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プレイッ!!◇笹浦二高女子ソフトボール部の物語◆  作者: 田村優覬
一回表◇最高の絆で結ばれた、仲間集め――創部活動編◆
36/118

七球目③咲→信次パート 「アタシの、やりたいこと……」

◇キャスト◆

中島咲

田村信次

舞園梓

清水夏蓮

篠原柚月

牛島唯



 キーンコーンカーンコーン♪

 朝のホームルーム開始を知らせるチャイムが、笹浦第二高等学校内外に響き渡る。全教室の生徒たちが着席し、担任の号令によって始まるところだった。中島なかじまえみが在籍する二年二組も同じで、清水しみず夏蓮かれん篠原しのはら柚月ゆづき、そしてもう一人忘れてはいけない親友――舞園まいぞのあずさたちも席に着き、田村たむら信次しんじの号令が鳴る、そんなときだった。


 ――ガラガラ!


 チャイムが鳴り終わってから数秒後、突如教室の後ろドアが大きな音を経てながら開く。それは遅刻者を表した騒音に他ならなかったが、気になった咲は振り向いて見てみる。


『あ、貝塚かいつかさん……じゃなかった。牛島うしじまさんだ』


 信次も見つめるその先には、息をはずまたクラスメイト――牛島うしじまゆいが取っ手に寄りかかっていた。ずいぶんな猛ダッシュをしてきた様子で、背まで隠すロングヘアーが荒れに荒れている。


「ハァハァ……ギリギリセーフってとこだな……ハァ」

「はいアウト~」

「ア゛ァ!? なんでだよ!?」


 担任のジャッジに猛反対の唯はすぐに信次へ詰め寄り、黒板前で怒り剥き出しの抗議が始まる。


「どういうことだよ!? テメェまだ出席取ってねぇだろうが!!」

「チャイムが鳴る前には席に着く。これはルールだよ」

「つったってさっき鳴り終わったばかりだろ!? こんなの遅刻にされてたまるかァ!!」


 担任の呆れた態度にも腹が立っている様子の唯だが、信次は珍しい冷静さを保ちながら目を細める。


「始業式の日、始めこそ肝心だって、ボクは君に言ったよね? 牛島?」

「そ……それは別だろ?」

「それに、今日の朝練なんで来なかったの? 植本うえもと星川ほしかわはちゃんと来てたのに」

「ギクッ……いや、その……目覚ましが、鳴らなくてだな~……」


 論破されがちの唯は誤魔化ごまかすよう説明していたが、信次が返したのは大きなため息と、背中を向けたきびすだった。


「言い訳は無用!! はい、遅刻」

「はぁ!? テンメ……ん? ……へへ」


 遅刻扱いされた唯は拳に血管を浮かべていたが、ふと信次の背を観察して何かに気づき、悪魔のような不気味の笑みを浮かべていた。

 二人のやり取りは他のクラスメイトはもちろん、咲も同じく覗いている。しかし、唯が何をおもしろがっているのか検討着かず、首を傾げて見続けた。


「ところで、田村さんよ~?」

「言っただろ? もう言い訳は聞かないよ」


 腕組みをしながら背で語るように告げたスーツの信次に、唯がそのまま背後から近づく。何か耳元で囁くのかと思いきや、鼓膜を破るほどの大声を鳴らす。



「きったねぇ~なぁ! 背中汚れてるっつうの~!!」



「へ……ア゛アァァ~~~~!! なんじゃこりゃア!! 黒い跡がァ!!」

 信次が即座に脱いで確認したスーツの背中部分には、手のひらのような濡れた跡が浮かんでいた。



『ん? あれ、もしかして……』



 ふと咲は自信の手のひらを確認してみる。もちろん手は乾いていたが、逆にそれが彼女にとって不思議な状態であることがいなめない。


「フッハッハッハ~!! 翼みてぇになってるし! なに飲んだらそんなの授けられんだよ~!」

「ち、ちょっと着替えてくる!!」


 信次は着替えのためすぐ退出したが、唯のバカ笑いをきっかけに教室の生徒たちも大笑いが続いた。なんというドジッぷりだろうかと、少しだけ威厳いげんを放っていた担任だけに、余計に笑いがとどまらなかった。

