六球目 ⑥菫→夏蓮パート「今日からあたし、ソフトボール部に入ります!!」
◇キャスト◆
東條菫
東條椿
東條苺
東條桜
東條百合
東條蓮華
菱川凛
清水夏蓮
篠原柚月
月島叶恵
牛島唯
植本きらら
星川美鈴
May・C・Alphard
田村信次
中島咲
泉田涼子
「椿……どうして……?」
夜の七時を越えた笹浦市の道中。電柱から下がった外灯と僅かな月光を受けながら、東條菫は弟の東條椿に強く睨まれていた。それも有頂天を迎えた様子の、尖った涙目で。
「どうしてはこっちの台詞だよ!! なんで姉ちゃんはそうやって嘘つくの!? ホントは無理してるくせにッ!!」
「だから嘘なんて……」
「……ついてるじゃん!! いい加減素直にならなきゃいけないのは、姉ちゃんの方だよ!!」
言葉尻も被された菫はすでに椿への返答に困り果て、言葉が滞っていた。きっと弟の彼は、家事を行う自分を気遣っているのだろう。姉であるからこそ、弟の気持ちはよくわかってるつもりだ。
しかし、菫自身は嘘をついた覚えなど全くなかったのだ。四人の弟妹の面倒も加えれば確かに忙しい日々だが、決して無理をしているつもりはない。むしろ大切な家族のために、亡くなった姉――東條苺の想いに応えるために、楽しさと誇りを抱いて過ごしているというのに。
『――椿はどうして、そんなにあたしを否定するの……?』
疑問すらも心で呟くまでになった菫。せっかく迷子から救えた安堵も忘れ、目を落とした暗い表情は月光でさえも照らされていなかった。
「だって、姉ちゃんさ……」
まるで心を見透かされたかのような声に、菫は目線だけを上げて覗く。するとそっぽを向き始めた椿の瞳からは、依然として涙が浮かんでいた。しかしさっきまでの尖りは消え、少年のもどかしさが窺える。
「つば、き……」
「昨日、言ってたじゃんかよ……」
様子が変わった弟へ面を上げることができると、菫は目を逸らしたままの椿から再び驚かされる。
「――父さんと母さんの前で、部活やりたいって……」
「――っ! 椿……聞いてたの?」
それは確かに、昨晩菫が父母へ尋ねた台詞と、憧れから生まれた想いだった。
“「もしも……もしもだよ? あたしが部活をやりたいって言ったら、二人はどう思うかなって……」”
どうやらそれを、眠っていたはずの椿に聞かれていたらしい。襖で閉じた寝室とはいえ、家内の構造ではリビングと繋がっている。起きていれば自然と耳に伝わることだろう。
椿の目線はそばの電柱に向けられたままだったが、菫の返答に対して小さく頷く。
「それを聞いておれは、姉ちゃんが少しでも、姉ちゃんの時間を持ってほしいって、思ったんだ……。だから意味ないんだよ、姉ちゃんが今のまま、家事に時間ばかり割いてちゃ……。おれが、姉ちゃんはたいへんだって、思ってるだけじゃ……」
「椿……だから今朝から突然、家事を手伝ってくれたんだね……」
家事で忙しいが故に、部活動などできやしない。弟妹たちの面倒や送迎だってあるため、登校前や放課後はとてもゆっくりできたものではない。
しかしその日常を、身を挺して無くそうとしている、一人の少年がいたのだ。それもやんちゃで落ち着きのない、たった一人の弟が、すぐそばに。
「東條家では、おれは唯一男じゃん? 桜や百合、蓮華だって女の子だし。だから男のおれこそしっかりしなきゃって、実は前から思ってた……」
「そこまで、気にしてたの……?」
「当たり前だよ。まぁ、この有り様だけどさ……」
すると椿は自嘲気味に笑い、久しぶりに頬の弛みを見せる。二人の空間にほんの少しだけ明るさが増すと予想されたが、どうしても菫だけは笑えず眉を傾けていた。
「この有り様だなんて、言わな……」
「……昨日来てた姉ちゃんの知り合い。あの人、ソフトボール部なんでしょ? だったらちょうどいいじゃん、あの人と部活やればさ。それに、ソフトボールなら尚更いいじゃん」
言葉尻を被せることでフォローを拒否した椿。昨日出会った清水夏蓮を菫に連想させると、名残の雫はまだ見て取れるが、徐々に笑み色に移ろいでいた。
「……椿は、辛くないの? 家事なんてやってたら忙しいって、今回でわかったはずだよ?」
