八球目③ 涼子→夏蓮パート「私も辛いけど、ハァ……いっしょにガンバろ!」
◇キャスト◆
泉田涼子
舞園梓
清水夏蓮
植本きらら
月島叶恵
中島咲
牛島唯
星川美鈴
東條菫
菱川凛
May・C・Alphard
篠原柚月
田村信次
笹浦第二高等学校体育館前。
午後の四時半を過ぎた頃、館内の笹浦二高女子バレーボール部では、サーブの打ち込み練習が繰り広げられていた。縦回転を加えながらボールを高々と上げ、落下してくると同時に一歩踏み出し、跳び跳ねて相手コートまで叩き込む。バジン!! と弾いて、ドゴン!! と轟音が連なり、目指すインターハイ出場に向けて汗を光らせていた。
「ナイスサー! 飛ぶタイミングもバッチリ! その調子よ!!」
そんな熱気に満ちたバレーコートには、女バレ主将――泉田涼子も躍動している。自分のプレーだけでなく、部員個々人の内容と結果にも集中し、キャプテンマークを着ける肩が燃えていた。
「オッケー! はいじゃあ次!!」
「おい泉田! 一球外に出たみたいだから、取ってきてくれないか?」
「わかりました、田原先生!!」
顧問の田原知子が言うには、サーブ弾が体育館入り口より飛び出してしまったらしい。決して涼子が打ち損じた一球ではなかったが、否定することなくすぐに駆け出し、二高グランドが左側に見える校舎へ出向いた。半袖短パンの薄いバレーユニフォームに肌寒さを覚えながらも、確かに告げられた通り、花壇のそばで転がったバレーボールを発見する。
「あったあった。……あれ?」
ボールを拾って戻ろうとしたが、ふとグランド側に見覚えある制服少女の、一人立ち竦んだ後ろ姿に目が渡る。背中が隠れるほど伸びたストレートヘアには多少のクセ毛が窺えるが、どうも何かを探すようにグランド周辺を見回していた。
『……そっか。ちょっと、行ってくるか!』
女子生徒の長髪が優しく吹き付ける春風で靡く中、ポニーテールの涼子も背に追い風を受けながら近づいていく。彼女が探しているものは“あれ”に違いない。きっと毎日影ながら観察していたのだろうと、救いの手を差し伸べるように声を投げる。
「ソフト部は今日から、笹浦公園で練習だってよ? 梓!」
「――っ! 涼子、先輩……」
涼子に反応し振り向いたのは、一つ下の後輩的存在――舞園梓だ。突然声を掛けたせいか、裏返った一言とどこか驚いた表情を見せかけたが、すぐに半開きの瞳に収まっていく。
「……久しぶり、ですね」
「そうだね、梓! 見ないうちに大きくなったんじゃない? 髪までずいぶん長くして」
「……そう、ですかね……」
凛々しく不器用な少女の正面で立ち止まり、涼子は穏やかな微笑みで瞳を覗き込んだ。すると一度は交差したものの、梓の視線が徐々に落ち始め、陰鬱気味な俯きを放たれてしまう。
『梓……ホントに前と、変わっちゃったな……』
涼子と梓は小学生のとき、ソフトボールクラブ――笹浦スターガールズで出会い知り合った関係である。また、中高でも同じ学校だったため、校内では遠くから見かけることが何度もあった。
しかし、涼子と梓が今回のように対面するのは小学生以来で、互いの間に妙な緊張感が漂っていた。
『元キャプテンと元エースだもんね、私らは……』
ソフトボールから離れた者同士。にも関わらず、笹二ソフト部のことが頭から離れない。
矛盾した考え備えながらも、涼子は再び頬を上げてみせ、梓の下がった顔を覗くように膝を折る。
「ねぇ梓?」
「はい?」
梓と何とか目が合った。輝きを失った辛そうな瞳としか思えなかったが、涼子は小首を横に曲げる。
「梓もさ、ソフト部入りなよ」
「……」
梓の沈黙は、彼女の過去を知る涼子には予想できていた。だからこそ微笑みをあえて止めず、一人のかわいい後輩の返答を待つ。
「ねぇ? 梓」
「……私は、無理ですよ……。涼子先輩も知ってる通り、大きな壁があるんで」
「壁なんて、みんなで乗り越えて行けば良いじゃない? 夏蓮に柚月、それに今は咲だっているんだからさ」