 果たして信次の背中にあった跡とは何物なのだろうか? それは、担任の背中を押しながら入室した咲だけが正体を知っていた。



『アチャ~。たぶんあれ、アタシの手汗だ』



 おかしいとは思っていた、年中汗っかきの自分の手のひらがこんなに乾いているなど。また掲示板前で信次の、何も違和感がない背中を一度見ているため、咲は自分の手のひらが犯人であることに結論着けた。恐らく焦って押しながら走ったときに着けてしまったのだろう。こんなときに自分の汗が他者に迷惑をかけるとは……。

 ホームルームが一旦中止になった二年二組では、未だに笑いが続きにぎやかだ。出歩く生徒も現れる中、唯は変わらず、ざまぁみろ! と、お腹を抱えて爆笑していた。


「クッハハハ~!! マジウケなんだけど~!」

「ゆ、唯ちゃん笑い過ぎだってばぁ」

「だって清水、あれ見たら笑うって!」

「そういう夏蓮だって、おもしろく思ってるんじゃないの~?」

「柚月ちゃんもぉ~……フフ」


 席に着いていた夏蓮と柚月も唯の元に寄り、自分たちの監督のだらしなさを共感しながら笑い合っていた。



『……あっ。そういえば、牛島さんってソフト部に入ったんだっけ』



 そんな三人の様子を見ていた咲はハッと気づき、心の中でそう思っていた。接点も同級生ぐらいしかなかった夏蓮たちならば、こうして笑い合う姿などなかったはずだ。

 まだまだみそうにない爆笑を続ける唯。

 笑いをこらええきれずクスクスと笑う柚月。

 そして、信次をかばうよう苦笑いで受け答える夏蓮。

 見たこともない夏蓮たちの姿だけに、新鮮なワンシーンだった。決して嫉妬しっとを覚えた訳ではないが、咲は漠然と目を向けていた。



『――三人とも、なんかスッゴく楽しそう……』



 今まで友だちでもなかった者同士が、今ではこうして笑みを見せ合っている。輪の中に混じりたいという気持ちまで、今にも生まれそうで仕方なかった。

 しかし、女子バレーボール部に在籍している咲には見えない距離感を覚えてしまい、席から離れられなかった。


 なぜなら、妙な恐怖を感じてしまったからである。


 先ほどは力になれず謝ったソフト部の親友たちの元に、バレー部の自分が介入することに抵抗心が芽生える。下手したら同じ部の三人の空気を乱すことも予測できるし、関係ない部の自分が寄ればきっと迷惑に違いないと。



『――どうして……どうしてアタシ、見てるの辛いんだろ……?』



 咲はまだ眠気がないにも関わらず机上でうつ伏せになり、視界を真っ暗に染めあげる。それはわざと夏蓮たち三人から視線を逸らそうとした結果で、ひたいに赤い跡を着けるほど維持し続けた。



 ◇心からのエミ◆



 昼休みを迎えた正午の笹浦二高。

 二年二組から離れた生徒ラウンジには、弁当箱や売店で買ってきたパンなどを持つ生徒たちで溢れていた。待ちに待った昼ごはんだと歓喜し、各々のグループで語り合いながら食事を済ませていた。また最上階のため窓からの眺めも良好で、青い空と白い雲の下には広大な緑の田んぼに、小さな家屋を見守るようにそびえる大きな筑海つくみ山まで一望できる。

 しかしその窓側には、いつもは見られない珍しい二人組が、笹浦市の景色を眺めながら隣り合い食事していた。


「梓はいつも、ここで食べてるの?」

「……ま、まぁそうだけど、咲の弁当箱ってずいぶん大きいんだね……」

「腹が減っては、部活できませんから」

「学校を何する場だと思って……てか、突然どうしたの? 夏蓮と柚月と、ケンカでもしたの?」

「いやいやいや! そういう訳じゃないんだけどさ~! ……ほら、気分転換ってやつだよ!」

「はぁ?」


 昼休みは基本的に、咲は二組の教室で巨大な弁当箱を広げている。共に食事する相手は決まって夏蓮と柚月だが、本日は急遽きゅうきょ、いつも生徒ラウンジで済ます梓といっしょだ。