「確かにたいへんだけど、おれは辛いとは思ってない。特に料理なんかは、家庭科も始まって興味あるしさ」
「家庭科……っ!」
その刹那、菫の瞳孔が大きく開いた。なぜなら今になって、やっと気づいたからである。
『凛が言ってた、苺お姉ちゃんと椿の共通点……これだったんだ』
よくよく考えればすぐわかる、東條家でない凛だって理解できる内容なだけに、菫は鈍感な自分自身に呆れて物も言えなかった。開いた口すらも塞がらなく、目の前の椿ばかりを黙視し続ける。
『二人にあって、あたしにはない、苺お姉ちゃんと椿の……いや、あの日亡くなった苺お姉ちゃんと、今生きている椿の、確かな共通点』
二人だけにある共通点――それは家事が好きだということでも、家族を愛しているということとも異なる。菫だって同じことを思い考えているのだから。
二人だけの共通点とは、今だからこそ存在しているものだったのだ。
『――二人とも、小学五年生だ……』
小学五年生で誰しも始める家庭科。その内容とは、今日まで育ててくれた家庭にもっと目と心を運び、家族の愛と大切さを確かめるための一教科。まるで道徳とも感じさせる、貴重で尊い少時限授業なのだ。
今年から小学五年生になった椿も、今まで以上に家庭への意識が高まったのだろう。亡き姉――東條苺と同じ学年になったことで、自分も彼女のようにならねばと。
「おれさ……姉ちゃんには、明るく笑っててほしいんだ」
ついに目を合わせてきた椿からは、穏やかで心地よい、春の木々に包まれたような錯覚に走らされる。木陰に訪れた自分を、風に揺らされた緑の葉たちが、隙間から僅かな陽射しを漏らしながらも覆ってくれるシーンを。
「あのときみたいにさ、姉ちゃんは元気フル回転でいてほしい」
「……今だって、あたしは元気だよ?」
「ま~た嘘ついた。身体を動かさないでいるのは辛いんでしょ?」
「それはあたしが小さいときの話で……」
「だから部活、やりたいんじゃないの?」
「そ、それは……」
幼い頃の菫は確かに、内外問わず毎日走り回るお転婆少女だった。特に姉の苺とはよく庭で遊び、鬼ごっこを始め縄跳びやボール遊びまで付き合ってもらった。日が落ちてもまだ物足りないと騒いで、当時の家事を任されていた姉をとても困らせたほどだ。
言葉が詰まった菫は唇を噛みながら沈黙していると、椿がへへッと、鼻下を擦りながら笑う。
「やっぱ姉ちゃんは、あのときみたいに笑ってる方が、姉ちゃんらしい。苺姉ちゃんと、遊んでたときみたいにさ……」
ただ目を合わせることしかできなくなった菫は、椿の両目にはすでに涙が無かったことに気づく。見とれてしまうほどの逞しさを備えた少年の瞳は小さいにも関わらず、姉の自分を優しく包んでくれるかのように感じた。
「だから、おれはね……」
春夜の虫の音にも負けそうな静かな声で椿は呟くと、茫然と化した菫は初めて、弟の気持ちを知らされる。
「――姉ちゃんには笑っててほしいんだ。苺姉ちゃんとキャッチボールした、あのときみたいに……妹っぽい、無邪気な笑顔でさ」
「――っ! ……」
もはや菫は、驚きを見開いた目で示すことしかできなかった。言葉もでないほど頭が働かなく、一人の少女はただじっと、ニコっと笑った少年を見下ろすだけだった。
『……そっか……』
目頭も徐々に熱くなり、口許が微動を始める。何もかも思いつかない鈍感な自分には、心の底から嫌気が差した。苺と椿の共通点もわからず、弟の抱く気持ちすらもわかったつもりでいた、愚かな自分自身に。
『そっか……そうだったっけね』
心の言葉が次第に増えていく菫は、ふと頬を弛めて口を伸ばし、一歩、また一歩と、少しずつ椿へ近づいていく。
「姉ちゃん? ……ッ!! 姉ちゃん!? なんだよいきなり!!」
小さな全身で仰け反って焦る椿だが、それも仕方ないことだった。なぜなら膝を曲げた菫によって、正面から急に抱き締められたのだから。
「は、放してよ!! こんなの恥ずかしいから~!!」
「ゴメンね、ありがと……」
「はぁ!?」
抱き締めを更に強めながら耳許で囁いた菫の表情など、もちろん椿には見えない。むしろ今の顔を見せたくないあまり、抱き締めの力も徐々に強め、身体と身体を強制的にも引き合わせる。