最高の絆で結ばれた四人で力を合わせれば、どんな高い壁でも乗り越えられると、涼子は心の底から信じていた。それがたとえ、梓が抱えてしまった投球恐怖症が遮ろうとも、きっと大丈夫だと。
「――でもゴメンなさい、涼子先輩。これは、あくまで私だけに立ちはだかる壁……。それも、高過ぎて乗り越えられない壁……。みんながどうこうできる物じゃないッ……」
梓の声が上擦ったこと、また視界に入った彼女の左拳からは、涼子は憤怒の思いが伝わってしまった。灯し続けた明るさも消す結果となり、眉の垂れ込みに襲われる。
「梓……」
「じゃあ、失礼します……。涼子先輩はバレー部、ガンバってください……」
「ちょ、ちょっと梓!」
捨て台詞を吐いたように梓は歩み出し、涼子に背を放ちながら正門に向かっていく。今度は振り向く素振りも見せず、ただ静かな早歩きで遠ざかっていった。
『私だって、梓の気持ちがわからない訳じゃないよ……』
遠退く梓の後ろ姿を眺めながら、涼子は苦くも思っていた。肩が下がっているよう観察できる背中には、彼女を詳しく知らない他人には理解できぬ、重すぎた荷物を感じ取れてならない。
『でも……それでも、私は……』
ついに梓が正門を潜ろうとした刹那、涼子は眉を立てる。春風が強まった嵐に、想いを乗せて。
「――待ってるから!! 梓の復帰する日を! ……また四人で、いっしょにグランドで笑ってる姿を!!」
僅かに残った桜の花びらが、二人の間に降り注ぐ。少なき希望を贈呈するかのように。
すると梓の足が一度止まり、顔を上げる後ろ姿が窺えた。が、再び下を向く猫背に変わってしまい、悲愴の背中が正門外へと消えていく。もちろん、涼子の瞳からも。
『――梓……。みんなが梓を待ってるんだよ? たくさんのみんなが、梓たった一人を……』
風も止んで桜の花びらが散り終わった頃、涼子はボールを抱きながら体育館へと帰還する。サーブ練習が引き続き行われ、やがて主将が打ち込む順番が訪れ。しかし、珍しくもネットに引っかけてしまうミスが続き、連なっていた轟音が止まった。
◇みんなのキャプテン――栄光の扉、開くとき◆
笹浦二高から出発した、九人の少女たち。先頭を走る月島叶恵の指揮により、目的地までランニングすることになった。学校からは約二キロと、マラソン要素が含まれているが、朝練で走ってきた走行距離より短く、皆いつにも増してスピードを上げている。
「ハァハァ……」
最後尾で追跡する清水夏蓮は既に、荒い呼吸を繰り返している。普段はふんわりとするセミショートが汗で萎んでいるが、彼女にもまた、早く目的地にたどり着きたいという想いが顕在だった。なぜならその場所は、心弾む新たな練習場であると共に、心安らぐ慣れ親しんだ出身地でもあるからだ。初めて履いたスパイクで、あの独特な土を踏んだ日のことは、近づくに連れて甦ってくる。
「ハァハァ……ハァ、ハァ……」
「さぁ!! 見えてきたわよ!!」
叫んだ先頭の叶恵が更に脚を稼働させると、中島咲にMay・C・Alphardも続き、少し間を空けて牛島唯と星川美鈴、また離れて東條菫と菱川凛がそれぞれ並びながらギアを上げていった。
「にゃあ~! みんな早いにゃあよ~!!」
「ハァハァ……きららちゃん、もう少し、だよ!」
そして疲弊気味な植本きららと共に、夏蓮は残る僅かなスタミナを駆使する。朝練でお馴染みの順番、且つビリとなっている状況は我ながら無念だが、今は九人皆が無事に到着する未来が優先だ。
「私も辛いけど、ハァ……いっしょにガンバろ!」
「カレリーニャ……」
するときららからは何とか頷きを返され、きらびやかな茶髪が大きく揺れた。
ついに最後尾二人のペースも上がり、九人の列はこれ以上崩れずに進んでいく。目的地入り口前の信号も止まることなく渡り切り、緑踊るポプラの木々から歓迎される。次第に広い体育館と夏場のみ開かれるプール場が視界に入り、通り越して路肩を走ると、芝生で染まったサッカー場と大きな風車が垣間見える。