「……ごちそうさまでした!」

「まだ三分しか経ってないのに……」


 二人分の量はあろうかと思わせる弁当箱の中身を、恐ろしいスピードで掻き込んでしまった咲。吸引力の変わらないただ一人の少女とも称されるほどの腹ペコ娘は、冷静な梓のペースまでも乱していた。

 咲にとって食べ終わった後の過ごし方とは、毎回一睡することである。が、今日に限っては満たされぬ心が胸に残り、俯いて窓の景色が制服スカートに換わる。



「夏蓮と柚月といるの……ちょっと気まずくてさ……」



 だからこそ、普段は来ない生徒ラウンジに訪れたのだ。朝見たソフト部三人の眩しさが今でも目に焼きついているが故に、咲はこうして夏蓮と柚月から距離を置いている。幸いにも、親友の梓が隣にいてくれることではしを進められたのだが……。


「二人といっしょが、気まずい?」

「うん……ほら、アタシ(じょ)バレだからさ。ソフト部とは関係ないし……」

「考え過ぎなんじゃないの? ウチと違って名前貸したんでしょ?」

「でも……それでもなんか、二人の前に……いづらくて」

「……そっか」


 小さなパンを一つ口に入れた梓の顔すらも、咲は見向きせず目を落としていた。確かに考え過ぎた思いなのかもしれない。少なからず協力している親友の仲なのだから。が、胸中きょうちゅうに秘めていた想いが身体中にめぐり、どうしても元気にさせてくれない。



『アタシ……どうすべきなんだろう……?』



 夏蓮と柚月たちとの関係がこのまま続くのは嫌だ。何も考えず、親友とのかけがえのない時間を送っていきたい。

 しかし咲には、今自分がどうしたらよいかわからなかった。教室にいたときのように、今度は現実から目を逸らそうとうつ伏せになりかかろうとした、そのときだった。



「じゃあ咲は、ウチと同じだね……」



「え……」

 するとクールで落ち着いた少女の囁きが耳に入り、咲の目がやっと梓に向かう。静かにごちそうさまの合掌がっしょうを放つ横姿から、すでに食事を済ませた様子がわかる。


ウチもさ、あの二人の前にいるの、辛いんだ……」

「梓が? ど、どうして……?」


 咲には、梓が抱く苦悩の中身まで見通せなかった。彼女は自分と違って部活動にも入っていない一生徒で、夏蓮と柚月の前にいることへの辛さなどないはずなのに。



「咲だって、忘れた訳じゃないでしょ?」



 すると梓は立ち上がり、立ちはだかる筑海山を細目で覗く。



「――ウチはソフト部の力になれない。やりたいとかやりたくない以前に、できないんだからさ……やっちゃいけないんだ」



「梓……」

 まるで諦めた夢を語るような、弱々しい口調だった。梓は言葉尻に自嘲じちょう気味に笑っていたが、咲には無理している様子が胸に刺さり、直視できるほどのありふれた姿ではなく逸らしてしまう。

 梓は決して、夏蓮のような内気な性格の持ち主だからではない。また柚月のような、身体的なケガを背負わされた訳でもない。

 最高の絆で結ばれた仲間たちの中で、梓だけが抱く入部問題点。それは不器用な彼女の告げた言葉がじかに意味を表しており、六年前の悲劇を見ていた咲は知っている。



『――相手選手を病院運びだなんて、誰だってトラウマになるよ……』



 やりたいか、それともやりたくないか、どちらを選ぶかと問えば、今の梓はきっと“やりたくない”を選択するに違いない。その理由は選手として“できない”から……いや、あの日投げたピッチャーとして“やってはいけない”からと言った方が正確なのかもしれない。


「……ねぇ梓?」

「なに?」

「やっぱ梓は、ソフトボール部には入らないの? 一応あと一人で、試合ができるらしいんだけど……」


 ダメ元だとわかっているが、咲は恐る恐る尋ねてみる。しかし梓から返されたのは静かな頷きだけで、細目も次第に閉じられようとしていた。


「そっか……でも、梓は運動神経いいし、このまま何もしないのはもったいないと思うよ?」


 体育でも咲に近しい優秀な成績を残している梓には、仮にソフトボール部でなくとも、一生に一度の高校部活動をやってほしかった。別の競技に変更したっていいではないかと、実際に中学でバレーボールを始めた咲はひそかに考えている。が、今度は首を左右に振られてしまい、温度を感じない冷ややかな瞳が窓の景色に向かう。



