ちなみに信次も、遠く離れた芝生上で守備に就いているようだ。
皆が理解してくれたことはわかるが、叶恵の相変わらずな荒く厳しい口調には、細目やため息を直に向けられてしまった。
『みんなでできる貴重な練習時間を、一秒もムダにしたくないから……。ちょっとでも、上手くなってほしいから』
しかし叶恵は後悔することなく内野に背を向け、バッティングピッチャーのための投球練習を始めた。キャッチャーの中島咲に向けてキリッとした眉を立てながら、次々に放って肩を整える。
やるからには、本気で挑みたい。
本気で挑むならば、一人ではなくみんなと努力したい。
だからこそ、部員全員が誇れるプレイヤーになってほしい。
そう思いながら、やがて肩の軽さと温まりを把握する。
「ふぅ~。私はもう大丈夫よ。バッター入んなさい!」
急ぎ投げ抜いた叶恵は首に垂れ込んだ汗を肩袖で拭うと、咲にも歓迎された一人目の打者がボックスに現れる。
まずは、清水夏蓮だった。
「よ、よろしくお願いします……」
「はぁ!? 聞こえないっつぅの!!」
「ヒッ……お、お願いします!!」
傷だらけのヘルメットの内側で怯える夏蓮が右打席で構えると、叶恵は守備陣営の準備を確認してから、投球動作へのセットに入る。ボールを握った左手をグローブで隠しながら一息溢し、身体を前に折り畳むことで持ち手と脚の直線筋を放つ。プレートに着いた左踵と右爪先に体重を乗せると、次の瞬間左足で板を蹴って身体を起こし、反動で左腕が風車の如く円を描くよう促す。左爪先のみ地に擦らせながら直進し、そして宙を舞っていた右足を踏み込んだ刹那、一回転した左腕内側を腰に掠めて投げる――ブラッシングを披露する。
「ウルゥアア゛!!」
――バシッ!!
叶恵の熱き魂が込められた初球は、ど真ん中ストレートのストライク。まったくの文句ないヒッティングボールだったが、打者の夏蓮がバットも振ることなく見逃したことには、やはり癇癪を起こしてしまう。
「なんで振んないのよ!? バッティング練習の意味ないでしょうが!!」
「だ、だって……速くて」
「どこが速いのよ!? 変化球ピッチャーのストレートが速い訳ないでしょうが!! それでも経験者かァァ!!」
瞳がつり上がる変化球主体投手の叶恵だが、気を取り直して夏蓮へ投球を再開した。二球目もストレートを放つと、今度はバットを振ってきたが、聞こえたのは金属音ではなくキャッチャーミットの唸り声。次なる三球目も掠る間もなく、空を切るのみだった。
「オメェ~さんはヤル気あんのか!?」
「ゴメンなさい!」
怒号とミットが鳴らされるばかりの練習だ。守備の部員たちも退屈さ窺える中、叶恵は四球目を投じたときだが。
――ボスゥッ!!
「――ッ!!」
笹二ソフト部の空気が、突然にも凍り付く事態が訪れてしまう。
やはり打者は空振りしたが、ミットの代わりに鈍い悲鳴が起こった。なぜなら捕手として構えていた咲の胸元に、叶恵の投球が直撃してしまったからだ。
「咲ちゃん大丈夫!?」
まずは夏蓮が悲愴ながらも確認し、続いて叶恵もホームベースまで駆け急ぐ。ついには柚月も遅れながら集まったが、するとマスクを取り外した咲からは笑顔を放たれ、どうやら無事ではあるらしい。
「ゴメンゴメン!! アタシは平気だよ!!」
「咲ちゃん……よかった~」
「エヘヘ……。月島さんも気にしないでね! ナイスボールナイスボール!!」
「……だ、だったらちゃんと捕りなさいよ?」
「そ、それがさ~……」
「な、なによ?」
ふと咲は叶恵から視線を逸らし、頬を人差し指で掻いていた。太い眉をハの字に変えた苦笑いへ移ろうでいくと、捕球失敗の理由を明かす。
「バット振られると、ボール見失っちゃうんだよね。……それで目、瞑っちゃてさ~……アハハ!」
「……アハハじゃないわよ!!」
思わず言い返した叶恵だが、咲の“目を瞑った”ことは決してふざけた行為ではなく、無念にも理解できる恐怖心からの反射行動である。
一見何気ないように投手から捕球する者こそキャッチャーだが、他者には見えない内側で常に恐怖と戦っていることを忘れてはいけない。打者が振ったバットには毎度視界を覆われ、向かってくる球が消えてしまうのだから。たとえマスクやレガースを身につけていたとしても、ただでさえしゃがんだ状態で構えるため、顔付近に来るボールに危険信号が働いてしまうのだ。
だからこそ慣れない内は、人間特有の反射行動が発作し、目を瞑ってしまう選手が多い。まして咲は経験者と言えども、キャッチャーとしては未経験だ。夏蓮があれだけ空振りしたら、投球が直撃してもおかしい出来事ではない。
「平気平気!! さぁ続けよう!!」
「……でも、さすがに危ないわよ」