『懐かしいなぁ。この風景、この空気、この場所が……』
夏蓮がこうして訪れるのは、小学生ソフトボールクラブ――笹浦スターガールズに所属していたとき以来だ。四年以上もの月日を経て帰還する訳だが、以前とほぼ変わらぬ世界に懐かしさばかりが募っていく。
平日の本日ではやはり利用者は窺えない中、ついに九人の少女たちが目的地にたどり着く。皆息を上げているが、決して苦しそうな素振りは見せず、むしろ目の前の広大なグランドに目を光らせていた。
『――笹浦総合公園ソフトボール場。私がソフトボールを教わった、プレイヤーとしての故郷』
笹浦総合公園ソフトボール場。
無料で使用できる、A面B面と二舞台が用意された、市内でも数少なきソフトボール場だ。バッターボックスから内野エリアまでは固い赤土で覆われ、それ以外の外野やファールゾーンは全て緑の芝生が拡がっている。芝生と土の切れ目上に木製ベンチが一塁三塁側と佇み、バッターボックス後ろには全長約五メートルほどのネットが構築されていた。ソフトボール用の外野フェンスは見当たらないが、他にも少年野球団を始め、芝生上ではパターゴルフやゲートボール、家族連れで遊ぶときにも利用されている。一般的には、多目的広場と呼ばれているそうで、老若男女問わず利用者が数多だ。
しかし夕方を迎えた平日の利用者は、笹二ソフト部以外見当たらない貸し切り状態だ。その分だけ、部員たちの目にはより広々と映っているらしく、まずは先頭の叶恵が喜びの咆哮を挙げる。
「帰ってきたぞォォォォ~!!」
両腕も高々と上げた叶恵は感激していたが、それも無理はない。
『叶恵ちゃんも、一年前はここで練習してたんだもんね』
もう一人の発起人として名高い彼女も、一年前はこのエリアに訪れ励んだ一人なのだ。年数は異なるが、自分と似た懐かしさがあるに違いないと、夏蓮は叶恵のツインテール後ろ姿を喜ばしく見つめていた。
叶恵の歓喜は部員たちにも伝染し、皆それぞれ抱く自身の想いを声で示す。
「What a wonderful place!! 手の舞、足の踏む所を知らずデスネ!!」
メイはことわざ通りに飛びはね、上機嫌なサファイアの瞳が輝きを増していた。
「良いとこっすね」
「あぁ。来た甲斐アリだな」
美鈴と隣り合う唯も手に腰を添えつつ、緑と赤のグランドに見とれていた。
「凛、体調は大丈夫?」
「うん、わたしは、平気……。それにしても、綺麗だねぇ……」
唯一悩まし気な菫に配慮された凛だが、汗ばむ疲れが吹き飛んだように微笑みを浮かべていた。
一方、必死ながら走ってきたきららは一人、芝生上で仰向けに寝転んでいる。
「にゃぷ~。芝生のベットも悪くないにゃあ~ねぇ~」
眠り就いてしまいそうな快楽に浸っていたが、すると道そばに田村信次と篠原柚月の軽トラも到着し、二人の姿もグランドに現れる。
「へぇ~! とてもいいところじゃないか! これなら学校よりも、のびのびと練習できるね!!」
相変わらずの笑顔を放つ顧問まで揃った、笹浦二高女子ソフトボール部。すると、一人立ち竦んでいた夏蓮の両サイドには、同じくスターガールズ出身者の咲と柚月が並ぶ。自分よりも背が一段高い二人だが、グランドを眺める表情からは愉悦と誇らしさが確かに観察できた。
「咲ちゃん……柚月ちゃん……」
「やっぱり懐かしいね。アタシたちにとって、ここは」
「そうねぇ……。また始めるのよ。私らが、ここで」
最後に二人の間で夏蓮は頷き、逞しさを覚えた瞳でもう一度グランドを見つめる。
『――ここから始まるんだ。私たち、笹浦二高女子ソフトボール部の物語が!』
今ここから、再開するのだ。待ちに待っていた、ソフトボール生活が。
心の準備まで整えたことで、早速部員たちで用具運びに取り掛かる。軽トラから近いA面三塁ベンチへと次々に運び、バットにボール、そして個人のグローブを置き並べると、叶恵がキャプテンの如く整列を促した。
「グランド挨拶よ! 時間も限られてるんだから、早く並んで!!」