「それでもやらないかな……もう高校二年だし。今さら運動部に入るのも、気が退けるよ」

「高校二年か……そうだよね。今さら変えるなんて、やっぱ無理なんだよね……」


 咲は思わず自分の現在的心境を口ずさみ、梓と同じ方角の景色に目を放つ。緑から始まる色とりどりの田舎風景には、吸い込まれそうになるほど視点が固定される。それは過剰の憧れから生まれるうらやましさが原因で、少女としては笑えない胸の苦しみが襲う。


「……今日の朝さ、田村先生に会って言われたの。あと一人で試合ができるって。……正直、アタシは自分のことのように嬉しかったんだ。でも、アタシはバレーボール部……このに及んで転部なんて、バレーボール部のみんな……誰よりも涼子りょうこちゃんに、失礼だよね……」


 大好きな先輩でつ主将――泉田いずみだ涼子りょうこの名を交えた咲は笹浦市の空を見上げ、うっすらと浮かぶ白い雲たちを観察する。動いているのかわからないほど本日は無風で、時が止まっているかのように形も変わらず転々としていた。


「あ~あ……時間、戻らないかなぁ……」

「ごちそうさまでした……その、咲はさ……」

「ん?」


 やっと昼食のパンを食べ終わった梓は机上を左手に持つウェットティッシュで拭きながら、頬杖を付く咲を振り向かす。食べカスはほとんどなかったが、今日ここに来る前からあった黒鉛の跡まで拭き取り、新品のごとくきれいな机に変わっていた。

 すると梓はウェットティッシュを丸めてコンビニ袋に投じると、本日始めて現した温厚な瞳と微笑みを、漠然と見つめる咲に向ける。



「――咲は、咲のやりたいようにやれば、良いと思うよ?」



「え……アタシの、やりたいように?」

 すると、クールでありながら心の温かさを備えた梓は、頬を上げたまま頷く。


「だって今の咲、スゴく辛そうだから。いつもはしゃいでる咲が元気ないと、なんかウチも調子狂っちゃって」 

「梓……」

「それに涼子先輩だって、同じこと思ってるはずだよ?」

「りょ、涼子ちゃんが? どうして? 聞いたの?」


 ついに咲も席を立ち、同身長の梓と真っ向する。


「別に聞いた訳じゃないけど……涼子先輩が、咲のことを誰よりも大切に愛してるから、かな」


 梓だって涼子の存在を知っているからこそ、咲には確かな信憑しんぴょう性を感じた。そして昨晩告げられた言葉まで、脳裏によぎる。



 “「――自分には絶対に、嘘つかないでね……?」”



 もしやあの発言は、梓が今言ったことを意味していたのかもしれない。自分に嘘をつくということは、自分のやりたいことをころすことに他ならない。趣味の行いを限定して考えるのであれば、ドラマ俳優のような上級演技者でも長続きはしないだろう。なぜなら走り出す前から、そこは己の出発点ではないと既にわかっており、何の楽しみも生まれる訳がないのだから。


「アタシの、やりたいこと……」

「さぁ、教室に戻ろう。もうそろそろ授業も始まるし、次は移動教室だよ」

「う、うん……」



 梓が去ることで咲も弁当箱を手に持って退席し、隣り合いながら生徒ラウンジを出ていく。ベリーショートとロングヘアの髪型には大きくかけ離れた違いが窺えるが、同身長も要因なのか、本日は二人の背格好がいつも以上に酷似こくじしていた。



 ◇心からのエミ◆



 同時刻の昼休み。二年二組の教室に生徒はもちろん、担任の信次まで教員用事務机に着席していた。しかし、いつも微笑みを絶やさず勤める童顔教諭の表情には眉間のしわが浮かび、一人考えあぐねている。