「少しだけ……このままで、いさせて……」
「姉ちゃん……へ、仕方ないな~もう……」
椿から呆れるように笑われてしまった菫。それでも気づいてしまった弟の優しさに、瞳の温度が下がるところを知らなかった。
東條椿の優しさ――それは、仕事で多忙な父母も知らない、まだ生まれてなかった妹三人たちも見たことがない、真の東條菫への思い遣りだったのだ。
『――妹姿のあたしを見たことがあるのは、椿だけだもんね……』
父母がいない日中は、毎日のように三人で遊んだ。
“「苺お姉ちゃん! いっくよ~!!」
「よしっ! じゃあ菫、わたしのここに投げてみな。ほら、椿も応援してあげて」
「ガンバれ~菫姉ちゃん!!」 ”
苺と菫、そして椿と、共に。
“「ストラ~イク!! 菫ナイスボール! さすがボールスロー優勝娘ね」”
今は亡き姉と、
“「エヘヘ~! ちなみに、他の種目も一位だったよ!! シャトルランとか~持久走とか~、ちょうざ~……えっと~……あと幅跳びとかも!!」”
今は姉となった妹と、
“「……おれもおれも~!! 投げさせて~!!」”
そして、今は兄のように頼れる弟と、いっしょに。
その当時の元気フル回転な菫の妹姿を知っている者こそが、現在は椿たった一人だけである。世界中探しても見つからない、あの日の自分を知っている唯一無二の存在なのだ。
「ありがと、椿……やっぱお前は、あたしの自慢の弟だ」
「なんだよ、姉ちゃん……変なこと、言わないでよ」
「変なことじゃない……今度こそ、嫌いな嘘はついてないからね」
「姉ちゃん……うん、そうかも」
今までは、亡くなった苺の想いに応えるために過ごしてきた。何度も見る夢でも、頼んだよ……と言い残された者として、家庭を支えてきたつもりだ。
しかし今度は、椿の想いにも応えるべきだと、菫は思い始めていた。決して大切な弟妹たちの世話を蔑ろにする訳ではない。自慢の弟を信じているからこそ、自分を支えてくれる者への感謝を評して、昔のように活発な自分に戻るべきなのだ。
そう、受け取っていた。
「……さてと、帰ろっか」
「うん」
四月の夜空には、季節特有の星座が数々見受けられる。その中でも一頻りに輝いているのは、三つの星座の一部である春の大三角だ。獅子座のデネボラ、乙女座のスピカ、そして二つを繋げるかのような牛飼座のアークトゥルスが、大きな三角形を放っている。
「椿、買い出しありがとね」
「材料はバッチリ! おれも作るからね」
「わかってる、ただね……」
しかし今夜は、ボルネラとスピカも手を繋ぎ、綺麗な大三角を型どっていた。
「基本的にカレーは、挽き肉じゃなくて豚肉だよ?」
「……ア゛アァァ~~~買い間違えた~~!!」
その刹那、三つの星たちが、瞬いた。
◇支えられて……。◆
次の日。
笹浦第二高等学校グランド。
午後四時を迎えた放課後のグランドでは、バッティング練習に励む硬式野球部、声を出して走り込みをするサッカー部、バトン渡しの練習をする陸上部など、意気揚々《ようよう》とした多くの部活動が行われている。
その中でグランド端の方では、体育倉庫から用具を借りて練習を行う、ジャージ姿の新設部――笹浦二高女子ソフトボール部員らと、一人のスーツ姿の男性顧問が溶け込んでいる。
ウォーミングアップとしての二十分完走、またキャッチボールを終えた現在は短距離ノックの練習中で、月島叶恵がノックバットを持ち、隣でキャッチャーミットをはめた篠原柚月が並んでいる。また二人の視線先には、自身のグローブをはめ守備の構えを見せる清水夏蓮、その後ろには二年生の牛島唯、同じく植本きらら、そして一年生の星川美鈴らが、まるでボール拾い係のように多くの球を抱えていた。
短距離ノック番が訪れている現在、ノッカーの背後より田村信次からは温かく見守られていた。しかし、夏蓮は先ほどから叶恵の打球を逸らしてばかりで、今度は股下を潜らせてしまう。
「アッ!! そんな~!」
「もっと腰を下げろって何度言わせんのよ!? つままれストラップか~!!」
「ゴメンなさ~い!!」
叶恵の厳しいコメントには精神すら敗北しそうになるが、夏蓮は諦めず、もういっちょ~!! と叫んで腰を落とす。
――カキィィーン!!