菫と凛やメイに関しては素直に並んだが、唯たち三人衆はどこか不機嫌そうながら身を運んだ。残る咲と柚月、夏蓮、そして信次までも整列すると、端の叶恵の指示で御辞儀を揃える。
「気をつけェェ~!! 礼ッ!!」
――「「「おねがいしまァァァァスッ!!」」」――
既に身体は温まっていたため、部員たちはすぐにキャッチボールメニューに移る。組み合わせは叶恵と咲、夏蓮ときらら、唯と美鈴、そして残った菫と凛にメイは三人で行うことになり、レフトの芝生ゾーンで開始した。
「始めェェエ゛!!」
叶恵のコールと共に始まり、まずはショートバウンド捕り。
それぞれ約一メートルの間を空け、相方がボールを地面に投げ、もう一方がバウンドした瞬間を狙ってボールをさばく練習だ。ボールをよく見つつ、グローブを立てながら前に突き出すことがポイントである。手元の打球に対する処理能力を高める動作で、俗に言われる“球際に強くなる”ための練習法だ。
「イテッ……」
「ア゛アッ!! 唯先輩ゴメンなさいっす!! ホント申し訳ないっす~!!」
「へへ、気にすんな美鈴。身体に当たっても、そこまで痛くねぇからよ。ほら、どんどんオレに投げてくれ」
「は、はい……。か、かっこいい……」
「はぁ?」
「いえ!! 何でもないっす!! 全力でいくっす!!」
次に、ゴロ捕り。
今度はそれぞれ塁間ほど遠退き、相方がボールをゆっくり転がし、もう一方が低い態勢を保ちながら捕球する練習だ。ショートバウンド捕りのポイントに動作が加わるため、転がるボールといかにタイミングを合わせるかが重要となる。特に動作が入るとどうしても態勢が高くなってしまうため、マネージャーとして全員の練習を観察する柚月からは、
「低いトンネルの中にいる気持ちで」
と、よくアドバイスされる。地面と背を平行にする姿勢こそ大切な基本姿勢だからに違いない。
「one two~one two! threeでthrow!!」
「お~! メイさん上手~!」
「Thanks菫!! fieldingはrhythmが大切デスノデ!! ほら凛もいっしょに!! one~two one two!」
「……想像以上に、音痴だったのね……。捕球は上手いのに……」
続いて、フライ捕り。
距離に変化はないが、相方がボールを高く遠くに投げ、もう一方がバックしながら捕球する練習だ。しかし、バックと言っても後退りするものではなく、相方に対して身体の正面を横に反らしつつ、肩越しで上空のボールを窺いながら移動しなくてはいけない。目線をブレを最小限にして落下地点に向かうことがポイントで、頭の位置を動かさないよう心がけること、また柚月いわく、
「ボールに合わせず、脚を素早く動かして落下地点に入って!」
という意識も必要不可欠だ。
「えぇ~!! アタシ今日は油物の気分じゃないのに~!!」
「知るかそんなこと~!! アンタ経験者よねぇ!? fryじゃなくてflyでしょうが!!」
「しょうが……あ~でも、しょうが焼きなら悪くないかな……。ありがと、月島さん!! 今日の献立決まったよ!!」
「だ、ダメだこりゃ~……」
最後にキャッチボール予備動作。
まず身体を正面に向け、ボールを持つ利き手とグローブを、肩と同じ高さのまま相方に向ける。次に利き手だけを地面に平行のまま旋回させ、真横に来た時点で肘を畳み、ボールを後頭部まで運ぶ。最後に肘を相手に突き向け、鞭のように腕を撓らせて投球する。ポイントは腕の使い方とボールを放す位置で、特に腕に関しては細かいもので、肩甲骨、肘、手首、指先を意識しながら行うと良い。肘を下げることなく保ち、手首のスナップを利かせ、相手のグローブを最後まで見て放つのだ。
「にゃ~ぷにゃ~……ぷぅ!」
「うぅっ! きららちゃんナイスボール! 身体の使い方が上手いんだねぇ」
「えっへんにゃあ! 女子力は、肩甲骨の使い方で魅せるモンにゃあよ!! カレリーニャも、意識してやってみるにゃあ!!」