『――なんだか今日の中島、いつもより元気がないな……』



 今朝に掲示板前廊下で咲と会ってから、信次はどうも気になっていたのだ。どこか無理している様子も窺えたが、朝のホームルーム以降は夏蓮と柚月たちと会話する姿も見受けられない。昼休みでは三人いっしょのイメージが強いだけに、苦悩に襲われているのだろうかと疑っていた。


 ――「やっぱり、ピッチャーは叶恵かなえちゃんかな……」

 ――「そうねぇ。月島つきしまさんは左利きだし経験者でもあるから、ピッチャー固定でいいと思うわ」


 ふと信次に聞こえたのは、教室後ろ席で向かい合って食事する、夏蓮と柚月の声だった。どうやら部員のポジションをあらかじめ決めているようだ。


「左利きといえば、美鈴みすずちゃんも同じだよね」

「そうねぇ。星川ほしかわさんはファーストになるかしらねぇ。ちょっと背が低いのが問題だけど……」


 サンドウィッチを片手に持つ柚月がため息を置いていたが、箸と小さな弁当箱を握る夏蓮は、大丈夫だよと不安を塗り替える。


わたしがライトになって、ファーストのカバーするから。他のみんなはどうする?」

「まぁあたしの中では、メイちゃんと東條とうじょうさんは内野に置く予定よ。二人とも運動センスあるし、ショートセカンドで固定したいわ」

「そうだね。メイちゃんはアメリカで経験者だったみたいだし、すみれちゃんなんかはやったことないのに、練習じゃあもう大活躍だし」


 次々に決まっていくポジショニングだが、いかに二人が真面目で直向きにソフトボール部を考えているのかがわかる。創部に身を投じて良かったと、信次に少しだけ微笑みが生まれていた。


「あとのたちのポジションは、今後の練習で決めましょ。牛島うしじまさんに植本うえもとさん、それに菱川ひしかわさんもまだまだ未知数だし」

「うん……でも、キャッチャーできそうな人、いないかも……」


 すると夏蓮が箸を止めて俯く。


「そうねぇ。できれば、キャッチャーは経験者にやってほしいところよね……夏蓮はやらない?」

「ブルペンキャッチャーぐらいしかやったことないし、無理かなぁ~」

「知識とか戦術なら、あたしビシバシ叩き込んであげるわよ~?」

「なおさら却下です……」



 ドSめいた悪魔の笑顔な柚月だが、もともとキャッチャーをやってたため、その役割の大変さを知っているようだ。


 ピッチャーの投球を捕球することから始まるキャッチャー。ベースカバーはもちろん、ボディストップに選手たちへの指示、またソフトボールに関する多くのの知識も必要とされるポジションだ。グランド上の監督とも呼ばれることもあり、試合の結果を左右するほどの重要な役割まで果たしている。


 どうやら柚月も、今の八人の部員の中でキャッチャーをやれそうな者は浮かんでいない様子だ。遠くで見つめている信次にもわかるほど、手と口が止まっていた。



「……わ、わたしは、ね……」



 すると夏蓮がか細くも口火を切り、正面の柚月と目を合わせる。ソフトボール素人だが顧問の信次も興味がく場面で、席を立って二人の元へ向かい始める。果たして誰が選ばれるのか愉快気に歩みを進めると、まさかの少女の名がおおやけにされる。



「――咲ちゃんが、適任だと思う……」



『――っ! 中島が、キャッチャー……』

「ちょっと夏蓮まだ引きずるの? 咲はソフトボール部には入らないって」


 柚月のサンドウィッチが握力で厚さを失うと同時に、信次も驚きで足を止めていた。創部のため名前のみ貸してくれた咲にすら、ポジションを与えているとは。以前から親友だとは聞いていたのだが、そこまで他部員からの参加を祈っているなど想像してなかった。


「それでも、わたしは咲ちゃんが良いと思うの……ほら、咲ちゃん小学生のときファーストにいたでしょ? チームのムードメーカーとして、声が全体に通せるファーストから選手のみんなを動かしてた。それって、キャッチャーも似てるかなと思って……」