「アッ!! また……」
「ゴルアァァ~~!! マジのストラップにしたろうかァ!!」
叶恵の機嫌を荒れに荒れさせた夏蓮の結果は、再び打球が股下を通り過ぎるトンネルエラーとなってしまった。
もちろんボールは勢いを保ったまま唯たちに突き進んでいく。しかし、すでにボールをたくさん抱えているため、カバーに間に合わず打球が遠退いてしまう。
「あ~行っちまった……」
「行っちゃったッスね……」
「にゃあ? 誰かいるにゃあよ……」
唯に美鈴ときららが続いて呟いた後、夏蓮は打球の行く先を目で追う。すると白球は危険な速さとバウンドを備えながら、とある二人の少女のもとへ向かっていく。
「あ、危ない!! 避けて~!!」
ソフトボールなど身体に当たれば、それはそれは痛いものだ。それを知っているからこそ、夏蓮は全力で声を震わせた。が、二人の少女からは避ける仕草が見受けられず、跳ねた打球がもうすぐ直撃してしまうところだ。
『ま、まずい……』
このままではケガを負わせてしまう。
嫌な未来を想像した夏蓮が思わず目を瞑った、そのときだった。
――パシッ!!
「……? ナ、ナイス、キャッチ……っ!」
乾いた音が耳に入った夏蓮は、恐る恐る目を開けて呟くと、同時に二人の少女の正体を理解して更に見開く。
一人は自分よりも背が高い、ポニーテールが似合うお姉ちゃんらしい女子。そんな彼女がまさかの、夏蓮が逸らした打球を素手で捕っていた。
また隣のもう一人はポカーンとした様子で、背の低さから妹を思わせるショートヘアな女子。打球を収めた隣人に小さな拍手を送っている。
顔つきは異なれど、まるで本当の姉妹のように思わせる、ジャージだけを纏う二人組。もちろんソフト部員らは初めての出会いで、返す言葉が見つけられず沈黙している。
しかしその中で、二人の名前を唯一知る夏蓮が、再会の嬉しさで微笑みを増やし、心から声を鳴らす。
「――東條さん!! それに菱川さんも!!」
ジャージ姿の二人の少女。彼女たちは、夏蓮が一昨日出会った一年生――東條菫と菱川凛だった。
「清水先輩!! 遅くなってもう訳ありません!」
「お、遅くなった……?」
「ボール返しますね!」
「え、あ。ありがと、東條さん!」
満面で無邪気な笑顔を見せ続ける菫に、夏蓮は疑問符を浮かべたがすぐに返球を受ける。
――バシッ!!