「……えっと~……こ、こうかなぁ?」
「にゃあ? カレリーニャもっと胸を張った方がいいにゃあよ? もっともっと突きだすにゃあ!!」
「う、うぅ……」
ここで漸く本題のキャッチボールを、時間を十分間に設定して始める。
相手に対して身体の正面を真横に向け、体重を乗せる軸足はそのままで、もう一方の足を相手に踏み出して投げ込む。ボールを離す前から身体が相手の正面を向かないよう、身体の開きに注意しなければいけない。なぜなら投球には、身体の半分以上の筋肉を備える下半身が重要で、腰を捻ることで強い球を弾くことができるからだ。
「みんな、真面目にやってて素晴らしいなぁ。顧問のボクには輝いて見えるよ。ホント、見とれるくらい」
「はぁ~~あ!? 先生? 今の、どういう意味よ? ねぇ? 説明説明!」
「し、篠原……。いや別に、何も悪いこと言った覚えは……」
「……チッ……フフ、そうよねぇ。先生も男だもんねぇ? 私のだぁ~いっ嫌いな! 男っていう生物だもんねぇ?」
「……ゴメンなさい……。その、許してください……」
たった一つの練習ながら、全部で十人の気持ちがざわついていた。
◇みんなのキャプテン――栄光の扉、開くとき◆
時刻は午後五時を迎えた、橙の眩さが弱まっていくソフトボール場。
キャッチボールからバント練習に、二人一組のトスバッティングも終え、笹二ソフト部員たちには休憩の時間が訪れていた。ベンチに座りながら水分補給し、会話も交えながら憩いの空間に身を委ねている。夏蓮ときららの二人だけを除いて……。
「もぉ……もぉ走れないよぉ~……」
「これは……過労死するにゃあ……。厚生労働省が黙ってないにゃあよ……」
二人はベンチそばの芝生で、うつ伏せに倒れ込んでいた。どの部員たちよりも比べて過度な疲労感を覚えているが、夏蓮ときららのキャッチボール姿を思い出せば不思議ではない。開始時は良かったものの、塁間以上離れて以降は、お互い暴投ばかり繰り返してしまった。後ろに逸れたボールを何度も追い駆け、キャッチボールではなくボール拾いのような内容に否めない。ヘタが故に運動量が増してしまい、改めて基本の大切さを身に沁みていた。
――「みんな!! 休みながらでいいから聞いて!」
すると休憩中の部員らの前に、マネージャーの柚月が立ち臨んで訴える。
「せっかくだから今日、みんなにはそれぞれのポジションで守ってもらおうと考えてるの。だから残った時間は全て、フィールディングをこなしてもらうわね!」
「ゆ、柚月ちゃんさん……私たちは、まだ練習するんですか……?」
「…………」
「む、無視、ですかぁ~……」
夏蓮は起き上がろうとしていたものの、柚月の無言なドS攻撃で、再び額に芝を着け落とす。本日の練習終了という僅かな希望を、ことごとく消されてしまった。
マネージャーの練習メニュー対して、部員からの反対はなかったが、ふと眉を狭めた叶恵が立ち上がる。
「ポジションつったって……どう決めるつもりなの? やりたい場所やってってこと?」
「フフ~ご心配なく!」
夏蓮は顎を地に着けたまま目を遣ると、叶恵に親指を立てた柚月の自信を彩った様子と、練習の際いつも所持しているバインダーが映る。板上には一冊のノートが留められいたが、その表紙には“笹二ソフト部☆練習記録簿”と名付けられていた。
「――みんなの能力、それに特徴やクセは、学校での練習を観察してだいたいわかったわ。私なりに考えたみんなの適正ポジションを発表するから、今日からそのポジションをよろしくね!」
『柚月ちゃんスゴ~い。いつのまに、そんな記録を……』
思い返せば、柚月は確かに毎度バインダーを掲げ練習に臨んでいた。しかしその理由は、部員たちの細かい個性を記録するためで、本気で勝てるチームを作ろうとするマネージメント精神があったからだ。彼女が観察力に優れていることは、小学生時代から親友の夏蓮も知っているため、とても信憑性に富んだ記録簿に違いない。