「月島さんの言う通りかもね。咲はまだ、捕球練習まったくしてないもの」
咲の前向きな気持ちはとても嬉しいあまりだが、柚月に譲歩された叶恵は腕組みをしながら考えあぐねる。今回はレガース上の直撃で済んだが、もしも露出された腕や股に当たれば、打撲や骨折などの怪我を負うリスクが想像できる。できれば他の部員に捕手を願いたいところだが。
『でも、キャッチャー経験者は篠原だけ。それも怪我持ちじゃ、やらせる訳にはいかないわよね……』
未経験者については言わずもがな、他なる経験者のメイだってキャッチャーのイメージが沸かない。素人顧問の信次だって、もはや何を仕出かすか想像できないほど信頼できない。
せっかく考案してみたフリーバッティング練習だが、叶恵は諦めたため息を落とし、別の方法に改めようとした。が、意外にも夏蓮の口が再開のきっかけを生むこととなる。
「じゃあ私がキャッチャーやるから、咲ちゃんはバッターに移ってよ?」
「へ……アンタ、キャッチャーできるの?」
いつしか経験者としても怪しく思えた夏蓮に、叶恵は瞬きを繰り返した。ついさっきまでは、ストレートが速くてバットも振れないと告げていたのに。
「ま、まぁ……バッティングキャッチャーぐらいなら……」
「ほ、ホントに言ってるの? ムリして怪我されても……」
「……夏蓮なら大丈夫よ、月島さん!」
心配ばかりな叶恵の言葉尻を被せたのは、自信の胸を張った柚月だった。かつて共にソフトボールクラブで励んだ親友として、夏蓮にも捕手ができると公にする。
「――夏蓮はよく、梓のブルペンキャッチャーやってたから、捕球には慣れてるわ」
「……梓って、誰?」
「月島さんと違って速球派のピッチャーよ。そういえば言ってなかったっけね」
舞園梓の名を初めて聞いた叶恵はキョトンと目を丸めたが、柚月の説明より、何となくだがイメージが付いた。夏蓮が速球派投手の練習に付き合っていたならば、軟球派で遅い自分のストレートを捕球できるかもしれない。
「じ、じゃあ清水……。まだ十球終わってないけど、お願いしてもいい?」
「うん! どうせ空振りしかできないし、喜んで叶恵ちゃんのキャッチャーやるよ!」
「……少しは悩め」
空振りのみの結果だった夏蓮の気にしない様子には呆れたが、すると咲からレガースを受け取り、慣れた手付きで装着していく。両脚に胴体、早くもマスクまで被り終える。
「じゃあよろしくね、叶恵ちゃん」
「……信じる、わよ?」
「うん……あ、そうそう」
何やら慌ただしい夏蓮には、正直心配の念がまだ拭えなかった。叶恵は躊躇いつつも、柚月と咲が離れていくと共に、再度ピッチャーズプレートへ歩み向かう。辿り着いてバッターボックスへ振り向けば、すでにネクストバッターだったきららが二人目として待っており、固唾を飲み込んでから練習再開しようとした。
「叶恵ちゃ~ん! ボールいくよ!」
するとなぜか、空の一塁側ベンチにいた夏蓮から明るく叫ばれ、叶恵は訳がわからないままグローブを開く。
「え、う、うん……っ!」
それは未経験者から見てみれば、何も不思議ではない返球だ。単に捕手から投手に渡るボールなのだが、経験者である叶恵は不意にも驚かされ、捕球した後も夏蓮をじっと見つめてしまった。
『逸れたボールのこと、完全に忘れてた……』
咲に緊急事態が起こっていたとはいえ、叶恵は不覚にも頭から抜けていたのだ。
どんな種の競技に関しても、プレーヤーは自身らの道具を大切に扱う義務がある。たとえ安価な用具だとしても、心技体の強さを求めるスポーツでは蔑ろにしていけない、善き選手の伝統的心構えだ。
それはソフトボールも同じで、たった一球でも無駄にしてはいけない。それは叶恵も知っていることで、苦い経験もしている一人だ。小学生時のクラブに所属していたときだが、練習後は必ず球数を確認し、足りなければみんなで捜索したことがある。あの日は幸福にも見つけることができたが、すでに月と星が煌めく夜中まで掛かってしまった。
『ありがと、清水。私が拾うべきボールを、わざわざ投げてくれて』
夏蓮だって経験者だからこそ、たった一球のために慌ただしい様子を見せていたのだ。改めて経験者らしい一面を見つけた叶恵は、少しだけ頬を上げていたが、バッターボックスに帰還したキャッチャーが腰を落としたところで、脳内スイッチを集中へ切り替える。
『じゃあ、いくわよ……』
二人目は、植本きらら。
まずは緊張の一球目。か弱い夏蓮の小さなグローブが構えたゾーンに焦点を置き、叶恵はソフトボール投球動作――ウィンドミルを始める。先ほど同様、プレートを勢いよく蹴ることで生じる推進力と、左腕を回すことで生まれる遠心力を合わせながら、ブラッシングで慣性の法則を駆使して弾く。
――バシッ!!