 理論を言い終えた夏蓮が最後に悲しそうな表情で下を向き、柚月との間に嫌な沈黙が舞い込んでいた。朝にも同じような光景を目にしていたため、二人の関係性が崩壊するのを感じてならない。


『……ダメだ、ボクが止まってちゃ』


 そこで信次は雰囲気におくすることせず、夏蓮たちの元へ出陣する。嫌な空気を見過ごしたくないと、悩める生徒のために。


「やぁ二人とも!!」

「あ、先生……」

「なによ? 相変わらずムダに元気ねぇ」


 夏蓮と柚月の間に立った信次は笑みを保ったまま、二人に目配せしながら気になっていたことを問う。


「唐突で申し訳ないんだけど、中島に関してでね。彼女に何かあったか、知ってるかな?」

「咲ちゃんが?」 

「どうして? 逆に聞くけど、咲と何かあったの?」


 二人の傾げからは知らない様子が伝わる。


「それがね、今朝勧誘ポスターの前で中島と会ったんだ。ただいつもの元気な中島には見えなくてね……。そこで二人なら、何か知ってるのかなって思ったんだけどさ」


 何度考えても、あのときの咲から快活さを感じられなかった。やたら俯いた姿勢まで捉えられ、担任としては放っておけない想いだ。

 再び黙りこくった夏蓮と柚月だが、ふと互いの視線を合わせて頷き合う。


「咲ちゃん、忘れた訳じゃないんだね」

「結構気にしてるんだろうね。六年前の、あの約束」

「六年前の約束?」


 度々出てくる“六年前”というフレーズに敏感になった信次は、笑顔を消して不思議に問い返す。それが今の咲を苦しめている原因ならば知りたいと、二人の応答を身構えて待ち望んだ。


「……実はね、先生。六年前、わたしと柚月ちゃんと咲ちゃん、それに梓ちゃんもいっしょに、こんな約束をしたの……」


 言い出した夏蓮をきっかけに、信次は二人の口から六年前の約束事――最高の絆で結ばれた仲間たちの話を教わった。




「くぅ~!! なんて良い話なんだぁ~」



「せ、先生……?」

「涙腺緩すぎでしょ……てか泣く描写なかったと思うんだけど」


 夏蓮を驚かし柚月をしかめさせた信次は、滝のような涙を落としていた。


「なんとも淡い思い出じゃないか~。グズッ、六年前から四人には強い絆があったのもわかるし。それは今でも続いてて、こうしていっしょにいる……ク~ッフフゥ~!」


 もうすぐ三十路を迎えようとする男の泣き叫びが、二組内全体を包む。親友同士の確かな絆にも心を動かされ、それが今もなお繋がっている四人を目にしているため、信次の目頭は冷めるところを知らなかった。


「うぅ……クゥフッフゥ~……」

「せ、先生まず落ち着いて。みんな見てるから」

「そりゃ童顔のままだわ……この泣き虫」

「ヨシッ!! 二人共、教えてくれてありがとう!!」

「「切り替え(はや)ッ!」」



 パッと涙を止めて笑顔になった信次は、さすがの夏蓮と柚月も退くほど驚かせていた。しかし元気になれたのも、あることが理解できたからだ。



「――これで中島の気持ちが、何となくだけどわかった気がするよ!! 要するに中島は、過去と未来に挟まれた、迷える少女だってことだね」



「……そ、それはそうと、先生何か咲ちゃんにするんですか?」

「いや、今回はあくまで助言だけ。直接勧誘するつもりはない」

「え? どういう意味ですか?」


 夏蓮には聞き返されたが、信次は同じことを繰り返し告げるだけだった。咲にはあえて勧誘しないと。ただ助言だけ教えて、彼女自身に今後を決めてほしいのだという考えで。



『――中島はきっと、“やりたいこと”の意味を知らないんだ。だからこそ、笑っていないんだ……表情も、心も』



 もうじき四限目五分前のチャイムが鳴る頃、信次は夏蓮と柚月の元から去り、教室出口へ向かう。しかしドアを開けたところで立ち止まり、再び二人たちを肩越しに振り返る。


「二人とも、明日の現代文の予習、絶対に忘れないようにね!!」


 信次は笑顔でそう告げ、教室から職員室へと姿を消していった。



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