『――ホントに司令塔を一生懸命やってくれてるんだ……。ありがと、柚月ちゃん!』
笑顔が浮かんだ夏蓮が自然と起き上がると、柚月から部員たち一人一人へ、適正ポジションを公にされる。
「まずはピッチャー。もちろん月島さんで、よろしくね」
「当たり前よ。他に投げられる人なんかいないんだから……」
ピッチャー――月島叶恵。
今回はノッカーで働く叶恵だが、経験者である彼女に改めて投手の自覚を伝えたようだ。一年前にもキャプテン且つエースの立場だっただけに、揺るぎなく相応しいポジショニングだ。
「んで、キャッチャーは咲。月島さんと仲良くするのよ?」
「りょーかい!! じゃあ月島さん!! 今日から晩ごはんいっしょに食べようね! もちろんしょうが焼き定食で!!」
「アンタは食うことしか頭にないのかァ!!」
キャッチャー――中島咲。
以前はファーストを守っていた経験者で、捕球することには慣れている一人だ。女子バレーボール部で鍛えた背筋で肩も強く、チームのムードメーカーということも考慮して決めたようだ。キャッチャーとしてのリードは少し心配だが、夏蓮も適任だと思っていただけに、概ね間違った選択ではない。
「次に、内野よ。まずサードは、牛島さんで」
「サード……? あぁ。あそこか」
サード――牛島唯。
学校での守備練習では、速い打球をなかなかグローブに収められていなかったが、身体で止めるというボディストップで、決して後ろには逸らさなかったことが印象的だ。また咲ほどでなくとも肩が強く、どんな体勢になってもサードからファーストまでは投げられる能力を秘めている。
「それに対してファーストが、星川さんね」
「う、うちが……うちが唯先輩の送球を受け取れるんすね!!」
「美鈴……最近おかしいぞ?」
ファースト――星川美鈴。
いつも唯とペアを組むキャッチボール中では、速い悪送球でも必死に食らいつき、グローブに収めるシーンがよく見受けられる。また美鈴は左投げ選手でもあるため、左利き有効なファーストに選出されたことは望ましい。
「それからショートに、東條さん。期待してるわよ~!」
「はい! 篠原先輩に応えられるよう、精いっぱいガンバります!!」
ショート――東條菫。
一年生で未経験者ながらも、基本に忠実なプレーを見せつつ、俊敏でかつ肩も文句なし――いわゆる万能型選手の一人だ。個人ノックの際では、どんな強襲的打球でもしっかり正面で構え、ボールから目を離さず、ショートバウンドでも難なく捕球してきた。よって柚月は、守備の要とも称せられる遊撃手に、菫を選んだそうだ。内野における主将的存在には、大きな信頼まで寄せられていることが窺える。
「じゃあ、セカンドは……」
「わたし、やりたいです……」
「え? 菱川さんが?」
ふと鳴らされた小声に柚月は驚いていたが、その様子からは、珍しい自己主張をした凛が、セカンド適正者でないのことが見受けられた。夏蓮も彼女のか弱い身体的事情を知っているため、心配しながら距離を詰めていく。
「凛ちゃん、どうして?」
「わたし、菫のそばがいいんです……。たとえプレー中でも、ずっと」
「……でも、セカンドはスゴく動くよ? 喘息が悪化しちゃマズいし、凛ちゃんは外野の方がいいんじゃ……」
夏蓮が前屈みで心配する中、柚月も仕方なさそうに眉を下ろしていた。親友の菫と隣り合いたい気持ちはわからなくもないが、セカンドは守備だけに留まらず、二塁と一塁のベースカバー、あるいは外野の中継、またランナーとの接触にも気を配らなければいけない、多忙な過密ポジションだ。未経験者で喘息を患う一年生には、とても厳しいはずなのだが……。
「――試合中、先輩たちがダメだと判断したら、外してください。それまで必死でやりますので……」
「凛……」
「凛ちゃん……」
菫に続いて夏蓮も、凛々しい少女に見とれていた。彼女にはそれなりの覚悟があるように窺えると、一つため息を溢した柚月も頷き返す。