「叶恵ちゃんナイスボールだよ!」
「と、捕った……空振り、されたのに……」
夏蓮は確かに捕球していた。きららの大空振りを受けたにも関わらず、右手でグローブの蓋をするようにしっかりと捕らえていた。しかし、やはりポジションに着けるほどの能力はない。返球はフワリと弱々しく、暴投してしまうときも訪れ、叶恵はつい怒鳴ってしまう。
それでも、叶恵は夏蓮の存在に魅力を感じるよう変わっていく。
「う~ん……バットに当たる気がしないにゃあ……」
「ねぇ、きららちゃん? もう少しバットを短く持って、ボールをよく見てみて? きららちゃんは、振る速さは自信持って大丈夫だから、あとは芯に乗せることが大切だよ」
空振りしたバッターのきららにアドバイスを送っていた。もちろん、彼女だけではなく、後々打席に移る未経験者一人一人に。
「唯ちゃんも力があるから、大振りせずコンパクトに振り抜いてみてね。トスバッティングみたいに、ボールが当たるまで見れば、ホームランも夢じゃないよ!」
凄まじいスイングで空ばかり切る唯には、ボールを最後まで見る大切さを。
「美鈴ちゃんはちょっと、バットの先が下がっちゃってるかな。振る瞬間に脇を絞めれば、もっと強い打球を飛ばせるはずだよ。力は唯ちゃん並みにあるからさ」
高々としたフライが多い美鈴には、バット先端――ヘッドを上げて打つ技術を。
「菫ちゃんはボール球を振りがちかも。ストライクゾーンはあくまでベース上だから、前に突っ込まずに堪えて、腰の回転を使ってみてね。器用な菫ちゃんなら、絶対すぐできるから」
打球に向かっていってしまう菫には、ボールがベース上まで訪れる瞬間を待つ我慢を。
「凛ちゃんは、どうしてもボールの勢いに押されちゃってるかな。体重を後ろの内股にのせて、踏み込むときに前の内股に移動してみて。凛ちゃんは芯に当てるのが上手いから、もっと強い打球飛ばせるよ!」
華奢で強い打球を飛ばせない凛には、スイングの際に行う体重移動の詳細を。
経験者の咲とメイに対して夏蓮は、
「スゴい!! ナイスバッティングだよ!!」
とばかり叫び、アドバイスらしい言葉はなかった。しかし、未経験者たちにでも理解しやすいように専門用語を抜き、自分が演じて見せる姿も加え、彼女らしい褒め言葉も交えながら工夫し伝えていた。
厳しくも勝つためにチームを引っ張ろうと肩を張る、叶恵の目の前で。
『フフ。これなら、誰も辞めずに済むかな……。アンタみたいな経験者がいると、私は助かるわ……』
自分はあくまで勝利のために、部員たちには鞭を振りながら接していくつもりだ。しかし気づかぬうちに、見えないケガまで負わせてしまうかもしれない。特に未経験者たちを、
「もう辞めたい……」
と、情熱の炎に嫌気を覚えさせ、諦めを口走る未来へ促してしまう恐れがある。実際に一年前、何人もいたのだから。
『――でもそのときは、優しいアンタが飴を渡してね? ……夏蓮』
その後フリーバッティング練習を無事に終え、部員らが休憩に入ろうとした。しかしグランドから、ドSマネージャー柚月に捕球練習という名目で残された咲の、投球が直撃した際にも出さなかった悲痛な叫びが繰り返され、叶恵や夏蓮たちの気分が安らぐまでには至らなかった。