「いッ!! ……な、ナイスボール~」
手のひらに激しい痛みが襲うほどの、上投げからの速球だった。しかしコントロールされた返球はしっかりと夏蓮の胸元にたどり着き、叶恵の打球よりも取り安かったことが否めない。
「清水先輩!!」
再び明るく大きな声が、菫から放たれた。顕在なにこやかさが明確に窺える中、夏蓮はピースサインを見せつけられる。
「――今日からあたし、ソフトボール部に入ります!! なのでよろしくお願いします!!」
「東條、さん……ふぁ~! うん!! 喜んで!!」
勢いよく一礼した菫に、夏蓮は一度驚きに駆られたが、すぐに円らな瞳を輝かせて頷き、茫然とした様子の凛も含め入部を快く受け入れた。
菫が先ほど言っていた、遅くなったという台詞はきっと、昨日のうちに入部すべきだったと捉えていたからだろう。たった一日遅れでもそう言えるのは、彼女が心からソフトボールを求めていたこと、真摯部活動をやりたいという気持ちがあったことがわかる。
疑問も消えた夏蓮は歓喜するばかりで、自分がエラーしたことも忘れて菫と凛のもとへ駆けていく。
「東條さん……ううん、菫ちゃん! 今日からよろしくね!!」
「はい!! 未経験の部活動ですが、こちらこそよろしくお願いします!!」
「……」
「……? 凛どうしたの?」
菫の囁きにつられて夏蓮も凛を覗く。どうやら他の方を見ているようで、思わず視線先を追ってみる。すると見えたのは、小さくも驚きながら近づいてきた信次本人で、二人が静かに見つめ合う時間が舞い降りる。
「菱川……」
「田村先生って、やっぱりあなただったんだね」
何かを確かめ合う二人を横からボーッと観察している夏蓮。まるで二人が以前に会っていたような会話内容だが、瞬きばかりを繰り返してしまう。
「あ、あの……お二人はどういった……」
「……清水先輩」
「あ、はい!」
すると言葉尻をかぶせてきた凛から微笑みを向けられ、夏蓮の高らかな返事が鳴り響いた。
「菫が入部するなら、わたしも入りたいです……」
「でも凛、喘息は大丈夫なの?」
「そ、その通りだよ! 無理は良くないはずじゃ……?」
凛の入部希望に不安を示す菫、そしてなぜか信次までも止めようと冷や汗らしきものを垂らしていた。
しかし、凛は首を左右に振ることで否定し、菫と信次それぞれに目配せしながら語る。
「わたしは大丈夫。じゃなかったら、ジャージでここに来ないよ……それに、菫とはできるだけ、いっしょにいたいから……」
凛が小さくか細い声で微笑むと、菫も了承したかのように笑顔で返し、もう一度夏蓮、また晴れずいる信次にも振り向く。
「じゃあ、あたしたち二人で! よろしくお願いします!!」
「よろしくお願いします……」
今度は二人から丁寧な御辞儀を受けた夏蓮は頷き、二人の名前を呼ぼうとした、そのときだった。
――「Wait for me!!」
突如夏蓮たちに流暢な英語が放たれた。誰なのかと振り返ろうしたその刹那、一人の制服少女が現れる。
『わっ! 外国の人……留学生?』
英語ができない夏蓮が一歩退いてしまった相手は、地毛の金髪をまとめたツインテールで、同じ髪型の叶恵よりもずっと長い。背は凛や夏蓮とあまり比毛を取らないほど低身長、また透き通ったサファイアの瞳からは美しい海の色を思わせるほど魅力的で、他の部員からも不思議めいた視線を向けられていた。
「HEY! Mr.Tamura!! I looked for you!!」
「え、ボク……?」
金髪少女から指を差された信次が後退りした辺り、どうやら彼も英語は話せないようだ。
「I wish to play softball in Japan! Would you admit my entry!?」
「え、あ、アイムジャパニーズティーチャー……」
『どうしよ~! この娘が何言ってるのか全然わからないよ~!』
恐らく信次もこう思っていることだろうと、夏蓮は震えながら金髪少女を牽制視していた。このままでは、愚かな自分たちのせいで日本人を嫌いになってしまい、二度と海を渡ってきてくれないだろう。それで戦争にも繋がってしまったら……。
しかし窮地に落とされた夏蓮たちを、留学生少女の肩に手を置いた菫が救う。
「メイ、まだ入部してなかったの? てか、日本語の方がいいと思うよ?」