柚月の予定では、アメリカでの経験を積んだメイ・C・アルファードを起用することになっていたが、凛の固い意思を尊重して諦めることにした。
「わかったわ。本来ならメイちゃんを起用するはずだったけど、正直迷ってた部分もあったのよね……。固い意思を尊重して、菱川さんをセカンドにするわね」
「はい……。ガンバります」
セカンド――菱川凛。
柚月が目論んでいた予定では、アメリカで経験を積んだメイを采配するつもりだった。しかし、バッテリー以上に呼吸の合ったコンビネーションも必要とされる二遊間には、できるだけ仲良し組で揃えたい願望もあったという。そこで自己申告した凛を認め、内野陣営が完成した。
「……それじゃあ、あとは外野。まずはセンター、メイちゃん。慣れないかもだけど、よろしく頼むわね」
「No problem!! ワタクシはどこでも守りマスヨ~!!」
センター――May・C・Alphard。
外野の中心的存在で幅広い守備範囲を求められるポジションには、、当初はやはり、打球反応に優れた凛を起用するつもりだったため、入れ替わりでメイを選ぶ決意をしたようだ。しかし彼女も上級生に劣らぬ俊足の持ち主で、ランニング系メニューでは決まって三位以内に入る逸材選手だ。
「さてと! じゃあ残る二人はライトとレフトね。やりたい方やってー」
「ちょ、ちょっと酷くな~い!? 私たちテキトー枠!?」
「そうにゃあそうにゃあ!! きららたちをにゃんだと思ってるにゃあ!!」
勝手に決めてくれと言わんばかりの棒読みには、二人も黙っていられず怒号を上げた。皆と比べて劣る部分が多々ある自覚はあるが、あまりにも雑な気がしてならない。
しかし、ドSのマネージャーはふと笑みを溢し始め、改めて咳払いを起こす。
「ウソウソじょ~だん。植本さんがレフトで、夏蓮がライトね。あ~二人の反応おもしろかったぁ」
「うぅ~柚月ちゃんのイジワルゥ~」
「ユズポンめぇ~覚えてろにゃあ!!」
レフト――植本きらら。
能力に飛び抜けた物は観察された試しがないが、彼女にとって親友の唯に近い怪力の持ち主ではあるようだ。まだ放たれぬ強肩に期待を置かれる一方で、声がよく通るきららだからこそ、ベンチから離れた外野を選んだという。ただ、なぜレフトなのかは、すでにライトを決めていたからだ。
そしてライト――清水夏蓮。
小学生当時は多くの時間を控え選手として過ごしてたが、練習中ではライトを専門場所としていたため、せっかく培った経験を活かしてほしいという理由で抜擢された。正直夏蓮自身も、ライト以外で守備を行ったことがなく、反って助かるポジショニングに賛成した。
「以上!! これでどうかしら? 私の考えに文句がある、理解に乏しい哀れな不届き者がいたら、御遠慮な~く挙手して~?」
――「「「「…………」」」」――
言える訳がない。どうせまた、後生にまで残りそうな辱しめを受けてしまうのだから。
「フフ! じゃあとりあえず、これでポジション決定ね。じゃあ早速、練習開始よ!」
柚月が自身の腕時計を覗きながら放つと、部員それぞれ立ち上がり、グローブをはめながら各ポジションへ向かい始める。夏蓮も自身のグローブに左手を入れていると、唯一バットを握った叶恵からは、
「さぁ!! とっとと走って行きなさ~い!! 勝つために練習するわよォォ!!」
と、熱すぎた気合い溢れる轟声を放たれ、移動が小走りに変わっていく。
晴れた四月の、夕焼けの屋根に包まれたソフトボール場。不安がないと言ったら、きっと嘘になるだろう。校内グランドの端の方でこじんまりと練習してきたため、まだ本格的な守備練習をしたことがない。与えられたポジションだって、もしかしたら今後換えられるかもしれないのだ。
『――でも、今は今を精いっぱいガンバらなくっちゃ! 与えられた守備位置が、私たちそれぞれの舞台なんだから!!』
能力が貧しいならば、諦めない心で前に直向こう。夏蓮は小さな胸中でそう思いながら、与えられたライトへ駆け出す。
いよいよ、フィールディング開始だ。