「あッ!! 誰かと思えば菫じゃないデスカ~!! それに凛もいたノデスネ!!」
「気づくの遅すぎでしょ……」
『日本語も話せてる……良かったぁ~……』
安堵のあまり涙が出そうになった夏蓮。菫と凛とは知り合いのようで、本当に助けられたものだと感動していた。しかしそれも束の間、メイと呼ばれた留学生は再び信次を見上げ、勇ましさを備えて高音を響かせる。
「――どうかこのワタクシ、May・C・Alphardをソフトボール部に入部させてクダサイ!! 桃栗三年、柿八年! 以前はAmericaで八年間playしてマシタガ、今回はニッポンでやりたいノデス!! 石の上にも三年ということで、是非ともよろしくお願いイタシマス!!」
まるで太陽のように熱い想いが、間接的に聴いている夏蓮にも伝わる。ことわざまで話せることにも感心したが、何よりも彼女が経験者であることに気づき、一気に心の距離が縮まったようにも感じた。
「メイちゃん、だよね? 私は清水夏蓮です。どうぞよろしくね!」
「nice to meet you! 夏蓮ちゃんセンパイ、よろしくお願いイタシマス!!」
――「よしっ! じゃあ……三人とも!!」
すると妙な間を空けた信次の大きな声に、菫、凛、メイの三人が反応し振り向く。もはや定番化した迎い入れ方だが、相変わらず両腕を大きく開いて受け入れる。
「ようこそ! 笹二ソフト部へ!!」
「やったぁ~!! 三人!! また三人増えたよ~!!」
信次のそばで夏蓮は幼い子どものように喜び出し、部内誰よりも菫たちを歓迎していた。
叶恵と隣り合っていた柚月は、
「また三人入ったわね。ここまで来るのも、以外とあっという間なものね」
と、夏蓮の如く喜ばしいながら囁くと叶恵は、
「あの背の高い方の一年生、なかなか運動センスがいいわ。しかし、アルファード……どっかで聞いたような……」
と、どこかか疑問を抱いた様子で天を見上げていた。
また後ろの方で固まっている唯、きらら、美鈴の三人たちは、
「一年生だから、ミスズンとは同い年にゃあ」
「ライバルってことになるッス……絶対負けらんないッス!」
「まぁ仲良くやろうぜ? オレたち三人だけじゃ、試合はできねぇんだからさ」
と、最後に唯が優しく言いまとめていた。
こうして、笹浦二高女子ソフトボール部には、一年生の東條菫、菱川凛、そしてメイ・C・アルファードの三人が無事に入部したのだった。
――これでついに、あと一人。
もうじき試合ができると思うだけで、夏蓮の胸は高まる一方だった。このままいけばきっとすぐに九人目が現れてくれることだろうと、遠かったはずの夢物語の門を近しく感じていた。
『……? あれ?』
歓喜に満ちていた夏蓮だが、ふと目の色が不思議色に変わる。視界に入った体育館から一人、片手にバレーボールを挟んだ少女と目が合ったからだ。
『――え、咲ちゃん……』
彼女は夏蓮にとっては昔からの親友の一人――中島咲だった。前髪を上げて見せる額が印象的で、いつも元気ではしゃぎ回るお転婆姿は今日まで変わっていない。
ところが、夏蓮に今見えた咲は、どこか辛そうな眉間の皺を浮かべていた。
――「咲、どうかしたの?」
「あ、涼子、先輩!!」
すると咲は体育館コートから放たれた先輩の声に振り向く。
「な、なんでもないです!! ちょっと、外の空気を吸いたいな~って思ったので! エヘヘ」
咲は額を手のひらで拭うと、涼子と呼ばれた先輩から瞬きを繰り返される。
「そう……よそ見してたら危ないわよ。大会も近いんだから、しっかり集中してね」
「はい!!」
大きな返事をした咲は張り切った様子のままコートへ向かい、夏蓮の視界から消えてしまった。
『咲ちゃんは……やっぱ九人目には、なれないのかな……?』
小学生時代、同じソフトボールクラブに所属していた親友。親友だからこそ、咲にもそばにいてほしい。
夏蓮はそう思ってはいるものの、現実はそう簡単に許してくれそうになかった。
『――咲ちゃんと涼子先輩は、中学のときからずっとバレーボール部だもんね……』
今さらソフトボール部に誘うのも、反って申し訳ない気がしてならなかった。
夏蓮は体育館に背を向けて短距離ノックの練習を再開することにしたが、さっきまでの声の張りが弱まっていた。
次回
七球目◇心からのエミ◆




